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エゴロフ ~ バッハ/パルティータ第6番
ベートーヴェンの《皇帝》があまりに良かったので、他の録音も聴いてみたくなってしまったユーリ・エゴロフ。
33歳という若さで亡くなってしまったので、残っている録音は限られているけれど、10年くらいのキャリアにしては、ライブ録音も含めるとリリースされたCDは結構多い。
すぐに入手できたのは、EMIの7枚組のBOXセット。ドビュッシー、シューマン、ショパン、ベートーヴェン、モーツァルト、バッハなど。カーネギーホールのデビューリサイタルのライブ録音(シューマンの幻想曲だけ未収録)も入っている。
Channel Classics(Canal Grande)やPavaneのライブ録音はほとんど廃盤。
中小レーベルだとプレス数・購入者とも少ないので、USED品も少ないし、見つけても廃盤なのでプレミアムがかなり乗っている。こういうCDは集めるのに一苦労。

Youtubeでたまたま見つけたのが、エゴロフがリサイタルで弾いていたバッハの《パルティータ第6番》の<トッカータ>。
パルティータを聴く時は、アンデルジェフスキがメインで、次にペライア。たまにフェルツマンかホルショフスキ、第2番に限ってはソコロフというのが最近のパターン。
この第6番は、特にトッカータでなかなかぴったりとくる録音がないので、どれを聴こうか迷ってしまう。
アンデルジェフスキの<トッカータ>は、速いテンポとシャープで軽やかなタッチ、それに明快な強弱のコントラストと豊かな色彩感で、叙情に溺れないところがわりと好き。(やや軽やかすぎる気がしないでもないけれど)
このトッカータはいろいろ試聴もしたけれど、なぜか感情を込めてしなっと柔らかいタッチで叙情的に弾く人が多い気がする。
いつもはさらっとした弾き方のペライアでもルバートが多く、弱音が情緒的な響きを帯びて、ゆっくりとしたテンポでしっとりした叙情感が漂ってかなりメロウな雰囲気。ノンレガートでクリスピーなバッハと情念的なバッハは敬遠しているので、ペライアの6番は聴かなくなってしまった。

何気なく聴き始めたエゴロフの第6番は、ベートーヴェンの《皇帝》と同じく冒頭から魅きこまれてしまったほどに、好みにぴったり。
ピアニストの個性的を強く感じさせるような弾き方ではなく、余計なことはせずに音に語らせるようなシンプルな表現。これが引き締まった叙情感と凛とした佇まいを醸し出して、この短調の曲にとても似合っている。
明瞭なタッチで音の輪郭がくっきりして、芯のしっかりした張りのある響きがとても綺麗。
レガートなタッチと、いつものように和声の響きがとても美しく、弱音で弾いている部分は、くぐもったような響きと暗い音色で抑制されたトーン。終盤に向けて徐々にクレッシェンドして明瞭なタッチに変わっていく。
細部の繊細な表現にこだわることはせず、大きな流れのなかでディナーミクをつけているので、淡々とした感じはするけれど、清らかな透明感やストイックな雰囲気が漂っている。
もともと短調の曲は和声的に哀感を帯びているせいか、ことさら感情を込めて表現しなくても、シンプルに弾けば、抑制された叙情感がとても美して、エゴロフのバッハはそういう点で聴きたかった演奏にぴったり。
エゴロフは、グールドとリヒテルのバッハがとても好きだったという。ややストイックさを感じさせるところが、リヒテルが弾くバッハに似ている気がするトッカータだった。




《パルティータ第6番》は、1980年にアムステルダム・コンセルトヘボウで行ったリサイタルのライブ録音。この頃、エゴロフは25歳くらい。1976年に当時社会主義国だったソ連から亡命したエゴロフは、アムステルダムで暮らしていた。
他の収録曲はバルトークのピアノ・ソナタ、ショパンのエチュードOp.10。リサイタルではOp.25も弾いていたけれど、技術的問題(収録時間や聴衆ノイズの多さなど)のため未収録。
選曲が充実しているし、何よりトッカータがあまりに良くて第6番全曲を聴きたくなってしまい、このCDはすぐに手に入れました。

Legacy - Youri Egorov - Bach, Bartók, ChopinLegacy - Youri Egorov - Bach, Bartók, Chopin
(1993/08/19)
Youri Egorov

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《パルティータ第6番》は全編を通じてルバートや装飾音を多用せず、ほぼインテンポで弾いている。
<Allemande>は、<Toccata>とは全く違った柔らかいタッチで、まるで絹のような光沢と肌触りのする音色が綺麗なこと!どこか中空から聴こえてくるような感じで、重なる響きは教会で聴いているような美しさ。
静寂な雰囲気の<Sarabande>は、水気を含んだようなしっとりした叙情感。特に密やかな高音の弱音の響きの静けさが厳かで美しく。
それ以外の曲は、軽快なテンポと力強いタッチで、きりっと引き締まり迷いなく明晰。アンデルジェフスキが全体的に軽やかなタッチで弾いているのとは対照的でやや辛口のパルティータ。
<Corrente>は軽快でリズミカル、柔らかいタッチで弾かれることの多い<Air>もフォルテの鋭いタッチで躍動的。
声部ごとに色彩感の違いを出したり、声部が交錯するところで立体感を出すのは、やっぱりアンデルジェフスキやペライアが上手くて、エゴロフはややモノトーン的な感じはする。
一番素晴らしく思えたのは、やっぱり冒頭の<Toccata>。それに、ゆったりと静寂な<Allemande>と<Sarabande>は、繊細な高音の響きと透き通った叙情感がとても美しく、力強くたたみかけるような勢いとの緊迫感のある<Gigue>も良い感じ。
当分このパルティータを聴くときは、アンデルジェフスキとエゴロフになりそう。

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tag : バッハ エゴロフ

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ツィンマーマン&パーチェ ~ サン=サーンス/ヴァイオリンソナタ第1番
最近、Youtubeでたまたま見つけたフランク・ぺーター・ツィンマーマン&エンリコ・パーチェのライブ録音を聴いて気に入ったのが、サン=サーンスのヴァイオリンソナタ第1番。

サン=サーンスといえば、一番ポピュラーなのが《動物の謝肉祭》。曲名が有名なわりには、全曲通して聴かれているとはあまり思えないけれど。
ヴァイオリン協奏曲や交響曲第3番も有名。それに比べてピアノ協奏曲はあまり知られていない。
ピアニスティックで、5曲あるピアノ協奏曲の曲想もそれぞれ違って、結構面白い曲なんだけれど、ちょっと印象に残りにくい気はする。(録音ならロジェとハフがとってもお薦め)
ピアノ独奏曲もあまり弾いているのを聴いたことがないし、有名な曲があったかな?と記憶も定かではない。

サン=サーンスはピアニストだったので、ピアノ作品だけでなく、室内楽でもかなりピアノ・パートは凝っている。
《ヴァイオリンソナタ 第1番ニ短調 Op.75》(1985年)は、サン=サーンスの室内楽曲の代表作の一つだそう。
フォーレ、ドビュッシー、ラヴェル、フランクのヴァイオリンソナタは、数曲をまとめて録音されていることが多いのに、サン=サーンスのヴァイオリンソナタはそれに比べて録音は少なめ。
第1番は、華やかで色彩感があってとても綺麗な曲なのに録音が少ないのは、難易度が高いせいなのか、それほど人気がないからなのか...。とっても不思議。

ドビュッシーのヴァイオリンソナタは2曲あり、演奏機会が多いのは第1番。
ピアノパートに限って言えば、指回りの良さを要求される技巧的なパッセージが多くて、かなり凝っていて華やか。
こういうところを軽快で柔らかなタッチで弾かないと、ピアノ伴奏がガチャガチャして目立ってしまうし、音の粒立ちが悪かったりペダル過剰だと、もやもやした混濁した響きになりそう。
指回りが良ければ綺麗に弾ける...なんていう曲ではないのは確か。
ピアノパートの多彩な音色や響きの移り変わりを聴くのがとても楽しい。こういう曲は、色彩感豊かでソノリティに対するセンスの良いピアニストで聴くのが一番。

スタジオ録音なら、カントロフ&ルヴィエ、シャハム&オピッツなど。(私はピアノパートに神経が集中してしまうので、伴奏がとっても気になります)
ピアノパートは、オピッツは全体的に打鍵が明確、一音一音くっきりと聴こえ過ぎて、音も太め。アルペジオの抑揚にもふんわりとした膨らみのようなものが少なくて、(私には)わりと直線的に聴こえる。全体的に骨っぽくてゴツゴツ硬いなあ..という感じ。
オピッツはベートーヴェン弾きというイメージが強かったので、フランス音楽というとどうかな?...と思っていたけど、近々ドビュッシーの前奏曲第1集のCDをリリースするらしい。一体どんなドビュッシーになるんだろう...。

ルヴィエは試聴しただけでも、柔らかいタッチと色彩感が豊かな音で、抑揚も大きく滑らか。
崩したような弾き方はしないところが品良く、フランス音楽らしい流麗で瀟洒な雰囲気も漂って、とっても良い印象。
結構魅かれるところがあるピアノなので、カントロフ&ルヴィエのCDはすぐにオーダー。

フランス・ヴァイオリン・ソナタ集 カントロフ / サン=サーンス/ラロ/プーランクフランス・ヴァイオリン・ソナタ集 カントロフ / サン=サーンス/ラロ/プーランク
(2003/03/26)
カントロフ(ジャン=ジャック)

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※すぐにCDが到着。やっぱりルヴィエのピアノは素晴らしい! フランス人ならロジェのピアノが好きだけど、このサン=サーンスに限って言えば、これ以上に素敵なピアノが聴ける気が全然しないので、スタジオ録音ならルヴィエが一番良いかも。

                             

ライブ録音で聴いたパーチェのピアノは、オピッツとルヴィエの中間ぐらいのタッチ。
軽やかで柔らかだけれど切れのよいタッチとカラフルな色彩感があり、全体的にはルヴィエよりもシャープで明晰、オピッツよりも軽やかで詩情があるし、音楽の流れが滑らかで勢いがあるので、急速系の楽章はとても爽快。
いつもながら鮮やかなピアノで、シャープだけれど繊細さもあるツィンマーマンのヴァイオリンと相性がぴったり。

 サン=サーンス/ヴァイオリンソナタ第1番

ツィンマーマン&パーチェのライブ録音[Youtube]
Part1


 Part2[Youtubeへリンク]

 Part3[Youtubeへリンク]

第1番は4つの部分からなり、全てアタッカで演奏される。
明確に4楽章に分けてはいないけれど、各部分の構成・曲想は明確に異なるので、4楽章形式の曲を聴くのと変わらない。

1. アレグロ・アジタート(ニ短調)
ややほの暗さのある情熱的な旋律と、爽やかな開放感の旋律とが交錯し、緩急・明暗のコントラストも鮮やかな印象的な曲。

ヴァイオリンが、比較的シンプルな音の構成で流麗な旋律を弾いているのに対して、ピアノパートは典型的な伴奏タイプで、主旋律を弾くことは少ない。
といっても、ピアノパートはサン=サーンスらしい流麗さでピアニスティック。
上下下降するアルペジオやスケールの泡立つような細かいパッセージが詰め込まれて、色彩感豊か。
重音は少なく力技はそう必要ないけれど、アルペジオの音形のヴァリエーションが多いので、響きが多彩。
左手から右手へとつながる音幅の広いアルペジオ(1'26”くらい)の響きや、小鳥が囀るようなトレモロ(38秒くらいのところ)の響きは繊細でとても綺麗に聴こえる。
下手をすると練習曲風に平坦になりそうなところを、頻繁に、それも1つの小節の中に両方ついていることの多いクレッシェンドとデクレッシェンドをつけるので、細波のようなうねりに聴こえる。

パーチェはディナーミクを素早く変化させていくところが上手い人なので、この楽章でもツィンマーマンのシャープで起伏の多いヴァイオリンの抑揚によく合わせて、アルペジオやスケールにも細かいうねりやダイナミックなうねりのあるところがとても鮮やか。

ベートーヴェンやブラームス、ブゾーニを弾いているときよりも、ピアノの音の線が細くふんわり軽い感じなので、フランスのヴァイオリンソナタらしく、軽やかで流麗な雰囲気もあり。
色彩感も豊かで、芯のある音なので響きはしっかりしているし、単音のパッセージが多いけれど音数は多いので響きが厚くなりすぎないように、ペダルは短く浅め。重音も軽やかでタッチの切れも良くて、いつ聴いてもパーチェの伴奏は上手い。

2. アダージョ(変ホ長調)
緩徐楽章のようにゆったりと甘い雰囲気の冒頭主題。
それに対して、ピアノ伴奏が和音のスタッカート主体で軽快な中間部が入っている。ここはリズミカルでちょっと可愛らしい。

3. アレグレット・モデラート(ト短調) 
スケルツォといっても、勇壮なタイプではなくて、軽妙な舞曲風。
短調でやや不安げな雰囲気のスタッカート主体の旋律。リズムが面白い。
ピアノが主旋律部分を担うことも多くて、ヴァイオリンとの対話やデュエットが、人間の会話や、心のなかの対話のように聴こえてくる。

このスケルツォは、いくつか録音を聴くと、わりとシャープで強めのタッチで弾かれていて、ちょっと賑やか。
ツィンマーマンとパーチェの演奏は、音量を押さえて、軽やかなタッチ。密やかで曖昧さのある雰囲気が強くて、このスケルツォの弾き方はとっても印象的。
特に、ピアノの音色がとっても甘く可愛らしくて、この演奏の雰囲気にぴったり。

4. アレグロ・モルト(ニ長調)
優雅さと疾走感をあわせもったフィナーレ。
ついバリバリと勢いよく弾いてしまいそうな楽章のところを、速いテンポの軽やかなタッチとリズムで弾いているので、柔らかく優美さな雰囲気をもった淀みない疾走感がとても品が良い。

さすがにサン=サーンスの室内楽曲の代表作と言われるだけあって、一度聴いただけでしっかり記憶に残ってしまうほど印象的。
ラヴェルやドビュッシーとは違って、枠組みがかっちりして構成もわかりやすく、ヴァイオリンの優美な旋律とピアニスティックな伴奏が相まって、繊細だけれど華やかさと躍動感もあるところが魅力的。
フランクのヴァイオリンソナタのような深い感情移入を受け入れないクールな情熱と明晰さを感じさせるのが、サン=サーンスらしいところ。
ロマン派のヴァイオリンソナタでは、ブラームス、ブゾーニに次いで好きになったほどに、とっても気に入りました。

tag : サン=サーンス ツィンマーマン パーチェ

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アラウ ~ ドビュッシー/ベルガマスク組曲より 《月の光》
昔から好きだった数少ないドビュッシーの曲といえば「ベルガマスク組曲」の《月の光》。
「ベルガマスク組曲」は「版画」以前に書かれた曲なので、わかりやすいロマンティックなところが気に入っていて、今でも「版画」と並んで好きな曲集。

最近手に入れたアラウのドビュッシーピアノ作品集BOXに収録されているのは、1991年の最晩年に録音した「ベルガマスク組曲」の《月の光》。
今まではカッチェンの《月の光》をよく聴いていた。弱音の響きが儚げで綺麗な主題部と、逆に勢いのあるダイナミックで中間部とメリハリが良くついたロマンティックな演奏。
ドビュッシーにしてはかなりドラマティックで多少変わっている気がしないでもなかったけれど、アラウの《月の光》は多少どころか、摩訶不思議なドビュッシー。

Debussy: Works for PianoDebussy: Works for Piano
(2003/09/01)
Claudio Arrau

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《月の光》を録音した最晩年の頃(1991年)のアラウの演奏は、指のコントロールがかなり苦しいというテクニカルな問題に加え、晩年のアラウ独特のゆったりとした時間感覚、強い情感を込めた歌う(語る)ような歌いまわしが特徴的。
同時期に録音したバッハのパルティータの録音もかなり特異な(感情がしみこんだような)パルティータで、このドビュッシーの特異さとは表れ方は違っているけれど、両方聴いているとやっぱり根元は同じ。

「ベルガマスク組曲」のどの曲を聴いても、ちょっと異次元や別の宇宙の音楽のような摩訶不思議さがある。
アラウは、ドビュッシーの音楽を”別の惑星の音楽”と言っていた。
アラウの《月の光》を聴いていると、本当に、時間がゆったりと流れる別世界の月の光を浴びているような感覚。

アラウは、普通は5分前後で演奏される《月の光》をほとんど7分かけて弾いている。
残響が多いうえにペダルがかかっているので、線の太い暖かみのある音が、絨毯のような厚いタペストリーになって、とても豊饒な響き。
冒頭と終盤の弱音部分は、軽やかなタッチと残響の長さが相まって、ふわ~とした浮遊感があって、幻想性が増している気もする。

特に独特なのは、すこぶる遅いテンポの中間部のかもし出す雰囲気。
普通はテンポを速めて流麗なアルペジオが流れるはずだけれど、アラウは旋律・伴奏ともやや粘り気のあるタッチで、一音一音丁寧に緩い起伏で弾いていく。
ゆったりと流れるピアノの音を聴いていると、暖かな夜のまったりとして静かな海の上に輝く月...のような情景が思い浮かんでくる。
アラウの暖かくぼわ~とした音色と細部まで書き込まれた表情が相まって、月の光が意思を持った生き物であるかのような生温かさと濃い情感を感じてくる。

再現部になると、冒頭よりもずっとしっとりした叙情感が出て、月の光で浄化されたように清々しさを感じさえるエンディング。

この独特な時間が流れている《月の光》は、後にも先にも最晩年のアラウしか弾けないとっても不思議な世界のドビュッシー。

Claude Debussy - Suite Bergamasque - Clair de Lune/Claudio Arrau



《月の光》に限らず、同時期に録音した「ベルガマスク組曲」の曲や「ピアノのために」などは、どれを聴いてもやっぱりとっても不思議な雰囲気。

「ベルガマスク組曲」の第1曲《プレリュード》からして、とってもゆっくりしたテンポとやわらかく粘り気のあるタッチが奏でる音楽。まるで異世界にいるような時間と空気が流れているよう。
まったりとしたフォルテの響きも丹念に一音一音を鳴らしていくような弱音の響きも、本当に不思議な雰囲気。これは聴いてみないと実感できない不思議さ。

軽快なはずの第2曲《メヌエット》と第4曲《パスピエ》は、指が良く回っていないので訥々としたタッチでポツポツ、ペタペタといった感触。テンポも微妙に揺れ続け、左右の拍子も微妙にずれているような...。
なぜかこれが、無垢な明るさやユーモア、軽妙さといったものが混在しているような不可思議さを醸し出している。(聴く人によって違うだろうけれど)
《メヌエット》終盤で盛り上がるところは、テンポが遅いうえに太く重層的な響きが相まって、これがかなりドラマティックで濃い情感が漂っている感じ。
《パスピエ》は、もともとちょっと調子が外れたような不思議な雰囲気を感じるけれど、アラウが弾くとそれがさらに増してくる。透明感のある音と重なり合う響きの美しさは、言葉にできないような独特のもの。
アラウの最晩年のこのドビュッシーには、独特の時間が流れていて、不可思議さがいっぱい。

Claudio Arrau - Suite Bergamasque - Passepied - Debussy

tag : ドビュッシー アラウ

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【再販情報】:アンデルシェフスキのディアベッリ変奏曲(DVD)[国内盤]
モンサンジョン監督製作のアンデルシェフスキの《ディアベッリ変奏曲》のDVDが、廉価国内盤で再リリースされます。
廉価盤は前回2008年にリリースして完売。在庫切れとなっていたところ、今年11月10日に再リリース予定。
国内盤なので日本語字幕付き。HMVのオンライン価格で1,975円(定価2500円)[2010.9.23現在]。
たびたび廉価盤で出るというのは、やっぱり人気があるんでしょうね~。
廉価盤で再販してくれるのは良いんですが、新譜も早く出して欲しいものです。
今年のリサイタルのプログラムでは、バッハの《イギリス組曲第5番》とシューマンの《ペダルピアノのためのカノン形式による6つの練習曲》がとても良かったので、シューマンイヤー記念にカップリングしてリリースしてくれれば嬉しいんだけど...。

ベートーヴェン:ディアベッリのワルツの主題による33の変奏曲 [DVD]ベートーヴェン:ディアベッリのワルツの主題による33の変奏曲 [DVD]
2010年11月10日 発売予定
ピョートル・アンデルシェフスキ(ピアノ)

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tag : ベートーヴェン アンデルシェフスキ

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キース・ジャレット 『パリ・コンサート』
キース・ジャレットの評伝『キース・ジャレット 人と音楽』を読んでから、長い間聴いていなかったキースのCDをラックの中から引っ張り出してきた。
ちょっと涼しくなった静かな夜に、キースのソロ・ピアノをじっくり聴いていると、張りがあって艶やかな(セクシーだという人もいるくらい)音が、体のなかに浸みこんでくる。

キースのソロ・コンサートで一番有名なアルバムは、たぶん『ケルン・コンサート』。
他にもサン・ベア、ブレーメン/ローザンヌ、カーネギー・ホールなど、ライブ録音はたくさん出ているけれど、私が一番好きなのは『パリ・コンサート』。
明るい色調で現代音楽風なところもある『ブレゲンツ・コンサート』や、現代音楽風の印象派のような雰囲気のある『ラ・スカラ』も好きだし、箏曲のような日本的な旋律と和声が聴こえてきてエキティシズムを感じてしまう『サンベア・コンサート』も面白いけれど、どれか1曲だけ選べと言われれば、今は『パリ・コンサート』の第1曲《October 17, 1988》

まず鮮やかなのが、ECMらしくシンプルでセンスの良いデザインのジャケット。
フランス国旗と同色にしたのか、ベースが赤、文字は青・白という色彩が綺麗で、《ラ・スカラ》と同じように洒落ている。
Paris ConcertParis Concert
(2000/02/29)
Keith Jarrett

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キースのジャズに分類されるピアノ・ソロのアルバムはほとんどがライブ録音。
スタジオ録音なら『Facing You』『Staircase』『The Melody at Night, With You』くらいだろうか。(最近は新譜を買っていないのでよくわからないけど)
ライブ録音はほとんどがインプロヴィゼーションなので、数十分間、途切れなく筋書きなしに続く。
キースの長大なインプロヴィゼーションに関しては、あらかじめ主題とか展開の大筋を決めているのではないかと疑っている評論家もいるらしい。
そもそもキースに対する評価は、ポジティブ/ネガティブにすっぱりと二分されていて、好き悪いがはっきり分かれるのはタイプなのは明らか。『キース・ジャレット 人と音楽』の最後の部分では、キースに対してどのような評価がされているのか詳しく書かれている。

キースは「自分がほんとうに感じていることを表現すれば、人が言う構成とか形式とかは出てこない。また、形式や構成があるようなものを歌おうとすれば、それを歌っている瞬間のフィーリングを出すことはできない」と言っていた。(清水俊彦『ジャズ転生』)
作曲家でピアニストの高橋悠治さんは、キースのライブ録音は退屈だと言っていたし、同じような曲に聴こえるという人もいたりする。そう言われるのもよくわかる。
昔はそんなに良いのかなあ...なんて思っていたけれど、久しぶりに聴きなおしてみると、こういう長大なインプロヴィゼーションは、頭のなかで分析的に聴くものではなくて、特に初めて聴くときは何も考えずに音楽にシンクロしてその流れのなかに浸りながら聴くのが一番。
ライブのように筋書きのない予測不可能な音楽が聴けるのは、最初の1回目だけなので。


                                 

『パリ・コンサート』の第1曲《October 17, 1988》は、40分近くかかる長大な曲。(といっても、キースのピアノ・ソロのライブ録音ではごく普通の長さ)
冒頭からバロック風の古典的な佇まいのある静謐で和声と旋律が異様なくらいに美しい。
キースが弾くピアノの音は、ピンと張り詰めたように引き締まり、艶やかで瑞々しさのある美音。
この音を聴いているだけでうっとりするくらいに美しく、その独特の音がこの曲想にはとてもよく似合っている。
1988年は、バッハなどのクラシック音楽の演奏活動や平均律曲集などの録音を終えた後の時期。クラシック・ピアニストとしての経験や作曲家の影響が色濃く反映されているのだと思う。

冒頭の教会音楽のような透明感のある美しい曲想とは対象的に、続いて現れるのは、左手低音部の重苦しく重なるオスティナートが恐ろしげで厳しい旋律。
やがて沈み込むようなオスティナートの旋律に変わっていく。
泡のように響きが混沌としてもやもやした状態が続いて、一体ここからどこへ向かおうとしているのかわからないというところが、結構スリリング。
初めて聴いたときは、当然展開は予測がつかないし、久しぶりに(10年ぶりくらい?)聴くとかなり記憶があいまいになっていたので、ライブのように予測できない成り行きの面白さを再体験できたようなもの。

終盤近くになると、激しい細波のように細かく音が複雑に重なりあっていき、これから何かが生起していきそうにゆっくりとクレッシェンドしていく。
最後は、その湧き立つような響きのなかから、蝶がひらりと舞い上がるように、柔らかい響き晴れやかで明快な旋律がゆっくりと、遠くからエコーするように、聴こえてくる。
とても展開がドラマティックで、40分という長さが全然長いと思えなくなるほどに、集中して聴いていた。

キースの録音した平均律曲集は、蒸留水のように無色透明的な雰囲気はあったけれど、この《October 17, 1988》は、それとは違って、強く激しい叙情感や深く沈潜した内省的なものを感じる。
このインプロヴィゼーションは、他のライブ録音と比べると、比較的枠組みがかっちりと整っている方で、古典的な佇まいを感じさせるところがあり、深く瞑想するような曲想とコラールを連想するような旋律・和声の美しさは何とも言えないほど。
やはりキースが弾くクラシックを聴くよりも、ジャズ・ピアニストとしてのライブを聴いたほうが、強く魅かれる。(この演奏がジャズのカテゴリーにぴったりおさまるのかどうか良くわからないけれど)

Keith Jarrett/Paris Concert - 《October 17,1988》



次の《The Wind》は直前のバロック風な世界とは全然違うけれど、様式の堅苦しさが全くないので、叙情感は一層深くて、呟くような透き通ったピアノの音がとても美しい曲。
冒頭は明るくリズミカルなリズムだったので、明るいタッチのジャズになるのかなあと思っていたら、なぜかすぐに沈み込んでいって、感傷的とも言いたくなるほどに静かで叙情的な旋律に変わってしまった。
《October 17, 1988》にあまりに深く没入していたので、すぐに違った音楽が湧いてくることなかったのか(?)、続編的と思えるような静かで美しいロマンティックなインプロヴィゼーション。

最後は全く雰囲気が変わって《Blues》
力強くて弾力のあるピアノの音が朗々として、生気が蘇ったような感じがとても明るく晴れやか。


 イアン・カー著『キース・ジャレット 人と音楽』の記事

tag : キース・ジャレット

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シューマン/主題と変奏 変ホ長調 (Geistervariationen)
シューマンのあまり有名ではないヴァイオリン協奏曲は、献呈されたヨアヒムと妻クララが揃って演奏を禁じたという、いわくつきの曲。

クララがヴァイオリン協奏曲の演奏を禁じた理由が、第2楽章にシューマンがライン川に身投げする前(1954年)に作曲した《天使の主題による変奏曲》(これはWikipediaに書いてあった日本語曲名)の主題が使われているから...というのも、よくわからないものがある。
ヴァイオリン協奏曲との関連や、日本語曲名が一風変わっているので、《天使の主題による変奏曲》を一度聴いてみたくなって、ネットであれこれと調べると、曲名からしてややこしい。

《天使の主題による変奏曲》という曲名で調べると、録音はほんのわずか。
英語でも、それらしき英文名で検索してもヒットしない。
タイトルが違うのかなと思ってみると、よくわかる解説がyahooの知恵袋にあった”「イェルク・デームスのピアノ独奏曲全集」の質問と回答”

それによると、曲名の日本語訳に問題があるようで、楽譜の原題は”Thema mit Variationen”。
デームスがつけたタイトルが”Geistervariationen über den letzen Gedanken”
ピティナの解説では、そのデームスの曲名を「最後の楽想による幻覚の変奏曲」、wikipediaの解説では「天使の主題による変奏曲」と訳していて、”Geister”を”天使”や”幻覚”と訳しているのが間違い。
そもそも”Geistervariationen”自体が原題ではないけれど、英語では”Geistervariationen”で音源が見つかるので、いわゆる俗称なのでしょう。
”Geister”の由来は、クララの日記に、”当時病の床にあったシューマンが、シューベルトとメンデルスゾーンの亡霊(Geister)が夢のなかで歌ってみせた旋律をもとに変奏曲を作曲した...”ということが書かれていたから。
実際は1953年に作曲したヴァイオリン協奏曲の第2楽章の主題を使っている。
自分自身で作曲したことも忘れて、夢の中で亡霊に教えてもらったというほどに、当時のシューマンの精神状態は混乱していたらしい。

ようやくYoutubeで”Geistervariationen”の音源を見つけて聴いてみると、ピアノを聴き慣れた耳には、ヴァイオリン協奏曲よりも主題旋律がはっきりとわかるのが良いところ。
主題は穏やかでやや明るい色調ではあるけれど、まったりとして物憂げなところも。
変奏が進むと、静かな雰囲気のままに短調が入り混じって陰翳が濃くなって叙情感が強まり、終盤は哀しげで悲愴感めいたものが漂っている。
最後は左手の伴奏がはらはらと舞い落ちる木の葉のように音が散らばり、右手の旋律はそのなかに絡めとられそう。

この曲は全集ものを除くと録音が少ない。
全集ならイェルク・デームスの録音が有名。
(9枚目のCDに”Geistervariationen über den letzten Gedanken”とか”Variations on an Original Theme, WoO 24”というタイトルで収録されている)

デームスのピアノの音が醸し出す、独特なレトロな雰囲気がなんとも良い感じで、旋律も綺麗で好きなタイプの曲。
でも、この曲を書いた後の出来事を知っているせいか、曲中に漂う穏やかさや静けさが妙に異様に感じられてくるところもあって、ちょっと複雑な気持ちがする。


R. Schumann "Geistervariationen über den letzten Gedanken"

tag : シューマン

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F.P.ツィンマーマン ~ シューマン/ヴァイオリン協奏曲
土曜日の真夜中にウェブラジオで放送していたフランク・ペーター・ツィンマーマンのライブ中継。
今回はシューマンのヴァイオリン協奏曲ニ短調で、伴奏はユッカ=ペッカ・サラステ指揮ケルンWDR交響楽団。
また珍しくマイナーな曲を...と思ったら、今年はシューマンイヤーだった。

このヴァイオリン協奏曲、ずっと昔にFMラジオで放送していたので、ちょっとだけ記憶に残っている。
ピアノ協奏曲ほどに若々しい感情が横溢するようなロマンティックな曲..というわけではないけれど、第1楽章はちょっと古典的な趣きがあって、オーケストラパートはシューマンの交響曲を聴いている気分。
ヴァイオリンが弾く主題もわりと颯爽としてドラマティックなので、第1楽章はとっても印象的で好きだった。

久しぶり(何十年ぶり?)に聴いてみると、やっぱり第1楽章がとっても良い感じ。冒頭からベートーヴェン(というよりはメンデルスゾーンが近いかも)の交響曲に似たようなドラマティックな雰囲気。
第2楽章は元々緩徐楽章は苦手でほとんど記憶になくて、何度か聴いてみると、穏やかな旋律のなかにももの哀しい雰囲気が漂っているような...。
第3楽章は少し覚えていたけれど、”ポロネーズを思わせるリズミカルな曲調”と解説にあるわりには、全然リズミカルでもなく、テンポもあまり速いという感じがなくて緩々。
速度指定が"Lebhaft doch nicht schnell"なので、どの曲でも比較的速めのテンポをとるツィンマーマンのヴァイオリンがそれほど走っていなかったのか、元々こういう曲なのか...。終楽章とはいえ、高揚感漂うパッショネイトな曲である必要もないし...という気がしてくるほどに、とても上品な舞曲風。
当時シューマンがバッハを研究していた影響~フランス風序曲を連想させる第1楽章の符点リズムの第一主題、ゆったりしたポロネーズ風第3楽章~があるというのが定説(らしい)。

旋律が魅力的なピアノ協奏曲ほどには印象が強くない気はするけれど(でもヴァイオリンのソロパートはすごく難しいという)、地味ながらも、シューマンの曲にしてはやや抑制されたようなロマンティックな叙情感が美しくて、さほど評価も人気も高くないのが不思議なくらい。
何度か聴くと結構気に入って、シェリングのCDを買おうかな(ツィンマーマンは録音していないので)...と思い始めた。

[追記]
コメントでツィンマーマンのCDが出ていることを教えていただきました。(熊太郎さん、どうもありがとうございました)
1992年のライブ録音で原盤は廃盤。今年EMIからリリースされたシューマンイヤー記念BOXセット(サヴァリッシュ/SKDの交響曲全集、ヴァイオリン協奏曲、チェロ協奏曲などを収録)に収録されています。


Schumann Violin Concerto - Szeryng & Doráti/LSO


コンチェルトの演奏が終ると、熱狂的な拍手歓声...というほどではなかったけれど、結構盛大な拍手が延々と続いてなかなか止まらない。
とうとうアンコールとして、ツィンマーマンがバッハの無伴奏ソナタ第3番の”ラルゴ”を弾き始めた。
最近のライブ録音を聴くと、アンコールではいつもこの曲を弾いている。それを度々聴いているせいで、バッハの無伴奏のなかでは、記憶にしっかり残っている曲の一つ。
ツィンマーマンのヴァイオリンの音が綺麗だしとても品が良くて、ソロだと音の美しさがコンチェルトよりもよくわかる。弾き終わった時の聴衆の拍手も、コンチェルトの時以上に熱が入っていたかも。

                             

ヴァイオリン協奏曲のWikipediaの解説を読んでいると、いろいろといわくつきの曲。
献呈者のヨアヒムと妻クララがなぜこの曲を封印してしまったのか、演奏至難の難曲だったせいか、それとも最晩年のシューマンの精神状態が反映されたようなただならぬところを感じたのかとか...ちょっと謎めいたところも。

レビューや解説記事などを調べてみると、1953年年作曲されたこのコンチェルトは当時の晩年のシューマンの精神状態が反映されていると言われているらしい。
第1楽章の感情の浮き沈み、行きつ戻りつするような錯綜感、妙に優しげで夢見心地の緩徐楽章、熱気が稀薄で緩々とした第3楽章...とか。
そう思って聴くと、第1楽章の途中で出てくる緩徐部分(8分くらい)に、不気味な妖艶さがあるようにも聴こえる。
第3楽章はたしかに舞曲にしては緩いテンポで躍動感も薄い(バロック風ポロネーズだと、このゆったりしたテンポが適切という人もいる)。

こういう精神的に危うげな要素をはらんだ曲というのは、演奏によってかなり雰囲気が変わる。
シューマンの交響曲第2番は、シノーポリ/ウィーンフィル盤で聴くと、崩壊しつつある精神が狂気の深淵を垣間見たような不気味さと凄みがあるのに、他の録音だとそういう感じは稀薄で甘美なロマンティックな曲に聴こえる。
このヴァイオリン協奏曲は、ツィンマーマン(やシェリング)の演奏を聴いても、感情が錯綜するような不安定感や異様さはそれほど感じず、優雅な端正さとやや抑制された情熱が漂うロマンティックな曲のように聴こえる。
それでも、交響曲第2番が現実の世界と向うの世界の境目の淵にかろうじてとどまっているような張り詰めた緊張感があるのとは違って、このヴァイオリン協奏曲で時々感じるのは、まるで夢の中の世界にいるようなどこかふわ~とした浮遊感や弛緩したような雰囲気。異聴盤をいろいろ聴けば、なにか発見することがあるかもしれない。

tag : シューマン

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ユーリ・エゴロフ ~ ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第5番
スークが録音したベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲のCDには、なぜかユーリ・エゴロフのベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番《皇帝》とモーツァルトのピアノ協奏曲第20番がカップリングされている。
レーベルはAngel Records。EMIの廉価盤レーベルらしい。
スークとエゴロフの演奏のカップリングというのは、エゴロフがそれほど有名なピアニストではないだけに、ちょっと珍しい気がした。

エゴロフは、以前<早逝したピアニスト>という記事でちょっとだけ書いたことがある。
HMVサイトにあるエゴロフの紹介文によるとによると
「エゴロフはボリス・ゴドゥノフの歌でもおなじみの旧ソ連の都市カザンに生まれています。カザン音楽院とモスクワ音楽院でピアノを学んだ彼は、各種コンクール入賞の後、政府からの圧力に耐え切れず、1976年、演奏旅行中にオランダに亡命、23歳でアメリカで活躍を開始、高名な批評家ハロルド・ショーンバーグからも高い評価を獲得、25歳の時には彼の2枚のLPがビルボードのクラシック・ベストセラーにチャート・インするほどの人気を博します。
 エゴロフは80年代に入ると活動の拠点をオランダに戻し、EMIやCANAL GRANDEを中心に録音をおこない、美しく繊細なタッチによる見事な演奏を聴かせてくれましたが、エイズのため33歳の若さで亡くなってしまいます。」

このCDはスークのベートーヴェンの録音を探していて見つけたもの。
エゴロフの《皇帝》は聴いた人の評判がとても良いし、エゴロフの録音はピアニストの内藤晃さんが愛聴していることもあって、買っておいたCD。
ヴァイオリン協奏曲を聴いてから、しばらくCDラックに眠っていたけれど、突然なぜか思い出して《皇帝》を聴き始めたら、これが予想外にとても素晴らしくて、びっくり。
続けて何回も聴いたし、おかげでエゴロフのBOXセットまで購入する羽目になってしまった。

Violin Concerto / Romances / Piano Concerto 20Violin Concerto / Romances / Piano Concerto 20
(1995/06/20)
Suk, Egorov, Boult, Marriner, Sawallisch,Academy of St Martin in the Fields,Philharmonia Orchestra

試聴する(英amazon)[エゴロフのBOXセットへリンク:DISC5_Trak5~7]
ピアノ協奏曲の伴奏は、サヴァリッシュ指揮フィルハーモニ管。

エゴロフは、タッチが丁寧だし、音が柔らかでふわっとした膨らみがある。
弱音でもしっかりした芯のある音が綺麗で繊細。フォルテはバンバン強打せずとも音量が大きく伸びやか。
ペダリングが上手いせいか、ペダルを多用しても長さや膨らみを細かく調節して、過剰な濁りや残響がなく、音が波のように広がっていく。
極端なテンポ設定はせずに、変なクセのあるアーティキュレーションもなく、ディナーミクや緩急のコントラストを特に強調するタイプでもないけれど、平板さや起伏の緩さは感じさせず(少なくとも私には)、特に柔らかいタッチのレガートが美しく滑らか。伸びやかで無理のない自然な流れを感じさせるところが素敵。

HMVのレビューで「美しい和声に関する絶対的な天分がある」と書いている人がいたけれど、これは全くその通り。
そもそも音自体がとても綺麗なうえに、色彩感のある響きも多彩。ミケランジェリのようなクールな硬質の音ではなく、暖かみと丸みのある明るい音で、とても耳に心地よい響き。

優れた”和声的感覚”(とでもいうのか)で、フレーズに合わせて響きの重ね方や厚み、長さが自在に変化し、立体感もあってとても鮮やか。
第1楽章冒頭、アルペジオが重なる伸びやかな響きが美しく、空間的な広がりを感じさせるところからすっかり惹き込まれてしまう。ゆったりとした第2楽章は、繊細な響きと詩的な雰囲気がとても美しく、第3楽章のリズミカルな躍動感が力強くて、堂々としたフィナーレ。

巨匠タイプの重厚さはないけれど、”軽い”わけでは全くなく、正確な打鍵と滑らかなフレージングからくる安定感があり、強い個性的な解釈や外形的に目立ったユニークさがなくとも、美しいソノリティと淀みない流れが品良く、緩みのない正攻法的な演奏に惚れ惚れとしてしまう。
ソコロフの鋭い硬質の研ぎ澄まされた音のもつ強い吸引力とは違っていて、エゴロフの音は柔らかで多彩な響きに魔法にかかったように誘い込まれているような感覚。
エゴロフのピアノを魅力的と感じるかどうかは、人によってかなり違うような気がする。ピアノの音が綺麗で響きも多彩で詩情のある演奏を聴きたい人なら、何か魅かれるところが見つかるように思います。

                               

エゴロフのBOXセット(7CD)。EMIでのセッション録音とカーネギー・ホールのライブ録音を収録。
他レーべルの録音だと、CHANEL Classics(CANAL GRANDE)などからCDが数枚でている。(今はほとんど廃盤)

収録曲は、ドビュッシーの《前奏曲全集》と《版画第1集》、シューマンの《謝肉祭》《色とりどりの小品》《クライスレリアーナ》《蝶々》《アラベスク》《トッカータ》、ショパンの《バラード第1番》《スケルツォ第2番》《別れの曲》《幻想曲》、バッハやモーツァルトの小品など。
ピアノ協奏曲はベートーヴェンの《皇帝》とモーツァルトの第20番&第17番。

特にシューマンの録音、なかでも《謝肉祭》と《色とりどりの小品》の評判がとても良い。
実際、聴いてみたら、シューマンは誰の録音を聴いてもよくわからないのに、エゴロフのシューマンには繊細な音を聴いただけで惹きこまれそうだし、詩的だけどべたつかない叙情感でロマンティック。
特に《謝肉祭》の第12曲”Chopin”は、こんなに綺麗で詩的な曲だった?と思うほどに、響きがとても綺麗で詩情豊かな感じがする。
他の曲も、試聴しただけで最後まで聴きたくなってしまう曲が多くて、ここまでくればもうこのBOXを買うしかない。ということで、英国のamazonサイトでオーダーしました。
以前、このBOXセットを試聴した時はあまりピンとくるものがなくて、そんなに相性が良い感じはしなかったけれど、最近はソノリティにかなり敏感になっているせいか、音の美しいピアニストに魅かれるようになったらしい。(それとも、昔は単に耳が悪かっただけ?)


The Master Pianist / Yuri EgorovThe Master Pianist / Yuri Egorov
(2008/03/04)
Youri Egorov

試聴する



<ユーリ・エゴロフに関するブログ記事>

 ピアニスト内藤晃さんのブログ<Moments musicaux>エゴロフのCD紹介
初めてエゴロフのことを知ったのが、内藤さんの愛聴盤紹介の記事。(カッチェンのピアノもとても好きな方です)

 私版光と風と夢/ピアニスト讃(HOMMAGE A PIANISTES)/ユーリー・エゴロフ
エゴロフのCDやコンサートに関する紹介、感想が書かれている。

tag : ベートーヴェン エゴロフ

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アラウ ~ アスコナ国際音楽祭ライブ(1971年)
アラウのライブ録音は最近かなりリリースされているけれど、マイナーレーベルが出しているせいか、すぐに在庫切れで廃盤状態になることが多い。
晩年のリサイタルやコンサートは、ライブ映像が結構多く出回っている一方で、全盛期にあたる1950年~1960年代のものは放送局や音楽祭で録音した放送用音源が主体。
特に音楽祭のライブ録音は、スイスのルガーノやアスコーナ、ドイツのシュヴェツィンゲンのリサイタルのものが残っていて、プログラムも多彩で演奏内容も素晴らしく、かなり稀少なもの。
ルガーノとアスコーナのライブ録音はCDが廃盤状態で、itunestoreで一部の曲はダウンロードできる。
シュヴェツィンゲンのライブ録音はCDリリースが最近なので、これはまだCDが手に入る。

アスコーナ音楽祭のライブ録音は1959年と1971年の2種類。Swiss-Italian Radioが放送用に録音した音源なので、音質はとても良い。
1959年のライブ録音(Ermitage/aura盤)は熱情ソナタ、シューマンの『幻想曲』、ドビュッシーの『ピアノのために』など。
『ピアノのために』は、itunestoreでルガーノのライブ録音の一部とカップリングされた盤があり、ダウンロード可能。
Piano Sonata 23 F Minor Op 57 / Fantasia C MaorPiano Sonata 23 F Minor Op 57 / Fantasia C Maor
(1999/08/31)
BeethovenSchumann

試聴する(米amazon)


1971年のリサイタルは、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第13番、リストのロ短調ソナタ、ショパンのバラード第4番、ノクターン、スケルツォ第1番。収録時間の関係と聴衆のノイズが入っているので、ドビュッシーの『映像』とアンコールのショパンのバラード第3番は未収録。
PLAYS BEETHOVEN, LISZT AND CHOPINPLAYS BEETHOVEN, LISZT AND CHOPIN
(1999/12/28)
BeethovenLiszt

試聴する(米amazon)

プログラムから言えば、1971年のリサイタルの方が好きな曲が多いし、バラエティ豊か。まだ技巧的に衰えの見られない全盛期終わり頃のライブ録音なので、この盤は安心して聴ける。

ベートーヴェン/ピアノ・ソナタ第13番
第13番は、第14番の月光ソナタと並んで、作品番号14として幻想曲風ソナタと言われているにしては、あまりにポピュラーな月光ソナタの影に完全に隠れてしまっている。
第13番は何度か聴いたことはあるけれど、さほど印象に残っていなかった。
このスタジオ録音を聴くと、なぜかこの13番ソナタがとても素敵な曲に聴こえてきたので、これは一度弾いてみないと...と思い直してしまった。月光ソナタと違って、全体的に穏やかな曲想で地味な感じはするけれど、明るい雰囲気の主題が多くて、月光ソナタのようなちょっと鬱々した雰囲気はないのが、良いところ。
第1楽章はアラウのピアノの響きが綺麗で淡いファンタジーを感じるし、第2楽章も軽快なリズムのなかにさらりとした哀感があるし、第4楽章の終盤はオルガンの響きが重なるように荘重。
ベートーヴェンの標題のついていない曲は、全曲演奏会以外では単独で演奏される機会は少ないけれど、結構かみ締めれば味が良くわかるような曲が多い。
アラウの全集を聴きなおしてみると、やっぱり無題の曲でも良いなと思える曲が結構あって、3番、4番、7番、9番、15番、18番、22番、27番、28番はとても気に入った曲。

リスト/ピアノ・ソナタロ短調
アラウのスタジオ録音は、長い間リサイタルのプログラムから外していたリストを再び弾き始めた頃の録音。
リサイタルの時に比べてまだ試行的な部分が残っているらしい。アラウによると、リサイタルでも5回目に弾いたウィーンの頃から満足できる演奏だったという。

1971年のリサイタルの演奏なので、かなり弾きこなれてきた頃だと思うけれど、数年後のライブ録音の方がさらに演奏内容が深まっているのかもしれない。
スタジオ録音よりも、テンポが速めでより起伏も激しく、音色もより艶やかで、特に緩徐楽章に当たるアンダンテは、グレートヒェンの純粋さに加えてちょっと妖艶な雰囲気のする響きがとても綺麗。

ショパン/バラード第4番
ショパンの作品のなかで、数少ない好きな曲がバラード。特に第1番と第4番が良くて、個人的なスタンダードはアラウの晩年のスタジオ録音。
これが記憶に刷り込まれているので、後で聴いた評判の良いツィメルマンのバラードが、華美でベタベタ甘く聴こえてしまって好きになれないのには、困ってしまった。

アラウの1977年のスタジオ録音は、技巧的にもまだ安定していたので、71年のライブ録音と大きな違いはないけれど、ライブ録音の方が多少演奏時間が短く、テンポの速いところは少し起伏が大きくタッチも激しくなって、感情移入が深い感じはする。

解説によると、終盤のコーダ直前の5つの有名な”魔術的な(magic)”和音の前の最後の和音をかなり弾き伸ばしている。これは楽譜上に指示のない弾き方なので、普通とは違うイレギュラーな解釈。
バラードはアラウの録音くらいしかちゃんと聴いていないので、他の演奏とまじめに比較したことがなくて、解説がなければ気がつかなかった。

ショパン/ノクターン第17番(Op.62 No.1)
ショパンのノクターンは眠くなるのでめったに聴かないけれど、たまに1曲だけ聴くとなぜか良い曲にいつも聴こえる。
この第17番は、ノクターンのなかではわりと好きな方で、アラウのトリルがとっても綺麗。

ショパン/スケルツォ第1番
ライブ録音は68歳の時の演奏なので、テンポは10年以上後のスタジオ録音よりも1分くらい速い。
1984年にスケルツォを全曲スタジオ録音しているけれど、ちょっともたっとした重たいところがあって(特に第1番)、81歳という高齢ゆえの指回りの悪さを感じさせるし、スタジオ録音特有の穏やかさ(晩年はその傾向が強い)がある。
それはそれで味わいがあるともいえるんだろうけれど、このライブ録音と聴き比べると違いがよくわかって面白い。

ライブ録音では、急速なパッセージでの音の切れが鋭く、ややアッチェレランド気味で急迫感のあるクレッシェンドも勢いがあり、全体的にがスタジオ録音よりもテンションが高くて感情移入は激しい感じ。
そのせいで、凪のような中間部の叙情感が一層深く引立っている。技巧がまだしっかりしていた頃のアラウが弾くスケルツォらしく、後年よりもずっと切れ味の良いスケルツォ。
さすがに少し若い頃の演奏を聴くと、晩年のスタジオ録音には物足りなさを感じるので、第1番を聴くときはいつもライブ録音で。

Youtubeにもアラウのスケルツォが登録されている。
第1番だけはこのアスコーナ音楽祭のライブ録音が音源。(演奏時間も同じだし、聴いてみてもやっぱり同じ演奏だと思う)

tag : ベートーヴェン ショパン アラウ フランツ・リスト

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F.P.ツィンマーマン ~ シベリウス/ヴァイオリン協奏曲
久しぶりに出たフランク・ペーター・ツィンマーマンの新譜は、シベリウスのヴァイオリン協奏曲。
HMVでCDをオーダーしたけれどまだ届かないので、待ちきれなくてNMLで全曲聴いてしまった。こういう時はNMLは本当に重宝。

ツィンマーマンは、シベリウスのヴァイオリン協奏曲を10歳くらいの子供の頃に弾いていて、両親から”まだその曲を弾くのは早いから、弾いてはいけません!”と怒られてしまったという。
それくらい子供の頃からとても好きな曲だったので、まだ若手だった1991年にヤンソンス指揮フィルハーモニア管とEMIに録音している。
この演奏は、テクニカルな切れが良いし、若々しく爽やか。
あまりにサラサラと上手く弾いているので、もう少しスケール感とか骨っぽさが欲しいかなとちょっと贅沢な物足りなさを感じたけれど、それでも変なクセのないすっきりとしたところが、ツィンマーマンらしい真面目さ。
技巧的な難所でも苦もなくさらりと弾いているようだし、クセの強い独特の解釈はしないので、一見してヴィルトオーゾ的な派手なところや個性が強くなくて無味無臭とか言う人もいるらしい。
彼の演奏はどの曲を聴いても、良いバッハ(やベートーヴェンやブラームス、etc.)が聴けたという充足感があって、現役のヴァイオリニストでは一番好きなので、CDやライブ録音も(チャイコフスキーなど聴かない作曲家は別として)まめに集めている。
彼は結構人気はある(らしい)ので、ウェブラジオでも協奏曲のライブ録音や中継を時々放送している。

ツィンマーマンがリサイタル形式で弾いたバッハのヴァイオリン・ソナタのDVD映像に、最近のコンサートで弾いたシベリウスのヴァイオリン協奏曲のライブ映像(曲の一部)があって、これがEMIの録音よりもさらに磨きがかかったように良かったので、早く録音し直してなおしてくれないかなと長い間待っていた。
そのDVDのなかで、この曲についてツィンマーマンが話していたのは、初めて録音して以来長い間弾いていなかったけれど、最近再び弾き始めるようになって、もう一度初めから終わりまで勉強し直した、ということ。
この曲は難しいパッセージが多くて、タイトロープ(綱渡り)のようだとも言っていた。

シベリウス:ヴァイオリン協奏曲/交響詩 「吟遊詩人」/交響詩「森の精」シベリウス:ヴァイオリン協奏曲/交響詩 「吟遊詩人」/交響詩「森の精」
(2010/09/15)
F.P. ツィンマーマン、ストルゴー指揮ヘルシンキ・フィル

試聴する(仏amazon)
ヴァイオリンが炎に包まれている表紙のイラストが面白い。でも、演奏自体は張りと勢いはあるけれど、怒涛の如く炎が燃え盛る...というようなタイプではないと思うけれど。

今回は、なぜかレーベルがフィンランドのOndine。(移籍したのか、それともSONYとの専属契約ではなくなったのかは知らないけど)
指揮者のストルゴーとは、ブゾーニのヴァイオリン協奏曲を録音していた。
この曲自体(演奏ではなく)がどうもパっとしなかったけれど、カップリングされているヴァイオリンソナタ第2番の方は曲も演奏も素晴らしく、バッハとブゾーニのヴァイオリンソナタを聴いてから、すっかりツィンマーマン(とパーチェ)の演奏にはまってしまった。
このブゾーニのCDとバッハのCD&DVDは、数え切れなくくらい(それこそ何十回と)毎日聴いて(観て)いたので、とうとう最近は聴かなくなったけれど、そのうちまた聴きたくなりそう。
シベリウスのコンチェルトは、最近ハーディングやドホナーニの指揮でもコンサートで弾いていて、かなり弾き込んできているらしい。

シベリウスで弾いているヴァイオリンは、旧録の時のヴァイオリンとは違うもので、クライスラーが所有していた1711年製のストラディバリウス。
(ドイツの銀行が貸与しているもので、CDの解説書にはいつもそのことがしつこく書かれているのには閉口してしまう)
バッハのDVDを見ていると、ツィンマーマンがこのストラディバリウスにとても惚れ込んでいるのが良くわかる。絹のようなまろやかさと深みのある落ち着いた音色が、とても品良く聴こえる。

シベリウスのヴァイオリン協奏曲で、今までよく聴いたのはカヴァコスとパールマンの録音。
カヴァコスの線の細いしっとりした叙情感には、ちょっと脆さを感じさせる繊細さがあるけれど、水気を含んだ音がとても美しいシベリウス。
パールマンの全盛期に録音した、美音で明るい伸びやかなシベリウスは、楽天的に歌いだしそうになるのを抑えている気はするけれど、やっぱりロマンティックで爽やかな北欧の夏のよう。

ツィンマーマンのシベリウスはそれとはかなり違った趣き。
元来の切れのよいシャープさにさらに磨きがかかり、男性的な力強さも加わって、旧録よりも大小様々な起伏が多くなって濃淡が濃くなり、彫が深くてダイナミックなシベリウス。
それでもベタベタと感情移入の過剰なところはなくて、細部の端正な繊細さと爽やかな叙情感があるのはいつものツィンマーマンと同じ。(ツィンマーマンの演奏は地味という人もいたけれど)
子供の頃から弾いていた曲なのに、改めて一から勉強し直したというのが演奏に現れているような、細部まで表現が練られている印象。密度が濃くて中身の詰まった質感を感じるのがとても良い感触。

たまたまYoutubeで聴いた有名なアジアの女性ヴァイオリニストのシベリウスは、情念が渦巻く白熱感のある演奏だったので、こういう風に弾く人もいるのね~と珍しく思えたけれど、いろいろレビューを読んでみると、女性ソリストは変にメランコリックだったり、過剰なくらい濃厚なロマンティックな表現で弾く人が結構多いらしい。
こういうタイプの演奏は、ピアノでも苦手なので、それはヴァイオリンの場合でも同じ。
結局、ピアニストとヴァイオリニストの好みのタイプは共通しているので、私の好きなピアニストで一番近いタイプは誰だろう....と考えると、思い浮かんだのはスティーブン・ハフ。
技巧優れたところは同じだけれど、ツィンマーマンは、ハフよりもさらに現代的でシャープな切れ味と、演奏の線がやや太くて男性的な力強さがある。(ハフは、爽やかだけれどかなりロマンティックなところはあるし、線がちょっと細いかも)
現代曲の演奏が冴えているところも似ているし、二人ともとても真面目な性格みたいに思えるし。

このシベリウスの協奏曲も、潔く切れ味の良い急速楽章と、穏やかで端正な落ち着きのある緩徐楽章のバランスがほどよく、期待をはずすことなく良かったので、再録音をずっと待っていたかいがあったというもの。
ウェブラジオのライブ放送で最近聴いたブラームスやベートーヴェンも、やはり以前の録音よりも充実したものがあるので、SONYでもOndineでもどこでも良いから、早く再録音を出して欲しいものです。

tag : シベリウス ツィンマーマン

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イアン・カー著『キース・ジャレット 人と音楽』
バッハの平均律曲集の録音をいろいろ聴いていたら、そういえばキース・ジャレットのCDもあったはず...と思い出した。
キースの平均律は、さらさらと清流が流れていくような蒸留水みたいなところがあるので、そう度々聴くことはないけれど、演奏自体は印象がとても良いので、好きな録音の一つ。
ときどきポピュラー音楽のような軽く滑るようなタッチや音が聴こえるけれど、私にはグルダの平均律の方がポップス的にデフォルメされたクラシックのように聴こえてきて困ってしまう。

キースがピアノで録音しているのは第1集のみ。
第2集はチェンバロで弾いているし、ゴルトベルク変奏曲やフランス組曲の録音もチェンバロ。
クラシック以外でも、クラヴィコードやオルガンで、インプロヴィゼーションで弾いている録音がいくつかある。
もともとチェンバロやオルガンの演奏を聴くことが少ないこともあって、キースの古楽器やオルガンの演奏をいくつか聴いても、もうひとつピンとこない。特にクラシックの曲に関しては、練習と演奏を積んでいる本職のチェンバリストやオルガニストの演奏を聴く方が良いと思うので。

キースとクラシック音楽との関係は、幼少の時のピアノレッスンから初まり、(この本が書かれた頃の話では)自宅ではクラシックをいつも弾いていたというほど長いし、クラシック・ピアニストとしての活動すると決めてからは、テクニカルな練習を集中的に行って、クラシックのプログラムだけの演奏会もたびたび開いていた。

最近は、ジャズピアニストがガーシュウィンのピアノ協奏曲やモーツァルトを弾くのは珍しくもなくなったけれど、レパートリーに関してはキースはかなり本格的。
1979年頃からクラシックの世界に徐々に足を踏み入れた時は、最初はコリン・マクフィー、ルー・ハリソンなどの現代音楽作曲家の作品から始め、1883年にはバルトーク、バーバー、ストラヴィンスキーをコンサートで弾くなど、主に現代曲を欧州で演奏している。
その後で、モーツァルト、ベートーヴェン、バッハ、スカルラッティなどの過去の作品や、ショスタコーヴィチの現代曲も公開演奏で弾き始めた。

平行して、主にECMでバッハ、モーツァルト、ショスタコーヴィチなどの作品を次々に録音。
なかでも珍しいのは、ハリソンの《ピアノ協奏曲》と《ヴァイオリン,ピアノと小管弦楽のための組曲》。《ピアノ協奏曲》は大友直人指揮新日本交響楽団の伴奏で日本で録音している。なぜか、レーベルはECMではなくて、ニュー・ワールド。
ハリソンの曲をいくつか聴いていると、ガムラン(らしい)の音やらどこかの民族楽器の音がするので、ワールドミュージック的な音楽らしい。あまりクラシックのピアニストが好んで弾くタイプの音楽ではないし、ハリソンの作品はそれほど人気がないらしく、録音をめったにみかけない。

クラシックの演奏会は概ね好評でクラシックピアニストとしてはまずまず順調だったけれど、キースは1985年にはクラシック音楽界にはすっかり失望してしまう。
インプロヴィゼーションがそもそも作曲行為なので、クラシックの作曲家に親近感を感じるというけれど、演奏に対する考え方が根本的に異なっていたようで、クラシック音楽界と演奏家には馴染めなかった。
結局、クラシックピアニストとしての活動は本道にそれた道だと悟り、ジャズとクラシックとに同時に専念することは不可能だと結論して、再びジャズの世界へ回帰した。
それ以降も、時々クラシックの音楽をコンサートで弾くことはあっても、あくまで副次的な位置でしかない。

そのあたりのことが、とても詳しく書かれていたのが、イアン・カーによる評伝『キース・ジャレット―人と音楽』。

キース・ジャレット―人と音楽キース・ジャレット―人と音楽
(1992/08)
イアン カー

商品詳細を見る


カバーされているのは幼少~記念碑的なアルバム『スピリッツ』が誕生した1985年までと、その後の1987年までの活動についても少し。

クラシックに関係する活動に関しては、主に第10章チェンジズ、第11章スピリッツ、第12章再生のそれぞれ一部に書かれている。
ジャズの世界とは全く違うクラシック界の雰囲気や演奏家たちとは、結局ほとんどソリが合わず(なぜなのかが詳しく書かれている)、孤立感を深めていき、インプロヴィゼーションを全くしていないというフラストレーションも蓄積して、最後は神経衰弱的な状態に陥ってしまう。
ついにクラシックのコンサートを当分してはならないと結論づけて、今までに失われてしまったものを取り戻すべく、スタジオでフルートを吹いているうちに、突然、劇的に自分の内面が変化していき、衝動のようにインプロヴィゼーションが閃いて、生まれた音楽が『スピリッツ』。
これでキースはジャズの世界へ戻り、さらに進化した音楽をつくっていく....という、ハッピーエンド。(この後、1995年にもまた別の精神的(身体的でもある)な危機が襲ってくるけれど)

ピアニストとしてクラシック音楽界に徐々に入り込むにつれて、絶望的な気持ちになったおかげで、結果的に『スピリッツ』が誕生し、ジャズこそが本来の自分の音楽だと再認識できた...という展開は逆説的というか何と言うか、この挫折体験がなければ、今はどんなピアニストになっていただろうかと想像したくなる。
そういう意味では、クラシック・ピアニストとしての一時期の活動は、わき道どころか、ジャズピアニストとして重要なターニングポイントへ向かうための分かれ道の一方だったのかもしれない。

平均律曲集の録音についても、少し書かれている。
キースが尊敬している指揮者ホグウッドが、この録音を聴いて、「実に素晴らしいものだ。気に入る人もいるだろうし、退屈で面白くないという人もあるだろう。解釈不十分という人もいるだろう・・・・・・・キースは、非=大巨匠タイプのアプローチとでもいうような、(演奏家)が作曲家と聴衆の間にあまりに高い壁を築くのではなく、もっと無色透明のままでとどまるアプローチを目指していた。」と言っていた。

キースの平均律は全体的に明るい色調で、起伏はそれほど強めでもなく、短調の曲でも沈みむようなところはなくてさっぱりした叙情感(ちょっと物足りない気もする)。蒸留水のように無色透明なところがある。
左手側の声部がそれほど強くないせいか、フーガは複数の声部が絡みあう線的な動きがシャープに聴こえてこなかったり、時々入れるトリルの響きがちょっと硬くて面白く聴こえたり、テンポの速いリズミカルな曲は滑らかに弾む生き生きとしたリズム感がとても軽快。
細かく聴いているといろいろ面白いところがあって、これはこれで結構好きな演奏なので、忘れた頃に思い出して聴いている。

バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻
(1992/08/26)
キース・ジャレット

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キースのピアニストとして成功していく過程も面白かったけれど、録音したアルバムの解説的な話もかなり多くて、録音経緯やら演奏の評価まで書かれている。
おかげで、長い間聴いていなかったCDを聴きなおしたり、持っていないCDは聴きたくなったり。

10年くらい前にジャズ・ピアノばかり聴いていた時期があって、それ以来いろんなピアニストの録音を集めてきた。キースの録音は膨大だったので網羅的には揃えることはせず、有名な録音をソロを中心にピアノ・トリオ/カルテットも加えて聴いていた。

キースは、ピアノ・ソロ、ピアノ・トリオ、カルテットのいずれも名盤が多くて、絞り込んだとしても集めるのが大変。
ピアノ・ソロなら、超有名な《ケルン・コンサート》に始まって、《パリ・コンサート》《ブレゲンツ・コンサート》、それに日本公演の《サンベア・コンサート》など。
ソロ以外なら、ヨーロピアン・カルテットの《マイ・ソング》とか、トリオのライブ録音やスタンダード集の定番もの、珍しい既存録音のセレクト盤など。
なかでも一番よく聴いていたのが、ピアノソロアルバムの《The Melody At Night, With You》
これはキースの膨大な録音の中でとても人気のあるアルバム。タイトルどおり、静かな夜に独りで聴きたくなる音楽。

The Melody At Night, With YouThe Melody At Night, With You
(1999/10/19)
Keith Jarrett

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全曲ピアノ・ソロ。シンプルな旋律で内省的な雰囲気が漂い、静かに鳴るピアノの音が澄んでいる。
彼は1995年頃に原因不明の倦怠感や体力低下に悩まされるという慢性疲労症候群にかかり、演奏活動を休止していた。
キースのソロコンサートのライブ録音は、精神が研ぎ澄まされたような極度に高い集中力・凝縮力を感じさせる。そのせいか、キースはコンサート直後は、かなり神経が昂ぶったハイテンションの状態になるという。
膨大な精神的エネルギーを注ぐことで、徐々に精神を疲弊させていたのかもしれない。

このアルバムは、その病から回復しつつあった時期に録音した作品。
ライブ録音のような緊張感はなく、静かに呟くようなピアノの音と穏やかでさらさらとした叙情感が美しく、とても親密な空気が全編に流れている。

聴き手にかなりの集中力が要求される長大な曲が多いソロのライブ録音とは違って、小品を集めた静謐で親密感のあるスタジオ録音なので、このアルバムが好きという人は結構多い。
ジャズに興味のない人でも、《The Melody At Night, With You》はピアノの音も曲もとても綺麗で自然に聴ける(はず)ので、最初に聴くキースのピアノ・ソロならこれが一番馴染みやすい。
ただし、スタジオ/ライブのピアノ・ソロの録音のなかでもかなり異質なアルバム。あまりに違いすぎるので、このイメージのまま他のソロアルバムを聴かない方が良いと思う。
クラシックが好きな人なら、《パリ・コンサート》は比較的聴きやすい(と思う)ピアノ・ソロ。40分近いインプロヴィゼーションなので、聴く方にも集中力が要求されるけれど、バロック音楽を連想させるような和声の響きと旋律が恐ろしいほどに美しくて、キースのアルバムのなかで今一番よく聴いている。

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アラウ ~ ブラームス/ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ
アラウの『ブラームス作品集』に関する追加記事:《ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ》の録音について

アラウはブラームスのピアノ独奏作品のなかで、《ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ》や《ピアノ・ソナタ第3番》をリサイタルで良く弾いていた。
特にヘンデル・ヴァリエーションは、晩年の1978年のスタジオ録音以外に、2種類のライブ録音がリリースされている。
ヘンデル・ヴァリエーションといえば、私がすぐ思い浮かべるのはゼルキン、カッチェン、ウゴルスキ。
アラウの録音はさほど有名ではない気はするし、晩年のスタジオ録音の方がライブ録音よりも(たぶん)よく聴かれている。

スタジオ録音は、晩年のアラウ特有のゆったりしたテンポで、重厚ではあるけれど切れ味が鈍く、技巧の衰えや、ライブ録音とは違う穏やかさを感じる。
第4変奏や第25変奏など、高速の重音移動が多い変奏ではタッチの切れが悪くて重たいし、技巧的な問題からか、以前は入れていなかったルバートやリタルダンドがあちこちで入って、テンポが落ちて勢いがそがれたり、流れの悪さを感じる。
アラウの得意な第24変奏のアルペジオも、ライブ録音ではうねるようにダイナミック(これは何度聴いても迫力がある)だったけれど、スタジオ録音ではうねりが平坦になって躍動感が薄くなっているし、最後のフーガも勢いが弱かったりして、いろいろ気になってしまうところが多い。

スタジオ録音だけ聴いていると、若い頃(といっても60歳だけど)の演奏との違いはわからないけれど、それでも全盛期に録音したゼルキンなどのピアニストの演奏を知っていれば、技巧面や演奏自体の切れの悪さは聴こえてきてしまう。
テンポが遅いこと自体は気にならないけれど、重たくて切れの悪い演奏というのは誰の演奏でもあっても好きではないので、いつもライブ録音の方を聴くことになる。

概して、アラウの1960年前後から1970年前半くらいまでの演奏は、技巧的にほぼ安定しているし、構成力とスケール感があってダイナミックだし、表現も晩年にくらべてロマンティシズムが濃いものが多い。
晩年のゆったりとして重みのあるヘンデル変奏曲が一番素晴らしい!と思う人はともかく、当時60歳だった1963年のシュヴェツィンゲン音楽祭ライヴ(またはルガーノライブ)で弾いたヘンデル・ヴァリエーションは、技巧が安定して演奏の切れ味がよく、表現もずっと豊かで、生き生きとした躍動感と繊細な情感がこもっている。(気合の入りすぎで勢いあまったせいか、ところどころミスタッチがありますが)
何よりも、アラウはライブが”本領”という人もいるくらい、気力溢れる演奏が聴けるというところが私にはとても魅力的。

アラウの《ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ》(ルガーノ・リサイタルのライブ録音)[Youtube]
このルガーノのライブ録音よりも、シュヴェツィンゲンのライブ録音の方がミスタッチが少なく安定して、音質も良いので、私はいつも聴くのはシュヴェツィンゲンの方。

スタジオ録音は廃盤になっているので入手するのはかなり難しい。
ライブ録音なら最近リリースされたCDや、itunestoreのダウンロードで簡単に入手できる。
これは、シュヴェツィンゲン音楽祭のライブ録音のCDで、1963年と1973年のものを収録。60歳と70歳のアラウが弾いていたベートーヴェンやブラームスが聴ける。ヘンデル・ヴァリエーションは1963年の録音。
ピアノ・リサイタル 1963年 & 1973年 - ベートーヴェン&ブラームスピアノ・リサイタル 1963年 & 1973年 - ベートーヴェン&ブラームス
(2009/06/12)
クラウディオ・アラウ

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アラウ ~ ブラームス/4つのバラード
アラウのブラームスといえば、ピアノ協奏曲の第1番と第2番が有名。アラウが得意としていた曲なので、録音も数多く、スタジオ録音が2種、ライブ録音は数知れず...というくらいに多い。
そのわりに独奏曲の方はあまり聴かれていない。ヘンデルヴァリエーション(スタジオ録音は1種類、ライブ録音は2種類)とピアノ・ソナタ第3番(スタジオ・ライブ録音がそれぞれ1種類)以外は、スタジオ録音しか残っていない。
もう廃盤になっているPhiipis盤の『ブラームス/ピアノ作品集』に収録されている独奏曲のなかで、一番良かったと思ったのが《4つのバラード Op.10》。

《4つのバラード》は、ミケランジェリとグールドの演奏がかなり有名で、この2人の演奏を聴いていると、20歳前後の若いブラームスではなくて、晩年のブラームスが作曲したような渋い(とういか鬱々と重苦しい)雰囲気が漂っている。
初めて聴いたのがこの2人の録音だったので、暗い雰囲気のバラードは好きではなくて敬遠していたけれど、いくら評判が良いとはいえ、そもそも元々相性の悪いピアニストの演奏で聴いたのが間違いだと後で気がついた。

ブラームスのピアノ作品全集の録音はいくつかあって、そのなかで一番良く聴くのはカッチェンとレーゼル。
この2人の《4つのバラード》は、それぞれ30歳代と20歳代の時に録音しているせいか、若々しい感情や爽やかな叙情感があって、青年期のブラームスの作品らしく聴こえる。
カッチェンはレーゼルに比べて少し内省的ではあるけれど、全体的にシャープな打鍵とクリアな音色でさっぱりした叙情感。
レーゼルの方は珍しく激しい感情が奔流しているような直截的なタッチで、聴いていてやや一本調子的で疲れてくるところはある。
この2人の演奏に共通して特徴的なのは、第4曲のテンポの速さ。スローテンポで弾くピアニストが多いけれど、この終曲の解釈は速めのテンポで軽やかに明るい色調というのが私のイメージなので、それにぴったり。スローテンポで緩々と弾かれるのは、どうも好きになれない。

                             

最近手に入れたアラウの1977年(74歳)の《4つのバラード》の録音。
ミケランジェリやグールドが録音した年齢よりははるかに高齢なのに、枯れた味わいどころか、若々しい感情が溢れるような躍動感や明るい開放的な雰囲気に加えて、重厚さもあるところがアラウらしくて、この演奏はとても好き。
77歳くらいアラウは、『アラウとの対話』のなかで、人間が年をとると枯淡の境地にならねばならないという考え方はおかしい、多感になっていくものだ、自分自身については表現力は昔よりはるかに強く、演奏に対する集中度もますます高くなっている、と言っていた。

アラウ独特の線が太く深く伸びやかな響きに豊かな色彩感が加わって、ブラームスらしい重みと曲想を鮮やかに表現するのによく似合っている。
1つの物語のような起承転結の流れを感じさせるように、曲ごとのテンポ設定やタッチの変化が明瞭でコントラストもくっきりと強く出ていて、とてもドラマティック。

カッチェンとレーゼルが若々しさを感じさせるブラームスなのに比べると、アラウはやはり壮年期らしい重みと表現の厚みのあるブラームスだけれど、いずれも晩年の鬱々とした重苦しさや寂寥感がないところがとても良い。

《4つのバラード Op.10》[ピティナの作品解説]

第1曲 ニ短調「エドワード」
有名な父親殺しが主題の”エドワード”。素材となったヘルダーの詩「スコットランドのバラード〈エドワード〉」は、問い詰める母親と息子エドワードとの対話で構成されている。

この曲がどうも好きにはなれないのは、もともと曲想が好きでは無い上に、ミケランジェリの陰鬱で淡々としたクールなタッチが、カポーティの『冷血』を思い出せるような冷たさで、この主題にぴったりの凄みがあって、とっても不気味に感じたからに違いない。

アラウの演奏の特徴は、劇を目の当たりに見ているようなリアリティを感じさせるところ。リストの《オーベルマンの谷》のように、心理主義小説を音で聴かされている気もする。
緩急・強弱の変化を強くつけ、エドワードの内面的な感情の葛藤が現れたようなタッチ。特に第2主題のアッチェレランドは急迫感十分。

第2曲 ニ長調
ブラームスらしい”子守歌”風の曲。
アラウの暖かくて色彩感のある伸びやかな音が綺麗で、ゆったりとした時間がのどかに流れるような夢見心地の安らかさ。
と思っていると、感情的に激しいタッチの第2主題が登場して、明暗が錯綜するところがブラームスらしい。

アラウは、この曲が「広大な天と地から受ける」感じがするという。(たぶん2つの対象的な主題が交互に現れてくるところを指している)
そう言われると、冒頭の夢見心地な旋律は雲の上をふわふわ漂っているようだし、次に出てくる主題は大地から湧き上がるような力強さがあって、その2つの主題が交代で繰り返し登場する。

アラウはさらにブラームスの歌曲『野の寂しさ』も連想すると言っている。
歌詞は、野原に寝込んで陶然と雲を眺めている人(たぶん男性)の気持ちを歌ったもの。この歌詞を読むと、最初に出てくる長調の主題部分の曲想に良く合っている。

第3曲 ロ短調
アラウはかなり速いテンポで強い切迫感があって、若いレーゼルと同じような力強いタッチ。
緩やかなテンポと穏やかな曲想の第2曲と第4曲に挟まれているので、緩急のコントラストが明瞭で、この何かに追いたてられるような緊迫感が良い。
ミケランジェリの演奏が面白く思えたのは、やや遅いテンポで、ゴツンゴツンと杭を打ち込むような明確で重たいタッチで弾いているところ。

第4曲 ロ長調
この曲はテンポがとっても気になってしまう。
普通は9分前後のスローテンポで弾いていることが多い。
例外的に速いのは、約5分半のカッチェン、約6分半のレーゼル。軽快で明るい色調で心地良い開放感があるところが、スローな演奏とは違っている。
普通より遅めなのはミケランジェリの11分、グールドの10分。内省的で沈み込むような鬱々とした重たさがあって、どうもこういう弾き方は好きにはなれない。
ソコロフもすこぶるスローテンポ(10分半)で細部まで濃密な繊細さで弾き込んでいるので、いくら好きなソコロフの演奏とはいえ、さすがにこの第4曲だけは避けてしまう。

アラウは9分くらいで弾いているので、ごく普通のテンポだけれど、冒頭主題はやや軽めの柔らかいタッチで、明るく華やかな音色なので、優雅で開放的な雰囲気。
ピアニッシモが続く第2主題も、もやもやとした雰囲気はあるけれど、弱音には暗く沈みこむような響きがなくて明るめの色調。
喩えて言えば、台風が去った後の晴れやかさや穏やかさや、凪のような悠々とした雰囲気があって、明るく白いイメージがする。スローテンポでも、こういう演奏なら全然大丈夫。

『アラウとの対話』のなかで、アラウはこの第4曲について「自然の神秘的体験を極めて強く感じさせます。初めは太陽の光のなかで、そしてにわかに暗がりが襲う中での神秘的体験です。」と言っていて、エンディングが特に素晴らしく、すべてがそこで停止するような恍惚の頂点に達する気がするという。

そういうイメージで聴くと、冒頭主題の晴れやかで煌きのある明るさも、”にわかに暗がりが襲う"もやもやとした中間部のやや曖昧さを含んだ不思議な明るさも、それに全体的に明るく白い光に覆われているようなイメージがするのも、なぜか納得してしまった。
この曲だけでなく、アラウの弾くバラードを聴いて良かったことは、今まで漠然と持っていた曲のイメージが明確になったこと。本当に、どのピアニストのどの(いつの)演奏で聴くかというのはとっても大事。


Brahms: Works for PianoBrahms: Works for Piano
(2003/08/25)
Claudio ArrauBrahms

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『ブラームス作品集』のBOXセットの収録曲は、4つのバラード、ピアノ・ソナタ第2番&第3番、スケルツォ、変奏曲はヘンデルとパガニーニの2曲。それにハイティンクと録音したピアノ協奏曲第1番&第2番。

ピアノ・ソナタは第2番よりも第1番の方を録音して欲しかったし、後期のピアノ小品集が全然録音されていなかったのが残念。
アラウは、第1番は第2番よりも作品の力が弱いと感じていて、お気に召さなかったらしい。後期の作品も晩年になって数曲をリサイタルで弾いている程度。

アラウがよく弾いていたヘンデルヴァリエーションは複数の録音が残っている。
この1978年の録音は、スタジオ録音特有の穏やかさと晩年のゆったりとしたテンポで重みはあるけれど、技巧の衰えと多少の緩さを感じてしまう。
1963年のシュヴェツィンゲン音楽祭やルガーノのライブ録音の方が技巧・表現もずっと良くて、演奏に張りと生気があるので、いつもそちらを聴いている。

tag : ブラームス アラウ ミケランジェリ カッチェン レーゼル

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アンデルシェフスキ ~ バッハ/イギリス組曲第5番
今日の夜中(から朝方にかけて)、ウェブラジオでアンデルシェフスキのリサイタルのライブ録音を放送していたので、久しぶりに聴く。
今月1日に行われたアンゲリカ・カウフマン・ザールでのリサイタルで、シューベルティアーデ・シュヴァルツェンベルク音楽祭のプログラムの一つ。(なぜかシューベルトの曲は全然入っていなかったけど)

夏は朝型リズムに変えているので、2:30~4:00という時間帯(オーストリアの放送局だったので)は、少し眠たかったけれど、アンデルシェフスキのライブ録音はそう頻繁には聴けないし、録音もしたかったので最後まで聴いていた。
学生の頃はNHKFMのエアチェックをよくしていたけれど、今はインターネットのウェブラジオ。
海外のリサイタルは、実演はもちろんTV・ラジオ放送やCDでもなかなか聴けない。それを海外のラジオ局がウェブで数多く放送しているし、そう悪くない音質で聴けるというのは、本当に便利な世の中になったもの。

数ヶ月前に同じくウェブラジオで聴いたアンデルシェフスキのリサイタルのプログラムとほぼ同じ。
バッハの《イギリス組曲第5番》、シューマンのペダルピアノのための《カノン形式による6つの練習曲》&《暁の歌》、ベートーヴェンの《ピアノ・ソナタ第31番》、アンコールはバルトークの《シク地方の3つの民謡》という順番・
今まで聴いたライブ録音は3回とも、最初にバッハ、間にシューマン(とヤナーチェク)、ラストはベートーヴェン、アンコールはバルトークというパターン。
カーネギーホールのライブ録音のCDでは、シューマンイヤーではなかったので、シューマンは《ウィーンの謝肉祭の道化》の1曲だけ。その変わりヤナーチェクの《霧の中で》が入っていた。

                                   

最初はバッハの《イギリス組曲第5番》。
この曲はホルショフスキのライブ録音で初めて聴いて、今までイギリス組曲を敬遠したのが自分で不思議に思ったくらいに好みの曲。ホルショフスキの演奏があまりに素晴らしくて、開眼したのかも。
昔はわりと好きだった《フランス組曲》は全然聴かなくなって、今気に入っているのは《イギリス組曲》の方。
ホルショフスキは第2番と第5番のライブ録音、アンデルシェフスキは第6番のスタジオ録音があるので、この3曲は特に良く聴いている。

ホルショフスキの第5番はとてもゆったりしたテンポだけれど、朗々とした深くホールに鳴り響きは荘重で厳か。
他のピアニストではなかなか聴けないタッチなので、いろいろ録音を探してみて同じくらいに素晴らしいと感じたのは、ピアノ演奏ではなく、レオンハルトのチェンバロ盤。
チェンバロ演奏は音色や奏法が好きではないので、ピノックの録音をいくつか聴くくらい。例外的に、レオンハルトが弾く《イギリス組曲》は、ホルショフスキと並んで気に入って、かなり良く聴いたと思う。

ホルショフスキの《イギリス組曲第5番》が収録されているカザルス・ホール・リサイタル(1987年)のCD。このとき実に95歳。
ミエチスラフ・ホルショフスキー・カザルス・ホール・ライヴ1987ミエチスラフ・ホルショフスキー・カザルス・ホール・ライヴ1987
(2005/07/20)
ホルショフスキー(ミエチスラフ)

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レオンハルトの《イギリス組曲》。《6つのパルティータ》とカップリングした盤もあるけれど、パルティータは試聴してみて、チェンバロ独特の奏法が全く合わなかったのでパス。
これは再録音盤なので、昔とちがって弾き方があっさりして流麗で、音も柔らかくて、私には聴きやすい。
Bach:English SuitesBach:English Suites
(2003/01/24)
Gustav Leonhardt

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アンデルシェフスキの《イギリス組曲第5番》は、ホルショフスキのような残響の多い荘重な響きと叙情感の深い演奏ではなくて、現代的とでもいうのか、残響少なめの透明感のある音で、軽やかでやや柔らかい響きのノンレガートとレガートを交えた流麗な流れが美しく、テンポも速くてタッチも明瞭で切れ良く、軽快なリズム感、それに、さらりとした叙情感のあるバッハ。

一番好きなPreludeは軽快で明るい色調。荘重さや急迫感は薄めで、これは前回聴いたライブ録音でも同じだけれど、タッチがしっかりめで力感が強くなっている。
明瞭で歯切れよい音と、時に入れるあっさりとした装飾音が軽いアクセントになり、全体的に速いテンポで疾走感もあり、リズミカル。
声部の分離も明瞭で、横の線の流れが滑らかでほどよい力感があり、大仰さのない細やかな起伏をつけながら、淀みなく音楽が流れていく。
ホルショフスキを聴き慣れていると、最初聴いたときはちょっと物足りなく思えたけれど、よく考えるとシフやペライアも似たようなタッチではあるし、ホルショフスキのような演奏の方が珍しいのかもと思い直した。
それに何度か繰り返して聴くほどに、芯のしっかりした澄んでやや丸みのある響きが心地良く、さらりとした叙情感が体のなかにしみこんでくるようで、やはりアンデルシェフスキのバッハはとてもしっくりと馴染む。

Allemandeも、やや速めのテンポでタッチは軽やか。水気を含んだような柔らかな響きと、淡い哀感が美しく、Couranteも速いテンポでリズム感のあるちょっと上品な舞曲風。
Sarabandeはさすがにゆったりととても密やか。繊細ではあるけれど、深くはのめりこまないさらりとした叙情感があり、Rondeauは鐘が鳴っているような優雅な響きが綺麗。
最後のGigueは今までは一番力強いタッチで切迫感があるけれど、時に柔らかいタッチで柔らかな響きのレガートも美しい。
Gigueを聴くと、旋律が上行したと思ったら下行したり、半音階的な進行の和声の響きに不安定感を感じて、時々なぜか眩暈がしそうな変な感覚がして、曲が逆さまになって沈んでいきそうな気がする。

アンデルシェフスキのバッハは、ノンレガートでも軽やかで柔らかいタッチが耳に心地良く、色彩感のある響き、特に弱音のしっとりして繊細な響きがいつもながら美しい。
音の粒立ちの良いタッチで声部ごとの響きも変えて旋律線がどれも明瞭、フレージングがとても自然に聴こえて立体感もあって、喩えて言えば、装飾が少なくシンプルで無駄のない彫刻のようで、端正で均整の取れた構築美を感じる。
重厚・荘重さや強い叙情感はないけれど、ほぼインテンポで装飾音は凝らずにさりげなく、明瞭でほどよい強弱のコントラストやリズム感も品が良く、淀みない流麗さとさらりとした叙情感がとても美しくて、何度でも聴いていたくなる。
やはりアンデルシェフスキのバッハはいつ聴いても良いものです。

                                   

次の曲はシューマンのペダルピアノのための《カノン形式による6つの練習曲》
今年はシューマンイヤーなので、珍しい《カノン形式による6つの練習曲》を入れている。この曲を初めて聴いたのが、前回(数ヶ月前)のアンデルシェフスキのライブ録音だった。
他のピアノ版の録音をいくつか聴いたけれどあまり良い演奏がなくて、結局、アンデルシェフスキのライブ録音が、ベストと思えるほどにピアノの音と叙情感が美しい。
特に、カスケードのように重なっていく柔らかな響きはオルガンかハープのようで、その美しさは格別。

シューマンの《暁の歌》は綺麗な曲なのだろうけれどよくはわからない。シューマンは、ピアノ協奏曲とたまに《クライスレリアーナ》くらいしか聴かないので。

最後はベートーヴェンの《ピアノ・ソナタ第31番》
アンデルシェフスキが昔からレパートリーにしている曲で、いつ聴いても素晴らしい演奏。
でも、カーネギー・ホールのライブ録音の印象が強烈だったので、それに比べると劇的なところが薄まっているような気はする。
カーネギーホールのライブ録音だと、かなりディナーミクがより強調されて起伏が大きく、ドラマティクで深い重い感情に覆われているような印象だった。今回はそれよりはややさっぱりとしているような...。細かく聴き比べればかなり解釈が変わっているところがあるのかもしれないけれど、そこまではせず。
2回目のアリオーソはかなり息が絶え絶え...という感じが強くなっているかも。
それにアリオーソから最後のフーガに移る和音の連打が、かなり厳めしい響きで力強い重たい。まるで鋼鉄の扉を鉄の棒でが~んが~んと打ち鳴らしているような感じ。あまり好きな響きではないし、(たぶん)フィッシャーが言っていた”心臓の鼓動”のように、生気を取り戻すような感じはしない。

終盤でテンポを上げていく部分は、ほんのちょっとテンポが前のめり気味に速い感じがして、音が濁ったりミスタッチがあって、ややせわしない感じがしないでもなかった。前回のライブの方がテンポも打鍵も安定していたのは確か。

アンコールは、いつもの通りバルトークの《シク地方の3つの民謡》。”チーク地方”と訳している場合もある。
旋律と和声の響きがとても美しくて、朗々としているけれど、深くしっとりした静けさと繊細な叙情感も漂っている。この曲を聴くと、いつも目の前でぱっと鮮やかな色が突然広がる感じがする。

今回はインターネットの回線が安定していて、ノイズも中断も全くなく、全曲良い音質で無事録音完了。
特にアンデルシェフスキのスタジオ・ライブ録音が全く出ていない《イギリス組曲第5番》とシューマンの《カノン形式による6つの練習曲》は、繰り返し聴きたいと思う曲と演奏なので、夜中に起きていたかいもあったと満足できたせいか、この日は熟睡できました。


[関連する過去の記事]

シューマン/ドビュッシー編曲 ~ カノン形式による6つの練習曲(独奏版&2台のピアノ用編曲版)の記事

アンデルシェフスキ ~ ベートーヴェン/ピアノ・ソナタ第31番 (カーネギー・ホール・ライブ)の記事

バルトーク/シク地方の3つのハンガリー民謡の記事

tag : バッハ シューマン バルトーク ベートーヴェン アンデルシェフスキ

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ホルショフスキ ~ バッハ/平均律クラヴィーア曲集第1巻
フィッシャーの古い平均律の録音を聴いていて思い出したのが、ホルショフスキの平均律曲集。
平均律は新しい録音で評判の良い録音があれば、第1集だけは聴くようにしているけれど、あまり好きではない平均律のわりに、意外にいろいろ聴いていた。
第1集に限れば聴いた録音は、リヒテル、シフ、ムストネン、フェルナー、コロリオフ、ニコラーエワ(抜粋盤のみ)、ホルショフスキ、ポリーニ、グルダ、フィッシャー、グールド、アシュケナージ、それに変わったところでは、キース・ジャレット(ピアノ・ソロがわりと好きなので)。(他に聴いたような気もするけれど、すっかり忘れている)
相性の良し悪しがはっきりとわかる曲集なので、今でも聴くのは、ムストネン、フェルナー、コロリオフ、ホルショフスキ。最近は、フィッシャーがこれに加わったし、キースは滅多に聴かないけれど、演奏自体はとても好き。
今は、この6人の平均律以外は、特に聴きたいという気が起こらないので、全く聴かない。

よく聴くのはフェルナーとコロリオフ。特にフェルナーは今までには聴いたことがないくらい柔らかくて綺麗な音で、起伏はやや緩やかで微温的。
もっと線が明瞭で構造がよくわかる硬質な演奏を聴きたい時はコロリオフ。頭のなかがシャキッとする感覚がして、とても気持ちよい。
でも、今まで一番強烈な印象だったのがムストネン。抽象的な別の世界にいるような平均律なので、日常的に聴くにはかなり独特というか特異。音の刺激が強いので、それが薄れた頃に聴きたくなる。
もう一つ、忘れたころの聴きたくなるのは、ホルショフスキ。
平均律という言葉を聴いても、ホルショフスキの録音は意識に上らないことが多いのに、あるとき突然ホルショフスキのバッハを思い出して、聴きたくなる。
たぶんいろんな演奏を聴いていると、程度の差はあってもピアニストの音の特性や表現の個性が反映されているので、だんだん精神的に疲れてくるからに違いない。
こういう時には、飾り気のないシンプルなバッハが聴きたくなって、ホルショフスキに戻ってしまう。まるで長い間帰っていなかった生まれ故郷へ戻ったような懐かしさと安心感がとても心地良くて。

ホルショフスキはムストネンと正反対で、とてもオーソドックス(なのだと思う)でかなり地味。
一般的にはさほど知られても聴かれていないに違いない。録音したのは1979~80年。ホルショフスキは88歳!たぶん平均律を録音した最高齢記録に違いない。
なにせ超高齢なので、指がもつれ気味なところはあるけれど、やや粘り気の丁寧で明瞭なタッチで確実に一音一音を弾き込んでいき、無理なく自然に音楽が流れていく。
音の切れもわりと良くて、強弱や音色・響きもよくコントロールされているので、聴いていても安定感がある。
高齢だからテンポが遅い..というわけでは全くなく、速いテンポで弾いている曲も結構あって、リズム感も良くてとても軽快。
外見的には派手さもなくて地味な印象なのは間違いないけれど、高齢ゆえの”枯れた”ようなところは全然なくて、シンプルに凝縮されて実がしっかりと詰まっている。

ホルショフスキと同じ年齢の88歳の時に、アラウもバッハのパルティータを録音(1991年)しているけれど、アラウは技術的な衰えがかなり目立っていた。同じ年齢とはいえホルショフスキの技巧がずっと安定しているのは驚き。
パルティータと平均律という曲集の違いはあるとはいえ、アラウのパルティータは強い感情移入を感じさせるウェットなところがあって、時にかなりの重さを感じることがある。
ホルショフスキの平均律は淡々としたなかに深い情感や情熱があって、それがよくコントロールされた穏やかでさりげない表現で、精神的にとっても落ち着ける。

1987年の95歳の来日公演でも、大きく崩れることなく2日間のリサイタルを弾き切っていたという。(私はライブ録音を聴いただけだけど)
そのころには視野の中心が見えなくなっていたらしく、”鍵盤など見えなくてもピアノは弾けるよ”と、こともなげに言ってしまうところが何とも言えません。

バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻
(2004/09/22)
ミエチスラフ・ホルショフスキー

試聴する(国内盤にリンク)
第2集も一部録音していたけれど未完。リサイタルでは、第2集の曲も弾いていた。

ホルショフスキの平均律は、一言で言えばシンプル。
ペダルはほとんど使っていない(と思う)ので残響も短く、響きが混濁せずに音が明瞭。
同じ部屋で弾いているのかと錯覚するような近さで聴こえてきて、木質感のあるアコースティックな響きがホルショフスキの平均律の奏法によく合っている。
あまり残響の多い音は好きではないので(曲や演奏内容にもよるけれど)、こういう素朴な響きのする音がなぜか懐かしい気がする。

ノンレガートは柔らかくて軽やかなタッチで、キンキンと耳に鋭くささることもなく、レガートは流麗になりすぎることなく、一つ一つの音も旋律もクリアにくっきりと聴こえる。
ダイナミックレンジはあまり広くはなく、特にフォルテの音量はやや控えめ。タッチ自体はしっかりしているので、弱音であっても芯のある音で、全体的に揺らぎなくかっちりとした安定感がある。

まず冒頭のプレリュードからして、遅すぎ速すぎもしないほどよいテンポと芯のしっかりした太めの明瞭な響きで、飾り気のない素朴な感じがとっても良い。
続くフーガも淡々とした雰囲気で、声部が明瞭に引き分けられて、絡みあう声部が混濁することなく、主旋律を強く強調せずとも、重唱しているように聴こえる。ホルショフスキのフーガは、多少指がもつれがちなところはあるけれど明晰。
第2番のテンポの速いプレリュードは、シャープで鋭いタッチ...とはいかないけれど、力強いしっかりしたタッチでじわじわと迫ってくるようで、速いテンポでビュンビュン弾くよりは、粘着力があって重みがある。
ホルショフスキはリズムがとても軽快で、第3番のプレリュードとフーガは、速いテンポと丸みのある響きで、とても小気味良い。それにしても、思いのほか速いテンポで弾いているのに気がついて、

第4番のプレリュードも、抑揚自体は緩やかで、やわらかいタッチの弱音も穏やか。叙情的というよりは淡々としているけれど、沈みこんでいくように物静かで内省的。この曲はかなり好きだけど、あまり叙情的に魅かれるとちょっと重たいので、ホルショフスキのさらさらとした哀感がほど良い感じ。
フーガになると、ゴツゴツしたタッチとやわらかい弱音のレガートが交錯し、オルガン的な荘重な響きはないけれど、厳か。
短調でゆったりとしたテンポの8番のフーガも、静寂で張り詰めた雰囲気のなかに敬虔なものを感じて、聴いていると自然と息をつめていたりする。
短調の曲は一見もの静かでさらさらとした叙情感を感じるけれど、繰り返し聴いていると、実は底流では強い感情や情熱といったものが流れているようにも感じられてくるところが不思議。

第9番のプレリュードになると、冒頭の音でそれまでの緊張がほどけて、柔らかい弱音が静かに響いて穏やかでとても優しい。この曲の演奏や13番のプレリュードはとっても素敵。
続く第13番のフーガも、軽やかなタッチのなかに、優しい情感がさらりと込められているよう。
ゆったりした長調の曲は、ホルショフスキの優しく暖かみのある弱音とさりげない情感がとてもよく映えていて、特に好きな演奏が多い。

ホルショフスキの平均律は演奏も音も淡々としてシンプル。
弱音は艶やかさとか華やかさのある響きではないけれど、時には暖かく優しく、時には瞑想的・思索的で引き締まった美しさがあり、厳粛な短調のフーガではストイックにも聴こえる。
極端なテンポ設定や強い強弱のコントラストをつけてはいないし、凝ったフレージングでもなくて、刺激的な面白さなどとは無縁。リズムミカルで軽やかではあっても、ドラマティック、ダイナミックなところはかなり薄い。
それでも、過剰な表現は抑制した淡々とした演奏のなかから、レリーフのようにくっきりと浮かび上がってくる何かがあって、あまりに飾り気ないので、独り静かにじっくりと聴かないと聴き過ごしてしまいそうになる。
おかげで、ホルショフスキの平均律を聴くときは、他のピアニストの録音を聴くよりもずっと集中して聴く習慣がついてしまった。

ホルショフスキの平均律は、いわば”引き算の平均律”。いろんな余剰な部分を全て取り去って後に残された凝縮された美しさは、”シンプル・イズ・ベスト”という言葉がぴったり。
ホルショフスキの平均律にも、独自の解釈が当然入っているわけだけれど、なぜかピアニストの影を感じさせないものがあって、音が本来あるべき姿のまま表現されているような感覚がする。他のどのピアニストの録音よりも、それを強く感じる。
そういえば、マレイ・ペライアがホルショフスキを評していった"he played bach like he was composing it."(バッハを自ら作曲したかのように弾く)という言葉がよく引用されている。

忘れた頃に必ず思い出してホルショフスキの平均律を聴きたくなるのは、あまりに多くの演奏と解釈を聴くと頭や感覚が飽和状態になって、原点回帰したくなるからだろうし、体のなかに浸透した余剰なものを全て洗い流してくれるような浄化作用があるからかもしれない。


[ホルショフスキに関する過去の記事はこちら]
バッハ/イギリス組曲第5番(カザルス・ホール・リサイタルより)
バッハ/イギリス組曲第2番

tag : バッハ ホルショフスキ

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好きな作曲家:ベートーヴェン、ブラームス、バッハ、リスト。主に聴くのは、ピアノ独奏曲とピアノ協奏曲、ピアノの入った室内楽曲(ヴァイオリンソナタ、チェロソナタ、ピアノ三重奏曲など)。

好きなピアニスト:カッチェン、レーゼル、ハフ、コロリオフ、フィオレンティーノ、パーチェ、デュシャーブル、アラウ

好きなヴァイオリニスト:F.P.ツィンマーマン、スーク

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