*All archives*

自家製ヨーグルトを作るには
日経トレンディのオンライン記事「扇風機から新感覚アイスメーカーまで、夏を快適に過ごせる家電10選――予算は3万円!」を見ていると、全然知らない調理家電が多い。

リストに載っているのは、ドール「ヨナナスメーカー」、シャープ「ヘルシオ ジュースプレッソ」、フィリップス「ノンフライヤー」、テスコム「真空ジュースミキサー」、プライムショッピング「スープエクスプレス」、タニカ電器「ヨーグルティア スタートセット」。

「ヨナナスメーカー」って何だろう?と思って記事を読むと、単なるフルーツアイスメーカー。
「常温で少し戻した冷凍フルーツを入れて押しつぶすだけ」なので、ミキサーやフープロを使えば良さそうだし、冷凍バナナならクラッシュせずともそのまま食べられる。価格のわりに必要性があまりないような...。

「真空ジュースミキサー」も、ジュースはとても美味しいのだろうけど(価格比例するとしたら、普通のミキサーの数倍以上美味しい??)、ジュースミキサーに3万円も出すくらいなら、私ならもっと用途の広い調理家電を買いたい。


<「ヨーグルティア」で自家製ヨーグルト>
結局、機能・実用度・価格を考え合わせると、私が買って満足感が得られそうなのは「ノンフライヤー」と「ヨーグルティア」くらい。

特に、タニカ電器「ヨーグルティア スタートセット」は、オンラインショップでは、実勢価格が安ければ6000円未満とかなり手頃なお値段。機能と価格のバランスが良い。
amazonや価格comのレビューも大変良くて、ヨーグルトメーカーならこれを買えば失敗なさそう。

TANICA 【温度調節機能で市販・カスピ海・ケフィアヨーグルト / 納豆・甘酒に対応】 ヨーグルティア スタートセット ブルー YM-1200-NBTANICA 【温度調節機能で市販・カスピ海・ケフィアヨーグルト / 納豆・甘酒に対応】 ヨーグルティア スタートセット ブルー YM-1200-NB
()
タニカ電器

商品詳細を見る


<製品レビュー>「ヨーグルトは自分で作る! 誰でも簡単にできるヨーグルトメーカー「ヨーグルティア」を試す/タニカ「ヨーグルティア YM-1200」(日経トレンディ、2011年04月27日)

種菌は市販のヨーグルトが使える。(粉末状のヨーグルト種菌も販売されている)
普通のヨーグルト(約40℃前後)だけでなく、ちょっと高めの「カスピ海ヨーグルト」や「ケフィアヨーグルト」(約20℃~30℃)まで作れるのも、ポイントが高い。
ヨーグルトのバリエーションも豊富。生クリームヨーグルト、スキムミルクヨーグルト、豆乳ヨーグルト、ココナッツミルクヨーグルトなど。
特に豆乳ヨーグルトは、市販品は食品添加物がいろいろ入っているので、これは自分で作ってみたくなる。

他社の類似製品よりも、タニカの新型「ヨーグルティア」は、温度設定の上限が65℃と高いので、甘酒や納豆も自家製できる。
酒粕ではなくて、米麹から甘酒が作れるのにはかなり魅かれるものが..。(炊飯器か電気保温ポットがあれば甘酒は作れるらしい)

最近はヨーグルトが少し高くなっているので、コスト的には、自家製ヨーグルトの方が市販品(450mlパック)よりも若干安い。(種に使う市販品のヨーグルトと牛乳の価格によって、コストが変わる)
自家製ヨーグルトを作るときにちょっと手間なのは、器具の殺菌に気をつけないといけないことと、冷蔵庫で保存するには容器が大きめなことくらいだろうか。
それに毎日100ccのヨーグルトを食べると(それ以上食べるとお腹が緩くなりすぎるので)、全部食べきるまでに10日もかかる、
途中で冷凍してフローズンヨーグルトにするか、お菓子やパンにヨーグルトを使ってしまい、なるべく新鮮な自家製ヨーグルトを食べたい。


自家製ヨーグルトに関する記事で面白いものがいくつか。
ヨーグルト発酵データ[<まつらんさんのホームページ]
自作発酵器によるヨーグルト発酵データ。種菌別の自家製ヨーグルトの特徴がいろいろ載っている。

「LG21ヨーグルトの手作りは可能か?」[探求三昧]
”LG21を種菌とした自家培養のヨーグルトで、果たして本当にLG21菌は増えているのだろうか?”を考察したもの。
LG21ヨーグルトを製造販売している明治乳業はQ&Aサイトで、プロビオヨーグルトLG21を種菌にしてヨーグルトを作ることはできるが、「LG21乳酸菌は、空気(酸素)に弱いため培養が難しく、一般家庭では同じヨーグルトを作ることはできません」と明言している。
ということは、自家製ヨーグルトでLG21を摂取するという目的で、1カップ120円くらいの「LG21ヨーグルト」を種菌に使ったところで、意味はないということになる。

カスピ海ヨーグルト、我が家の作り方 [風茶房/茶房/蘊蓄]

「ヨーグルト娘」が徹底解説! 自家製ヨーグルトの作り方AtoZ[lifehacker]


<ホームベーカリーで自家製ヨーグルト>
購買意欲をかなり刺激されたので、「ヨーグルティア」を買う気にほとんどなっていたけれど、ホームベーカリーでもヨーグルトが作れるのでは?と、ふと思いついた。
ホームベーカリーの天然酵母コースでは生種おこしができる。
温度設定や調節はできないけれど、ほぼ30℃くらいの保温状態で24時間かけて生種を作るので、この機能を使えば、ヨーグルトも作れるような気がしてきた。
ただし、ヨーグルトメーカーと同じく冷却機能はないので、夏場は生種おこしが上手くいかない場合もある、と注意書きに書かれている。(夏に生種おこしをしたことがないので、実際のところはよくわからない)
ヨーグルトを普通に発酵させるなら、40℃が適応なので、天然酵母の生種おこしとは違って、気温の高い夏場でも上手く作れそう。

クックパッドや個人ブログを探してみると、ホームベーカリーで自家製ヨーグルトを作る方法が載っている。
ヨーグルトメーカーで作るときと手順はほとんど同じ。

HB生種おこし機能で自家製ヨーグルト!! [Cookpad]
ホームベーカリーでヨーグルト作り♪ [長野グルメ日記]

ホームベーカリーの保温温度は30℃程度なので、ヨーグルトメーカーを使うときよりも、時間は長くかかるらしい。
大事なのは、容器とスプーン(それに温度計など器具類も)をしっかり煮沸消毒すること。(ヨーグルティアの場合は、電子レンジで加熱殺菌している)
自家製ヨーグルトは、メーカーの工場のように厳格に衛生管理されてはいない一般家庭のキッチンや器具を使うので、雑菌が混入する可能性が高い。
眼には見えなくても、実はかなり雑菌の混じった自家製ヨーグルトを食べているのかも...。

雑菌のことは気になるけれど、そんなに簡単にホームベーカリーでヨーグルトが作れるのなら...と思って、早速200mlの低脂肪牛乳とナチュレ恵(400mlのプレーンタイプ)を買ってきて実験。
ジャムの空き瓶・蓋、スプーンを、水の張った鍋に入れてから沸騰させて熱湯消毒。クッキング温度計も差し込む部分を熱湯で洗う。
種となるヨーグルト30cc(ちょっと多め)と40℃に温めた牛乳200ccを入れてよく混ぜて、ホームベーカリーの生種おこし機能のスイッチをオン。
よく考えたら、キッチンの室温は30℃を超えているので、ホームベーカリーを使う必要がなかったのに気がついた。ホームベーカリーの内部に手を入れてみても、室温とほとんど同じ。(かえって低温かも)
室温が30℃以下になったら、ホームベーカリーを使う意味がある気がしてきた。

普通のヨーグルトなら、40℃設定で5~6時間くらいでできるらしい。
ホームベーカリーの生種おこし設定温度(と今の室温)が30℃くらいだし、低脂肪乳を使っているので、それよりは時間がかかる。
8時間経過してもまだ緩いので、結局12時間ホームベーカリーに入れておいた。
それでも緩いのは緩いけれど、一応ぷるぷる~とした塊りはできている。それに、これ以上放置しても変わらないような気がしたので、冷蔵庫へ。
冷やすと少しまったりして、ヨーグルトらしくなっていた。酸味が少し強い気がする。
恵よりもビフィダスの方が好きなので、種のヨーグルトを替えると好みに近い自家製ヨーグルトになるかも。

「ヨーグルト発酵データ」を見ると、成分無調整牛乳はそのまま、低脂肪乳ならスキムミルクを加えているので、今度作るときは、どちらかにした方が良さそう。

手作りヨーグルトは衛生的に管理しましょう。[風茶房 日々雑記]
これを読むと、衛生管理が面倒・自信がないなら、市販のヨーグルトを買ったほうが安全。
一応、熱湯消毒はしたし、種はそんなに継ぎ足しするつもりはないので、気が向いたときに時々自家製ヨーグルトを500ccくらい作ろうか...という気にはなっている。
それでも、やっぱりヨーグルティアを使った方が効率的だし、カスピ海ヨーグルトとかケフィアに甘酒も作れるというのは魅力的。
耳鳴り関連情報トピックス/和歌山県立医大の研究
耳鳴り不快感関連部位を県立医大研究チームが特定(和歌山放送ニュース,2013年07月29日)

県立医大の耳鳴り研究 治療に糸口[日高新報 Web Hidaka, 2013年8月1日版]

耳鳴りの原因は脳だった 関連部位明らかに 和歌山医大[MSN/産経ニュースWest,2013.8.3]

 本研究に関する論文(英文):”Brain Regions Responsible for Tinnitus Distress and Loudness: A Resting-State fMRI Study” [PLOS ONE/Published: June 25, 2013]
アラウ ~ モーツァルト/ピアノ作品集
モーツァルトは好きな作曲家ではないので聴くことはほとんどないけれど、それでも好きな作品というのがいくつかあって、そのほとんどが短調。
ピアノ協奏曲第20番と第23番(第2楽章)、珍しい短調のピアノ・ソナタ第8番、幻想曲ハ短調、ロンドイ短調。長調なら、ピアノ協奏曲第23番の両端楽章とシンフォニックな第25番。

アラウの数ある録音のなかで、モーツァルトはもう一つ人気がないらしい。
アラウのモーツァルトは、古典派というよりはロマン派的、ウィーン風というよりはドイツ風かも。
ゴツゴツとしたマルカート気味のタッチと起伏の多いアーティキュレーション、遅く揺れの多いテンポが独特。
軽快で流麗というよりは、重た目のリズムで、骨格がしっかりした、いささか無骨なモーツァルト。
モーツァルトにしては、ちょっとどころか、随分変わったところがある。
それにしても、不思議な透明感と親密感が漂っているのは、アラウの晩年のデジタル録音に共通した特徴。(ベートーヴェンやブラームスと違って)モーツァルトにはほとんど拘りを持っていない私には、そういうアラウのモーツァルトに惹かれるものがある・


ピアノ・ソナタ第8番。モーツァルトのピアノ・ソナタのなかで唯一好きな曲。
アラウの第8番の録音は、1964年の放送用録画と1984年のスタジオ録音が残っている。
それに、最近、1964年のタングルウッド音楽祭のライブ録音(試聴ファイルはこちら)もリリースされた。
たしか高校時代に、この曲のピアノ練習のお手本にするCDを探していた時、ちょうど朝日新聞の小さなコラムに、アラウのモーツァルトの批評が載っていた。
”陽だまりのなかで泣いているような”とかいう文章(記憶が定かではないけれど)を読んだがために、アラウのCDを買ったのだった。
でも、イメージしていたモーツァルトの演奏とは随分違う気がして、あまり聴かないまま、ラックの中で長い間眠っていた。

1964年の放送用録音(とタングルウッドのライブ録音)は、テンポも速めで指回りも良く、ゴツゴツしたタッチは軽快で力強い。
晩年のスタジオ録音は、大半のピアノ・ソナタが1980年代(80歳以降)の録音なので、指がもつれ気味でちょっと危なっかしい。
ベートーヴェンを聴いている時ほどひどく気にはならないとしても、このテンポの遅さと揺れの大きさ、ぽこぽことアップダウンする強弱は、技巧的な問題がかなり影響しているように思える。
第8番は1984年の録音なので、さらに後年に録音したソナタよりは、安定感はある。
タッチが昔よりも弱くなっているため、特に弱音の力が抜けて、時々すっと消え入ってしまいそう。
アラウの晩年のデジタル録音は、どれも音がとても美しい。このモーツァルトでもそれは同じ。
若い頃の力強さは影を潜めた代わりに、音にも演奏にも柔らかみがあり、しっとりした儚げな憂いが漂っている。
ずっと聴いていると、ピアノの音がまるで語りかけたり、歌っているように、だんだん聴こえてくるのが、ちょっと不思議な感覚。

Arrau Mozart Sonata No. 8 K. 310
Telecast of March 5th, 1964 Toronto, Canada.


Mozart by Arrau - (1st mvt) Sonata No 8 in A minor, K. 310 - Allegro maestoso (1984)




幸いにして、好きな幻想曲ニ短調(とハ短調)、ロンドイ短調は1973年の録音なので、技巧的な問題は全くない。
モーツァルトらしいかどうかはどうでも良いくらいに、ピアノの音も叙情も美しい。


もの哀しいロンドイ短調。長調の部分でも、”顔で笑って心で泣いて”いるような...。
Mozart by Arrau - Rondo in A minor, K. 511



幻想曲ニ短調。ハ短調もあるけれど、好きなのはこのニ短調、
Mozart by Arrau - Fantasy in D minor, K. 397



ロンドニ長調も、長調なのに珍しくわりと好きな曲。(たぶん、子供の頃に練習したので馴染んでいるから)
Mozart by Arrau - Rondo in D, K. 485



アラウのモーツァルトBOXは廉価盤(6枚組)は、2012年にリリース。
以前に発売されたBOXセット(7枚組・廃盤)と違うのは、CD枚数を1枚減らした分、アダージョと幻想曲ハ短調が未収録。
モーツァルトのピアノ・ソナタ全集のCDは全然持っていないし、抜粋盤も滅多に買わないのは、試聴ファイルをきいた段階で、聴きたくなくなってしまうので。
なぜかこのアラウのモーツァルトではそういうことが全くなく、全曲聴いてみても良いかも...と初めて思えた録音だった。
特に1973年に録音した4曲(ソナタ第14番、幻想曲2曲とロンドイ短調)は、技巧的に安定してタッチの切れもよく、”遅くて重たい”モーツァルトとは違う。これが60年代の全盛期に弾いていたアラウのモーツァルトに近いのでは。


モーツァルト作品集BOX(6枚組・廉価盤)
Die Klaviersonaten Claudio Arrau Spielt MozartDie Klaviersonaten Claudio Arrau Spielt Mozart
(2012/03/13)
Claudio Arrau

試聴ファイルなし



モーツァルト作品集BOX(7枚組・廃盤)
Mozart: Works for PianoMozart: Works for Piano
(2006/06/27)
Claudio Arrau

試聴ファイル


<録音年>
Piano Sonata in C: KV 279 / 189 d [No. 1](1988)
Piano Sonata in F: KV 280 / 189 e [No. 2(1988)
Piano Sonata in B flat: KV 281 / 189 f [No. 3](1988)
Piano Sonata in E flat: KV 282 / 189 g [No. 4](1985)
Piano Sonata in G major: KV 283 / 189 h e [No. 5] (1985)
Piano Sonata in D - Dürnitz: KV 284 / 195 b [No. 6](1987)
Piano Sonata in C: KV 309 / 184 b [No. 7](1986)
Piano Sonata in A minor: KV 310 / 300 d [No. 8](1984)
Piano Sonata in D: KV 311 / 284 c [No. 9](1986)
Piano Sonata in C: KV 330 / 300 h [No.10](1984)
Piano Sonata in A: KV 331 / 300 i [No.11](1986)
Piano Sonata in F: KV 332 / 300 k [No.12](1985)
Piano Sonata in B flat: KV 333 / 315 c [No.13](1985)
Piano Sonata in C minor: KV 457 [No.14](1973)
Piano Sonata in F: KV 533 & 494 [No.15](1987)
Piano Sonata in C - For beginners: KV 545 [No.16](1985)
Piano Sonata in B flat: KV 570 [No.17](1983)
Piano Sonata in D: KV 576 [No.18] (1983)
Adagio in B minor: KV 540(1983)
Fantasy in D minor: KV 397(1973)
Fantasy in C minor: KV 475(1973)
Rondo in D: KV 485(1984)
Rondo in A minor: KV 511(1973)

tag : モーツァルト アラウ

※右カラム中段の「タグリスト」でタグ検索できます。
太宰治の作品について
学生時代にかなりの作品を読んだ日本人作家といえば、大江健三郎、村上春樹、それに、太宰治。
中島敦、野上弥生子の小説や坂口安吾の評論も読んだけれど、読んだ作品は少ない。

大江・村上・太宰のうち、今でも、時々読み返している作家といえば、太宰だけ。
同時代の作家坂口安吾が書いた太宰論『キリストと不良少年』が、今も昔も私の太宰のイメージとぴったり。
そのためか、私は太宰信奉者にも熱烈なファンにもなれず、「太宰を最も理解しているのは自分」と思ったこともない。
それでも、昔に比べると太宰についてかなりポジティブな姿勢で向き合うことができるせいか、戦前・戦中期の”小市民的生活”を送っていた頃の太宰の生き方と作品には特に好感を持っているし、強く共感できる部分も多い。

愛読していたのは新潮文庫版。ほとんど揃えていたけれど、最も人気のある『人間失格』、それに『グッドバイ』は、どうにも好きにはなれなくて、随分昔に処分してしまった。
「新潮文庫 累計発行部数」では、夏目漱石の『こころ』(673万7500)に次いで、第2位が『人間失格』は、(657万4000)。
そういえば、太宰の伝記を書いた猪瀬直樹が、「『人間失格』はね、あれはほんとは、自分だけ合格で、世間が失格だと言っているんだよ。それを読み違えている若者が、日本には多いんだよね」と言っていた。(猪瀬直樹ブログ,2010年3月25日)
『人間失格』に関しては、最も批判的な評論は、おそらく岸田秀の『ものぐさ精神分析』に収録されている「自己嫌悪の効用 ~太宰治の「人間失格」について」。(詳しくは、過去記事<太宰治の生誕100周年[2009年6月19日]>参照)


この新潮文庫版は随分昔に買ったので、経年劣化のためにすっかり黄ばんでいたり、最近出た改版に比べて文字がかなり小さくて、とても読みづらくなっていた。
ちくま文庫の『太宰治全集』の方が長期保存するのに良さそうなので、好きな作品が載っている巻から順番に買い替えている。
ちくま文庫は装丁がわりとしっかりしていて、紙質も比較的良いので、芥川龍之介の作品もちくま文庫版を中心に揃えている。

太宰作品のなかでは、美知子夫人と”再婚”(戸籍上は初婚)して安定した”小市民的生活”に入った戦前・戦中の作品に好きなものが多い。
戦後期の家族をテーマにした作品は、言い訳めいて愚痴っぽく感じるせいか、「子より親が大事と思いたい」という冒頭で有名な『桜桃』や『父』にも、全く共感しなかった。
逆に、妻の立場を描いた『おさん』は面白かったけど。

学生の頃にとても好きだった作品といえば、歴史物が好きだったせいか、『右大臣実朝』。
それに『斜陽』。当時、野上弥生子の『真知子』も愛読書だったので、戦前・戦後期という違いはあるけれど、中産階級の女性の生き方の違いが対照的だった。

昭和13年の『満願』~戦後直後の『津軽』あたりまでの作品を今また読み直していると、太宰の文才がどれだけ優れたいたのかを実感する。芥川のような高尚・高踏な作風ではないけれど、やはり”天賦の才能”に恵まれた人だった。
戦中・戦後の混乱に巻き込まれていたとはいえ、生活・精神的に安定した時期の作品のせいか、創作小説、私生活小説、古典の翻案、紀行など多種多様な作風と、それにあわせて文体・形式も多彩。
戦後期の《人間失格》や《グッドバイ》などとは違って、地に足がついた地道な”小市民的”な生活から生まれた明るさ、堅実さ、ユーモアのある作品群は、この時期の太宰でしか書けなかった。

特に太宰の天才のほとばしりを強く感じるのが『駆込み訴え』
太宰は、美知子夫人(それに晩年の愛人だった山崎富栄)や編集者に作品を口述筆記で書き取らせることが度々あり、この『駆込み訴え』もそうして生まれた。
『駆込み訴え』を口述筆記した美知子夫人の回想録にそのときの様子が記されている。
「全文、蚕が糸を吐くように口述し、淀みもなく、言い直しもなかった」
愛憎が心中で葛藤しているユダの錯綜する心理を一気呵成に口述していくのは、頭の中で熟成させていたからだろうか。作曲家でも、バッハやモーツァルトは、作曲するときに楽器を使わずに、一気に譜面に書き込んで行ったというから、頭のなかで全てで出来上がっていたのだろう。

『富嶽百景』は、「富士には月見草がよく似合ふ」の一文が有名。
堅実な家庭で育ったインテリ女性との結婚話が持ち上がり、新しい生活への期待を感じさせる。
地味ながらもポジティブな心持ちがあって安心して読める。

『畜犬談』も面白い。
ひょんなことから飼う事になった野良犬ポチを廻るお話。
そのなかで、ひどい皮膚病になった犬がただならぬ悪臭を放つようになり、これにまいった妻が、
「ご近所にわるいわ。殺してください」女は、こうなると男よりも冷酷で、度胸がいい。
「殺すのか」私は、ぎょっとした。「もう少しの我慢じゃないか」

という話が出てくる。
実際に美知子夫人が実際にそう言ったのかどうかはわからないけど、太宰の犬嫌い(というか、恐犬癖)は、美知子夫人の回想『回想の太宰治』でも書かれている。

なぜか妙にその当時の(今も..かも)の心情とぴったりマッチして、特に忘れることがなかったのは、『トカトントン』
ユーモラスというよりは、ニヒリスティックな雰囲気が漂う。
どうして太宰はこの作品を書いたのだろうかと、今でも不思議に思う。
彼の自己破壊衝動的なものと関係あるのかも...と思ったりもする。
実際、「トカトントン」が聞こえていたのかどうか、太宰に尋ねたくなってくる。
(研究者の解釈としては、戦後の混乱期に旧来の価値観が崩壊しつつある社会を反映したとか、社会的文脈から読み解く人もいる)

あまり知られていない『日の出前』(最初に発表時のタイトルは『花火』)は、最後に出てくる妹の言葉「兄が死んで、私たちは幸福になりました」が何より痛烈。
この話はなぜかすっかり忘れていたけれど、読み直していると当時読んだときの記憶が鮮明に蘇ってきた。
当時、家族論や家族病理論といった本をよく読んでいたので、衝撃的というよりも当然と思えるくらい説得力のある言葉だった。
太宰が戦後に発表した短編『家庭の幸福』で”家庭の幸福は諸悪の根源”という、小市民的幸福感を否定した言葉とは、意味合いが違う。
この妹の言葉は、実家の兄や家族たちの世話になり続け、度々事件を起しては迷惑をかけ続けてきた太宰の負い目が言わせた言葉なのではないかと思えてしまう。


『津軽』は、紀行としても、回想記としても、太宰の他作品にはない淡々とした語り口と、津軽人のメンタリティを生き生きとした描写で書いている。
『太宰治と旅する津軽』という写真集&旅行記と一緒に読めば、津軽の景色や街並み、縁の建築などが写真で眼にすることができる。

とんぼの本 太宰治と旅する津軽とんぼの本 太宰治と旅する津軽
(2009/09/26)
太宰 治、小松 健一 他

商品詳細を見る


ユーモア作品としては、黄村先生シリーズの『黄村先生言行録』が面白い。
小説中では弟子となっている太宰が送ってきた手紙に、先生がコメントした内容が書いてあって、これが笑える。
続編の『花吹雪』『不審庵』も、太宰の黄村先生に対する冷静な観察眼と批評がユーモラス。

『誰』は、気を回したのに逆効果だったという最後の落ちが利いている。

菊池寛の『忠直興行状記』の話が冒頭に出てきたので、読みたくなったのが『水仙』
忠直卿の武術が劣るために家来たちがわざと勝負に負けたのではなくて、忠直卿は本当に強かったのではないか...という疑念をヒントに、画家を主人公にして小説化したもの。

『お伽草紙』を昔読んだときは、原典自体をよく知らないせいか、さほど面白いとは思わなかった。
読み直してみると、原典を知らずとも、ともかく話自体が面白い。この作品が結構人気があるのもよくわかってきた。
特に、『カチカチ山』と『舌切雀』は、女性の持つ冷酷な面がユーモラスさを交えて書かれていて、かなりコワイ。
太宰は、女性が一人称で語る告白調の作品も多く、女性の心理を書かせると上手い。

『カチカチ山』の狸の不幸。
「カチカチ山の物語に於ける兎は少女、さうしてあの惨めな敗北を喫する狸は、その兎の少女を恋してゐる醜男。これはもう疑ひを容れぬ儼然たる事実のやうに私には思はれる。」
という冒頭で始まり、
「しかし、狸の不幸は、まだ終らぬ。作者の私でさへ、書きながら溜息が出るくらゐだ。おそらく、日本の歴史に於いても、これほど不振の後半生を送つた者は、あまり例が無いやうに思はれる。狸汁の運命から逃れて、やれ嬉しやと思ふ間もなく、ボウボウ山で意味も無い大火傷をして九死に一生を得、這ふやうにしてどうやらわが巣にたどりつき、口をゆがめて呻吟してゐると、こんどはその大火傷に唐辛子をべたべた塗られ、苦痛のあまり失神し、さて、それからいよいよ泥舟に乗せられ、河口湖底に沈むのである。実に、何のいいところも無い。これもまた一種の女難にちがひ無からうが、しかし、それにしても、あまりに野暮な女難である。粋(いき)なところが、ひとつも無い。」
というお話。

『舌切雀』では、可愛い雀に嫉妬したお婆さんが、雀の舌をむしり取つてしまう。これは結構ムゴイ。
「そんな気のきいた事を言はせないやうに、舌をむしり取つてしまひませう。あなたは、ふだんからどうもこの雀を可愛がりすぎます。私には、それがいやらしくて仕様が無かつたんですよ。ちやうどいい案配だ。あなたが、あの若い女のお客さんを逃がしてしまつたのなら、身代りにこの雀の舌を抜きます。いい気味だ。」掌中の雀の嘴をこじあけて、小さい菜の花びらほどの舌をきゆつとむしり取つた。

舌を切られた雀を探し回ったお爺さんが、ようやく雀の世界に入り込んで、”お照さん”と呼ばれている舌切り雀と再会する場面がとっても微笑ましい。
まさに以心伝心の如く、お婆さんとの会話とは全くえらい違い。

物語の結末は、金貨の一杯つまった大きな葛籠を抱えたお婆さんが凍死してしまう。
それを元に出世したお爺さんの言葉で小説は終わる。
「いや、女房のおかげです。あれには、苦労をかけました」
この言葉だけが最後に書かれているので、どう解釈するかは読み手次第。
私には、解説者(奥野健男氏)が書いているような”内助の功”や”亡き妻への感謝”ではなくて、愛情を失った妻が己の強欲から死んでしまった幸運(?)をシニカルに語った言葉に思える。


太宰の作品は、文体からテーマまで多種多様で長編・短編ともいろいろ読んでいると、戦後期の作品は愚痴めいていて相変わらず好きではないとはいえ、歳と好みの変化のせいか、昔よりもずっと相性が良くなっている。

太宰に関する複数の評伝を読んだせいか、彼の錯綜を重ねた生き方とメンタリティに全て共感はできないとしても、以前よりは理解できるようにはなった気はする。



太宰治の作品(XHTMLファイル)[青空文庫]
富嶽百景
駆込み訴え
右大臣実朝
畜犬談
トカトントン
日の出前(旧題:花火)
津軽
黄村先生言行録

おさん
水仙
お伽草紙

tag : 太宰治

※右カラム中段の「タグリスト」でタグ検索できます。
メシアン/神の現存のための3つの小典礼
《鳥たちの目覚め》を収録したケント・ナガノとイヴォン・ロリオのエラート盤は、《神の現存のための3つの小典礼》をカップリング。
《神の現存のための3つの小典礼》に限らず、メシアンの合唱曲も、バロック~現代の宗教音楽も、一部の曲を曲を除いては、ほとんど聴くことがない。

この《神の現存のための3つの小典礼》は宗教曲、それも現代曲なので、とっつきにくくて合わないだろうと思っていたけれど、ピアノの音が冒頭から聴こえてきたせいか、この曲の敷居が一気に低くなってしまった。
意外なくらい、自然と耳に入ってくるのは、メシアンらしい旋律と和声の響きを聴き慣れていることもあるし、私の好きな女声合唱とピアノの両方の周波数の高い音が溶け合って、ソノリティそのものがとても美しい。
それに、音楽自体がとても面白い。
演奏時間は全3楽章で35分前後。3つの楽章がかなり異なる楽想で、それぞれ旋律・色彩感・リズム・ソノリティはやはりメシアン独特。
宗教音楽といえども、メシアンの曲とは、音楽的な部分ではなぜか波長の合うことが多いので、この曲も全く退屈しない。

メシアン:鳥たちの目覚めメシアン:鳥たちの目覚め
(1996/05/25)
ナガノ(ケント),フランス国立管弦楽団, ロリオ(イボンヌ), ロリオ(ジャンヌ), センドレズ(ミシェル), エリィ(ルック)

試聴する(amazon.de)


作品解説はメシアン自身のもの。
《神の現存のための3つの小典礼》は、従来の宗教音楽・典礼音楽のアカデミズムとは全く異なる音楽だったため、1945年の初演ではかなり攻撃的な批判が湧き起こり、「一部同業者の精神と一部批評家の記事の中にスキャンダルを呼び起こした」とメシアンは語っている。

この曲の色彩は、メシアンの言葉によれば「青、赤、赤い縞の入った青、オレンジの斑点炒りの薄紫色と灰色、緑がちりばめられ金色で縁取りされた青、緋色、ヒヤシンス色、紫色、宝石のきらめき」。
使われている楽器が多彩で、ソノリティも独特。弦楽器に加えて、オンドマルトノ、チェレスタ、ヴィヴラフォン、ピアノ、マラカス、タム・タム、中国のシンバルを使っている。
チェレスタ・ヴィヴラフォン・ピアノでは、打楽器的奏法を使うことで、バリの「ガムラン」的な響きも聴こえる。
それに、逆噴射するかのような旋律、単純なリズムと単旋律のオスティナートなど、「シュールレアリズム的な外観」を持っているけれど、主要理念は「神の現存」。


第1楽章:内なる対話のアンティフォナ(神は私たちの中に現存する……)
「私を目覚めさせないで下さい。小鳥の歌うときが来ました!」という言葉引用されている。
第1部と第3部では、《鳥のカタログ》を連想するような、「鳥の歌」の旋律をピアノが弾いている。
このピアノ伴奏(と弦楽伴奏)をバックに、やや無調風の女声合唱が、不気味さと神秘性とを漂わせて、なんとも言えない独特の美しさ。
中間部では、テンポが上がり、音も増える。女声合唱はまるでお経を唱えるような旋律とリズムになり、符点が付けられたリズム・カノンを弾くヴィヴラフォン・ピアノ・ピッツィカートの弦楽器・マラカスが加わり、それらが渾然一体となって、賑やかに。

Olivier Messiaen — Trois petites liturgies, I. Antienne de la conversation intérieure




第2楽章:御言葉のセクエンツィア、神のカンティクム(神は自らの中に現存する……)
冒頭の旋律は、まるでジョン・ラターの音楽のように明るく爽やかな旋律。
女声合唱の歓喜に満ちたと輝きに満ちた旋律と、それと一体となったように、宇宙的な不思議な響きが錯綜する伴奏には、豊満・豊饒感があり、《トゥランガリーラ交響曲》を連想する。
特に弦楽器以外の楽器の存在感が大きく、その旋律や響きがそれぞれ独特で一風変わっている。ピアノパートの動きがかなり目まぐるしく、旋律、リズム、奏法とも多彩。
時々逆噴射するような”ビュ~ン”という音が聴こえてくる。これがシンセサイザー風のテクノ的な響きで面白い。(楽器は何だろう?)

Olivier Messiaen — Trois petites liturgies, II. Séquence du Verbe, Cantique Divin




第3楽章:愛による偏在のプサルモディア(神は万物の中に現存する……)
第1部と第3部では、再び女声合唱がお経のように歌詞を唱えていて、これが得体の知れない超越的な何かが迫ってくるようなものを感じる。
何かを呼び起こそう、引寄せようとしている呪文みたいに聴こえるせいか、少しオカルトチック(?)なオドロオドロしさを感じないでもない。
中間部は緩徐部となり、「愛と畏敬の祈り」。第1楽章のような静謐さと神秘的な雰囲気は、主題部・再現部ととても鮮やかなコントラスト。
終盤になると、女声合唱が美しいアルペジオの旋律を歌い始める。その伴奏は、合唱に調和した旋律と不調和な旋律が混在して、全体的にかなり混沌としてくる。最後に、再び静寂さに回帰してエンディング。

Olivier Messiaen — Trois petites liturgies, III. Psalmodie de l'Ubiquité par amour



tag : メシアン ナガノ ロリオ

※右カラム中段の「タグリスト」でタグ検索できます。
ドビュッシー/美しい夕暮れ
この暑苦しい夏の夕方は、疲れた一日にお別れするようにばら色に紅く染まった空がとても綺麗。
この夕暮れの風景にとても似合っていると思うのが、ドビュッシーの《美しい夕暮れ》。
蒸し暑い日中の疲れで気だるさを感じる夕暮れと、憂愁漂うこの曲の雰囲気とが妙にぴったり合っているような気がする。

美しい夕暮れ/歌詞[梅丘歌曲会館 詩と音楽]

Renne Fleming sings Beau Soir




この曲はヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ(とピアノ伴奏)独奏用に編曲されている。
特に、ハイフェッツのヴァイオリン編曲版が有名。
このヴァイオリン編曲版は、歌詞がなくとも、憂いと儚さを帯びた原曲の雰囲気がよく出ていて、原曲の歌曲よりも好きかも。
Jansen - Debussy - Beau Soir





珍しくもピアノソロ編曲版があったけれど、この曲は弦楽器の演奏で聴いた方がずっと叙情深く感じる。
Debussy (arr. Berkowitz) "Beau Soir" - Eric Himy, piano (LIVE)



tag : ドビュッシー

※右カラム中段の「タグリスト」でタグ検索できます。
メシアン/鳥たちの目覚め、異国の鳥たち
<Le plaisir de la musique 音楽の歓び>の”メシアンの「鳥」もので涼を取る”のタイトルに惹かれて、《鳥たちの目覚め/Réveil des oiseaux》(1953)と《異国の鳥たち/Oiseaux exotiques》(1955-56)をこの暑い最中に聴き直してみた。
以前聴いた時は、《鳥たちの目覚め》は、真夏の朝の清涼感のような爽やかさがあったけれど、《異国の鳥たち》は暑い南国ジャングルに住む極彩色の鳥たち...というイメージで、賑やかで暑苦しい曲だったような気がする。


《鳥たちの目覚め》
Olivier Messiaen: Réveil des Oiseaux (1953)

この音源は1953年の録音なのでかなり音が古めかしすぎて、もう一つ視覚的なイメージが鮮やかに沸いてこない。ピアノはロリオ。
私が聴いているのは、ケント・ナガノ指揮のエラート盤。こちらもロリオのピアノ。
最初は音の密度が低く、夜明け前の暗い空のように静か。ピアノソロからオケが重なってくると、徐々に空が白みはじめ、鳥たちが目覚めていく情景が浮かぶような音楽。
ピアノの音が硬質でクールな質感があり、オケはメシアンらしく色彩感豊か。特にトライアングル(?)のようなきらきら輝く高音の旋律がとっても綺麗。(Youtubeの音源だと9分くらい~)
そのうち、だんだん賑やかになってくるのは、夜明けで鳥たちが目覚め始めたからだろうか。ここはちょっと暑苦しいけど...。
その前後の部分は、この暑い夏の最中に聴くと涼しげで気持ちがいい。


《異国の鳥たち》
ピアノは、若い頃のエマール。硬質で尖った音が冷んやり。
オケがメインになって、リズミカルな展開になると、音の密度が増してかなり賑やかで、さらに色彩感がカラフルになる。
南国の鳥たちが賑やかにおしゃべりしたり、飛び回っているような雰囲気たっぷり。
もっとエネルギッシュでカオスのような混沌感があった曲だったような覚えがあるけれど(昔NHK-FMで聴いた時の演奏がそうだった)、それにしては、相変わらず温度感が低くてクール(理知的)に感じてしまうのは、演奏者がブーレーズとエマールだから?

Messiaen - Oiseaux Exotiques - Aimard, Boulez Part 1


Messiaen - Oiseaux Exotiques - Aimard, Boulez Part 2



                            


Youtubeで見つけた面白い映像。英語字幕付きなので、メシアンが話している内容が正確に読み取れる。
メシアンが観察した鳥たちの鳴き声や動きを音としてどのように捉え、どんなピアノの音とリズムに変換されていたのか、その一端が垣間見える。ピアノはロリオ。

Messiaen on Birds I




そういえば、長らく在庫切れだったDG盤のメシアン作品全集『Oliver Messiaen Complete Edition』が、最近再発売されている。
もともと2008年にメシアン生誕100年記念として、32枚組限定盤BOXで発売されていたもので、収録されている音源がかなり豪華。
DECCA、Warner、BrilliantのメシアンBOXもある。収録内容と価格を考えると、このDG盤が一番コストパフォーマンスが良くて、充実している(と思う)。
私が特に聴きたいのは、ロジェ・ムラロのメシアン独奏曲全集(CD1~7)、ロリオ&メシアンのデュオによる『アーメンの幻影』、ミュンフン/バスティーユ管の録音など。
手持ちのCDと重複している音源がほとんどない上に、聴きたい録音がいろいろ収録されているので、これはとっても魅力的。
ムラロのメシアン独奏曲全集はそのうち購入予定するだったので、それならこのメシアンBOXの方を買った方が絶対良さそうに思えてきた。

Oliver Messiaen Complete EditionOliver Messiaen Complete Edition
(2008/12/09)
Various Artists

商品詳細を見る

収録曲リスト(HMV)

tag : メシアン ロリオ エマール

※右カラム中段の「タグリスト」でタグ検索できます。
グルダ ~ バッハ/平均律クラヴィーア曲集 第1巻
一時期グルダのCDを集めていたことがある。ベートーヴェン、モーツァルト、バッハやライブ録音など、いろいろ持っていたけれど、聴けば聴くほど、好きなタイプのピアニストではないのがわかってしまった。
今ではCDを聴くこともほとんどなく、amazonのマーケットプレイスに出しておいたら、さすがに根強い人気のあるグルダのCDなので、すぐに買い手が見つかった。

リファレンスのために手元に残しておいたCDも、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ(旧盤抜粋、新盤全集、ライブ録音)&ピアノ協奏曲全集も手放してしまったので、今手元に残っているのは、バッハの《平均律クラヴィーア曲集 第1巻》。

Well-Tempered Clavier Book 1Well-Tempered Clavier Book 1
(1995/10/17)
Friedrich Gulda

試聴する


グルダの平均律曲集は、山ほどある同曲の録音のなかでも、かなりの人気盤。
何度聴いても、私には全く合わない。曲によっては、至極まっとうに思うこともあるけれど、急にポップスみたいな世界になったりする。
グルダが弾いているイギリス組曲やイタリア協奏曲の方は普通に聴けるけれど、この平均律は一風変わったものがある(と私には思える)。

残響を極度に排除しているので、残響の乏しいチェンバロのようなタッチ。
グールドがノンレガートでチェンバロ的に弾こうとしたのとは違って、タッチはスタッカートの緩いノンレガートが多く、タッチよりも録音方法でチェンバロの響きを模しているように思える。
そのタッチも曲によって変わる。第1番のプレリュードはかなりまともに聴こえるけれど、すぐにグルダが本領発揮して、他のピアニストなら絶対こんな風には弾かないだろうという曲がたくさん。
”音の戯れ”とレビューしていた人がいたけれど、自分の思うところのバッハを弾いているという点で、確かに音と戯れているような自由さは感じる。

テンポ設定も独特だし、弱音のタッチが軽く柔らかいので、第1番のフーガなど、優しく語りかけるような演奏は多い。
第10番のプレリュードなどは、まるでポップスのように聴こえる。
急速系のフォルテのタッチの曲は、チェンバロのビンビンとした弦の張りを感じさせるような弾力のあるタッチで、ゴツゴツと硬く強すぎるくらいで、勢いも良い。
声部はそれぞれくっきり聴こえてはくるのだけれど、一つ一つの音の発音がマルカート的に強くて、声部の横の動きが寸断されて流れが悪く、縦の線でピシっと合っているように聴こえる。(声部同士の絡みとか対位法の面白さを味わうなら、コロリオフを聴いた方が良い)

バッハの平均律の演奏としては、私は全く好きではないとしても、グルダの弾く平均律は面白いことは面白い。
昔は聴くのも嫌だったので、処分したいCDの筆頭だったけれど、今はさほど抵抗なく聴けるし、他のピアニストでは聴くことができない自由さとユニークな個性が面白いと思えるようになっていた。


スタジオ録音の第1番プレリュードとフーガ。
Prelude and Fugue No. 1 in C major, BWV 846, from Bach's Well-tempered Clavier, Gulda pianist



めずらしいライブ録音の第15番BWV 860。スタジオ録音とは違って、ペダルも使っているので、ピアノの響きが綺麗でややシンフォニック。
響きが混濁しているのは少し気になるけれど、何より自由闊達な雰囲気がグルダらしい。スタジオ録音よりはこちらの方が好きかも。

Gulda plays Bach Prelude &fugue



こちらは、スタジオ録音の第15番BWV 860。
Prelude and Fugue No. 15 in G major, BWV 860, from Bach's Well-tempered Clavier, Gulda pianist


tag : バッハ グルダ

※右カラム中段の「タグリスト」でタグ検索できます。
菊池寛の評伝
菊池寛の伝記・評伝を探してみると、菊池自らの筆による『半自叙伝』の他に、作家・家族・秘書など立場の異なる人たちによって書かれた評伝がいくつも出ている。
構成や文章のスタイル、交友関係・経験談の有無や立場・視点の違いなど、それぞれ特徴があるので、読み比べていくと、同じ事実を元に書いている部分でも、解釈の違いがわかって面白い。

小島政二郎『眼中の人』
主に文藝春秋時代以前の菊池寛との交流を回想したもの。
通俗作家ではなく、文芸作家としての菊池の本質がどこにあるのか、よくわかるし、実際菊池の作品を読むと同感できる。
小島の師である芥川龍之介にまつわる話もかなり多く、芥川にまつわる回想記としても読める。
両者と深い親交があった小島の経験談は、まるで目の前にその情景が浮かんでくるようなリアリティがあって、面白く読める。
過去記事:小島政二郎『眼中の人』

眼中の人 (岩波文庫)眼中の人 (岩波文庫)
(1995/04/17)
小島 政二郎

商品詳細を見る



猪瀬直毅『こころの王国-菊池寛と文藝春秋の誕生』
猪瀬直樹の太宰治伝はとても面白かったので期待していたけれど、この菊池寛伝『こころの王国―菊池寛と文藝春秋の誕生』は、形式が普通の評伝とは全く違う。
文藝春秋社社長だった菊池の秘書で愛人の「みどり」の眼を経験を通して、一人称で、菊池の言動や印象が語られていく。
「みどり」との会話や描写による一面性を補うために、文藝春秋社の社員だった「馬」を登場させて、場面設定や会話の中身を拡げている。
ひらがなの多い文体は文章がまだるっこしいというか冗長、誰が言った(思った)言葉がわからないところもいくつかあり、形式からして、好きなスタイルではない。
それに、「みどり」の一人称という設定だと、文藝春秋時代の菊池寛の姿が中心になってしまうので、それ以前の菊池寛像がよくわからない。
それをカバーするために、『半自叙伝』の文章を多数引用して、「みどり」と「馬」では知り得ない菊池の生き方やエピソードを挿入している。
菊池の(読んでいなかった)著作も文中で紹介されているので、そこは参考になった。
戦前・戦後の世相・風俗・慣習とか歴史的な話もいろいろ書かれているところは面白い。

こころの王国―菊池寛と文藝春秋の誕生 (文春文庫)こころの王国―菊池寛と文藝春秋の誕生 (文春文庫)
(2008/01/10)
猪瀬 直樹

商品詳細を見る


猪瀬直毅:「なぜいま僕は菊池寛の物語を書いているのか」(日本国の研究 不安との訣別/再生のカルテ 第479号【特別】(1月10日))


松本清張『形影―菊池寛と佐佐木茂索』
菊池寛の評伝のなかで、若い頃から晩年までの菊池寛とその著作の全体像を捉えられていると思ったのは、松本清張の『形影―菊池寛と佐佐木茂索』(文春文庫)
松本清張は芥川龍之介の評伝『芥川龍之介の死』も書いている。
いずれも、事実をベースに、冷静な観察眼を感じさせる客観性・論理性の高い文章で積み上げた評論で、数ある菊池寛論のなかでも、優れた評伝ではないかと思う。
松本清張といえば、NHKのドラマ化作品しか観たことがなく、著作自体は読んだことがない。
こんなに面白く説得力のある評伝を書いているとは、不勉強なことに全然知らなかった。清張の歴史ノンフィクション物なら、いろいろ読んでみたくなってきた。

この評伝では、菊池寛の幼少から晩年までの人生を追い、人物像、作家論・作品論、「文芸春秋」時代の経営者像、交友関係まで、幅広く取り上げられている。
文士であり経営者であった菊池寛の全体像がよくわかる。
作家としての菊池寛については芥川龍之介との比較、文藝春秋の経営者としては、同じく文士であった佐佐木茂索との比較を通じて、菊池寛の作家・経営者像が明瞭に浮かび上がってくる。
芥川と佐佐木は、両者とも菊池寛とは対照的なメンタリティと作風・経営スタイルなので、その違いが面白い。
それに、菊池寛論としてだけではなく、芥川龍之介の作家論・作品論、佐佐木の経営者論としても読める。
3人の作品や書簡、彼らの対する同時代人の評論など、文献の引用も多数あり、情報の質・量ともとても充実している。清張の文章や話の展開も、理路整然としてわかりやすい。

個別に詳しく論じられていたのは、菊池の「テーマ小説」とは何かという点。
菊池自身「俺のテーマ小説は俺の生命」という信念があったという。
その菊池の「テーマ小説」を志賀直哉と比較している。ここは、志賀直哉論・「暗夜行路」論としても読める。
志賀の言動や作品を具体的に上げて、”小説の神様”として賛美していないところが、面白い。
(志賀直哉の短編(というか随想というか)はいくつか読んだけれど、面白いと思ったのは「小僧の神様」くらいなので、私とは相性が悪い)


文芸春秋時代の菊池寛は、作家としてではなく、編集者として才覚優れた人だった。
「文芸春秋」は創刊時から予想外の大成功を収めたが、その理由は雑誌のコンセプトが斬新だったことはよく言われている。
清張は、それに加えて、当時文壇で大作家となっていた芥川が毎月巻頭の「朱儒の言葉」という原稿を書いていたことを上げている。
芥川自身はまさに「金看板」。さらに、芥川の弟子筋の作家たちも寄稿するので、「豪華執筆陣」を擁していた。

菊池の雑誌づくりや普及活動に関するアイデアも独創的。
4段組の随筆欄、目次を印刷した表紙、座談会形式、「文芸講座」の発刊、文士の全国巡回講演会、相次ぐ新雑誌の創刊(今でも残っているのは『オール読物』)、一般募集の「実話」掲載など、菊池が文藝春秋時代に初めて試みたアイデアは多い。
菊池がこれほどアイデアマンだったとは、それまでの菊池の伝記を読んでいても、全然想像できない。
さらに、「小説家協会」「文藝者協会」を創設して、原稿料の値上げを出版社に交渉したり、著作権を設定したりして、作家の生活を安定させることに腐心した。

高い収入を得るようになってからは、後輩の作家や文学志望者によくお金を呉れていた。(『眼中の人』でも、小島が菊池にお金を借りる(実質的には、「貰う」)場面が書かれている。)
清張は、「自分の逆境の頃を思っての同情であって、それによって子分を得ようなどという打算的な気持ちはなかったろう」と推察している。
清張の菊池の人物論で面白いのは、「一見楽天的だが、その内面には虚無的に近いぐらいペシミスティックな要素があるように思う」というところ。
菊池自身、「生活第一、芸術第ニ」という主義。「清貧にあまんじて立派な創作を書こうという気は、どの時代にも、少しもなかった」という現実主義者。
清張は、菊池の現実主義は「若い時の不遇な経験が、すべてを信じることはできないといった観念を彼に持たせるに至ったと思われる」と言っている。
菊池の言動と発想は、極端なくらいに合理主義的なところが多分にあり、これはこの現実主義に根ざしているのだろう。

出版社経営に関しては、文藝春秋社が大きくなればなるほど、個人商店的な経営では限界がある。
結局、「文藝春秋」を株式会社化し、社長の菊池寛と、専務の佐佐木茂索がニ人三脚で経営していく。
この2人の組み合わせを、小林一三が「社長と専務の理想的な名コンビ」と評していた。
佐佐木茂索は、外見・衣食の趣味・メンタリティ・発想とアプローチなど、全てが菊池と正反対で水と油の如く。
菊池は「茫洋たる親分社長」の典型で、菊池が経営を全て担っていたなら、そのうち行き詰まっただろうし、「最新なるカミソリ専務」の佐佐木が社のトップだと経営手腕を信用されることはあっても、菊池ほどに人間的に慕われることはなかったろうと思えてくる。
経営上は「名コンビ」であっても、人間的にはどうも馬が合わなかったようで、個人的に深い親交があったというわけではない。少なくとも、清張はそう捉えている。
そもそも芥川門下の佐佐木は菊池の文学を認めていなかったし、菊池もそれを知っていた。ここに両者の「よそよそしい関係」がある。
しかし、この2人が共に文士だという点が普通の企業とは決定的に違っていた。そのため企業につきものの社内派閥を作ることもなかった。

佐佐木が作家生活を断念して、文藝春秋社の経営に専念するようになるが、これは彼自身作家としての自分の才能を客観的に把握していたため。
実際、計数に明るく、どこで学んだのか(清張はいろいろ推測しているが)、経理・経営能力も高く、出版・印刷業界の実務(資材・広告業務)にも通じていた。
文士出身の経営者としては極めて珍しい能力に違いない。佐佐木が小説を断念して企業経営者に転身したことを「最大の傑作」だと誉める人もいた..というのも納得。

清張の評伝で面白いところは、文献などの事実をベースにして、定説とは違った推論を加えている部分。
例えば、菊池の出世作《無名作家の日記》は、明らかに芥川をモデルにしたとわかる登場人物に対して「羨望、嫉妬に満ちた日記で、呪詛に満ちている」。
「中央公論」の滝田編集長もそれを気にして、出版前に直接芥川に問題なしと了解を得た、ということになっている。
しかし、清張が推察するに「芥川にとって内心不快だったに違いない。..それを滝田に向かって口にしなかったのは、すでに文壇に地歩の固まった芥川の自信と、彼一流の気取りと気の弱さからであろう。」


『形影』は、菊池寛論として、作品論・作家論から、文藝春秋時代の編集者・経営者像まで論じているので、菊池の生涯と彼の全体像を捉えやすい。私が菊池の評伝を1冊だけ読むのならば、これを選びたい。


形影―菊池寛と佐佐木茂索 (文春文庫)形影―菊池寛と佐佐木茂索 (文春文庫)
(1987/03/10)
松本 清張

商品詳細を見る




『歴史としての文芸春秋 増補「菊池寛の時代」』(金子勝昭、日本エディタースクール)
文芸春秋社内の様子や、菊池と社長の佐々木との微妙な関係がよくわかる。
戦時下での「文藝春秋」と菊池がとった言動・立場については、かなり辛口。

歴史としての文芸春秋 (出版人評伝シリーズ)歴史としての文芸春秋 (出版人評伝シリーズ)
(1991/10)
金子 勝昭

商品詳細を見る



『真珠夫人』菊池寛[松岡正剛の千夜千冊、1287夜]
菊池寛の略伝、『忠直卿行状記』と『真珠夫人』に関する評論が載っている。


小林秀雄『菊池寛論』
新潮文庫『作家の顔』には、小林秀雄「菊池寛論」「菊池さんの思い出」「菊池 寛」「「菊池寛文学全集」解説」の4篇を収録。
「菊池寛論」と「「菊池寛文学全集」解説」は作家論・作品解説。残り2編は随筆。
『作家の顔』には、菊池寛に関する文章が数件収録されている。
「氏の私生活を題材にした作品には私小説の本流、と言っては変だが所謂私小説とはまるで異なった性格がある。菊池氏の私小説の魅力は、誇張のない逸話と同じ性質のものだ。人間的魅力に富む正確な逸話の種をいつも供給してくれているようなものだ。当人は力み返って語るが、聞く人には一向面白くないという分子は一切省略されている。言わば自分で自分の逸話を語る大家の様なもので、告白は逸話にならない事をよく心得てある。」(『菊池寛論』)


作家の顔 (新潮文庫)作家の顔 (新潮文庫)
(1961/08/22)
小林 秀雄

商品詳細を見る



井上ひさし『菊池寛の仕事―文芸春秋、大映、競馬、麻雀…時代を編んだ面白がり屋の素顔』(井上ひさし, こまつ座)

菊池寛の仕事―文芸春秋、大映、競馬、麻雀…時代を編んだ面白がり屋の素顔菊池寛の仕事―文芸春秋、大映、競馬、麻雀…時代を編んだ面白がり屋の素顔
(1999/01)
井上 ひさし、こまつ座 他

商品詳細を見る


基調講演:井上ひさし「作家の生き方」[21世紀活字文化プロジェクト/読書教養講座]


吉川英治名義の作品解説
菊池寛は、戦時中の戦争協力を理由に、戦後はGHQから公職追放処分と受けたが、これは”自由主義者”と自認する菊池にとって納得できるものではなかった。
公職追放により、菊池は文藝春秋社を解散し、大映社長も辞職する。(文藝春秋社は、社員有志により数ヶ月後に、佐佐木茂索を社長として、「株式会社文藝春秋新社」が設立される)
その頃の菊池の思いを記したものが、『藤十郎の恋・恩讐の彼方に』(新潮文庫)に収録されている吉川英治名義での解説。これは実際は菊池寛自身が書いたもの。

「この集には、菊池氏の初期の作品中、歴史物の佳作が悉く収められている。これらの作品を見ても、菊池氏が、リベラリストとして、その創作によって封建思想の打破に努めていたことがハッキリするであろう」
「およそ大正から昭和の初めに当たって、菊池氏の作品ほど、大衆の思想的、文化的啓蒙に貢献した作品は少ないと、いってもよい。が、文学作品の社会的影響などは、甚だ微力なものである。戦いに敗れた今日、改めて封建思想の打破が叫ばれなければならぬほど、菊池氏としては、残念至極なことと思っているであろう。」



菊池直毅『菊池寛急逝の夜』
菊池寛急逝の夜 (中公文庫)菊池寛急逝の夜 (中公文庫)
(2012/08/23)
菊池 夏樹

商品詳細を見る


「私のこころの王国」(菊池夏樹第482号【論説】(1月31日))


福田和也『怪物伝』(単行本発刊時のタイトルは『日本国怪物列伝』)
怪物伝 (ハルキ文庫 ふ 1-7)怪物伝 (ハルキ文庫 ふ 1-7)
(2011/07/15)
福田 和也

商品詳細を見る



映画『丘を超えて』
これは観たことがない映画。DVDの写真を見ると、西田敏行が菊池寛のイメージにほんとにぴったり。
丘を越えて [DVD]丘を越えて [DVD]
(2008/10/18)
西田敏行、西島秀俊 他

商品詳細を見る


tag : 菊池寛 小島政二郎 猪瀬直樹 井上ひさし 松本清張 佐佐木茂索 伝記・評論

※右カラム中段の「タグリスト」でタグ検索できます。
ウィリアム・アルウィン/ピアノ協奏曲第1番・第2番
ラウタヴァーラのピアノ協奏曲の音源を探していてたまたま見つけたのが、ウィリアム・アルウィン(William Alwyn:)のピアノ協奏曲第1番と第2番。

<アルウィン作品情報>
ウィリアム・アルウィン[M.M's Modern English Music] (近代および現代イギリスの作曲家および作品の紹介)
NAXOSが録音しているアルウィン作品リストと概要

イギリス音楽は、ドイツ・フランス音楽に比べてマイナーな感がある。
すぐに思い浮かぶ作曲家といえば、バード、パーセル、エルガー、ディーリアス、ブリテン、ヴォーン=ウィリアムス、ウォルトン、ホルスト、グレインジャーなど。
このなかでは、ブリテンは、管弦楽曲、協奏曲、ピアノ作品と声楽曲ともよく聴いたけれど、他の作曲家は代表作と言われる曲を聴いたことがあるくらい。

英国のレーベルCHANDOSは英国人作曲家の作品を多数録音しているので、以前に現代音楽のピアノ協奏曲だけはいろいろ聴いたところ、比較的調性感があるので聴きやすいものが多い。(そのわりに印象に強く残るものはあまりないけれど)
アルウィンは映画音楽の作曲でも知られているらしく、2曲あるピアノ協奏曲を聴いても、色彩感豊かで流麗で絵巻物的なドラマティックな曲なので、とってもわかりやすい。
第1番・第2番ともかなり技巧華やかなピアニスティックな曲。

ピアノ協奏曲第1番
単一楽章になっているけれど、4つのセクションに分かれている。
第1楽章にあたるPart1のAllegro Decisoは、リズム感よく、ブラスの響きが明るく軽やか。
ピアノもクリスタルのようにキラキラとした音色と華やかな技巧。
全体的に色彩感豊かで、絵画的というか映画音楽のような視覚喚起力がある。
緩徐楽章にあたる2番目のセクション”Adagio E Tranquillo”は、フランス音楽のような音色の美しさと洒落た品の良さがあり、後半になるともやもやとした不安感と曖昧さの漂う、陰翳の薄いプロコフィエフ風。
第1楽章のように軽快でダイナミックな”Tempo Primo”に変わり、最終楽章にあたる”Adagio Molto E Tranquillo”では、緩徐楽章のようにゆったりとしてテンポで、終わり方はあっけないけれど、静かでメロディアスな旋律が綺麗。

William Alwyn: Piano Concerto #1, 1930




ピアノ協奏曲第2番
第1楽章や第3楽章は、ハリウッドのアクション映画や冒険映画のサントラに出てきても、そう違和感はないかも。
第1番よりは、第2番の方がいかにも前衛的な趣きがあり、現代音楽的で面白い。
第1楽章の騒然とした雰囲気は、リーバーマンを連想するし、現代イギリスのピアノ協奏曲には、こういう曲想の曲がわりと多い気がする。

William Alwyn - Piano Concerto No.2 - 1st mvt.wmv

この静止画像のブラウン色の不気味な絵は、オランダの画家ヤン・トーロップの”O grave, where is thy Victory”(1892年)。
もう20年くらい前に大阪で美術展があって、そこで初めて見たトーロップの絵は不気味で幻想的。そこで買った絵葉書のなかに、この絵も入っていて今でも持っている。(昔は美術展に行って絵葉書を集めるのが趣味だったので)

William Alwyn Piano Concerto No 2 3rd mvt Part I

トーロップの”De drie bruiden / The three brides”(1893年)

tag : アルウィン

※右カラム中段の「タグリスト」でタグ検索できます。
カッチェンの珍しいライブ映像
Youtubeで発見したとっても珍しいカッチェンのリハーサル映像。
ドホナーニ指揮のベルリンフィルと、ブラームスのピアノ協奏曲第1番第1楽章をリハーサルしているところ。
ドホナーニといえば、《童謡の主題による変奏曲》の作曲者でもある。カッチェンはこの曲をモノラル・ステレオの両方で録音している。(指揮者はいずれもエードリアン・ボールト)

このYoutube映像は1967年なので、カッチェンは41歳頃。
この演奏のスタジオ録音は残っていないので、たぶん演奏会用のリハーサル風景。(ベルリンフィルのアーカイブにでも残っていたのだろうか?)
カッチェンがブラームスのピアノ協奏曲第1番を弾いているライブ映像は見たことがなかったので、とても貴重な記録。

Julius Katchen - Brahms 1967
Rehearsing in Berlin under Christoph von Dohnányi and Berlin Philharmonic Orchestra




こちらはカッチェンのレパートリーの一つ、ドビュッシーの《月の光》を弾いているところ。
TV番組のワンシーンらしい。フランス語なので内容はさっぱりわからない。
カッチェンは、飛び級で大学を卒業した直後、フランス政府の奨学金を得てパリに留学。
そのまま移住してしまったので、フランス語が流暢なのは当然として、他にも数ヶ国語が話せたらしい。

Julius Katchen - Debussy 1966


白壁の小さな部屋のなかで、贅沢な装飾が施されたアンティークなピアノで《月の光》を弾いている。
煌きのある綺麗でちょっとレトロな(ちょっと調律が狂ったような)音は、夢を見ているようにファンタスティックで宝石のように煌いている。
この豪華に装飾されたピアノは、”Siena Pinao”という年代もののピアノらしい。
調べてみると”The Fantsic Saga of The Siena Piano”という英文雑誌記事が見つかった。
- このピアノの高い名声の理由は、”ソロモンの神殿”に由来した伝説的な共鳴板(sounding board)とピアノに施された19世紀初期イタリア風の木製彫刻。
- さらに、その音はピアノとハープシコードの両方に似て(時にはリュート・ハープ・ギターのような音にも聴こえる)、独自の歌うような音を出す驚くべき楽器。特に、モーツァルト、スカルラッティ、ドビュッシーなどのフランス印象派の音楽に最も向いている。

そういえば、カッチェン(と奥さん)は、日本の骨董品”根付”蒐集が趣味で、それもかなりのマニアだった。
蒐集した根付は数千個にのぼり、彼らの根付コレクションのうち195点が、2005年と2006年のサザビーズのオークションで、総額120万ポンド(220万ドル)で落札されている。
この”Siena Pinao”をカッチェンが所有していたのかどうかは、フランス語で説明しているので、私に理解不能。
根付を蒐集するほどの骨董品コレクターだったから、自宅で”Siena Pinao”を弾いていたのかもしれない。

tag : ブラームス カッチェン

※右カラム中段の「タグリスト」でタグ検索できます。
最近のヒット調理家電 「ノンフライヤー」
フィリップス社の新製品「ノンフライヤー」が大人気なのだそう。
そんな新製品が発売されているとは、ネットニュースでたまたま読むまで全然知らなかった。
日本だけでなく、世界的に大ヒットしている調理家電で、日本市場には日本人向けに仕様を変更した製品を投入しているらしい。
大ヒット調理家電、ノンフライヤーの魅力 フィリップス、販売目標を当初の4倍に(東洋経済オンライン,2013年7月4日)

揚げ物は、油が引火して火事になるのが怖いので、電気フライヤーをほんのたまに使っている。
でも、揚げた後の油の処理が面倒だし、少量しか揚げないので、油の濾過カートリッジのコストを考えると、買った方がはやい。
結局、揚げたフライや天ぷらを買ってきて、ガスグリルで温めて油を少し飛ばしてから食べるか、揚げる前のフライ・コロッケ・春巻きなどを、ガスグリルでそのまま焼くか(油を少量塗ることもある)、のどちらかに落ち着いた。 サーターアンダギーだけは買わずに、電気フライヤーでまとめてあげて、冷凍する。(なぜか凍ったドーナツを食べるのが好きなので)

このフィリップスの「ノンフラヤー」なら、揚げ物がとても簡単に作れるし、何より油を使わないのが魅力的。
さすがにフィリップスの製品はデザインがスマート。
庫内が狭いので、予熱時間は180℃で4分と短く、焼成時間も料理によって異なるけれど、10分前後。
油に引火する心配もせずに、いつの間にか揚げ物が出来上がっている。
揚げ物だけでなく、カップケーキなどの焼き菓子もできる。
機能的には、卓上型のコンパクトなコンベクションオーブン。
電子レンジと合体していない単機能型コンベクションオーブンで人気があるのは、デロンギとTWINBIRD。
高機能のオーブントースター(Panasonicなど)、ガスグリル(ガスコンロのグリル部分)でも、”揚げない”フライが作れないことはない。

ちょうど単機能型コンベクションオーブンを買おうかと思っていたなので、「ノンフライヤー」も選択肢の一つにはなるけれど、ケーキやパンを焼くのに向いているかどうかが気になる。
「ノンフラヤー」の大きさは、5合炊炊飯器を縦置きにしたくらいで重さが7kg。結構大きくて重い。
個人的にはもっとコンパクトだったらよかったけど、家族が多いとこれでは小さすぎて、1回で作れる分量がちょっと少ない。
それに、高さ(庫内有効サイズ)がかなり低いので、高さのあるケーキとかパンは焼けないし、ベーグルやマフィンも1回に焼ける個数は1個か、せいぜい2個くらい。
オーブンレンジのような複雑な構造でもないし、使い方自体はシンプルなわりに、新製品のせいか実売価格が(今のところ)27,000円台と結構高い。
そのうち「ノンフライヤー」も量産されて価格が安くなるだろうし、製品もこなれてきて改良を重ねれば(それほど改良しなければならない点が多いとは思えないけれど)、もっと良い製品が買えるに違いない。(最近の超ヒット家電なら、ライスブレッドクッカ-(お米で作れるホームベーカリー)「GOPAN」が良い実例。)

価格・サイズ・設置スペース・デザイン・用途・使い勝手・メンテナンス性を考え合わせて、どれを選択するかというところ。
そのうち価格も安くなって、コンパクトな改良モデルが出てきた時に、単機能コンベクションオーブンをまだ持っていなかったら、「ノンフライヤー」を買うかも...。


<「ノンフライヤー」の製品レビュー>
油を使わずに“揚げ物”ができる「ノンフライヤー」の実力は?(2013年02月15日,日経トレンディ)
油を一切使わず熱風で揚げ物を作る「ノンフライヤー」でいろいろ作ってみました[2013年03月27日,GIGAZINE]

フィリップス「ノンフライヤー HD9220」 前編 ~話題の油を使わないフライヤーを試してみた! 鶏の唐揚げがおいしすぎる
フィリップス「ノンフライヤー HD9220」 後編 ~油の摂取量が気になる人には絶対おすすめ!

油を使わず揚げ物ができる!話題のフィリップス『Nonfryer』のお手並み拝見(2013.06.05,@DIME)
油を使わず揚げ物ができるフィリップス『ノンフライヤー』の実力検証(2013.03.15,@DIME)


<類似製品(例)>
フィリップスの「ノンフライヤー」が大ヒットしたおかげで、他社の類似製品も注目されるようになったらしい。
フィリップスはブランド力とデザイン力が高いので、一番人気があるとしても、日本の実売価格が3万円弱というのは、ちょっと高いような気がしないでもない。他社の類似製品だと、1万円台の製品も出ている。

フィリップス「ノンフライヤー」の登場で、熱風オーブンが人気上昇[2013年6月29日,日経トレンディ]

わがんせ「ノーオイルフライヤー RJ874WH」
シービージャパン「ノンオイルフライヤー TOM-01」
タイムアンドスペース「カーボンコンベクションオーブン corobo CKY-19Q」[家電Watch,家電製品ミニレビュー]


コロリオフ&デュオ・コロリオフ ~ バッハ作品集・編曲集
Youtubeで聴いたバッハの編曲ものの演奏がとても良かったので購入したのが、デュオ・コロリオフによるバッハ作品集・編曲集アルバム”Bach: Original works and transcriptions”。
TACETレーベルの”The Koroliov Series”の第12巻。2010年11月のスタジオ録音。
コロリオフのソロ演奏と、奥さんのリュプカ・ハジ=ゲオルギエヴァ(Ljupka Hadzi-georgieva)とのデュオ演奏が収録されている。

Piano Duo Koroliov[Evgeni Koroliov Homepage]
コロリオフとマケドニア(旧ユーゴスラヴィア)出身のリュプカさんが知り合ったのは、ともにチャイコフスキー音楽院に在学中だった。
優秀な成績で卒業後、チャイコフスキー音楽院で教えていたコロリオフは、ユーゴスラヴィアの音楽院で教えていたリュプカさんと結婚するため、教職を辞して1976年に旧ユーゴに移住したという。
1977年に、クララ・ハスキル国際ピアノ・コンクールで優勝、1978年に、当時旧西ドイツに属していたハンブルクの音楽院(ハンブルク音楽演劇大学:Hochschule für Musik und TheaterHamburg)の教授職に就任、2015年まで教えていた。現在は(おそらく定年退官したため)emeritierter Professor(名誉教授)。
ソ連とは異なる独自の社会主義政策をとるユーゴへ移住した当時、ロシア(旧ソ連)はまだ強固な社会主義体制下にあったから、ソ連から西側の国へ移住するのは難しかったかもしれない。


Vol. 12-Koroliovol. Series-Bach-Original Works & TVol. 12-Koroliovol. Series-Bach-Original Works & T
(2010/11/15)
Duo Koroliov

試聴ファイルなし


試聴ファイルがなかったので、どういう曲・演奏なのかわからない曲が多かったけれど、CDで全曲聴くと、やはりコロリオフのバッハはオリジナルだけでなく、編曲ものの演奏も素晴らしい。
それに、評判どおりTacet盤は音が美しく、本当にうっとりする。特に高音が繊細なAKGのヘッドフォンで聴くとその美しさがよくわかる。
収録曲は、バッハの編曲もののなかでも聴く機会がほとんどないものが多くて、いつもとは違った新鮮さや発見がある。[収録曲リスト(HMV)]


音楽の捧げ物 BWV.1079~第5番「6声のリチェルカーレ」
ピティナの作品解説によると、”リチェルカーレ RICERCAR”は、「フーガ」様式が出来る前の古い呼び名。
《音楽の捧げ物》というと、もともと管弦楽曲かと思い込んでいたけれど、楽器指定があるのは2曲のみ。
ブログ「色々な話」の”バッハ「六声のリチェルカーレ」”では、チェンバロを初め、ピアノ、オルガン、弦楽重奏、弦楽オケなど、楽器のことなる音源が紹介されている。
ピアノソロ版はニコラーエワくらいしかないらしい。コロリオフもピアノソロ。
ゆったりとした静かな巨大なフーガなので、緩徐楽章苦手な私には最後まで聴くのに苦労した。それに、そもそも暑苦しい夏の明るい室内でじっくり聴く曲ではない気がする...。
真夜中に照明を消した部屋で一人静かに聴いていると、身体と音楽がシンクロしたように、何の違和感もなく音楽にすっと入り込んでいける。
時間と環境によってこれだけ聴こえ方が変わるというのは、とても不思議な感覚がする。


ハンガリーの作曲家ジェルジ・クルターク編曲「4手のピアノのための編曲集」
これはかなり珍しいジョルジ・クルターク(György Kurtág)の4手編曲版。全部で6曲。
6曲のなかで、何度も聴いたことがある有名なコラールは、ブゾーニも編曲していたコラール「アダムの墜落によりてすべては朽ちぬ/Durch Adam's Fall Ist Ganz Verderbt」BWV.637。
「いと高きところにいます神にのみ栄光あれ/Allein Gott In Der Hoh' Sei Ehr」BWV.711も聴いたことがある。

普通の4手連弾演奏は、音がごちゃごちゃと聴こえるのであまり好きではないのに、この編曲と演奏ならそういうこともなく、音も演奏もすっきりと濁りなく澄んでいる。
透明感のある音が美しく、声部も高音から低音まで、くっきり明瞭に弾き分けられて、風通しのよい軽やかさがある。
声部ごとにかなり違った色彩・質感のある音色なので、1台のピアノで弾いているのに、色彩感がとてもカラフル。
なぜか、高音の響きがリコーダーか木琴のように、木質感のあるコツコツした音に聴こえる時があること。
クルタークの編曲とデュオ・コロリオフの演奏には、ブゾーニなどの編曲版に多い音の過密さがなく、すっきりと澄んだ響きが美しい。

落ち着いた雰囲気の格調高さに加えて、無垢な遊び心に満ちた自由さが溢れる曲(トリオソナタ第1番やBWV711)もあり、いつも聴くバッハ編曲とは少し違った味わいがとても魅力的。

BWV711 Allein Gott in der Hoh sei Ehr Evgeni Koroliov 2010


BWV525 Trio Sonata No.1 in Eb 1 Allegro moderato Evgeni Koroliov 2010


心穏やかな安息感に浸れるのは「ソナチネ」(カンタータ第106番「神の時こそいと良き時」)。
BWV106 Gottes Zeit ist die allerbeste Zeit 1 Sonatina Evgeni Koroliov 2010



パッサカリア ト短調BWV.582
この曲のピアノソロ編曲版はいくつかあるけれど、これはコロリオフ自身が編曲した珍しい2台のピアノ版。
ピアノソロ版ではかなりドラマティックな演奏が多いけれど、このデュオ・コロリオフの演奏はやや抑えたタッチから叙情と威厳がじわじわと滲みでてくるような感じがする。
<過去記事>バッハ/パッサカリアとフーガ ハ短調 BWV582


クラヴィーア練習曲第3巻
別名「オルガン・ミサ」と呼ばれる各コラールの鍵盤楽器用編曲集。
21曲のコラールと4つのデュエット、その両端はプレリュードとフーガ。
そのうち、11曲のコラールをコロリオフ自身がピアノ独奏用に編曲している。
ピアノ編曲版で一番有名なブゾーニ編曲集《10のコラール前奏曲 KiV B27》で編曲されていない曲ばかり。
編曲自体は、ブゾーニと違って、コロリオフは厚みのある和音を多用していないシンプルな編曲。
元々有名なコラールを編曲しているブゾーニ版と比べると、初めて聴く曲集ということもあってか、旋律は綺麗だけれど穏やかで地味な印象の曲が多い。(聴き慣れれば、また印象も変わるのだろうけど)


前奏曲とフーガ イ短調BWV.543(リスト編曲)
最後に収録されているのが、リスト編曲で有名な《前奏曲とフーガ イ短調BWV.543》。
この曲自体がもともと好きな上に、Youtubeで聴いたコロリオフの演奏がとても良かったので、そのためにこのアルバムを買ったようなもの。
今まで聴いた中では、パッショネイトで迫力あるユージナ(1954年のライブ録音、1952年のスタジオ録音)、それに次いで清楚なリーズ・ドゥ・ラ・サールの演奏が好きだった。
この端正な叙情感が美しいコロリオフは、それ以上に素晴らしく、このCDを買った甲斐があったというもの。
CDをステレオで聴くと音が数倍美しく、残響がやや多くとも一音一音芯のしっかりしたクリアな音で明瞭に響くので、混濁感はない。
しっとりとした潤いのあるソノリティとやや抑制されたタッチから湧き出てくる深い叙情感がとても美しく、特にフーガは何度聴いても惚れ惚れとする。


BWV543 Prelude & Fugue in a (F.Liszt) Evgeni Koroliov 2010


<過去記事>コロリオフ~バッハ=リスト編曲/前奏曲とフーガ BWV543

tag : バッハ クルターク コロリオフ

※右カラム中段の「タグリスト」でタグ検索できます。
【DVD情報】 コロリオフ ~ バッハ/ゴルトベルク変奏曲
コロリオフの『バッハ/ゴルトベルク変奏曲』(DVD)が、HMVで¥790とセール中。(セール期間は不明)
これは、2008年ライプツィヒ・バッハ音楽祭のリサイタルでのライブ映像。
CD(hänssler Classic)は持っているけれど、1999年のスタジオ録音なので、音源が違う。
送料を支払っても充分安いので、早速注文。
それに、コロリオフのバッハ編曲集のCDを聴いたところで(これも凄く良い演奏だった)、気持ちが”コロリオフモード”に入っていたせいもあるかも...。

『バッハ/ゴルトベルク変奏曲』(DVD)[HMV] 


このコロリオフのライブ演奏は、スタジオ録音よりも少しくすんだまろやかな音色と柔らかいタッチなので、しっとりとした潤いがあってしなやか。声部の分離が明瞭で、旋律の動きと絡みがくっきりと立体的に聴こえてくるのは同じ。
過剰な飾りや奇抜さはなく一見地味ではあるけれど、一音一音を丁寧に弾き込んでいく落ち着きのある演奏が自然に身体のなかに入ってくるので、私にはとても心地良い。
それに、学者さんのような風貌のコロリオフが演奏する姿や表情、タッチをじっくり見ることができるのが何より良いところ。

Aria and Variations 1 - 2 Evgeni Koroliov 2009




[2013.7.7 追記]
すぐに届いたDVDを早速見て(聴いて)みると、大画面の映像と音質の良さで、やっぱりDVDを買ってよかったと実感。
ブックレットを読むと、コロリオフは最も影響を受けたピアニストとして、グールド(1957年モスクワのリサイタルを聴いたという)、ユージナ、リヒテルの3人を上げ、彼らに共通するのは、バッハの対位法作品においてポリフォニックなテクスチュアを生み出す能力だと言っている。
聴衆が声部全てを聴き取ることができないなら、コロリオフの良心が酷く痛むと言う。

最後の第30変奏になると、演奏する姿がそれまでのコロリオフとは突如変わっている。
それまでは、身体をほとんど動かさず表情も比較的抑えて黙々...といった感じで演奏していたのに、クオドリベットに入ると、上体を大きく揺らし、今まで抑えていた感情が溢れ出てくるような表情になる。
解放感と喜びを、音楽だけでなく、音楽と一体化して、身体でも表現しているかのよう。
最後のアリアは、長い旅路を終えて、別れを惜しむように一音一音を丁寧に深く感情移入して弾いている。

演奏後、聴衆の拍手がなかなか鳴り止まず、コロリオフは何度もステージに戻ってきてはお辞儀をしていた。

tag : バッハ コロリオフ

※右カラム中段の「タグリスト」でタグ検索できます。
【新譜情報】 ジュリアス・カッチェン /初来日公演ライヴ(1954年)
たまたま見つけたカッチェンのライブ録音の新譜情報。
これから出てくるカッチェンの新譜は、古いライブ録音しかないだろうと思っていたら、今回は珍しくも、1954年、28歳のカッチェンが初来日して行ったリサイタルのライブ録音。

TBSの倉庫で眠っていた音源が最近発見されたのを機に、リマスタリングしてSACDハイブリッドで発売するシリーズ”TBS Vintage Classics”の一枚。
当時、パリ在住のアメリカ人ピアニストであったカッチェンは、ヨーロッパ人以外のアーティストとして最初に来日したという。
UNIVERSAL MUSIC JAPANのホームページに、このシリーズのリリース内容が載っている。11/21現在で、第3回までの発売内容が載っている。今後もどんな録音が出てくるのか興味深々。

TBS Vintage Classsic  8 ジュリアス・カッチェン ショパン:幻想即興曲他TBS Vintage Classsic 8 ジュリアス・カッチェン ショパン:幻想即興曲他
(2013/11/13)
カッチェン(ジュリアス)

試聴する


収録曲は、ショパン主体でほかには、リスト、ドビュッシー、バルトーク、ファリャ。
このうち何曲かは、モノラルのスタジオ録音でも聴いたことがある。

<収録曲>
ショパン:バラード第3番変イ長調 op.47
ショパン:ワルツ第1番変ホ長調 op.18『華麗なる大円舞曲』
ショパン:スケルツォ第3番嬰ハ短調 op.39
ショパン:子守歌 変ニ長調 op.5
ショパン:ポロネーズ第6番変イ長調 op.53『英雄』
リスト:『詩的で宗教的な調べ』より第7曲『葬送』
ショパン:練習曲 第7番嬰ハ短調 op.25-7
ショパン:練習曲 第11番イ短調 op.25-11『木枯らし』
ショパン:幻想即興曲 嬰ハ短調 op.66
ドビュッシー:前奏曲集第1巻より『沈める寺』
バルトーク:『ミクロコスモス』第151番『ブルガリアのリズムによる舞曲 第4番』
バルトーク:『ミクロコスモス』第153番『ブルガリアのリズムによる舞曲 第6番』
ファリャ:バレエ音楽『恋は魔術師』より『火祭りの踊り』



1954年のライブ録音なので、あまり良い音質は期待できないとしても、SACDハイブリッドなのでそう悪くはないかも。
ショパンは、スタジオ録音(モノラル録音)していた幻想即興曲、スケルツォ第3番、英雄ポロネーズが入っている。
リスト「葬送」と、(おそらくアンコール曲の)ファリャ「火祭りの踊り」も、両方ともスタジオ録音済み。
ドビュッシーの『沈める寺』だけが、スタジオ・ライブ録音とも、今のところ出ていないはずなので、初出。

ベートーヴェンやブラームスを弾いているなら、1954年という若い頃の録音でもすぐに予約するけれど、ショパン主体のリサイタルというのがちょっと悩ましい。
元々ショパンが好きではない上に、曲目が名曲集に載っているポピュラーなものが多いし、さらにカッチェンがスタジオ録音したショパンを聴いても、一風変わっているような気がしないでもないし、何とも言えないものがある。
国内盤は相変わらず高いし、音質も確認したいので、そのうち出てくる(はず)試聴ファイルを聴いてから決めようかと。
カッチェンのCDコレクターの私としては、試聴ファイルを聴いてしまうと、やっぱりCDを買いたくなりそうだけど。

ファリャの《火祭りの踊り》は、カッチェンがよくアンコールで弾いていた曲。
スタジオ録音・ライブ録音とも残っているけれど、一番知られているのはこのライブ映像の演奏。
これは、ローリング・ストーンズの伝説的作品《ロックン・ロール・サーカス(The Rolling Stones Rock and Roll Circus)》の一場面。
クラシックピアニストのカッチェンが、どうしてこのイベントに参加したのか経緯はわからない。
1968年12月の演奏なので、これがカッチェンの最後の公開録音となった。

Julius Katchen plays De Falla and Mozart



国内盤のショパン作品集(廃盤)
ショパン:ピアノ・ソナタ第2番&第3番ショパン:ピアノ・ソナタ第2番&第3番
(2004/10/27)
カッチェン(ジュリアス)

試聴する


カッチェンのモノラル録音を中心に収録したBOXセット。
ショパンもCD1枚分収録されている。(国内盤とは収録曲が異なる)
Decca Recordings 1949 - 1698Decca Recordings 1949 - 1698
(2006/01/02)
London Symphony Orchestra、Suisse Romande Orchestra 他

試聴する

tag : カッチェン ショパン ファリャ

※右カラム中段の「タグリスト」でタグ検索できます。
カレンダー
06 | 2013/07 | 08
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -
ブログ内検索
最近の記事
最近のコメント
カテゴリー
タグリスト
マウスホイールでスクロールします

月別アーカイブ

MONTHLY

記事 Title List

全ての記事を表示する

リンク (☆:相互リンク)
FC2カウンター
プロフィール

yoshimi

Author:yoshimi
<プロフィール>
クラシック音楽に本と絵・写真に囲まれて気ままに暮らす日々。

好きな作曲家:ベートーヴェン、ブラームス、バッハ、リスト。主に聴くのは、ピアノ独奏曲とピアノ協奏曲、ピアノの入った室内楽曲(ヴァイオリンソナタ、チェロソナタ、ピアノ三重奏曲など)。

好きなピアニスト:カッチェン、レーゼル、ハフ、コロリオフ、フィオレンティーノ、パーチェ、デュシャーブル、アラウ

好きなヴァイオリニスト:F.P.ツィンマーマン、スーク

好きなジャズピアニスト:バイラーク、若かりし頃の大西順子、メルドー(ソロのみ)、エヴァンス

好きな作家;太宰治、菊池寛、芥川龍之介、吉村昭、ハルバースタム、アーサー・ヘイリー
好きな画家;クリムト、オキーフ、池田遙邨、有元利夫
好きな写真家:アーウィット

お知らせ
ブログ記事はリンクフリーです。ただし、無断コピー・転載はお断りいたします。/ブログ記事を引用される場合は、出典(ブログ名・記事URL)を記載していただきますようお願い致します。(事前・事後にご連絡いただく必要はありません)/スパム投稿や記事内容と関連性の薄い長文のコメント、挙動不審と思われるアクセス行為については、管理人の判断で削除・拒否いたします。/スパム対策のため一部ドメインからのコメント投稿ができません。あしからずご了承ください。