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ガヴリーロフ ~ バッハ/フランス組曲
フランス組曲といえば、第5番が一番有名。この曲は誰が弾いても美しい曲なので昔から好きだったけれど、他の曲はほとんど記憶に残っていない。

偶然に知ったガヴリーロフのフランス組曲の全曲盤を聴いていると、第5番はアンデルジェフスキと同じくらいに素晴らしく思えたし、短調の第1番~第3番の美しさもとても印象的。
とりわけ気に入ったのが第1番。もしかしたら第5番よりも好みに合っているかも。
それにどの曲も、アルマンドの旋律は溜め息がでそうなくらいに哀感が漂って美しいし、クーランドは歯切れ良いタッチとリズムで躍動感いっぱい。
フランス組曲がこんなに綺麗な曲だったなんて、昔は聴く耳が悪かったんだろうか...と思えたので、もう一度、5番以外をグールド、リヒテル、シフ、ヒューイットとかでいろいろ聴いてみても、やっぱりそんなに綺麗な曲には聴こえない。

どうも”ガヴリーロフの”フランス組曲が魅力的に聴こえてしまうらしい。
タッチの力の入れ具合とか長さとか、ペダルをかけた響きやテンポ、フレージングとか、要は弾き方全てが私の波長にぴったり。
特にノンレガートでも軽やかで柔らかなタッチとペダルで微妙に変化する響きが耳に心地よく、流れるようなレガートや語りかけるような繊細で親密感のある弱音の美しさにうっとり。
本当に、どうしてこんなに美しいフランス組曲が弾けるんでしょう??

ガヴリーロフのフランス組曲は、レビューをいろいろ読んでいても、賛否両論あるらしく、バッハ弾きのオーセンティックな奏法にこだわる人は受け入れ難いところがあるらしい。
そういう奏法の細かな規範的なところはよくわからないので気にもしないけれど、全曲盤はガヴリーロフの録音だけあれば良いくらい。
短調の曲では羽毛のように柔らかく憂いを帯びたしっとりした音色がなんとも言いようのないほど美しく、後半の長調の曲は伸びやかで開放感に溢れていて、聴いているととても幸せな気持ちになってくる。

1993年に録音したDG盤のライナーノートには、バッハに対するアプローチについて、ガヴリーロフのコメントが載っている。
ガヴリーロフが言うには、3歳のときに初めてバッハを聴いて、すでに5歳にはピアノでバッハを弾くときの個人的なアプローチがある程度定まっていて、それは年を重ねていってもほとんど変わっていない。

バッハを弾くのはハープシコードかピアノか..という昔からの議論についても、彼の考え方は明確。
声部に色彩感を加えることのできる音の多彩さとその魅力という点で、ピアノが優っているし、バッハの音楽には完璧に似合っている。今の時代にとってバッハの多様性を強く伝えたるためには、音の豊かさを最大化するあらゆる手法を使うべきだ、とガヴリーロフは全く迷いがない。
ただし、ハープシコード演奏の様式やテクニックを下敷きにして演奏(draw)するべきだという意見には、極端に過度にならない限り、Yes。(ハープシコード的な響きをピアノで使っていることもある)

ペダルについては、ガヴリーロフは補助的に使っているという。
アルマンドは柔らかい響きが重なりつつも長すぎず、濁ることがない。浅めのペダルを短く細かく入れているのかも。クーラントはほとんどノーペダルらしい。
バッハへのアプローチに関して大きな影響を受けたのは、グールドとリヒテル。
全く正反対な演奏スタイルなので、グールドはロマンティックな要素を避けるためにノーペダル、リヒテルは時にかなり自由にペダルを使っていた。
ガヴリーロフは、この2人の伝統なスタイルを発展させて行きたいと強く思っているという。
ガブリーロフのこの言葉に続けて、”One could do worse.”と、ライナーノートの解説者は結んでいたけれど。

この両極端なグールドとリヒテルの両者の奏法を発展させていくというのは、なかなか想像しがたいけど...。
グールドのテンポの速さとノンレガートの切れの良いタッチ、リヒテルのペダリングのかかった響きの美しさとフレージングの滑らかさをあわせると、ガヴリーロフが弾いているフランス組曲のようなタッチに似てくると言えなくはないかも。
ガヴリーロフのゴルトベルクはちょっとグールド風、このフランス組曲はグールドよりはリヒテルの方に近い感じ。

それにしても、とても個性的で、とても美しく自然な音楽が流れるバッハ。
なかなか他のピアニストでは聴けない素晴らしさがあるのに、なぜあまり知られていないのでしょう?
ガヴリーロフのディスコグラフィを眺めていると、有名なショパンのエチュードや難曲のイスラメイ、豪快なラフマニノフにチャイコフスキー、それにプロコフィエフとか、力技の必要な難曲が並んでいるので(他にヘンデルもあるけれど)、彼が弾くバッハというのはやっぱりかなり意外。
同じバッハでも、92年に録音したゴルトベルクの方は、指が良く回るのは良いけれどテンポが速くて(変奏によってはショパンのエチュードみたいな猛スピードだったりする)、装飾音がごちゃごちゃしてたり、ノンガレートが硬くクリスピーだったりとか、ちょっとグールド風な感じのするところがあったりする。
フランス組曲とはかなり違った弾き方で、ゴルトベルクの方が、今までのガヴリーロフのイメージに近い。
ガヴリーロフのショパンのエチュードと同様、ゴルトベルクも全然合わなかったし...と思いながらも、聴いてみたフランス組曲が期待はずれに素晴らしくて、まるで別人のよう。
今まで聴いてきたピアニストの録音のなかでも、とりわけ意外性と驚きに満ちたものの一つでした。

French Suites Bwv 812-817French Suites Bwv 812-817
(2003/04/01)
Andrei Gavrilov

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tag : バッハ ガヴリーロフ

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カッチェン ~ バッハ&ベートーヴェン/ライブ録音集
カッチェンのとても珍しいライブ録音集は、カナダのDoremiレーベルから10月にリリース。
すべて1960年代前半のライブ録音で、スタジオ録音のあるベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番以外は、既発盤には収録されていない曲ばかり。
ソロ、コンチェルト、室内楽とバラエティがあって良いけれど、ライブだとスタジオ録音以上に気合が入ってしまうのか、ついつい止まるに止まれず加速してしまうのが、良くも悪くもカッチェンらしいところ。
ケース裏面のジャケットに「Volume1」と書かれている。ということは、この後もライブ録音がリリースされるはず!「Volume2」はいつ出るんでしょう?早くを出してくれないかなあ。

Beethoven & BachBeethoven & Bach
(2010/09/14)
Julius Katchen

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収録曲は放送用録音が音源らしく、60年代前半のモノラルにしては、協奏曲以外は聴きやすい音質。
特にバッハは小さなホールかスタジオでライブを聴いているように、近くてクリアな音。チェロソナタはちょっとくぐもった音で、途中でピアノの音の距離感が変わったりする。
協奏曲の音質は一番悪いけれど、ピアノの音はわりと明瞭に聴こえるので、カッチェンのピアノだけ聴く分にはそこそこ聴ける。

バッハ/パルティータ第2番ハ短調BWV.826(1965年9月25日,ルートヴィヒスブルク)
パルティータのなかでは一番好きな曲で、いつも聴いているのはソコロフ。
カッチェンはノンレガートは使っているけれど、ルバートや凝った装飾音は使わず、インテンポで骨格がかっちり。
アーティキュレーションに凝ってはいないので、クセの無いフレージングと歌いまわしで、流れはレガートな音楽。
音色の多彩さで声部を弾き分けるのではなく、主旋律と副旋律との強弱のコントラストをつけ、起伏の多い弾き方で、特に主旋律を弾く左手は力強くシャープなタッチ。
縦の線の揃い方がやや緩い感じで、複数の声部が絡み合うところ線を明瞭にして立体的に聴かせるようなバッハ弾きの演奏とは違う。
タッチの精妙さとか対位法の妙を味わうのではなく、構成感と叙情美の美しさがとても印象的。

いつもながら速めのテンポで、このパルティータでも、ロンドとカプリッチョでやっぱりテンポが加速している。
シャープなタッチのロンドは、初めはそれほどでもなかったけれど、段々テンポが速まって(何回か聴いたら慣れたけど、やっぱり速い)、細かいパッセージでタッチがやや滑り気味だったり、フレーズ末尾の打鍵が曖昧で音がたまに抜けたりするところが少し。
最後のカプリッチョは、ロンドよりテンポを落としているので普通に速くて、細部でちょっと粗いかなあという感じはするけれど、両曲とも勢いよく、前へ前へとぐいぐい進んでいく。速いテンポで推進力のあるのは、カッチェンらしいところ。

全体的に硬質の引き締まった叙情美がとても美しく、特に初めの3曲(シンフォニア、アルマンド、クーラント)のなんて綺麗なこと。特に柔らかく密やかな弱音が儚げでとても綺麗。
シャープで線のしっかりした音は冷んやりした水気のある蒼みのある(ように感じる)音色。これが曲想によく映えて、悲愴感のあるシンフォニアは情緒過多になることなく、アルマンドもクーラントも速めのテンポで、硬質の瑞々しい叙情感がなんとも言えません。


<追記 2012.9.12>
最初のシンフォニアのGraveで出てくる「16分音符」と「32音符の付点」の弾き分け方について、面白い記事を見つけた。
”パルティータ2番って難しいよねの巻” [音楽図鑑:近況報告]
シフとグールドの演奏映像を聴いてみると、たしかにシフの弾き方は楽譜とは違う。楽譜通りの音価・リズムで弾くグールドとは、耳から聴いても違いがわかる。
カッチェンは、テンポはかなり遅いけれど、楽譜どおりのリズムで弾いていた。


ベートーヴェン/創作主題による32の変奏曲WoO.80(1962年10月11日,パリ)
ベートーヴェンの変奏曲中、ディアベリ、エロイカについで(たぶん)有名なのが、この32の変奏曲。
もともと短調なのである程度緊張感のある曲だけれど、カッチェンが速いテンポと力強いシャープなタッチで弾くと、これ以上はないというくらいに緊迫感に満ちていて、かなりの迫力。
この曲で聴いていたのがアラウ、ムストネンにブレンデル。
いずれもカッチェンと方向性が違っていて、一番オーソドックス(と思う)解釈はアラウ。アラウは少し遅めのテンポが基調で(演奏時間は12分半くらい)、旋律・和声を色彩感豊かに描写して、物語風。
時々速いテンポのフォルテで弾く変奏が、全体を引き締めるようなアクセントになっているけれど、強い緊迫感はなく、ひたひたと不穏なものが静かに迫りつつあるような雰囲気。

カッチェンは演奏時間が10分あまり。いつものようにかなり速めのテンポ。
厳つい岩に波が激しく打ち寄せるようにゴツゴツと荒々しくて、鉛色の暗雲が垂れ込めているようにモノクローム的。時々挿入される緩徐系の静かな変奏でほっと一息。でも、不穏な予感が漂っているような静けさ。
まるで最初から最後まで強い嵐が吹き荒れていて、時に風雨が弱まったり、一瞬凪がやってくるけれど、やっぱり嵐は吹き止まず...といった雰囲気。カッチェンは物語風ではなくて、嵐を実写したモノクロ映像的。
線のしっかりした量感・力感のある音で、低音のクレッシェンドは波が激しくうねるよう。高速のフォルテの変奏で細かいスケールや重音のパッセージや連続していくと、怒涛が渦巻くような勢いで、力強くて豪快なベートーヴェン。
緩徐系の変奏になると、密やかで柔らかい弱音に抑制された悲愴感が漂い、突き刺すような冷んやりした硬質の叙情感が美しく、硬軟・強弱・緩急のコントラストを明瞭にした、とてもカッチェンらしい弾き方。

32ある変奏は、同系列の変奏がいくつか続いてグループになっている。アラウは変奏ごとに細かく表情づけをしているけれど、カッチェンは変奏群ごとに表情が変わっていく感じ。
変奏ごとの微妙な違いを味わうというタイプではなくても、この曲でこれだけ張り詰めた緊迫感に満ちた演奏はなかなか聴けない。
叙情感が美しいバッハとは違って、力強く構造堅牢でありながら音のキレが良くスピード感もあって(それに加速して音抜けすることもないし)、テクニカルにはバッハよりも安心して聴ける。
このアルバムの中では、バッハの最初の3曲と同じくらいに良くて、CDを買って良かった~と思えた演奏でした。


ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第4番ト長調Op.58 (伴奏:ヨッフム指揮バイエルン放送交響楽団,1962年3月5日、場所の記載なし)

各楽章ともスタジオ録音より速めのテンポ。特に第1楽章が16分半と、おそらく数あるこの曲の録音のなかで最速。17分13秒で弾いていたスタジオ録音よりもさらに速い。(普通は、いくら速くても17分台。18~19分台が多い)
(アラウが巷の演奏を評して、”この第1楽章はいつも速く弾きすぎている。アレグロ・モデラートの「モデラート」の文字は赤インクで特記すべきです”...なんて言っていたのを思い出した。)

細かいパッセージが続くとテンポが加速してしまうので、初めはオケがついていけずにちょっとピアノとずれている。
その後は伴奏もテンポを上げていたけれど、指揮者とオケは止まるに止まれぬピアニストに合わせるのに苦労していたに違いない。それに、オケもピアノと似たように勢いよく聴こえる。
弱音部分は落ち着いた雰囲気でも、他のところが速くて元気なので、音質の影響もあってか、全体的にしっとりした叙情感はそれほど感じなくて、良く言えば明るくて快活。(悪く言えば、せわしなくて賑やか)

第2楽章は、一転してカッチェンらしい硬質の透明感のある叙情感が美しく、第3楽章も速いテンポだけれど、Vivaceなので良いとして、粒立ちの良い音とクルクルとよく回る指で軽快なタッチ。(でも、やっぱり時々テンポが少し上がってたりする)
このライブ録音に比べれば、途中で加速して速すぎると批評されていたスタジオ録音でさえ、そんなに速いと感じなくなる。
スタジオ録音を聴き直してみたら、テンポはずっと安定していて落ち着きもあるし、第1楽章はしとやかな弱音が美しく、フォルテへと盛り上がっていくところのタメもよく利いて、静と動のコントラストが鮮やかで爽快。なぜか以前よりも印象が(さらに)良くなって、ライブ録音を聴いたおかげらしい。

第4番はYoutubeに1968年のプラハの春音楽祭のライブ映像(ノイマン指揮プラハ響の伴奏)が残っていて、第1楽章だけを聴いた限りでは、テンポはスタジオ録音よりは少し遅めで、途中でいつものように加速することなく落ち着きがあり、引き締まったタッチと澄んだ叙情感が美しい演奏。颯爽としてとても良い感じの演奏なので、これをCDで出してくれたら良いのに..といつも思っている。


最後に収録されているのはベートーヴェン/チェロソナタ第5番ニ長調Op.102-2
チェロがカザルス、1960年8月6日、プラドで開催されたカザルス音楽祭のライブ録音。
チェロが入った曲はピアノ三重奏曲以外はほとんど聴かないので、ベートーヴェンのチェロ・ソナタはウィスペルウェイ&ラツィックの録音で数回聴いたのみ。それも第1番~第3番と変奏曲は好きだったけど、第5番はあまり記憶に残っていない。
カッチェンのピアノ伴奏といえば、スークとスタジオ録音したブラームスのヴァイオリンソナタ。冒頭を少し聴いただけで、その美しさにうっとり。
このチェロソナタでは、チェロよりほんの少しピアノが遅れ気味に入ってくることが結構あって、スーク(やシュタルケル)とのように呼吸がぴったり...というわけではなさそう。チェロの存在感が強くて、ピアノは印象が薄い気がする。
曲自体さほど好きというわけではないので、演奏がどうこうというよりも、カッチェンのピアノ伴奏が聴けただけで充分良かったというところ。

 Reissue CD Reviews :Julius Katchen, Volume I [AUDIOPHILE AUDITION]

 『ジュリアス・カッチェンにまつわるお話』

 ジュリアス・カッチェンのディスコグラフィ

tag : カッチェン バッハ ベートーヴェン

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トラーゼ ~ プロコフィエフ/ピアノ協奏曲第3番
トラーゼのプロコフィエフのピアノ協奏曲全集は、(私にはまだよくわからない第5番を除いては)どの曲ともあまりに個性的なので、好みに合えばこんなに面白く聴けるプロコフィエフも珍しい。
トラーゼの全集の白眉は第2番だけれど、第3番も他のピアニストではなかなか聴けないユニークさ。

トラーゼが米国を拠点に活動しているだけあって、トラーゼの録音に関する米国のamazonサイトのレビューの数はかなり多いし、評価もとても良い。
日本では、このトラーゼの全集はあまり人気がないらしく(ほとんどレビューがないし)、わりと人気のある(らしい)アシュケナージの録音に比べると、アーティキュレーションに凝った豊かな表現と、重戦車のような迫力と濃厚な叙情感。これは好みがはっきり分かれるに違いない。

第3番は”スピードが勝負”とかプロコフィエフが言っていたらしく、総じて速いテンポで軽快な演奏は多い。聴いているときは結構面白いけれど、聴き終わったら、一体どんな曲だったっけ?と、なかなか記憶に残らない。

トラーゼの第2番はとても暗くて重々しい深刻なトーンの演奏だったけれど、第3番は一転して冒頭から猛スピードのピアノ・ソロ。
この始まりからして、この第3番の演奏も個性的になりそうな予感。
トラーゼのテンポは急速部分ではかなりの猛スピード。そのわりに音も響きも明瞭で軽やかで音にも色彩感があって、騒々しさや単調さは感じない。
特に左手の存在感が強いところと、不協和音の響きが鮮やかに聴こえてくるところが面白い。
中間部の緩徐部分はテンポがかなり落ちて、まったりしたタッチで叙情感たっぷり。色彩感のある音色が美しく、前後の急速部分とのコントラストがとても鮮やか。
全体的に、リズムや強弱のコントラストを強調して、これ以上はないというくらいにメリハリがついている。スピード感があってタッチの切れの良いので、力感と量感のあるフォルテは重厚ではあるけれど、鈍重な感じは全くしない。
鋼のように弾力のある引き締まった音で弾くフォルテは、勢いと力強さは怒涛の如く凄いものがあるけれど、音が割れることも濁ることもないところが、やたらにバンバンと鍵盤を強打して荒っぽい演奏のピアニストとは違うところ。
ショスタコーヴィチの自作自演のピアノ協奏曲第1番のような破天荒なスピード感と、カプースチンのような重戦車のごとき力感・量感とが相まった面白さ。
とあるレビューには《田園をけたたましいエンジン音を立てて爆走していくハーレー》と形容されていた。あまりにぴったりなので、これは笑えました。

楽章間の表情の変化はもちろん、プロコフィエフのピアノ協奏曲やピアノ・ソナタは、中間部で180度表情が急変することが多いので、初めて聴く曲の時は、楽章が変わったんだろうか?と思ってプレーヤーのトラック表示をよく確認していた。(最近は曲を覚えたので、そういうことはしなくなった)
トラーゼの演奏が魅力的なのは、シベリアの熊のごときパワフルさと、繊細で濃厚な叙情性との両方が共存していて、その両極の間を表情がコロっと急転直下しても、自然におさまってしまうところ。
オケもトラーゼのピアノに合わせたように、表情がダイナミックに変化し、強奏時は大音量で迫力もあってロシア的な野生味のある地鳴りのような轟音だったり、叙情的な部分は濃密でややネットリした音と表現になったりと、伴奏部分も聴いていて面白い。

第1番は、トラーゼにしてはわりと軽快で爽やか。若々しいプロコフィエフが書いた作品らしい溌剌としたところが聴きやすいし、第2楽章の叙情感も濃厚。
第4番は第3番の雰囲気に近くて、スピード感もあって、音があちこち飛び跳ねて、かなり賑やか。
第4番は、どちらかというと、ベロフの演奏の方が軽やかで落ち着きがあって好きだけれど、トラーゼの第4番は面白いことは面白い。

5 Piano Concertos5 Piano Concertos
(1998/03/17)
Alexander Toradze (Piano),Valery Gergiev (Conductor),Kirov Orchestra

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このCDのレビューで参考になったのは2つ。これを読んでほとんどCDを買う気になったし、念のための試聴した感触もとても良かったし。実際にCDで聴いてみても、レビューどおり極めて個性的。

トロンボーンを吹きによるクラシックの嗜好(全集のレビュー)
Kyushima's Home Page : ピアノ協奏曲第2番ピアノ協奏曲第3番

tag : プロコフィエフ トラーゼ

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スーク&カッチェン ~ ブラームス/ヴァイオリンソナタ第1番
秋になると(もう晩秋か初冬だけど)聴きたくなるのはブラームス。
カッチェン&カザルスのベートーヴェンのチェロソナタのライブ録音を聴いたせいで、カッチェンのピアノ伴奏が素晴らしく綺麗なブラームスのヴァイオリンソナタが聴きたくなって。

カッチェンがソロで弾くときは、速めのテンポで力感・量感のあるタッチで弾くことが多いのに、ピアノ伴奏をしている時は、やや控えめな柔らかいタッチで、ヴァイオリンにぴったり寄り添うような奥ゆかしさ。
ブラームスの室内楽を聴くときは、いつもこのヴァイオリンソナタと、シュタルケルも加わったピアノ三重奏曲。

少し寒いけれど陽射しが柔らかい秋の休日の朝には、甘い音色とロマンティックな旋律でしっとりと優しい雰囲気のヴァイオリンソナタの第1番、それも第1楽章がよく似合う。
このヴァイオリンソナタを録音した当時、カッチェンとスークは40歳前後。音楽の方向性も似ているところがあったせいか、呼吸がぴったり。
スークの美音に加えて、カッチェンのピアノの優しく甘い繊細な響きがとても綺麗で、淡い陰翳のあるとても爽やかな叙情感のブラームス。

Josef Suk,J. Katchen,Brahms Violin Sonata G-major 1



Violin Sonatas: Decca LegendsViolin Sonatas: Decca Legends
(2001/02/06)
Josef Suk, Julius Katchen

試聴ファイル



副題の「雨の歌」はブラームス自身がつけたのではなく、第3楽章の冒頭の旋律が歌曲「雨の歌」から引用されていることからつけられた通称のようなもの。特に「雨」について歌った曲ではないと言われている。
この曲に関するエピソードもあって、以前この曲の記事のなかで書きました。
スーク&カッチェン~ブラームス/ヴァイオリン・ソナタ第1番 《雨の歌》の記事


 ヴァイオリンソナタ第2番の記事

 ヴァイオリンソナタ第3番の記事

 『ジュリアス・カッチェンにまつわるお話』

 ジュリアス・カッチェンのディスコグラフィ

tag : ブラームス スーク カッチェン

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ブラッド・メルドー 『エレゲイア・サイクル』
ジャズのソロ・ピアノのなかでは、クラシック的な風合いがあってちょっと現代音楽風(?)というか、理屈っぽいというか、頭の体操になって面白いのがブラッド・メルドー。
ソロアルバムは2枚。“哀歌”を主題にした『Elegiac Cycle(エレゲイア・サイクル)』(1999年)と、東京すみだトリフォニーホールで収録された『Live in Tokyo』(2004年)。

『Elegiac Cycle』は、エレジーをテーマにしてオリジナル曲を集めたアルバムで、作風といい曲の配列といい、ジャズ・ピアノのアルバムとしては、かなり異色。
ライナーノートには、哲学的めいた理屈っぽいメルドーの書いた文章が載っている。
あまり良くわからないところはあるけれど、メルドーの考え方やこのアルバムの意図らしきものを読み取ることはできて、これはこれで面白い。
でも、肝心の曲目解説がない。こういうコンセプト性の強いオリジナル曲の場合は解説をしっかり書いておいて欲しい気はする。

ライナーノートには、アルバムのコンセプトに関連する思索的な文章がいろいろ載っているけれど、形式については、”僕のエレジーの試みに最も近いモデルはベートーヴェンの後期やシューマンの、メモリー・ミュージックと呼ばれる循環的な作品群である。冒頭に現われる主題が、発展しながら延々言及され、最後に変形されて戻る。”
さらに続けて、”我々が得るのは二つある、時間が与えてくれた体験、そして我々のはかなさとは裏腹に、常に戻ってくる不可避的なものの慰め。...気味の思いがどうあれ、物事は永久に終ってしまうというのは錯覚だ。全ては幾度も幾度も周期をなして巡ってくる。”
最後は、”死ぬこと、思い出されること。音楽は、そのこと自体へエレジーを歌う。我々の周りにある”日々”の喪失を美化し、我々がいかに死と親密になれるかを教えてくれる。”


循環するのは、各曲のなかだけでなく、『Elegiac Cycle』というアルバムのタイトルどおり、このアルバムの中でも、主題が様々に形を変えて循環しているようで、構成からしてメルドーらしいこだわりが感じられる。
作風もモダン・ジャズというには、クラシックとの強い親和性を感じるものがあるので、クロスオーバー風(?)とでも言えば良いのか...。

Elegiac CycleElegiac Cycle
(1999/06/03)
Brad Mehldau

試聴する(米amazon)


メルドーのピアノの特徴は、キースやエヴァンスのように音自体が強い吸引力は持っていないけれど、微妙なニュアンスをもった色彩感のある柔らかな響きで、とても詩的な雰囲気が漂う。
6歳からずっとクラシック・ピアノを弾いていたせいか、ジャズ・ピアニストにしては、音色・響きや表現が多彩。
メルドーが、ルネ・フレミングやアンネ・ゾフィー・フォン・オッターのピアノ伴奏者として、CDをリリースしているのも、全然意外に思えない。

右手が主旋律を弾いているが、左手側の伴奏が単なるコード進行のようなものではなく、副旋律のように存在感があったり、副旋律が内声部に現われたり、いろいろな旋律が錯綜して絡みあうところが独特。
声部が錯綜するところでも、それぞれの旋律の動きが明瞭に浮き上がって、こういうところはフーガを聴いているような感覚。

和声もやや不協和的な響きが入って、かなり現代的というか、乾いた叙情感のある響きが詩的でファンタスティック。
この旋律やフレーズは何を表しているのだろうかと、いろいろ想像したくなってくる。視覚を喚起するのではなく、抽象的な概念とか事象を連想させるところが面白い。


《Bard》(放浪詩人)では、全曲に共通したある”雰囲気”が初めに現われてくる。曲によって旋律や音の配列、テンポなどは全然違っても、多分和声的に似通っているところがあるので、底流に同じようなものが流れている感じがするのかも。

《Resignation》(放棄)(「放棄」という日本語曲名はどこか変な気が)は、《Bard》の第2主題であるかのようなムードの主旋律、副旋律、それに左手の流麗な伴奏の3声部に分かれて、これが絡み合いながら展開されていく。

Brad Mehldau - Resignation (solo)

これは放送用のライブ録音なので、こっちの方が不協和的な和声をかなり使っていて、CDの録音とは随分違った演奏。ジャズの場合は、同じ曲でも毎回違った演奏が聴けるのが面白いところ。

《Memory's Tricks》(記憶の悪戯)の主題はシャンソンの”枯葉よ~”みたいな綺麗な旋律。
静かなゆったりしたテンポで始まり、徐々に加速していくところからが面白い。
記憶がデフラグされているように、いろんな旋律のフラグメントが現われては消えていき、旋律の調性が右手と左手が違ったり(ように聴こえる)、左手はある時は伴奏的な音を弾いたり、別の時には主旋律とは全然違った旋律を弾いたり。
それが速いテンポで目まぐるしく展開していくので、かなり分裂・錯綜した雰囲気。ちょっと現代的なフーガ風?
最後は記憶が断片化したように、バラバラと左手と右手が単音のまとまりのない音の塊を交互に弾いてエンディング。
確かに《Memory's Tricks》というタイトルどおり、記憶が混乱して支離滅裂になっていくような感じのとっても面白い曲。
なによりも、こういう展開なのに不思議と冒頭のエレジー的な雰囲気が失われていないところが、摩訶不思議。

アメリカのナイーブさ(純真さ)の喪失を嘆いたバロウズやキンズバーグに捧げる《Elegy For William Burroughs And Allen Ginsberg》は、ノスタルジーを感じさせるバラード調。

同じく叙情性の強い《Lament For Linus》(ライナスへの哀悼)は、冒頭の吟遊詩人の変奏曲風。
ライナスって誰だろう?多分、詩人なんだと思うけど。
97年のジャズフェスバルで弾いていたトリオバージョン[Youtube]もあり。

《Trailer Park Ghost》(トレイラー・パークの幽霊)は、デビューした頃の小曽根真のオリジナル曲を連想した曲。左手のアルペジオのリズムや音の動き方が似ている気がしたので。
右手の旋律は、あてどもなく徘徊しまわる幽霊のように、目まぐるしく鍵盤上を脈絡なく動き回っている。
左手側は主にオスティナート的に、和音が音型を変えながら展開していく。《Memory's Tricks》にちょっと雰囲気が似ている。
でも、どうして”トレイラー・パークの幽霊”なんだろう?

一転してゆったりとしたテンポの《Goodbye Storyteller (For Fred Myrow)》(さよなら、ストリーテイラー(フレッド・マイロウへ捧ぐ)) は静かなバラード風。
右手の旋律は、わりとメロディアスにまとまった旋律。左手は流麗なアルペジオの伴奏で、ノスタルジーを感じさせるしっとりとした叙情感のあるとても綺麗な曲。

《Ruckblick》(回顧)は、まるで時間の流れをあらわしているかのように、左手が伴奏的にトリル/トレモロを延々と弾きつづけるところが、不可思議な雰囲気。
その上を右手が思い巡らすような感じで断片的な旋律を弾き、時々、《Bard》の主題旋律が織り込まれている。
このアルバムの中で、一番多彩な響きと繊細な表現の曲。

珍しくアタッカでつながっている《The Bard Returns》(詩人の帰還)は、タイトルどおり、放浪詩人が帰還して冒頭の《Bard》が再現されている。

このソロアルバムは、トリオで弾くピアノよりも、音がはるかに綺麗で表現も繊細。
東京のリサイタルのライブ録音とは違って、全曲メルドーのオリジナルで曲・演奏とも完成度が高く、メルドーのピアノの魅力が良くわかります。

tag : ブラッド・メルドー

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ガブリーロフ ~ ショパン/ノクターン、バッハ/平均律曲集
ガヴリーロフが2007年4月のリサイタルで弾いていたショパンの夜想曲。
英国ガーディアン誌のウェブサイトの記事<'Feel free': Gavrilov plays Chopin>から、7曲のライブ録音がダウンロードできます。

まさに記事が評したとおり、”Feel free”なノクターン。
こんなアゴーギグたっぷりで、ドラマティックな夜想曲は誰も弾かないだろうと思えるほど。
夜静かに物想いにふけるというよりは、感情の横溢して激しく浮き沈みするバラードを聴いているような気分。
今まで聴いたことのあるノクターンとは、全く違う曲に聴こえてくる。こんなに素敵な曲だったのかと思い直しました。

ショパンのノクターンを聴いているといつも眠たくなるので、この曲集は誰の演奏を聴いても好きになれない。
でも、ガヴリーロフのノクターンなら、まず眠気を誘うことはなく(逆に目が醒める)、音はとても力強いけれど、響きは濁ることなくクリア。
全体的に音量が大きく、フォルテは強くて、もとから線の太い音質なので鋼のようにビシビシ。普通の静かでちょっとロマンティックなノクターンが好きな人には、騒々しすぎてあまり向かないかも。
でも、このフォルテのおかげで、弱音の美しさが一層引き立っていて、この弱音がモノローグのように内省的な雰囲気。静と動が一瞬にして移り変わり、激しく交錯して、これ以上はないというくらいに大胆な起伏に富んだノクターン。

1曲目の演奏が終って、聴きなれたノクターンとはあまりに違うせいか、ややためらいがちに拍手している聴衆に向かって、ガヴリーロフが言った言葉が”Feel free”。
この言葉は、ガヴリーロフのノクターンの演奏そのもの。
ロシアのピアニストに関する本を読んでいたら、ガヴリーロフは若い頃から、感情の赴くままに弾いていると指摘されていて、自己抑制が課題...なんていう評価が書かれていた。

ライブ録音なので演奏後の拍手が入っていて、演奏が進むにつれて、拍手にも力がこもっていく。
これだけ個性的なノクターンを聴かされたら、好き嫌いはともかく、思わず拍手したくなりそう。
ハ短調Op.48-1が終った直後は、とりわけ盛大な拍手歓声。(たぶんプログラムの最後?)。
このノクターンの演奏が一番好きで、曲自体も良いけれど、ささやくように繊細で憂いに満ちているかと思うと、激しくドラマティックにと移ろいゆく表情が鮮やかで、ほんとにバラードみたい。

アラウのノクターンもかなりバラード風で重々しくもドラマティックなところはあったけれど(でもやっぱり眠くなる)、ガヴリーロフのノクターンはそれをはるかに上回って、こんなノクターンが聴きたかった...という、(普通の)ノクターンらしくないノクターン。
ガブリーロフのノクターンなら、眠たくなることもなく全曲最後まで聴けそうなので、全集録音してくれたら良いのに。

このライブ録音のことを知ったのは、たまたまガヴリーロフのプロコフィエフについてを検索して見つけた記事を読んでいて。
ウェブラジオ番組表をアップしてくれている「おかか1968」さんのブログ記事<おかえりなさい。アンドレイ・ウラディーミロヴィチ。>に、ガブリーロフの複雑なピアニスト人生が書かれていて、1990年代の挫折体験が書かれている。(かなり有名な話らしい。ガヴリーロフはあまり聴いてこなかったので、そういう話は知らなかったけど)
出典は、ガーディアン誌のインタヴュー記事<The pianist who fell to earth>

ガヴリーロフは、初めはEMI、次にDGと契約して次々と録音をリリース。1990年代半ばまではキラ星の如く輝くスーパースターだった。
1993年10月にDGに再録音したガヴリーロフのフランス組曲の美しさはEMI時代の旧盤と変わらず、ショパンのエチュードとはあまりに違っていて、全く驚きだった。
繊細さと力強さを合わせもった自由で伸びやかなフランス組曲の演奏からは、芸術的クライシスに陥っているかのような迷いや不安定さを感じることはないけれど、この頃かこの後くらいから、ガヴリーロフが暗中模索し始めた時期らしい。
ベルギー女王臨席のリサイタルを直前にキャンセルして以降、演奏会でのトラブルも多くなって、ピアニスト人生が暗転。DGとの契約も家も家族も失い、コンサートもほとんど開くことができず、長らく表舞台から消えていたようで、そういえば新譜が全然出ていなかった。

その5~6年後くらい、2000年に弾いていたバッハの平均律の第1番~第12番。Youtubeで聴いてみると、清々しく澄み切っていてとても温もりのあるバッハ。第1番のフーガや第4番のプレリュードとフーガはまるでモノローグのよう。
以前聴いたときは、ガヴリーロフにしては穏やかで、フランス組曲の方が自由で伸びやかな印象だった。
1990年代のガヴリーロフの苦境を知ってしまうと、この平均律の穏やかさは、まるで憑きものが落ちたかのように自分と静かに向き合っているような心境なんだろうか?と想像してしまう。
この平均律の方が、夜静かに想いを巡らすノクターンのような安らかさがあり、ゆったりとした短調の曲にはバッハらしい静謐な厳かさが漂っていて、聴けば聴くほどにじんわりと染み込んでくる。

Bach - WTC I (Andrei Gavrilov) - Prelude & Fugue No. 1 in C Major BWV 846


ノクターンは2007年春の音楽祭でのリサイタル。捉われることのない自由さで弾かれたノクターンは、ショパンのノクターンらしさとは異質な演奏に違いないけれど、なぜか作為性とかあざとさを感じることはなくて、内面から自然に湧き出てきたような音楽。
ピアニスト人生の天国と地獄を彷徨ったかのようなガヴリーロフのノクターンは、自由だけれど気ままに奔放というわけでもなく、強い確信を持った揺るぎなさを感じさせる。知性と感情とがようやく折り合いをつけるようになったのかもしれない。
このノクターンは好みははっきりと分かれる。あまりに自信に満ちた弾きぶりなので、こういうノクターンがあっても良いかも...と納得させられてしまう人は、意外と少なくないかも。(ダメな人はどうしても受け入れられないと思うけど)

tag : ガヴリーロフ ショパン バッハ

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ヘンリー・クーパーjr.著 『アポロ13号 奇跡の生還』
立花隆の『ぼくはこんな本を読んできた』は、彼の読書に対する考え方や読書術がいろいろ書かれていて、これは読書論のなかではかなり面白く読めた本。
この本に限らず、彼の政治・時事もののルポルタージュはどれを読んでも面白い。
昔は頻繁に本を出していたけれど、最近は病気療養のためか、評論や新著をあまり見かけないのが残念。

ぼくはこんな本を読んできた―立花式読書論、読書術、書斎論 (文春文庫)ぼくはこんな本を読んできた―立花式読書論、読書術、書斎論 (文春文庫)
(1999/03)
立花 隆

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印象的だったのは、学生時代は文学や小説といったフィクションばかり読んでいて、出版社に入社して先輩から「ノンフィクションを読め!」と言われたというところ。
ルポとかドキュメンタリーを小説よりもレベルが低いと見なしていてあまり読まなかった彼が、本格的にノンフィクションを読み出すと、これが面白くて、それからはフィクションよりもノンフィクションばかり読むようになったという。

この部分が強く記憶に残っていたせいか、昔から歴史ものや時事ものはかなり好きだったこともあって、ノンフィクションを意識的に多く読むようになった。
そこまでは良かったけれど、フィクションを読む気が全然起こらなくなって、昔読んでいた小説を除いては、今では、伝記、評論、歴史、ルポものとかのノンフィクション系しか読まなくなってしまった。あるテーマの本を読むとしても、探すのはノンフィクション系。
歴史的事実や人物をベースにした小説ならたまに読むこともあるけれど、それ以外のフィクションは若い頃のように単純に感情的にシンクロするような読み方はできなくなっているので、もう読むことはほとんどない気がする。
映画もここ数年めったに見なくなってしまったのは、本と同じくフィクションの世界にリアリティを感じなくなったからかも。映画を見るとしても『エリザベス』とかの歴史物とか、実話を基にした映画くらいかな。

ノンフィクションもので面白いものはたくさんあったけれど、特に強い印象を受けた本の一つが『アポロ13号 奇跡の生還』。原題は『13:THE FLIGHT THAT FAILED』。
翻訳者は立花隆。(下訳は鶴岡雄二氏。まえがきで下訳者を明記して謝意を表しているところは、有名人の翻訳本にしては珍しいかも)
本書を読むと、現実は常にフィクションを超えるものだと実感するし、緊迫感とリアリティに溢れてスリリング。下手なSF小説やパニック映画がつまらなく思えてきてしまう。

アポロというと、日本では月面着陸したアポロ11号が有名。考えられない事故を起こして無事地球に帰還することができたアポロ13号のことはあまり知られていない。
このドキュメントを読んでいると、訳者がまえがきで書いているように、「アポロ11号の成功よりも、アポロ13号の失敗のほうが、アメリカの宇宙技術のすごさを示している」と思わずにはいられない。
アポロ13号の打ち上げから地球への帰還までの顛末(Wikipedia)


「考えられない事故」というのは、2基の酸素タンクが両方使えなくなり、3基の燃料電池のうち2つが壊れ、2つの電力供給ラインの一つが使えなくなったという、だれもシミュレーションしなかった想定外の事故。
エネルギー供給がほとんど絶たれたために、わずかに残った酸素・水・電力、反対に増加する二酸化炭素という厳しい船内環境と、アポロの隔壁の向うは地球から数十万キロの離れた真空で零下100℃以下の宇宙空間という、過酷な状況。地球上の事故のように外部から救援が駆けつけることは不可能。
それでも、3人の宇宙飛行士を無事地球へ帰還させることができたことは、邦訳のタイトルが”奇跡”と謳っているのも全然大袈裟には思えない。

アポロの船内と地上の管制センターの状況が、時系列でドキュメンタリー風に書かれている。
技術面の説明もわかりやすく、全く想定していなかったトラブルが次から次へと発生して、その新たな難題に対処するために、考えられるいろいろな原因や選択肢を考慮して、的確に状況を分析し判断を下していく様子が、臨場感のある文章で描かれていて、TVドラマの『24』ばりに面白い。
いわゆるベテランは少なく、20代、30代の若いスタッフがほとんど。この異常事態を乗り切ったのは、個々人の能力の高さと、組織としての危機管理能力の高さの両方が備わっていたからで、「読んでいて驚くのは、これだけのことをなしとげるアメリカの技術的底力であり、組織力である」と立花隆が書いていたことと同じことを感じる人は多いのでは。

アポロ13号 奇跡の生還 (新潮文庫)アポロ13号 奇跡の生還 (新潮文庫)
(1998/06)
ヘンリー,Jr. クーパー

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本を読むのはどうも...という向きには、トム・ハンクスが出演していた映画も公開されていて、こっちも面白い。(私は昔からSF映画が好きだったので、最初にこの映画をみて、それから本が出ているのを知りました)
基本的にはシリアスな映画。でも、船長の家庭の様子とTV局のエピソードは、エンターテイメント映画らしく挿入されたもの。
アポロ13号の船長役のトム・ハンクスはあまり記憶に残っていなくて、それよりも地上で陣頭指揮をとったNASAの飛行管制官ジーン・クランツ役のエド・ハリスの演技が真に迫ってリアルだった。

特に印象に残ったシーンは2つ。
出発直前にはしかに感染した疑いで交代させられた宇宙飛行士のケン・マッティングリーが、地上のシミュレーターで何度も試行錯誤しながら、最少限の電力で地球へ再突入するためのチェックリストを短時間で作っていくシーン。
それに、船内で増加する二酸化炭素を吸収するために、NASAの地上スタッフが宇宙船にある物だけで空気清浄機を考えだすシーン。
当時の管制センターの運営方法や技術的なレベル、危機的な状況下で判断基準、当事者たちが何を考えていたのかとか、細部を知りたければ本の方を読みましょう。
映画『アポロ13号』のあらすじ[Wikipedia](かなり詳しい。史実との比較まで載っている)


アポロ13 【プレミアム・ベスト・コレクション1800円】 [DVD]アポロ13 【プレミアム・ベスト・コレクション1800円】 [DVD]
(2009/07/08)
監督:ロン・ハワード, 出演:ケビン・ベーコン, エド・ハリス, ビル・パクストン, ゲイリー・シニーズ, トム・ハンクス

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湯山昭/お菓子の世界
現代のクラシック音楽の作曲家というと、難解な作品ばかり書いているというわけではなくて、湯山昭の『お菓子の世界』や吉松隆の『プレイアデス舞曲集』は、譜面もメロディもシンプルで、調性も安定したとてもわかりやすくて、なじみやすい曲。

日本のクラシック畑の作曲家が書いた作品のなかで、(文部省唱歌とかを除いて)一番よく弾かれている(だろうと思う)のが湯山昭の『お菓子の世界』。
子供が発表会でよく弾く曲集で、1974年の出版以来通算130刷だそう。バイエル・チェルニー並ではないかとも思えるほどのロングセラー。
曲名にお菓子の名前がついているので、食べられないけどとっても美味しそうで、この曲集は子供のころからとても好き。
曲自体はあまり記憶に残っていなくても、タイトルだけはしっかり記憶に刷り込まれている。

子供には食いつきの良い、というか、とっつきのよい曲名なので、弾いているとお菓子のイメージが浮かんできて、いたく食欲を刺激されるところが、ダイエットの大敵。
弾けばひくほど、サブリミナル効果をもたらしているような....。

1. <序曲> お菓子のベルト・コンベヤー
2. シュー・クリーム
3. バウムクーヘン
4. 柿の種
5. ショートケーキ
6. ホット・ケーキ
7. <間奏曲1.> むしば
8. ウエハース (子守歌)
9. ドロップス
10. チョコ・バー
11. バースデー・ケーキ
12. クッキー
13. <間奏曲2.> どうしてふとるのかしら
14. ヌガー
15. ソフトクリーム
16. ボンボン
17. 鬼あられ
18. マロン・グラッセ
19. <間奏曲3.> くいしんぼう
20. 金平糖
21. プリン
22. ポップ・コーン
23. チューインガム
24. 甘納豆
25. ドーナッツ
26. <終曲> お菓子の行進曲

洋菓子と和菓子では使っている音階が違うし、それぞれのお菓子のイメージにあわせて曲想も当然変わる。
しっとり甘いケーキ系は優しげなレガートが多く、手軽なおやつのドーナツ、ホットケーキ、ポップコーンとかはポップで明るい。マロン・グラッセはちょっと印象主義風。
洋菓子系で特に面白いのは、チョコバーとチューインガム。ジャズ風のリズムと旋律で洒落ているけど、子供にはちょっと大人っぽすぎて、このムードがわかるかな?
チョコバーは、不協和的なやや濁った和声が、ちょっとワルガキっぽくてキケンな感じ。

和菓子系はとっても印象的。柿の種、金平糖、甘納豆、鬼あられ。
洋菓子系は数が多いだけに似たようなタッチの曲がいくつかあるのと比べると、和菓子系の曲は数も少なく、日本の昔ながらの民謡風な旋律とリズムで書かれていて、独特な面白さがある。
テンポやリズムが随分違った曲も多くて、お菓子好きにはいろいろイマジネーションが膨らんでくるというとっても面白い曲集。

湯山昭/ピアノ曲集「お菓子の世界」の解説(ハインの好きなクラシック)


湯山昭 ピアノ曲集 お菓子の世界湯山昭 ピアノ曲集 お菓子の世界
(2010/04/21)
堀江真理子

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ビェルケ ~ ニールセン/ピアノ作品全集
ニールセンといえば交響曲第4番《不滅》。第5番も有名らしく、他にはクラリネット協奏曲と木管五重奏曲が代表作。
ニールセンがピアノを見たのが10代半ばで、その音色の多彩さと表現力の幅広さにいたく感動したらしい。
ピアノが得意というわけではなかったせいか、ピアノ作品はあまり多くなく、コンチェルトは残さず。
独奏曲もCD2枚分くらいの数しか書いていない。
それにしては作風は多彩で、旋律や和声も美しく、数は少なくても内容的にはかなり充実している(と思う)。

ニールセンはノルウェーあたりの作曲家だと思っていたらデンマークの人。グリーグやシベリウスのピアノ曲のような北欧の薫りがする。
《シャコンヌ》以前の作品は、グリーグよりもひんやりさっぱりした叙情感のなかにもほのかな暖かみがあり、旋律や和声は綺麗だけれど、短調の曲は厳しくストイックな雰囲気が漂っている。
こういうタイプの曲は温暖な気候の土地でなく、冬の寒さの厳しい北方でしか生まれないような気もする。
わかりやすく言えば、ベートーヴェンの面影を残しながら、ブラームスとシューマンをブレンドしたとでも言えば良いのか...。
《シャコンヌ》以降、作風が変わったようで、徐々に調性感が曖昧なところが増えて、旋律もかなり自由なフレーズが増えて、音をオスティナートすることも多くなって、ドビュッシーとプロコフィエフを連想させるような、現代的なタッチ。

なぜかニールセンのピアノ作品全集の録音は結構多く、ミナ・ミラー(Danacord)、クリスティーナ・ビェルケ(CPO)、エリザベト・ウェステンホルツ(BIS)と女性ピアニストに人気がある。
他には、ピーター・セイヴェライト(Naxos)、マーティン・ロスコー(Hyperion)とアンスネス(これは5曲のみ)など。
ロスコー、アンスネス以外の録音はNMLにあるのであれこれ聴いてみると、ミラーとビェルケは叙情性が強く、反対にウェステンホルツはかなり筋肉質的な力強いタッチ。
ミラーはLP時代からニールセンの録音では定評があるらしい。
録音が新しいビェルケとウェステンホルツは音が良い。
結局、《交響的組曲》を聴き比べてみて、叙情的で色彩感のある音が綺麗なニールセンと同国人のビェルケ盤で。

Carl Nielsen: Complete Piano WorksCarl Nielsen: Complete Piano Works
(2008/11/18)
Christina Bjørkøe

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ニールセンのピアノ作品の代表作とされるのは、《シャコンヌ》と《主題と変奏》。《不滅》と同じ年に書かれて曲で、静と動が交錯して結構ドラマティック。
聴きやすくて人気がある(らしい)のは《5つの小品》。
《クリスマスの夢》も短いながらも、”きよしこの夜”の旋律をモチーフにしたとても清々しく美しい、ちょっとモダンな曲。
《交響的組曲》は力強いシンフォニックな曲。こっちの方がニールセンのイメージに合っているような...。
ほのかな暖かさと透明感のある叙情はあるけれど、背後にストイックな厳しさも感じさせるところが、叙情性の強いグリーグや、ちょっと無愛想なシベリウスのピアノ曲と違っていて、これはとっても好みに合っている。
ピアノ協奏曲を書いていなかったのが残念。

《5つの小品/5 Piano Pieces》Op.3(1890)
1. 民謡 "Folketone"
   やや陰鬱で悲愴な雰囲気の旋律で始まり、一瞬長調に転調するがすぐに元の短調にもどってしまう。
2. ユモレスク "Humoreske"
   どことなく哀感の漂う短調のワルツ。中間部はとても優雅で明るいワルツに変わる。
   この冒頭の旋律はとても印象的で、どこかで聴いたことがある曲。
   もしかしてとても有名な曲なのかも。
3. アラベスク "Arabeske"
   これも短調の曲で、ちょっとおっかなびっくりという感じの変わったリズム。
4. ミニョン "Mignon"
   アラベスクと左手のリズムが似ている。冒頭は静かで、途中と最後で感情がいきなり噴出したようなフォルテの和音。
5. 妖精の踊り "Alfedans"
   この曲も短調の密やかなワルツ。この小品集は短調ばかりだった。

《交響的組曲/Symphonic Suite》Op.8(1894)
タイトルどおり、シンフォニックな響きが荘重でストイックな雰囲気。この曲集中、一番好きな曲。
静と動、緩と急、短調と長調が交錯して、起伏が激しく立体感がある。
和音が多いので下手なペダリングだと響きが混濁しそうだけれど、ビェルケのピアノは響きが厚くても音は綺麗。

第1曲 Intonation
冒頭は叩きつけるように力強い和音で始まり、主題の旋律は悲愴で厳粛な面持ち。重音を多用して響きがちょっとブラームス風かも。シューマンの《交響的練習曲》か何かにも似ているような...。
ブラームスとシューマンをブレンドしたような曲にも聴こえてくるし、ゴドフスキーが編曲したバッハの《無伴奏ヴァイオリンのパルティータとソナタ》の響きにも似ていて、バロックとロマン派が融合したような感覚。

第2曲 Quasi Allegretto
まどろむような穏やかでゆったりとした旋律で始まり、中間部はアレグレットの変奏で和音の響きが華やか。

第3曲 Andante
静かな旋律はブラームス風の夢見心地のような美しさ。
徐々にテンポが上がり和音の厚みが増して短調に変わり、荘重な雰囲気に。
最後は徐々に明るく開放感が強くなって、調和したように長調の和音で終る。

第4曲 Finale: Allegro
Finaleらしく、冒頭はテンポが速くて軽快で明るい雰囲気旋律。
しばらくすると、和音主体の旋律に変わって響きの厚みで重々しくなり、次にコラールのような静謐な旋律に。
最後はフィナーレに向かって加速し、清々しく明るい輝きと開放感のある旋律で締めくくり。

《6つのユモレスク・バガテル/6 Humoresque-Bagatelles》op.11(1894-97)
ほのぼのした暖かさと楽しさのある小品。1分くらいの短い曲が6曲で、曲想もリズムもそれぞれ違っていて、とても表情豊か。
 タイトルは、”Good Day, Good Day”,”The Top”,”A Little Slow Waltz”,”Jumping Jack”,”Doll March”,”Musical Box”。

《祝祭前奏曲「世紀の変わり目にて」/Fest-praeludium (Festival Prelude) "Ved Aarhundredskiftet" (Turn of the Century)》(1900)
 堂々とした晴れやかなファンファーレのような曲。

《クリスマスの夢/Drommen om Glade Jul (The Dream of Silent Night)》(1905)
この曲は何回聴いても綺麗でクリスマスにぴったり。
最初と最後に”きよしこの夜~”の旋律が出てくるけれど、途中は短調がかった翳りのあるノクターン風の旋律が流れて、クリスマス特有の静謐な雰囲気が強くなっている。

《シャコンヌ/Chaconne》(1916)
ニールセンが51歳の時に作曲した初めての変奏曲。主題と19の変奏で構成。ほとんどが3/4拍子の8小節フレーズの組み合わせ。
対位法を使った透明感のある静謐な曲。変奏曲にしてはかなり自由な変奏で、ちょっと幻想的な雰囲気がする。
右手と左手の旋律が、単音で構成されている部分が多く、重音でも厚みがそれほどないので、とてもシンプルで綺麗。
フォルテの部分では、バッハのシャコンヌのように静謐・厳粛な雰囲気が漂っているし、全体的に氷のような冷んやりとした音色と透明感のある響きが美しい。終盤ではコーラル風の旋律とアルペジオやスケールの重なる響きがとても澄み切って清々しい。
たまにプロコフィエフの《束の間の幻想》に出てくるような下降調の旋律が聴こえてきたり、和声的にも似ているところがある感じがする。
ベートーヴェンやブラームスの構造堅牢な変奏曲を聴き慣れていると、少しつかみどころがない感じがするけれど、下手に変奏パターンを聴き分けようとしなければ、曲自体は旋律も和声も現代風で美しくて聴きやすい。

《主題と変奏/Tema med variationer (Theme with Variations)》Op.40(1917)
《シャコンヌ》よりも、形式的にかっちりした感じは強くなっていて、シャコンヌよりは変奏のパターンが多様。
変奏はかなり自由に書かれていると感じるけれど、何回か聴いていると、変奏の移る変わりがよくわかってきて、結構面白く聴ける。
楽譜を見ながら聴けば、構成がはっきり把握できて、もっとわかりやすくなりそう。
前半と後半は、高音域中心で音があちこち飛び跳ねて動的な変奏が多い。和音の連打が入った行進曲風になったり、対位法が使われたり、旋律が散文的で時々幻想風。
間に挟まれた変奏は、急にテンポが落ちて、ゆったりとした和音でつないでいく旋律。左手は低音域中心なので、かなり落ち着いた内省的な雰囲気。
《シャコンヌ》も《主題と変奏》も、旋律も和声も美しいけれど、全編短調を基調として静謐で緊張感が漂っていて、音が躍動的に動き回っている部分でも、どこかしら堅苦しさのあるとても生真面目な雰囲気がする。(ニールセンの性格が出ているような気がする)

《組曲「ルシフェリアン(堕天使)」 Op. 45, FS 91」/Suite "Den Luciferiske" (The Luciferan)》op.45(1919-20)
6曲構成の組曲なので、これが一番長大なピアノ作品になる。
こっちは6曲がはっきり分かれていて、曲想がそれぞれ違っているので、前2作の変奏曲よりも構成的にずっとわかりやすい。
《シャコンヌ》以降、作風が明確に変わっていて、これも同じタッチ。

第1楽章 Allegretto un pochettino
プロコフィエフの《束の間の幻影》のような幻想的な雰囲気と、ドビュッシーの前奏曲風の断片的な旋律が飛び交うような、かなり現代風なタッチ。
《束の間の幻影》に出てくる下降調の旋律や和声が出てくるところが、《シャコンヌ》に似ている。

第2楽章 Poco moderato
この曲はドビュッシー風。左右両手が高音域主体で、オスティナートやトレモロ、半音階などが多用されていて、ドビュッシーの雪シリーズ(《雪は踊っている》とか《雪の上の足跡》)を連想させるところがある。

第3楽章 Molto adagio e patetico
一転して和音を多用して、力強く決然とした雰囲気で始まる。中間部は内省的な雰囲気。
旋律らしきものはあるけれど、歌謡性があまり強くなくて、いろんなフレーズが散文的に登場して、構成的にわかりにくい感じ。

第4楽章 Allegretto innocente,第5楽章 Allegretto vivo
第4楽章は明るく優しい感じ、第5楽章は短調で密やかな雰囲気。
両方とも比較的メロディアスな旋律が出てきて、和声的にもかなり調和的で綺麗な旋律。

第6楽章 Allegro non troppo ma vigoroso
同音連打や同一パターンの音型のオスティナートを多用して、断片的なフレーズのパッチワーク的な曲。
中間部はややメロディアスに旋律がつながっていく。
音の動きや和声、それに諧謔的な雰囲気が、ドビュッシーとプロコフィエフによく似ている感じで、面白い曲。

《3つの小品/3 Piano Pieces》Op.59(1928)
全体的にプロコフィエフ風な旋律と和声で、第1曲は諧謔、第2曲は穏やかで内省的(ちょっと暗いかも)、第3曲は音があちこち重音が飛び跳ねて軽快で躍動的。

《子供と大人のためのピアノ音楽/Klavermusik for smaa og store》op.53(1930)
タイトルどおり、子供にも理解しやすいそうなメロディアスな旋律と和声の曲集。
《シャコンヌ》以降の作品では、この作品が一番とっつきやすい。(でも、さほど変哲がない曲が多くて、あまり面白くないけれど)

tag : ニールセン

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パスタソースいらずの煮込みパスタ
パスタソースいらずの美味しいパスタのレシピ。
毎日チェックしている庄司いずみさんのレシピブログ<vege dining 野菜のごはん>に載っていたレシピで、乾麺さえあれば、短時間ですぐに作れる手軽さと便利さがとっても重宝。
ここのレシピは、動物性の食材は一切使わず、お野菜がメイン。それも巷のマクロビレシピと違って、ごく普通の材料で簡単に作れてシンプルな味付けが美味しいので、肉類NG、魚介類・乳製品はミニマムにしている私にはとても役立つレシピ。

ストックしている乾麺(うどん、そば、スパゲッティ)を茹でるときに、茹で時間の前半はお湯で茹で、後半はだし汁やスープで煮れば、麺の中までしっかり味がつくので、パスタソースなしでもシンプルで美味しい。

干し椎茸がなかったので、お醤油を混ぜた昆布だし汁で煮て、ゆかりをスパゲティに混ぜると、即席和風パスタの出来上がり。
冷蔵庫のなかにある残りもののお野菜や、ストックしている乾物など、ありあわせの材料で工夫できるところが便利で良いところ。
スパゲティは和風の調味料ともよく合うので、コテコテしたソースを使わず、さっぱりしたお味。

あまりに手軽で美味しいので、ご飯が足らないときやお夜食、ひとりだけのお昼ごはん、おかずの付け合せなど、思い立ったときにいつでもOK。

 干し椎茸の煮込みスパ

 稲庭うどんで☆煮込んでパスタ

 切り干ししめじの煮きりうどん
製品レビュー:パナソニック製オーブンレンジ <エレック NE-M152C-K>
製品レビュー:パナソニック オーブンレンジ(15L)<エレック NE-M152C-K>

NE-M152C-Kは、上新電機のオリジナルモデル。ベースの機種はNE-M152。
ベースと違うオリジナルの特徴は、お弁当の温めメニューがない、キッチンタイマーがついている、色はブラックのみ。


<良い点>
●外観・大きさ
本体サイズはコンパクト。庫内も15Lとオーブンレンジでは最小クラス。一人暮らしなら、これくらいの大きさで充分。家族用にはかなり狭い。

設置スペースも小さくてすみ、10kgと軽量なので、キッチンのラックの耐荷重にも余裕で対応できる。
小型なので、ブラックでも圧迫感がなく、かえってホワイトよりもシックな感じが意外と良い色合い。

コンパクトなわりに高さは結構あるので、高さのある器でも入りやすい。

●操作性、使い勝手
ドアの取っ手がとても軽くて、開閉がスムース。どちらかというと前開きの方が好きだけど、この軽いドアはかなり使いやすい。
操作ボタンも数が少なく整理されていて、慣れれば使うキーが決まってくるので、操作は簡単。

●電子レンジ機能
自動あたため機能はかなり精度が良い。
スープや飲み物は、それまで使っていた日立製品よりも短時間(約半分)で沸騰する手前くらいのほどよい熱さに温まる。
(日立製品は1回では温まらず、好みの熱さになるのに、この倍くらいの時間がかかっていた。)
冷凍ご飯は、自動あたためで2分くらい。ほかほかしていたけれど、一部ちょっと冷たいところが残っていて、プラス30秒追加加熱。仕上がり設定を<強>にしておけばちょうど良さそう。
これも日立製品より1分以上速く出来上がるので、この機種のなかなかに良い性能。


●オーブン機能
角皿が使えるので、クッキーやカップケーキ、ベーグルなど、個数の多い生地を焼くのに、とても便利。
(丸皿だと端の方まで使えないので)

クッキーを焼くと、日立製品よりも焼き時間が少し長くかかる感じがする。
なぜか角皿の淵側が速く焼けてしまう。(生地の厚さが薄かったから?)
淵側以外はほぼ均質な焼き上がり。
ベーグルやケーキを焼けば、焼きムラの度合いが正確に確認できるので、これはそのうち試す予定。


<気になる点>
●上部ヒーター
ヒーターは、底面が平面ヒーター、上部は管ヒーター1本。コンパクトで価格の安い機種は、上部は管ヒーターが普通。
日立製品はコンパクトタイプの上位機種だったので、上部も平面ヒーターで、汚れたら簡単に拭き取れるのが便利だった。ただし、平面ヒーターは焼きムラが少ないはずなのに、これは中心部が良く焼けて、周辺部はあまり焼けていないことが多かった。(今出ている日立の18Lサイズの機種には角皿がない。隅の方が良く焼けない特性があるので、丸皿だけにしたらしい)

今度のpanasonicの機種は、オーブントースターのように、管ヒーターが露出しているので、周囲を簡単な柵で囲っている。
でも、管ヒータが汚れたら掃除はどうするのか、取説にもどこにも書いていない。触ると壊れる原因なので、掃除はするなということなんだろうか。

●ターンテーブル方式
東芝のコンビニオーブンは、コンパクトタイプなのに底面がフラット。どちらにするかかなり迷ったところ。
結局、東芝製品は買ったことがないので、panasonicの方に決定。
それに、コンビニオーブンのマイナス点は、予熱がエレックの倍くらいかかり、オーブン出力が1100Wとパワーが若干弱そう、デザインも取っ手のところが気に入らず。発酵機能が30℃で設定できるのは魅力的だったけれど、総合的にはやはりpanasonicの方がプラスが多かった。

オーブン調理はしないし、お菓子もたまに焼くだけで、そう庫内が汚れることはないので、ターンテーブルでも、さほど使い勝手は悪くなさそう。今までもターンテーブル方式だったので慣れているし。
パンを毎朝トーストしたり、油物を料理することが多い場合は、フラットタイプの方が掃除するのには便利。

●オーブン機能
予熱するときは、丸皿を出しておかないといけないのが、ちょっと面倒。
予熱後、丸皿と角皿の両方をセットしていると、時間がかかるので、庫内の温度がかなり下がる。予熱温度をかなり高くしておかないといけない。

●トースター機能
アルミホイルを敷いて、冷凍コロッケを焼いてみたけれど(揚げものは家では作らないので)、上部ヒーターから距離が結構あるので、これは時間がかなりかかりそうで、途中でストップ。
すぐにガスコンロへ移して焼くと、サクサク焦げ目がついて良い焼き上がり。
トーストもためしにしてみると、5分かかってあまり焼き目がつかず、水分がとんでかなりパサパサ。
もともとオーブンレンジをトースターとして使うつもりはないので、気にはならず。
でも、オーブンで2度焼きするのが面倒なラスクを作るには、このパサパサ焼けるところが良さそう。

トーストはいつもエレクトロラックスのポップアップトースターで焼いているので、これは1/3の時間で綺麗な焼き目がついて、中もふんわり。やっぱり今までどおりトースターで焼くことに。
たまにガスコンロのグリルで冷凍パンを焼くと、外はサクサク(ちょっと焦げやすい)、中はふわふわもっちり。ガスグリルでトーストする人は少ないだろうけど、熱風が循環しているので、これはかなり美味しく焼ける。
トースター機能は、焦げるのに注意すればガスコンロのグリルの方が、速くて美味しく出来上がる。

●温度調節
発酵温度が40℃のみ。30℃は設定できない。手捏ねパンはほとんど作らないので、発酵機能を使うことはなく、今のところ支障なし。30℃設定があれば、使うかもしれないけど。
最高温度は230℃。5分経過すると自動的に200℃に下がる。そんなに高温調理はしないので、今のところ問題なし。220℃(または200℃)がコンスタントに使える状態なら充分。
電子レンジの無い生活
土曜日、晩ご飯を作っているときに、突如オーブンレンジが故障。
オーブンレンジは6年前の2004年に買った日立のPAMシリーズで18Lサイズ。
そのうち1年半はPanasonicの単機能レンジを使っていたし、毎日5~10分くらい電子レンジを使い、オーブンとしては月に数回ケーキやクッキー、パンを焼くだけ。
電子レンジは冷凍ご飯を解凍する、下処理用の加熱・解凍する程度。ご飯を炊いたり、おかずを作ったりといった電子レンジ調理はしない。
そういう使い方で、実質5年くらいしか使っていないのに壊れるなんて、寿命が短すぎる気がする。こういうものなんだろうか?

パネルに表示されていた”H56”の故障記号は中枢部の故障らしく、調べてみると部品交換だけで1~2万円くらいはするらしい。
修理しても何年使えるかわからないので、買い換えることに。
日立はあまりに早く壊れたので、こんどは耐久性を期待して、panasonicが良いかな~と。製品の個体差もあるので、実際にどれだけ使えるかはわからないけど。
土日の2日間で情報を集めて、いろいろ候補をリストアップ。
本格的なオーブン料理は作らないので、コンパクトで機能がシンプルな機種に限る。耐久年数も10年は期待できない気がするので、度々高価な機種を買い替えていくのも無駄な気がする。
東芝のフラットタイプも良さそうだったけれど、東芝製の家電製品は今まで使ったことがないので、結局、価格と機能のバランスが良いpanasonicのオーブンレンジに決定。

パナソニック オーブンレンジ 15L ブラックPanasonic エレック NE-M152C-Kパナソニック オーブンレンジ 15L ブラックPanasonic エレック NE-M152C-K

パナソニック

商品詳細を見る


panasonicのオーブンレンジも早く壊れた場合は、panasonicの単機能レンジ&SANYOの熱風トースター(またはpanasonicのオーブン&トースター)の2台で役割分担させてみるつもり。
スペースをとるので嫌なんだけど、機能分担させておけば、買い替えるときはどちらか1台だけで済むので。

それにしても、電子レンジがないと結構不便。
無くてもなんとかならないことはないけれど、冷凍ご飯をすぐに解凍できないのには、とても困ってしまった。
自然解凍して蒸し器で蒸せば良いけれど、時間と手間がかかるので、冷凍ご飯の解凍だけは電子レンジが一番。
お湯やお茶を一人分暖めるのは、やはりレンジが手っ取り早い...と思ったけれど、電気ケトルで毎回沸かせば良いので、よく考えてみると、電子レンジが無くても暮らせそう。

そもそも、子供のころは電子レンジなどという文明の利器はなくて、母親が前日の残りご飯を冷蔵庫に保存していて、蒸し器で蒸したり、チャーハンやお雑炊とかにして食べていた。
家族が多いと毎日ご飯を炊けばよいけれど、一人分だけ作る場合は、毎日炊くのも非効率で、中途半端にご飯が余る。
2日に1度ご飯を炊けば冷凍する必要もないし、冷凍加工食品は買わないので、電子レンジはいらないかなあ...という気もしないではなかったけれど、オーブンでお菓子やパンを焼くのは止められないので、やっぱりオーブンレンジを買ってしまった。
新しいオーブンレンジは水曜日のお昼には届く予定。今度は一体何年働いてくれるでしょう。
ムストネン ~ プロコフィエフ/束の間の幻影
ロマン派や印象主義の曲を夏から聴いていると、感覚が飽和状態に近づいて疲れてきたので、こういう時は現代へ戻ることに。

今よく聴いているのはプロコフィエフ。
昔はそれほど好きというわけではなかったけれど、トラーゼやソコロフのCDとDVDを聴いていると、ポリーニやグレムザーでは気がつかなかったプロコフィエフの叙情性や美的なところに魅かれるものを感じたので。
プロコフィエフを聴けば聴くほど、ピアノ作品が少ないショスタコーヴィチよりも、プロコフィエフの方が感性的にずっと合っている気がしてくる。

同時代のロシアの作曲家のなかでも、とりわけプロコフィエフはピアノ作品が多い。
ピアノ協奏曲5曲、ピアノ・ソナタが10曲、《束の間の幻影》《シンデレラ組曲》《ロミオとジュリエット》、小品で有名な《3つのオレンジへの恋》など。
コンチェルト、ピアノ・ソナタと《束の間の幻影》は異聴盤が多いので、どれを聴くかはちょっと悩ましいところ。
最近聴いたムストネンの新譜のレスピーギがとっても良かったので、”ムストネン×プロコフィエフ”で選んだのは《束の間の幻影》。

《束の間の幻影》は、ムストネンがONDINEに移籍する前に録音しているDECCA盤。
このCDを買った目的はヒンデミットの《Ludus Tonalis》だったけれど、《束の間の幻影》も同じくらいに良くて、この曲の定番はムストネンに。
リヒテルの録音とか有名なものは他にもいろいろあるし、わりと好きなピアニストのべロフの録音は、タッチが強すぎてフォルテが騒々しくて、幻想性がちょっと薄い気がする。

Visions Fugitives Op 22 / Ludus TonalisVisions Fugitives Op 22 / Ludus Tonalis
(1996/10/15)
Olli Mustonen (Piano)

商品詳細を見る(廃盤のため試聴ファイルなし)


CDは廃盤。Youtubeにムストネンの《束の間の幻影》の音源がある。
いつもながら、チェンバロとピアノを融合させたようなタッチと音、それに独特のアーティキュレーションが冴えている。
好みは分かれるだろうけれど、奇をてらったわけではなくて、バッハでもベートーヴェンでも基本的には同じ奏法。
Ondineに移ってその奏法にさらに磨きがかかっているように感じるので、DECCA時代は幾分おとなしめかも。
ムストネンのピアノの音は線が細くてシャープで研ぎ澄まされた美しさがあり、曲想によってコロコロと鮮やかに変わる表情は、色とりどりの宝石のように煌めいている。
シャボン玉の泡のように浮かんでは消えていくようなこういう幻想的で刹那的な曲は、ムストネンの感性と奏法に親和性が高い気がする。

prokofiev visions fugitives 1.2(by Olli Mustonen)


prokofiev visions fugitives 2.2(by Olli Mustonen)


タイトルどおり、掴み取ろうとしてはふっと消えていってしまうような気がするほどに、いろんなタイプの幻想が交錯していく。
静謐で美しい旋律の曲から、速いテンポとシャープなスタッカートで躍動的な曲、不可思議で幻想的な曲から、子供や小動物が遊んでいるような軽妙・諧謔な曲まで、曲想はいろいろ。
リズム・旋律・和声とも、ピアノ協奏曲やピアノ・ソナタとは違って、叙情性は薄く幻想性が強い感じがする。研ぎ澄まされて凝縮されたエッセンスを聴いているよう。
似たような雰囲気の曲も多いので、自分で弾かないとどれがどの曲が混同しそう。何回か聴いて構成と曲想の違いがはっきり理解でいて、ようやくとらえどころのなさは消えたけれど。
特に印象的なのは、旋律と和声がとても美しい第7曲Pittoresco (Arpa)。不可思議な雰囲気の第8曲~第10曲、それに最も幻想的な第17曲と第18曲。
ただし、ベロフの演奏で聴くと、奏法や解釈の違いが大きくて、かなり印象が変わってくる。聴き比べてみると、やっぱりムストネンの演奏は異世界にいるような幻想性を強く感じる。


1. Lentamente 静かで内省的。幻影の世界に誘われるようなまどろむような感じ。

2. Andante 一定のパターンを繰り返す左手でぼんやりした響きで、ちょっと不安げな雰囲気。

3. Allegretto 浮遊感のあるちょっと不可思議な雰囲気。途中で右手のスタッカートの旋律が動き回って、動的な感じ。スカッタートとレガートを取り混ぜて、面白い曲。

第4曲~第6曲は、シャープなタッチで、リズムが面白い曲が続く。
4. Animato スタッカートが小気味よく、最後はオスティナート。
5. Molto giocoso かなり強いスタッカートが突き刺すようにシャープ。結構明るい色調で諧謔な雰囲気。
6. Con eleganza これも軽いスタッカートで諧謔。

7. Pittoresco (Arpa)
この曲中で一番旋律と和声が美しい曲。ゆったりとしたレガートで、柔らかく軽やかなアルペジオが優雅。
静かな湖の水面に広がる水紋のようで、とても清々しい響き。最後だけ濁った不協和音が少しはいっている。
ムストネンの線の細くシャープでクリアな音が良く似合う。

第8曲~第10曲は、あかるい色調の軽快なタッチで、軽妙・諧謔な雰囲気。
8. Commodo 可愛らしくてちょっとおどけた感じ。子供が夢の中で楽しげに遊んでいる雰囲気。どこかで聴いたような気がすると思って記憶をたどると、ネッド・ローレムのピアノ・ソナタに旋律と和声が少し似ている(気がする)せい。
9. Allegro tranquillo 軽いスタッカートのアレグロで軽妙。子ねずみがちょこまかと動き回っているような。
10. Ridicolosamente ちょっと気が抜けたような感じのリズムと旋律がおどけた感じ。

第11曲~第13曲は、不可思議な雰囲気のする音型とリズム。
11. Con vivacità 右手の装飾的な音型が面白い。どこかで聴いたような気がするので、わりと有名な曲かも。
12. Assai moderato 少し謎めいた雰囲気。
13. Allegretto 3声が絡んで、やや陰鬱なもやもやと得たいの知れない何かが潜んでいるような雰囲気。

第14曲~第16曲は、速いテンポで和音を多用した動的な曲。
14. Feroce 速いテンポと強いスタッカートにアクセント。
15. Inquieto 両手の和音が、いろんなリズムを刻んで躍動的。
16. Dolente ゆったりとしたテンポでテヌート気味のタッチは、ねっとりまつわるような雰囲気。途中で急に軽快なフレーズが挿入されるが、すぐに途切れて元に戻る。

第17曲~第18曲は、やや不気味で幻想的。
17. Poetico 左手側の旋律の分散和音は、柔らかいタッチで幻想的。密やかに何かがひたひたと忍び寄ってきそうな不気味さ。
18. Con una dolce lentezza 同じパターンのフレーズがオスティナートされて、ゆらりゆらりと漂うようなとても不可思議な浮遊感。

19. Presto agitatissimo e molto accentuato
一転して目が醒めるような曲想はフィナーレのよう。速いテンポが旋律が行きつ戻りつ、低音から徐々に高音へ上昇。最後は一気に低音部へと滑り落ちて和音で締めくくり。

20. Lento irrealmente
冒頭の曲に呼応したように、ゆったりとして静寂な曲。
旋律は冒頭とは対照的で、かなり不可思議な雰囲気。
最後の同音の三連符は、まるで水滴が滴り落ちて余韻が残る響きが、幻影の名残りのよう。

tag : プロコフィエフ ムストネン

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トラーゼ ~ プロコフィエフ/ピアノ協奏曲第2番
プロコフィエフのピアノ協奏曲はどれを聴いても、音が派手に動き回ったり、緩徐楽章は濃厚な叙情感があったりして、聴きやすくて面白い。
でも、聴き終わったらどんな曲だったっけ?といつも思い出すのに苦労する。
ピアノ協奏曲や戦争ソナタを聴いていると、時々楽想の背後に何か隠れていそうな気がすることがあって、一体何を表しているんだろう?といつも考えてしまう。
そのせいか、プロコフィエフはわかりたいけどなかなかわからない作曲家。

ピアノ協奏曲は、とっつきやすいので一番人気の第3番。
好きなピアニストがよく録音しているのでよく聴いているにしては、いつも記憶に残らないせいか、最近はあまり面白くも思えなくなってきた。
第1番と第4番も明るいタッチで聴きやすく、これはベロフで聴くことが多い。(でもトラーゼで聴くと、これがかなり面白く)
第5番はちょっとつかみどころがなくて、ピタッとくる録音を探しているところ。
第2番は全集中、一番暗く重い曲想なので、どうも曲の展開がもう一つよくわからないところがあって、敬遠気味。ベロフの第2番は、タッチが重々しいのは良いけれど、騒々しすぎてどういう曲なのか余計にわからなくなってくる。
調べてみると、この曲はトラーゼ&ゲルギエフ/キーロフ歌劇場管のピアノ協奏曲第2番の評判がとても良い。
この間聴いたトラーゼのプロコフィエフのピアノ・ソナタ第7番のライブ録音もとても気に入ったので、ピアノ協奏曲全集を聴いてみたら、これがとても個性的で面白くて、ようやくプロコフィエフのピアノ協奏曲の定番に。

トラーゼのプロコフィエフは、ピアノ・ソナタ第7番でも重厚なタッチと濃厚な叙情感で迫力充分。ピアノ協奏曲はそれに拍車をかけて、トラーゼらしいプロコフィエフ。
とりわけ第2番の演奏が素晴らしく、これがすっかり記憶に刷り込まれてしまい、他のピアニストの演奏を聴いても物足りなくなるほどに強烈な印象。
トラーゼ自らがブックレットに第2番だけ解説を書いているほどなので、この曲には強い思い入れがあるのがわかる。
それだけあって、他の4曲よりも、細部まで神経を張り巡らしたような濃密さと奥深さ、それにトラーゼがこの曲のなかに深く入り込んで、共鳴しながら弾いているような強い集中力と緊張感を感じてくる。

この全集のブックレットには、専門家の全曲の作品解説があって、第2番については有名な楽譜消失事件とか楽曲構成を書いただけのもの。
トラーゼ自身が書いた第2番の作品解説によると、トラーゼとゲルギエフは、この曲をプロコフィエフの強い”personal statement”だと見なしている。
第2番を作曲中に、若いプロコフィエフの音楽院の同級生で一番親しい友人、"soul mate(魂の友)"のごときピアニストのマクシミリアン・シュミトゴフが、突然自殺してしまった。プロコフィエフは、シュミトゴフが生前投函していた自殺を知らせる手紙を受け取って、大変な衝撃を受けたという。
すでにこの曲の構想がスケッチされ、シュミトゴフともそれを共有していたけれど、苦悶で覆われたような最終版(焼失後の再現されたもののこと?)を形作っているものは、シュミトゴフの死の衝撃だった。
プロコフィエフは、この第2番をシュミットゴフに捧げていたらしく、自身の作品中最も愛していた曲だったことから、この曲のもつ個人的な意味(シュミトゴフにまつわるストーリーを辿った作品)は明らかだと、トラーゼは信じているという。

キーシンの録音についている作品解説だと、第2番のスコアを完成させた時に友人の悲報を知らせる手紙を受け取ったので、このコンチェルトにプロコフィエフの感情が反映されていることはありそうにない、しかし、プロコフィエフの自作自演の初演では、”恐ろしさに凍りつき、最後には髪の毛が逆立った”と当時著名な音楽家(評論)の感想を載せている。
『作曲家別名曲解説ライブラリー』では、曲が完成する少し前にマクシミリアンが亡くなったと書いている。
作曲経緯は諸説あるらしいのでともかくとして、トラーゼは全楽章について、シュミトゴフとプロコフィエフのストーリーのどの部分がどのように表現されているかという自身の解釈を説明していて、それを読みながら聴いていると、不思議とトラーゼの解説どおりに聴こえてくる。

第2番をアシュケーナージやキーシンとかいろいろなピアニストで聴いても、トラーゼのいうようなプロコフィエフの個人的な追憶や感情が深く込められているようには聴こえてこないので、独自の解釈と表現が一体化しているのがトラーゼの演奏の個性的で独特なところ。
歴史的な事実関係と多少ずれがあったとしても、トラーゼの演奏には強い説得力があって、聴けば聴くほど第2番の演奏解釈としてぴったりしているように思えてくる。
あまりに重苦しく陰鬱な演奏(と解釈)なので、他の演奏を聴き慣れているとかなり違和感を感じるかも。第2番のトラーゼと演奏が聴く人を選ぶ..というのはその通りだと思う。

5 Piano Concertos5 Piano Concertos
(1998/03/17)
Alexander Toradze (Piano),Valery Gergiev (Conductor),Kirov Orchestra

試聴する(米amazon)


ピアノ協奏曲第2番ト短調Op.16(第1稿1913年,第2稿1923年)

第1楽章 Andantino - Allegretto
冒頭は、弦楽のピッチカートがほとんど聴き取れないほど消え入りそうに微かな音の旋律(トラーゼの解釈だと”心臓の鼓動”のような旋律)。
やがてピアノソロが左手のアルペジオを伴奏に弾く主題は、強い悲愴感のあるとても美しいもので、この主題をピアノとオケが交互に弾いて何度もリフレインされる。
オケの厚みのある伴奏とピアノのアルペジオの響きが重奏的で、悲愴感を一層増している。

中間部は”親友たちの楽しい冒険”のような軽やかなandante。ちょっとおどけたような旋律が、まるでサーカスを見ているような浮遊感。
短い再現部をへて、すぐに長大なカデンツァに。
トラーゼのシャープで強靭なタッチは、音がクリアで引き締まった力強さがあり、どんな和音もピアニッシモからフォルテまで、濁りがなく響きが鮮明。
強い感情を感じさせるマルカート気味の重厚なタッチと響きでも、アクセントやスフォルツァンドを強くつけているので、旋律がくっきりと鮮やかに聴こえる。

ピアノが”これ以上耐え切れない苦悶の状態”に達してから、ティンパニがフォルティシモで弾く冒頭の”心臓の鼓動”の主題は、低音が轟くように強持てで恐ろしげ。このオケに救われたピアノが弱々しく主題を弾きなおしてフェードアウト。

第2楽章 Scherzo: Vivace
全編、ピアノは2声のユニゾンの細かいパッセージ。まるで何か(トラーゼの解釈だと”悲劇”)から必死で逃げようとしているような焦燥感が漂っている。
ここには他の演奏で時々感じるような軽妙さとか諧謔な雰囲気は全くない。
管楽器(トランペット?)が警鐘のような音を時々キキー!と鳴らしたり、ピアノのユニゾンに絡みつくように、いろんな楽器が断片的なフレーズや音で入ってきて、とっても目まぐるしい展開。

第3楽章 Intermezzo: Allegro moderato
”現実へ回帰した”Intermezzoは、グロテクスで冷笑的で皮肉に満ちている(というトラーゼの解釈)。
冒頭からバスがゴーゴーと低音の厳しい音を出し、管楽器もまるで刑場へ向かう囚人の行進曲のように重々しく暗い旋律。
ピアノもドーンドーンと和音主体の音ならびで重苦しく、時々ピアノが不安げなもやもやとした雰囲気の旋律になったり、スタッカートの和音と伴奏でメカニカルに拍子を刻んでいったりと、全体的に旋律には歌謡性と叙情性が強くない楽章で、そのうえ演奏が峻厳とした雰囲気。

第4楽章 Finale: Allegro tempestoso
フィナーレは、一転して”ヒロイックな”雰囲気に転換して、”力強さと成熟”へと向かう。
冒頭にオケとピアノが弾く旋律は、滑り台から転がり落ちてくるような下降調。まるでネジが吹き飛んで、急回転して、眩暈がしてきそう。
続いてAllegroで飛び跳ねるような配列の音をピアノを弾いていき、弦楽のオスティナートはまるで汽車が疾走しているようなリズム感と疾走感。

突如、弱音へとデクレッシェンドしテンポもかなり落ちて、叙情的な中間部に。静寂で呟くような旋律をピアノが弾き始める。
これはロシアの民謡の要素のあるララバイ。葬送曲にも似ていて、これは”個人的なお別れ(personal funeral)”。
レクイエムか失われたものへの追憶のような抑制された哀感が漂っていて、思い出と感情があふれ出るような叙情感がとても美しい。

再現部では、このララバイの旋律が織り込まれて、一度はまるでフィナーレが終ったかのようなエンディング。
この後にピアノソロが弾くのは、重苦しく断片的なフレーズや、あてどなく彷徨うような内省的な雰囲気の旋律。

やがて、第1楽章の主題旋律とアルペジオをピアノが弾き始めて、そこにオケがララバイの旋律を重ね合わせていくところは、全ての思い出と感情が交錯し、それを名残惜しみながらも、浄化されていくようにも思える。
ピアノの連続する下行スケールから、スローテンポでララバイのテーマへと移り、ここは”埋葬”のイメージ。
突然、フィナーレ冒頭の急転直下するようなけたたましい旋律が現われて、まるで過去と決別するかのように、ピアノとオケが掛け合いながら一気に駆け抜けていって、本当にエンディング。


最初から最後まで、演奏には緊張感が張り詰め、劇的なストーリー性と強い抒情性があるせいか、まるで小説かドラマを見て(聴いて)いるよう。
曲の構成と意味づけがしっかりと記憶に刻み込まれたほどに、トラーゼの解釈と表現が一体化したような演奏だった。

tag : プロコフィエフ トラーゼ

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ブルックナー/ピアノ作品集
ブルックナーのとても珍しいピアノ作品を集めたアルバムが、BISから白神典子さんのピアノでリリースされていたのをたまたま見つけた。

ブルックナーはまず聴かない。ずいぶん昔、交響曲を試しに何曲か聴いてみて、空間に拡散するようなガランドウな響きに聴こえて、これは全く合わないので二度と聴かず。
最近好みが変わったかもと思って、もう一度試したけれど、やっぱりダメ。
ブラームスがブルックナーの作品を”交響的大蛇”と形容したのは、言い得て妙というか...。
交響曲(と管弦楽曲)で全く合わないのが、ブルックナーとシベリウス(ヴァイオリン協奏曲だけは例外)。それに、チャイコフスキーとワーグナーも。
そういえば、”ブルックナーとシベリウスは、オジさんには受けるが、女性には人気がない”と、とあるクラシック愛好家のブロガーの方が言っていた。(実際、その通りかどうかは知らない)
交響曲はだめでも、ピアノ曲ならもしかして合うかも..と思って、NMLで全曲聴いてみた。

ブルックナー:ピアノ独奏曲全集 [Import](Bruckner:Piano Works)ブルックナー:ピアノ独奏曲全集 [Import](Bruckner:Piano Works)
(2001/12/31)
白神典子

試聴する(米国amazon)


このアルバムに収録されているブルックナーのピアノ作品は、交響曲のような拡散的な曲ではないので、普通に聴ける。でも、好きにはなれないタイプの曲。
どこかで聴いたことのある気がする曲なんだけど、なんの曲なんでしょう???
HMVのレビューを見ると、”ベートーヴェン風のシューベルト”と書いている人がいて、本当にその通り!と納得。
聴いたことがあると思ったのは、四角くカチッとしてシンプルなつくりと旋律が、シューベルトのピアノ・ソナタやピアノ小品を思い出させたから。
ピアノ・ソナタは、シューベルトの後期ピアノ・ソナタ(たぶん第20番か第21番)に似ている旋律が出てくるし、雰囲気がそっくり。本当にシューベルトを聴いている気分。
ただし、陰影があまり無くて叙情性もずっと薄いので、かえって聴きやすいとも言えるし、直截的で退屈してしまうところもある。
シューベルトも避けている作曲家なので、やっぱりブルックナーとは何を聴いても相性が悪い運命らしい。
なぜか《思い出》だけは、ダイナミックなアルペジオが綺麗なので、わりと気に入った曲。

この作品集のハイライトは、交響曲第7番の<アダージョ>のピアノ独奏版。
一楽章だけで26分以上もあるという長大さ。とても綺麗な曲なんだけれど、起伏が緩々とした平坦な曲でもあるので、繰り返し聴くのはさすがに引いてしまう。

tag : ブルックナー

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プロフィール

yoshimi

Author:yoshimi
<プロフィール>
クラシック音楽に本と絵・写真に囲まれて気ままに暮らす日々。

好きな作曲家:ベートーヴェン、ブラームス、バッハ、リスト。主に聴くのは、ピアノ独奏曲とピアノ協奏曲、ピアノの入った室内楽曲(ヴァイオリンソナタ、チェロソナタ、ピアノ三重奏曲など)。

好きなピアニスト:カッチェン、レーゼル、ハフ、コロリオフ、フィオレンティーノ、パーチェ、デュシャーブル、アラウ

好きなヴァイオリニスト:F.P.ツィンマーマン、スーク

好きなジャズピアニスト:バイラーク、若かりし頃の大西順子、メルドー(ソロのみ)、エヴァンス

好きな作家;太宰治、菊池寛、芥川龍之介、吉村昭、ハルバースタム、アーサー・ヘイリー
好きな画家;クリムト、オキーフ、池田遙邨、有元利夫
好きな写真家:アーウィット

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