オピッツ ~ 日本の現代ピアノ作品集
2011.08.20 18:00| ・・ 日本(芥川,武満,吉松, 他)|
オピッツのHaenssler Classicからリリースされた最新アルバムは、珍しくも日本の現代音楽ピアノ作品集。
特に好きというわけでもないオピッツのアルバムなので、新譜情報で知ってはいても、すっかり忘れていた。
和泉範之さんの<合唱音楽 聴いたり 弾いたり 振ったり blog>で紹介されていて、かなり面白そうに思えたので、NMLで全曲聴いてみるとその期待通り。
現代音楽は当たりとハズレの差が特に大きいけれど、このオピッツの録音は、最近聴いた現代音楽のアルバムの中でも、聴いてよかったと思える一枚。
CDは8月下旬発売予定。MP3ダウンロード(日本amazon)はすでに開始済み。
収録曲のなかで、武満徹の《雨の樹素描》以外は、一般にはあまり知られていない曲ばかり。
藤家渓子/水辺の組曲 Op. 70
武満徹/雨の樹素描
池辺晋一郎/大地は蒼い一個のオレンジのような
諸井三郎/ピアノ・ソナタ第2番
一般的に聴きやすいのは、 藤家渓子の《水辺の組曲》。
印象派風の美しい曲で、旋律もわかりやすい方だし、不協和音も和声的には美しく、全編に詩的なイメージ漂う曲集。
ドビュッシーが好きなら、この曲も気に入りそうな気はする。
このアルバムで最も注目すべき曲が、諸井三郎の《ピアノ・ソナタ第2番》(1940年)。
前評判に違わず素晴らしい曲で、矢代秋雄の《ピアノ協奏曲》を聴いた時もそうだったけれど、日本人でもこれだけの現代曲を書いていたのかという、驚きというか感慨のようなものを感じてしまう。
無調の曲でもなく、不協和音の歪みもないので、聴きやすい曲ではあるけれど、今の時代にはあまり受けない曲想かもしれない。
諸井三郎/ピアノ・ソナタ第2番
1940年に作曲された《ピアノ・ソナタ第2番》は、細部までびっちり書き込まれた緻密で堅牢な構成。
第1楽章の冒頭から物々しい曲想で、オドロオドロしいリスト風(?)といった印象。和声的にもリスト作品に似たようなものを感じるので、個人的には馴染みのある世界。
時々出てくる幻想的な旋律と和声は、ピアノの冷たい響きと相まって、好きな作曲家シサスクの宇宙的な世界を連想する。
第2楽章のスケルツォは、緊迫感がさらに増して、シンプルな主題が次から次へと展開していき、息つく間も無く一気呵成に進んでいくのが、とてもスリリング。
転調しながら鍵盤上を駆け上がっていっては、急速に下行したりと、目まぐるしく動き回り、騒然とした雰囲気が全編に漂っている。
1900年代前半~前衛隆盛時代の現代音楽というと、こういう曲想や音の動きをする曲がかなり多かった(と思う)。
最近は、こういう曲はほとんど見かけなくなってしまった。
苦手な緩徐楽章の第3楽章は、テンポが落ちて、内省的で叙情的な曲想に変わる。
それでも、第1楽章、第2楽章を通じて漂っている物々しく暗鬱な雰囲気はここでも消えずに残っている。
池辺晋一郎の《大地は蒼い一個のオレンジのような...》(1989年)。
1989年にとある音楽コンクールのために作曲。タイトルは詩人エリュアールの「愛すなわち詩」という詩集の一節からとられている。
こういう具象的な言葉をはめ込んだ詩的なタイトルは、ちょっとシュールな感じが好きなので、記憶に残りやすい。
この曲は<カメラータ・コンテンポラリー・クラシックス>の『池辺晋一郎 室内楽作品集』に収録されているし、時々演奏会でも演奏されることはあるらしい。
高音のクールな響きや、何かが密やかに蠢いているような幻想的な旋律が散りばめられているところが、個人的には、大地というよりは、宇宙的なイメージ。
たぶん、宇宙をテーマにした曲が多いシサスクやクラムの《マクロコスモス》を思い出させるようなところがあるから。
よく考えると、タイトルは、大地=蒼い一個のオレンジ="天体としての地球"という意味にも思えてきたので、そういう意味では宇宙の浮かぶ地球の姿が浮かんでくる。
特に好きというわけでもないオピッツのアルバムなので、新譜情報で知ってはいても、すっかり忘れていた。
和泉範之さんの<合唱音楽 聴いたり 弾いたり 振ったり blog>で紹介されていて、かなり面白そうに思えたので、NMLで全曲聴いてみるとその期待通り。
現代音楽は当たりとハズレの差が特に大きいけれど、このオピッツの録音は、最近聴いた現代音楽のアルバムの中でも、聴いてよかったと思える一枚。
![]() | 諸井三郎:ピアノ・ソナタ第2番、武満徹:雨の樹素描、池辺晋一郎:大地は蒼い一個のオレンジのような、藤家溪子:水辺の組曲 オピッツ (2011/08/31) ゲルハルト・オピッツ 試聴する(米amazon) |
収録曲のなかで、武満徹の《雨の樹素描》以外は、一般にはあまり知られていない曲ばかり。
藤家渓子/水辺の組曲 Op. 70
武満徹/雨の樹素描
池辺晋一郎/大地は蒼い一個のオレンジのような
諸井三郎/ピアノ・ソナタ第2番
一般的に聴きやすいのは、 藤家渓子の《水辺の組曲》。
印象派風の美しい曲で、旋律もわかりやすい方だし、不協和音も和声的には美しく、全編に詩的なイメージ漂う曲集。
ドビュッシーが好きなら、この曲も気に入りそうな気はする。
このアルバムで最も注目すべき曲が、諸井三郎の《ピアノ・ソナタ第2番》(1940年)。
前評判に違わず素晴らしい曲で、矢代秋雄の《ピアノ協奏曲》を聴いた時もそうだったけれど、日本人でもこれだけの現代曲を書いていたのかという、驚きというか感慨のようなものを感じてしまう。
無調の曲でもなく、不協和音の歪みもないので、聴きやすい曲ではあるけれど、今の時代にはあまり受けない曲想かもしれない。

1940年に作曲された《ピアノ・ソナタ第2番》は、細部までびっちり書き込まれた緻密で堅牢な構成。
第1楽章の冒頭から物々しい曲想で、オドロオドロしいリスト風(?)といった印象。和声的にもリスト作品に似たようなものを感じるので、個人的には馴染みのある世界。
時々出てくる幻想的な旋律と和声は、ピアノの冷たい響きと相まって、好きな作曲家シサスクの宇宙的な世界を連想する。
第2楽章のスケルツォは、緊迫感がさらに増して、シンプルな主題が次から次へと展開していき、息つく間も無く一気呵成に進んでいくのが、とてもスリリング。
転調しながら鍵盤上を駆け上がっていっては、急速に下行したりと、目まぐるしく動き回り、騒然とした雰囲気が全編に漂っている。
1900年代前半~前衛隆盛時代の現代音楽というと、こういう曲想や音の動きをする曲がかなり多かった(と思う)。
最近は、こういう曲はほとんど見かけなくなってしまった。
苦手な緩徐楽章の第3楽章は、テンポが落ちて、内省的で叙情的な曲想に変わる。
それでも、第1楽章、第2楽章を通じて漂っている物々しく暗鬱な雰囲気はここでも消えずに残っている。

1989年にとある音楽コンクールのために作曲。タイトルは詩人エリュアールの「愛すなわち詩」という詩集の一節からとられている。
こういう具象的な言葉をはめ込んだ詩的なタイトルは、ちょっとシュールな感じが好きなので、記憶に残りやすい。
この曲は<カメラータ・コンテンポラリー・クラシックス>の『池辺晋一郎 室内楽作品集』に収録されているし、時々演奏会でも演奏されることはあるらしい。
高音のクールな響きや、何かが密やかに蠢いているような幻想的な旋律が散りばめられているところが、個人的には、大地というよりは、宇宙的なイメージ。
たぶん、宇宙をテーマにした曲が多いシサスクやクラムの《マクロコスモス》を思い出させるようなところがあるから。
よく考えると、タイトルは、大地=蒼い一個のオレンジ="天体としての地球"という意味にも思えてきたので、そういう意味では宇宙の浮かぶ地球の姿が浮かんでくる。