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カール・アマデウス・ハルトマン/ピアノ作品集 ~ ピアノ・ソナタ ”1945年4月27日”,ほか
作曲家のハルトマンですぐに思い出すのは、デンマークのエミール・ハルトマンと、ドイツのカール・アマデウス・ハルトマン。生きていた時代と作風が全く違うので、曲を聴けばどちらの作品なのか間違いようがない。

以前にエミール・ハルトマンのピアノ協奏曲を聴いて、メンデルスゾーンみたいと思ったけれど、カール・アマデウス・ハルトマンはピアノ協奏曲は書いていないらしく、ヴァイオリン協奏曲の《葬送協奏曲》の方が有名。演奏会のプログラムでも時々見かける。
ドイツ人のハルトマンは1905年生まれで60歳になる前に亡くなっている。
反ナチスの旗色が鮮明な作曲家だったので、退廃作曲家のレッテルを貼られて作品は上演禁止。戦時中は”国内亡命”状態になっていたが、ひそかに地下でレジスタンス活動を行っていたという。

ハルトマンのピアノ作品は、独奏曲がいくつか残っているが、低音を利かせた重厚な和声が響き、絶えず緊張感を強いるシリアスで思索的ないかめしい作風。
無調とは言え、それほど不協和的な歪みのある和声は使っていないし、旋律は歌謡性はないが音の配列はわかりやすく、慣れればかなり聴きやすい曲。
アルバン・ベルクのような緊張感と音の激しい動き、それに、対位法が使われているところはヒンデミットを連想する。
ピアノを打楽器的に強打し、モノクロームのようなざらついた肌触りがあるところは、バルトーク風。
ヒンデミットと違うところは、それほど感性的には乾いた感じはせず、ヒンデミットのようなメカニカルで即物的な感じは希薄なところ。
それよりも、思索的な生真面目さとやや濃いめの叙情感はベルクに似ている気がする。たまにヒンデミットのような軽妙さが顔を出すところが面白い。

                         


ハルトマンの作品はどれも録音が多くはなく、ピアノ作品集もかなり珍しいアルバム。
ピアノ作品集は2種類出ていて(他にもあるかもしれないけど)、これが対照的な演奏なので、同じ曲でもピアニストによって随分違った雰囲気になるのがよくわかる。
ウォルフガング・ドベルライン(Musicaphon盤)は、やや柔らかさのある明るめの澄んだ響きが美しく、色彩感が豊か。
ややリズムが緩く、厳しさや荒々しさといったものは薄めで、逆に研ぎ澄まされた叙情性が美しい。特に、緩徐楽章では表現が細かやで叙情豊か。
打鍵がそれほど鋭くパワフルではないので、ハルトマンらしい(と思われている)激しくテンションの高いところがさほど強く感じられないので、急速系の曲では緊張感が緩くちょっと弱々しいところがある。

このアルバムの難点は、収録時間の関係からか、ピアノ・ソナタの第2楽章スケルツォをカットしているところ。第4楽章は初版の方だけを弾いている。
Karl Amadeus Hartmann: Works for PianoKarl Amadeus Hartmann: Works for Piano
(2006/05/30)
ウォルフガング・ドベルライン(piano)

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ケーレンのTelos盤は、ピアノ・ソナタは全楽章を収録し、第4楽章は初版と第2版の両方を録音している。
ドベルラインの演奏とは違ったタイプで、バルトークのように打楽器的な力強い打鍵が冴えて、厳しくざらざらとした肌触り。
タッチが鋭く音は硬質で張りがあり、フォルテは鋼鉄線のように強靭でパワフルで、やや暗めの音色、鋭いリズム、強いアクセントの聴いたタッチがとてもマニッシュ。
ジャズ風の曲も、軽やかで洒落たタッチで弾いているところもあるけれど、リズムがかなりシャープで荒々しく前衛的(ミンガスのような?)な感じがして、結構面白い。
弱音は内面に沈潜していくような鬱々とした静寂さがあり、叙情的というよりは思索的な感じ。全体的に強弱・緩急のコントラストが強く、重たく威圧感があって、聴き終るとかなり疲れるものがある。
こちらの方が筋肉質的な演奏なので、ハルトマンらしい雰囲気が味わえるとは思うけれど、精神的に元気なときに聴いた方が良さそう。

Hartmann: Piano WorksHartmann: Piano Works
(2008/10/20)
Benedikt Koehlen

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ややゆったりとしてテンポと丁寧なタッチのドベルラインは、明るい音質と美しく色彩感のある響きで表現も細やかで、緩徐系の楽章が叙情的で美しい。
速いテンポでシャープな打鍵のケーレンは、音色はやや暗いがメリハリの効いたリズム感がとても躍動的で、急速系の曲やフーガが素晴らしく鮮やか。
曲によって聴くピアニストを選ぶというよりも、さらに細かく楽章別でどちらかを選んで聴きわけたくなってくる。

                         

小組曲第1番&第2番/Kleine suite Nr.1&Nr.2
第1番の緩徐楽章はひっそりとした静けさと薄い響きで、似たような音の配列と雰囲気なので、どれがどの曲だったのか、わからなくなりそう。
ドベルラインは透明な叙情感が綺麗だけれど、ケーレンは暗くて沈鬱な雰囲気。

第1番の第2楽章と第5楽章は速いテンポのフーガ。
ケーレンのフーガは、ノンレガート強いタッチの明瞭な音で、両手の声部の旋律線がくっきりと浮き出て、リズム感と旋律の絡みあいがとっても面白い。
まるで、2人が互いに大きな声で、対話を通り越して、自己主張しているような弾き方。

第2番の第1楽章は、ブリテンのピアノ小品風にモダンで軽快なタッチ。
第2楽章は、やや静けさに沈潜していくような内省的な雰囲気の曲(途中でちょっと盛り上がるけど)。
第3楽章になると、少し明るさと透明感が出てくるが、やっぱり静かで内省的。
第4楽章は”JAZZ”。それほどジャズ風な感じはしないけれど、それでもハルトマンにしては、軽妙で明るいタッチ。

ジャズ風トッカータとフーガ/Jazz-Toccata und Fuge (1928年)
<トッカータ>は、バルトークのピアノ・ソナタのように、打楽器的な打鍵が力強く、低音の響きが物々しい。いろいろなリズム・音型が入れ代わり立ち代り現われる。中間部は、かなり軽快なタッチでここはジャズ風な洒落た軽妙さ。
<フーガ>は、ヒンデミットのピアノ・ソナタ第3番に似ているところがあって、とても軽妙でメカニカルな曲。<フーガ>にしては、和声に厚みがあって響きが華やか。

ソナチネ/Sonatine (1931年)
冒頭から鋭いタッチで不協和的な音が急降下し、いかつい雰囲気の低音のオスティナートで、”ソナチネ・アルバム”にあるソネチネのようには、全然可愛らしくないソナチネ。
徐々にタッチが軽やかになり、グリッサンドが綺麗に響いたり、調子を外したような軽妙さや楽しげなところが多少入っていたりする。
終盤はピアニッシモになり、背後で微かな響きの和音がオスティナートされながら、ポツポツと途切れがちの音で断片的につながれる旋律は、物思いに沈むように思索的な雰囲気。

ピアノ・ソナタ第1番/Piano Sonata No.1
次の2曲目のピアノ・ソナタと違ってメッセージ性は希薄。ヒンデミットをずっと饒舌にしたように、音の配列がいろいろ変化して、とても表情豊かに聴こえる。

I. Toccataは、ジャズ風トッカータよりも、構造的な堅牢さが緩くて、圧迫感はあまりない。
ドベルラインが弾くと、密やかで軽妙な雰囲気で、おもちゃの人形が夜中に起き出して遊んでいるような感じ。
ケーレンは相変わらずテンポが速く力強いシャープなタッチで、アクセントの効いたリズミカルなところが軽快。

II. Langsamer tanzは、ドビュッシーの《象の子守歌》を前衛的にパラフレーズしたら、こんな曲になるのかも。
ドベルラインは柔らかなタッチで夢想的。ケーレンは暗い音色で、時に鋭くアクセントを効かせて、やや小難しい雰囲気。

III. Finaleらしく、冒頭からわりと明るい雰囲気で躍動的なフーガ。
いろんなパターンのオスティナートが次から次へと現われ、両手とも休むことなく、鍵盤上をあちこち動き回っている。
ケーレンは、バネのきいたリズムで両手の旋律の動きを明瞭に出して、論争しているかのようにとても饒舌なフーガ。
ドベルラインは、ゆったりしたテンポと丁寧なタッチ。途中で段々調子が外れたようにムードが下降気味になって、最後は思い出したかのように、元通り明るめのタッチでエンディン。

 ピアノ・ソナタ”1945年4月27日”/ Piano Sonata "den 27. April 1945" (1945年)
この日(1945年4月27日)、数千人のダッハウ強制収容所の囚人達が、自宅の前を足をひきずりながら隊列をなして死の行進を続けていく様子をハルトマンが目撃した。その強烈な記憶がこの作品の源泉。
ハルトマンのピアノ作品のなかでも代表作と言われる曲で2番目のピアノ・ソナタ。4楽章構成で演奏時間は30分ほど。第4楽章のみ初版と第2版がある。
和声の響きやフーガを聴くと、ヒンデミットに似ているところはあるけれど、抽象性は希薄で標題音楽のような描写性や叙情性が強い。

I. Bewegt
ヒンデミット風の対位法で交錯する旋律や、調性感がやや曖昧な和声の響きがとても美しい曲。
ゆったりと静寂な雰囲気のなかに、時に感情が激しく揺れ動くようなクレッシェンドがドラマティック。
ベルクのピアノ・ソナタのような鋭く研ぎ澄まされた悲愴感が痛切。

II. Scherzo: Presto assai
右手側の旋律が、中音域~高音域中心に激しく上行下降を繰り返しながら動き回り、何かに追いたてられる焦燥感や切迫感のようなものを感じる曲。

III. Marcia funebre: Lento
演奏時間は10分以上と4楽章中最も長い”葬送行進曲”。
深く沈みこむように重苦しく内省的。諦観や抑制された悲痛な感情が静かに流れていき、中間くらいで昂ぶる感情が抑えきれないように、テンポが加速して細かいパッセージが続き、フォルテの和音が激しく鳴る。

IV. Allegro risoluto (1st version) 又は Allegro furioso (2nd version)
”risoluto”、”furioso”を指示されている通り、荒々しく躍動的な曲。
スタッカート主体で、両手が鍵盤上を速いテンポで駆け回っているところは、第2楽章と良く似ている。
怒りのような強い感情を表すように、わりと明るめの色調の曲ながら、アクセントをつけた和音が何かに抗議するようにバンバンと鳴っている。
初版では、途中で第1楽章に回帰するような緩徐部分が挿入されている。曲想が急に正反対に転換するので、ここの静けさと叙情感が引き立っている。
ケーレンの打楽器的な重く力強いスタッカートとアクセントの効いた和音が、とても勇ましくいかつい雰囲気で、曲想に良く合っている。

tag : ハルトマン

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デイヴィッド・デュバル 『ピアニストとのひととき』
興味のあるピアニストがいたら、本に載っていないかといつもチェックするのが、デイヴィッド・デュバル著『ピアニストとのひととき』と吉田秀和著『世界のピアニスト』。

『ピアニストとのひととき』の方は、著名なピアニストへのインタビュ集で、その多くがラジオ番組「音楽への愛のために」のタイトルで放送されたものを、活字化してまとめたもの。
ピアニストによってインタビュー項目がかなり違っているので、比較対照はしにくいけれど、ピアニストの個性に合わせて質問を変えているので、それはそれで面白い。
1984年に書かれた本なので、作曲家や作品に対するピアニストの考え方もそれ以降に変わっていることもかなりあるに違いない。それでも、これだけまとまったインタビュー集はあまり見当たらないので、資料としては貴重。よく聴くピアニストの考えていることがいろいろわかって、とても面白い。

※著名なピアニスト12人のインタビューをまとめた『Pianists on Playing: Interviews With Twelve Concert Pianists』という本が出ている。翻訳書がないので、英語版のみ。(日本ではさほど有名でないピアニストが結構多い)


上巻でチェック済みのピアニストは、ブレンデル、フィルクスニー、シャーンドル、P.ゼルキン、シフ。
下巻は、アラウの章が一番面白く(内容はアラウの記事のどこかに書いておいた)、他に読んだのは、グラフマン(カッチェンのことが書いていると思ったので。やっぱり載っていた。)、ペライア。フライシャーは読んでいるはずだけれど、なぜか記憶がない。
ラジオ放送番組をベースにしているので、掲載されているのは在米のピアニストが多い。

<掲載されているピアニスト>
上巻:アシュケナージ、アックス、バー=イラン、コワセヴィチ、ボレット、ブレンデル、ブラウニング、ダヴィドヴィチ、フィルクスニー、グールド、ホロヴィッツ、ジャニス、ヨハーンセン、ラレード、シャーンドル、ピーター・ゼルキン、シフ
下巻:アラウ、バドゥラ・スコダ、ラローチャ、ディヒター、アントルモン、フライシャー、グラフマン、イストミン、ヨハネセン、オールソン、ペライア、ポゴレリチ、ローゼン、テューレック、ヴァシャーリ、ワッツ、ワイセンベルク、ワイルド

ピアニストとのひととき〈上〉ピアニストとのひととき〈上〉
(1992/09)
デイヴィッド デュバル著、横山 一雄訳

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※写真は英語版のもの。


 アルフレート・ブレンデル
本文280頁のなかで、46頁が割かれている。掲載している17人のピアニスト中、最もページ数が多いし、中身も濃い。
音楽に関する分析的な話が多いので、インタビュにしては密度が濃い。ピアニスト1人あたりで大体10~15頁くらいだが、ホロヴィッツは例外的に28頁。

音楽の中のユーモアについて。
ユーモアといっても定義はいろいろあって、1つは、「音楽のコミカルな面、つまり人を笑わせるもの、ウィット、アイロニーについて語った方が簡単」。これはハイドンの音楽に見られるという。なぜなら「ハイドンは喜劇の典型」。
モーツァルトのユーモアは、これとは別。「ドイツ文学の伝統の中に深く根ざしている......理解し、愛し、許す悲劇に基づいたユーモア」。
ショパンの音楽には「アイロニーと、おそらくウィットがいくらかあるでしょうが、ユーモアもコメディもありません。ショパンは陰気すぎてそういったものには向いてなかったんです。」
もちろんベートーヴェンはこうした要素を全部持っていて、「「ディアベリ変奏曲」だけが、音楽の中のユーモア、ウィット、アイロニーの要素を伝えている」という。

ブレンデルの暗譜力。
-かなり聴覚的で運動感覚的な暗譜力を持っていますが、視覚的なものではまったくありませんので、弾くときにはスコアを見ません。

ブレンデルのバッハ。
ブレンデルは長年バッハはピアノ演奏には向かないと考えていたが、「古楽器でのバッハの演奏をたくさん聴きましてから、私はこれだけがバッハの音楽をよみがえられる唯一の方法じゃないというという結論に達して」、ピアノによるバッハ演奏・録音を始めたという。
この逆のケースはアラウ。昔はバッハをピアノで良く弾いていたが、バッハを弾くならハープシコードでと思うようになって1950年頃からパタっと公開演奏では弾かなくなった。しかし、結局は、最晩年になって、ピアノでバッハを弾くことも可能であろうと思い直し、ピアノでバッハを弾くことを再開してはいる。
スカルラッティは「ハープシコードの音に結びついている」のに対して、バッハについては、「音色は二次的なものだと考えてきた」ので、ブレンデルはハープシコードで弾くことにはこだわっていない。
随分昔のインタビュなので、今はどう考えているのかはわからないけれど。

ブレンデルのバッハ作品集を探すと、やっぱりリリースされていた。
バッハ:イタリア協奏曲バッハ:イタリア協奏曲
(2007/02/14)
ブレンデル(アルフレッド)

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バッハの他にはリストとシューベルトに対するブレンデルの考え方がかなり詳しい。
最後には、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全32曲に対するブレンデルの考えが簡潔に(半頁~1頁くらいのボリューム)で、話されているのが、なかなか壮観。一番好きな31番と32番のソナタについて、以下要約。

31番の「戻ったり結合したりするアリオーソとフーガの最後の2つの楽章は.....「受難」の音楽で、バッハの「受難曲」を思い出します。」第2楽章は後期の「バガテル」のひとつのようにみえる。

最後のソナタ。
-ベートーヴェンのソナタで驚くべきことは、それぞれが非常に違っているということです。想像力の範囲があまりに驚異的でして、事実、神秘的と呼びたいくらいです。それは人間をただ眺めることだけでは説明できないといったようなものです。人間としてのベートーヴェンには限界、弱点がありましたが、しかし作曲家としての彼は、人間的なもののほとんどすべてを包み込んで、それを自分のものにしています。最後のソナタは、この人間性の真髄でして、ソナタ・シリーズの本当の結論となっています。....2つのきわめて対立した楽章を隣合わせに置くということは、彼が自分の体験を、いわばごく簡潔に語りたいと思っていたことを暗示しているようにみえます。

-この2つの楽章の特色を示す名前にはこと欠きません。つまりサンサーラ(輪廻)とニルヴァーナ(涅槃)、現実の世界と神秘の世界、男性と女性の原意、陰と陽、いやむしろ陽と陰(運動の秩序の中に残るためです)といった名前で表せるということです。

 ルドルフ・フィルスクニー
やはりヤナーチェクに師事した頃の話が最も詳しく、5歳の時に初めてヤナーチェクの前でピアノを弾いたという。曲は、ヤナーチェクのオペラ「イェヌーファ」の小さなコーラスをフィルクスニーが編曲したものと、ドヴォルザークの「スラブ舞曲第8番」。

ヤナーチェクはこの幼いピアニストがとても気に入ったようで、ピアノの先生を探して、ヤナーチェクは基礎理論と作曲を教えた。
ヤナーチェクは彼を教える条件として、一般教育を受けること、神童として利用しないこと。
ヤナーチェクは息子を赤ん坊の頃になくし、娘もなくしていたことから、小さなフィルスクニーを子供のように思っていたのかもしれない。
フィルクスニーの方はすでに父親を亡くしていたので、ヤナーチェクが第2の父親、精神的な父親みたいなものだったらしい。
ヤナーチェクは、フィルクスニーの家庭が経済的に裕福ではなかったので、奨学金を受け取れるように推薦状をいくつも書いていた。

ヤナーチェクの後に師事したのがクルツ。あのドヴォルザークのピアノ協奏曲の編曲版を作曲した人。結局、自分の流儀を教え込むような教授法がフィルクスニーには合わずに決別。
その後シュナーベルに師事したが、シュナーベルはクルツとは全く逆で、音楽討論のようなレッスン。シュナーベルは、新しい、違ったやり方で自分自身で考えることを奨励していた。
シュナーベルがナチスが政権を掌握した後は、ドイツを出国してイタリアで教えていたが、フィルクスニーはそこで指揮者のジョージ・セルと初めて会う。
シュナーベルからフィルクスニーの話をきいたセルは、一度も彼の演奏を聴くことなく、ドヴォルザークのピアノ協奏曲のソリストを電話で依頼してきた。
フィルクスニーとセルはとても相性が良かったらしく、フィルクスニーとセルは友人でもあり、助言やアイデアが必要なときにはセルによく相談した。セルに気に入られると、彼から(音楽上の)恩恵を受けることは確かで、セルとの共演はとても励みになったと言っている。
セルとフィルクスニーは、1954年にクリーブランド管とドヴォルザークのピアノ協奏曲を録音している。


 アンドラーシュ・シフ
シフは子供の頃からバッハを弾いていたが、14歳の時にジョージ・マルコムに師事するためにロンドンへ行って、そのとき本当にバッハを理解できるようになったという。
マルコムが使っていたハープシコードは、いろんな種類の効果をだせるようにした、ペダルが10個ぐらいついた改造型のもの。実際実演でも弾いていたらしい。
従来のハープシコードを好んでいなかったところが、シフと似ている。
シフの方は、ハープシコードがミシンのような気がするというくらいだから(冗談だろうけれど)、他にもいろいろある発言を読むと、シフはハープシコードという楽器が全く好きではないのがよくわかる。

結局、マルコムの元へ行ってもハープシコードを弾いたことはなく、フォルテピアノにも気が進まず、マルコムから教えられたのは、「学問的感覚を身につけることや、バロックの手順を本当に理解すること」。
シフは、「バッハは実際には何も指示していないので、ある意味では、バッハは演奏家自身が作曲家になるよう強制しています。演奏家は、テンポや強弱法から、フレージングやアーティキュレーションまで、非常にたくさんのことを勉強しなくてはいけない。....受難曲やカンタータを含めたバッハの作品全部を知っている必要があります。」といっている。

グールドは、シフが子供の頃のアイドル。
シフのグールド評は「グールドのようにポリフォニーを弾けた人はだれもいませんでした。彼は、ほかのたいていの人が二声をコントロールできる以上に、もっと知的に五声をコントロールできたピアニストです。」

20世紀の作曲家のなかで好きなのはバルトーク。
ハンガリーで先生だったパウル・カドシャは、バルトークの友人で作品も一緒に研究していたので、「バルトークは叩きつけるように弾くもんじゃない」とシフに教えた。
シフはその教えを守っているらしく、「バルトークはいつも荒々しく、ばんばん弾かれます。ですから彼の音楽の音色の美しさが失われてしまうのです。」

シフは家でよりもステージでの方が良い演奏をするという。ステージでは自分を解消できるからで、スタジオだと全く分析的で、大変批判的になるという。ゴルトベルクの新録はライブ録音で、その出来が素晴らしいのがなぜか良くわかった。

暗譜について、全然不安がないという。「忘れるんじゃないかと思うと、それは2秒以内に起こります」といって、暗譜のことは考えてもみないようにしている。

シフは自分の弾き方について、音楽の含むものを暗示してみせるので、音の響きをとおしてドラマ性を表現しているという。

ホロヴィッツやホフマンのようなヴィルトオーソとは性が合わない。偉大な演奏家であって、偉大な音楽家ではなく、それは作曲家が二の次にされているから。
なぜか尊敬しているのはアラウ。「彼の芸術には最高の敬意を表しています。彼は作曲家の意図するものを絶対に失っていない」から。

シフの章を読んでいると、自分の主張を明確にするタイプで、やわらかな音楽のタッチとは全く違った性格の人だという感じがする。なかなか面白いキャラクタだと思う。

tag : 伝記・評論 ブレンデル フィルクスニー シフ

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早坂文雄/ピアノ協奏曲
”RARE CLASSICAL MUSIC”というサイトで”日本の作曲家によるピアノ協奏曲リスト”をたまたま見つけた。
邦人作曲家のピアノ協奏曲は録音が少ないので、知らない曲の方がずっと多い

聴いたことのある曲は、矢代秋雄のピアノ協奏曲、大澤壽人のピアノ協奏曲第3番《神風協奏曲》、伊福部昭の《ピアノと管絃楽のためのリトミカ・オスティナータ》、新しいものでは、吉松隆の《メモ・フローラ》、。
作風がそれぞれかなり違っているけれど、いずれも日本のピアノ協奏曲のなかでは名曲だと思う。

早坂文雄のピアノ協奏曲(1948年)は聴いたことがなかった曲。
1948年に初演されたが、ソリストはデビューしたばかりで23歳の梶原完。彼の録音は残っていないが、NAXOS盤の録音があり、ピアノは岡田博美。
この2人が弾いていたピアノ協奏曲なら、聴いてみたくなってしまう。

Humiwo Hayasaka: Piano Concerto; Ancient DancesHumiwo Hayasaka: Piano Concerto; Ancient Dances
(2006/09/26)
Russian Philharmonic Orchestra, Hiromi Okada, Dmitry Yablonsky

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第1楽章 Lento
冒頭はスローテンポで息の長いトゥッティ。
第1楽章と第2楽章の2楽章構成のため、第1楽章がLentoになっている。
トゥッティが弾く主題は、まるで葬送行進曲のように低く重苦しい。ここは、早坂氏の敬愛する作曲家の一人ラヴェルへのオマージュ。
解説によると雅楽から派生した5音音階などを使っているそうなので、東洋風な響きを感じるところがある。

ピアノパートはまるでショパンやラフマニノフのようにロマンティック。
オケの低音域から、ピアノの高音域に移動したせいか、冷たく輝くダイヤモンドのように、硬質で鋭く尖った響きが美しく、悲愴感漂う流麗な旋律に聴こえてくる。

主題は、早坂氏の亡くなった兄のポートレートに触発されて書かれたもの。
第1楽章のテーマは、兄へのレクイエムと戦争の犠牲者への哀歌。最後には安息への祈りのコラールで終える。

緩徐楽章というのは、あまり聴くのが得意ではないのに、このコンチェルトの場合は、なぜか全然退屈しない。
主題はそれほど歌謡性があるわけでもなく、シンプルな旋律が20分間の演奏中に変形されながら、かなりのスローテンポで大まかな起伏で、悠然と流れていく。
ちょっと一昔前の大型時代劇のプロローグのような曲にも聴こえる。(「赤穂浪士」とかの古い大河ドラマを聴いている気分)

どことなく漂う東洋風のエキゾティシズムと、フランス音楽風の流麗で洗練された和声と旋律が融合したような、奇妙な美しさ。
それに、時々グリーグのピアノ協奏曲を連想させる和音やアルペジオが出てくるせいか、冷んやりと清々しいダイナミックなところもある。

ピアノは岡田博美。彼は硬質で透明感のあるシャープなタッチで、色彩感も豊か。
矢代秋雄のピアノ協奏曲もNAXOS盤で弾いていたし、日本の現代音楽のピアノ協奏曲を弾かせると素晴らしい演奏になる。
ピアノの硬質で色彩感のある響きと、滑らかなタッチがこの曲にぴったり。
日本というローカル色を感じさせないコスモポリタンのような(とでも言うのか)弾き方なので、このピアノ協奏曲もとても洗練された曲というイメージがする。
曲自体も魅力的だけれど、それ以上に煌くように華麗なピアノに聴き惚れているところがかなりある。

第2楽章 Rondo
第2楽章は、一転して全く違う世界に。冒頭は、フランス風の軽妙さに、日本の民謡と運動会用の音楽をミックスしたような楽しげで、ちょっと可笑しげな雰囲気の曲。
解説によると、この楽章は、オリエント風の無垢なエピキュリアン的性格、現代的な運動性(modern mobility)結合させるという作曲意図で書かれている。

第1楽章の重々しくも華麗で洗練された旋律と、この第2楽章の子供が楽しげに遊んでいるような旋律とは、あまりにギャップがありすぎて、別々の曲だと言われても全く違和感がない。
時々、運動会やサーカスの見せ場のように、オケのフォルテの和音やアルペジオが入って盛り上がるところがあるが、再び元通りにピアノが前面に出て、リズムを刻んでいくところがとても几帳面で規則的。
この生真面目なピアノと、バックで弾くのにしびれを切らしたように、オケが突然饒舌になるアンバンスなところが面白い。
シューマン/ドビュッシー編曲 ~ カノン形式による6つの練習曲(独奏版&2台のピアノ用編曲版)
シューマンは、なぜかオルガンのような足元鍵盤のついた”ペダル・ピアノ”という楽器が好きだった。
そのせいか、ペダル・ピアノ用の曲をいくつか書いているが、たぶん一番有名(といっても一般にはほとんど知られていない)なのが、《カノン形式による6つの練習曲》

この曲の録音は、オルガンで弾いたものが多いが、ピアノ独奏や2台のピアノによる演奏、さらにはピアノトリオなどの室内楽曲編曲版など、なぜかバリエーションが多い。
独奏版以外の編曲版は、シューマンではなくほかの作曲家が書いたもの。
オルガンで弾くと、ちょっとぼやけた響きになるのが個人的にはあまり好きではないので、オルガンではまず聴かない。

珍しいのは、フォルテ・ピアノ(1852年ピエール・エラール製)で弾いたトビアス・コッホの録音
6曲中4曲だけ抜粋しているが(第1番と第3番が未録音)、フォルテ・ピアノの独特の長い残響とレトロな響きがとても美しい。
フォルテ・ピアノは音がひび割れて濁ったような響きがするのが好きではないので、ほとんど聴かないけれど、このコッホの弾いているフォルテ・ピアノの音は柔らかくて、心地よい響きなので、全く抵抗なく聴ける。
今簡単に入手できる録音のなかでは、下手にモダン・ピアノで聴くよりも、こっちの方が良さそう。

Piano Works From Dresden 1845-1849Piano Works From Dresden 1845-1849
(2010/02/23)
Tobias Koch(フォルテピアノ)

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モダン・ピアノによる独奏だと、タッチやフレージングはもちろん、ペダリングをかなり工夫しないと、オルガンやピアノ・フォルテで弾いた時のような重層的な響きの美しさが出ないようなので、あまり良い録音が見つからない。
有名なピアニストならイェルク・デームスの『シューマン:ピアノ独奏曲全集』に録音があるけれど、優雅な雰囲気はあるが、響きはそれほど綺麗ではないように感じる。

私が聴いたアンデルジェフスキのライブ放送では、とても柔らかいタッチで、透き通るように清楚な感じの響きがとても綺麗で、その響きが幾重にも重なってカスケードのように流麗だった。
ピアノの音が特に美しく、フォルテ・ピアノとモダン・ピアノの中間くらいの響きで、クリアさとレトロ感が上手く溶け合った音。
これはピアノのモデルの違いか、調律の工夫か、それともアンデルジェフスキのタッチとペダリングの上手さか、どうしてこういう音で弾けるのかかなり不思議。
モダン・ピアノのソロなら、この曲のベストかそれに近い演奏だと思えるほど。

ピアノ・ソロで良いものが見つからなければ、ドビュッシー編曲による2台のピアノ版の方を聴くという手もある。
さすがに音が増えて響きに厚みが出るので、響きが薄めのピアノソロで聴くよりも、原曲のもつ重層的な響きの美しさを味わえる。
ただし、2台のピアノ盤だと、せかせか速いテンポで弾いて騒々しかったり、第1ピアノと第2ピアノが微妙にずれてたりしている演奏があるので、弾くのが結構難しい曲なのかもしれない。

ダニエル・ブルメンタールとロベール・グロロの2台のピアノ盤(MarcoPolo)は、テンポは少しゆったりめのところが程よく、ピアノ同士がずれることもほとんどないのが良いところ。
欲を言えば、せっかく2台で弾いているのだから、もう少し音の重なりの美しさを出して欲しい気もする。2台だとソロよりも響きが混濁しそうなので、ペダリングがかなり難しいのかも。

Debussy: Arrangements for 2 PianosDebussy: Arrangements for 2 Pianos
(1994/07/14)
Daniel Blumenthal(piano),Robert Groslot(piano)

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全曲聴くことのできる音源なら、ピティナのサイトにあるシューマンの原曲頁に登録されている音源(2台のピアノ盤)は、ピアノがさほどずれずに揃っている。(ちょっとテンポが速めで音が強すぎる気がするけど)


ペダル・ピアノのための練習曲(6つのカノン風小品)Op.56  (ピティナの作品解説)

作曲した年の1845年は、シューマンが対位法の研究にかなり力を入れていた頃。
オルガンにもぴったりのこのペダル・ピアノ用練習曲を作曲するというので、自分のピアノに足鍵盤(pedal-board)をつけたという。
ペダル・ピアノ用の練習曲は全部で3種類の曲集を作曲している。この曲集は作品番号が一番若い曲集。
第1曲と第6曲ではカノンらしい様式が明瞭。その間に挟まれた4曲はそれに比べてそれがすぐにはわからない。
解説によると、第1曲と第6曲のような厳かな雰囲気の曲想は、《詩人の恋》や、交響曲ラインでケルン大聖堂を想起させる部分で使われている。

No. 1 in C major,Pas trop vite
6曲中、最も響きが美しく重なり、まるでコラールのような清らかな曲。
カスケードが折り重なっていくようなカノンがとても美しいけれど、モダン・ピアノのソロならペダリングをかなり工夫しないと、響きがかなり短くなるか、音が重なり過ぎて混濁した響きになってしまうような曲。

No. 2 in A minor,Avec beaucoup d'expression
光と影が交錯するような愁いを帯びたとてもロマンティックな曲。レトロなフォルテ・ピアノの響きがとっても良く似合う。

No. 3 in E major,Andantino
メンデルスゾーンの無言歌のように、優しく楽しげな雰囲気で、とても調和のとれた安定感のある曲。

No. 4 in A flat major,Espressivo
歌曲のような旋律がとても伸びやか。初めは明るさのある穏やかな旋律。
中間部で感情が高揚していくところが特に美しい。
やがて、元通り落ち着いた柔らかな雰囲気で静かに終える。

No. 5 in B minor,Pas trop vite
スタッカート主体の行進曲風とはいえ、騒々しくなくて、軽快でちょっと優雅な雰囲気。

No. 6 in B major,Adagio
終曲らしくゆったりと静かで、敬虔さを感じさせる旋律がとても綺麗。
様式が古典的なのかもしれないせいか、どこかしらベートーヴェンの最後のバガテルを連想させるような穏やかさと安定感がある。

tag : シューマン ドビュッシー

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グレゴリー・ソコロフ ~ バッハ/パルティータ第2番
現役で世界最高のピアニストは誰かといえば、人によって推すピアニストは違うでしょうが(ツィメルマン、ポリーニあたりが多いかな?)、グレゴリー・ソコロフもそう評される一人。
演奏活動が欧州大陸中心のため、来日することがほとんどないせいか、日本ではあまり知られていない。
英国では時々演奏会をしていたが、2008年に入国手続が厳しくなった以来、途絶えているらしい。(”英国カルチャーの終焉ーソコロフ事件をめぐって”にその経緯が載っている)

ソコロフはスタジオ録音が少なく、そのキャリアの長さと評価の高さに反比例して、今入手できるCDはライブ録音を含めてもそれほど多くはない。演奏活動はリサイタル中心で、Youtubeにライブ映像がいろいろ登録されている。

Naiveから出ている2種類のBOXセットに、バッハ、ベートーヴェン、ショパン、シューマン、スクリャービン、ラフマニノフ、プロコフィエフと、バラエティ良く収録されているので、このBOXセットを聴けばとりあえずソコロフのピアニズムを堪能できる。

ソコロフの演奏の中でも有名な《フーガの技法》の録音が収録されているのが、このBOXセット。
他に、パルティータの第2番、ベートーヴェンのロンドやピアノ・ソナタ第4番&第28番、ショパンのプレリュード全曲、ブラームスの4つのバラーとピアノ・ソナタ第3番。
好きではないショパンはともかく(これも素晴らしい演奏らしい)、これを今まで聴いていなかったなんて...と後悔するほどに、いずれも最初から最後まで、魅きこまれてしまった。もしツィメルマン、ポリーニ、ソコロフの3人のうち誰のリサイタルに行きたいかと聞かれれば、私なら迷うことなくソコロフ。

Grigory Sokolov: Bach, Beethoven, Chopin, Brahms [Box Set]Grigory Sokolov: Bach, Beethoven, Chopin, Brahms [Box Set]
(2005/10/18)
Grigory Sokolov (Piano)

試聴する(米国amazon)
バッハ、ベートーヴェン、ブラームス、ショパンごとに分かれた分売盤も出ているけれど、価格が高めで入手しにくいものもあるので、BOXセットの方がとってもお買得。
バッハの《フーガの技法》と《パルティータ第2番》は1982年録音。


パリのリサイタルのDVDも素晴らしいらしく、これもそのうち入手しないといけない。

Grigory Sokolov - Live in Paris




 パルティータ第2番ハ短調 BWV826
パルティータの第2番は、アンデルジェフスキ、ホルショフスキー、ペライア、フェルツマン、アラウ、グールド、etc.といろいろ聴いても、なかなか決定盤が見つからなかったけれど、ソコロフを聴いたおかげでようやくベストと思えるものが見つかった。

ソコロフは、ダイナミックレンジが広く、フォルテは力強いタッチで音量も大きく、引き締まった色彩感もある響き。
ロシア人のピアニストは、フォルテになるとバンバンと乱暴な(と私にはこえる)弾き方をする人が結構いるように思うけれど、そういうところが全くなく、フォルテがとても美しい。鋭いタッチで力強く、引き締まって弾力があり、音が割れたり濁ることがない。
弱音の表現の幅も広く、余韻の響きの美しさやニュアンスの繊細さがとても印象的。ソコロフは、外見はシベリアの熊さんみたいにがっちりとした体格なので、外見と演奏内容との関連性はないとはいえ、初めて聴いた時はこのイメージのギャップが面白かった。
何よりも、その音のもつ力(吸引力とでもいうのか)は、他のピアニストでは聴くことができないような魔力的(とでも言えばよいのか)なものを感じる。
強い求心力と堅固な構築性、内省的な深さに乾いた叙情感などいろいろなものが感じ取れて、その多彩さと強さは圧倒的。”精神性”という言葉が好き人なら、その一言で表現できるような演奏。(この言葉は好きでもないし、使わないようにしているけれど)

Ⅰ.Sinfoniaの冒頭は、遅めのテンポの力強い和音で深い響きに、厳しく悲愴な雰囲気が漂っている。ここはこういう風に弾いて欲しいと思っていたイメージとぴったり。
導入部が終わると、余韻が柔らかに響く弱音で弾かれる主題。密やかに流れるような叙情感がとても綺麗。終盤は力強く弾けるようなフォルテで毅然とした雰囲気で一気にラストへ。

Ⅱ.Allemandeも、少し水気を含んだような柔らかいな弱音の響きがとても美しく、凛とした叙情が漂うアルマンド。
Ⅲ.Couranteは硬質の力強いタッチの引き締まった響きで、軽快だけれど弾力のあるクーラント。

この曲の中で、最も静寂なⅣ.Sarabande。ゆったりとしたテンポで、ポツポツと一歩一歩踏みしめるようなタッチが独特。
他の曲の弱音が比較的強い響きだったので、特にこのかすかな弱音の響きの静けさが際立っている。
乾いたような叙情感のあるサラバンドはとても内省的。瞑想的しているような深い静けさと、そこはかとなく漂う孤独感のようなものを感じる。

Ⅴ.RondeauⅥ.Capriccioはほとんど切れ目なく続けて弾いている。
両曲とも力強いフォルテとノンレガートなタッチが切れ良く、錯綜する声部はほとんど同じ強さで弾かれていても、各旋律の横の線は明瞭。アクセントの効いた持続音の響きがとてもリズミカル。
くぐもった弱音で弾く部分から、すっと立ち上がるようにフォルテに切り替わっていくので、コントラストが鮮やか。弱音はより密やかに美しく、フォルテはさらに力強く聴こえてくる。
もともと色彩感のある音と朗々とした歌いまわしなので、モノクロで単調なところは全くなく、ぐいぐいと核心に迫っていくように突き進んでいく。

この2番はどちらかというと、弱音主体で叙情感を強く感じさせる弾き方が多いような気がするけれど、ソコロフの場合は、弾力のある力強いタッチで、聖堂や教会のような堅牢で荘重な建築を連想するようなパルティータ。
これだけ迫力のあるパルティータを聴いてしまうと、この曲は当分ソコロフ以外は聴けなくなってしまった。こういうパルティータを聴けば、イギリス組曲も素晴らしいに違いないと思うので、録音があれば絶対に聴いてみたいもの。

tag : バッハ ソコロフ

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超硬質ファインセラミック加工のフライパン
一昔前はノンスティック加工といえば、フッ素コーティング。
最近は、マーブルコートにセラミックコーティング、ダイヤモンドコートなど、フッ素コーティングより耐久性のあるフライパンやお鍋があるので、どれにしようか選ぶのにかなり迷う。

フッ素コーティングに比べて、マーブルコート・セラミックコーティング・ダイヤモンドコーテングされたフライパンは、ちょっと重い。
その分コーティングが厚い感じがするし、鋳鉄製の重いフライパンに比べればずっと軽いので、重さの点は特に問題なし。

耐久性の点は、フッ素コーティングとマーブルコートが200~260℃くらい(商品によって違う)でコーティングが剥離するのと比べると、超硬質ファインセラミック加工は400℃くらいまでは大丈夫。
強火調理もできるというところは良いが、空焚き禁止なのはいずれも同じ。予熱はほどほどに。

ティファールのフライパンを使っていたときは、コーティングがすぐにはがれてしまったので、二度とフッ素コーティングのフライパンは買わないことにしている。
ただし、フッ素コーティングにはグレードがいくつもあって、コーティングの耐久性と価格は比例するので、かなり高価なフライパンだとコーティングがずっともつのかも。

フッ素コーティング以外は金属性のターナーとかは使えるが、カドが尖っていたりすると、やっぱり傷がついてコーティングが剥がれやすいらしい。
いくらコーティングが強いといっても、わざわざ加工をはがす恐れのある金属製の調理道具を使わずとも、テフロン製や木製のターナーを使うのが無難。

超硬質ファインセラミック加工のフライパンはドウシシャ製のダイナストーン。ダイヤモンドの粒子を配合したブルーダイヤモンドコートはパール金属製。
他にもいろいろあるかもしれないけれど、たまたま近くのジャスコで売っていたのがこの2種類だった。
ブルーダイヤモンドコートとどっちがいいか、コーティングの層や外面塗装の色合い、底面の模様(洗いやすいかどうか)とかをちょっと時間をかけて比べてみた。
デザインは、ブルーダイヤモンドコートの方が深さがあって柄も持ちやすい。色がグリーンとイエローのみ。
性能面ではどちらも大して違わないようなので、レッドの色がとても綺麗なダイナストーンに。

ダイナストーンのフライパンは、水でささっと洗えば、油汚れとかもすぐ落ちるが、油を排水口に流したくはないので、新聞紙でフライパンの汚れをふき取ってから、念のため洗剤で洗っている。
鋳鉄のフライパンに比べて、やはり手入れはかなり楽。加熱温度に気をつけて使えば、このフライパンはかなり長持ちしそう。


ダイナストーン 超硬質ファインセラミック加工フライパン 20cm レッド DNFP20Rダイナストーン 超硬質ファインセラミック加工フライパン 20cm レッド DNFP20R

ドウシシャ

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[2011.2.8 追記]
購入してから、もう7ヶ月以上使っている。
とっても使いやすいフライパンなので、満足度は高い。
気になるのは、油をよく加熱しておかないと、食材の表面がフライパンに焦げ付くことだけ。

テフロン製のヘラを使っているけれど、コーティングがはがれることも全く無く、油汚れなどを落とすのも簡単。
調理後、クッキングペーパーや湿らせた新聞紙で油汚れを拭き取ってから、水(お湯の方が良い)を入れておけば、ほとんどの汚れは、アクリルスポンジで簡単に落ちる。
焦げがこびりついている場合は、スポンジでゴシゴシ擦ればキレイに剥がれるし、フッ素加工フライパンよりも、コーティングは頑丈な感じ。
価格はフッ素加工のものよりも高いけれど、ストレスなく長く使えるし、頻繁に買い替えなくて良いので、結果的にはお得だった。

[2015.7.5 追記]
購入後、5年以上経過。2日に1回は使い続けても、コーティングがほとんど剥がれていない。
焼き過ぎで焦げ付いても、お湯を入れてしばらく置いておけば、スポンジで簡単に落とせる。
普通のフッ素加工のフライパンと違って、耐熱温度が400℃だし、ナイロン製のヘラを使っているので、コーティングがとっても長持ち。この分だと、まだ数年は使えそう。

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カッチェン 《ベートーヴェン/ピアノ協奏曲全集》 ~ ピアノ協奏曲第1番
現代もののピアノ協奏曲を聴いていると、それはそれで面白いとは思うけれど、結局、最後に還っていくところはベートーヴェンとブラームス。
ブラームスは結構精神的にエネルギーがあるときに聴きたくなる。そうでないときは理性と感情のバランスがとれているベートーヴェンの方が聴きやすい。
ベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番は決定的な名盤がなさそうなので(あるのかもしれないけど)、下手にあれこれ異聴盤を集めるよりも、好きなピアニストの録音だけ集めている。
ミケランジェリ(ジュリーニ/ウィーンフィル)をよく聴いていた時期があって、凝ったアーティキュレーションと多彩な響きが面白いとは思ったけど、何度も聴いていると人工的に感じてきたので、今は聴かない。(ベートーヴェンとブラームスをミケランジェリで聴くのは、ちょっと...)
他にも、アラウ、ゼルキン、レーゼル、グルダ、ポリーニ、アンダ、etc.といろいろ聴いたけれど、これが絶対にベストという録音がどれかは、なかなか決め難い。

結局、最後に残ったのはカッチェンとケンプ(第3番の時と同じ結果)。レーゼルとアンダもとっても素敵。それにEMI盤のアラウも私好み。
聴くたびに、どれがベストがいつも変わっているような気がするけど。
この中で一番若々しい演奏はカッチェン。世間一般にはあまり聴かれていない録音でも、弱音の柔らかい響きと、コロコロ変化する表情が面白い。
指揮者は若いガンバ。ガンバ/ロンドン響の伴奏で弾いたカッチェンのコンチェルトは、どの曲でも自由で伸びやかに弾いていて、この組み合わせの演奏を聴くと、いつも気分が晴れやかになる。
大御所のミュンヒンガーの指揮で演奏したモーツァルトのコンチェルトはとても端正だけど、ピアノが枠にはめられたような窮屈そうな印象だった。指揮者によってピアニストは随分変わる。
ガンバとカッチェンは、相性がとても良かった指揮者とピアニストだと思うけれど、だんだんケルテス(や他の名の知れた指揮者)と録音することも増えていて、ガンバとはこのピアノ協奏曲全集が最後の録音になってしまった。

Piano Concertos Choral Fantasy Diabelli VariationsPiano Concertos Choral Fantasy Diabelli Variations
(2007/05/15)
Julius Katchen (Piano),Piero Gamba (Conductor),London Symphony Orchestra, London Symphony Chorus

試聴する(米国amazonサイト)


第1楽章 Allegro
冒頭のトゥッティからして、速めのテンポできびきびと切れ味の良い演奏。金管がかなり元気。
ピアノ・ソロが始めると、ややこもった感じの柔らかい弱音の響きがとても可愛らしい。これは優美なベートーヴェンになるのかと思ったけれど、すぐにエンジンがかかったように元気になっていく。
解説にも”若者のベートーヴェン”と書いてあって、その通りメリハリの聴いた快活でアクティブなベートーヴェン。
硬質で粒立ちの良いタッチで弾くパッセージは軽やかで切れ味良く、フォルテはかなり力強いタッチで、弱音で弾く柔らかい表情とのコントラストが明確。情緒的にクネクネベタベタせずに、さらりと情感を込めて弾いていくところが爽やか。

中間部のアルペジオのクロスリズムで始まるピアノ・ソロは、とても響きが柔らかくやや霞がかった弱音が幻想的。中間部の締めくくりの和音のアルペジオの響きがとても綺麗に聴こえる。
この中間部は特にピアノの響きが美しく、以前よりも響きのバリエーションがずっと多くなっている。
ブラームスのピアノ作品全集を完成させた頃から、弱音の使い方にとても神経を使うようになっているので、1960年代半ば以降の録音を聴くと、いずれも独特の響きのする弱音で、すぐにカッチェンの演奏だとわかる。

最後のカデンツァも、テンポが落ちずに勢い良く、シャープでエネルギッシュ。細かいパッセージは指が良く回ってしまうせいか、コロコロと滑るような勢いで弾いている。

この楽章は、音が詰まったパッセージではついテンポが速くなってしまうところがあるけれど、それでもすぐに元のテンポにちゃんと戻っている。
もう40歳間近の頃の録音なので、2年前に録音した第4番の時のような、止まるに止まれず加速していくクセがかなりコントロールされている。録音年に注意して聴いていると、テンポや弱音の使い方とかいろいろなところが、年とともに変わっていくのがわかるのが面白いところ。

第2楽章 Largo
ここはかなりテンポを落としている。演奏時間が12分くらいなので、普通よりも1分ほど長い。第1楽章は逆に1分ほど短いので、緩急のコントラストを強くつけている。
丸みのあるやや篭もったような質感の弱音には暖かみがあり、とても穏やかで安らかな感じ。この楽章はとても情感を込めて弾いているけれど、とてもさりげなく自然な雰囲気。
もともと緩徐楽章は好きな方ではないけれど、このゆったりしたテンポとささやくような暖かい弱音の響きが相まって、カッチェンの演奏にはしみじみとかみ締めるような味わいがあって、この楽章はかなり好き。

第3楽章 Rondo
この楽章もやっぱりかなり速い。カッチェンのピアノは、第1楽章よりもフォルテが抑えめで強弱のコントラストがいくぶん弱め。少し柔らかいタッチで弾いているので、響きに丸みが出てずっとソフトな印象。
第1楽章の力強いタッチに比べると、この楽章はそれよりも可愛いらしさの方が強く出ていて、とても軽やかなタッチで、さらさらとした叙情感が爽やか。

第1楽章と第3楽章はかなりテンポが速いので、指回りは滅法良いけれど、細部のタッチがちょっと粗くなるところもあるような気がしないではないけれど、こういう勢いのある弾き方が身上でもあるので、細かいことは気にせず、この勢いと切れ味の良さ、弱音の美しさを楽しむのが一番。



 <ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第3番>の記事

 <ベートーヴェン/合唱幻想曲>の記事

 『ジュリアス・カッチェンにまつわるお話』

 ジュリアス・カッチェンのディスコグラフィ

tag : カッチェン ベートーヴェン

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久保田慶一 『孤高のピアニスト 梶原 完 ~ その閃光と謎の軌跡を追って』
戦前・戦後期に欧州を拠点として活動していた日本人ピアニストで日本でも名前が知られているのは、原千恵子や田中希代子だろうか。
2人ともパリ国立音楽院でラザール・レヴィに師事して優秀な成績で卒業し、国際コンクールの入選・入賞歴もあって、キャリアはとても華々しく、欧州で演奏活動を続けていた。

彼女たちに比べて、その名前を聞いたことのある人はとても少ないと思われるピアニスト梶原完(かじわら・たかし)も、1950~60年代に欧州で演奏していたプロのピアニスト。国際的ピアニストとして日本のTVで紹介されたこともある。
彼は、戦前・戦中期の日本で音楽教育のほとんどを受けており、戦後直後、東京音楽学校(今の東京芸大)の研究生時代に日本でプロデビューし、東京芸術大学助教授だった30歳の時に在外研修という名目で渡欧。その後、助教授職を辞職してドイツで暮らしながら、欧州各地でピアニストとして演奏活動を行いながら、ベッツドルフというドイツの小都市にあるアドルフ音楽院でピアノと室内楽を教えていた。日本に帰ることなくドイツに留まり、糖尿病が原因で64歳で亡くなった。

戦後直後に日本国内で華々しくデビューはしたが、彼は国際コンクールに参加したことがなく入賞歴もないので、原知恵子と田中希代子と比べるとキャリアとしては地味。30歳で単身渡欧して、どうやってピアニストとして自立できたのだろう、という興味が湧いてくる。
彼の演奏スタイルは、立派な体格を生かしたダイナミックでメカニックの優れたヴィルトオーゾ的なピアニストとして出発しているので、ラザール・レヴィ門下でフランス流の音楽教育を受けた2人の女流ピアニストとは違ったタイプ。

梶原完は、通称カジカンと日本では呼ばれていた。
彼の一生を追った伝記『孤高のピアニスト梶原完―その閃光と謎の軌跡を追って』は、ピアニストの練木繁夫さんによる書評をたまたま読んで、名前を聞いたこともなかったこのピアニストの伝記を読みたくなってしまった。

早速伝記を読んでみると、彼の生まれ育った上海・東京の話から始まり、戦前・戦中・戦後の日本の音楽界の情勢、日本と欧州のピアニスト人生と通じた梶原完の演奏スタイルとそれに対するレビューの変化、教育活動と交友関係、演奏会リストに年表までついていて、歴史資料としてもいろいろ面白い。
本人が残した日記や手紙がほとんどなく、音楽関係の雑誌への投稿文や、ベートーヴェンの奏法に関する小論などが僅かに残されている。(巻末資料には載っていないが、リスト著『ショパン その生涯と芸術』への序文も書いている)

なぜか録音嫌いだったので、スタジオ録音やライブ録音もほぼ皆無に近く、残っている音源は放送局が放送用に録音していたテープと、弟子による私的録音のみ。
この伝記は、完を知っている音楽界の人々(学友・弟子・友人など)へのインタビュや追悼文集、演奏会の評論などの文献資料、残された数少ない録音、さらに当時の音楽界に関する歴史資料など、地道に資料を収集して、梶原完の辿っていった足跡を追っている。

孤高のピアニスト梶原完―その閃光と謎の軌跡を追って孤高のピアニスト梶原完―その閃光と謎の軌跡を追って
(2004/09/01)
久保田 慶一

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生い立ち~学生時代~演奏活動と教職(上海と日本)
生まれ育った上海と日本のまちや家族のことから、東京音楽学校の戦時中・戦後の教育体制の混乱、当時の音楽評論家の対談や評価の視点、かつて音楽評論の世界で吉田秀和と張り合っていた野村光一の梶原完に対する評価など、音楽界の事情が垣間見れる。

学生時代のエピソードがいろいろ書かれているところが面白い。
-中学時代の皇紀2600年記念行事で、ベートーヴェンの月光ソナタ、ショパンの幻想即興曲を全校生徒の前で演奏。周囲から一目置かれるようになった。
-東京音楽学校にピアノ伴奏で引っ張りだこ。練習熱心で、技術を磨くため1日10時間くらい練習していた。読譜と初見能力に優れていたこともあって、レパートリーも多かった。
-気さくな人柄で、自宅は友人たちのたまり場。よくどんちゃん騒ぎをして楽しんだり、教師時代には学生を自宅に招いたりと、友人や弟子たちに人気があった。
-音楽学校卒業後は、精力的に演奏活動を行い、ソロ、コンチェルト、2台のピアノに伴奏と、ソロリサイタルと海外研修の資金稼ぎに励んだ。
-戦時中だったので、卒業後は軍楽隊に入隊。芥川也寸志も同期で、彼が一番成績が優秀だった。

東京音楽学校に研究生として在学していた戦後直後に初リサイタルを開いてデビュー。
完は優れたメカニックが優れていたので、速いテンポで難曲をバリバリと弾いていくヴィルトオーゾ的スタイル。
プログラムも自身の高い技巧と演奏スタイルが生かされる曲が中心。その鮮やかでダイナミックな演奏から聴衆の人気は抜群に高かった。
ピアノ協奏曲を一晩の演奏会で3曲弾いたり(ベートーヴェン&チャイコフスキー&プロコフィエフ、シューマン&リスト&ラフマニノフ)、1948年に早坂文雄のピアノ協奏曲を初演(これは巻末リストには記載されていない)したりと、戦後期の混乱状態のなかでも、リサイタルに協奏曲にと、かなり精力的に演奏活動を行っていた。

当初はその技巧に優れた演奏に対して、音楽性が伴っていないと批判的な評論家も多かったが、次第に表現力も磨かれ、ロマン派の曲の演奏に対する評価も高くなっていった。
完は、ピアノ演奏を評価できる能力が高くはないと思われるような評論家に手厳しく批評されていたので、評論家というものがあまり好きではなかった。日本を離れた理由はいろいろあるが、堅苦しい芸大での教授職が負担になっていたことに加えて、この評論家との関係にも嫌気が差していたに違いない。
評論家の中で彼を評価したのは野村光一。野村はピアノ評論を専門にしていたらしく、梶原のスポーティな演奏とスケールの大きさを高く買っていた。
欧州へ渡ってかなり経っていた時でも、日本では野村が評価してくれていたとインタビュで話していたほどに、完は自分の演奏を認めてくれたことがうれしかったらしい。

欧州での留学生活、演奏活動、教育活動、晩年
留学生活

日本で師事したのがシュナーベル門下の福井直俊。渡欧後最初に師事した先生には、かなり速いテンポでバリバリとヴィルオソーゾ風に弾いたためで、音階からやり直し!と言われてしまった。
ずっと前の世代のピアニストでハイフィンガー奏法だった久野久も欧州へ渡ったが、同じように基礎からやり直すように言われて、がっくりと意気消沈してしまった。完の場合は、先生の方をとっとと見限ってしまった。
若い頃からいろいろなピアニストの演奏をレコードで聴いていて、ルービンシュタインと特にコルトーに傾倒していたし、自分の理想とするピアニズムのイメージが明確にあったので、ウィーンの偉い先生からどう言われようとさほど気にしていなかったらしい。
国から研修費用が出ていたので研修計画を勝手に帰るわけにもいかないので、適当に調子を合わせて次の研修予定のフランクフルト音楽院へ行くまで、研修期間をやりすごしたらしい。
フランクフルト音楽大学でも短期間学び(ここでも良い師にはめぐり合わなかったらしい)、最後に尊敬するコルトーのレッスンをフランスで受けた。リストの《ロ短調ソナタ》を弾いたが、この時にコルトーが校訂したリストの《ロ短調ソナタ》の楽譜をコルトー自筆のコメントを添えて贈られている。この楽譜は終生大切にしていたという。

ピアニスト・デビュー
生来の楽天的な性格に加えて、運を引き寄せる才能があるせいか、たまたま親しくなった演奏家仲間の縁からフランクフルトでデビューコンサートを行う道が開けたり、ソロやコンチェルトだけでなくインターナショナルトリオという室内楽トリオでも演奏したりと、不思議なくらいに順調な滑り出し。
運がよくても演奏自体が良くなければ、その運も尽きてしまうだろうが、テクニックがしっかりしていたことと、古典から現代まで多彩な曲で構成したプログラムで持ち味を生かせる曲が多かったこともあって、批評家のレビューもまずまず。
日本人ピアニストが珍しかったせいもあってか演奏会の入りも良く、レビューには日本人が西洋のクラシック音楽を弾きこなしていることに対する驚きが書かれていたりする。

レパートリー
彼のレパートリーはかなり広い。読譜能力と初見能力の高さは日本にいた頃から有名だった。
ソロは、ベートーヴェン、モーツァルト、得意のショパン、ドビュッシー、リスト、ラフマニノフ、etc.。ストラヴィンスキーの《ペトルーシュカ》や技巧華やかなリストの作品もよく弾いていた。
ピアノ協奏曲は、ベートーヴェン、ブラームス、ショパン、ラフマニノフ、シューマン、バルトーク、プロコフィエフ、ショスタコーヴィチなど。ブラームスとラフマニノフの2番、プロコフィエフの3番などの難曲も入っている。
ロマン派を中心に20世紀ものまで、地域もさほど偏りが少なく、ロシアものもかなり得意だったらしい。日本の作曲家の作品も度々取り上げていた。
完のレパートリーのなかで、ショパンは得意だったこともあって評価が高く、全て違う曲で構成されたオールショパンプログラムで、数日に渡って3回続けて連続演奏会を行ったほど。持ち前の技巧を生かしたパワフルでダイナミックなバルトーク(ピアノ・ソナタなど)やショスタコーヴィチ(ピアノ協奏曲第1番など)、色彩感と響きの美しいドビュッシーも好評。
聴衆があまり入らなかった演奏会や、手厳しいレビューを書かれたこともあったが、好意的なレビューも多かった。批評家のレビューを追っていくと、年を重ねるごとに演奏内容が向上していったのが良くわかる。(完は自身の演奏会のチラシやレビュー記事はまめにスクラップしていた。)

ベッツドルフのアドルフ音楽院
完はコンサートピアニストとして、北はスカンジナビアから南はパレルモまで、欧州のあちこちで演奏していた。年に50回ほど演奏会で弾いていたこともある。
そのうち、小都市ベッツドルフのアドルフ音楽院でピアノと室内楽を教えることに。
アドルフ音楽院での教育活動のウェートが高まると、演奏活動の範囲が徐々に狭まっていってしまったため、小都市での演奏会が多くなっていった。
フランクフルト音楽大学やニュルンベルグ音楽大学といった大都市での教職の誘いもあったが、それを断ってアドルフ音楽院にとどまっていたのはちょっと不思議。
大都会の音楽院で教職についていれば、また道も違ったかもしれない。それが良い方か悪い方か、どちらの方向へ向かったかどうかも、今となってはわからない。
ベッツドルフに留まったのは、1歳年上の内科医で音楽院長のアルント・アドルフへの好意(ずっと昔に亡くなった1歳上の兄がわりと思っていたのかもしれない)と、音楽院を共に支えた「同志」のような親交の深さ、それに、大規模な音楽院の堅苦しい教職よりもアドルフ音楽院の自由な雰囲気のなかで、演奏活動と教育活動を両立させる方が、自由人の完には望ましかった。

時流とピアニズム
このまま順風満帆でピアニストとして演奏活動を終生続けていれば、日本に帰らずともその名前が忘れ去られることはなかったかもしれないが、やはり芸術の世界は厳しいもので、ハッピーエンドにはならなかった。
1960年代後半ぐらいから、ベートーヴェンなどのウィーン古典派の演奏で、アシュケナージ、ブレンデル、ポリーニといった新進ピアニストが新しい奏法と共に次々と登場し、完の奏法はもう過去のスタイルとみなされていく。
著者久保田氏の分析によれば、完の演奏は1920~30年代に人気があったスタイルで、旋律を明瞭に歌ってそこにロマンティシズムを映し出すのではなく、音の響きの重なりや連続性のなかで感情を表現していくもの。愛用していたベヒシュタインを「唸る」ように弾いていたという。
この失われてしまった古き良き伝統的なスタイルを、戦後になって、珍しくも日本人から聴くことができたことが成功した理由の一つ。完を賞賛するときには「シュナーベルの(孫)弟子」という枕言葉が使われていたことからも、それがよくわかる。
また、完が渡欧した頃は、音楽大学の日本人留学生はいても、プロとして演奏活動をする日本人ピアニストというのはとても珍しかったらしい。

1960年代後半になると時流が変わって、以前のように演奏活動がスムースには立ち行かなくなっていく。
その理由として、完の演奏スタイルが時代遅れと思われた(旋律の流麗さと響きの清澄さが求められるようになっていた)、渡欧する日本人ピアニストが増えて珍しくなくなった、コンクールで次々と有望な新人が登場し聴衆の関心が中堅ピアニストには向かわなくなっていった、それにひそかに進行していた糖尿病の影響か、暗譜したはずの音を忘れるなどの大きなミスが多くなったことなど、外的・内的な環境の変化が、第一線で演奏活動を続けることを困難にしてしまった。

1968年のロンドン・ウィグモアホールのリサイタルで手厳しく批評されたため、イギリスでは大きなホールで演奏活動を行うことは不可能になる。
演奏上のミスも多くなっていたために、ウィーンやロンドン、パリなど、欧州の中心都市での演奏会を行うことはなくなってしまった。
当時の欧州ピアノ界の変化を彼も感じとっていたに違いなく、ウィグモアホールのリサイタルを最後に、アドルフ音楽院での教育活動と、近隣都市や病気療養に訪れた保養地での演奏会活動に限定するようになってしまった。

闘病生活と晩年
糖尿病も進行して昏睡状態に陥るほど重症になったこともあり、1972年~74年の2年間は音楽院で教えることが精一杯で、全く演奏会を行わなかった。
その後も年に1度くらいのリサイタルを開くだけになり、いずれにせよコンサートピアニストとして活動する限界に近づいていた。
アドルフ音楽院の教育活動に専念していくと、多い時は受け持っていた学生は70人くらいに増え、一人に対して1時間くらいレッスンをしていた。
教えることが好きだったらしく、レッスンも真面目で熱心に教えていたため、学生を車で送ってから真夜中に帰宅することも珍しくなかった。病気を抱えながらも、かなりハードな生活だった。
友人のピアニスト田村宏が東京芸大へ復帰するように勧めても、もう日本では忘れられているからと言って、ドイツを去ろうとはしなかった。
ピアニストの練木氏は書評で「世界に通用しなくなってから帰国する自分を許さなかったのだ。」と書いている。彼の性格からすれば、たぶんそれが一番の理由なのだと思う。

晩年は、病気と食餌療法のためにすっかり痩せてしまい、体力も衰え腕の筋肉も落ちて、コンサートでは音を絞り出すようにピアノを弾いていた。
音楽院で教えながら時々演奏会を開く以外は、日本から呼び寄せた老母と2人でまるで隠者のようにひっそりと暮らしていたらしい。
母が亡くなった後、持病の糖尿病がさらに悪化して、入退院を繰り返していた。
かなりの病院嫌いだったようで、たまたま日本から訪れた弟子にタクシーを呼ばせて、無断で病院を抜け出して自宅に戻ったこともある。
その数週間後、心不全の発作に見舞われ、自宅の庭先で倒れていたのが最期の姿だった。

弟子でアドルフ音楽院長の娘でもあるウタ・ゾフィ・アドルフ・カトウは、師の生涯は「安らかにしかし寂しく」終焉を迎えたと評していた。その言葉どおりの晩年だった。

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ヘッドフォンと難聴
「携帯音楽プレーヤーの難聴リスクとEUの規制動向」(2012年6月17付け記事)に最新情報が載っています。

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3月からずっと原因不明の耳鳴りに悩まされているせいで、昨年秋頃に”EUが携帯型音楽プレーヤーに音量制限を設ける”と書いていた記事のことを思い出した。

規制の理由は、携帯型音楽プレーヤー(iPod、ウォークマン、MP3プレーヤーなど)は使い方によっては聴覚障害を引き起こす恐れがあるため。
今市場に出回っている製品だと、最大音量がロックコンサート並の100デシベル以上に設定されている製品が多いという。
欧州委員会の見解では、毎日1時間、100デシベルで音楽を聴き続けた場合、5年後には聴力を完全に失う危険がある。
規制内容は、メーカーに対して、最大音量を80デシベル以下に抑えるよう義務づけ、2年以内に技術基準を定めて、それ以降に発売される新製品にこの規制を適用する。
ただし、使用者が危険を承知で80デシベルの規制値を超えて聴くのは容認し、音量制限を無効にできる機能も付けるらしい。

耳に対する影響という点では、携帯型音楽プレーヤーだけでなく、室内で使うヘッドフォンもあまり変わらないはず。
自分で何デシベルの音量なのか正確にはわからないので、こちらにも音量表示や制限機能をつけておいて欲しいものだと思う。
昔はウォークマンを愛用していたが、今は全く使わない。
ステレオに繋いでいたヘッドフォンは、週数時間しか聴いていなかったので難聴にはなっていないが、ヘッドフォンで聴くと耳鳴りがひどくなったので、これも今のところは使わず。

いろいろ調べると、適正な音量とほどほどの時間数で聴いている場合は問題はないらしいが、ヘッドフォンは使い方によってはかなり危険な代物。

お医者さんが書いている「耳鳴りホームページ」に載っていた音量の目安。(音の周波数(高さ)は無視しているもの)
ヘッドフォンだと、60~70デシベルくらいで聴いているのかもしれない。

0dB(デシベル)  普通の人の聞こえる一番小さな音
20dB        ささやき声
40dB        こおろぎの声・静かな事務所
60dB        普通の会話・静かな自動車の中
75dB        大声での会話
80dB        洗濯機・自動車の騒音
100dB       電車の通るガード下
110dB       ロックコンサート・自動車の警笛(2メートル)
130dB       耳が痛くなる・ジェット機

これもお医者さんが書いている「ヘッドフォン難聴」に関する説明
気になるのは、「特に高い周波数の音の方が内耳に与えるリスクが大きい」、「同じボリュームで同じ音楽を聞いていて、 よりヘッドフォンは高音域の周波数帯に強い音を含む音楽を聴くことになります」という点。
他のサイトでは、ヘッドフォンを聴きながら眠るのも耳には良くないと書いていた。(これはかなり心当たりがある。)

厄介なのは、ヘッドフォンで内耳の感覚細胞が損傷すると、この細胞は再生しないので、難聴に延々と悩まされること。
耳鳴りも同様。内耳性の耳鳴りは原因不明がわからないことが多いこともあって、なかなか治りにくい。
耳鳴りを完全に消滅させることができる特効薬や治療法がないので、定番の(効果がほとんどない人が多いらしい)血流促進剤やビタミンB12などの薬を処方されるのが一般的。
耳鼻科医の方も耳鳴りとなると、慣れるのが一番、気にしないように、とかいうアドバイスで、治療を終えてしまう話をよく聞く。
耳鳴りが悪化すれば日常生活に支障をきたし、精神安定剤や睡眠薬を常用しないといけない場合もある。
耳鳴りといっても、頭で鳴っている場合もあり、耳鳴り・頭鳴りが極度に酷く轟音が頭の中で鳴り続けるケースもあって、実はとても恐い病気。

ヘッドフォンと難聴が関係あると言われても特に気にしたことはなかったけれど、さすがに今は耳と音に対してかなり注意している。
感覚細胞の頑丈さは個人差があるとはいえ、聴覚は加齢で自然と低下していくし、難聴や耳鳴りは原因が特定できないことが多く、人によってはヘッドフォンが要因の一つになっている可能性はある。(原因不明のことが多いので、他にも考えられる要因はたくさんありますが)
ヘッドフォンを使うときは、音量も使う時間も、ほどほどにしておくのが無難。

よく考えると、わざわざ屋外でウォークマンで音楽を聴かなければならない理由は全くないし、部屋ではスピーカーを通して聴けば良いこと。
結局、よほどのことがない限り、ヘッドフォンの類は使わないようになってしまった。
せっかく買ったAKGのヘッドフォンもお蔵入り同然なのが残念。もし使うとしても、週に1時間くらいがせいぜい。
以前は真夜中に音楽を聴きたい時はヘッドフォンを使っていたけれど、今は寝る前の時間は読書タイムに変えたので、山のようになっている積読状態の本が次々と片付いているのが、怪我の功名。


《耳鳴りとその治療に関する参考サイト》

 「ヘッドホン難聴にご注意」

 「耳鳴りホームページ」

 
「耳鼻科医50音辞典」

 「耳鳴りの新しい理論」(小林耳鼻咽喉科内科クリニック) 耳鳴りを大脳との関係から説明した耳鳴り原理のお話。

 「Dr.黒石の最近思うこと/耳鳴りの話」 耳鳴り発生の諸説、薬物治療なども含めた治療法について。

 まつしま耳鼻咽喉科・耳鳴り・めまいクリニック/耳鳴りと治療  松島院長の行っている「心身医学療法」は、皮膚に微弱電流を流し、自律神経のバランスを整える自律機能訓練であり、電気治療により体全体の血流を改善し、集中力が増すことで耳鳴が軽くなる。さらに、「生活指導」による睡眠パターンの改善により、「生活習慣病としての耳鳴」を軽減する。

 「気になる耳鳴」 耳鳴の苦痛度(THI)を調べるチェック表、聴覚障害を起こす薬のリストなど。
耳鳴の苦痛度を自己診断してみたら、ほとんどがゼロ。四六時中頭の中をいろんな音が鳴っているので煩いとは思うけれど、それほど音量は大きくないので、気にしないようにすれば苦痛度は低くなる。


ヘンツェ/ピアノ協奏曲第1番
ドイツの現代作曲家のヘンツェならオペラが有名だけれど、交響曲や協奏曲も多く書いているし、室内楽曲やピアノ曲も数はそう多くはないけれど一応書いてはいる。
オペラは聴かないのでその作風はわからないけれど、それ以外の作品はわりと似通った雰囲気があって、不協和音的なゆがみが少なく、旋律はメロディアスではないけれど、無調音楽的な難解さは薄くて、わりととっつきは良い。
ピアノ作品なら、ピアノ協奏曲と交響曲のカップリング盤やピアノ作品集の録音が出ている。
まずはピアノ協奏曲第1番から。いままでの経験から言えば、現代音楽の場合は、モノトーンのピアノ・ソロよりも、色彩感のある協奏曲から聴いた方が、わりと作風がわかりやすいことが多いので。

ピアノは、クリストファー・テイントン、ペーター・ルジツカ指揮北ドイツ放送交響楽団。レーベルはWergo。
ピアノ協奏曲第1番は1950年の作品だが、なぜかこれが世界初録音。

Hans Werner Henze: Scorriabanda sinfonica sopra la tomba di una Maratona; Antifone; 1. KonzertHans Werner Henze: Scorriabanda sinfonica sopra la tomba di una Maratona; Antifone; 1. Konzert
(2003/10/14)
Hans Werner Henze、

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 ピアノ協奏曲第1番(1950年)

楽章ごとのタイトルが変わった名称になっているので、調べてみるとバレエにちなんでいるらしい。
”Pas de deux”(パ・ド・ドゥ )は「2人のステップ」という意味で、バレエ作品において男女2人の踊り手によって展開される踊りのことを指すという。
4曲構成のパ・ド・ドゥを特にグラン・パ・ド・ドゥという。その進行順序は、2人が入場するアントレ(Entrée)、男女2人で踊るアダージュ(Adage)、男性が1人で踊るヴァリアシオン(Variation)、男女2人で踊るコーダ(Coda)の順に進む。

I. Entree
冒頭からピアノとオケが賑やか。やや悲愴感のある旋律だけれど、ピアノはまるでおしゃべりしているかのように雄弁。一体何を話しているんだろうかと思って聴いていると、結構面白い。
不協和的な音だが、不快感を感じさせるほどではなく、ピアノの旋律は叙情的でいろんな表情がある。オケは賑やかで、あちこちでガガ~ンと急に楽器が鳴り響く。ピアノのおしゃべりといい勝負だと思う。規則的なリズム感はないが、変則的というか変わったリズム感がある。
この曲では、この第1楽章が一番面白い。
現代音楽のピアノ協奏曲としては、わかりやすい方だとは思うけれど、この騒々しさと物々しさには、好みが分かれるのは確か。音のまばらな音楽の方が苦手なので、こういうのは抵抗なく聴ける。

II. Pas de deux
ここは緩徐楽章なので、打って変わったように静か。ピアノがソロで弾く旋律は相変わらず何かを語っているような趣きがあるが、冷たい叙情をおびていて美しい。
と思って聴いていたら、突如ガガーンとオケが鳴り響き、一体何事が起こったのかと思ってしまう。
これが何度かあって、その後にピアノに動きが増し、またオケがガガーンとなるというパターン。
この楽章は、この静と動が交互に現れてくる構成になっている。静かに瞑想していたら、鉄槌で覚醒させられたような気がしてくる。

III. Coda
コーダはバレエでは、「テンポの早い激しい音楽に乗り、2人が高度なテクニックを披露する」踊り。
冒頭のピアノは細かいパッセージで疾走するように動き回り、オケもピアノと丁々発止の掛け合いのように躍動感を出している。どちらかというと、第1楽章よりはメカニカルな感じの旋律になっている。
この楽章はとてもあっさりと終わって、これで終わり?と思ってしまった。

カップリングの《侵略交響曲~マラトンの墓の上で》(2001年作曲)、《アンティフォナ~ 4fl, 4sax, 2tp, 2trbn, timp. のための~》(1960年作曲)は、いずれも躍動感と色彩感豊かで、賑やかな音楽。
《侵略交響曲》は、ピアノ協奏曲よりも、ずっと和声が調和的になっていて、曲想もわかりやすい。
これは2001年の作品だから、1950年に作曲したピアノ協奏曲が前衛性が濃かったのとは違って、作風がその後変遷していったためらしい。不協和音がほとんどないので、かなり聴きやすいが、アンティフォナの方が昔の作品なのでやや前衛的な硬さがある。でも、やはりどちらもヘンツェらしい雰囲気がいっぱい。

tag : ヘンツェ

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フェルナー ~ バッハ/平均律クラヴィーア曲集第1巻
このところ平均律の録音をいろいろ探していて見つけたのが、ティル・フェルナーの平均律曲集第1巻。
HMVやamazonのレビューが日本・米国ともとても良くて(レビューが良いからといって好みと合うとは限らないけれど)、フェルナーの平均律は、試聴しただけでそれも納得。

以前は平均律曲集自体がさほど好きでなかったけれど、これは最初に買ったグルダの平均律曲集で変なイメージがついてしまったからに違いない。ポップにデォルメされた(と私には思える)弾き方で、なぜ評判が良いのか今でもよくわからないけれど、少なくともあれは最初に聴くべきものではなく、5番目くらいに聴くべきだった。おかげで長い間平均律は聴かずじまい。(今なら印象も変わるかと思って聴き返してみたけれど、やっぱりグルダの平均律は私には受け入れ難い...)

さすがに、ピアノの旧約聖書に対してこれではいけないと思うようになったので、次に聴いたのはとても評価の良いリヒテルのクレスハイム盤。世評どおりの演奏だとは思うけれど、ちょっと構えたような思い入れの強さと圧迫感を感じるので、最後まで聴こうと思ってもだいたい途中で挫折するし、シフはチェンバロ奏法をピアノで聴いている気分になって、これも合わず。

結局、ぴったりはまったのは、ピアニストの影を感じさせないホルショフスキと、(一般的にはあまり受けないけれど)奏法が独特なムストネン。それに、最近手に入れたコロリオフと、このフェルナーの平均律。
ブラインドで聴いても誰が弾いているかよくわかるくらいに四者四様の平均律なので、これだけ揃えば今のところはもう十分じゃないかと思えるほどに満足。
難点といえば、コロリオフ以外は第2巻を録音していないこと。最近は指揮や作曲にも忙しいムストネンはたぶん第2巻は録音しないような気がするので、フェルナーの方が録音する可能性はありそう。

Bach: Das Wohltemperierte KlavierBach: Das Wohltemperierte Klavier
(2004/04/06)
Till Fellner

試聴する(米国amazon)


フェルナーは、初めの数曲を聴いたときは力感があまりなくてピンとこなかったけれど、ずっと聴いていくと、押し付けがましさのないしなやかさと、音の繊細な響きが心地よく、平均律の録音のなかでは最近一番良く聴いている。
フェルナーのお師匠さんはブレンデル。私はあまり好きではない方なので、最近評判のブレンデルの高弟ポール・ルイスもちょっと苦手。
同じ弟子筋でもフェルナーの方はすんなりと聴ける。ウィーンに生まれ育ったオーストリア人で、ブレンデルに師事していただけあって、ウィーン風(とでも言えばよいのか)の洗練された品の良さと、ピアノの音の美しさを最大限生かしたような柔らかく繊細な響きがとても魅力的。

音が柔らかくても綺麗なのは、シフに似ているけれど、シフのような凝ったアーティキュレーションや装飾音がなくて、ごてごてしたところのないシンプルさと、インテンポで淡々とした弾き進んでいくところが、流れが滑らかでとても自然な感じ。
それにしては、タッチが軽やかで歯切れも良いのでリズム感がよく、柔らかい響きの音は引き締まって弛緩したところは全く無く、表情の変化もドラマティックではないけれど、細部まで微妙な揺らぎのなかで移り変わっていくところは多彩。
ダイナミックレンジを大きくとっていないので、一見平板に思えそうだけれど、これが全く単調さを感じさせない。
コロリオフのように旋律の横の線を強調するというわけではないけれど、声部ごとに音色を変えていくので、柔らかな音の響きの中から旋律が綺麗に立ち上がって聴こえてくる。

短調の緩徐楽章は、リヒテルやコロリオフなら息をひそめてしまうくらいに重苦しい時があるのと違って、淡々と音を塗り重ねていくところがとても良い感じ。(抽象性が強い平均律は、こういう弾き方が好きなので)
強弱のコントラストをそれほど強調することなく穏やかで落ち着いたトーンで、微妙に移り変わっていく音色と響きは繊細で、響きの重なりの多い部分でも濁ることなく、細部まで寸分の狂いもなく計算されたように精緻。
このピアノの音の美しさに、思わずほ~っと溜め息がでてしまいそう。
現代的で作為性を感じさせないしなやかで洗練された平均律と言えば良いだろうか。第2巻もぜひ聴きたいと思わせられるほどに、この第1巻は気に入ってしまいました。

フェルナーのプロフィールとインタビュー記事
トッパン・ホールでのリサイタルのため来日したときのインタビュー記事。トッパンホールの演奏会は、フェルナーに限らず、私の好きな演奏家のリサイタルが多くて、こういう時は東京で暮らすに限るといつも思う。

フェルナーの録音には、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番&第5番、ハインリッヒ・シフとのチェロ・ソナタ全集など。
チェロ・ソナタでは、やはりピアノの音が美しく、チェロとのバランスも良く、とても品良くまとまっている感じ。これはかなり良さそう。
それに、ウィーン、パリ、ロンドン、ニューヨーク、東京(トッパンホール)でベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲演奏会を開催中。次に聴くのはベートーヴェンにするつもり。

tag : バッハ フェルナー

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グリュミオー&アラウ ~ ベートーヴェン/ヴァイオリンソナタ集
グリュミオーのベートーヴェンのヴァイオリンソナタといえば、ハスキルとのモノラル録音が有名で、後年にアラウとステレオ録音した方はそれほど聴かれていないに違いない。
録音したのは、第1, 2, 4, 5, 7, 8番の6曲のみ。クロイチェル・ソナタも未録音で、なぜか全集は未完。

Beethoven: Sonatas for Violin & Piano Nos. 1, 2, 4, 5, 7, 8Beethoven: Sonatas for Violin & Piano Nos. 1, 2, 4, 5, 7, 8
(2007/10/23)
Ludwig van Beethoven、

試聴する(米国amazon)
私の持っているのは、ずっと昔に手に入れたCD1枚組の盤なので、第1番と第7番が入っていない。


グリュミオーはモノラル盤よりも落ち着いた感じはするけれど、音はやはり艶やかで明るくてとても綺麗。
アラウのピアノはヴァイオリンよりもちょっと穏やかなタッチで、ソロではなく伴奏に回っているせいか、タッチもフレージングもわりとあっさり。
アラウが晩年に録音したベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集は、80歳代の録音も入っているので、独特のアーティキュレーションによるクセが強くなって、曲によっては粘っこい感じもする。

それに比べて、少し若い頃(といっても72歳頃)に録音したこのヴァイオリンソナタのピアノ伴奏は、同じベートーヴェンの曲でもソロとは全然違っているのが面白い。
録音条件のせいか、それとも、タッチやペダリングで調整しているせいか、アラウの独特の深い響きではなく、コロコロと丸みを帯びた硬質の響き。ちょっとノンレガート気味な響きが可愛らしい。
アラウの室内楽の録音はほとんど残っていないので、これは結構貴重。

短調の第4番第1楽章は、ピアノのタッチが柔らかめで、悲愴感はそれほど強くなく、穏やかな中にそこはかとなく漂う哀感がなんとも良い感じ。このアルバムの中では一番好きな録音。
アラウのピアノは、ヴァイオリンに比べて少し起伏が緩くて、ちょっとリズム感が鈍い気はする。(他の曲でもそういうところはあるけれど)
30小節から出てくる旋律をつぶやくように歌うピアノの響きがなんとも言えない情感があって、ここをこういう風に弾くのは他の録音ではちょっと聴けないかも。
第3楽章も第1楽章と同じようなタッチなので、冒頭の短調の主題のところはもう少し切迫感や悲愴感が欲しい気はするけれど、中間部の長調になるとアラウのピアノの響きがモーツァルトを弾いている時のように可愛らしくなるので、これはこれで聴くのは楽しい。

リファレンス用に聴いたクレーメル&アルゲリッチの第4番は、シャープなタッチと速いテンポでやたら騒々しくせわしないので、この極端な違いが面白い。

第8番もヴァイオリンに比べてやっぱりアラウのピアノは少し穏やかで、スタッカートはそれほどシャープにアクセントを利かせていない。
元々ソロでベートーヴェンを弾くときでも、フォルテをガンガンと強打するような奏法はしないし(アラウは身体の重みを利用して打鍵する”重量奏法”を使っていた)、わりとマルカート気味のタッチなので、そこは伴奏でも変わらず。
それに加えて柔らかなタッチと響きが優しくまろやかなので、ちょっと穏やかで優雅なベートーヴェンに聴こえてくる。

優雅なベートーヴェンを聴くなら、グリュミオー&アラウ以外だったら、シェリング&ヘブラー。
シェリングの線の引き締まった格調高いヴァイオリンと、ヘブラーのモーツァルト風にコロコロと転がるようなノンレガート気味のタッチと丸みのある柔らかい音色が良く似合っている。

tag : アラウ ベートーヴェン

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レオンハルト ~ バッハ/イギリス組曲
苦手意識のあったイギリス組曲も、良い演奏に出会えば、フランス組曲よりもはるかに聴き応えがあったので、このところ聴いているのはイギリス組曲。

フランス組曲はもっぱら第5番、たまに第6番を聴くくらい。イギリス組曲の方は、短調の2番、3番、5番、6番はもちろん、長調の1番と4番も、どれも繰り返し聴きたくなる。
手持ちのイギリス組曲の録音を聴きなおしたり、良い録音はないかといろいろ調べたりしていたら、いつの間にかイギリス組曲のCDが急に増えてしまった。

ピアノ版のイギリス組曲の全曲録音はかなり少ない。
曲単位なら好きな演奏も見つけやすいけれど、選択肢が限られている全曲盤はぴったりくるものがなかなか見つからない。
名の知られたピアニストの全曲録音なら、グールド、シフ(スタジオ録音とライブ録音)、ペライア、レヴィン、ヒューイット、リュプサム、フェルツマン。
このなかでなら、ノンレガートでも柔らかいタッチのシフか、流麗で音の綺麗なヒューイットがわりと好みに合う。
アンデルジェフスキは6番しか録音していないし、5番はライブ放送で聴いたのみ。全曲録音してくれれば間違いなくマイベストになるに違いないけれど、全集ものを録音する人ではなさそう。

ピアノ版の全曲録音でベストと思えるものが見つからないので、あまり聴かないチェンバロの録音も聴いてみた。レオンハルトの旧・新録音、アスペン、ルセ、曽根麻矢子と試聴したなかで、レオンハルトの新録音が、少し聴いただけで全曲聴きたくなったほどにしっくりとくる。
音と奏法が好みに合えば、楽器がピアノだろうがチェンバロだろうがどちらでも良くて、どの奏者と奏法を選ぶかの方が問題。
ピノックの2度目のパルティータ全集がぴったり好みに合ったので、チェンバロ協奏曲、ヴァイオリンソナタのCDも揃えているのに、イギリス組曲は録音していなかった。これは残念。

レオンハルトのイギリス組曲は、1973年の旧録音(SEON盤)と1984年の新録音(Virgin盤)の2種類がある。
旧録音は、音も奏法も全然合わなかったけれど(こっちの方が定番なのかもしれない)、新録音はチェンバロの音もまろやかで深みのある綺麗な音だし、奏法もルバートや装飾音がそれほどかかっていなくて流れが滑らか。荘重さと流麗さが溶け合っているのが、イギリス組曲によく映えている。
チェンバロを聴くときは、装飾音やルバートが少なくなるべくインテンポに近い演奏を選んでいるので(こういうタイプは少ないような気はする)、このイギリス組曲はとっても自然に聴ける。

ついでに見つけたクイケンとのバッハのヴァイオリンソナタ全集。
この曲集はとても好きなので、良いと思った録音は集めることにしている。
試聴しただけでこれも素晴らしく思えたし、レビューもとても良かったので、結局、イギリス組曲とヴァイオリンソナタ全集の両方をオーダー。

Bach:English SuitesBach:English Suites
(2003/01/24)
Gustav Leonhardt

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こちらはパルティータ全集とイギリス組曲全曲とのカップリング盤。パルティータの奏法はどうも好みと合わなかったので、こちらはパス。
J.S. Bach: English Suites; PartitasJ.S. Bach: English Suites; Partitas
(2004/10/20)
Gustav Leonhardt

試聴する(米国amazon)


イギリス組曲の全曲盤を探すときは、一応全曲試聴はするけれど、決め手は第5番と第2番の第1楽章。この2曲が良ければ、他の曲もほぼ良いと思えるので。

レオンハルトの新録音は、特に第5番の第1楽章が素晴らしく、イギリス組曲の中ではもっとも好きなこの曲が良ければ、迷うことなく決めてしまう。
チェンバロは、ルーアンのNicolas Lefebvreによる1755年製のものを、ブレーメンのマルティン・スコヴロネクが1984年に復元(というのだろうか。”Restore”と書かれていたけど)した楽器。
金属的な音のするチェンバロ(モダン?、折衷型?)とは違っていて、このチェンバロの音はまろやかで、華やかさもあって、とても綺麗な音がする。

第5番を聴くなら、ピアノならホルショフスキのライブ録音。
それ以外のピアノ版の録音は、イメージとぴったり合わないところがあって、このレオンハルトのチェンバロを聴く方がずっと良い。チェンバロ独特の残響が美しく、華麗さと荘重さに加えて、リズミカルな疾走感が爽快で、こういうタッチの演奏は、ピアノではなかなか聴けない。
楽器の違いと奏法の違いが相まって、同じ曲でもまるで別の曲のように聴こえる。
チェンバロとピアノの両方で気に入ったものを聴くと、楽器と奏法の違うのでいろいろ発見があって面白さも倍増する。

第2番のプレリュードは、ピアノではモノトーン気味のタッチでいかめしくバリバリ弾いているのをよく聴くので、どこか違和感があった曲。チェンバロだと低音の響きが柔らかくて優雅さもあり、聴きたかったイメージとぴったり。
第2番と第5番以外の曲もいずれも聴き惚れてしまって、チェンバロの演奏をここまで繰り返し聴いたというのは、我ながら珍しい。

ただし、ずっとチェンバロの音を聴いていると、弦をつまはじく弾力のある音が耳には疲れるようで、アンデルジェフスキのピアノの音に変えると、ベルベットのように柔らかく耳に心地良くて、ほっと一息。まるでゆりかごの中で揺られているような安心感があるのは、やっぱり子供の頃からピアノの音を聴いてきたせいなんでしょう。

tag : バッハ

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お豆腐活用レシピ
肉類とそのエキスが入ったものは食べないので、蛋白源は主に大豆製品。
ビタミンB12も摂らないといけないので、時々お魚、たまに卵。
大豆製品は、お豆腐、納豆、味噌、大豆(炒ったもの)、おから。このうちの数種類を毎日摂るのが習慣化している。
なかでもお豆腐はいろいろ活用できる優れもの。
定番の冷奴とか、お味噌汁の具にはせず、焼く、煮る、蒸す、漬けるとヴァリエーション豊富。冷蔵、冷凍、どちらでも使えるのが便利。
濃厚な味の美味しいお豆腐なら、黒蜜・きなこをかけてデザートに。

便利なお豆腐活用レシピのうち、よく作るお惣菜ものをいくつか。
(最後の「お豆腐の味噌漬け」以外は、全てクックパッドのレシピです。)


甘辛♡こってり♡豆腐ステーキ
しっかり水切りしてからそのまま焼く、小麦粉や片栗粉をまぶして焼く、と焼き方はいろいろ。
片栗粉をつけて焼けば、おだしを加えて揚げだし豆腐風に。

ダイエッター必見!おからのモチモチさん
お豆腐&おからでもちもち感のあるお惣菜に。焼いてから冷凍保存しておくとすぐに使えて便利。

お肉は一切使いません!!絹豆腐ハンバーグ
パン粉はケチらずに十分な量を入れること。

お豆腐とキャベツのお好み焼き風
パン粉を使わないお豆腐ハンバーグ風。

◎豆腐まんじゅう◎甘酢あんかけ
片栗粉があれば簡単に作れる優れもの。
食感もなめらかで、海苔やひじきなどを好きな具材を混ぜると美味しい。
形にこだわらなければ、茶碗蒸し碗にそのまま入れて電子レンジでチンすれば数分で完成。
甘酢あんも美味。

豆腐の卵寄せ☆あんかけ
固めの茶碗蒸し風。茶碗蒸しでは物足りないときに、お豆腐を使うとボリュームが出てずっしり。

♡冷凍豆腐の唐揚げ♡醤油にんにく味
から揚げだけでなく、煮物に入れても、ステーキ風に焼いてもOK。
高野豆腐でもから揚げもどきは作れます。

♪♪簡単♪♪豆腐そぼろ♪
鶏肉不使用のそぼろ。高野豆腐でも作れます。

お豆腐の味噌漬け[ゆる~くベジ☆まじにベジ☆クッキング]
チーズもどきのような美味しさ。余ったお豆腐消費に便利。
ホルショフスキ ~ バッハ/イギリス組曲第2番
ホルショフスキーを聴くなら、やはりバッハ。ホルショフスキの教えを受けたことのあるペライアは、"he played Bach like he was composing it." と言ったという。

ホルショフスキのライブ録音を集めたのが、この『バッハ・リサイタル』。
ソロ・リサイタルのライブ録音は、プラド音楽祭、オールドバラ音楽祭、シャンゼリゼ劇場、カザルスホール、ウィグモア・ホールなど数種類が出ている。(すでに廃盤になっているのもある)

この『バッハ・リサイタル』は、パルティータ第5番だけが1958年ローマ、他の曲は1983~86年にイタリアTuscany地方の人里離れた山間の村Castagno d'AndreaにあるSan Martino教会で行われたリサイタル。
ホルショフスキは登山家でもあったので、この村にはよく訪れていた。教会の音響やピアノも気に入っていたし、Brezzi神父とも仲が良く、神父に招かれて度々リサイタルを行っていた。
Brezzi神父は一連のリサイタルを子孫のために残しておこうと考え、個人的に一人で録音していた。(いわゆる私家版録音というのに近い?)


《収録曲》
 イギリス組曲第2番 BWV.807(1984年録音)
 プレリュードとフーガ BWV.875(平均律クラヴィーア曲集第2巻~第6番)(1985年録音)
 パルティータ第5番 BWV.829(1958年録音)
 パルティータ第2番 BWV.826(1986年録音)
 前奏曲とフーガ イ短調 BWV.543(リスト編)(1983年録音)

Bach RecitalBach Recital
(1998/06/23)
Mieczyslaw Horszowski

試聴する(米国amazon)

プロの録音エンジニアがいないにしては、音質にばらつきはあるけれど、全然悪い音ではない。ライブ特有の聴衆のノイズも少なくて、教会特有の長めの残響でピアノがとても美しく響いている。(ただし、平均律だけは録音状態が悪くてデッドな音)
パルティータ第5番だけがモノラル録音。残響が短いが、1958年と古い録音にしては音質はとても良い。


イギリス組曲第2番 BWV.807 (作品解説<○○| XupoakuOu>)

最初はプレリュード
ここをノンレガート主体にモノトーンなタッチでバリバリ弾いているのを何回か聴いたことがある。
こういうタッチは威圧的に感じられて,ちょっとどうかな..という気がするので、ホルショフスキのようなレガートと響きの変化を交えた弾き方の方が私にはずっと良い。
それに、教会特有の残響で、ノンレガートの尖った音が中和され、レガートは柔らかく響いて、フォルテとピアノのコントラストのバランスもよく、荘重で輝きのあるプレリュード。

続いて、ホルショフスキのしっとりとした音のピアノが教会に静かに鳴り響き、もの哀しげな叙情を感じさせるとても美しいアルマンド。曲想とピアノの響きがこれ以上はないくらいに良く合っている。

クーラントは力強く生き生きと躍動的。ホルショフスキがクーラントを弾くときは、軽やかなタッチではなく、いつも一音一音をしっかりしたタッチで歯切れ良く弾いている。

サラバンドもアルマンドと同じく、叙情的な美しい旋律。アルマンドよりもさらに静謐な曲。
サラバンドには、珍しく2種類の楽譜が記されている。2つ目の楽譜には装飾音的なフレーズがびっしり書き込まれているけれど、ホルショフスキは最初の楽譜だけを演奏している。(シフの演奏を聴くと、リピート時に2番目の楽譜の方を弾いていた)(この2つの楽譜の位置づけは、上記の作品解説サイトを参照してください)

曲想が一転する最初のブーレⅠは、速いテンポで切れ味もよく、音に弾力があって追い込むような勢いのある躍動的なピアノ。
1987年のカザルス・ホールのリサイタルよりも3年近く前の演奏のせいか、指回りもずっと良く、これが92歳のピアニストの演奏とは思えないくらいに鮮やか。
ブーレⅡは、軽やかにダンスをしているように、明るく柔らかいタッチ。

終曲のジーグは、ブーレの勢いをそのまま受け継いだように力強く始まる。すぐに弱音の柔らかいタッチに変わって、装飾音はまるで小鳥がさえずっているかのよう。

この教会で弾くピアノの響きの美しさは格別。
ホルショフスキの水気を含んだようなしっとりとした音は、フォルテでは朗々と鳴り響き、ピアノではまろやかに透きとおるように美しく響き、このピアノの音を聴いているだけでも清々しい気がしてくる。

tag : ホルショフスキ バッハ

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yoshimi

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クラシック音楽に本と絵・写真に囲まれて気ままに暮らす日々。

好きな作曲家:ベートーヴェン、ブラームス、バッハ、リスト。主に聴くのは、ピアノ独奏曲とピアノ協奏曲、ピアノの入った室内楽曲(ヴァイオリンソナタ、チェロソナタ、ピアノ三重奏曲など)。

好きなピアニスト:カッチェン、レーゼル、ハフ、コロリオフ、フィオレンティーノ、パーチェ、デュシャーブル、アラウ

好きなヴァイオリニスト:F.P.ツィンマーマン、スーク

好きなジャズピアニスト:バイラーク、若かりし頃の大西順子、メルドー(ソロのみ)、エヴァンス

好きな作家;太宰治、菊池寛、芥川龍之介、吉村昭、ハルバースタム、アーサー・ヘイリー
好きな画家;クリムト、オキーフ、池田遙邨、有元利夫
好きな写真家:アーウィット

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