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フィッシャー ~ バッハ/平均律クラヴィーア曲集
最近、本を読んでいるとなぜかエドウィン・フィッシャーの名前がたびたび登場する。

最初にフィッシャーの名前を見かけたのは、ピアニストの青柳さんがバッハの平均律曲集の推薦盤の一つにしていた本。
次はブレンデルの『音楽の中の言葉』、バドゥーラ=スコダの『ベートーヴェンのピアノ・ソナタ 演奏法と解釈』、アラウの伝記・対話録『アラウとの対話』でも、フィッシャーが登場していて、彼らにはとても尊敬されている。

弟子のブレンデルとバドゥーラ=スコダが尊敬するピアニストにフィッシャーを上げるのは当然としても、アラウはフィッシャーと同門とはいえ、学んだ時期はほとんど重なっていない。
アラウによると、師のクラウゼがいつもフィッシャーに「練習したらどうだい。少しは五指訓練でもしなさい」と言っていたのを聞いている。当時、技術にこだわることは皮相の見方であるというピアニストの一群があり、フィッシャー、シュナーベル、エルトマン、エリー・ナイなどがそれ。ケンプもそう信じていたという。
アラウはテクニックが完璧であること自体はさほど重要視していないので、技巧を磨くよりも音楽を作ることを望む姿勢は素晴らしいと言っている。
次から次へとフィッシャーを尊敬するピアニストの話がでてくると、フィッシャーを聴かないというわけにはいかなくなって、同じ聴くなら青柳さんも推奨されていた平均律曲集に。SP時代、史上初の全曲録音で、現代ピアノで弾く平均律曲集の規範と言われている(いた?)らしい。

1933~36年にかけて録音されたフィッシャーの平均律曲集のCDは、同じ音源(だと思う)盤が複数あり、レーベルがEMI(原盤)、NAXOS、Membran(Document)の3種類。
NAXOS、EMI、Membran盤では、微妙に音質が違う。1930年代にしてはかなり良い音質。中にはノイズが気になるというレビューもちらほらあるけれど、録音した時代が古いので許容範囲かと。
少なくとも、1942年録音のアラウのゴルトベルク(RCA盤)よりはずっと良い音がする。(どうしてRCAはこれよりもずっと後の録音なのに、あんなに音質が悪いんでしょう)
それぞれの盤と試聴できるサイトは以下の通り。

Well Tempered Clavier (Reis)Well Tempered Clavier (Reis)
(2007/08/24)
Edwin Fischer

試聴する(米amazon)


Bach: The Well-Tempered Clavier, Book 1Bach: The Well-Tempered Clavier, Book 1
(2000/10/17)
Edwin Fischer

試聴する(ナクソス)


Bach J S: Well Tempered ClavierBach J S: Well Tempered Clavier
(2009/06/02)

試聴する(独amazon)


                             

NAXOS盤で聴いたフィッシャーの平均律曲集は、その後の時代の録音と違って、ベタベタと複数の録音を切り貼り編集できないので、ミスがそのまま残っているし、時々指がもつれたりして、ちょっと危なっかしいところはある。(音質が鮮明でない分、デジタル録音ほどにははっきりとはわからないけど)

青柳さんによると、フィッシャーは「グールドがああいう風にだけは弾きたくないと言ったという」ピアニスト。
私はグールドが録音したバッハ(とベートーヴェンとブラームス)はほとんど好きではないので、そのグールドが否定的だったフィッシャーの演奏なら、逆に好みにぴったり合う可能性は高いかも..と思っていたけれど、やっぱりその通り。
さすがに1930年代の録音なので音は悪いけれど、こういうボケた音質の録音を最近よく聴いているせいか、さほど聴きづらくも感じず、逆に音が柔らかくてとてもレトロな雰囲気で、昔懐かしい記憶を呼び起こしてくれるような感覚がする。

リズム感とテンポは呼吸するように無理なくて、体のバイオリズムにぴったりシンクロするようにほど良い感じ。
ただし、プレリュードでテンポが速すぎる気がする曲がいくつかある。とあるレビューにSP時代の録音で決まった録音時間に収まるようにテンポが設定されたと書かれていた。テンポが速くてセカセカしたように聴こえる曲があるのは、そのせいかも。

音質がとても良いとはさすがにいえないので、微妙な音のニュアンスはややぼやけてしまうけれど、タッチや響き、強弱を微妙に変化させた濃淡の移ろいゆくところが端正に聴こえるし、柔らかで暖かい響きのレガートはとても心穏やかにしてくれる。
ボケた音質とは反対に、声部はどれも明瞭に弾き分けられているので、主旋律と対旋律の絡みも明瞭で、柔らかい響きや穏やかな雰囲気に包まれていても、曲の輪郭がくっきりとして曖昧さは全く感じない。
単に音が並んで綺麗に響いているのでもなく、深い感情移入をした情緒的・感傷的なところもなく、抽象的な音の配列のなかにある何かが、自然と浮かび上がってくるようだし、押し付けがましさがなく自然に体の中に溶け込んでくるようにも感じる。

最初のプレリュードを絶賛している作曲家の人がいたけれど、せわしなくブツブツ切れるような右手のノンレガートのタッチがどうも好きになれなかった。次のフーガ以降はタッチに違和感があることはなくて、安心して聴けたけど。
ただし、急速系のプレリュードは、勢いは良くてタッチも力強いことが多く、ややフォルテが荒っぽく感じることも。
どちらかというと、テンポが遅いプレリュートやフーガの方が、タッチが丁寧になるし、起伏も細かくて情感がこもって、音楽の流れがとても自然に感じる。
そもそもプレリュードよりもフーガの方が好きなせいもあるので、フーガの演奏の方がずっと心魅かれるものがある。

プレリュードでも第3番は、柔らかいタッチの響きがとても綺麗だし、どの曲もノンレガートは控えめで、レガートが綺麗に響くし、続くフーガもとっても優しい雰囲気。
とくにゆったりとしたテンポの短調が良くて、第4番のフーガは、鐘がゴーンと鳴るような低音の深い響きやオルガンのような重層的で柔らかい響きに包まれて、静かで厳粛な雰囲気と淡い叙情感が交錯し、聴いていると神妙な気持ちになってくる。
(最初のプレリュードは別として)聴けば聴くほどに本当に素敵な平均律で、深い味わいのある演奏という言葉がぴったり。

静かな夜に独りでじっくりと聴いていると、旧知の友人と会ったような懐かしさと安心感があって、まるで音楽に語りかけられているようで、とっても不思議な魅力。
何度でも聴きたくなってくるので、平均律は当分の間フィッシャーで聴くことになりそう。

tag : バッハ

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新譜情報:カッチェンの1960年代のライブ録音(ベートーヴェンとバッハ)
いつものように定期的にフォローしているピアニストの新譜をチェックしていたら、カッチェンのとっても珍しいライブ録音が9月14日にリリース予定と、HMVの今日のNEWSで発見。

レーベルはdoremi。日本の楽譜出版社もCDを出すようになったのね..と一瞬思ったけれど、まさかそんなはずはないだろうとよくみると発売国はカナダ。
調べてみると、doremiは東側のライヴ録音に強いカナダのレーベル。
doremiの過去のリリース情報をみると、1940年代~1970年代前半の歴史的録音、ライブ録音が中心。
経営者がチェロ奏者のオーフラ・ハーノイと親戚であり、BMG(現SONY MUSIC)と関係が深く、一時旧・露メロディアのロシア国外発売を受け持ったことがあるBMGを経由しての繋がりか、アメリカ、ロシアや東欧圏、イスラエルの演奏家まで、数々の初発売ライヴ録音やSPのCD初復刻を出しているという。
収録している演奏家は、オイストラフ、ハイフェッツ、I.ヘンデル、モリーニ、リヒテル、ギレリス、セゴビア、マイケル・レビン等々。
アラウが室内楽伴奏をしている珍しいライブ録音もある。(これも手に入れないといけない)
(出典、過去のCDリリース情報はこちら)


HMVの新譜情報によると、1960年代前半の欧州で行った複数の演奏会から4曲を収録したライブ録音で全てモノラル録音。
CD1枚でこれだけ収録されていれば文句ないくらいに、曲目はバラエティ豊かで、どれも好きな曲。それに、ピアノ協奏曲以外は、カッチェンの既存の録音に収録されていない曲なので、その点でも貴重な録音。
ベートーヴェンが3曲。コンサートで良く弾いていた《ピアノ協奏曲第4番》(ヨッフム指揮バイエルン放送交響楽団)、《チェロ・ソナタ第5番》(チェロはカザルス。プラド音楽祭のライブ録音)、それにピアノソロの《創作主題による32の変奏曲》。
ヨッフムとコンチェルトを協演したり、プラド音楽祭でカザルスの伴奏をしていたことがあるというのは、情報としては知っていた。でも、CDがリリースされるとは期待していなかったので、これは思わぬ贈り物。

バッハの《パルティータ第2番》が入っているのがさらに意外で、これは興味深々。
マイラ=へス編曲の《主よ、人の望みの喜びよ》の録音は主旋律と副旋律とのバランスがとても良いのに、ベートーヴェンのディアベリの第24変奏のフゲッタの弾き方は、靄に包まれているようであまり好きではなかったので。
ベートーヴェンが書いたフーガではなく、バッハの曲そのものを弾いているので、それほど気にしなくてよいのかもしれない。どんなバッハを弾いているのでしょう。


Beethoven & BachBeethoven & Bach
(2010/09/14)
カッチェン、ヨッフム&バイエルン放送交響楽団、カザルス

試聴する(米amazon)
amazon、HMVの両方で予約可能。
録音情報はHMVの方が詳しい。http://www.hmv.co.jp/product/detail/3900387

(追記)9月24日現在で、日本のHMV,amazonとも入荷予定が10月10日頃。米amazonでは入荷済み・在庫あり。

                             

ピアノ協奏曲第4番は、DECCAのガンバ/ロンドン響とのスタジオ録音があるし、その他に<プラハの春音楽祭>でのノイマン指揮プラハ響とのライブ映像(第1楽章のみ)がYoutubeに登録されている。
スタジオ録音の第1楽章と第3楽章は速いテンポで(指揮者も若いガンバだし)、いつものカッチェンらしく曲が盛り上がるにつれて加速しているし、ピアノも伴奏も活気がある(ちょっと元気が良すぎる気はするけれど)。
第2楽章は静寂で沈潜していくカッチェンのピアノがとても美しくて。(伴奏は相変わらず賑やかだけど)

数年後にノイマン指揮プラハ響の伴奏で弾いたライブ映像の第1楽章は、相変わらず速めのテンポではあるけれど、スタジオ録音よりもずっと安定して、ピアノも伴奏も落ち着いたトーンなので、こちらの方が良い感じ。
映像でみると、カッチェンのタッチや指回りの良さも良くわかるし(指が回りすぎて困るくらい?)、感情を込めて気持ち良さそうに弾いている姿を見るのも楽しいので、このライブ映像は何度見たか覚えていないくらいによく見ている。

ここ最近、第4番のコンチェルトはアラウのゆったりテンポの録音ばかり聴いていたので、久しぶりに聴いたカッチェンのコンチェルト。もともと速めの演奏が好きなのもあって、速いテンポと軽やかで切れの良いタッチで、爽やかな叙情感がとっても新鮮。
カッチェンとアラウの演奏は全く違うタイプだけれど、いろいろ聴いた第4番の録音のなかでは、アラウの数種類の録音と同じくらいに最も好きなもの。

1968年のプラハの春音楽祭のライブ映像(第1楽章前半)[Youtube]
伴奏はノイマン指揮プラハ交響楽団(この頃のノイマンはかなり細身なので、はじめは誰かわからなかった)


続き(第1楽章後半)[Youtube]

tag : ベートーヴェン バッハ カッチェン

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昔はよく弾いていたイージー・リスニング
高校・大学時代は、ポピュラーな映画音楽やイージー・リスニングを良くピアノで弾いていて、楽譜はほとんど処分してしまった今でも、曲だけは良く覚えている。
映画のテーマ曲だと、オーケストラ伴奏が多いし、ピアノ以外の楽器を使っていることもあるけれど、たいていピアノソロ版のアレンジ楽譜が出ている。

映画音楽(イージー・リスニングの楽譜によく入っている)のなかで良く弾いていたのが、『ディア・ハンター』や『ロミオとジュリエット』のテーマ曲に「ムーン・リバー」。『テス』のテーマ曲も良い曲だった。
イージー・リスニングなら、定番のポール・モーリア、リチャード・クレイダーマンに加えて、ジョニー・ピアスン、フランク・ミルズなど。
楽譜を数冊持っていて、全部で200~300曲くらいあったので、気に入った曲を弾いていたら自然と100曲以上は楽譜を見れば弾けていた。全然、暗譜はしなかったし、コードを覚えようなんて気もなかったけれど、根をつめて弾かないといけないクラシック曲と違って、気分転換にはちょうど良かった。

かなり以前からイージー・リスニングや映画音楽は全然聴かなくなっているので、新しい曲は全然知らなくて、思い出すのは古い曲ばかり。(『ピアノ・レッスン』がまだしも新しい方だとは言えるかも)

ディア・ハンターのテーマ「カバティーナ」 Cavatina ~ The Deer Hunter

ベトナム戦争にまつわる映画『ディア・ハンター』のテーマ曲。Stanley Myers作曲。戦争映画とはアンバランスなくらいに哀愁漂う美しいメロディ。
Per-Olov Kindgrenのギターで。映画ではギターで弾かれていたらしく、ピアノ版はプロのピアニストの弾いているものがYoutubeで見つからなかった。


ロミオとジュリエット Romeo & Juliet

『ロミオとジュリエット』ときいて、すぐに浮かんでくるのは、チャイコフスキーでもプロコフィエフでもディカプリオでもなくて、ゼッフィレリ監督&オリヴィア・ハッセー主演の映画。テーマ曲はニノ・ロータ作曲。


ムーン・リバー Moon River - Breakfast at Tiffanys

言わずと知れた『ティファニーで朝食を』の主題歌。ヘンリー・マンシーニ作曲。ヘプバーンが歌っているバージョンが有名。この録音はインストゥルメンタル。


ピアノ・レッスンより”The Sacrifice”

わりと新しい曲なら(といってもやっぱり古いけど)、映画『ピアノ・レッスン』で流れていた一番有名なこの曲。ピアノ・ソロがよく映える美しい曲なので、この旋律は一度聴いたら忘れられない。
ミニマル系の現代音楽作曲家マイケル・ナイマンの作曲。ナイマンは、この映画音楽をもとにしてクラシックのピアノ協奏曲も書いている。(録音はNAXOS盤)
いろいろ聴いた映画のサントラのなかでは、ヤナーチェクの音楽を散りばめた『存在の耐えられない軽さ』とこの『ピアノ・レッスン』が、音楽が美しくてクラシックの香りが漂うせいか、一番印象に残っている。


渚のアデリーヌ Ballade pour Adeline

クレイダーマンを一躍スターにした大ヒット作。当時は街中でやたらにこの曲が流れていた。


朝もやの渚 Sleepy Shores

ジョニー・ピアスンが書いた曲の中で一番有名(だと思う)。ピアスンのピアノ&ジョニー・ピアスン・オーケストラの演奏で。


愛のオルゴール Music box dancer

フランク・ミルズのヒット曲。日本語の歌詞をつけた「潮騒のメロディー」(若かった高田みずえが歌っていた)の原曲。ミルズのピアノで。


蒼いノクターン Nocturne

昔はイージー・リスニングの代表といえばポール・モーリアだった。その後にクレイダーマンが出てきて、世代交代となってしまった。
モーリアの曲のなかで一番好きなのがこの「蒼いノクターン」。演奏はポール・モーリア&ポール・モーリア楽団。
パウル・バドゥーラ=スコダ著 『ベートーヴェン ピアノ・ソナタ 演奏法と解釈』
パウル・バドゥーラ=スコダと言えば、”ウィーン三羽烏”のピアニストとして有名。
あとの2人は、イェルク・デームスとフリードリヒ・グルダ。
この中ではグルダが一番ピアノが達者でずば抜けて人気があるし、吉田秀和氏の『世界のピアニスト』では、バドゥーラ=スコダとデームスは、独立したピアニストとしては難点がありすぎるけれど、自分の音楽を持っているし、音楽の雰囲気を周囲に発散させる力を持っているし、そういう生まれと育ちなのだ、と書かれたりしている。

バドゥーラ=スコダはピアニストとして、グルダのような腕とカリスマ性はないけれど、著述活動には熱心で、『モーツァルトの演奏法と解釈』(音楽之友社)を音楽学者の奥さんと共著で出している。
1970年には、ベートーヴェン生誕200年を記念して、友人のデムスと一緒にドイツ・テレヴィジョンのためにピアノ・ソナタ全32曲の演奏と解説を録画し(解説部分は別途出版された)、それをきっかけに42歳でピアノ・ソナタ全集を録音。
それと並行して書いた本が、この『ベートーヴェン ピアノ・ソナタ 演奏法と解釈』。初版をいろいろ訂正したものが、2003年に新版として出版された。

ベートーヴェン・ピアノ・ソナタ演奏法と解釈(新版)ベートーヴェン・ピアノ・ソナタ演奏法と解釈(新版)
(2003/04/01)
パウル バドゥーラ=スコダ

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原題は、単に『Beethoven Klaviersonaten』。
邦題の『演奏法と解釈』というのは、誤解を生むタイトル。
てっきり原典や注釈版の楽譜を元に、技巧・表現に関する演奏法を解説したものだと思い込んでいたけれど、どちらかというと構造分析。調性の設定や調性の推移・転調などの手法、特定のフレーズや音の効果・意味づけといった解説が主体。
そういうことを知っていないと、もちろん適切な演奏解釈ができないだろうけれど、特定の音やフレーズをどういうタッチで弾くか等のテクニカルな解説を期待してはいけない。
曲の筋立てを無味乾燥ではない文章で解きほぐしているので、物語り的というか読み物としての面白さはある。
ベートーヴェンの作曲技法がどれほど斬新か、演奏者・聴衆の期待を裏切るような不意打ちがどこに仕組まれているかとか、構造分析ができていないと気がつかないことがわかったりするし、今まであまりしっかり聴いたり弾いたりしていなかった曲がとっても魅力的に思えてくる。

ちょうど、アラウやソコロフが録音したピアノ・ソナタをくまなく聴いていたところだったのが良いタイミング。
標題つきでも後期ソナタでもないのに、とっても気に入っている曲(第3・4・7・12・13・15・18・22・27番)の解説を読むと、どうして良い曲と思えるのか、その理由もいろいろわかる。

職業柄、統計的に数値を調べるクセがついているので、曲別(標題付きの曲と第28番以降の後期ソナタは除いて)の頁数を数えておいた。文章量と作品の重要度は、ある程度は比例するはずなので。

頁数が5枚以上:第4・5・7・11・12・13・15・28番
特に、第4・7・11番は初期(~中期の初め)の曲なのに7~9頁と大目。
(第11番の評価がとても高く書かれているけれど、あまり印象に残っていないので、もう一度聴きなおしてみないと...)

頁数が5枚未満:第18・22・27番。(第22番は曲自体が短いので)
第9・10番、第19・20番は演奏容易な曲なので、2曲づつまとめて、それぞれ合計2~3頁程度。

標題付きの曲と後期ソナタは、概ね6~7.5頁くらい。
月光ソナタ(2頁)のように、超有名な曲はそれほど頁数をさいていないこともある。
さすがにハンマークラヴィーアは13頁と一番多い。

                               

小難しい曲目解説書とは違って、ピアニストならではの作品に対する愛着や作曲者への尊敬の念が実感としてこもっているし、面白く思えたところも多々あって結構笑えたりする。

超有名な月光ソナタの第3楽章。プレスト・アジタートで、ベートーヴェンの心の中の嵐のイメージ。
ソナタ形式なので普通なら短調の楽章を明るくする長調の副主題が入るはずなのに、それが欠けているし、副主題も終結主題も平行長調ではなく属調の嬰ト短調。この曲は絶望の曲だという。
この第3楽章は弾いても聴いても、どうにも好きに慣れないのは、やっぱりこの暗さのせいなのかも。

第12番の葬送ソナタ。一応標題はついているけれど、いわゆる7大ソナタには含まれていない。
この第4楽章は、厳粛で悲愴な第3楽章の葬送行進曲から一転して、軽快なロンド。
いくつかの注釈には、”クラマーのような練習曲”と書かれているという。確かに指回りが良い人なら、練習曲風に弾きたくなる。
バドゥーラ=スコダの解釈は、表面的にはクラマーに似た響きがあっても、驚くほどの技術的な難しさを除けば、練習曲などではなくて、葬送行進曲に対するに自然で味わいのある反歌。
『アラウとの対話』に書かれているアラウの解釈もそれに近く、クラマーのように弾くピアニストが多いとやっぱり言っている。この終楽章は、”新たな世代の発生を表象”し、”死のあとに生命の流れの再出発”であって、できるだけ遅いテンポを保つことで、葬送行進曲と終楽章との脈絡に意味が生まれるという。

第4楽章の演奏時間を調べてみると、アラウは旧盤3'17、新盤3'34”。ポリーニ、シフがアラウの旧録と同じくらいのテンポ。バックハウスのモノラル録音が2'50”。
他のピアニストも3分前後で弾いている演奏が多く、これくらいのテンポだとちょっと速いかなという感じ。
ブレンデルはいくつか録音していて、3分20秒前後でかなり遅いテンポのものもある。
ブレンデルの弟子のポール・ルイスになると、アラウの新盤とほぼ同じテンポの3'38"。でも堂々として力強いので、遅さは全然気にならない。
2分半前後はリヒテル、シュナーベル、アシュケナージ、ペライア、グルダなど。テンポの遅い演奏に比べると、軽快だけれどちょっと落ち着きがなくてせわしない感じはする。

ワルトシュタインソナタの第1楽章は、”冒頭のピアニッシモの和絃からしてすでに、急行列車の驀進するようなものではなく、落ち着いた軽く内部にふるえを持った調和を表現するものでなくてはならない”。
でも、実際は急行列車を通り越して、特急か新幹線なみの猛スピードの演奏がやたらに多い。
『アラウとの対話』でもこの曲について触れていて、スローペースで弾くことで有名なアラウにとってみれば、他のピアニストは”3倍は速すぎます”と言っていた。(でも、1940年代の録音を聴くと、アラウも急行列車かそれ以上のスピードで弾いていた)

第22番ソナタの第2楽章。第22番はワルトシュタインと熱情に挟まれてしまっているせいか目立たないし、2楽章形式という変わった構成なので同時代の人は失敗作と言っていたらしい。(今でもそれほど気にとめられている曲とは思えないけど...)
これが、ちゃんと聴いてみると意外と面白い曲で、第1楽章の可愛らしい主題と、躍動的で力強いスタッカートの主題のコントラストが鮮やか。
この楽章を詩的に読み解くのに、”魔法にかかっていた竜をその優しい心で救った少女の物語り”(「美女と野獣」の話のドイツ版)を取り上げている。
曲の展開とおとぎ話のストーリーが妙に符号しているところが面白い。

特に印象に残るのは、第2楽章のオルガンかハープのように美しいファンタスティックな響き。ここはケンプの録音が素晴らしく綺麗な響き。
でも、どこかで聴いた気がするようなメロディなのに、思い出せない...。
バドゥーラ=スコダの解説だと、この第2楽章は”2人の楽しい会話”であり、”色彩と形式の魔法のような戯れ”であり、”あまり類例をみない転調の豊富さと斬新な和声”が楽しめ、それに終盤ちかくでの突然第1楽章の変ニ-ロ-ハの3つの音符が不意打ちのように現れる。

この本は、曲によっては解説内容にかなり差はあるけれど、プロのピアニストはこういうことをきっちり考えて弾いているのかあと思うと、いろいろ勉強になる。
アラウやブレンデルが一部のソナタについては書いている解説も読んでいるので、その解釈の違いがテンポ・技巧的な処理、表現方法につながっているのがわかる部分もあって、楽譜を読むと言うのはいろいろと難しいもの。まるでミステリーの謎解きのように思えてくる。

                               

テクニカルな奏法の解説なら、パドゥラ=スコダが編・注釈しているチェルニーの解説書の方が参考になりそう...と思ったけれど、べートーヴェンのピアノ・ソナタを弾くなら、参考どころか必須図書だろうと思い直した。
1963年の出版なので絶版状態(たぶん)。公共図書館にもあまり置いていない専門書なので、音大の図書館とかで探さないといけないかもしれない。

ベートーヴェン全ピアノ作品の正しい奏法ベートーヴェン全ピアノ作品の正しい奏法
(2001/01/12)
カール・ツェルニー,パウル・バドゥラ=スコダ

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tag : ベートーヴェン アラウ

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ムストネン ~ バッハ/平均律曲集第1巻 & ショスタコーヴィチ/24の前奏曲とフーガ
バッハの平均律曲集(第1巻だけ)で最近よく聴くのは、ティル・フェルナーの録音。いつも柔らかく響きで微温的なところが心地良いけれど、さすがにこればかり聴いていると、もっと刺激的な平均律を聴きたくなってくる。
そういう時は、独特の個性の強さでは、持っているCDのなかで群を抜いているムストネンの平均律に限る。
どこの誰の弾く平均律とも違うので、ブラインドで聴いても、誰が弾いているのかすぐにわかる。(平均律に限らず、どんな曲の録音でもそれは同じだけど)

そもそも選曲と配列からしてユニーク。
バッハの《平均律クラヴィーア曲集第1巻》と、その平均律曲集にならって書いたショスタコーヴィチの《24の前奏曲とフーガ Op. 87》と一緒に収録した珍しいCDを、これまたレーベルをまたがってリリースしている。

最初に録音したRCA盤では、それぞれの曲集から半分抜粋してリリース。
残り半分も録音するつもりだったのだろうけど、その後Ondineへ移籍してしまったのでこの企画はストップ。
ムストネンは、この企画が尻切れトンボになるのは嫌だったに違いなく、Ondineでは残りのプレリュードとフーガも録音して、これで全巻完結。

曲順もユニーク。ムストネンが独自に曲順を配列しなおし、さらに、バッハとショスコターヴィチを交互に並べると手が込んでいる。
この2種類のCDを持っていないと、バッハの《平均律曲集第1巻》、ショスタコーヴィチの《24の前奏曲とフーガ》とも完結しない。
レビューを見ていると、バッハ、ショスタコーヴィチの曲をそれぞれ分けて、本来の曲順でコピーしてCDに焼きなおして、聴いている人がちらほら。やっぱりそうしたくなるんですよね。
私も、WAVEファイルをコピーして編集しなおしたCDを作って、ムストネンの意図とは違って申し訳ないけれど、バッハとショスタコーヴィチを分けて聴くことが多い。

RCA盤とOndine盤では5年以上の年月が経っているせいか、弾き方が多少変わっているところがある。
音自体は、Ondine盤の方が響きが鮮明で深みもあって綺麗。ノンレガートというか針のように尖ったスタッカート的なタッチはよりシャープになって、飛び跳ねるような躍動感が強い。
アクセントを利かせた鋭角的な表現と柔らかいタッチで叙情的に弾くところのコントラストがより鮮やかで、Ondine盤の方が一層刺激的。

これは最初にリリースしたRCA盤。
①J.S.バッハ:平均率クラヴィア曲集第1巻~第1、5、6、7、11、12、13、17、18、19、23、24曲
②ショスタコーヴィチ:24の前奏曲とフーガOp.87~第2、3、4、8、9、10、14、15、16、20、21、22曲
バッハ&ショスタコーヴィチ / プレリュードとフーガ Vol.1バッハ&ショスタコーヴィチ / プレリュードとフーガ Vol.1
(1998/11/06)
オリ・ムストネン

試聴する(ドイツのamazon)(HMV)
 すでに廃盤。在庫に限り、プレミアム付きで入手可能らしい。

残りの曲を収録したOndine盤。2002年11月の録音。
①J.S.バッハ:平均率クラヴィア曲集第1巻~第2、3、4、8、9、10、14、15、16、20、21、22曲
②ショスタコーヴィチ:24の前奏曲とフーガOp.87~第1、5、6、7、11、12、13、17、18、19、23、24曲
Bach & Shostakovich: Preludes & Fugues, Vol. 2Bach & Shostakovich: Preludes & Fugues, Vol. 2
(2004/03/09)
Olli Mustonen

試聴する(米国amazon)


なにより演奏内容が極めて個性的で、ムストネンの才気が溢れている。
ショスタコーヴィチの演奏は、シチェルバコフとは違ったソノリティではあるけれど、響きの美しさという点では同じで、両方とも私のベスト盤。
飛び跳ねるような鋭角的なタッチで弾く曲は、現代風なシャープさと軽妙さが鮮やか。
緩徐系の曲では濁りのない柔らかな響きがとても美しい。それにショスタコーヴィチ独特の内省的でいろいろな感情が織り交ざったような曖昧さと不可思議な雰囲気も良く出ている。

ショスタコーヴィチは現代ものなので、ムストネン独特の奏法でも奇異な感じはしないが(少なくとも私には)、バッハとなると、過去の名演やら様式やら、いろいろと固定されたイメージや決まりごとがあるので、そういうわけにはいかない。
ムストネンのバッハは、タッチも響きもフレージングも独特なので、はっきり好みが分かれる。
別に奇を衒っているわけではなく、ムストネンはベートーヴェンだって、ショパンだって、何であろうとこういうタッチで弾く。(Ondineに移ってから、さらに磨きがかかっているような気もするけど)
子供の時からピアノとチェンバロの両方を学んでいたので、ピアノとチェンバロ(に加えてオルガン的な響き)を融合したようなところもあるような気がする。
ムストネンの奏法が面白くて斬新と思う人なら、このバッハだって、もしかしたら受け入れられるかも。

ムストネンの奏法は、技術的にはかなり高いレベルには間違いなく、恐ろしいほどに精緻で正確な打鍵は、寸分の狂いもない精巧な時計やガラス細工のよう。
どんなテンポでも針のように尖ったスタッカートは、軽やかで音の長さも粒が揃い、1音ごとに強弱をつけているかのように細かい起伏をつけた時には、うねるように線が流麗。色彩感のある響きでも濁りがなく、音と旋律の流れに対する感性はかなり鋭敏。
完璧な指のコントロールに、隅ずみまで精緻に設計された響きに加え、巧みなペダリングなどいろんな工夫が施してあるに違いないであろう奏法が、素晴らしく鮮やか。
タッチと音の響きがとても変わっていて、個人的に感じるのは、抽象化された音の世界と純化されたような叙情感。
極めて人工的な世界なのだろうけれど、無機的な感覚は全くしないのは、過剰なくらいに明快な表現に生気とダイナミズムがあるからだろうし、水気を含んだような質感と透明感のある響きは、濾過されて濁りのないピュアな感情が流れているような感覚。

解剖図を見ているように隅ずみまで分析され研ぎ澄まされたような明晰さと、神経質的なくらいの繊細さと透明な叙情感の美しさが強く印象に残る。
この独特のタッチと響きで弾かれた平均律は、それに慣れてしまえば、それぞれの持つ曲の骨格やエッセンスがくっきりと浮かび上がってくると思えるほどに、違和感なく納得できてしまう。

                            


バッハ/平均律クラヴィーア曲集第1集

ムストネンの場合は、奏法が特殊なせいか予測のつかないところがあるので、この曲はどういう風に弾くのかな?という興味が強く湧いてくる。

バッハもショスタコーヴィチも、曲によってテンポとタッチが正反対なくらいに変わる。
緩徐系では、柔らかいタッチと、微妙なペダルのコントロールで、澄んだ響きがとても美しい。
特にショスタコーヴィチの不協和的な響きでも、透明感があって混濁せずに長く響かせるところは見事。
急速系になると、針のように尖ったタッチで綺麗に粒が揃い、強弱の急速な変化をつけながら、声部ごとに響きが変わる。

テンポがかなり速くて、鋭いノンレガートを多用しているけれど、水気を含んだようなクリアな響きに加えて、やや粘り気のあるタッチでわずかにかかっているルバートと大胆なディナーミクのせいで、不思議とメカニカルには聴こえない。

声部ごとにタッチ・音色・響きがよくコントロールされ、音色はどちらかというと単色系に近い感じがするけれど、多彩でグラデエーションのある響きが素晴らしい。
しっとりとした湿気を帯び、研ぎ澄まされて濁りのない透明感のある響きは、まるで教会で鳴り響いているような感覚。
音質自体は線が細いけれど響きが重なっていくと重層的に聴こえるし、とにかく音の美しさだけでも魅力的。

独特のアーティキュレーションでも、声部の弾き分けが明確で、書かれている声部の数よりもさらに多くの旋律が次々に現れてくるような立体感がある。
リズムやアクセントの強調で、メリハリが強くきき、特定の音の余韻が強く残っていくので、旋律線が普通とは違ったように聴こえてくるし、なぜか何度聴いても新鮮に感じる。
ノンレガートも長さや鋭さを微妙に変化させ、レガートも交えて、曲や旋律によって使い分けていくので、単調・平板といったところがなく、水面の波紋のように次から次へと表情が移り変わっていくのが鮮やか。

第1番のプレリュードはかなり普通のタッチ。徐々にクレッシェンドし、力強く弾力のある響きに変わり、それが重なりあって、輝くように明るく、とてもドラマティック。
フーガはタッチを微妙に細かく変化させていくので、表情が揺らぐように次々と移り変わっていく。

第2番のプレリュード。なぜか普通の演奏とは違って聴こえる。アクセントのつけ方が変わっているせいか、拍子がずれているような感覚(実際はずれていない)。
スタッカート的なノンレガートで最初は静かに、徐々にクレッシェンドして弾力のある力強いタッチに変わっていく。タッチがシャープなので、重たさが全くなく軽やか。
フーガも鋭いスタッカート主体で、飛び跳ねるようなタッチ。リズムの鋭さが強調されている。

第3番のプレリュード。ちょっと明るい音色で、速いテンポで軽やかなタッチ。このテンポで見事に粒の揃った正確なスタッカート。
フーガもスタッカート主体で、リズムとアクセントが強調されている。アクセントのついた音が耳に残る。

第4番のプレリュード。ここは珍しくレガート主体。立ち上がりの速いクレッシェンドと力がすっと抜けるようなデクレッシェンドで、波が寄せては引いていくような細かなうねりと水気のある響きで、どこかしら静粛で敬虔な雰囲気。
フーガもレガート。複数の声部に異なる音色と響きと当てているので、重層的で立体的な演奏。憂いと湿気のあるしっとりした音が教会で鳴り響いているような雰囲気で、時に突き刺すような響きが切々と美しい。
このプレリュードとフーガは、凝縮された美しさ。

曲ごとの調性とテンポによって、ノンレガートとレガートのタッチのバランスを変えていくので、曲想に応じた響きと雰囲気を出ている。
シャープな響きのノンレガートの軽快な躍動感はすぐに耳につくけれど、レガートの柔らかい響きもとても美しく、ハープとオルガンとピアノを掛け合わせたような透明感のある響きの美しさは格別。
特に美しいのは第4番のような、レガートで弾くスローなテンポの短調の曲。
第8番、第12番、第22番なども同系統の曲で、響きが長く重なっていっても濁りがなく、透明感のある響きがとても美しく、厳粛で敬虔な面持ちと、張り詰めたような痛切な叙情感が漂っていて、ムストネンの響きのもつ美しさがもっとも良く映えている。

第7番のプレリュードは、ゆったりしたテンポで明るい開放感。ノンレガートの踊るようなタッチから、レガートの静かなタッチへと変わり、最後はノンレガートに戻る。このピアノの交錯する響きを聴いていると、なぜか教会でオルガンを聴いているような気がしてくる。
フーガも明るく楽しい雰囲気。ノンレガートの軽やかなタッチが柔しく可愛らしい。

第8番のプレリュードは、ノンレガートでもほとんどレガートなタッチで、静けさと叙情感でしっとりと聴かせる曲。左手のとても柔らかい和音と右手のシャープな響きの主旋律が対称的。時々、強くなるノンレガートが痛切な雰囲気を強めている。
フーガは、第4番のように声部が立体的に交差していき、密やかで厳粛な面持ち。

第10番のプレリュードは、やや速いテンポの短調で、冒頭は柔らかいノンレガートの響きが綺麗でとても密やかな雰囲気。終盤部はかなり大胆に力強くなり、左手は大きな鐘を打ち鳴らしているかのよう。
フーガの冒頭部分は、ムストネンの強いアクセントのあるタッチで聴くと、まるでくるくる回転しているような感覚がする。

ムストネン独特の響きとアーティキュレーションのせいか、フェルナーの平均律のように流れてくる音をぼ~っと聴いておけるという平均律ではなくて、長調・短調やテンポの緩急の違いにかかわりなく、つねに緊張感があるというか、神経が自然と演奏に集中してしまうので、この平均律を聴き通すと結構疲れるものがある。
元々のCDでムストネンの曲の配列どおり聴くと、ショスタコーヴィチが数曲ずつ交互に入っていて、現代的な平均律曲集がミックスされているようなもの。
バッハとショスタコーヴィチを全曲聴くには4枚のCDを聴かなければならず、かなりの集中力が必要になるので、なかなかヘビーなものがあって、そうそう頻繁に聴けないアルバム。
あまりに個性的なので、人には積極的には勧めませんが、この面白さは他のピアニストでは味わえないもの。平均律の録音のなかでどれか一つだけ手元に残したいものを選べといわれたら、フェルナー、コロリオフ、ムストネンのどれにするかでかなり悩ましい。
結局、ピアニストとしてとても好きなことと、特異ともいえる音の美しさの魅力には効し難く、やっぱりこのムストネンの録音を選びたくなる。

                                  

ショスタコーヴィチの《24の前奏曲とフーガ》は、NAXOS盤のシチェルバコフの演奏も素晴らしく、濁りのない透明感のある響きが美しい。
この曲をゆっくりしたテンポで叙情たっぷりに弾いたり、フォルテが暴力的にさえ響くようなディナーミクの極端な演奏がもあるけれど(ロシアのピアニストに多い)、シチェルバコフはそれと正反対で、繊細な響きと叙情感で、現代風にシャープでクール。
ムストネンのような独特のクセがないので、あっさりとはしているが聴きやすくはある。
ムストネンが動的だとすれば、シチェルバコフは静的。両方聴き比べると、それぞれの解釈の違いが良くわかって面白い。
特によく聴くのは、第3番と第7番のフーガ。第3番はとても現代的なリズム感と叙情感があって、すぐにブリテンの洒落たピアノ曲を連想させる。第7番はいろんな鐘の音が交錯するような響きと軽快なリズム感で、明るくてとても可愛らしいフーガ。
ポピュラーなピアノ協奏曲とは違って、録音も少なく(混濁しがちな響きの制御が難しいのと内容の奥深さのせいで)、あまり聴かれていない気はするけれど、《24の前奏曲とフーガ》は現代的な響きのなかにいろんな世界が広がっている小宇宙のよう。20世紀に書かれたピアノ作品のなかの代表作の一つになるのは間違いないのでは。

シチェルバコフ~ショスタコーヴィチ/24の前奏曲とフーガの記事

Shostakovich: 24 Preludes & Fugues, Op. 87Shostakovich: 24 Preludes & Fugues, Op. 87
(2001/02/20)
Konstantin Scherbakov

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tag : バッハ ショスタコーヴィチ ムストネン

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アラウ ~ バッハ/ゴルトベルク変奏曲
夏になると睡眠障害を起こすので、寝つきを良くするか、早朝に目覚めないようにするかで、悩ましい。
結局、早朝覚醒はどうにも治らないので、寝つきを良くするしかなさそうだと諦め、クーラーを短時間入れて、ついでにゴルトベルクを聴いていると、いつの間にかぐっすり。

ゴルトベルクは、そもそも不眠症の伯爵のために作曲されているので、これを聴けば不眠症が解消される効果が期待できるかも...と思っても、演奏によっては、逆にすっかり覚醒してしまう。
どちらかというと、覚醒タイプが多いのではないかというくらいに、急速楽章がやたら速くて賑やかだったり、鋭いノンレガートがツンツン耳についたりして、どのピアニストのゴルトベルクを聴くかが効果のほどが違いそう。

ぐっすり眠りたい時に聴くのは、マルクス・ベッカーかアラウのゴルトベルク。頭をすっきりさせたい時に聴くのは、コロリオフ。
(聴いたことがある人は少ないはずの)ベッカーの録音(CPO盤)は、しっとりした音質で流れがまろやかで自然な趣き。
旋律の縦の線をそれほど強調する弾き方ではないので、旋律に流麗さがあって、ノンレガートなタッチも柔らかめなので、神経を過度に刺激することなく、まったり気分で聴ける。


Goldberg Variations Bwv 988Goldberg Variations Bwv 988
(2002/01/15)
Markus Becker

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アラウのバッハといえば、最晩年のパルティータの録音が有名。
88歳の時の録音なので、往年の技巧がほとんど失われて指のコントロールがきいていないのが明らかにわかるところが、なんとも言えない。(もし、アラウが弾いていないければ、試聴しただけで終っている)
それでも心情をピアノの音にのせて歌っているようなアラウ独特の語り口に魅き込まれてしまうところは、いままで聴いたどのパルティータでも感じたことのない不思議な感覚。
アラウの深い感情移入を感じさせるパルティータを聴くと、感情的にシンクロせずにはいられなくなるので、ちょっと重すぎて、そうたびたびは聴けない。
これはバッハのパルティータを聴くのではなくて、パルティータを通してアラウの歌を聴くためにあると思っているので、こういう演奏はひっそりと一人静かに聴くにかぎる。

パルティータ以外に残っているバッハ作品の録音は、40歳前後にRCAに録音した数曲で、私のCDラックの中に眠っていたのはゴルトベルク。
アラウのバッハといっても、晩年の録音でないことと、音質の悪さもあって、パルティータほどにこの録音を好きという人は多くない。
1942年に録音されたものなので、ピアノで録音された最初のゴルトベルクの演奏らしい。
アラウは、米国に移住する前のベルリン時代に、バッハの鍵盤楽器曲の全曲演奏会をしたくらいなので、にわかにゴルトベルクを録音したというわけではなくて、バッハは得意のレパートリー。

この録音はいろいろ事情があって、お蔵入りしたままになっていたのが、1988年に復刻された。
ゴルトベルクを録音して以来、やはりバッハはチェンバロで弾くものだと考えたアラウは、その後バッハをレパートリーから外していた。
80歳になって、このお蔵入りした録音テープを聴いたアラウは、ピアノでもバッハは弾けるじゃないかと思い直したという。(結局、最晩年の88歳に、ピアノでパルティータを録音することになる)

バッハ:ゴールドベルク変奏曲バッハ:ゴールドベルク変奏曲
(2001/12/19)
クラウディオ・アラウ

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アラウが30歳代終わりに録音したゴルトベルクは、パルティータとは違って当然技巧も安定しているので、本当に良いバッハのゴルトベルクを聴いた気分になれる。
現代的なスマートさとほどよい情感が上手くミックスして、実に70年前の演奏とはいえ、古めかしさが全然なくて、今聴いても新鮮な感じ。
SP時代の録音なので、これで音質が良ければ...と思うところはあるけれど、演奏自体が好きなことと聴き慣れたせいもあって、心情的にかき乱されてしまうパルティータよりも、心穏やかに聴けるゴルトベルクを聴いている時間の方が多い。

『アラウとの対話』を読むと、アラウの少年時代、ベルリンで師事したクラウゼは、バッハ全般が指導の基礎の一つ。
学生たちに、平均律曲集を調をいろいろ変えて弾かせてみたり、声部を一つ一つ記憶させようとしたりと、かなり厳しく教え込んだらしい。
古楽が復権するはるか前の時代だったので、ピアノでバッハを弾くことはごく当たり前のこと。
クラウゼの指導した奏法は、ペダルはほとんど使わない。前奏曲とフーガを非常に明瞭に、そして、遅いテンポで弾く。
フーガはメトロノームのように規則正しいテンポで、しかし、フレージングは大胆に、特定の声部を際立たせる、というもの。

これがアラウのバッハ奏法の基礎になっているようで、ゴルトベルクの録音でもほとんどペダルなし。
テンポは極端な速さ・遅さはなく(チェンバロよりは速いけれど)、変奏ごとのテンポの落差もそれほど大きくはない。全てリピートしているので、演奏時間は78分とちょっと長め。
柔らかくて丸みのあるタッチのノンレガートと、やや硬い響きのレガートを使っているので、全体的に一音一音が明瞭でコツコツした響きがするけれど(録音の音質の関係もあるだろうし)、ほぼノーペダルなので響きに濁りはなく、肩に余分な力が入っていないような軽やかさと軽快なリズム感が耳に心地よい。

急速系でピアニスティックな変奏も一気に勢いで弾くようなところはなく、ほどよいテンポで旋律の流れや和声の推移がしっかり聴こえるところが、節度があって良いところ。
声部の分離がクリアで、響きが混濁することなく、この鈍い音質でも、対位法による複数の旋律の動きがそれぞれくっきりとわかる。

当時、アラウ自身もこの演奏には自信を持っていたらしく、対位法的に込み入った第11変奏では、表現を置き去りにすることなく、明快に旋律の絡みを処理していたと、ライナーノートに書かれている。
原盤についている解説の表現が面白く、「ミシンのカタカタいう騒音のような演奏とは程遠く、その解釈にも全く放縦さが見られない」とアラウの演奏を評している。この、ミシンカタカタ...っていうのは、どういう演奏なんでしょう?
また、『アラウとの対話』の<レコードで聴くアラウ>という章では、このゴルトベルクを含むRCAへのバッハ録音について、「さまざまな声部を「辿る」能力、全体の均衡は破らずに、目立たない入りや補助的な声部に光をあてる能力など、彼のポリフォニックな演奏の才能が、もっとも純粋な形で披瀝されている」と書かれている。

アラウは古楽奏法のように、ルバートや装飾音で飾りたてることはせず、ほぼインテンポで装飾音もそれほど凝らず、とてもシンプル。
ピアニストの表現の過剰さを感じさせないところが自然で、こういうところはベッカーのゴルトベルクと良く似ている。
といっても、音だけ追ったような単調さはなく、ロマンティックさはあるけれど、さらりとした叙情表現は、音の間から細やかな情感がこぼれ落ちてくるようで、聴いていても思わずにこりと微笑んでしまいそう。
このボケ気味の音質も、かえってどこか懐かしいようなレトロ感..。

アラウのゴルトベルクは、清々しい若さとさりげない繊細さのある端正さがあって、こういうゴルトベルクはとっても好き。
音質の違いはあるけれど、ベッカーとアラウのゴルトベルクを聴けば、ぐっすりと眠れる。
演奏さえ選べば、やっぱりバッハのゴルトベルクは、不眠対策には効果があるのかもしれない。

tag : バッハ アラウ ベッカー

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ソコロフ ~ ショパン/24のプレリュード
ショパンの作品のなかで、比較的よく聴いていたのは、ピアノ協奏曲、バラード、スケルツォ、ポロネーズ、ピアノ・ソナタ。最近はエチュードにも免疫ができて、苦労せずに聴ける。
逆に、まず聴かないのは、マズルカ、ワルツ、夜想曲、プレリュード、即興曲。
こう書き出してみると、どうも華麗でダイナミックでピアニスティックな曲が好きなのが今更ながらよくわかる。

ロクロク聴きもしないのに、プレリュードのCDは数種類持っていて(好きなピアニストのCDを集めていると自然に溜まってしまうので)、ポリーニ、キーシン、アラウ、ロルティの録音。
叙情表現が淡白なポリーニやまったりしたアラウはともかく、表情豊かなキーシンやロルティを聴いても、やっぱり最後まで飽きずに聴けたためしがないので、もうプレリュードとは曲自体の相性が悪いとしか思えない。

と思っていたら、最近買ったソコロフの2種類のBOXセットに、ショパンのエチュード、プレリュード、ピアノ・ソナタ第2番が入っていて、これがいずれも素晴らしい演奏。
いつも途中で眠くなるプレリュードでさえ、どの曲も退屈することなく、それも、面白く聴けてしまう。
表現が繊細かつ大胆なので、プレリュード24曲のそれぞれの性格がクリアになり、曲ごとに場面や色彩が工夫された一つの絵巻物のようにつながっているように聴こえてくる。
もともとこの前奏曲集は相反する曲想が交互にサンドイッチのように配置されているので、曲同士の緩急・明暗・硬軟のコントラストはつけやすいけれど、ソコロフはさらに各曲内部でのコントラストも強くつけて、表情づけがとても濃厚。

緩徐系のプレリュードは細部まで繊細な表現で平板さは微塵もなく、急速系の曲は煌くように鮮やかな技巧で、エチュードのように強靭で怒涛のような勢いがあったり、どの曲をとってもみても多彩な表現には退屈する方が難しい。
ソコロフのプレリュードは、透明感のある美音とカラフルな色彩感と響きのヴァリエーションの多さで、音自体がとても綺麗。
それに加えて印象的なのは、広いダイナミックレンジを生かした強弱の幅の広さとコントラストの強さ、微妙なニュアンスを持つ多彩な弱音、ルバートの多用、左手伴奏の存在感の強さ、大きく変化する緩急のテンポ、エンディングでのリタルダントや長めの休止、etc.。
こういう要素がいろんなパターンで組み合わされていき、細部まで精緻に設計された繊細さと、力強いダイナミズムとが交錯して、こんなに表情豊かなプレリュードはそうそう聴けない。(それでもこの曲集が好きかというと、やっぱりあまり好きではないのは全然変わらないけど)
これくらい大胆に静動・緩急のコントラストがついて圧倒的な迫力がないと、つい眠たくなってしまうので、(もともとあまり好きではない)プレリュードを聴くなら、個人的にはソコロフがあればもう十分という気がする。
といっても、ショパンのプレリュード自体を聴きたくなるかといえば、やっぱりNO。どうもこの曲集とは相性が徹底的に悪い。


<メモ>
第1番ハ長調 Agitato
テンポの細かな揺れが激しく、強弱も微妙に変化。ふわふわした膨らみを保ちつつ、曲全体が絶えず収縮しているような...。

第2番イ短調 Lento
左手伴奏がとても雄弁。伴奏だけ聴いていても面白い。

第3番ト長調 Vivace
左手のパッセージが蝶が舞うように軽やか。それに凄く速い。メカニカルに聴こえることなく、響きは柔わらか。

第4番ホ短調 Largo
昔からこの曲だけはなぜか好きだった。わりと平板な曲にしては、左手伴奏の表情が豊か。緊張感もあって叙情的。

第5番ニ長調 Molto Allegro
タッチが微妙に変わっていき、柔らかい響きと硬質の響きが交錯。

第6番ロ短調 Assai lento
この曲も左手伴奏が雄弁。オスティナートの響きのニュアンスやパッセージの表情が豊か。

第7番イ長調 Andantino
太田胃散のCMに使われたので有名な曲(今でも流れている?)。この退屈で眠たげな曲でも、テンポやタッチが細かく変わっていく。ソコロフの弱音の繊細さと美しさが際立っていて、それだけで聴けてしまう。

第8番嬰ヘ短調 Molto agitato
華麗で雄弁な曲。右手の旋律が良く歌い、左手の伴奏もダイナミック。右手は柔らかなタッチ、左手は硬質なタッチなので、響きの質感が違う。

第9番ホ長調 Largo
とても伸びやかで雄大な雰囲気の曲。左手トリルが良く効いている。

第10番嬰ハ短調 Molto allegro
急速なテンポのなかを、左手の細かいパッセージが煌くように舞っている。

第11番ロ長調 Vivace
弱音のニュアンスが繊細。

第12番嬰ト短調 Presto
舞曲風でダイナミック。和音の切れの良さと、歌うような旋律が美しい。タッチ変化も多彩。

第13番嬰ヘ長調 Lento
左手アルペジオの表情が豊か。

第14番変ホ短調 Allegro
情熱的で、両手とも激しい動き。何かが差し迫ってくるような切迫感。

第15番変ニ長調「雨だれの前奏曲」 Sostenuto
かすれるような弱音から荘重なフォルテまで、弱音と強音のコントラストが鮮やか。右手と左手の音量のバランスが曲想に合わせて変化していく。
展開部は、弱音からクレッシェンドしていきフォルテにいたるところが、暗雲が垂れ込めたように暗い色調で、まるで葬送行進曲のように重々しくて、ドラマティック。規則的にオスティナートする左手が深刻さやオドロオドロしさを強めている。
本当に雨音が変化しているのが目に見えるようなイメージ喚起力で、ラストは雨がすっかり上がった清々しさ。

第16番変ロ短調 Presto con fuoco
急速なテンポのなかを、右手の細かいパッセージがキラキラと煌くように軽快に舞っている。左手は力強く推進力があり、迫ってくるような勢い。ラストへの盛り上がりも華やか。

第17番変イ長調 Allegretto
ワルツのリズム、強弱の微妙な揺れ、前半までは穏やか。前半最後の盛り上がりが爽やか。

第18番ヘ短調 Molto allegro
情熱的な雰囲気で、不協和音が鳴り響き、悲愴感と緊張感漂う両手のユニゾン。低音部は重たく強い響き。

第19番変ホ長調 Vivace
一転して、3連符で構成された旋律が流麗な曲。柔らかく軽やかな響きがとても優雅。

第20番ハ短調 Largo
冒頭和音の力強さは岩のように重々しく、弱音になると厳粛で荘重。低音がよく響き、弱音が支配する中間部とのコントラストが鮮やか。

第21番変ロ長調 Cantabile
平和的で夢想的な曲想。左手伴奏の表情が豊か。
中間部は左手アルペジオが鐘の音のような響きに聴こえてとても綺麗。

第22番ト短調 Molto agitato
ダイナミックで情熱的な曲。左手和音が迫ってくるような迫力。

第23番ヘ長調 Moderato
柔からかな響きでオルゴールのように綺麗。高音はキラキラと宝石のような輝き。

第24番ニ短調 Allegro appassionato
《エチュードOp.25》の終曲<Ocean>に少し雰囲気が似ている。
冒頭は激しく急迫感のあるパッセージで、波が迫りくるように激しい雰囲気。全編を流れるアルペジオ主体の左手伴奏が重々しく、右手の旋律は鋭く急降下して、ダイナミック。


                             

プレリュードだけを収録した分売盤。
Preludes Op 28Preludes Op 28
(2001/07/10)
Grigory Sokolov

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プレリュードに加えて、エチュード(Op.25のみ)とピアノ・ソナタ第2番を収録した分売盤で、こっちの方がコストパフォーマンスがよい。特に表現重視のエチュードの演奏が素晴らしいので、聴くのはほとんどエチュード。
Preludes / Sonate 2 / Etudes Op 25Preludes / Sonate 2 / Etudes Op 25
(2008/01/29)
Grigory Sokolov

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tag : ショパン ソコロフ

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ブレンデル『音楽のなかの言葉』 ~ ベートーヴェンの後期様式の特徴
ブレンデルの著書『音楽のなかの言葉』で、”ベートーヴェンの後期様式の特徴”という章が載っている。
ピアノ・ソナタ第28番~第32番に関する解説のようなもので、ハンマークラヴィーアを除いては好きな後期ソナタなので、簡単なメモを記録がわりに作成。(作品106については省略)

音楽のなかの言葉音楽のなかの言葉
(1992/03)
アルフレート ブレンデル

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日本語版はどうも絶版らしい。表紙の画像はハードカバーのものを使用。

●表現方法の総合と拡張
正反対のものが共存を強いられる。新たな複雑さが単純さと組み合わされる。明らかな誇張と明らかな無作為、唐突さと珍しくくつろいだ叙情性が並置される。
単純さ、原始性、通俗性、俗悪さといた要素が音楽の構造を損なうことなく散りばめられる。

●後期様式の複雑さ
細部に新たな繊細さと密度が加わった。ポリフォニックな声部の書法に新たな厳密さと洗練が加わった。
ワルトシュタイン、熱情、皇帝、大公での広がり。
作品101の終楽章にいたる緩徐な導入部。作品106のスケルツォ楽章は、細密画的な方向への傾斜。

新しいポリフォニーが最もホモフォニックな部分においてすら、声部の書法のなかに顔を出す。これはバロックの影響が強くなった第一の現われ。
低声部を旋律にかえ、フーガ形式の助けを借りながクライマックスに導く(ディアベリ)。
バロックの痕跡は、レチタティーヴォ、アリア、シャコンヌなど。
後期のポリフォニーは、音楽を一掃磨き上げ、過激で妥協を許さないものにした。
妥協を許さない特徴の一つは、二度音程の衝突に対する好み(基音と掛留音が同時になるような場合)。告別ソナタでは遠くなっていく角笛の響きが場所の遠ざかる様子を描写。
対斜の関係にある音を使う。
高音から低音まで離れた音域を使う:奥行きではなく、地下の深み、天空の高み、作品111の第4変奏。

シンコペーション、大胆な音程の飛躍、半音階的な和声進行。
完全終始は可能な限り避けるかベールにつつまれ、教会旋法が調性を神秘的に広げていく。
最後の3つのソナタの開放終止。

●作品101(第28番)
ソナタに根本的な変化。各楽章間に完璧なバランスが保たれていた、いまやあらゆるものが終楽章のクライマックに向かって導かれる。
先行楽章でばらばらな方向に引っ張られていた力を全て、終楽章が集約する、あるいは、作品111のように第一楽章と対立し、優位に置かれた第2楽章が第1楽章をしのぐようになる。
ロンド形式はこの強化作用に不向きなので使われなくなった。スケルツォは感情楽章の前で副次的に置かれる。ソナタ形式も風変わり。終楽章には厳密な対位法や緩やかな変奏を用紙。
作品101は激しい曲ではない、このなかで情熱をほとばしらせることは問題外。あらゆる喜び、あらゆる力と確信がきわめて冷静に告げられる。(...とブレンデルは書いているけれど、アラウの1963年シュヴェツィンゲン音楽祭のライブ録音を聴くと、第2楽章はその”問題外”と書かれているようなもの凄い勢いで情熱的に弾いているのを思い出して、とっても可笑しかった。)
短いアダージョは、ウナ・コルダで控えめに囁くように、しかし鋭い自問自答を行う。全体に極端なテンポは避けられている。

●作品109-111(第30番~第32番)
最後の3つのソナタは、終り方が新しい点で共通。作品109は内的な世界へ導き、作品110は自己犠牲の陶酔で終わり、作品111は沈黙のなかへと身をまかせる。

●作品109(第30番)
変奏の前に2つのソナタ形式の楽章。基本的に性格が異なる。
第1楽章:即興的で夢のよう、重力を持たない。低声部は地上とはかかわりをもたず、旋律の背後でシンコペーションの形をとって舞い上がる。単一のリズム・パターンが第2主題に中断される。色は明るく、呼吸は長く、輪郭は波を打っている。

第2楽章:怒りと恐れの間を往復する激しい爆発。低声部は明らかな存在、しかし、ほぼ属調から離れないために安定感はなし、暗く、点滅しギクシャク、呼吸は短い、リズムが多様に変化、etc.
終楽章は、第1楽章の本質と第2楽章の志向するものとが結び合わされている。漂うと同時に漂流する。


●作品110(第31番)
動機が6度音程のなかで上行、下降を行う、これが全体に重要な意味。
第1楽章:愛撫するようなカンタービレでは、高揚の感覚を伝えるのは贅肉のない展開部でなく、副主題。対立的な運動が上行線と下降線とを結び合わせる。
動きのない展開部が冒頭の主題が危機に瀕しているのを伝える、6度まで上がることもできる、最初の二小節は短調の領域を彷徨う。
再現部で主題が復帰すると、再び自由に息づく印象。応答する左手のフレーズが六度音型の枠外まで手を伸ばそうとする。

第2楽章:後期バガテルの様式、相反する運動が全体を支配する。楽章の気まぐれな性格や四分の二拍子の正当性はアクセントの目まぐるしい変化、トリオとコーダの前の音型が半ば道化芝居風半ば神秘的な旋法風と入り乱れていることに根ざしている。

第3楽章:受難曲。アリオーソとフーガが織り合わさった複雑なバロック形式。
アリオーソとフーガの関係。フーガの最初の部分は、「嘆きの歌」に対応するもの。救いの手はすぐには現れない。そのことを第2のアリオーソが伝える、唐突な半音階の下降によってだけでなく、途切れがちの旋律線からもれてくる連続的なため息と苦しい呼吸によって、受難者たちの力が弱まるのが表現される。
「甦る心臓の鼓動」のように、シンコペーションを伴うト長調の10個の和音が膨らみながら、終結部の小節から浮かびあがる。
次に、蜃気楼のように現実ばなれしたフーガの転回主題が現れる。それに続く展開部は、しぶしぶながら現実へと戻っていく。
ストレッタ、主題の縮小化、テンポの変化は、すべて連続的な縮節の法則にしたがっている。これらは力の甦りを音楽的に象徴し、同時にフーガの束縛から解き放たれる段階を示す。
ポリフォニーは振り払われるべき重荷となる。増大されシンコペーションのつけられた第一主題はポリフォニーの崩壊にむなしい抵抗を試みる。
増大された主題は、やがて変イ長調が復帰すると同時に、低声部に現れるもとの輪郭のなかへと身を退いていく。
ついにポリフォニックなフーガによる支配が崩れたいま、再生の望みは達せられた。楽章に残されたのは叙情的な賛歌である。
最後の陶酔のなかで、終結部はホモフォニックな解放の感覚を超えて、音楽の鎖そのものを解き放つかのように感じられる。


●作品111(第32番)
2つの楽章は互いにテーゼとアンチテーゼとして対立。
「輪廻の涅槃」(ビューロー)、「地上的なものと天上的なもの」(フィッシャー)、「抵抗と服従」(レンツ)、べートーヴェンが好んで使った男性的な原理と女性的な原理。
音楽形式からいえば、この対比は動と静。最も圧倒的な動きを持つ形式はソナタとフーガ。アレグロは、フーガの要素をふんだんに備えたソナタ形式。
変化のなかでおだやかな恒久性をあらわしているのは一連の変奏。アダージョは、変奏楽章であり、連続するリズムの収縮形を作品109の終楽章よりもさらに一貫して繰り返す。

第1楽章の最初の部分で、すぐに基本的な性格、怒れる反逆の様相が表される。同時にこのソナタ全体の主題の種子が用意されている。変ホ音、ハ音、ナチュラルのロ音という下降の動き。テンポ指定でベートーヴェンの意図。
第2楽章のセンプリーチェ・エ・カンタービレが意味するのは、素直さや単純な愛らしさではなく、複雑さを通過した簡潔さ-純化された体験。

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アラウ ~ ベートーヴェン/ピアノ・ソナタ第32番
この暑い最中になぜか聴きたくなってしまったベートーヴェンの最後のピアノ・ソナタ。
アラウのDVDのライブ映像を観てしまったのと、1年近く弾いていなかったのにまた練習し始めたので。

アラウのベートーヴェンのピアノ・ソナタの録音で多いのは、熱情、ワルトシュタインと第32番。
この第32番は、ピアノ・ソナタと名のつく曲のなかでも、第31番と並んで(たぶんそれ以上)好きな曲なので、興味を魅かれるピアニストがこの第32番を録音していれば、必ず聴いておく曲。

この第32番この曲を初めて聴いたのはアラウの新盤。
これにはかなり感動して、最後のソナタがかなり気に入ったので、それからいろんなピアニストの録音を聴いてきたけれど、この曲は最初から最後までぴったりとくる録音を見つけるのがなかなか難しい。

アラウの録音を別にすれば、結局一番好きなのは、(ほとんど誰も聴いたことがないと思う)カッチェンの68年録音。緩急・静動のコントラストを基調にして、特に第2楽章は弱音でゆったりと弾くところが印象的。この瞑想的な弱音と終盤の盛り上がりが素晴らしくて、これはアラウの録音と共にマイベスト。
それに、最近みつけたノルウェーの若手ピアニストのアスポースの最後のソナタも多彩な響きと叙情感がとても綺麗で、これはカッチェンの次に好みにぴったり。

このところ全然聴いていなかったアラウの新盤を旧盤と一緒にもう一度聴いてみると、昔聴いたはずの新盤の32番ソナタがとても不思議な世界に思える。
ゆったりとしたテンポで、起伏も穏やかで緩々とはしているけれど、透明感のある軽やかな響き、しっとりした叙情感、透き通ったような明るさと静けさで覆われていて、この晩年(82歳)のアラウでしか弾けない世界。

旧盤と新盤とでは、基本的な演奏解釈は大きくは変わっていないように思うけれど、年齢による打鍵時のタッチの違いが大きいので音の重み・力感、音色、響きがかなり違うし、強弱・緩急のコントラストや音楽の流れの違いもあって、演奏から受ける印象はかなり違う。

アラウは、1970年にも32番ソナタをフランス放送局レーベル(INA)向けに録音している。
これを聴くと、旧盤よりも全体的に緩急・静動のコントラストが強く、集中力と緊迫感に加えて、強い意志を感じさせる。
1970年というとまだアラウが67歳なので技巧的な衰えは見られないので、演奏自体は旧盤と同じく、というかそれ以上に力強さと自信を感じさせるほどに安定している。
INA盤は放送用録音なので、一種のライブ録音的なところがあるせいか、アラウの演奏には強い集中力とテンションの高さが感じられるし、タッチや表情もはっきりと映っているので演奏する姿を見てもそれがわかる。
第1楽章と第2楽章を通しで聴くなら、音質はスタジオ録音ほどに良くはないけれど緊迫感が強く臨場感もあるせいか、INA盤を聴くことが多くなってしまった。やっぱり演奏している姿を間近に見れるというのは嬉しい。

85年録音の新盤とではどう違うのかといわれると、82歳で録音した新盤は別世界のような音楽。
1970年までの録音はその当時のアラウの到達点だったとしても一つの通過点でもあったけれど、晩年の新盤の録音は最後の到達点。過去の録音を聴いたせいか、この世界の不思議さがわかってきたような気がする。


<旧盤とINA盤>
第1楽章 Maestoso - Allegro Con Brio Ed Appassionato
第1楽章の冒頭は、旧盤がやや緩い感じのリズムと打鍵なので、鋭さがもう一つ。70年INA盤ではずっと力強く重々しいタッチに変わっている。
全体的に、旧盤よりもINA盤の方が、強弱と緩急のコントラストが強く、場面が転換していく流れがスムース。特にクレッシェンド部分の急迫感が強い。確固とした強い意志が流れているような力強さが印象的。
やっぱり、ずっと若いカッチェンやアスポースの演奏とは違った緊張感と重厚さがあるのがアラウの貫禄。
第1楽章は、旧盤よりもINA盤の演奏の方がより曲想に合っていると思う。


第2楽章 Arietta(Adagio Molto Semlice E Cantabile)
線が太めの暖かみのある明るい音色で、全体的に陰影がやや薄い。
逆に、調和や安定、幸福感と穏やかな自信に満ちているとてもポジティブな雰囲気。聴いていてもとても幸せな気分になってくる。
演奏時間は19分半くらいで新盤とはあまり変わらないのに、旧盤の方が新盤よりは時間の流れが速い感じがするし、旋律が自然と歌いだすような穏やかな躍動感があって、明るい雰囲気。

旧盤とINA盤で大きな違いはないけれど、INA盤の方が起伏がやや大きくアクティブ。
特に終盤はsfがよく効いてクライマックス部分は明確にわかるように盛り上がっていくし、全体的にポジティブで揺らぎのない自信に満ちた感じ。

主題は、ゆったりとしたテンポでじっくりと静かに弾いているけれど、太めの響きと明るめ色調で、安らかな心情が伝わってくるように穏やかなトーン。

第1変奏はより明るくなり、旋律は伸びやかにゆったりと歌っている。
第2変奏はとても軽やかで、ここも歌うような旋律が明るく開放的な雰囲気。
第1・第2変奏の短調部分も、少し静かな弱音になるが、それほど陰影が濃くなくさらりとした表現。

第3変奏はとてもリズミカル。打鍵も一音一音明瞭で、線の太い音が力強く低音もよく響いて、左右の符点のリズム(なぜかこのリズムが緩めになっている演奏が時々聴くことがある)がどのテンポでもシャープでsfもよく効いている。
自信に満ちたように明るい輝きと躍動感があって、とても爽やか。

第4変奏以降もテンポ自体は上げずに、細かなパッセージまで丁寧に弾いているので、いろんな音がくっきりと浮かび上がり、まるでゆったりと歌っているように聴こえる。
高音部のオスティナートも強めの弱音でクリアな響きで明るめ。
98小節の中央右側の三連符は、左手をリタルダンドしsfのように強いアクセントをしているのはアラウ独特。これはどの録音でも同じ弾き方。

第5変奏は、テンポが細かく揺らして緩急の変化をつけ、波のうねりのようになだらかに感情の昂ぶりが寄せては退いていくようなイメージ。
旧盤は、sfの手前でリタルダンドしたり、変奏終盤はパッセージによってアッチェレランドしたり(かなり急加速気味)と、強弱の変化に合わせて、緩急の変化をかなり細かくつけている。流れがスムーズでない感じがするのと、小さなピークが連続してくるので、どこが最大のピークなのかがわかりにくい。
INA盤になると、あまり細かな起伏をつけずに大きな流れのなかで、sfとクレッシェンドを明瞭につけているので、盛り上がり方がスムーズでクライマックス部分も明確。

トリラーが続くフィナーレは、やや強めのしっかりした響きで音色も明るく、調和した幸福な世界にいるような安定感。
このトリルの強さはピアニストに違っていて、アラウ(とカッチェン)は右手と左手の旋律よりもトリルはやや弱め。
バックハウスやミケランジェリはトリルがかなり強めで、ちょっと私には耳に強く響き過ぎる。


<新盤>
第1楽章 Maestoso - Allegro Con Brio Ed Appassionato
全体的に力感が弱く、打鍵も浅めで軽やかなタッチ。音色は明るく、透明感のある響きが美しい。
テクニカルな問題から、高速で細かいパッセージ部分のフォルテが弱いし、強弱のコントラストもやや緩く、緩急の変化も強くないので、起伏が緩やかに感じる。
旧盤・INA盤のような、強い緊迫感はき拍で、軽くて透きとおった音質のせいか、どこかした突き抜けたような明るさを感じてしまう。

第2楽章 Arietta(Adagio Molto Semlice E Cantabile)
旧盤よりも線がやや細く透明感のある音が美しく、静けさとしっとりした叙情感がとても美しい第2楽章。
31番ソナタを聴いた時と同じように、やや軽いタッチの高音の透き通った響きと、ピュアな何かを感じさせる不思議な雰囲気が魅力的。
旧盤と同じくゆったりとしたテンポで起伏はさらにゆるやか。旧盤よりも表現はさっぱり。でもなぜか深い叙情感を感じてしまう。
透き通るように美しい響きの弱音は、達観したというか、余計な力が入っていない自然体のような感じ。
ポツポツとした軽めのタッチなので、旧盤よりも力感が弱いけれど、軽やかで澄んだ響きがとても美しい。

ゆったりとしたテンポの主題は、旧盤よりも静寂でやや内省的な雰囲気。
凪のような穏やかさで、静かに淡々と、心の中で呟くような雰囲気。
澄んだ明るさがあり、短調の旋律はさっぱりとした哀感がある。

あまりテンポを上げない第1変奏は、音色に暖かさがあって、静かで落ち着いた語り口だけれど、明るく爽やか。
第2変奏も、静かに口ずさむように歌っているけれど、どこか楽しそうに聴こえる。鐘がエコーするような音も聴こえてきて、柔らかい響きが心地よい感じ。

第3変奏は、テクニカルには厳しいものがあるけれど、旧盤よりもさらに軽やかなタッチで明るい。
澄み切った秋空に高く舞い上がってしまいそうなくらい。sfがとてもシャープ。
複数の声部がクリアに聴こえて一斉に歌っているような気もしてくる。
この突き抜けたような明るさと(異様なくらいの)軽やかさは一体何なのだろう。

第4変奏もテンポは変わらずゆったり。
響きには柔らかさがあるけれど、普通な篭もりがちな低音までわりとよく聴こえる。
特に高音の響きがとても美しく、左手のオスティナートの伴奏が入る部分は、静けさと明るさのある高音が澄み切って、幻想的なくらいに美しい。
終盤にでてくるアルペジオもクレッシェンドをつけて、ふんわりと柔らかい響きが大きな波のうねりのよう。

第5変奏はややテンポは上がるけれど、旧盤のような小刻みなテンポの伸縮はなく、多少ルパートをかけているところはあっても、テンポはかなり安定している。
変奏終盤のアッチェレランドも控えめな加速。この部分の弾き方は、悠々とした新盤の方が好きだしとても良い感じ。
フォルテの音量は大きくても力感が弱く聴こえるし、起伏もとても緩やかなせいか、旋律の流れがとても流麗で、じわじわと感情的な高まりが押し寄せてくるような感覚。
柔らかい響きには明るさと暖かさがあり、とてもポジティブな雰囲気。

フィナーレにも軽やかな明るさがあり、透明感のある高音の響きがとても綺麗。
全てが昇華されたような静けさと清らかさ、それに、安らぎに満ちたような暖かさのあるフィナーレ。

新盤は音自体に惹きつけるような力があり、静かに歌うような旋律と清々しい透明感が美しく、やや水気を含んだようなしっとりとした叙情感が流れていて、とても魅力的。
新盤の澄んだ響きと深みのある叙情に浸りながら聴いていると、とても心地良くて、心を落ち着かせるものがある。
これは晩年のアラウでしか生み出せなかった世界。聴けば聴くほどのこの世界に惹きこまれてしまう。

                                 

旧録音のピアノ・ソナタ全集とピアノ協奏曲全集(1964年ハイティンク指揮コンセルトヘボウ管)、ディアベリ変奏曲(1985年)、変奏曲数曲などを収録したBOX全集(1998年リリース、廃盤)。
同じく廃盤になっているけれど、ピアノ・ソナタだけを収録したBOXセット(2002年リリースのイタリア盤)もある。
Complete Piano Sonatas & ConcertosComplete Piano Sonatas & Concertos
(1999/11/09)
Claudio Arrau

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ピアノ・ソナタ第32番は1970年の録音。フランス放送局用録音(INA)が音源。
カップリングのシューマンのピアノ協奏曲(1963年BBC放送用録音)も、どこか緩々して穏やかなスタジオ録音とは違って、テンションが高くロマンティシズムも濃厚。
《謝肉祭》も含めて、全編モノクロだけど、3曲約1時間半の充実した内容のDVD。それに、なぜかamazonで異常に安い価格で販売されていたので(今だけ?)、コストパフォーマンスがすこぶる良い。
アラウ &ソロモン (EMIクラシック・アーカイヴ) [DVD]アラウ&ソロモン (EMIクラシック・アーカイヴ) [DVD]
(2005/09/14)
クラウディオ・アラウ、ソロモン

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動画(Youtube)


新盤のBOX全集(廃盤)。再録できなかった月光ソナタとハンマークラヴィーアは旧録音の音源。アンダンテ・フィヴォリと自作主題による変奏曲も収録。ボーナスCDは1953年のディアベリ変奏曲。(ディアベリは1985年に再録している)
Beethoven: Piano SonatasBeethoven: Piano Sonatas
(2006/06/27)
Claudio Arrau

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あんずボー
近所にあるイオンショッピングセンターにあるカルディ・コーヒーファームは、世界の輸入食材に加えて、ちょっと珍しい和菓子を置いていて、よく立ち寄るお気に入りのお店。

夏になってから、「あんずボー」というお菓子が棚に並んでいる。
これは生まれて初めて見たお菓子。
凍らせて食べるようにとパッケージに書いているので、子供の頃によく食べていた「チューチュー」(という名前だったような)の杏ジュース版みたいなもの?

「チューチュー」というのは、細長い棒状のビニールパックにつめたジュースで、これを冷凍庫で凍らせてから、溶けてくるジュースをチューチューと吸うのです。ホントに子供の頃はよく食べ(飲み)ました。

「あんずボー」のメーカーはミナツネ社。
調べてみると、”ミナツネのあんずボー”は関東では有名で定番の駄菓子らしく、関東で育った人は良く知っているらしい。
関西ではなぜか全然流行らなかったというので、今でも関西の普通のスーパーとかで見かけることはまずないはず。
この「あんずボー」が珍しくて、どんな味がするのか食べてみたくなって、早速1パック(5本入り100円)を買ってフリージング。

翌日冷凍庫から出してみると、ジュースを凍らせたものとは違って、ガチガチに凍ってはいなくて、柔らかくてすぐに食べられる。
甘くてちょっとだけ酸っぱい杏の味が美味しくて素朴な味。とっても気に入ったので、またカルディに行って買い置きしておかないと。

今年の夏は、定番のバナナアイスと手作りのわらびもち・豆乳もち・豆乳プリン・チョコプリン・ういろう・ところてん・フルーツ紅茶ゼリーにコーヒーゼリー、etc.という例年のメニューに、お豆腐アイス(チョコ、きなこ、バナナ味)とあんずボーも加わって、手間のかからないデザートメニューがかなり増えました。
リスト=ヴェイネル編曲/ピアノ・ソナタロ短調(管弦楽曲版)
編曲ものは好みが分かれるらしいけれど、このジャンルはかなり好きなので、いろんな編曲パターンで聴いている。

バッハの場合は編曲パターンが多種多様なので別にして、一番聴くことが多いパターンは、管弦楽⇒ピアノソロ
一番良く聴いたのは、リスト編曲のベートーヴェンの交響曲全集。これは、リストの編曲もシチェルバコフの演奏も両方とも素晴らしい録音。
他には、ストラヴィンスキーのペトリューシュカ、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番(アルカン編曲)、バレエ音楽のピアノ組曲盤とか、作曲者自らの編曲かそうでないかに関らず、すぐに思い浮かぶくらいにかなり多い。

管弦楽⇒2台のピアノ/連弾なら、ブラームス自ら編曲した交響曲全集
ブラームスは自作の編曲が多くて、ハンガリー舞曲の場合は連弾⇒ピアノソロや管弦楽へ、弦楽六重奏曲第1番第2楽章(映画「恋人たち」に使われていたので有名な旋律)はピアノソロへ編曲。

室内楽⇒管弦楽なら、ブラームスのピアノ四重奏曲第1番(シェーンベルク編曲)。

器楽⇒ピアノソロなら、すぐに思い浮かぶのは、ブゾーニ編曲版バッハのシャコンヌ

そもそもピアノ独奏版への編曲ものは、パターンがいろいろあって、膨大。
リスト、ブゾーニを初めとした編曲得意な作曲者や、それ以外にも編曲を手がける作曲者が多いので、作品数も多くて、聴く曲を選ぶのに苦労する。

逆に、ピアノ独奏曲を管弦楽版に編曲した曲というのは、あまり聴いていない。
ラヴェルの《亡き王女のためのパヴァーヌ》など、小品をオーケストレーションした曲はいろいろあるだろうけれど、そういうのはさほど興味をひかないので。

たまたま見つけたのが、ハンガリーの作曲家レオ・ヴェイネル(1885-1960)が編曲したリストの《ピアノ・ソナタロ短調》の管弦楽曲版。
小品ではなく、こういう規模が大きく構造がしっかりしたピアノ・ソナタの編曲ものはほとんどないのではないかと思うので、これはかなり興味を魅かれる編曲もの。

この編曲版の録音は、今まではCAvi-musicというレーベルのライブ録音しかなかったらしい。これは、ニコラス・パスケ指揮ワイマール・フランツ・リスト音楽大学オーケストラが、2006年の第3回リスト・フェスティヴァルで演奏したライブ録音で、世界初録音。
Hungarotonから5月にスタジオ録音がリリースされ、これはコヴァーチュ指揮北ハンガリー響。

リスト:ピアノ・ソナタ(管弦楽版)、ヴェイネル:管弦楽曲集ピアノ・ソナタ(管弦楽版)、ヴェイネル:管弦楽曲集
(2000/03/01)
コヴァーチ&ミシュコルツ北部ハンガリー交響楽団

試聴する(NAXOS)


リストのピアノソロ曲のなかでは、ロ短調ソナタはわりと好きなので、管弦楽曲版で聴いてもこれはこれで楽しい。

オケだと楽器の音がカラフルで、弦楽器や管楽器の音が丸みと滑らかさがあるので、とても華麗。叙情的な主題は音色の違う楽器が、入れ代わり立ち代り弾いているので、表現は多彩。
原曲の複数の旋律をいろんな楽器パートに振り分けているので、ピアノだと埋もれがちな音や旋律まで、立体的に聴こえるのが良いところ。

気になるところは、管楽器の反応がやや鈍くて、拍子が若干ずれる感覚がする。
普通に交響曲を聴いているとそういうところは気にならないけれど、この編曲版の場合は、ピアノの演奏が記憶にしっかりインプットされているので、カッチリと縦の線が揃っていかないと結構気にはなる。
それに、管楽器のパートは音がややスカスカして、ピアノの低音の太くて硬く重厚な響きの方が良いと思うけれど、もともとピアノの音が好きなので、好みの問題のような気もする。

原曲のピアノ独奏の方が良いと思うところは、ピアノの音が硬くて圧力も強く、打鍵の反応が早くてスピード感が出るので、この曲のオドロオドロしさや急迫感が伝わりやすい。
特に、明暗のコントラストはピアノの方が鮮やかだし、強弱を変えたときの力感の違いが良くわかる。
神々しく明るい第4主題は、オケの弦楽主体の演奏よりも、ピアノで弾いた方がずっときらきらとした輝きがあって、華やかだし、和音がとても力強い。
ピアノはオケほどの色彩感は出せないけれど、ピアノの響きには透明感があって、弱音の微妙なニュアンスがよく伝わる。

管弦楽版を聴いていると、普通はピアノソロの方が色彩感や響きの厚みが不足するように思えるのに、なぜかこのロ短調ソナタは、オーケストラの演奏と比べても遜色ない(時にはオケ以上)ように感じるところがあるのがちょっと不思議。
これは演奏や編曲の問題というよりも、そもそもピアノソロの原曲自体が、オーケストラから移植したと言っても不思議でないほどにピアニスティックだから、そういう感じるに違いない。

tag : フランツ・リスト

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アラウ ~ リスト/エステ荘の噴水 <巡礼の年 第3年>より
こう毎日暑いと、聴きたくなる曲もだんだん偏ってきて、数十分もかかるヘビーなコンチェルトや構成がかっちりしているピアノ・ソナタを聴くのを避けて、5~10分くらいの小品が多くなる。

特に、夏になると聴く回数が極端に減るのはブラームス。ブラームスは秋や冬になると無性に聴きたくなる。
ベートーヴェンとバッハは四季を通じてそれほど変わらない。
最近聴くことが増えたリストの曲は、聴いていて暑苦しい曲とそうでない曲とが(私には)はっきり分かれる。
音が膨大に多い超絶技巧華やかなピアニスティックな曲ではなくて、《巡礼の年》でも音の並びがシンプルな曲や晩年の宗教的な色彩の濃い曲は、すっきりとした響きと旋律の美しさがとても清々しく、夏に聴いても涼しい感じ。

イメージからいっても涼しげなのは、《巡礼の年第3年》の<エステ荘の噴水>。
<エステ荘の噴水>の作品解説では、たいてい後年の印象主義音楽(ラヴェルの『水の戯れ』やドビュッシーの『水に映る影』など)を先取りした、大きな影響を与えたということが書かれている。
実際に聴いても印象主義風の音楽のように聴こえるので、初めてブラインドでこの曲を聴けば、リストの作品というよりもフランスの作曲家が書いたと思ったかもしれない。

興味を魅かれるのは、ピティナの解説で、”曲の半ばには、ヨハネ福音書より引用された「わたしが与える水はその人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が湧き出る」との標題がある”と書いてあるところ。
リストが滞在していた屋敷の噴水の様子を描写した(だけ)の曲ではなくて、宗教的な隠喩が込められているのだと思って聴くと、有機的な生命力が湧き出るようなイメージがしてくる。

噴水は人工的に作り出した泉なので、そういうメタファーが成り立つのだろうし、そもそも泉の語源は”根源なるもの”なので、”若返りの泉”(Fountain of Youth)なんていう伝説まで登場する。
これは、いわゆる不老不死伝説で、その水を飲むことで誰もが若返るそうな。(この不老不死の水が湧き出る泉の話は、ずっと昔からSF小説のテーマになっていた)

                                 

超有名な曲なので録音は山ほどあるけれど、リストのCDは意図的には集めていなかったので、この曲の録音で聴いたのはベルマン、アラウ、ハフのみ。

ベルマンの<エステ荘の噴水>は、明るく優しげな音色でとても優美な雰囲気。
ベルマンの《巡礼の年》は、曲にもよるけれど、そういうタッチで弾く曲も結構多いので、強いクセがないところは聴きやすいかも。
全盛期のスケール感とダイナミズムのある演奏を期待すると、それとはかなり違っていると思うけど。

ハフの演奏は夏の噴水の如く清々しく爽やか。
シャープなタッチと速いテンポで、水滴や水流の動きが浮かんでくるように細部まで克明で精緻な響きが美しく、とても流麗。アラウほど緩急の変化や起伏は大きくはなく、穏やかな表情と弱音の静謐さが印象的。
ハフの弱音の響きには時々敬虔さを感じることもあって、ハフのリストには(曲によっては)スピリチュアルなニュアンスが強くでている気がする。

ハフの《エステ荘の噴水》も好きだけれど、ハフよりも聴くことが多いのはアラウの1969年のスタジオ録音。いくつかのCDが出ていたけれど、今は全て廃盤。
アラウの演奏は、明るく暖かみのあるまろやかな音色が美しく、淀みなく流れるハフよりもややコツコツした丸みのある響き。
ハフよりもずっとテンポの揺れが大きく、まるで語りかけるような雰囲気のするタッチなので、噴水が生き物のように擬人化されているようにも思えてくる。
温もりのある音色と相まって、生き生きとしたダイナミズムを感じるのは、リストが引用した聖書の一節につながっているからかもしれない。
アラウのリスト(だけでなくほかの曲でも)を聴いていると、音がどれだけ華やかに散りばめられていても、オーガニック(有機的な)という言葉が良く似合うといつも思う。

アラウはリスト作品のなかでもこの曲がとても気に入っていたらしく、小品のなかではバラード第2番と同じくリサイタルで度々弾いていたので、ライブ映像・録音がいくつか残っている。
ニューヨークの80歳記念リサイタルの時は、ドビュッシー《水に映る影》に続けて、この《エステ荘の噴水》を弾いていた。
この2曲を続けて聴くと、やっぱりドビュッシーは、実際の水の動きが反映されたような流麗な曲だろうけれど、ちょっとつかみどころがない感じがする。もともとドビュッシーのそういうところが好きではないので、余計にそう思うのだろうけれど。
続けて聴いたリストの<エステ荘の噴水>は、タッチがずっと明瞭になって音にもしっかりと芯があって、旋律と和声の響きの美しさに加えて、ドラマティックな盛り上がりもある。
《水に映る影》と比べれば、やっぱりロマン派の曲だと感じるものがあって、これはなぜか聴き飽きない。

アラウ/エステ荘の噴水

ボストンでのリサイタル映像。80歳のリサイタルの時よりは若々しく見えるので、70歳代の頃の演奏?

tag : アラウ フランツ・リスト スティーヴン・ハフ

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乳製品&卵を使わない手作りアイス
アイスバナナ
手作りアイスといえば、一番簡単なのがアイスバナナ。
バナナの皮をむいて、何等分かに切り分けて、サランラップでくるんでから冷凍庫で凍らせるだけ。
硬いシャーベット状の食感なので、冷凍庫から出してすぐに食べられるという手軽さで、数本常備している夏の必需品。
桃を同じように冷やすとシャーベット風になるらしいけれど、桃はそのまま食べた方がジューシーで美味しいので、まだ試したことはありません。


大豆アイス
茹でた大豆を凍らせるだけで、大豆アイスの出来上がり。
固めの食感とお豆の味がして、意外と美味しい。砂糖などの甘味は一切入れていないので、ヘルシー。
お豆腐でアイスが作れるのだから、大豆のアイスでもなかなかオツな味がする。でも、大豆大好きな人にだけお勧め。
冷やしすぎるとかなり固くなるので、室温で少し解凍した方が食べやすい。


アイスクリームメーカーなる便利な調理器具もあって、最近はこってりアイスも簡単に手作りできる。
手作りするなら、生クリームや卵黄を使わない低カロリーで簡単なレシピにしたいので、それならお豆腐や豆乳を使うのが一番。
お豆腐アイスなら、アイスクリームメーカーがなくても、ミキサーかハンドミキサーがあれば、作れるのも良いところ。


豆腐アイス [クックパッド]
お豆腐(絹こしの方がクリーミー)、ココア、蜂蜜だけのシンプルな材料。
これがお豆腐!?と思えるくらいに結構感動してしまう美味しさ。このところ一番気に入っている手作りデザート。冷凍中に2回ほど攪拌するとより滑らかな食感に。
冷凍したらシャリシャリして結構固めのシャーベット状。この食感が好きなので、水分を残すためにお豆腐は水切りせずに使っている。
豆腐特有の風味を消すのはココアが一番だし、甘くて美味。きなこや抹茶を入れても美味しいらしい。コーヒーも味と香りが強いので良いかも。
他のレシピだと、練りゴマ、ピーナッツバター、バナナ、etc.とかを混ぜ込むレシピがあって、かなり応用が効く。

水気が少なくて、コクのある味だったのが、豆腐&バナナ。
しっかり水切りした木綿豆腐150gにバナナ小1本くらい。絹ごしより木綿豆腐を使ったほうが味が濃くて美味しい。
砂糖なしでも、バナナは完熟したものを使うと、砂糖なしでもしつこくない甘さでさっぱり。
バリエーション豊富で、分量を適当にしても食べられないことはなさそう(たぶん)。
こういう大ざっぱに作れるところも、お豆腐アイスの良いところ。

材料2つ♬ 特濃ミルクジェラート♪[クックパッド]
これも牛乳+砂糖だけでとっても簡単。生の牛乳ではなく、豆乳で作れば乳製品抜きになる。


豆腐バナナシナモン☆卵・乳製品なしアイスクリーム [ゆる~くベジ☆まじにベジ☆クッキング]
濃厚な味にするなら、豆乳ホイップを使う方法もあり。
合成添加物がかなり入っているので私は使わないけれど、それが気にならないなら、豆乳だけよりもずっと美味しいそう。


✿和味醤油香る~濃厚あずきバー風アイス✿

市販アイスの中で一番好きなのが、井村屋の「あずきバー」。
材料は、ゆで小豆、砂糖、水、コーンスターチ、塩とシンプルで低脂肪。
これなら、自家製「あずきバー」風アイスが簡単に作れる。
このレシピの特徴は、お醤油を入れるところ。コクが出てシャンとした味になるので、醤油を入れた方が美味しい。



ついでに、アイスクリームではなくて、冷たいデザートも、お豆腐と豆乳を使えば簡単。

とろーり☆豆乳もち [クックパッド]
わらび餅と違って、冷蔵庫で冷やしてもOK。
片栗粉の代わりに、アガー(豆乳重量の2%前後)を使うと、豆乳プリン風。
かぼちゃやココアを混ぜたり、普通のプリンのように卵で固めたりと、ヴァリエーション豊富。

お豆腐とヨーグルトで☆レアチーズケーキ?[クックパッド]
クリームチーズの代用の定番は、ヨーグルト。
ヨーグルトを水切りして使えば、クリームチーズ風味。トーストに塗ってもOK、卵を加えて焼くとチーズケーキ風で美味しい。

スティーヴン・ハフ ~ リスト/小鳥に説教するアッシジの聖フランチェスコ
毎日暑いうえに、ベランダのどこかでセミが大声で鳴いていて(探しても姿が見えない...)、これがこの暑苦しさに拍車を掛けている。
セミの鳴き声は暑苦しいけれど、ハフのリスト作品集に入っている<小鳥に説教するアッシジの聖フランチェスコ>で小鳥が可愛らしくさえずっているようなピアノの音は、わりと涼しげに聴こえる。

この曲、リストが僧侶になった晩年に書いた《伝説》にある2曲中の第1曲。
仏教徒なのでキリスト教の聖人のことは名前くらいしか知らないけれど、ず~っと昔ミッキー・ロークが聖フランチェスコの映画を作って主演してましたね。ほとんど覚えていないけれど、彼にしてはとても真面目な映画だったような...。

聖フランチェスコの伝説のなかに、”彼の説教には小鳥達も聞き入った”という話があるそうで、この場面を描いたジョット作のフレスコ画「小鳥に説教する聖フランチェスコ」がサン・フランチェスコ大聖堂にあるので有名。

リストの<小鳥に説教するアッシジの聖フランチェスコ>は、聴けばすぐにわかるほどに、とっても視覚喚起力のある曲。
冒頭1/3くらいは、小鳥のさえずりの描写。両手に現れるアルペジオ、トリル、トレモロ、さらに持続音でつながる旋律がとても綺麗な響き。(ここでは聖フランチェスコが説教している様子はあまりないように思うけれど)
それから主旋律が左手低音部に現れて、聖フランチェスコが穏やかに説教し始める。
冒頭からピーチクパーチクと鳴き続けて煩かった小鳥たちのトレモロやトリルが断続的になっていって、徐々に静かになっていく。
やがて、聖フランチェスコが説教している左手弱音の主旋律と、小鳥達のさえずりのトリル・トレモロが対話するように、交代で演奏されるようになって、旋律も和声も清々しく神々しい輝きを増していき、とうとうフォルテで力強く両者が合唱していく。
最後は再び静かになり、主旋律とトレモロ・トリルが対話するように交互に歌って、両方の旋律がポロロンと優しく鳴ってエンディング。

小鳥に説教するアッシジの聖フランチェスコ(楽譜ダウンロード)[IMSLP]

この曲の録音はかなり多く、名の知れたピアニストなら、ブレンデル、シフラ、ハワード(全集なので当然録音している)、ケンプ、ハフ、ヴォロドスなど。
ハフの演奏は比較するまでもなく、それ自体として素晴らしく良い(と思う)ので、あまり聴き比べする気が起こらない。(ブレンデルとケンプの演奏は聴いてみたいと思うけれど)
ハフは19歳でローマ・カトリックに改宗し、宗教関係の著作もいくつか書いているせいか(ハフのホームページにも載っている)、ハフのリスト作品集には宗教的な曲が結構入っている。

ハフが弾いている左手側の主旋律(聖フランチェスコが説教している様子に違いない)は、とても静かで穏やか。瞑想的な雰囲気も漂っていて、本当に小鳥たちに教え諭すように静かに語りかけているシーンが思い浮かんでくる。
その主旋律と対話するように入ってくる小鳥たちのトレモロやトリルは、初めの明るく楽しげな様子とは打って変わって、とても神妙な雰囲気。まるでフレスコ画に描かれている説教に聞き入る小鳥達の姿が目に見えるよう。
ハフの弱音域の階層はかなり多くて、シャープな線で透明感のある弱音がとても清々しく清楚な雰囲気があるし、ニュアンスも多彩。トレモロ・トリルに加えて旋律が複数交錯するところでも、立体感・色彩感も豊かで、コッテリと濃い色彩の油絵ではなくて、淡い色彩の水彩画のような美しさがある。
主旋律の瞑想的な弱音の静けさや、それがクレッシェンドして力強く神々しく輝くところは、快活なシフラや明るい色調のハワードの録音よりも、はるかに敬虔さを感じさせるものがある。
ハフの演奏を聴くと、この曲に込められている(と思う)晩年のリストが抱いた聖フランチェスコへの畏敬の念がくっきりと浮かび上がってくるような気がしてくる。

Liszt:Piano WorksLiszt:Piano Works
(1998/01/01)
Stephen Hough

試聴する(英amazon)[track5]



ハフのライブ映像はないけれど、膨大なリストのピアノ作品全集を録音しているレスリー・ハワードの演奏があったので。超絶技巧で派手で俗っぽいというイメージのリストとは全然違った曲なのがよくわかります。
《伝説》第1曲<小鳥に説教するアッシジの聖フランチェスコ>



《伝説》第2曲<水の上を歩くパラオの聖フランチェスコ>。
こっちは第1曲ほどには演奏されていないけれど、聴いてみるとそれも納得。
やっぱり第1曲の方が響きが綺麗だし、描写的で面白い。これもハワードの演奏で。

tag : フランツ・リスト スティーヴン・ハフ

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ブレンデル ~ リスト/ロ短調ソナタ [1981年録音と作品解説]
ブレンデルとアラウは、師の流れをたどると、クラウゼの門下に連なっている。
リストの高弟マルティン・クラウゼの弟子でピアニストとして大成したのは、エドウィン・フィッシャーとアラウ。そのエドウィン・フィッシャーがブレンデルの師。

ブレンデルもアラウもリストは得意としていたけれど、その演奏の印象はかなり違っている。リストのロ短調ソナタを聴くとその違いがよくわかる。
アラウはドイツ的重厚さと濃いロマンティシズムを感じさせるけれど、ブレンデルは冷静にコントロールされ精緻に分析されたような構成感がある。
アラウのリストは、感情的にシンクロできるので音楽に浸れるけれど、ブレンデルのリストは理性的に音楽を理解して楽しむタイプだと感じる。水と油のようなアプローチの違いがあるように思えるけれど、なぜかどちらもしっくりと馴染めてしまう。

ブレンデルのロ短調ソナタの録音は、ライブ録音を含めて数種類。(ブレンデルはこの曲に限らず、再録しているものが多い)
なかでも一番聴かれていると思うのは、1981年のスタジオ録音(Philips盤)。

Liszt: Piano Sonata/LegendesLiszt: Piano Sonata/Legendes
(2005/07/11)
Alfred Brendel

試聴する(英amazon)
(原盤、この再リリース盤とも廃盤らしい)

ブレンデルのロ短調ソナタは、品の良い煌きと透明感のある響きが美しく、流れは流麗。
ツィメルマンの明るく輝くような華やかな音色とピアニスティックな演奏(私にはショパンを聴いている気が時々する)とは全然違って、技巧的な華やかさを抑制しているので派手さはないけれど、すっきりとしたフォルムと、清楚な輝きのある音の美しさがとても魅力的。
ブレンデルのロ短調ソナタは一度聴くとすっかり好きになってしまった。

ブレンデルの低音は、弾力と力感があって力強いしフォルテも鋭く響くけれど、全体的にタッチが軽やかなので、アラウのような重厚さは薄い。
叙情表現も繊細ではあるけれど、アラウのようにルバートも強くはかけていないし、起伏もやや緩やかなので、さっぱりとした叙情感。
クレッシェンドの急迫感が緩くて徐々に盛り上がるタッチが多く、勢いや疾走感は強くはないので、冷静にテンポがコントロールされたような印象。
全体的にテンポはそれほど速くはないので、ややスローモーション的に両手両方の旋律がはっきりと聴こえてくるところが面白い。構成感を強く感じるのは、そういう旋律の動きがくっきりと浮かび上がってくるせいかもしれない。
タッチとペダリングが工夫されているせいか、響きのヴァリエーションが多彩で、ちょっと変わった響きの重なりに聴こえる時もあったりする。

叙情的な第3主題・第5主題や、その他の弱音の緩徐部分は、透明感のある響きが甘美で、フレージングはとても流麗。
繊細で優美な叙情感が美しいけれど、どこかしらガラスのような冷えた感触があって、感情的にシンクロできないものを感じる(それが悪いというわけでは全然なくて)。

フーガ部分は、弱音主体でタッチをいろいろ変えていて、かなり丁寧に弾いている。(ここはわりとあっさり一気に弾いていく録音が多いので)。
アラウの密やかなフーガも好きだけれど、ブレンデルのフーガはちょっとシニカルというか、メフィストフェレスとファウストが駆け引きしているようなイメージを連想してしまうので、こういうフーガはかなり好き。

ブレンデルのロ短調ソナタは、ピアニスティックな華やかさがあるわけでもなく、感情的な面を強く歌うロマンティックなタイプでもないので、かなり冷静で抑制的に聴こえるところはある。
逆に、旋律の動きや微妙なニュアンスなど細部はくっきりと明瞭に聴こえてくるし、音は美しく多彩で優美な叙情感もあるので、知的で美的な演奏とでも言えば良いのだろうか。

                              

ブレンデル著『音楽のなかの言葉』より ~ リスト/ロ短調ソナタ

ブレンデルの著書『音楽のなかの言葉』ベートーヴェン、シューベルトと並んで、重点的に取り上げられているのが、リスト。
ブレンデルは通俗的なリストの人物像や音楽論に対しては否定的で、「高潔なリスト」「リストの悲しみ」の2章で、ブレンデルが思うところのリスト論を書いている。
さらに個々の作品論として、「リストの《巡礼の年》第1年・第2年」と「リストのロ短調ソナタ」の2章があてられている。

ブレンデルは、リストの”高潔なる本質”を抽出することがリスト奏者には必要であり、そのための作品として”独自性と完成度の高さ、豊かさと抑制、威厳と情熱を同時にそなえた作品”をいくつか選んでいる。
ピアノ・ソナタロ短調、《巡礼の年》、《泣き、嘆き、悲しみ、おののき》の変奏曲、《モショニーの葬送》のような後期の作品、練習曲集から何曲か。
特に、ロ短調ソナタと《巡礼の年》はリストの最高傑作と言っている。

音楽のなかの言葉音楽のなかの言葉
(1992/03)
アルフレート ブレンデル

商品詳細を見る
日本語版はどうも絶版らしい。表紙の画像はハードカバーのものを使用。

ロ短調ソナタは、1楽章形式だけあって主題の展開がいろいろ目まぐるしくて、構成がわかりにくい。
楽譜とブレンデルの解説を照らし合わせてきけば、聴くときのポイントがよくわかって、曲の途中で迷子にならなくてすむ。
《リスト/ピアノ・ソナタロ短調 S.178》の楽譜(IMSLP)


ブレンデルによれば、リストの作品のなかで異彩を放つことで知られているロ短調ソナタは、べートーヴェンとシューベルトのソナタに次いで、最も独創的で力強く知性に溢れたソナタであり、大規模な構成を完全に制御しきった規範というべき作品。リストの作品としては珍しく熟慮と白熱とが溶け合っている。さらに驚くべきは、半時間におよぶ1楽章形式のソナタという極めて難しい形式をとりながら、成功していること。

ブレンデルの区分では、主題は6つ。主題の一つ一つがどれをとっても失望を与えない。
最初の3つの主題が交互に提示される。

第1主題(レント、ソット・ヴォーチェ、ほぼト短調、1~7小節)
第1主題は、音と沈黙を結びつける。音楽的には、主題は言葉や歌ではなく思考を表している。
この冒頭の反復音は、作品全体にとって重要な動機を構成している。(どの主題も反復音から出発し、導かれる)。そのほかの重要な動機は7度と2度の音程、そして冒頭のリズム。

第2主題(アレグロ・エネルジコ、ロ短調、8-13小節)
一人の役者が舞台へと登場する。その態度には挑戦と絶望と軽蔑が入り混じっている。ファウストになぞらえることができるだろうか。10小節目で怒れるオクターブの三連音が現れて、やっと主調をロ短調を認識することになる。

第3主題(マルカート、14-18小節)
ファウストの問いかけと、主題独自の問いかけが対立する。堕落を先導する性格はメフィストフェレス的。ファウストとメフィストフェレスは15小節前後で重なりあう。交響的主要動機とも呼べるもの。

第4主題(グランディオーソ、ニ長調、105-113小節)
リズムと旋律の内容を第1主題から借りている。この主題に先行して、一時的転調を行うペダル音が作品の提示するものを何でもつかみとろうとするかのようだ。グランディオーソ(堂々と)という言葉は、全能の神の確信を伝える主題にはまさに相応しい。

第5主題(カンタンド・エスプレッシーヴォ、二長調、153-170小節)
第3主題の叙情的な変化形として始める。メフィストはグレートヒェンの幻に姿を変えている。9小節後にはファウストはグレートヒェンの虜になっている。主題の最初の8小節の低声部は、明らかに第1主題(7度の下行する音階)にもとづいている。

第6主題(アンダンテ・ソステヌート、嬰ヘ長調、331-346小節)
独立しているようにみえるが、先行主題との関りがある。最初の部分にはグランディオーソ主題のクライマックスのパラフレーズがあり、はるかにかすむ彼方へと光を投げかける。あとには第1主題が上行する長調の7度音程に美しく飾られて登場する。

緊張の広大な領域のなかで、動機素材に一貫性を与えることは少なからず重要。私(ブレンデル)は性格や雰囲気は変化させながら主題の一つ一つを明確化していくという、リストに典型的な主題の変容のことを示唆しているのではなく、この作品でリストはベートーヴェンのもっとも微妙な技法を応用している。動機の共通部分を通してあらゆる主題と楽章を相互に連関させる。

終結部でフォルティッシモを鳴り響かせることを避けたリストは、その代わりに書いた7小節で、このソナタにに計り知れない豊かさを与えた。
賢明なる演奏者は、この作品を風変わりな熱に浮かされた夢のように扱ってはならない。あらゆる部分が不可欠なものとしてつながりを持たねばならない。

ロ短調を概観すると、激しく転調する提示部は、必要に応じてロ短調とニ長調に基づいていることがわかる。嬰ヘ長調のアンダンテは展開部の領域を占めている。さらにカトリック的な趣味に対応してフガート、あるいは「交響的主要動機」の再現は再現部の始まりを示している。
進行するにつれ、それまで主調で現れる機会のなかったすべての主題が主調で現れる。

(a)提示部 第1展開部。 第1擬似再現部
このソナタには多くの展開がある。
第5主題の提示部に続いて転調部が現れる。明確な形はとらず、主要展開部と間違えられやすい。それが大袈裟に第1主題へと導かれるため、277小節から再現部が始まったかと錯覚してしまう。
第2主題は再現と主調を確認するためにロ短調で現れるものと期待するが、代わりにこの主題は弱音で「間違った」調性へのヘ短調で形作られる。
じつはここは再現部ではなく、

(b)レチタティーヴォなのだ。休止符によって途切ぎられ、アクセントがつけられるこの部分は、嬰ハ短調の和音で始まる。第4主題の冒頭部が冷たく堂々と響く。提示部の推進力は停止させられる。ファウストが逆行形の自由な3つの変化形をとって現れる。リストが両手に与えたフォルテの指示はあまりに無視されることが多い。ロ音のメフィストフェレス的な長いペダルの間に、ファウストの火のような反抗が燃え尽きる。

(c)「緩徐楽章」(アンダンテ)。第2展開を伴う中間部
嬰へ短調の意外性と新しい第6主題の登場はよりよき世界の幻のようにわれわれを打つ。空気は澄んでいる。提示部の間に嬰へ長調の調性は消え去る。第5主題全体を包括する長い陶酔のあとで、実際の展開部がレチタティーヴォの雄弁な語りを引き継ぐ。そのドラマはここでは交響的な連続性へと道を開いていく。そうして到達した素晴らしいクライマックスは、中間部(第6主題)の冒頭部と主題的には同じだが、力学的には逆の方向をとる。
「永遠に女性なるもの」が全てを包み込む包容力で圧倒する。この作品の最も感動的な部分であり、演奏者にとても難しい部分でもある。勝利が突如優しさに変わる。緊張が次第に穏やかさに道をゆずる。

(d)フガート。同時に第2擬似再現部。第3展開と「スケルツォ」
ファウストとメフィストフェレスが再び登場。ソナタの冒頭部の主題群がもう一度実体を持ち、全ては再現部を指し示す。再現部は主調のロ短調ではなく、半音低く変ロ短調。この様な転移は先行する長い間固定されたままの嬰へ音と、続く再現部の安定した調性を、和声的な火花を散らす天上的なフガートは、2つの部分を引き離し、主調の登場を先へ延ばしている。

(e)再現部とエピローグ
533小節、第2主題と第3主題が融合する部分で、ロ短調の調性が現れる。
もうここから遠く離れることはない。残りの部分では光(ロ長調)と闇(ロ短調)が互いに戦い、最後は光が勝利をおさめる。再現部は提示部よりも和声が簡潔。第4・第5主題だけでなく、2つの擬似再現部も主調へと戻される。
ロ長調の支配をオクターブの旋風とヴィヴラートのついた反復和音が強調する。この外向的なクライマックスは、ソナタの中央部にある真の内的なクライマックスに遠く及ばない。
熱狂は長い沈黙のあとで突然内省へと変化する。コーダはロ長調で静かな第6主題を連れ戻す。平和が訪れる。終わりから数小節手前で、ついに主調をとって第1主題が最後に姿を見せる。最後の左手の音ですべての緊張が解かれる。

tag : フランツ・リスト ブレンデル

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スティーヴン・ハフ ~ リスト/スペイン狂詩曲
スティーヴン・ハフのVirginレーベル時代の作表作の一つが『リスト/ピアノ作品集』。
選曲がかなり個性的で、人気のある《超絶技巧練習曲》からは1曲もなく、主に《巡礼の旅》(第2年と第3年)、宗教的な色彩の濃い作品、晩年の作品からの選曲。

さすがにピアニスティックな曲として《メフィスト・ワルツ》や《スペイン狂詩曲》くらいは入れているけれど、リスト作品集としては、ヴィルトオーゾ性よりも音楽的な内容の濃い選曲というところが、技巧優れて叙情的表現も豊かなピアニストのハフらしい個性的なアルバム。
リストというと、まず《超絶技巧練習曲》を録音する人が(特に若手の新人さん)多くて、この曲集が好きではないのもあっていい加減辟易するものがあり、これも話題性とセールス上の理由から仕方がないのだろうとは思うけど。

リストのラプソディとくれば、一番先に思い浮かぶのはたぶん《ハンガリー狂詩曲》。
弾き映えのする華やかな曲だけれど、この曲集はあまり好きにはなれないタイプの曲。(あの舞曲的なところがどうも相性が良くないようなので)
同じラプソディでも、《スペイン狂詩曲》の方は、なぜか一度聴いただけで好みにぴったり。
序奏のちょっとオドロオドロしいオープニングから、哀愁を帯びたロマンティック主題に変わり、華やかで舞曲風の旋律は、真紅の鮮やかな情熱がほとばしるようで、やや東欧的な暗めの色調を(私は)連想してしまうハンガリー狂詩曲とは違っている。

 スペイン狂詩曲の作品解説(ピティナ)
 スペイン狂詩曲の楽譜ダウンロード(IMSLP)


この曲は人気があるので録音はいろいろあるだろうけれど、よく聴くのはハフの1987年のスタジオ録音。
キーシン(1990年/カーネギーホールのライブ録音)とベルマン(1956年/ライブ録音)の演奏も好きだけれど、雰囲気がちょっと違っていて、キーシンは全体的に開放感と明るさがあり、べルマンは熱気と勢いがあって良いけれど音質が悪いのがちょっと残念。

ハフの打鍵は細部まで鋭く精密。演奏は完璧にコントロールされた精巧さがあり、スケールやアルペジオの流麗さは言うまでもなく、厚みのある和音移動でも軽快でよどみなく流れていくところが華麗。
ハフの演奏を聴いていると、さらさらと弾いているのでそんなに力技には思えないけれど、楽譜を見るとその指さばきの鮮やかさがよくわかる。
両手の重音が三連符で音を変えながら移動していくところとか、両手ともオクターブのスケールが続くところとか、とにかくリストらしいピアニスティックな技巧ば満載。
ハフは、音の階層の豊富さと微妙な響きがよくコントロールされていて、この録音の音質だとハフのタッチが一音一音細部までくっきりと明瞭に聴こえる。
この冴えた技巧をベースに、ハフらしく情緒的ではないクールで繊細な叙情表現と、この曲自体のもつ推進力と緩急のコントラストがよく効いた情熱的な曲想とが相まって、ぴんと張り詰めた緊張感とパッショネイトな雰囲気は十分。
特に前半部分は細かなルバートはかけてはいるけれど、弱音のタッチが柔らかく表現に繊細さがあるので、情熱的な感情表現はやや抑えぎみ。その分ためがよく効いて、徐々に盛り上がっていくところの高揚感が抜群。


ハフのスペイン狂詩曲(冒頭部分)(Youtube)



キーシンの1991年東京でのリサイタル(Youtube)

このスペイン狂詩曲の演奏は、20歳と若い頃のライブだったせいか、初めからかなりの熱気と迫力。自由奔放で情熱的な”スペイン”のイメージで、カーネギーホールのライブ録音よりも、ずっとテンションが高い気がする。ハフとはちょっと違ったタッチだけれど、この演奏も素晴らしく素敵。
バッハ=ブゾーニの《シャコンヌ》の録音を聴いて以来、キーシンのCDコレクターになったくらいに、20歳代の頃のキーシンの演奏は凄かったと今でも思う。(最近はちょっと壁に突き当たっているような気がするけど)


                             

Liszt: Mephisto Waltz; Après une lecture de Dante; Les jeux d'eau à la Villa d'EsteLiszt: Mephisto Waltz; Après une lecture de Dante; Les jeux d'eau à la Villa d'Este
(1998/01/01)
Stephen Hough

試聴する(英amazon)[track3]

スティーブン・ハフはVirginとHyperionにリスト作品の録音をしている。
このVirginの2枚組の廉価盤は素晴らしい出来で、針のようにシャープで精密なハフの打鍵がくっきりと鮮やか。まるでレントゲン写真を見て(聴いて)いるような感覚がする。といっても、圧倒的な技巧で聴かせるのではなく、音楽的な表現で聴かせるところがハフの良いところ。
これだけの演奏がわずか千円足らず(私が昔買ったときはそのくらいの価格だった)で聴けるというコストパフォーマンス抜群の廉価盤。
CD1は、リストのピアノ曲のなかで技巧的に有名な作品と宗教的な曲を収録(1987年録音)、CD2はリスト晩年の作品が中心(1990-91年録音)。

<DISC1>
1.メフィスト・ワルツ第1番(「村の居酒屋での踊り」S.514)
2.タランテラ(「巡礼の年 第2年補遺"ヴェネツィアとナポリ"」S.162より第3曲)
3.スペイン狂詩曲 S.254
4.死者の追憶(「詩的で宗教的な調べ」S.173より第4曲)
5.小鳥に説教するアッシジの聖フランチェスコ(「伝説」S.175より第1曲)
6.孤独のなかの神の祝福(「詩的で宗教的な調べ」S.173より第3曲)

<DISC2>
1.アヴェ・マリア(「詩的で宗教的な調べ」S.173より第2曲)
2.エステ荘の糸杉に寄せて-葬送歌(第1)(「巡礼の年第3年」S.163)
3.エステ荘の糸杉に寄せて-葬送歌(第2)(「巡礼の年第3年」S.163)
4.エステ荘の噴水(「巡礼の年第3年」S.163)
5.瞑想 S.204
6.悲しみのゴンドラ 第1稿 S.200/1
7.悲しみのゴンドラ 第2稿 S.200/2
8.ダンテを読んで-ソナタ風幻想曲(「巡礼の年第2年"イタリア"」S.161)
9.アヴェ・マリア(ローマの鐘)S.182

tag : キーシン フランツ・リスト スティーヴン・ハフ

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yoshimi

Author:yoshimi
<プロフィール>
クラシック音楽に本と絵・写真に囲まれて気ままに暮らす日々。

好きな作曲家:ベートーヴェン、ブラームス、バッハ、リスト。主に聴くのは、ピアノ独奏曲とピアノ協奏曲、ピアノの入った室内楽曲(ヴァイオリンソナタ、チェロソナタ、ピアノ三重奏曲など)。

好きなピアニスト:カッチェン、レーゼル、ハフ、コロリオフ、フィオレンティーノ、パーチェ、デュシャーブル、アラウ

好きなヴァイオリニスト:F.P.ツィンマーマン、スーク

好きなジャズピアニスト:バイラーク、若かりし頃の大西順子、メルドー(ソロのみ)、エヴァンス

好きな作家;太宰治、菊池寛、芥川龍之介、吉村昭、ハルバースタム、アーサー・ヘイリー
好きな画家;クリムト、オキーフ、池田遙邨、有元利夫
好きな写真家:アーウィット

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