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マリア・ユージナに関する文献
マリア・ユージナ(ユーディナとも表記される)に関する情報は、インターネット上の音楽サイト、CDのライナーノート、音楽関係の本に載っているが、情報量はあまり多くはない。

最も有名な逸話は、スターリンとモーツァルトのピアノ協奏曲第23番の録音に関するエピソード。
偽書とされているソロモン・ヴォルコフ『ショスタコーヴィチの証言』など、多くの文献で紹介されている。
この録音に対して高額の謝礼金を受け取ったユージナは、大胆というか恐れを知らないというか、スターリンに手紙を送り、「スターリンが国民にもたらした悪の赦しを神に祈ってもらうために謝礼の一部を修道院に送った」と伝えたという。
スターリンに粛清されなかったのは奇跡的に運が良かったと思うけれど、いくらお気に入りのピアニストとはいえ、かの独裁者はどうしてユージナの手紙を黙殺したのだろう?

ユージナを知っていたリヒテルが、モンサンジョンによる伝記『リヒテル』のなかで、ユージナについて語っている。
リヒテルは、「正直なところ、ユージナが本当に好きではなかった」とはっきり言っている。
ユージナは怒りっぽくて、クリテムネストラ(情夫エギストと共謀して、戦争から戻ってきたアガメムノーン王を殺したギリシア神話の王妃)のようなタイプで、いつも黒いドレスを着てコンサートでは運動靴を履き、リボルバーと一緒に歩き回っていたという。
リヒテルは、ユージナのことを、”エキセントリックで、人並み外れた(extraordinary)芸術家。疑いもなく誠実だったが、作曲家との関係に対しては不誠実だ”と思っていた。それでも、彼女の葬儀にはラフマニノフを弾いたのだった。

他に、カレートニコフ『モスクワの前衛音楽家』や武藤洋二『天職の運命―スターリンの夜を生きた芸術家たち』にも、ユージナへの言及がある。

ユージナは若い頃から教職についていたが、彼女の信仰と反政府的言動によって、国外での演奏活動を制限されている。さらに、音楽院の教授職を解職されたことや演奏・録音活動を禁止されたことも、度々あった。

最初に就任したPetrograd Conservatory(1921-1930)の教授職は、ユージナの宗教的信仰とソヴィエト指導部に対する公然とした批判によって、解職。
その後、Tbilisi State Conservatory (1932–1933)で大学院のピアノコースの教職に招かれた後、ゲンリヒ・ネイガウスの推薦により、1936年からMoscow Conservatoryの教授に就任。
1951年に同音楽院を退任した後は、1944年から室内楽と声楽を教えていたモスクワのGnessin Instituteで教育活動を続けていた。
しかし、宗教的態度と西側の現代音楽を擁護(advocation)したことを理由に、1960年に同音楽院から追放される。
それでも公開演奏会は続けていたが、その録音は禁止。レニングラードの演奏会のアンコールで、当時禁じられていたパステルナークの詩を朗読したことから、公開演奏会も5年間禁止。
1966年に禁止措置が解けた後、Moscow Conservatoryでロマン主義に関して講義していた。

ユージナの演奏活動は、1930年以降、ソヴィエト国内に限定されていた。
例外的にユージナが国外で行った演奏会は、1950年のBachfest Leipzig(ライプツィヒ・バッハ音楽祭)、1954年のポーランドの2回のみ。
最後の演奏会は、1969年のモスクワでのコンサート。

1978年、ロシアでユージナが出会った著名な作曲家の想い出などを綴った回想録がモスクワで出版されている、


ユーディナの録音で一番好きなのが、リスト編曲による《バッハ/前奏曲とフーガBWV 543》の1953年ライブ録音。
同曲のスタジオ録音よりも力強く、高い集中力と緊張感で一心不乱に捧げる祈りのように確信に満ちた演奏。

Maria Yudina plays Bach-Liszt Organ Prelude & Fugue, BWV 543
(Live recording, Moscow 1953)


<バイオグラフィ(日本語)>
マリヤ・ユーディナ [wikipedia]
ユーディナ,マリア [総合資料室/一世による歴史的ピアニスト紹介]
マリア・ユーディナ ソ連の女傑ピアニスト [花の絵]
ソ連時代にも信仰心を失わなかったピアニスト、マリヤ・ユージナ[ラジオ・ロシアの声]


<バイオグラフィ>
Maria Yudina[wikipedia]
Maria Yudina [bach-cantatas]
Maria Yudina [Woman at the Piano]


<ユーディナ自身の執筆>
"Several words about the late precious artist Vladimir Sofronitsky" by Maria Yudina
Dmitrii Dmitriyevich Shostakovich (On his 60th birthday),by Maria Yudina
'Nevel' diary, 1916
"I know the only way to God: through art."
"I do not insist that my way is universal; I know that other roads exist.But I feel that my way is the only one available to me; everything divine or spiritual has first revealed itself to me through art, through a branch of it -- music. It is my calling! My trust and my strength is in this. I have to follow the way of spiritual contemplation eternally and constantly, and prepare myself for enlightenment, which is to come one day. This is the sense of my life here; I am a link in the chain of art."


<書籍>
 ソロモン・ヴォルコフ『ショスタコーヴィチの証言』[中公文庫]

 ブリューノ・モンサンジョン『リヒテル』[筑摩書房]
"She was immensely talented and a keen advocate of the music of her own time: she played Stravinsky, whom she adored, Hindemith, Krenek and Bartok at a time when these composers were not only unknown in the Soviet Union but effectively banned. And when she played Romantic music, it was impressive – except that she didn't play what was written. Liszt's Weinen und Klagen was phenomenal, but Schubert's B flat major Sonata, while arresting as an interpretation, was the exact opposite of what it should have been, and I remember a performance of the Second Chopin Nocturne that was so heroic that it no longer sounded like a piano but a trumpet. It was no longer Schubert or Chopin, but Yudina."
[Maria Yudina[wikipedia(英文)]]

 武藤洋二『天職の運命 スターリンの夜を生きた芸術家たち』[みすず書房]
「ショスタコーヴィチと一緒にペテルブルク音楽院でピアノを学んだマリーヤ・ユージナは、史上最大の戦争である独ソ戦中モスクワにとどまりラジオでピアノを演奏し続けた。ジヴという隣人の話では、ユージナはモスクワ市民にふりかかった災難、苦しみを自分の演奏によって軽くしたいので、モスクワに留まることは愛国者の義務だと言った。ナチスはモスクワを壊滅させ更地にしてしまうために猛攻撃をつづけ、一昼夜に数十回の空襲があるという危険な状況になったので、ジヴはモスクワを離れたほうがいいと誘ってみたが、ユージナは、最後の瞬間までモスクワに留まり最後の飛行機で去るつもりだと答えた。彼女は、ほとんど毎日のように演奏活動をした。
 首都は一時的にモスクワからクイブィシェフに移された。最高総司令官の立場からスターリンはモスクワに留まっている。スターリンはラジオでユージナの演奏を聴いた。モーツァルトが大作『フィガロの結婚』を作曲中に完成させたピアノ協奏曲第23番、この傑作をスターリンは聴いた。曲も演奏も気に入って再び聴きたくなった。そのレコードは作られていないことが分かり、独ソ戦中の非常時にもかかわらず、独裁者の要望をかなえるために、関係者はすぐさまレコードの製作にとりかかる。
 ユージナはその日のうちに演奏せよという依頼を受けた。レコードは徹夜で作られ、次の日スターリンは、この世に一部しかないレコードを受けとった。ユージナには異例の高額な演奏料が支払われる。彼女は注文主スターリンに手紙を書く。ユージナの甥ヤーコフ・ナザーロフは、手紙の内容についてマリーヤおばさんから直接きいている。彼の証言では、ユージナは、心くばりと音楽への関心に感謝したうえで、スターリンが国民にもたらした悪の赦しを神に祈ってもらうために謝礼の一部を修道院に送った、と書いたのである。
 自己破滅的なこの手紙の主マリーヤ・ユージナは、心からのキリスト者であった。彼女は「神と芸術」で生き、日によっては「芸術と神」になった。スターリンの手紙の日は、おそらく「神と芸術」の番であった。
 彼女は一流の演奏家にもかかわらず、いつもお金がなかった。それは神様のせいである。神を心の中に宿しているユージナは、苦しんでいる人を見ると見殺しにすることはできず、借金して手を差しのべた。弟子や友人、知人たちに負債がたまっていくが、この借金は止めない。キリスト教徒として天国の存在を信じていたユージナは、他人のお金で人助けをしたと、天国の入り口で叱られるのではないかと、心配していた。予期したとおり死後に借金が残った。
 ユージナが民衆の加害者スターリンを罪人とみなしたのは当然である。それを本人に告げたのも彼女には当然であった。彼女は自分を裏切らない勇気の持ち主であった。
 事情を知る関係者たちが驚いたのは、ユージナが殺されなかったことである。レコードはスターリンの死後に彼の執務室から見つかった。山のような贈り物にうんざりしているスターリンにとって、モーツァルト作曲ピアノ協奏曲第23番、マリーヤ・ユージナ演奏-この1枚のレコードはどうでもいい品物ではなかったのである。」

「モスクワのグネシン音楽学校および大学で合同のスターリン追悼式が行われた。全員が起立し頭をたれている。「プロコフィーエフが死んだ」というささやきが列の間を走った。一人の女性が緊張の氷列から突然抜け出て舞台に上がり、バッハを弾き始めた。
 スターリンの罪について手紙で本人に知らせたあのピアニスト、マリーヤ・ユージナである。彼女は罪人スターリンの霊に背を向け、敬愛する作曲家にバッハを捧げたのである。後年ライプツィヒを訪れたさい、バッハがオルガン奏者として働いていた聖トーマス教会の入り口で、彼女は、バッハへの深い敬意から靴を抜ぎ裸足で中に入った。そのバッハを演奏している。国のすみずみにまで組織されている国父への追悼行事よりも、彼女には自分の心に従って行動することの方が大切であった。」

 書評:カレートニコフ著『モスクワの前衛音楽家』(宮澤淳一)[walkingtune.com]
「彼女が《現代音楽》によせる愛は、じつのところ、理論的なものというよりはむしろ情緒的なものだった。彼女はしばしば、作曲家の論理的意図、あるいは、構成的意図を理解しないまま、いきなり、直観的に多くの作品にアプローチしたものだ。[……]しかし、マリア・ヴェニアミーノヴナ[・ユージナ]の端倪すべからざる直感、深く巨大な情念エモーシヨン、音楽家および人間としての繊細な知性は、こうしたすべての《欠点》をおぎなってあまりあるものだった」

関連記事:【新譜情報】 マリア・ユージナ名演集 (The Russian Archives)

tag : ユージナ

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ヴェデルニコフ ~ ベートーヴェン/ピアノ・ソナタ第30番・第31番・第32番
ヴェデルニコフは、ベートーヴェンのピアノ・ソナタのうち、1976年に第30番、1969年に第31番、1974年に第32番を録音している。
つくづく残念なのはピアノの状態がかなり悪いこと。(録音環境も悪かったのだろうけど)
第30番と、特に第31番の音が悪く、私の耳には、年代物のフォルテピアノのような滲んだ響きで、音に伸びがなく、高音はスカスカしているし、フォルテでは音がひび割れて和声の響きも濁ったりしているように聴こえる。まるで学校の講堂にある古びたピアノみたい。第32番はそれに比べれば、音はまだしもマシ。
たとえピアノの音が悪くとも、演奏そのものが素晴らしく思えるので、後期ソナタの録音では、特に好きなアラウ(Philipsの旧盤)やレーゼルと同じくらいに、魅かれるものがある。


ロシア・ピアニズム名盤選-4 ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第30/31/32番ロシア・ピアニズム名盤選-4 ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第30/31/32番
(2003/05/21)
ベデルニコフ(アナトリー)

試聴ファイル


最後のソナタ3曲のなかでは、第30番は作風どおり、一番明るくポジティブな演奏。
テンポも全体的に速めで、変奏によって非常にテンポを落としたり、沈み込むような弱音で内省的な雰囲気に落ち込むことなく、力強いタッチできりっと引き締まり、さっぱりした感情表現が爽やか。
一番好きなレーゼルのライブ録音と同じくらいに良く思える。

最後の3つのソナタの中で最も叙情的な第31番でも、情感におぼれることなく、明晰で強い精神力を感じさせる。
幸せな思い出を回想するかのようなロマンティックな第1楽章でも、繊細さに耽ることなく、硬質のタッチと甘くなりすぎないやや淡々とした表現で、さっぱりとした叙情感が清々しい。
第2楽章も、漠然とした不安感は薄く、来るべき嵐に立ち向かうかの如く、強い意思を感じさえる力強いタッチ。
第3楽章のadagioもあまり遅いテンポを取らず、アリオーソも抑えた表現で、強い悲壮感に耽ることなく。
フーガも速めのテンポで、揺るぎない左手の低音部が力強く響き、バッハ録音のときと同じく、声部がくっきりと浮き上がり、堅牢な構築感。
二度目のアリオーソは、最初のときよりもゆったりとしたテンポと、弱々しく途切れそうな弱音でとても悲しげなのに、どこか突き抜けたような明るさを感じてしまう。
二度目のフーガも冒頭から明るい色調。速めのテンポで、弱音であっても力強い。
テンポも速くから加速していき、急き込むように飛び跳ねるリズミカルな動きは、アリオーソの悲嘆を完全に払拭して息を吹き返したような生気がある。
最後のコーダも、ヴェデルニコフらしい、力強く鋭い打鍵で一音一音が明確に響き、ポジティブな意志と強い精神力を感じさせるエンディング。
情感過多になることなく、ほどよく抑制された叙情感と、一貫して流れる明晰さと精神力の強さが融合して、きりっと引きしまった美しさ。
これでピアノの音が普通に良かったなら...と思うところはあるけれど、それを忘れさせるくらいに演奏自体が素晴らしい。深い情感のあるアラウの演奏と同じくらいに好きになりそう。

Anatoly Vedernikov plays Beethoven Sonata No. 31 Op. 110 (1/2)



第32番の第1楽章は、鋭く力強い打鍵とたたみかけるような急迫感で切れ味が凄く良い。
厳しさとか、緩徐部分での内省的な雰囲気などは稀薄で、舞い上がるように颯爽として、力強くポジティブな意志を感じる。
対照的に、第2楽章は《月光ソナタ》を聴いたときのように、不思議な印象。
ゆったりとしたテンポの主題旋律には、安息感というよりも物憂げで、どこかしら諦観のようなものを感じる。第1変奏から第2変奏へと進むにつれ、その感じが強くなっていく。
変奏が進むにつれ、リズムが躍動的になっていく曲のはずなのに、テンポを速めずにリズムも平板。物思いに耽っているようにまったりとして、ゆったりまどろみながら、疲れた心を癒しているようでもあり。
さすがに第3変奏に入ると、テンポが速くなり、タッチも力強くなるけれど、躍動感や高揚感が湧き上がってくる..という風ではあまりなく。
終盤の第4変奏から第5変奏への移行部も変わった解釈で、遅いテンポで靄のかかったような響きが重たく沈み込んでいき、いくぶん鬱々とした内省的な雰囲気。
そして第5変奏に入ると、垂れ込めた靄が徐々に晴れていきはするけれど、どこかしら哀しげにも聴こえてくる。
緩やかな波がゆったりとうねるような起伏と、着実に一歩一歩踏みしめているようなタッチで、徐々に盛り上がりつつも、大きく高揚するというわけではない。
最後の第6変奏も、調和の中の安息感というよりは、どこか醒めて達観したものを感じないでもない。
この演奏自体には、魅かれるものがたくさんあって、好きとは言えるのだけれど、思索的な雰囲気が随所に漂い、さらに諦観めいたものを案じる。(気のせいかも?)
そういうしっくりこない何かがあるので、それがなぜなのか突き止めたくて、繰り返し聴いてしまう。

Anatoly Vedernikov plays Beethoven's Piano Sonata No. 32 op. 111 ( complete )



<風の音楽室>の”ヴェデルニコフのベートーベン”というページに、原盤である「ヴェデルニコフの芸術」シリーズのブックレットに載っている浅田彰の解説が引用されている。(「ロシア・ピアニズム名盤選」のブックレットには掲載されていない)


tag : ベートーヴェン ヴェデルニコフ

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日本食品標準成分表とカロリー算出方法
夏井睦医師のホームページ<新しい創傷治療>で、「日本は世界基準とは違う独自の食品成分表を使っている」という投稿が載っていた。

文部科学省の「食品成分データベース」は時々を使っているし、カロリー・糖質は日ごろから大まかに計算して食べているけれど、そういえば、糖質量やカロリー値がどうやって算出されているのか考えたことがない。
興味を引かれる話だったので、日本で使われている『食品標準成分表』についてざっと調べた限りでは、炭水化物量と、たんぱく質・脂肪・炭水化物のエネルギー(カロリー)値の両方において、日本の算定方法は、(国際的標準らしき)FAO方式とは異なっている。
ということは、日本の『食品標準成分表』に載っている値が唯一妥当なものというわけではない。

国際基準となるFAO方式への移行は以前から文部科学省の検討会でも課題としてあげられてきている。
算定方法が変われば、数値も変わる。市販の食品や料理レシピの成分表示も全て変わる。カロリー制限食で食べられる食材の量も変わる。増える分には良いけれど、減ってしまうとつらいに違いない。
食品・健康・医療分野への影響がかなり大きいので、そう簡単に今の算定方法を変えるわけにはいかないらしい。
そういえば、栄養学は「昨日の常識は明日の非常識」という学問だという言葉を思い出した。



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『日本食品標準成分表』(日本食品標準成分表2010)の改訂概要
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日本食品標準成分表等の改訂について[文部科学省]
<FAO報告書への対応>
FAO(国際連合食糧農業機関)報告書の推奨する好ましい方法に則り、アミノ酸組成がわかっている食品について、アミノ酸組成から求めるたんぱく質量を収載(これまでは、窒素量に一定の係数を乗じて算出)。
同様に脂質も、同方法により、脂肪酸組成がわかっている食品について、脂肪酸組成から求めるトリアシルグリセロール当量を収載(これまでは、トリアシルグリセロール以外の脂質も含めた成分値)。
これにより、実際に摂取されているたんぱく質やトリアシルグリセロールの量をより正確に把握できるようになる。
炭水化物についてもでん粉や単糖等を直接分析して示すべきことがFAO報告書では好ましい方法として推奨されているが、今回改訂ではこれを見送ったため、混乱を生じないよう、上記(1)、(2)の新たなたんぱく質量やトリアシルグリセロール当量は、付加情報として収載(なお、現行の炭水化物量とFAOの方法によった場合の炭水化物量について試験的に比較検証したところ、両値の間に極めて強い相関を確認)。

<関連情報>
資料1 日本食品標準成分表等の改訂について
最終頁に「(参考2)諸外国の主要成分の収載・表示方法の概要」として、日本、英国、米国、ドイツ、フランス、カナダの比較表が乗っている。

資料1 別表1 炭水化物量の現行収載値の妥当性について
40の食品について、現行収載値(差引き法)とFAOの方式によった場合の成分値(でん粉、単糖等の直接分析)を比較検証したところ、いくつかの食品について乖離はみられたものの、おおむね合致する結果が得られ、両値について極めて強い相関が認められた。

「食品成分に関するデータ整備のあり方等に関する検討会報告書 日本食品標準成分表改訂の進め方について」(平成18年3月14日、食品成分に関するデータ整備のあり方等に関する検討会)
「エネルギー値の算出方法の見直し」に関する記載:
「FAOは食品のエネルギー値について、現行の「熱産生と体重増加に利用される食品のエネルギー」を示すという考え方を廃して、「ATPを必要とする身体機能に利用可能な食品エネルギー」という考え方に立った「代謝性エネルギー」として表示する方法を提唱しており、その採用の是非について慎重に検討する必要がある。なお、成分量及びエネルギー値の算出方法を見直した場合、食品のエネルギー値は大幅に変化するものと予測される。このような変化は、栄養管理・指導や食料需給表のデータ等様々な分野に大きな影響を及ぼしかねないことから、成分量及びエネルギー値の算出方法の見直しについては、慎重に検討する必要がある。」


資料をもとに、日本の算定方法のポイントをまとめると..
○たんぱく質・脂質の含有量については、「FAOの推奨する好ましい方法」で算出。
○炭水化物は、FAO報告書の推奨方法(単糖、二糖、でん粉等をそれぞれ定量の上、単糖当量として表示)を使っていないが、FAOが許容し得る方法としている「差引き法」で算出。
○現行方法(差引き法)とFAO推奨方法で算定された結果(40種類の食品)には、一部乖離はあるが、概ね強い相関がある。
○日本では「差引き法」で算定。英米独仏加の5カ国では、FAO推奨方式のみ、または、「差引き法」による算出値も併記。
○FAO推奨方式へ全面的に移行した場合、食品のエネルギー値が大幅に変化する。その影響は広範で甚大。(→なので、そう簡単には現行方式を止められない)


<参考情報>
食品成分データベース(検索画面)[文部科学省]
外国の食品成分データベースリスト[国立国会図書館]


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カロリーの算出方法
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エネルギー換算係数
『五訂増補日本食品標準成分表』 では、3種類のエネルギー換算係数が使われている。
食品のエネルギー値は、可食部100gグラム当たりのたんぱく質、脂質及び炭水化物の量(グラム)に各成分ごとのエネルギー換算係数を乗じて算出。

1 穀類、動物性食品、油脂類、大豆及び大豆製品のうち主要な食品:「日本人における利用エネルギー測定調査」(科学技術庁資源調査所資料)1~4)の結果に基づく係数

2 上記以外の食品:原則としてFAO/WHO合同特別専門委員会報告5)のエネルギー換算係数

3 適用すべきエネルギー換算係数が明らかでない食品、複数の原材料からなる加工食品:Atwaterの係数


※今までカロリーを概算するときは、たんぱく質と炭水化物は4kcal/g、脂質は9kcal/g という一般的によく使われている(らしき)係数で計算していた。この数値は「Atwaterの係数」と一緒。



カロリーって何?[ロバスト・ヘルス]
カロリーの算出する方法の解説がわかりやすい。
『五訂増補日本食品標準成分表』に使われているエネルギー換算係数の比較表を見ると、3種類の換算係数は、食品によってほぼ同等のものと、かなり乖離しているもの(特に小麦)がある。

日本独自の換算係数が使われているのは、「穀類、動物性食品、油脂類、大豆及び大豆製品のうち主要な食品」のみ。
この係数算定の根拠となっているのが「日本人における利用エネルギー測定調査」。
この調査は被験者が「18~25才の健康な日本人学生男女23名」。かなり古いものらしく、サンプル数も少なく若者に偏っているし、このデータを長年使っているのはどうかという気がする。

それ以前に、「栄養素それぞれの体内動態は全く異なり、体が使用可能な形に変換する(代謝)ために消費するエネルギーとの差し引きエネルギー量は異なるので、摂取したタンパク質の1kcalと脂質の1kcalと炭水化物の1kcalを等価に扱うことはできない」という。
それに、タンパク質、脂質は体の材料として使われるので、同じカロリーだからと言って単純に炭水化物に置き換えることはできない。

ルプー ~ ブラームス/ピアノ小品集
クラシックを聴き始めた学生時代にCDコレクターをしていたピアニストの一人が、ラドゥ・ルプー。
その頃は、Deccaから出ていたブラームス、ベートーヴェン、シューベルトのCDはほぼ揃えて、特にブラームスを良く聴いていた。
カッチェンのブラームスを知ってしまってからは、ルプーはほとんど聴かなくなったけれど、久しぶりに聴くと今でもやっぱり好きなブラームス。
特に好きだったし、今でも好きなのが、《2つのラプソディ》第1番、Op.118の第2曲「インテルメッツォ」、弦楽六重奏曲第1番第2楽章のピアノ編曲版「主題と変奏」。(どの曲もあまりに気に入ってしまったので、自分で弾きたくてよく練習した)

《2つのラプソディ》第1番は、異聴盤をたくさん聴いてきたおかげで、感じることも多い。
疾風怒濤のような激しい曲とはいえ、やたらに強打して力感を強調することなく、まろやかでややねったりとした響きがほの暗く重みがあり、抑制された情熱が滲みだしてくるよう。
”千人にひとりのリリシスト”と呼ばれたルプーのリリシズムには、繊細ではあるけれど線の細い華奢なところは全くなく、ほの暗く濃密な情感が織り込まれて、厚みのあるタペストリーのような質感がある。
今聴きなおしてみても、やっぱり第1番はルプーの演奏が誰よりも好みにぴったり。(第2番はカッチェンの方が好きだけれど)


Brahms 2 Rapsodies Op.79



「インテルメッツォ」は、細かなルバートと起伏が多いカッチェンよりは、表情がやや穏やかでややさっぱり。
Op.118の他の5曲とOp.117、Op.119も聴きなおしてみても、今も昔もルプーのブラームスは素敵。
昔は好きだったのに、今はほとんど聴かなくなってしまったピアニスト(ツィメルマンやポリーニとか)は結構多いけれど、ルプーのブラームスはまた繰り返し聴きたくなったのが嬉しい。

Brahms Intermezzo A Major Op 118 No 2 Lupu Rec 1976.wmv


Brahms Intermezzo Op. 117 No. 1 - Radu Lupu




(たぶん20年以上前から)ルプーは録音しない主義になったので、それ以降は、演奏会の実演でしかルプーを聴くことができない。今手に入るCDは、若い頃の録音のみ。今ならどういうブラームスを弾いているのだろうか?


ルプーの録音のなかで、一番よく聴いていたブラームスの小品集。(廉価盤も出ている。)
ダークな色合いとレトロな雰囲気のジャケットが、ブラームスアルバムによく似合っている。
録音の少ない《主題と変奏》は、別盤でピアノ・ソナタ第3番とカップリング。

ブラームス:ピアノ小品集ブラームス:ピアノ小品集
(2010/05/26)
ルプー(ラドゥ)

試聴ファイル



ルプーのブラームス録音集。分売盤3枚をまとめたお得なセット。
Plays BrahmsPlays Brahms
(2005/11/25)
Radu Lupu、Edo de Waart、London Philharmonic Orchestra

試聴ファイル


tag : ブラームス ルプー

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ヴェデルニコフ ~ ベートーヴェン/作品集(ピアノ・ソナタ「月光」「テンペスト」、自作の主題による32の変奏曲)
リヒテルの師ゲンリヒ・ネイガウスが、リヒテル、ギレリス、ザークと共に最も才能ある弟子として評価していたのが、アナトリー・ヴェデルニコフ。
数年前、たまたまCDレビューを見て興味を持ったので、バッハとベートーヴェンのDENON盤CDを聴いてみると、その独特なピアニズムにすっかり惹きこまれてしまった。
個人的な好みから言えば、特に好きというわけではないリヒテルよりも、素晴らしく思えるくらい。

ヴェデルニコフの生涯については、DENON盤のCDの解説以外にも、ネット上にいろいろ情報が載っている。
生まれ育ったハルビンから、社会主義体制下のソ連に移住したが、両親がスターリンの粛清に巻き込まれるなど苦境にさらされながらも、師ネイガウスの尽力で、モスクワ音楽院を無事修了。
ソ連当局により、国外での演奏活動は禁止されていたが、国内では演奏会や録音を行い、音楽院で教官を務めるなど、音楽家としてソ連時代を生き延びた。

ヴェデルニコフ,アナトリー[総合資料室/一世(Issei)による歴史的ピアニスト紹介]


珍しいヴェデルニコフの伝記的ドキュメンタリー。
ヴェデルニコフ夫人の話など、既存のプロフィール情報には載っていない話がいろいろ盛り込まれているし、ロシア文学者の亀山郁夫と作家の島田雅彦の2人が、ヴェデルニコフについて語り合っているのも面白い。
島田雅彦がヴェデルニコフのファンだとは知らなかった。
彼の小説や評論・随筆はかなり独特のものがあるので、好きとは言い難いけれど、この映像では至極まとも。
彼は、オペラを歌いヴァイオリンも弾くそうなので、クラシック音楽論なら読んでみたくなってきた。

ヴェデルニコフのピアニズムを語るところで、いろいろなキーワード-明晰、分析的、普遍的、マテリアニスティック、無機的、機能的、直感的など-がでてくる。
ヴェデルニコフの録音を聴いていれば、なるほどと思える。ただし、この二人の間には、ヴェデルニコフのピアニズムに対する捉え方の違いがあるし、執筆/翻訳という行為とヴェデルニコフのピアノ演奏とのアナロジーには、作家/翻訳者としての感性や視点の違いを感じる。
印象に残ったコメントは、「ナショナリズムを解体して、ロシアだけでなくヨーロッパやアジアに広がる非ソヴィエト的な普遍性を目指していた」(島田)、「(シェーンベルクやヒンデミットなどの現代音楽的)マテリアリスティックなもの、無機的なもの、機能的なものに、いわれもなくそそられてしまうしまうような感性と想像力を持っていた」(亀山)。
「ヴェデルニコフの語り口が彼の音楽を体言しているというか、音楽と接点がある」(亀山)。「彼の語り口は、ぶっきらぼうで、非常に早口でたたみ掛けるように、時に分析的で時に批判的」(島田)。


あるロシア人ピアニストを巡る対話ーAnatoly Vedernikov


島田雅彦がホームページで書いていたヴェデルニコフ夫人訪問記。
アナトリー・ヴェデルニコフを訪ねる(世界わが心の旅 モスクワ・ぼくの青二才の街 旅人・島田雅彦)


ヴェデルニコフは、ソ連当局が批判する20世紀の作曲家(ストラヴィンスキー、ヒンデミット、シューベルクなど)もレパートリーにしていることから、冷遇されていたので、録音を聞いても、ピアノの状態や録音音質がかなり悪いものが結構ある。
それでも、レパートリーの幅広さがわかるくらいに、多数の録音を残してくれたのは幸い。
国外の演奏活動が禁止されていたヴェデルニコフは「自分にはレコードがあるから」と言っていたそうなので、録音には熱心だったのだろう。
ヴェデルニコフが残した放送用/LP用の録音は、DENON盤の『ヴェデルニコフの芸術』と、その一部を廉価盤にした『ロシア・ピアニズム名盤選』でシリーズ化されている。

レパートリーは幅広く、ディスコグラフィなどを見てみると、バロックのバッハ、古典派のベートーヴェンとモーツァルト、ロマン派のシューベルト・シューマン・ブラームス・リスト、近現代は、ロシアのストラヴィンスキー・プロコフィエフ・スクリャービン、フランスのドビュッシー・ラヴェル、ドイツのシェーンベルク・ヒンデミットなど。
ヴェデルニコフの録音を全て聴いたわけではないけれど、好きなのは、バッハの《イギリス組曲》《パルティータ全集》、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ集と変奏曲。異聴盤のなかでも、ベスト盤かそれと同じくらい好きなものが多い。
ピアニズムとしても、ネイガウスと同門だったリヒテルやギレリスよりも、ヴェデルニコフの方にずっと強く惹かれるものがある。

試聴ファイルを聴いただけで、直感的に素晴らしいと思えたのが、ベートーヴェン。
ベートーヴェン録音は何種類か出ているけれど、この「月光」と「テンペスト」を収録したアルバムは音質がわりと良い。
ヴェデルニコフは、ベートーヴェンのピアノ・ソナタのうち15曲がレパートリー。
そのうち、録音されたのは8曲(1番、3番、「月光」、「テンペスト」、29番~32番)。
未録音ソナタのなかでも、「悲愴」、「狩」、「ワルトシュタイン」、「熱情」、「告別」が聴けないのが残念。
ヴェデルニコフのリサイタルでは、「月光」、「テンペスト」を対にして、さらに18番(「狩」)と「熱情」を加えたプログラムでよく演奏していたという。

ロシア・ピアニズム名盤選-3 ベートーヴェン:月光/テンペスト、他ロシア・ピアニズム名盤選-3 ベートーヴェン:月光/テンペスト、他
(2003/05/21)
ヴェデルニコフ(アナトリー)

試聴ファイル


速いテンポでも精密で力感のあるタッチが刃物のように鋭い。
夾雑物のないようなソノリティが美しく、もたれた表現や甘さは全くない澄んだ叙情が清冽。
隅々まで曖昧さのない明晰さと堅牢な造形力は、力強くも厳しさが漂っている。
特に凄かったのが、《自作の主題による32の変奏曲》。試聴ファイルを聴いた時よりも、それに《月光ソナタ》の第3楽章よりも、はるかに凄かった。

《自作の主題による32の変奏曲ハ短調WoO.80》(1973年ステレオ録音)は、ハ短調で嵐が激しく渦巻くようなベートーヴェンらしい曲。
鋭く突き刺さるような精密な打鍵は、力強くも荒々しい激しさと厳しさで、揺るぎない構築感と曖昧さのない明晰さで岩の如く堅牢。
研ぎ澄まされた響きを緩むことない集中力で揺るぎない構築感があり、息詰まるような迫力。
特に、強演部での鋭く突き刺さるようなタッチは、まるで激しい憤怒を鍵盤に叩きつけるようで、怖いくらいの凄みがある。
緩徐部や弱音部になると、しっとりとして憂いを帯びた叙情感のある音色がひそやかで、とても美しい。
この静動・緩急・強弱のコントラストがこの上なく鮮やか。
でも、強烈に印象に残るのは急速系の変奏で、これ以上に激しく峻厳な演奏はありえないと思えるくらい。

Anatoly Vedernikov plays Beethoven 32 Variations in C minor, WoO 80



試聴した時には一番凄いそうに思えた《月光ソナタ》
第1楽章は、淡々・黙々としたタッチで、陰鬱な寂寥感と虚無感が漂っている。
喩えて言えば、靄のかかった暗い夜空に浮かぶどんよりとした灰色がかった月から、朽ち果てて亡霊が出てきそうな廃墟の古城に、寒々とした月明かりが指しているような..。
第2楽章もその雰囲気を引き摺って、軽快で楽しげなAllegrettoなのに、ひそひそ話しをするような静かなタッチで、躍動感も明るさもなく、諦観さえ感じる。
第3楽章になると、鬱々とした雰囲気を払拭し、冒頭から極めて速いテンポで、どの音も明確で鋭いタッチは、力強く、明晰。
くっきりとした造詣力と堅牢な構築感に加えて、ほぼインテンポで一気呵成に弾きこんでいく集中力で、最後まで揺らぐことも緩むこともない。
情熱的な熱気というよりは、冷たく光る刃物のような凄みを感じてしまう。
この《月光ソナタ》は好きなことは好きなのだけど、単純に”好き”というよりは、他のピアニストにはない独特なところに強く惹かれると言ったほうが正しい。

参考音源:ベートーベン ピアノソナタ「月光」[ニコニコ動画]


《テンペスト》は、他の2曲と比べて、特異な凄みはやや薄く、叙情感が強いかも。
第2楽章は、穏やかな安息感のなかにも、淋しさが漂っている。
第3楽章は、粒立ちよく、一音一音が明瞭に響くタッチで、旋律がくっきりと浮き上がり、明晰。
かなりペダルを多用して長く折り重なる響きが美しく、荒々しく寄せては引くような波のようにダイナミック。右手と左手の響きが重層的になっても、混濁することなくそれぞれがクリアに聴こえてくるようなペダルワークが鮮やか。
ソノリティも多彩で、起伏の多い表現は、とてもドラマティックに聴こえる。
この第3楽章は、「月光ソナタ」のような特異さあまりなくて、レーゼル、アラウと同じくらいに、好きな演奏。

tag : ベートーヴェン ヴェデルニコフ

※右カラム中段の「タグリスト」でタグ検索できます。
『ジュリアス・カッチェン ベルリン録音集1962年&1964年』(audite盤)
4月5日にauditeからリリースされたジュリアス・カッチェンのベルリン録音集『Julius Katchen Plays Liszt, Brahms, Beethoven, Schumann and Chopin /1962 & 1964 in Berlin)』。
1962年と1964年にベルリンで録音した放送用セッション録音。録音時間が約110分の2枚組。
他にもリリースされているライブ録音を除ければ、カッチェンのセッション録音は専属契約していたDecca録音しかなかったはずなので、これは珍しくて貴重。
実際にCDを聴いてみると、選曲・演奏も素晴らしく良くて、その上ライナーノートがとても充実して、最近のカッチェンのライブ録音のなかでは、最も満足度が高いアルバム。

Katchen Plays Liszt Brahms Beethoven SchumannKatchen Plays Liszt Brahms Beethoven Schumann
(2014/04/29)
Julius Katchen

試聴ファイル

<CD1>
リスト: ピアノ・ソナタロ短調
ブラームス: 幻想曲集 Op.116、6つの小品よりOp.118(Ⅱ間奏曲,Ⅴロマンス)

<CD2>
ブラームス: スケルツォ 変ホ短調 Op.4
ベートーヴェン: 創作主題による32の変奏曲 WoO.80
ベートーヴェン:ロンド・ア・カプリッチョ「失くした小銭への怒り」Op.129
シューマン: 森の情景 Op.82~「予言の鳥」
ショパン: 夜想曲第2番Op.9-2、バラード第3番、夜想曲第8番Op.27-2、子守歌Op.57

CD紹介文(HMV):HMVの紹介文に一部間違いあり。ショパンの《バラード第3番》と《子守歌》について、「ディスコグラフィ初となる」と記載しているけれど、実際はスタジオ録音やライブ録音がある。

(初録音:3曲)
リスト:ピアノ・ソナタ ロ短調
ベートーヴェン:ロンド・ア・カプリッチョ ト長調 Op.129『失くした小銭への怒り』
ショパン:夜想曲第2番変ホ長調 Op.9-2、第8番変ニ長調 Op.27-2

(既存のライブ録音/スタジオ録音)
ブラームス作品 → 「ブラームス作品全集」(1960年代のスタジオ録音、Decca盤)
ベートーヴェン:創作主題による32の変奏曲ハ短調 WoO.80 → ライブ録音(1962年,doremi盤)
シューマン:森の情景 Op.82より『予言の鳥』→ ライブ録音(1958年,ica盤)
ショパン:バラード第3番変イ長調 Op.47 →スタジオ録音(1954年?,Decca盤)、ライブ録音(1965年,ica盤)、来日公演ライブ録音(1954年,ユニバーサル盤)
ショパン:子守歌 変ニ長調 Op.57 → 来日公演ライブ録音(同上)

Jullius Katchen press kit[audite.de]
auditeサイトには、このCDに関する情報がいろいろ掲載されている。
そのなかで、プレス向けの参考資料が載っていて、(今まで見たことがない)コンチェルト演奏時の写真や新聞報道記事、熱心なコレクターだった”根付”を(おそらく)夫人と手に取ってみている写真とか、珍しい写真が公開されている。


                      

リスト:ロ短調ソナタ
Wolfgang Rathertによるライナーノートの演奏解説では、「カッチェンの解釈は、驚くべきもので議論を呼ぶ。録音が膨大にあるこのソナタの優れた録音のなかでも、特別な位置を占める」。
このソナタはあまり聴きこんだことがないので、この批評が具体的にはどういうことを指しているいるのかよくわからない。
それでも、久しぶりに聴いたロ短調ソナタが、とても面白く聴けた。
線が太くしっかりとして、量感・力感のあるフォルテは、重みがあってマニッシュ。
音質がややデッドな感じがするせいか、骨太さと厳しさが増している。
技巧的な鮮やかさに加えて、突進するように鍵盤上を一気に駆け上がったり、駆け下りたりするのは、カッチェンらしくてダイナミックで白熱感充分。
「初めは、彼のテンペラメントが彼のクリエイティブな理性とせめぎあっているのは疑う余地がない。テンポ、アーティキュレーション、ダイナミクスへのアプローチはかなりラプソディック(狂詩曲的)」という批評はその通りかも。
それに、カッチェンのセッション録音は、DECCA録音の時と同様に、本質的な部分で演奏の中断や編集をしていないので(今と違って、当時はそれが普通だった)、多少のキズは残っているけれど、一回限りのコンサートのようなスリリングな臨場感がある。
全体的にねちねちとした妖艶さや派手な絢爛さが少なくて、こういうリストは私が好きな弾き方。
力強くほの暗い情熱を感じさせる強奏部とは対象的に、弱音部分は天使のような清らかさが印象的。
硬質の澄んだ音色に、”時間を止めるような”と形容された静寂さが漂い、宝石のようなクールな煌きのある清々しいロマンティシズムが美しい。こういうところは本当に素敵。
リスト作品のなかでも好きというわけではなかったこのロ短調ソナタが、カッチェンの演奏なら繰り返し聴きたくなるくらい。


ブラームス:幻想曲集 Op.116、6つの小品 Op.118(2.intermezzo、5.Romance)
リストのロ短調ソナタと同様、音質はややデッドで篭った感じの音がかなり前面から聴こえる。
狭い部屋で一緒に演奏を聴いているみたいなレトロ感があって、弱音部や緩徐部になると親密感が強い。
後期作品集のなかでも、Op.116の《幻想曲集》はあまりは聴かないので、改めて全曲聴いてみると、若い頃に作曲した《スケルツォ 変ホ短調 Op.4》のように、「Capriccio」はほの暗く激しい情熱が渦巻いていて、とてもパッショネイト。
リストのロ短調ソナタの後で聴くと、リストよりもずっと若々しい情熱が迸っているように感じる。
カッチェンの芯のしっかりした線が太めの音と量感・力感のある低音の響きで聴くと、”怒涛のブラームス”みたいな激しさ。
テンポが速くパッショネイトな3曲の「Capriccio」では、スタジオ録音よりも、一気呵成に引き込んでいく急迫感が強く、表現の起伏もやや大きくて、躍動感が増している。
スタジオ録音の方が打鍵も丁寧で演奏の完成度も高いと思うけれど、この放送用セッション録音は、より骨っぽく量感のある音質で重みが増し、ライブ録音に近い張りつめた緊張感と直裁的な激しさが強い。
ゆったりとしたテンポの「Intermetzzo」は、ややデッドな音質のせいか、スタジオ録音よりも内省的な雰囲気がほんの少し強いかも。残響がやや多いスタジオ録音は、ソノリティが美しくしっとりとした叙情感が綺麗。

後期ピアノ作品のなかで最も有名なOp.118の叙情美しい「Intermezzo」。それに夢見るような「Romance」。
スタジオ録音よりも、ややタッチが強いところがあり、音の線がくっきりと明瞭。残響が少ないせいか、より間近で聴いているような親密感がある。
リストの《ロ短調ソナタ》から《幻想曲集》まで、短調でテンションが高い曲が多かったので、この長調の2曲を聴くと心安まるような暖かさと穏やかさ。
ルバートを多用していても、情緒的にもたれることはなく、自然な流れのなかから湧き出てくるような叙情感がとても心地良い。やっぱり、いつ聴いてもカッチェンのブラームスは素晴らしく素敵。

ライナーノートの執筆者Rathertは、「若い頃からカッチェンがブラームスの音楽語法に親近感を感じていたのは、偶然の一致ではない。ブラームスの音楽後生の表現上の激しさと形式的なドラマ性がカッチェンの演奏にマッチしていたのだ。カッチェンのブラームス解釈は、厳しい鍛錬の末に得られるものをはるかに超えた感受性の完璧な例である」と評している通り、カッチェンのブラームスを聴くと、まるで演奏者と曲とが融合したように感じられるのは、ブラームス作品への”天性の感受性”によるものなのだろう。


これはスタジオ録音の音源。
Brahms - Julius Katchen - Klavierstücke op. 118



ブラームス: スケルツォ 変ホ短調 Op.4
いかにも若いブラームスらしい短調の情熱的な曲で、これも好きな曲。
緩徐部分のテンポが、スタジオ録音よりも若干速い感じがする。
どちらかというと、スタジオ録音の方が緩急・静動のコントラストが明瞭に聴こえる。


ベートーヴェン:創作主題による32の変奏曲 WoO.80
演奏機会がそれほど多くはないこの変奏曲のライブ録音がdoremi盤にも残っている。
1964年録音(CD2)なので、色彩感とソノリティが豊か。doremi盤のライブ録音よりも音質がかなりクリアで細部も明瞭。
ブラームスのようなほの暗い激しい情熱と相通じるところが感じられて、これはとても好きな変奏曲。
カッチェンの線の太い量感と力感のある音質は、この曲にぴったり。ペダルを踏み続けて弾くアルペジオが美しくもダイナミック。
疾風怒濤の嵐が渦巻くように力強い激しさと、一次的に凪が訪れたような静けさと穏やかさが絶えず交差して、まるで嵐で荒れる夜の情景を見ているかのよう。


ロンド・ア・カプリッチョ「失くした小銭への怒り」
ブラームスの《スケルツォ》、ベートーヴェンの変奏曲と、テンションの激しい曲の後は、とてもコミカルな「失くした小銭への怒り」。
この曲も気に入っているので、いろいろ聴いてみた中で好きなのはソコロフキーシン
いずれも演奏時間は5分半くらい。カッチェンは5分を切る快速テンポ。この速さで、粒の揃った打鍵で鍵盤上を縦横無尽に走り回っているのが、技巧鮮やか。
ソコロフとキーシンに比べると、かなり速いテンポなのに、軽やかなタッチのせいか端正な感じがする。
アクセントとか起伏のつけ方はやや控えめな感じがするので、慌てふためく感じは少し薄いかも。
それよりも、軽やかで可愛らしくて品の良さがあって、子ねずみたちが運動会で一生懸命走り回っているみたい。


シューマン:予言の鳥
シューマンのなかでは珍しく好きな曲。
この曲はica盤のライブ録音があり、それよりも音が良い。
カッチェンの軽やかで柔らかく丸みを帯びた弱音の静けさと、音が沈黙する”間”には、摩訶不思議な雰囲気が漂っている。
残響も少なく、一時的に晴れやかになる長調の部分でも、音量を抑えて表現も動きが少なめで穏やか。
最初から最後まで、叙情性よりも、”予言の鳥”の神秘性を強く感じさせる。


ショパン:夜想曲 第2番Op.9-2、第8番Op.27-2
カッチェンの演奏では、初めて聴いたショパンの夜想曲2曲。
一番ポピュラーなOp.9-2もOp.27-2の両方とも好きな曲ではないし、カッチェンにしては、とてもムーディな演奏なんだけれど、意外にもとても気に入ってしまった。
右手の主旋律は、硬質で粒立ちの良い音で輪郭が明瞭。
ショパン弾きの滑らかなレガートではないせいか、ロマンティックなのに、思いのほかもたれることなく、爽やか。
これだけ素敵なノクターンなら、カッチェンの演奏で全曲聴いてみたくなる。


                      


このCDは音質・選曲・演奏ともとても良い上に、ライナーノートが充実しているのがさらに嬉しい。
既発CDのブックレットには載っていないカッチェンのインタビューが掲載されているし、ライナーノートの執筆者Wolfgang Rathertが分析しているカッチェンのピアニスト人生やメンタリティ、レパートリーの話もとても興味深いものがある。

カッチェンのインタビューは、1962年11月18日付New York Timesに掲載された音楽評論家Alan Richによるもの。
米国人生まれの米国育ちなのに、欧州でピアニストとしての存在感と名声を確立したけれど、米国では15年もの間演奏ステージに姿を見せなかった。それについて、カッチェンが率直に話している。(以下は、英文解説およびインタビューの抜粋要約)

(長らく米国で演奏することがなかったのは)、むしろ、どこで(演奏する)機会があるのかという問題です。私は、ここ(米国)で受けた教育を欧州で受けることはできませんでした。しかし、実際のキャリア形成という点になると、米国よりも欧州の方がより多くのもの-演奏会の日程(concert dates)のオファーやより良く成長するための環境-を提供してくれたように思えます。

今日の米国は、ピアニストにとって世界中でもっとも優れた教育を提供しています。ヒトラーのせいで、偉大な教師たちが30年代に渡米し、今でもその多くが米国に残っています。私は、欧州の音楽院の雰囲気(環境)についてかなり不健全なものを感じています。学生たちにあまりにも多くの競争心を植え付けています。コンクールというのは、学校で行われている賞を競う競技会で、全ての学生たちの頂点に一人のピアニストが上り詰めるものですが、これが学生たちのなかに不健全な態度を生んでいます。
米国では、ピアニストはともに成長するようにまとまっており、友人同士にさえなれるのです。誰かが他の学生の演奏会に行くと、喝采します。パリでは、他人の演奏を聴きに行くのは、自分の首を絞める(失敗する)ところ見ることを期待しているからです。


ここで意外なことは、"カッチェンが欧州を拠点に演奏活動を続けたのは米国の音楽界の雰囲気に否定的だったから"という定説とは違うこと。
文脈からは、それとは逆に、欧州の音楽院のドライな競争的雰囲気は不健全で、友人同士にさえなれる米国の音楽院の方がむしろ健康的だと思っていたように受け取れる。


米国では、学生はピアノ教育の偉大な伝統に加わることができます。ロシアのヴィルトオーソの伝統は、ホロヴィッツのようなピアニストが体現しています。また、ゼルキンは室内楽に重きを置きつつ、古典的なドイツ的アプローチを明らかにしています。米国人ピアニストの多くは、私自身を含めて、両者のアイデアを個人的に組み合わせています。

しかし、欧州で教育を受けてしまえば、演奏家は自己表現(実現)する機会にずっと恵まれています。演奏会の日程やレパートリーのために競争することは米国よりも少ないのです。例えば、昨シーズン、私は24の協奏曲と10種類のリサイタルプログラムで演奏しました。米国では、マネージャーからのプレッシャーのために、もっと少ない数の曲を頻繁に弾くように、かなり制限されることになるでしょう。

米国では、都市や町へやってくるときには、soup-to-nuts(幅広い)プログラムにすることと、聴衆の頭上を越えて演奏しない(理解しにくい曲を演奏しないこと?)ように注意することを勧められます。マネージャーは常に聴衆を過小評価しています。欧州の聴衆の場合は、ずっと洗練されていると信頼されています。さらに、演奏家の成長にとってとても重要なことですが、欧州では同じ都市に何度も演奏しに戻ってくる機会がずっと多いです。その方法なら、自分自身の聴衆を作りあげ、徐々により難しいプログラムを提供することができるのです。

米国の演奏家は、欧州でよく演奏しているプログラムの種類を批判されています。バッハからブーレーズに至るまでざっと見渡したようなプログラムのことです。欧州の聴衆は演奏家が本当にぴったり合っている(close)と感じるものを表現する特化したプログラムを好みます。たとえば、私はオール・ブラームス・リサイタルをドイツでずっと行ってきましたが、それは成功しています。今、ブラームスのピアノ作品全てをロンドンレコードで録音しているところですが、ここでもそのシリーズを演奏したいと思っていますし、聴衆はコンサートにやってくると思います。しかし、眉をひそめて、”バッハの作品はどこにあるんだ?”、”なんてことだ、ショパンがない!” そういうものです。私が言っているのは、聴衆のことではなくて、マネージャーのことです。

しかし、私が”expatriate”(故国を捨てた)と呼ばれることを拒否する理由でもあるのですが、ニューヨークに戻って来たことに大きな喜びを感じています。米国でのキャリアが欠けていることで、私は不完全なのだと感じさせられます。私には、故国が認めてくれること(approval)が必要なのです。確かに、私はすでに名声を得て(established)います。自分の街のタウンホールでデビューする若手ピアニストの”オール・オア・ナッシング”という感情をもって、今週のフィルハーモニックとの演奏会に臨んでいるわけではありません。しかし、米国が、私にとっては存在していないのだというふりをするのは、それと同じくらいに不合理でしょう。



Rathertは、このカッチェンのインタビューについて、こう分析している。

「カッチェンの自信に満ちて実直(scrupulous)な本質が映し出されている。彼は、外面的には全ての成功をおさめているにも関わらず、おそらく、依然として”homeless”(故郷を失った)と感じており、欧州と米国の音楽生活の間に存在するさまざまな文化的・経済的・精神的障壁を打ち負かすことを夢見ていたのだろう」
「同化というより容易な道を、カッチェンは選ぶことはできたが、それは彼の演奏家としてのエートス(気風、精神)に適うものではなかった。そこで、カッチェンは、ブラームスのピアノ作品全集(ピアノが加わっている協奏曲や室内楽曲も含めて)を演奏し録音するという膨大な課題(タスク)に取り組んだ。また、カッチェンのディスコグラフィは、きわめて多様なスタイル(古典~ロマン主義時代、現代アメリカ音楽とガーシュウィンの”Rhapsody in Blue”と”ピアノ協奏曲”といったシンフォニック・ジャズに至るまで)を開拓しようという意欲と大望とともに、この普遍性(universarity)に向けた強い衝動も浮き彫りにしている。彼は、説得力のある解法(convincing Sollution)と解釈を見つけようと試みていた。この探求のなかで、彼の優れたピアニスティックな技術は、それ自体に存在意義があるのではなく、深い知性的・感情的な洞察と音楽との一体化のために捧げられている。」


<過去記事>
ジュリアス・カッチェンにまつわるお話

tag : ブラームス ベートーヴェン ショパン シューマン カッチェン フランツ・リスト

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高橋悠治 ~ バッハ/ゴルトベルク変奏曲(1976年,2004年)
高橋悠治の録音を聴くと、いつも意外で新鮮な驚きがある。特にここ十数年間に行われた録音を聴くと、その意外さがかなり増しているようにも思える。

《ゴルトベルク変奏曲》は、《ディアベリ変奏曲》ほど好きではないし、大体途中で飽きて眠くなる。
それでも気に入っている録音がいくつかあって、今なら、コロリオフ(スタジオ録音とライブ映像の両方)、ソコロフ、マルクス・ベッカー、ケンプあたり。
それに加わったのが、高橋悠治の2種類の録音で、DENON盤(1976年録音)とavex盤(2004年録音)。
この2つの録音を聴くと、同じピアニストが録音したとは思えないくらいに、30年近い時間の隔たりを実感する。
誰が弾いているのか、すぐにわかるほどに、どちらもきわめて個性的。
両方とも初めて聴いたときはとっつきが悪かったけれど(ゴルトベルクを聴くと、いつもその時の気分や体調で印象がかなり変わるので)、改めて聴きなおしてみると、耳が慣れたせいか、どちらも不思議な魅力がある。

76年録音は、軽快で機動的なテンポと抑制した淡白な叙情表現で、音の動きと構造を突き詰めたように、造詣が明晰。
どの変奏でもリピートしないので、わずか37分で完結。
誰が弾くゴルトベルクを聴いても途中で眠くなるのに、さすがにこのゴルトベルクは演奏自体の凝集力・集中力が高く、眠くなることはない。(それに、眠くなる前に演奏が終わってしまう)
音色のソノリティの多彩さに拘ることはなく、輪郭が明確で曖昧さのない音なのに、柔らか味と仄かな温もりがある。
レガートとノンレガートの両方を織り込みながらも、軽やかに飛び跳ねるようなノンレガートで、レガートをスパっと断ち切っていくようなフレージングが面白い。
アクセントを時折強く利かせながら、歯切れのよいリズム感で、声部の動きと絡みがくっきりと浮き上がってくる。
全ての声部が同じ音量で弾かれているし、音色やソノリティも均質なわりに、メカニカルでも、モノクローム的でもない。感傷性を排除した、さっぱりとした抒情が若々しくて新鮮。

冒頭の「アリア」の符点のリズムが、ちょっと変っているし、装飾音は全然凝っていないけれど(「スタイルの正統性にたやすく組み込まれる表面の装飾や即興」と彼自身言っているし)、トリルが一音一音明確で、小鳥が囀るように可愛らしい。
急速変奏のテンポがかなり速く、力みのない打鍵の切れもよく、飛び跳ねるような躍動感と疾走感が気持ちよい。(第14・26変奏など)
緩急のコントラストは明瞭でも、強弱の変化と振幅は抑えているので、感情表現はさっぱり。
緩徐変奏(第7・第15変奏とか)では、いくぶんたどたどしく途切れ気味なタッチで弾いているせいか、情感をひきづることを拒否したように思える。
音の繊細さやソノリティの美しさを追求した演奏とは対極にあるけれど、若々しく清新で、甘さに流れない潔さと風通しのよい草原のような開放感がとても気持ちよい。

バッハ:ゴルトベルク変奏曲/14のカノンバッハ:ゴルトベルク変奏曲/14のカノン
(2009/12/23)
Denon Crest 1000

試聴ファイル



高橋悠治が2004年に再録音した《ゴルトベルク変奏曲》は、今までに全く聴いたことがない異形のゴルトベルク。
CDリリース当時、とても話題になったらしい。
それも当然で、古今東西の録音だけでなく、彼自身の旧盤とも異質で、こんな風変わりなゴルトベルクを弾く人はいない。
ゆったりとしたテンポと、残響の少ないクリアですっきりとした響きの音質に加えて、奇妙な拍節感とアーティキュレーション。くっきりと浮かび上がる旋律や和声が、今まで聴いた数々のゴルトベルクとは違って聴こえて来る。
淡白な叙情表現で感情的なもたれることがない上に、あまりに斬新すぎて、頭の中がすっかりクリア。眠くなっている暇がない。

高橋悠治のゴルトベルクは、バッハ演奏の伝統や既存の枠を壊してデフォルメしたようなところはあるけれど、逆に伝統や規範に縛られない自由さと、無邪気な遊び心に満ちているように思える。
最初は、高齢ゆえの技術的な問題もあるのかと思ったけれど、ブラームスのヴァイオリンソナタのピアノ伴奏であれだけ弾けるのだから、そういうことでは全くない。
テンポも拍子もフレージングも、崩しているのは確信犯的な解釈。
このちょっとたどたどしくて、つまづきそうな弾きぶりが、実に飄々として、ユーモラス。
肩の力をすっかり抜いて、遊び心があって、自由闊達、融通無碍。
もうここまでくると、名人の落語を聴いているみたい。
何度か聴いていると、弾いている本人が”自然体”だからなのか、この変則的なリズムなアーティキュレーションに全く違和感を感じなくなって、ごく自然な成り行きのように思えてくるから不思議。
正当な音楽教育を受けたプロフェッショナルなコンサートピアニストには、こういうゴルトベルクは弾けそうにない。
もともとピアニストになりたいと思っていたわけでもなく、今でもピアニストというよりも作曲家だと自認している(のではないかと思う)彼にしか弾けないに違いない。

バッハ:ゴルトベルク変奏曲バッハ:ゴルトベルク変奏曲
(2004/11/17)
高橋悠治

試聴ファイル
高橋悠治自筆のライナーノートには、『「ゴルトベルク変奏曲」を聴く』を掲載(後掲)。作品解説はなし。


旧盤と同じくリピートしないので、演奏時間が47分とこちらもかなり短い。
不規則に崩して、力を込めずに軽やかで訥々としたタッチが、妙に素朴で、愛らしくて、ユーモアがにじみ出るよう。
フレージングにレガートなところはなく、ノンレガート的なタッチで、フレーズを断片化するように、フレーズを区切ったり、一瞬の空白を入れたり、強めのアクセントを入れたり。
全体的にゆったりとしたスローなテンポで、変奏間の緩急の変化はあまりつけていない。
強弱の起伏も緩やかで、短調の叙情深い変奏であっても、歌いまわしに粘りは全くなく、他の変奏と同じく、淡々としたタッチで、叙情過剰になることがない。
音色の繊細さや微妙なニュアンスを出したり、最近のピアニストが拘るようなところには、頓着していない。
そういう精緻なものを感じさせないところが、堅苦しさともスクエアな生真面目さとも無縁で、風通しが良くて自由闊達。

技巧性を競うような第5変奏でさえ、テンポはゆったりとして、着実に一歩一歩踏みしめていくよう。
珍しく比較的テンポが速いのは第14・20・26変奏など。ふんわりと軽やかな疾走感。
このゆったりしたテンポに慣れてしまうと、緩急の変化があまりないのも気にならず、逆に、一音一音明確な打鍵により旋律の輪郭がくっきりと浮かび上がってくるのが面白かったりする。
哀感のある短調の変奏(第21変奏・第25変奏)は、速めのテンポと感傷性を排除したような歌い回しで、さばさばとあっさりした叙情感。
第23変奏は、対位法による旋律の動きがとても明瞭に聴こえる。まるで、楽譜に書いてある音がひとつづつ浮かんでくるようなくらい。
この風変わりなフレージングで聴くと、妙にユーモラスに聴こえるのが第17変奏。
第18変奏は、思わず笑みがこぼれてくるように、愛らしい。

短調の叙情性の高い変奏では、情感過多になり過ぎないように、ぽつぽつと途切れ気味のたどたどしいタッチでさばさばとあっさり。
極端に言えば、音の動きをどう表現するかということだけを追求したところ、結果的に情感が自然についてきただけ...みたいな印象。
リズムやフレージングの規則性を崩してはいても、そのなかにも一定のルールやパターンがある。
旧盤の演奏よりも、さらに”客観性”を追求した結果、長調・短調・曲想に関わり無く、ウェットな感傷や過剰な情感を排除しているので、叙情表現自体はニュートラルのように感じる。
それなのに、どの変奏でも風変わりなリズム感や旋律の歌いまわしや和声の響きから生まれてくる叙情感は新鮮で、至極自然なものに(私には)感じられてくるから不思議。
試聴ファイルで初めて聴いた時には”即興的”に感じたけれど、CDで全曲聴いて、高橋悠治の文章もいくつか読むと、緻密に練り上げられた現代音楽としての実験的なゴルトベルクなのかも。


どうしてこんなゴルトベルクを弾くのだろう?..という素朴な疑問に対する答えは、彼自身が書いた文章を読めばわかったような気がする。

CDのライナーノートに載っている「ゴルトベルクを聴く」の言葉の通り。

「均等な音符の流れで縫い取られた和声のしっかりした足取りをゆるめて 統合と分岐とのあやういバランスの内部に息づく自由なリズムをみつけ 組み込まれた小さなフレーズのひとつひとつを 固定されない音色のあそびにひらいていく」


「2010年4月 目次キーボードの演奏」(後掲)に書かれている次の一節も、演奏解釈のベースにあるように思える。

「チェンバロの和音や多声部の伝統的な崩しかたと似たような結果がでてくるが それは情感にもとづく名人芸とはかかわりがない
「バッハの解体のように聞こえるかもしれないが コントロールをゆるめて うごきを解放し そこに何が起こるか見ようとするなかで 不安定で不均衡な運動が 知っているはずの音楽から知らない響きをとりだす」

彼の言葉を体現した演奏は、まさに「バッハから遠く離れて」に記されている一節の如く。

完成されたものとしてではなく
発明された過去としてではなく
未完のものとして
発見のプロセスとして
確信にみちたテンポや なめらかなフレーズを捨てて
バッハにカツラを投げつけられたオルガン弾きのように
たどたどしく まがりくねって



<参考情報>
高橋悠治の公式サイトに載っている執筆文から、ゴルトベルクに関係ありそうなものがいくつか載っている。
そのうち「「ゴルトベルク変奏曲」を聴く」は、avex盤のライナーノートにも掲載されている。

「ゴルトベルク変奏曲」を聴く(2004年) 

紙の上の作曲術の規範にすぎなかった「ゴルトベルク変奏曲」は 20世紀後半になって コン サートレパートリーになった その流れは北アメリカからヨーロッパと日本にひろがった 新自由主義市場経済の流れと同時なのは偶然だろう
 現在では毎年のように この曲の新しい演奏のCDが消費される それぞれが個性的なスタイルや正統性や技術を売っているが 話題になるのは 次のCDが出るまでの短い期間にすぎない 

 さてその競争に加わってどうするのだ 「音楽の父」となったバッハの父権的権威に抵抗して 音楽をその時代のパ ラドックスの環境にかえしてやる 均等な音符の流れで縫い取られた和声のしっかりした足取りをゆるめて 統合と分岐とのあやういバランスの内部に息づく自由なリズムをみつけ 組み込まれた小さなフレーズのひとつひとつを 固定されない音色のあそびにひらいていく といっても スタイルの正統性にたやすく組み込まれるような表面の装飾や即興ではなく 作曲と楽譜の一方的な支配から 多層空間と多次元の時間の出会う対話の場に変えるこころみ 

 CDも一回のこころみの仮の姿 それを経て演奏のプロセスはさらに遠くからバッハを観ようとする もともとは鍵盤演奏の教育のために出版された音楽を バロックの語源でもあるゆがんだ真珠のばらばらな集まりとみなして はじめて触れた音のようにして未知の音楽をさぐるのが 毎回の演奏であり その鏡から乱反射する世界を発見するのが 音楽を聴くことの意味でもあるだろう

 と言ったところで これも事実の半分にすぎない あとの半分は きままな指についていく遍歴の冒険 ちがう世紀ちがう文化の死者の世界にいるバッハとの対話から織りなす現在の東アジア地域の物語  
(avex cd のために)

(以上、一部抜粋)


「バッハから遠く離れて」(『音の静寂静寂の音』(2000))

バッハの曲のどれかを鍵盤の上でためしてみる
完成されたものとしてではなく
発明された過去としてではなく
未完のものとして
発見のプロセスとして
確信にみちたテンポや なめらかなフレーズを捨てて
バッハにカツラを投げつけられたオルガン弾きのように
たどたどしく まがりくねって
きみは靴屋にでもなったほうがいい
その通りです マエストロ
そして この音楽と現代社会とのかかわりについて
さらに 日々の生に その苦しみにこたえる音楽をもたず
過去の夢に酔うことしかできないこの世界の不幸について
瞑想してみよ

(以上、一部抜粋)



2010年4月 目次キーボードの演奏

クセナキスの曲を演奏するなかでまなんだこともいくつかある 「ヘルマ」と「エオンタ」では 楽譜は音響空間の見取り図を比率と近似で表したものにすぎないこと 個々の音符やピッチではなく 全体の肌理と色彩が問題で それはいままでのハーモニーに替わる位相空間の運動であること メロディのように線的に継続するのではなく 色彩変化が複数の層をつくって同時進行していること 「エヴリアリ」と「シナファイ」では 連続するピッチをメロディとしてではなく  ちがう層にあらわれる近接した色彩点とするために リズムをわずかに揺らして ずれと断層をつくること これはポリフォニーに替わる「メドゥーサの髪」

このようなピアノ奏法で たとえばバッハの「ゴルトベルク変奏曲」を弾いてみれば チェンバロの和音や多声部の伝統的な崩しかたと似たような結果がでてくるが それは情感にもとづく名人芸とはかかわりがない 1930年以後の音符がすべてのようなデジタルなスタイルに慣れた耳には これはバッハの解体のように聞こえるかもしれないが コントロールをゆるめて うごきを解放し そこに何が起こるか見ようとするなかで 不安定で不均衡な運動が 知っているはずの音楽から知らない響きをとりだす 

(以上、一部抜粋)

tag : バッハ 高橋悠治

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オーブントースターとコンベクションオーブン
一昨年の年末に忙しいときに、panasonicのオーブンレンジが購入後2年足らずで故障したので、panasonicの単機能電子レンジをすぐに購入。
この単機能レンジは、以前一時的に使ったことがあり、使用感がとても良かったので。

コンベクションオーブンも買いたいなあと思っていたけれど、最近は、ケーキ・クッキー・クラッカーなど炭水化物だらけのお菓子をあまり食べないせいで、手作りすることもほとんど無く。
食パンはホームベーカリーで時々焼くし、たまに作るベーグルやナン・ピザは、ガスコンロのグリルですぐに焼けるし、スライスした食パンもグリルかポップアップトースターで焼いている。
お節料理に欠かせない伊達巻も、オーブンの方が速くて綺麗に作れるけれど、卵焼き器でも2回に分ければミニ伊達巻が2個焼ける。
お肉は食べないし、お魚はアイリスオーヤマのセラミックロースターでとても美味しく焼ける。
オーブンを使って料理する必要がほとんど無くなってしまった。
でも、短時間調理が得意なガスグリルは、焦げやすくて、焼きムラも多いし、厚みがある食材だと中まで加熱が不十分だったり、加熱しすぎるとパサパサになるのが難点。
やっぱり、使用頻度は少なくても、場所をそんなにとらない小さな電気オーブンが欲しいなあ。
amazonでコンパクトな単機能オーブンを探してみると、しばらく見ない間に、新しい製品がいろいろ出ている。


Panasonic オーブン&トースター シルバー NB-G130-S
昔からの定番。レビューも多くて評価も高いし、検討した製品のなかでは一番サイズが小さくてコンパクト。
新機種が出ていて型落ちになっているのに、人気機種で品薄になっているからなのか、なぜか価格は以前より高くなっている。(時々チェックしていると、頻繁に価格が変わっている)
かなりこれを買う気になっていたのに、価格がそんなに変わらないのなら、後継機種の「コンパクトオーブン」の方でも良い気がしてきた。

Panasonic オーブン&トースター シルバー NB-G130-SPanasonic オーブン&トースター シルバー NB-G130-S
(2010/02/01)
パナソニック(Panasonic)

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Panasonic コンパクトオーブン ブラウン NB-DT50-T
NB-G130-Sをリニューアルした新製品。
NB-G13とは全く別物に思えるほど、外観デザインが一新されて、ダークブラウンでスタイリッシュに。
紛らわしいのは、機能的には、自動メニューボタンが一部入れ替えられただけでほとんど変わっていないのに、なぜか製品名が「オーブントースター」から「コンパクトオーブン」に変わっていること。
外観も全く違うので、最初見たときには、機能がかなり向上したのかと誤解してしまった。

自動メニューボタンのうち、「ロールパン」「フランスパン」「焼きいも」が消えて、その代わりに「ホットサンド」、「ココット」、「グリル野菜」が付いている。
「フランスパン」が無くなったのが残念。「ココット」と「グリル野菜」はたぶん使わない。
アイボリーのNB-G13の方が清潔感があって、キッチンも明るく見えるので、この機種もカラーバリエーションに白っぽいカラー(シルバー、ホワイト、アイボリーなど)が出てきたら、購入意欲が倍増しそう。
そのうち価格も下がってくるだろうから、当分様子見。

Panasonic コンパクトオーブン ブラウン NB-DT50-TPanasonic コンパクトオーブン ブラウン NB-DT50-T
(2014/02/20)
パナソニック(Panasonic)

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siroca crossline ノンフライオーブン(コンベクションオーブン)
画期的な低価格ホームベーカリーが爆発的に売れたオークセール社siroca crosslineの「ノンフライオーブン(コンベクションオーブン) 」。
”油なしで揚げ物が出来る”というキャッチフレーズなので、Philipsのノンフライヤーの競合製品。
たまたまショッピングセンターのキッチン用品店の店頭で発見。amaazonレビューもとても良い。
使い勝手を実物で確かめてみると、全体的に作りはあまりしっかりしていなくて、価格相応といった粗さがある。(panasonic製品ならこの種の粗さはあり得ない)
でも、8000円くらいなので、仕方がないと割り切れるレベルのアバウトさ。
レッドとブラックのツートンカラーはオシャレ。ピザプレート付きなのが○。(ピザプレートだけ買うと結構高いので)
機能的にはTWINBIRD製品とほぼ同じで、サイズは少しコンパクト。
コンベクション、上下ヒーター、上ヒーターのみ、下ヒーターのみ、と選択可能なのが◎。


siroca crossline 【油なしで揚げ物が出来る】 ノンフライオーブン(コンベクションオーブン) 特別セット[専用レシピ本/魚焼きグリル石付] SCO-213Ssiroca crossline 【油なしで揚げ物が出来る】 ノンフライオーブン(コンベクションオーブン) 特別セット[専用レシピ本/魚焼きグリル石付] SCO-213S
(2013/10/29)
オークセール

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TWINBIRD コンベクションオーブン ブラック TS-4118B
以前は、かなり買いたい気がしていたTWINBIRD製のコンベクションオーブン。
sirocaよりもさらに低価格の7000円台。こちらもピザプレート付きなのは○。
コンベクション、上下ヒーター、上ヒーターのみ、下ヒーターのみ、と選択できるのは◎。
検討した製品のなかでは、唯一庫内の有効高が20cm。高さのあるケーキやパンも焼けるのが、最大のポイントで◎。
コンベクションオーブンとしての機能、庫内高さ、価格で選択するなら、この機種。
検討機種のなかで、一番サイズが大きいのは▲。

TWINBIRD コンベクションオーブン ブラック TS-4118BTWINBIRD コンベクションオーブン ブラック TS-4118B
(2009/08/25)
ツインバード工業(TWINBIRD)

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TIGER コンベクションオーブン&トースター ワイドタイプ シルバー やきたて 熱風コンベクション KAS-V130-SN
TIGERの新製品は、「コンベクションオーブン&トースター」。
受け皿がホーロー加工で焦げ付きにくいらしい。(siroca製品の方が焦げ付きやすいと不評)
デザインは機能的。シルバーのステンレス製の質感がキッチンに合っている。(メタリックな製品はわりと好きなので)
panasonic製品と同じく、手作りパンの発酵機能(40℃)がついていること、予熱せずにトースターとしても使えるのがポイント。
せいぜい食パン1枚しか焼かない私には、予熱してトーストするのは、時間と電気代の無駄。
今持っているポップアップトースターは食パンかスライスしたベーグルしか焼けないので、コンベクションオーブンとトースターが1台で兼用できるのが◎。
コンベクション機能と上・下ヒーターのON/OFFが選択できないのが△。
最初はあまり興味はなかったけれど、トースターのように手軽に使えそうなので、オーブンはあまり使わないなら、これがかなり良さそうに思えてきた。
panasonic製品よりも、サイズがかなり大きいのが▲。

TIGER コンベクションオーブン&トースター ワイドタイプ シルバー やきたて 熱風コンベクション KAS-V130-SNTIGER コンベクションオーブン&トースター ワイドタイプ シルバー やきたて 熱風コンベクション KAS-V130-SN
(2013/09/10)
タイガー

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結局、選択ポイントは、
1)コンベクションオーブン機能付き or オーブン機能で充分
2)庫内有効高:10cm以下でも良い or 20cmは欲しい
3)予熱必要 or 予熱不要 → 予熱不要の方が手軽。
4)発酵機能(40℃)の有無 → なくても可。でも、あればかなり便利(特に冬)。
5)寸法、重量:キッチンテーブルやラックに据え置き or 使うときだけセッティングする。ラックに据置するなら、設置スペースを考えるとコンパクトな方がベター。
6)ピザプレート付属の有無 → なくても可。あれば嬉しいけど。
7)注意点:コンベクションオーブンは、本体がかなり高温になる。
8)価格帯:7,000円~14,000円くらい

オーブンもトースターも、すぐに必要というわけではないので、目下思案中。
いろいろ比較して、実際の使い方も考えてみると、今のところはやっぱりPanasonic製のオーブン&トースター「NB-G130-S」が一番良さそう。



[2014.6.24 追記]
すぐに買うつもりはなかったのに、たまたまamazonでアウトレット品として8000円足らずで1台だけ販売されていたPanasonicの「オーブン&トースター」を見つけてしまって、衝動買い。
外箱に多少傷みがあったアウトレット品だったけれど、中身は新品。これはとってもお買得でした。
HBで作った食パンのトースト、手作りクッキー、揚げたフライ・コロッケ、冷凍フライ・コロッケの温め直しに使ってみた。

<機能・操作>
温度設定が20℃間隔、焼き時間は0.5分ごとに押しボタン操作で設定できるのが便利。
庫内照明も明るいので、焼き具合を扉のガラス越しに確認できる。
グリル掃除に比べれば、お手入れもとっても簡単。
油分が多いものを焼くときは、アルミホイルを敷けば、庫内の底が汚れない。
フライ・てんぷらの温めとか、冷凍フライ・てんぷらを焼くときには、庫内に油分が飛び散るのは仕方ないので、使用後は、クッキングペーパーとか、ふきんで拭いている。
コードを使用後に抜くように注意書きがあるけれど、電源を切るのは忘れないのに、コードはよく忘れる。

<食パンのトースト>
トースト時間は、普通の焼き色で2.5分。焼き色薄めだと2分。
霧吹きで水をかけておかないと、全体的にかなりパサパサになる。

<冷凍食パンのトースト>
冷凍モードで焼くと、5分くらいかかる。さすがに中身もしっかり焼けて、ふっくら。
普通モードで焼き色濃くして焼いて、余熱利用で2分ほど放置しても、一応ちゃんと焼ける。
でも、厚みがあるパンだと中身がややしっとりしているので(完全に火が通っていない)、やっぱり冷凍モードで焼いた方が良い。
または、冷凍パンを冷凍庫から出してしばらく室温で放置して少し解凍後、「冷蔵」モードで濃い焼き色にセットして、完了後2分ほど庫内放置。これだと、中身もだいたい焼けているので、今のところこの方法で冷凍パンは焼いている。

ガスグリルの方が、クラストはこんがり、クラムはふっくらもちもちと焼けるので、焼き上がりはガスグリルの方が◎。
欠点は、片面グリルなので、裏返して焼いたり、焼き具合の様子をずっと見ていないといけないし、それでも、焼きムラが多くて、焦げやすい。
それに、夏場にガスグリルを使うと、キッチンが暑くなるので、夏には使いたくない。

オーブントースターなら、焼きムラも焦げることもなく、セットしてしまえば、後はトースターにおまかせ。
それに、ガスグリルのような熱気を排出しないので、夏でも快適に使える。


<手作りクッキー>
180℃10分前後で、焦げることなく、綺麗な焼き上がりで、サクサクとしたクッキーが焼ける。
裏返したり、焼きムラ・焦げ・焼きすぎの多いガスグリルよりも、ずっと使い勝手が良い。
クッキーは、オーブントースターで焼くに限る。

<フライ・コロッケ>
フライ・コロッケ(揚げたもの・冷凍品)の温め直しは、トレー、焼き網、アルミホイル使用。
焦げることはないけれど、ガスグリルに比べて、時間がかかるし、油が落ちる量が少ない。衣のサクサク感ももう一つ。
それに、下側がカラっと焼けにくくて、水分や油分で、じとじとしているので、ひっくり返して焼き直した。
ガスグリルの方も、裏返して焼かないといけないのは同じだけれど、こんがり焼けて美味しい。欠点は、すぐに焦げたり、焼きすぎること。
ガスグリルで焼いてもいいのだけれど、せっかく買ったので、フライ・コロッケ・てんぷらについては、オーブントースターの使い方をもう少し研究しないといけない。

<ベーグル>
ようやく、本命のベーグル作りに使ってみた。
成形して2次発酵させたベーグル4個(粉量160g)を茹でてから、(オリーブオイルを薄く塗っておいた)アルミホイルを敷いた受け皿に載せて、180℃20分で焼成開始。予熱不要なのが便利。
途中で、後ろ側の2個の方がよく焼けているみたいだったので、受け皿の前後を入れ替え。
15分経過後に4つともかなり焼色がついたので、アルミホイルをかぶせて、18分で焼成を中止。
全体的に焼きムラも少なく、焦げつくこともない。こんがりと茶色の焼色がついて、中までしっかり焼けていた。
この焼き具合なら、オーブンレンジ並みに充分使える。この分だと、フォカッチャやケーキも上手く焼けそう。
やっぱりこのオーブントースターを買って、正解だった。


<確認したいこと>
発酵モードでの消費電力。
ケーキ、お餅の焼き具合。
フランスパンモードでの焼き具合。
お正月用の伊達巻の焼き具合。(今年の年末に作る予定)
【新譜情報】ポール・ルイス ~ シューベルト/ピアノ・ソナタ集(No.14,19,20,21)
ポール・ルイスの新譜は『シューベルト・ピアノソナタ集』。4/30日発売予定。
全て新録音だと思っていたら、一部は既存音源の再収録。

Piano Sonatas D 959 & 960
(201/4/30)
Paul Lewis

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2013年に再録音したのは、2001年に録音した第14番と第19番。
第20番と第21番は2002年の録音(HMC901800)をそのまま再収録。(HMC901800は廃盤らしい。今のところネットショップで販売されている)

第20番と第21番を録り直さなかったのは、ルイス自身がその演奏を現時点ではベストだと思っているのか、それとも、まだ録音し直せるほどには完成されていないからだろうか。もしかして、数年後に再録音するかも?

収録曲4曲とも既発CDを購入済み。第20番と第21番がそれと同じ演奏なのに、2枚組価格の新譜を買いたい気はあまりしないんだけど..。


旧盤の第14番&第19番は、廉価盤で入手可能。
Piano Sonatas Nos. 14 & 19Piano Sonatas Nos. 14 & 19
(2008/05/29)
Paul Lewis

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既発の第20番&第21番は、まだ廉価盤にはなっていないけれど、販売中。
Piano Sonatas D 959 & 960Piano Sonatas D 959 & 960
(2003/03/11)
Paul Lewis

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第20番ソナタ(D.959)第2楽章のライブ映像。ルイスの作品解説付き。
WGBH Music: Paul Lewis plays Schubert's Piano Sonata No. 20 in A Major, Andantino


tag : シューベルト ルイス

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スティーブン・ハフ作品集 『Broken Branches』
スティーブン・ハフのリリース予定の新譜に収録されている《ピアノ・ソナタ第2番「夜の光」》が気に入ったので、第1番のピアノ・ソナタも録音しているかも...と探してみると、BISからCDでリリースされていた。
このアルバムは、ハフが50歳になったことを祝って、2011年に録音されたハフ作曲作品の自選集。
ピアノを作曲者のハフ自身が弾いているのはもちろん、共演者がベルリン・フィル木管五重奏団のハーゼルとラインハート、チェロがイッサーリスと、豪華な顔ぶれ(らしい)。
前衛的な無調の曲とかは入っていないので、比較的聴きやすい曲ばかり。
ピアノソロに室内楽曲、歌曲、チェロ協奏曲とジャンルはいろいろ。
冒頭だけ試聴したときはそれほど楽しめる気がしなかったアルバムだったけれど、CDで全曲通して聴くと、予想外なことに、かなり好みに合っていた。
特に《ピアノ・ソナタ第1番》は期待以上に良くて、このアルバムでは一番好きな曲。
室内楽曲も楽器編成が変わっていて面白く、ピアノパートや(歌曲の)ピアノ伴奏も凝っていて、ハフのピアノを聴くのも楽しめる。

作曲家 スティーヴン・ハフ (Broken Branches compositions by Stephen Hough)作曲家 スティーヴン・ハフ (Broken Branches compositions by Stephen Hough)
(2011/12/05)
スティーヴン・ハフ

試聴する(BIS)
不思議なことに、BISの試聴サイトでは、全曲最初から最後までフリーで聴ける。ハフのCDだけそうなのかと思っていたら、他のCDもリリースから一定期間すぎると全曲聴けるものがある。

<収録曲>
ピッコロ、コントラファゴット、ピアノのための三重奏曲
ピッコロ・ソナチネ
ブリッジウォーター(Bridgewater)~ファゴットとピアノのための
秋の歌(Herbstlieder)(リルケ詩)~バリトンとピアノのための
ピアノ・ソナタ『折れた枝』(Broken Branches)
チェロと管弦楽のためのエレジー『最深の孤独の荒野』(The Loneliest Wilderness)

                       

ハフ自筆のライナーノートによると、初めて作曲したのが、(なんと)6歳のとき。
ピアノもその頃から弾き始め、20歳のときまで作曲は続けていた。
しかし、その頃に ‘owing to a combination of diminishing time and fading compositional self-confidence’(作曲に時間をとられるし、作曲に対する自信がなくなったために)、作曲をほぼ止めた。
ピアノ編曲は続けていたところ、1990年代後半、NYのリサイタルの後で作曲家のコリリアーノから、「自分自身の音楽を作曲するべきだよ。編曲と作曲の実際の違いというのは、他人の主題ではなく自分自身の主題を使うことくらいだ。」と言われてから、徐々に作曲を再開したという。
”The Loneliest Wilderness”(2005年)は、ハフにとっては過去20年の間で初めて書いた深刻な(シリアスな/serious)作品。その後、2つのミサ曲などを作曲。


ピッコロ、コントラファゴット、ピアノのための三重奏曲”Was Mit Den Tranen Geschieht”
ハフがたびたび共演しているベルリン・フィル木管五重奏団のMichael Hasel と Marion Reinhardのために書いた曲。
ピッコロとコントラファゴット(コントラバスーン)という珍しい組合わせ。決して同じピッチ上で会うことはない2つの楽器による異化(alienation)作用があるという。
高音域だけのピッコロと低音域だけのコントラファゴットが、決して溶け合うことなく掛け合っていくのが面白く、そこに媒介役みたいに(?)加わっているハフのピアノは、色彩感のある豊かな響きでとても華麗。第2楽章では、ピアノのアルペジオがきらきらと煌くように綺麗。
主題旋律はシェーンベルクの《浄められた夜》のモチーフに似ている。《浄められた夜》は好きな曲なので、既視感があるせいか馴染みやすい。


Bridgewater(Romantic Idyll)/ブリッジウォーター~ファゴットとピアノのためのロマンティックな牧歌
30歳代後半まで、”Bridgewater Canal”から数マイル足らずのところにハフは住んでいたので、よく狭い川辺を散歩していたという。
標題どおり、穏やかでのどかな川辺の風景を連想させるような美しい曲。ファゴットのくぐもった音色が黄昏れた雰囲気。

Stephen Hough: Bridgewater, Romantic Idyll for Bassoon and Piano (2008)
Thomas Crespo (bassoon) and Matthew Brower (piano)



Herbstlieder/秋の歌~バリトンとピアノのための
詩はリルケの「秋の歌(Herbstlieder)」より、1.Herbsttag/2.Klage/3.Tranenkruglein/4.Besturz Mich, Musik/5.Herbst。
少し調性感が曖昧なところはあっても、どれも聴きやすい曲。
ピアノ伴奏が凝っていて、それだけ聴いていても面白いのがハフらしいところ。
「3.Tranenkruglein」はファンタスティックで綺麗。「4.Besturz Mich, Musik」は、(マーラー歌曲みたいに)ドラマティック。


ピアノ・ソナタ第1番”Broken Branches”
都会の夜の光を表現したような《ピアノ・ソナタ第2番》よりも、ずっと静的で、冒頭から内省的なものを感じさせるソナタ。旋律も比較的メロディアスで、曲想や展開もわかりやすい。

ハフの作品解説では、相互に関係性のある未完結の16セクション(各数分)で構成。
Prelide(Autmen)- desolato - fragile - inquieto - piangendo - immenso - sentimento - malincolico - passionato - freddo - valando - ritimico - non credo - morendo - crux fidelis - Postlude(Spring)
緩急・静動の取り混ぜて変化していき、徐々に音楽が激しくなってクライマックス(non credo)へ盛り上がっていき、最後は全てが解決されたような終曲。
”non credo”は、ハフが作曲したミサ曲のCredoの素材に基づいたもの。

3つの意味がある”Broken Branches”:
1)"fragments of fragility"(壊れやすさの断片)。テーマに関連してはいるが、不完全で損なわている。
2)ヤナーチェクのピアノ曲"On an overgrown path(草かげの小径にて)"への遠まわしの(oblique)トリビュート。
※たしかに、時々、旋律&和声に左手のオスティナートや休止のとりかたとかが、ヤナーチェク風。
3)”spiritual dimension"に関連
※イエス・キリストの言葉や自作のミサ曲のことが書かれている。

冒頭は、”Prelide(Autmen)”で始まり、最後は”Postlude(Spring)。この最後の曲は、”Branches beginning life anew in a new spring"。
物哀しく肌寒い秋から、曇天で暗く底冷えのする冬を経て、雪が解け穏やかな太陽の日差しの暖かさを感じさせるように、ピアノの音色の温度感が変わっていく。

嬰ト短調の”Postlude(Spring)”では、冷たい孤独感と自問自答するような短調の陰鬱な旋律。
”Postlude(Spring)”では、冒頭の嬰ト短調による主題旋律が、ト長調で演奏され、明るさと温もりが広がっていく。
疑問や不安、孤独感が、雪が解けるようにす~と消えていき、安息感が広がっていくところはとても”spiritual”。
このエンディングは清らかで美しい。

ハフは、”a collectiona of album leaves”ではなく、むしろ”branches from a single tree”なのだと言っている。
たしかに、一本の木が、季節の移ろいに合わせて姿が変わっていくように、心のうちでさまざまな感情が生起し変容していく様を表現したような音楽。

Stephen Hough: Broken Branches



チェロと管弦楽のためのエレジー「最深の孤独の荒野」”The Loneliest Wilderness”
ハフが以前に作曲したHerbert Readの詩による歌曲に基づいたもので、親交のあるチェリストのイッサーリスのために書かれた作品。
”Broken Branches”と同じく、曲名どおり内面的なものを感じさせる曲。
この曲も最初は静かな主題旋律がチェロで何度も繰り返され、徐々に盛り上がっていく。
厚みのある和声の響きは、《浄められた夜》にちょっと似ているときがある。



tag : スティーヴン・ハフ イッサーリス

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高橋悠治 ~ モンポウ/沈黙の音楽
モンポウといえば、有名なピアノ作品は《内なる印象》や《歌と踊り》。
たしかラローチャのモンポウアルバムで聴いたことがあるけれど、それほど好きな曲集ではなかったので、CDはラックに眠ったまま。ハフの『モンポウアルバム』も試聴どまり。

例外的に好きな曲集は《Musica Callada》。
《ひそやかな音楽》と訳された曲名をよく見かけるけれど、高橋悠治のアルバムでは《沈黙の音楽》。
彼のディスコグラフィをチェックしていて、モンポウを録音しているのが意外だった。
よく考えると、サティのピアノ作品集(全3巻)を録音があるくらいだから、”スペインのサティ”と言われるモンポウを弾くのは、そんなに不思議でもない。

《Musica Callada》は、母や友人を亡くしたモンポウが、1959年~1967年にかけて書いたピアノ曲集。
曲名は詩人サン・ファン・デ・ラ・クルスの詩の“La Musica Callada, la Soledad Sonora(鳴り響く孤独、沈黙する音楽)”からの引用。全4巻に小品28曲を収録。

《Musica Callada》について、モンポウはこう語っている。
「・・・この音楽は静か(callada)で聴く人の内側にある。控えめで抑えた情感はひそやかで、冷たい社会の表面の下で共鳴する。この音楽がいのちの温もりと、同じでありながら変わりつづけるひとの心の表現をもたらすことを望んでいる。」

モンポウの曲の中では、複調や無調的な部分があるので最も前衛性が高いと言われるけれど、そういう部分であっても、比較的メロディアスで響き自体も美しく、とても聴きやすい曲集。
高橋悠治の録音を聴いていると、全編に静けさが漂い、音と音楽が沈潜していくような沈鬱さが流れている。
明るく楽しげな曲想であっても、音と音楽とが晴れやかに浮き立つことはなく、どこか静的で陰りがさしている。
リアリティが稀薄で夢遊的な浮遊感を感じるせいか、現実の世界とは異なる閉ざされた内面の世界のドラマを見ているような感覚。
暖かい春の季節ではなく、寒さが厳しい秋冬の静かな夜に聴きたくなる。


モンポウ:沈黙の音楽モンポウ:沈黙の音楽
(2008/05/21)
高橋悠治

試聴ファイル


冒頭の「第1巻: I. Angelico」は、人気のない庭で静かに水が流れているような静寂さ。
「第2巻」の幻想的なアルペジオの「XVI.Calme」や「X. Lento - cantabile」、「第4巻: XXV. Quarter Note = 100」、比較的前衛的な作風。
「第1巻:VI. Lento」、「第2巻」の「XII. Lento」「XIV. Severo - serieux」はサティ風。サティは有名な曲しかほとんど聴かないので、他にも似た曲はありそう。
意外なことに、とても好きなヤナーチェクを連想したのは「第1巻: III. Placide」、「第2巻」の「X. Lento - cantabile」、「XI. Allegretto」、「XIII.Tranquillo - tres calme」。


《ひそやかな音楽》の全集録音のなかで、おそらく一番有名なのは、現代音楽しか弾かない(らしい)はヘンクのECM盤。
ソノリティが柔らかく響きも多彩でカラフル。曲想の違いによってかなりテンポ・タッチ・ソノリティを変え、静動の変化が顕著で、情感豊か。
夢の中で戯れているようにファンタジックで、繊細な叙情感が強く、曲によっては、饒舌で生気が強く感じる。(私には、叙情的すぎる)
ヘンクの演奏なら”沈黙”ではなく「ひそやかな音楽」というイメージの方が似合っている。

Musica CalladaMusica Callada
(1995/05/15)
Herbert Henck

試聴ファイル




ヘンクとは逆に、高橋悠治は”ひそやかな”というよりも、まさしく「沈黙の音楽」。
全体的にヘンクよりも遅いテンポ設定で、色彩感はヘンクよりもモノクローム的。
音の輪郭とフレージングが明確で、骨格のしっかりした硬骨な骨太さがあり、静的でストイック。
幻想性や叙情性はヘンクよりも薄く、モノローグ的。


<ピティナの作品解説>
ひそやかな音楽 第1巻 / Musica Callada [1959年]
ひそやかな音楽 第2巻 / Musica Callada [1962年]
ひそやかな音楽 第3巻 / Musica Callada [1965年]
ひそやかな音楽 第4巻 / Musica Callada [1967年]


<参考情報>
高橋悠治のピアノ [森のことば、ことばの森]
特集 ピアノの時間その5 インタビュー 高橋悠治 [「考える人」2009年春号、新潮社]

たまたまブログ記事で見つけた高橋悠治のインタビュー記事。
ネットやCDのブックレットに載っている公式のプロフィールには書かれていないことがいろいろ載っている。
7歳にして作曲家になりたいと思い、「ピアニストになりたいと思ったことはなかった」という話からして面白。
「オクターヴのパッセージなんかは弾いたこともなかった」のに、アントルモンの代役で急遽お鉢が回ってきたバーンスタインの交響曲第2番「不安の時代」のソロピアノ演奏で、(少しは練習して?)オクターブを弾いたらしい。
たしかに、コンサートピアニストを目指していたとは思えない...。

tag : モンポウ 高橋悠治

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プロフィール

yoshimi

Author:yoshimi
<プロフィール>
クラシック音楽に本と絵・写真に囲まれて気ままに暮らす日々。

好きな作曲家:ベートーヴェン、ブラームス、バッハ、リスト。主に聴くのは、ピアノ独奏曲とピアノ協奏曲、ピアノの入った室内楽曲(ヴァイオリンソナタ、チェロソナタ、ピアノ三重奏曲など)。

好きなピアニスト:カッチェン、レーゼル、ハフ、コロリオフ、フィオレンティーノ、パーチェ、デュシャーブル、アラウ

好きなヴァイオリニスト:F.P.ツィンマーマン、スーク

好きなジャズピアニスト:バイラーク、若かりし頃の大西順子、メルドー(ソロのみ)、エヴァンス

好きな作家;太宰治、菊池寛、芥川龍之介、吉村昭、ハルバースタム、アーサー・ヘイリー
好きな画家;クリムト、オキーフ、池田遙邨、有元利夫
好きな写真家:アーウィット

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