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マリーノ・フォルメンティ 『Kurtag's Ghosts』 (2)
Kurtag's Ghosts (Dig)Kurtag's Ghosts (Dig)
(2009/06/09)
Marino Formenti

試聴ファイル

収録曲リスト(Naxos/NML)
ブックレット(英文/PDF)[naxosmusiclibrary.com]


パーセル:ラウンド O, Z. 684 (Z. 570による)
クルターク:Tears
クルターク:Les Adieux (in Janaceks Manier/Farewells in the Style of Janácek)
ヤナーチェク:草陰の小径にて 第2集 JW VIII/17 - 第12番 アレグレット
クルターク:Doina

《Tears》は、イギリスバロックの”Lachrymae”の伝統に言及しているのかもしれない。
(緑文字はブックレット解説の要約)

Kurtag's Ghosts part 1 - Marino Formenti
De Young Museum. San Francisco Performances. April 15, 2007
Henry Purcell, Gyorgy Kurtag, Leos Janacek


パーセルの《ラウンド》は曲名は覚えていなくても、ブリテンの「青少年のための管弦楽入門」の主題だとすぐにわかるくらいに、一度聴けば忘れないくらいに美しい旋律。
《ラウンド》と全く違った作曲語法の《Tears》では、最初聴いたときは、あまり関連性はないように思えた。
続いてヤナーチェク風の《Les Adieux》を聴くと、 《Tears》が心奥深くで独り沈黙して涙を流しているのような心象風景が浮かんでくる。
”Doina”とはルーマニア音楽の一様式で、そのルーツは中央の民謡。《Les Adieux》でも出てくるトレモロを聴くと、より現代音楽的な色合いを濃くしたヤナーチェクのよう。


シューベルト:36のオリジナル舞曲(最初のワルツ)D. 365 - ワルツ第22番 嬰ト短調
クルターク:Hommage a Schubert
クルターク:Keringo 2 (Waltz 2) (revised version)
ショパン:マズルカ第28番 ロ長調 Op. 41 No. 2

《Keringo 2 (Waltz 2)》では、リズミックでメトリックな構造(ワルツの名残り)が、部分的に認識できる状態で残っている。

シューベルトのワルツと、続く《Hommage a Schubert》とは、これも初めて聴いたときは関連性が全くわからなかったけれど、《Hommage a Schubert》と《Keringo 2》とは違和感なくつながる。
最後は、4分の3拍子の舞曲ショパンの《マズルカ》。


クルターク:Hommage a Petrovics
クルターク:Hommage a Zenon

《Hommage a Petrovics》は、地域的に重要な作曲家へのオマージュ。そのモメンタム(運動性)とアグレッション(攻撃性)は、Petrovicsのパーソナリティの要素かもしれないものの肖像とも言える。


シューマン:子供の情景 Op. 15 ~No. 11. Furchtenmachen (Frightening)
クルターク:… meg egyszer: Arnyjatek (… and once again: Shadow-play)
クルターク:12 New Microludes: No. 2. Agitato
シューマン:子供の情景 Op. 15 ~No. 3. Hasche-Mann (Catch-as-catch-can)
クルターク: (… es forog a korong) (… and round and round it goes)
クルターク:Szemtol-szembe (Face to Face)

私(フォルメンティ)にとって、《Játékok》は、子供のための大人の音楽、ではなくて、大人のための子供の音楽。
大人の目を通して見た子供の音楽ではなく、この作品で現われてくる感情的な状態は、まさに子供が経験するのと同じ激しさ。
シューマンの《子供の情景》のように、クルタークの曲集は全体的にbelittlementやcuteness(可愛らしさ)をリフレインしている。


クルタークの曲は、《子供の情景》と同じく、子供の様子を表現したようなタイトルと曲想の曲を選んでいるらしい。
子供特有のむき出しの感情が噴出したり、ぶつぶつと呟いていたり、動き回る様子が音になっているみたいに聴こえる。


シューマン:ダヴィット同盟舞曲集 Op. 6~No. 8. Frisch,No. 9. Lebhaft,
クルターク:Nyuszicsokony (Stubbunny)
シューマン:ダヴィット同盟舞曲集 Op. 6~No. 4. Ungeduldig

《Nyuszicsokony (Stubbunny)》は、”rabbit’s obstinacy”(うさぎの頑固さ)。楽しげでアイロニーな作品。この作品のドラマは本当のドラマ。

ほとんど聴いたことがない『ダヴィッド同盟舞曲集』。
「動」の曲ばかりだったせいか、苦手なシューマンにしては、意外なくらいにすんなりと面白く聴けた。これなら、全曲聴いてみたくなる。

Schumann - Claudio Arrau - Davidsbündlertänze op. 6



クルターク:In memoriam Edison Denisov
リゲティ :ムジカ・リチェルカータ - 第9番 アダージョ - メスト

《In memoriam Edison Denisov》以降のクルターク作品では、”死”が唯一の残されたテーマ。

このアルバムに収録されているクルタークが書いたオマージュのなかでも、《In memoriam Edison Denisov》はとりわけ重苦しく沈鬱。
続く、バルトークへのオマージュであるリゲティ《ムジカ・リチェルカータ》 第9番も、同じ曲想。(リゲティとクルタークは、生涯にわたる友人だそう)
《In memoriam Edison Denisov》以降の選曲は、ほとんど静寂で沈鬱な曲想のもの。

クルターク:Mihaly Andras emlekere (In memoriam Andras Mihaly)
クルタークと深い親交のあった作曲家へのオマージュ。
この曲は、このプロジェクトで中心的な作品であり、私(フォルメンティ)にとっては、クルターク音楽の最も魅惑的なriiddler(謎をかけるもの)の一つ。


《Mihaly Andras emlekere》の旋律とその不可思議な雰囲気は、ベートーヴェンの《ディアベリ変奏曲》の謎めいた「第
20変奏」をすぐに連想した。(ディアベリの方は、クルタークのような暗い重苦しさはなく、白っぽくもやもやした感じ)


リスト:悲しみのゴンドラ S200/ R81 (第1稿)

華やかなリストのイメージとは全く違う晩年の作品。やがて訪れる無調の時代を垣間見るような不安で不気味な調性感。

Liszt - Sergio Fiorentino (1962) Lugubre gondole version N°1 et N° 2


クルターク:Teoke Marianne-nak (For Marianne Teoke)
クルターク:Vass Lajos emlekere (In memoriam Lajos Vass)
リスト:リヒャルト・ワーグナーの墓に S202/R85

リストの後期作品を取り上げたきっかけは、リストのワーグナーへのオマージュと同じ、墓碑銘(gravestone inscription)のアイデア。
リゲティはバルトークの音楽的石碑であり、リストはバルトークに形式面で影響を与えているのがわかる。


初めて聴いた《リヒャルト・ワーグナーの墓に》。
冒頭は陰鬱なトーンで始まるけれど、やがて鐘が清らかになるような美しい旋律に代わる。生前のワーグナー自身のイメージではなく、タイトルどおり、ワーグナーが静かに眠っているお墓の姿が浮かんでくる。

Kurtag's Ghosts part 6 - Marino Formenti
Franz Liszt, Gyorgy Kurtag, Robert Schumann.



クルターク:Egy igaz ember emlekere - Szunyogh Istvan in memoriam
クルターク:Marina Tsvetayeva: It's Time
Marina Tsvetayevaは、クルタークに《Játékok》の作曲を思いつかせたピアノ教師。

シューマン:子供の情景 Op. 15 ~No. 13. Der Dichter spricht (The Poet Speaks)
《子供の情景》の終曲「詩人は語る」。別れを告げるような静けさと淋しげな雰囲気。

クルターク:… de mar elfelejtettem … - Hommage a Rozsnyai Maria
クルターク:Lendvai Erno in memoriam
クルターク:Jardanyi Pal emlekere (In memoriam Pal Jardanyi)

Lendvai Ernoは、ハンガリーの音楽学者。
このプロジェクト最後の曲は、クルタークがFarkas Ferenc以前に師事した教師へのオマージュ。耳で聴いてわかるほどに冒頭から”graveestone”(墓碑)風のタッチ。


《Jardanyi Pal emlekere》は、冒頭の高音の旋律が水滴のようにしっとりとして美しく、叙情的。
すぐにそれも消え去り、最後は低音の重苦しい響きでフェードアウト。


マリーノ・フォルメンティ 『Kurtag's Ghosts』 (1)

tag : クルターク フォルメンティ ヤナーチェク リゲティ シューベルト シューマン フランツ・リスト

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バッハ/トリオ・ソナタ第1番 BWV525
クルタークがピアノ連弾用に編曲したバッハの《トリオ・ソナタ第1番 BWV525》は、とても可愛らしい曲。
《トリオ・ソナタ第1番 BWV525》は、もともとはオルガンのための《6つのトリオ・ソナタ》のなかの1曲。

編曲版は、クルタークの4手連弾版以外に、チェンバロ(ハープシコード)またはピアノ&フルート、弦楽三重奏などいろいろ。
そのなかで、一番この曲の可愛らしさが伝わってくると思ったのは、チェンバロ&フルートバージョン。
スタッカートのように弦をはじく楽しげなハープシコードの金属的な音色が、流麗でやや木質感のあるフルートと対照的で、面白い効果。
2台のピアノ版を聴いたときはわからなかったけれど、チェンバロとフルートという異種の楽器の組み合わせで聴くと、バッハのヴァイオリンソナタに似たところがあるのに気が付いた。

ハープシコード&フルート版。
J. S. Bach, Sonata in G Major for Flute and Harpsichord; D. Waitzman, Flute; E. Brewer, Harpsichord




こちらは、デュオ・コロリオフ(コロリオフの相方は奥様のリュプカ・ハジ=ゲオルギエヴァ)が弾いているピアノ連弾バージョン。
BWV525 Trio Sonata No.1 in Eb 1 Allegro moderato Evgeni Koroliov 2010


tag : クルターク バッハ コロリオフ

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マリーノ・フォルメンティ 『Kurtag's Ghosts』 (1)
クルターク作品の録音を探していて、とても興味を引かれたのが、マリーノ・フォルメンティの『Kurtag's Ghosts』(Kairos盤)。
Youtubeにあるライブ音源では、このアルバムの抜粋版みたいなプログラムをリサイタルで弾いている。
このライブ映像を聴いて、これはCDで聴いてみたいと思ったくらいに、オリジナリティ溢れる選曲と演奏。

『Kurtag's Ghosts』は、”A musical expedition with pianist Marino Formenti, placing Kurtg in a dialogue with great composers of the past seven centuries. The pianist illumines every piece with his individual interpretation.”とCD紹介文にあるように、過去7世紀にわたるクラシック音楽史に残る作曲家とクルターグとの作品を対話させるかのような選曲と配置。
クラシック音楽通史を意図しているわけではなく、一般的な音楽史とは違う、クルタークという作曲家を通して聴く”私家版”音楽史”のような選曲のオムニバスアルバム。
クルタークの作品と、その曲のなかで追憶されている、または、影響を受けたと連想させる作曲家の作品とを組み合わせているので、その関連性を確認しながら聴き比べることができる。
それに、クルタークの曲も、フォルメンティ独自の視点で選曲・配置されているので、単独で聴いた時には断片的な音だったものが、特定の意味を帯びて有機的な音楽に聴こえてくる。
このアルバムが素晴らしいのは、フォルメンティの独創的なコンセプトと選曲、それに説得力のある演奏によるもの。

Kurtag's Ghosts (Dig)Kurtag's Ghosts (Dig)
(2009/06/09)
Kurtag、Formenti 他

試聴ファイル
レーベルは、オーストリアのKAIROS。現代音楽を主にリリースしているレーベルらしい。ジャケットも現代抽象絵画風でセンスが良い。
収録曲リスト(Naxos/NML)
ブックレット(英文/PDF)[naxosmusiclibrary.com]

ピアノを弾いている48歳のマリノ・フォルメンティは、初めて名前を聞いたピアニスト。
作曲家・指揮者でもあり、ヒューゴ・ゴルフ三重奏団も結成している。(ヴァイオリンは、ウィーンフィル元コンサートマスターのダニエル・ゲーゲ、チェロはウィーンフィル首席奏者のラファエル・フリーダー)
プロフィール

CDに収録されているクルターク作品は、《Játékok》(Games/遊び)の第3巻、第6巻、第7巻より抜粋。
クルタークの《Játékok》は、全8巻。
全曲のタイトルと試聴ファイル(一部あり)が掲載されているのは、「ブダペスト音楽センター」の作曲家データベース
データベースのタイトルリストを見ると
-曲数は、第1巻76曲、第2巻43曲、第3巻42曲、第4巻14曲、第5巻42曲、第6巻43曲v、第7巻34曲、第8巻16曲。
-Játékok (Games) Vol. 1-4 - pedagogical performance pieces - pedagogical collaborator: Marianne Teoke(作曲年:1975-1979)
-Játékok (Games) Vol. 5-8 - diary entries and personal messages(作曲年:1975-2005)
演奏楽器は、ピアノソロ、4手連弾、2台のピアノ、ピアノ&パーカッション、オルガン、など。


クルターク作品以外で取り上げられているのは、バロック~現代まで17人の作曲家で、それぞれ一曲~数曲を選曲。
曲を聴けば誰の作品かは、大体はすぐわかる。わからなかったのは、まともには聴いたことがないギヨーム・ド・マショー、シュトックハウゼンとブーレーズ、それにハイドンのピアノ編曲版。
クルタークの曲自体は、現代音楽的ではあるけれど、数秒~数分と短く、そのわりに曲想・リズム・和声など構造がかなり違った作品も多い。

曲の配列は、クルターク作品と関連性のある作曲家の作品が、(大体は)一群にまとめられている。
各グループとグループ内の曲順の両方とも、時系列に並んでいるとは限らない。
”Hommage”という曲名から作曲家との関連性が明らかな曲と、テーマ(ラクリメ、舞曲など)で関係づけている曲がある。
フォルメンティのよく練り上げたユニークな選曲と配置のおかげ、音楽としてどういう関連性があるのだろう?と考えてしまうので、クルタークだけでなく、他の作曲家の曲まで、集中して聴くようになる。

英文ブックレットには、フォルメンティとPeter Oswaldの対話方式で、クルターグ音楽の特徴、アルバムのコンセプトと選曲理由など、7頁にわたって解説されている。(各作品の解説はあまり詳しくない) (緑色の文字部分は解説を要約してみたもの)


クルターク音楽の特徴は、ほとんど強迫的(obsessive)に近いほど、音楽的伝統とのつながりがある。全般的な音楽史のもつ多様な創造的力(force)と主題(?)(burden)に影響されている。
クルタークのゴーストは我々自身のゴーストでもある。ゴーストというのは、我々と深い関連性のある過去の偉大な作曲家という意味もある。

扱っている形式は多様。アイデア、オブセッション、音楽に関わる人物など。
多数のアイデア、人物を組み込んだクルタークの音楽は、まるで”記憶(Memories)”のように見えるし、記憶の喪失の音楽でもある。

クルタークを弾くことは、現在と共に前身・先行者(ancestor)を把握するプロセスであり、一音一音とのバトル。
彼の作品のなかの音は、それぞれが非常に複雑で多様で、しばしば矛盾し両立しえない。音楽に対する絶えない探求、決して結論されることのない首尾一貫した真実の探求。

”Hommage”というタイトルで明示されているときもあれば、なかば意識的・無意識的に隠されている場合もある。
クルターグの驚くべき点は、実際に引用を全くしていないということ。(非常に少数の例外を除いて。そして、それさえもポストモダンな手法で行われていない。)
ここで登場する作曲家との関係は、しばしば、かなり文字通りに、バイオグラフィカル(伝記的)な性質のもの。

クルタークがウェーベルンと違う点は、素材の信じられないような”heterogeneity”(異種混交)。
クルタークの場合は、非常に小さなスペースのなかでさえ、多くの予期し得ないことが起こる。

《Játékok》は、パースペクティブの創造。《Játékok》のような柔軟性(plasticity)のある作品、繊細なペダルワークを要求する作品を書ける作曲家はほとんどいない。
クルターク作品は、極めて繊細、多様、空間的、ヘテロジェニアス、非分析的。
そのペダルワークは、非常に極端に繊細。ハーフ・ペダル、クウォーターペダル、それ以上に微かなペダル。
かれの記譜法は極めて精密である一方、100%書き記されているものではない。
その点で、過去と深くつながっているもう一つ別のもの。つまり、パズル。解法はないか、少なくとも、決定的だと考えうるものはない。

クルタークの作品(たぶん全て)の多くが、死と関係している。
彼の作品とこのプロジェクトでは、「沈黙」がまさに中心的なテーマ。
彼が音楽を作曲しているのは、その背後にある「沈黙」に気づくようにする目的ではないか。

私(フォルメンティ)は、終わりがまさに始まりだとみなしているので、このプログラムでは、冒頭に戻ってシンプルに始めることができる。”round and round it goes”(ぐるぐると循環していく)。



                   

ギヨーム・ド・マショー:Loyaute que point ne delay(おくれることのない誠実さ)(ピアノ編)
クルターク:Hommage a Farkas Ferenc 2 (Scraps of a colinda melody - faintly recollected)
ギヨーム・ド・マショー:Tres douce dame que j’aour (ピアノ編)
クルターク:Hommage a Farkas Ferenc 4 (Adoration, adoration, accursed desolation…)
クルタークは、実際に、彼の双肩に音楽史の全体を背負っている。
まさにその膨大な時間的隔たりと、その結果生まれる解釈上の不確定性によって、ギヨーム・ド・マショーをプログラム冒頭で弾くと言うのは、私(フォルメンティ)には非常に重要な意味がある。

《Hommage a Farkas Ferenc 2》では、旋律がなかなか消えずに持続する(linger)。
記憶がハーモニーになるように(memory- become-harmony)、ペダルで持続する。


静けさと沈黙のなかから浮かび上がる旋律は、密やかでとても美しい。
マショーとクルタークを続けて聴いても、7世紀の時を隔たりを全く感じないのが不思議。
この曲に限らず、クルタークの作品は一つ一つの音も和声も、その響きがとても美しい。
音がランダムに並んでいるような断片的な旋律であっても、不思議とメロディアスで叙情的で、沈黙でさえ深い意味を持っているかのように聴こえてくる。

Kurtag's Ghosts part 1 - Marino Formenti
ギヨーム・ド・マショー、クルターク、シュトックハウゼン



クルターク:12 New Microludes: No. 12. Hommage a Stockhausen
シュトックハウゼン:ピアノ小品 II Work No. 2
シュトックハウゼンは、ベートーヴェンの最後のバガテルとウェーベルン作品の論理的結果。一つの単音にまで縮減されたなかで、深耕させた蒸留.プロセス。”group composition”。
この手法は、ムソルグスキーのカタコンベでも見出せる。


シュトックハウゼンは、何度聴いてもよくわからない。偶然の音楽とでもいえばよいのか? 予測不可能。
でも、”Hommage a Stockhausen”の方は、なんとなくメロディアス。こっちは面白い。


メシアン:4つのリズムのエチュード - 第1番 火の島 I
クルターク:humble regard sur Olivier Messiaen …
クルターク:Hommage a Pierre Boulez
ブーレーズ:12のノタシオン(抜粋)~No. 10. Mecanique et tres sec,No. 12. Lent - Puissant et apre
メシアン、ブーレーズ、クルタークの作品は、抽象主義と表現主義の特性の間に存在する緊張を反映しているように受け取ることができる。

深い沈黙に沈んでいるようなメシアンへのオマージュ。
ブーレーズへのオマージュは、跳躍し叩きつけるようなブーレーズ風の和音の旋律を挟みながらも、重苦しい沈黙が垂れ込めている。ブーレーズの《12のノタシオン》の2曲を聴いているよりも美しく、印象的。


ムソルグスキー:組曲「展覧会の絵」 ~第8楽章 カタコンブ
クルターク:Hommage a Muszorgszkij (Hommage a Mussorgsky)
ここの音はそれ自身のために存在し、グループとなり、一つの全体とになる。
それぞれの音は異なり、独自の特徴を持っている。長さ、色、ダイナミクスなど。各音は幾分”autonomous”(独立的)だけれど、作品のコンテキストのなかで、一つのストーリーを形成している。


ムソルグスキーといえば、「展覧会の絵」。荘重で色彩感豊かな絵画の音楽のイメージ。
でも、ムソルグスキーへのオマージュは、モノクロームで墓場のように暗澹とした「カタコンブ」に繋がっている。

ムソルグスキー:子供の頃の思い出~ 第2番 初めてのお仕置き
クルターク:12 New Microludes: No. 11. Hommage a J. S. B.
クルターク:Hommage a Domenico Scarlatti
クルターク:Hommage a Farkas Ferenc 3 (evocation of Petrushka)
スカルラッティ:ソナタ ホ短調 K.394/L.275/P.349
クルターク:Hempergos (Tumble-bunny)
クルターク:Otujjas veszekedos (5-Finger Quarrel)
J.S.バッハ:平均律クラヴィーア曲集第2巻 - 前奏曲第6番 ニ短調 BWV 875
”falling motion”では、4音からなるcellが、最初に登場するのは、ムソルグスキーの《子供の頃の思い出》。続く数曲でこれが繰り返し現われる。
このセルは、最も多様な形式なので、いろいろなゴーストを連想させる。《Hommage a J. S. B.》にも現われる。行きつ戻りつという往復運動により、ある種のユニークな不安定性を生んでいる。作曲された”めまい”のような感覚。


ムソルグスキーの「初めてのお仕置き」は焦燥感と不安に満ちた曲で、少し”めまい”的な不安定感があるかも。
バッハ、スカルラッティ、Farkas Ferencへのオマージュ。続けて聴くと、短く断片的な旋律が、一つの流れのように聴こえる。
その次にスカルラッティのソナタを聴いても、なぜかほとんど違和感を感じない。
バッハの《平均律第2巻》の「前奏曲第6番」は、ムソルグスキーの「初めてのお仕置き」に戻ったかのような錯覚。
この選曲と配置には、不思議な連続性と、始点と終点が繋がるような循環性があって、意外だけれど面白く、妙に納得感がある。

Modest Mussorgsky - First punishment (Souvenir d'enfance No.2) - MARGARET FINGERHUT


J.S. Bach: Prelude and Fugue, BWV 875




クルターク:Versetto: Temptavit Deus Abraham… (apocryphal organum)
クルターク:Versetto: Consurrexit Cain adversus fratrem suum…
ハイドン:十字架上のキリストの最後の七つの言葉 - 地震(ピアノ版)
クルターク:Vizozon-szirenak (Sirens of the Deluge - Waiting for Noah)
スカルラッティ:ソナタ ロ短調 K.197/L.147/P.124

このCDで初めて聞いたハイドンの《十字架上のキリストの最後の七つの言葉》の鍵盤楽器版は、出版社が編曲したものをハイドンが改訂・監修。
調べてみると、録音は多くはなく、アレクセイ・リュビモフのタンジェント・ピアノ版ブラウティハムのフォルテ・ピアノ版など。

F.J.Haydn - The 7 last words of our Saviour on the cross (1786) - 9 - Mattia Peli, Piano


《Versetto: Consurrexit Cain adversus fratrem suum...》は、まるでハイドンの「地震」への序奏みたい。
続いて、《Vizozon-szirenak》の大洪水のサイレン。
最後のスカルラッティのソナタは、チェンバロ的なノンレガートではなく、柔らかいタッチのピアノがとても叙情的で美しいけれど、天変地異が去った後の廃墟に佇ずんでいるかのように、静寂で悲しそう。


Kurtag's Ghosts part 5 - Marino Formenti
スカルラッティ、クルターク、シューベルト



クルターク:Kosza gondolatok az Alberti-basszusrol (Fugitive thoughts about the Alberti bass)
”fugitive thought”とは、”変わりやすい、一貫性のない、つかの間の、とりとめのない考え”といった意味。
「アルベルティ・バス」とは、イタリアの後期バロック音楽の作曲家のドメニコ・アルベルティが愛用した伴奏の一種。低声部に分散和音ないしはアルペッジョを用いる。最も有名な用例は、モーツァルトの《ピアノ・ソナタ ハ長調》K.545の第1楽章の冒頭。(Wilipediaより)

クルターク:All'ongherese - Hommage a Gosta Neuwirth 60
ほとんど実質的にハンガリー音楽の特徴は見出せないし、それらの要素の冗談めかした(tongue-in-cheek)引用はないのに、ハンガリー風に聴こえてくる。

確かに、バルトークのハンガリー民謡に似たような断片的な旋律が、ときどきエコーしている。


シューベルト:ハンガリーのメロディ D. 817
リゲティ:ムジカ・リチェルカータ - 第8番 ヴィヴァーチェ - エネルジーコ
バルトーク:ハンガリー農民の歌による即興曲 Op. 20/BB No. 2. Molto capriccioso
クルターク:Orosz tanc (Russian Dance)
バルトーク:ハンガリー農民の歌による即興曲 Op. 20/BB No. 5. Allegro molto
ベートーヴェン:11のバガテル Op. 119 - 第10番 イ長調
バルトーク:ルーマニア民族舞曲 BB 68/Sz. 56 - 第6番 アプローソ(速い踊り)
クルターク:Do-Mi D'arab

このプロジェクトがなければ、ベートーヴェンの《11のバガテル Op. 119》の 第10番が、実質的にハンガリー音楽であると言うアイデアは思い浮かばなかっただろう。

リゲティの《ムジカ・リチェルカータ第8番》は、もともと舞曲風なので当然としても、ベートーヴェンのバガテルも、この曲順で聴くと(ハンガリー風?)舞曲の一群としては、それほど違和感なく。

György Ligeti - Musica Ricercata [8/11]



マリーノ・フォルメンティ 『Kurtag's Ghosts』 (2)

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新垣 隆 /シャコンヌ、ヴァイオリンのためのソナチネ
著作権問題はどう決着したのか知らないけれど、新垣隆氏が作曲した《シャコンヌ》が、昔から新垣氏がピアノ伴奏しているヴァイオリニストの奥村智洋氏のライブ映像で聴ける。

新垣 隆 : シャコンヌ - Takashi Niigaki : CHACONNE




《シャコンヌ》よりもはるかに好きな《ヴァイオリンのためのソナチネ》はフルバージョンの原曲版音源。(スケート用バージョンはかなり編集・短縮していた)
原曲版は、毅然として力強く、時に穏やかで優しく、表情がいろいろと変化していく。ロマンティックで格調高く、やはり何度聴いても素敵な曲。

ヴァイオリンのためのソナチネ
ヴァイオリン:大谷康子、ピアノ:藤井一興




[2015.1.6 追記]
佐村河内氏との著作権契約を解除[NHK/NEWSWEB,2015年1月6日]
JASRAC=日本音楽著作権協会が管理しないことになったので、佐村河内氏名義で発表されている作品を演奏するには、佐村河内氏本人と直接交渉しないといけないという。
曲自体がいくら素晴らしくても、いかにも胡散臭いウロンな人物と交渉してまで、演奏したいと思う人は少ないのでは?
それに、著作権使用料は佐村河内氏が自由に決められるので、かなりふっかけられそうな気がする。
残念なことに、私の好きな「ヴァイオリンのためのソナチネ」も「ドレンテ」も「ピアノ・ソナタ第1番」も、これから演奏される機会はほんとに少なくなってしまいそう。

tag : 新垣隆

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【新刊情報】焦元溥 『ピアニストが語る!現代の世界的ピアニストたちとの対話』
『ピアニストが語る!現代の世界的ピアニストたちとの対話』は、今月出版されたピアニストとの対話集。
著者は、台湾の音楽ジャーナリスト焦元溥(チャオ ユアンプ)氏、訳者は『望郷のマズルカ―激動の中国現代史を生きたピアニストフー・ツォン』などの著書もある森岡葉さん。
森岡さんのホームページ<May Each Day>

原書の『遊藝黒白――世界鋼琴家訪談録』は、2007年に台湾・聯経出版社発行の中国語書籍。約53万字で、上下二冊の大著。
翻訳書の方は、432頁とかなりのボリューム(平均するとピアノスト一人あたりでは30頁弱くらいの計算になる)があるけれど、原著からの抜粋版。原著では、キーシン、ツィメルマン、ハフなどの対談も載っている。

本書自体はまだ読んでいないけれど、以前にブログ記事で紹介された翻訳文を読んだ限りでは、とても充実した内容のインタビューだった。
書籍紹介(アルファベータ)に概要と著者の「日本版へのメッセージ」が載っている。

ピアニストが語る!  現代の世界的ピアニストたちとの対話ピアニストが語る! 現代の世界的ピアニストたちとの対話
(2014/06/05)
焦 元溥

商品詳細を見る


<登場する14人のピアニスト>
イーヴォ・ポゴレリチ
グウィニス・チェン
エリソ・ヴィルサラーゼ
ドミトリー・バシキーロフ
ナウム・シュタルクマン
オクサナ・ヤブロンスカヤ
ウラディーミル・クライネフ
エリザベート・レオンスカヤ
ミハイル・ルディ
ニコライ・ルガンスキー
ゲルハルト・オピッツ
ラルス・フォークト
レイフ・オヴェ・アンスネス
ピーター・ドノホー

<レビュー>
「ピアニストが語る!」に寄せられた感想」[May Each Day]


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エッシェンバッハ ~ シューマン/子供の情景
エッシェンバッハのピアノ作品の録音で有名なのは、ショパン《前奏曲集》と《練習曲集》、それにシューベルト《ピアノ・ソナタ第21番》。
『エッシェンバッハ名演奏集/Early Recordings』に収録されているシューマンの《子供の情景》も、それに同じくらいに陰翳と孤独感に彩られている。
好きではないシューマンとはいえ、「トロイメライ」は子供の頃によく練習したし、《子供の情景》ならそれほど感情の浮き沈みが激しくないので、普通に聴ける。
でも、エッシェンバッハの《子供の情景》は、やっぱり「普通」ではなかった。
ファンタジー溢れるはずの《子供の情景》が、なぜか暗く淋しい音楽になっているのは、作品解釈の結果というよりも、まるで子供だった自分の心象風景を映し出しているかのように思えてくる。
極端にスローなテンポで陰鬱とした演奏をするピアニストとは違って、エッシェンバッハは普通のテンポで淡々と弾いている(感じがする)ので、作為性を感じることはない。
どの曲を聴いても、淋しさと辛さのなかで一人静かに堪えているような子供の姿が浮かんでくる。
長調の曲でさえ、快活さや明るさはなく、静かで穏やかで、諦観のようなものさえ漂っている。

第1曲は、全然「知らない国ぐに」にやって来た子供の少しおびえたような気持ちのような。
「第4曲:おねだり」も「第5曲:満足」も楽しげな感じは全くしない。決して手に入らないとわかっているかのような諦めか、失われた幸福に対する愛惜かのよう。
「第7曲:トロイメライ」の原題は”Dreaming”。夢のなかにいるのは、たった独りの淋しげな子供。
第8曲は、火の燃える暖かな「炉端で」過ごしているのに、なぜか心は寒いまま。
「第10曲:むきになって」の原題は” Almost Too Serious”。「第11曲:おどかし」の原題は”Frightening”。どちらも辛く厳しい目にあった子供が騒ぎ立てもせずに、心の内でじっと耐えているような痛々しさ。

《子供の情景》が収録されているのは、「ます」とカップリングしたDG盤と、Bliliant盤の『エッシェンバッハ名演奏集/Early Recordings』。

シューベルト:ピアノ五重奏曲「ます」/シューマン:「子供の情景」、他シューベルト:ピアノ五重奏曲「ます」/シューマン:「子供の情景」、他
(2012/05/09)
エッシェンバッハ(クリストフ)

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エッシェンバッハ 名演奏集 6枚組エッシェンバッハ 名演奏集 6枚組
(2011/11/15)

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tag : シューマン エッシェンバッハ

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クリストフ・エッシェンバッハ ~ ベートーヴェン/ピアノ・ソナタとバガテル
今は演奏活動の中心が指揮者となっているクリストフ・エッシェンバッハは、もともとはピアニスト。
若い頃に、ショパン・ベートーヴェン・モーツァルトなどのピアノ作品や、バイエル・ツェルニーといった教則本に載っている練習曲を多数録音している。
その中でも、とりわけ異彩を放つと言われているのが、ショパンの《練習曲集》《前奏曲集》とシューベルトの《ピアノ・ソナタ第21番D960》と言われている。そういえば、ショパンの《前奏曲集》を「黒い詩集」と吉田秀和氏が評していた。
彼の録音のほとんどが長らく廃盤になっていたけれど、ここ数年、再発売が相次いでいる。(国内盤のショパンの前奏曲集はすでに在庫切れ状態)。

私が最初に聴いたのがエッシェンバッハのCDは、ベートーヴェンの『後期ピアノ・ソナタ&バガテル集』。ピアノ・ソナタ第29番~第32番と最後のバガテル集 《6つのバガテル Op.126》を収録。
5年前くらいに買ったとき以来、全然聴いていなかったけれど、今聴くと全く印象が違う...というよりも、(昔書いた記事を読み直して)以前は全然まともに聴けていなかった。

クールで繊細な響きと沈み込むような緩徐楽章の叙情感のなかに、閉じられた世界のような他人を寄せ付けない孤独感と寂寥感が漂う、きわめて特異なベートーヴェン。
手放しに”好き”とは言えないのだけれど、なぜか心に強く響くものがあって、この後期ソナタの数ある録音の中でも、忘れることができないものの一つ。

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第29番~第32番ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第29番~第32番
(2012/08/22)
エッシェンバッハ(クリストフ)

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エッシェンバッハのプロフィールを調べてみると、子供の頃から大変苦労した人なので、それがメンタリティに影響しているだろうし、演奏解釈や演奏そのものにも現れている部分があるのでは...と思ってしまう。
演奏家の個人的な経験と結び付けて演奏を聴くということは、したくないのだけれど(”物語”を聴いてはいけないので)、そう思わせる特異なものを彼の演奏から感じずにはいられない。
超スローテンポで陰々滅々とした演奏をするピアニストがいるけれど、そのかなり変わった演奏解釈は意図的なものだと思えてしまうので、それを演奏者の内面世界やプロフィールと結びつけようと思ったことはない。
エッシェンバッハの場合は、演奏解釈というものを超えて、意図していないのに内面から必然的に顕れてきてしまう何かを直観的に感じさせるものがある。

Beethoven Piano sonata Nº 31 - I mvt. Christoph Eschenbach, piano


Beethoven Piano sonata nº 31 III mvt. Christoph Eschenbach, piano


エッシェンバッハのベートーヴェン演奏の特異性は、後期ピアノ・ソナタだけでなく、「月光」、「葬送」、「悲愴」にも現われている。
彼の演奏は、技巧的に精密で切れ味よく安定感があり、音の繊細な美しさがとても印象的。
クールで陰翳のある音色と、脆く壊れそうな沈み込む弱音。弱音の余韻にまで微妙なニュアンスが漂っている。
声部の音色・ソノリティを弾き分けが鮮やかで、和声の響きが長く重なりあっても、旋律線がくっきりと明瞭に浮かびあがり、音のコントロールが素晴らしい。
緩急・静動の変化が極端なくらい対照的。急速部分やフォルテでは、テンポも速く、技巧の切れもよく、時に感情が噴出するような激しきも。
緩徐楽章や弱音部になると、柔らかく抑制されたタッチで静寂さのなかに、寂寥感と孤独感が強く漂い、肌で感じとれるくらいのリアリティがある。

第31番と第32番に比べて、第30番はそれほど特異さを感じる演奏ではないと思うけれど、弱音部や緩徐部で、テンポと音量がかなり落ちて、消え入るかのような静けさと繊細さには、孤独感めいた何かが潜んでいる気がする。
まるで夢見るような、それとも、過去の幸福な思い出を回顧するかのような、第3楽章の主題や緩徐変奏には、失われてしまって取り戻すことができない喪失感や寂寥感をを感じてしまう。

とりわけ孤独感を強く感じるのが第31番。
演奏解釈というよりは、演奏者の内面世界を投影している気がして、肌寒さを覚えるくらい。
外部からは立ち入ることができない閉ざされた世界を垣間見ているような感覚。
特に最初のアリオーソは、大仰な表現ではないのだけれど、悲嘆というよりは、心の奥深く傷を負ったように痛々しい。
フーガはペダルを使った和声の響きが包み込むように柔らかく、アリオーソの深い傷を癒すような。
けれども、2度目のアリオーソは、か細い弱音と、本当に息絶えてしまうかのように揺れ動くテンポで、さらに痛々しさを増し、演奏解釈という枠を超えて、リアルな感情が伝わってくるように錯覚してしまう。
2回目のフーガは弱音が本当に美しい。こんな綺麗な響きで弾ける人はほとんどいないと思えるくらい。
最後のコーダに向かってテンポも音量も上がって力強くなり、コーダに入ると若干躊躇するように少し遅くなるけれど、再び加速して、一気にエンディング。
歓喜や高揚感に満ちたような輝きや明るさは満ちた明るさというのではなく、なんだか”顔で笑って心で泣いて”いるように聴こえてくる。

第32番の第2楽章は、かなり遅いテンポで思索的なヴェデルニコフの演奏と似ているところがある。
違うところは、ヴェデルニコフはあくまで瞑想的でときに諦観も感じるのだけれど、エッシェンバッハは強い孤独感が漂っている。
それに、ヴェデルニコフは19分台、エッシェンバッハは22分台と、エッシェンバッハはかなり遅い。
第5変奏になっても、エッシェンバッハは、時に止まりそうになるほどに、相変わらずゆったりとしたテンポ。
ためらいがちに弾いているかのようなフォルテに高揚感は全くなく、天国的に美しいはずのコーダに入っても、安息感も解放感も感じられない。
この演奏が映し出している世界は一体どんなものなのだろう...と不思議に思うけれど、たぶん本当に理解することはできないような気がする。

最後のバガテル集を聴いても、ピアノ・ソナタと印象は同じ。
安らぎに満ちたはずの第1番は、物静かで淋しい。
第2番や第4番はテンポも速く切れ味鋭いタッチで、寂寥感はないけれど、冷たく光るナイフのように近寄りがたいものを感じる。
一番好きな優美で明るいはずの第5番も、沈み込んで消えていくような余韻の弱音が淋しい。聴いているとなんだか悲しくなってしまう。

『悲愴』『葬送』『月光』の3つのピアノ・ソナタを聴いても、やはりエッシェンバッハらしい演奏。
特に、第12番『葬送』の第3楽章「葬送行進曲」は、ゆったりとしたテンポと抑制のきいたタッチで、静寂さのなかに深い喪失感が漂い、まさに弔いの音楽そのもの。
『月光』の第1楽章も、幻想的というよりは、今にも亡霊が現われてきそうな不気味さ。寂寥で寒々とした心象風景を感じさせる。

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第8番「悲愴」、第12番「葬送」、第14番「月光」ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第8番「悲愴」、第12番「葬送」、第14番「月光」
(2012/05/09)
エッシェンバッハ(クリストフ)

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エッシェンバッハの演奏自体は、技巧優れて、音色やソノリティも美しく、知的によくコントロースされている。
陰翳の濃い弱音と表現に、(他のピアニストなら感じるに違いない)感傷性や情緒性を感じないのは、たぶんあまりにリアルすぎて作為性が感じられず、必然的に湧き出ているかのように聴こえるから。
エッシェンバッハのベートーヴェンが表現しているものは、ベートーヴェン自身が曲に込めたものや心象風景とは全く違うと思わずにはいられないので、単純に「好き」と言い切れない。それでも、強く惹かれてしまう異様な何かがある。
理性と感情のバランスが取れたベートーヴェンでさえこれだけ特異なのだから、名高いショパンとシューベルトになるとどんなピアノを弾いているのだろう?

tag : ベートーヴェン エッシェンバッハ

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レーゼル ~ ベートーヴェン/3大ソナタ集 「月光」「悲愴」「熱情」
レーゼルが録音したベートーヴェンのピアノ・ソナタ集は2種類。
数年前に完結した初の全集録音は、2007年~2010年にかけて日本で行ったリサイタルのライブ録音&セッション録音による全集。(キングレコードの国内盤・全8巻)
このうち、ベスト盤には「月光」「悲愴」「熱情」に加えて第30番を収録。

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ・ベストベートーヴェン:ピアノ・ソナタ・ベスト
(2013/03/13)
レーゼル(ペーター)

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抜粋録音としては、旧東ドイツ時代の1974年~1982年にかけて、国営レーベル「ドイツ・シャルプラッテン」に録音した7曲。
1974年~84年に録音した「テンペスト」「狩」「テレーゼ」「ハンマークラヴィーア」は、Berlin Classicsの2枚組の分売盤と、レーゼルの独奏曲BOXにそれぞれ収録されている。

1980年と1982年にドレスデンのルカ教会で録音した「月光」「悲愴」「熱情」は、キングレコードが”ハイパー・リマスタリング・シャルプラッテン・ベスト”としてリマスタリングし直して、2008年に再リリース。
「ドイツ・シャルプラッテン・レーベル」は、1953年、旧東ドイツ(ドイツ民主共和国)に設立された旧東ドイツ唯一のレコード公団。
最盛期には1000人以上の従業員、西側の音楽家達からも羨ましがられる優秀な制作・録音チームを抱え、東ドイツで外貨を稼ぐトップクラスの公団として「カール・マルクス勲章」を授与されたという。
1990年、東西ドイツの統合による東ドイツの消滅とともに公団も消滅。
大量の音源は、EMI、ドイツグラモフォン、フィリップスおよび徳間ジャパンに流れ、残りはフランクフルトに本社があるエーデルに引き取られた。
1972年以来、徳間ジャパンとシャルプラッテンは提携関係にあった。(以上、キングレコードの解説による)
現在、キングレコードが、シャルプラッテン音源の国内復刻シリーズをがリリース中。

ベートーヴェン:三大ピアノ・ソナタ「月光」「悲愴」「熱情」ベートーヴェン:三大ピアノ・ソナタ「月光」「悲愴」「熱情」
(2008/01/09)
レーゼル(ペーター)

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旧東ドイツの国営レコード会社であるドイツ・シャルプラッテンのオリジナル・マスター・テープを元にリマスタリング。「熱情ソナタ」では低音の重みがよく伝わってくる。

                      

東ドイツ時代の旧盤を試聴ファイルで聴いたとき、「月光」と「テンペスト」の第3楽章が素晴らしく、これは私の好みにぴったり合うベートーヴェンだと直観。
CDで聴いても、やはり直観は正しかった。それから数十年を経て完結した新盤全集は、それ以上に素晴らしく、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集としてはマイベスト盤。

東ドイツ時代の30代半ばという若いレーゼルの演奏と、60代前半のレーゼルの演奏とを聴き比べてみると、レーゼルのベートーヴェンは基本的な方向性は変わることなく、より深化しているのがよくわかる。
若い頃よりは多少指回りは悪くなっているとしても、テンポはほとんど落ちず、メカニック自体は安定感があり、旧録で時に感じることのあるメカニカルな速さは全く感じない。
より重みのある安定感が増して、ソノリティも美しく多彩になり、澄んだ透明感に加えて、柔らかさや温かさも帯びている。
さらに表現にも深みと奥行きが加わり、外面的な派手さやわかりやすさはなくても、流れが自然で情感豊か。

レーゼルの演奏は、”個性的な魅力があるっていうんじゃないけれど、非常にくっきりとした、あるべきところにちゃんと音のあるピアニスト”と、旧盤の日本人プロデューサーがライナーノートに書いていたけれど、旧盤以上に新盤はまさにその表現通り。

全体的に、新盤の演奏の方が、急速楽章でも打鍵が深く、弾力のある芯のしっかりした音に聴こえる。(録音音質とかが関係しているかもしれないけれど)
特にテンポのコントロールがしっかりしているので、基本的にはインテンポで弾くことが多く、多少テンポを揺らすときも旋律の流れが淀むことなく、流れが滑らかで自然。
旧盤では、テンポを落とすときに、止まりかかったように流れが少し悪くなるように感じるときがたまにある。

新盤も旧盤も、今も昔も粒立ちの良い音で、一音一音がクリアに聴こえるのは昔も今も変わらない。
旧盤では、どんなに速いテンポの細かいパッセージでも、シャープなタッチで音が立っているというか、クリスタルガラスのように一音一音がクリア。
色はやや硬質で、清流のように冷んやりとした温度感があるせいか、蒼色のようなイメージ。
速いテンポで力強くシャープなタッチでメカニックが精巧。まっすぐに伸びた木のように枝葉の細部に凝らず、一直線に弾きこんでいくところがかなりストイックで、クールな叙情感が漂う。
どちらかといういえば、旧盤では、柔よりも剛の方がやや強い感じはする。

レーゼルが弾いているベートーヴェンのピアノソナタの音源。
最近のライブ&セッション録音ではなく、東ドイツ時代の若かりし頃の演奏のもの。
30~40年近い隔たりがあっても、レーゼルのピアニズムのコアの部分は大きく変わってはいない(と思う)。
残響は多めだけど、クリアでしっとりとした潤いのある音質が美しくて聴きやすい。
7曲録音したピアノ・ソナタのうち、特に好きなのが、「月光」、「テンペスト」、「熱情」。
若い頃の演奏とはいえ、何度聴いても、澄み切った音色の美しさと颯爽とした演奏に惚れ惚れしてしまう。

Beethoven - Piano sonata n°14 op.27 n°2 - Rösel



Beethoven - Piano sonata n°17 op.31 n°2 - Rösel



Beethoven - Piano sonata n°23 op.57 - Rösel



<過去記事>
レーゼル ~ ベートーヴェン/ピアノ・ソナタ第17番「テンペスト」(旧盤・新盤)

tag : ベートーヴェン レーゼル 「月光ソナタ」

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ケンプ ~ バッハ/ゴルトベルク変奏曲
私には不眠症解消に最適な《ゴルトベルク変奏曲》。
演奏を聴いている途中で眠くならないことは、極めて稀なので。
でも、例外的に眠りに誘われない演奏がいくつかあって、ケンプのゴルトベルクがその一つ。
久しぶりに聴き直してみたけれど、数年前に初めて聴いたときよりも、この演奏の良さがずっとよくわかってきたと思えるくらいに、とっても素敵なゴルトベルク。
私のスタンダードな定番でかっちりした構成感のあるコロリオフのゴルトベルクよりも、好きになれそう。

ケンプは好きなピアニストの一人といっても、定番的に頻繁に聴くことはなく、ときどき思い出したように無性に聴きたくなる。
聴き直してみると、そのたびに今までわからなかった何かが聴こえてくる新鮮さがあって、以前よりもさらに素晴らしく感じてしまう...という不思議な経験をさせてくれるピアニスト。

ケンプのゴルトベルクは、滑らかなレガートと、色彩感豊かで親密感のある音色がとても綺麗。
特に、ペダルを使った和声の響きの美しさは、ケンプが弾くピアノならでは。
装飾音をかなり省略しているので、巷で演奏されているゴルトベルクとはかなり違った曲に聴こえてくる。
斬新さと独自性という点でいえば、高橋悠治の新盤(2007年録音)と方向性は随分違っていても、オーソドックスと思われるバッハ奏法という枠に捉われないというところは、相通じるものを感じる。
でも、高橋悠治が既成の枠を壊して”脱構築”したようなポストモダン的とでも言いたくなる演奏だとすれば、ケンプはピアノ奏法を駆使して”伝統的なバッハ”を蘇らせたようでもあり、二人が目指したものと終着点は違っているのではないかと感じるところはある。

Goldberg Variations Bwv 988Goldberg Variations Bwv 988
(2002/05/30)
Wilhelm Kempff

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Bach, Variaciones Goldberg, BWV 988. Wilhelm Kempff, piano



ケンプのゴルトベルクを聴き直していたら、平均律曲集も録音していたのをふと思い出した。
分売盤は廃盤になっているけれど、ソロ録音を集めたBOXセット『Wilhelm Kempff:The Solo Repertoire』に収録されている。

Wilhelm Kempff Complete Solo RepertoireWilhelm Kempff Complete Solo Repertoire
(2012/01/31)
Wilhelm Kempff

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DGとDECCAに録音したピアノ・ソロ作品の大部分を収録。
ただし、モノラル盤の《ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ全集》やリストの《伝説》などは収録されていないので、「Complete」なソロ録音集ではない。

収録音源のうち、分売盤で持っている重複音源が半分くらい。
ベートーヴェン・バッハ・ブラームスのほとんどは分売盤で持っているけれど、シューベルト・シューマン・モーツァルトは、シューベルトの2枚組の抜粋盤くらいしか持っていない。
35枚組セットなので、1枚あたり250円くらいと、コストパフォーマンスが抜群に良い。
さらに、このBOXセットで貴重な録音といえば、ボーナストラックに収録されているオルガンのライブ演奏。1954年に広島の世界平和記念聖堂に設置されたパイプ・オルガンの除幕式のために来日して、バッハのオルガン曲を数曲弾いたという。
それに、今まで試聴ファイルでも聴いたことがなかったショパン録音も興味深々。
このBOXセットは、そのうち手に入れたい気はする。


ケンプのCDで一番良く聴いているのが、バッハ作品とケンプによるバッハ編曲集のCD。
ケンプのバッハ録音のなかでは、選曲にバラエティがあって一番聴きやすい。
ケンプ編曲版は、他のピアニストの録音も多数あるけれど、ケンプの自作自演はやはりしみじみとした味わいがある。
柔らかくて繊細で色彩感豊かな音色が美しく、品のよい親密感を感じさせる演奏が心に染み渡る。

English Suite No. 3 / Capriccio BWV 992 / Transkriptionen fur KlavierEnglish Suite No. 3 / Capriccio BWV 992 / Transkriptionen fur Klavier
(2002/05/30)
Wilhelm Kempff

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これは《シシリアーノ》(フルート・ソナタ第2番BWV.1031)のモノラル録音の音源。
ケンプのDG盤BOXセット『Schumann / Brahms: Complete 1950s Solo Recordings』に収録。

Bach - W. Kempff (1955) - Siciliano from Flute Sonata No 2 in E flat major, BWV1031


tag : バッハ ケンプ

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米粉用米の作付け面積が激減
5/27のテレ朝newsで報道していたのが
「米粉用米の生産量が大幅減 多額補助金も需要少なく」
これは、2013年度の農業白書に載っていた情報を報道したもの。
原データを確認するために、『平成25年度 食料・農業・農村白書』の該当部分をを農林水産省サイトからダウンロード。
「第4節 主要農畜産物の生産等の動向 (1)米」

確かに、米粉用の米の作付け面積が激減している。
非主食用米(飼料用米等の新規需要米、加工用米、備蓄米)の作付面積自体も前年より減少しているが、特に米粉用米の減少率が高く、全国計で約4割減(2012年6,437ha→2013年3,965ha)。

日経新聞の報道でも、「2013年産の米粉用米の計画生産量は国内で2万1071トン。新潟県の生産量は5041トンで、全都道府県のなかで最も多いが、11年産と比べれば3分の1に落ち込んでいる」と言う。
「新潟県と食品メーカー、米粉普及で連携」(日経電子版,2014/5/13)

米粉用米の作付け面積が大幅に減少している理由として、
1)生産コストの高さ:60kgあたりの価格は、米粉用米は約2千円、小麦は約3千円。粉状にすると、小麦粉は6千円、米粉は7200円以上。
2)生産工程が多い。
3)流通量が少ない。→ 小麦粉は消費量が多いので大量生産可能。
4)米粉の使い方が需要企業に浸透していない。

米粉を置いているスーパーはそもそも少ないし、一般消費者の需要量自体はそれほど多いとは思えない。
店頭価格も、輸入小麦よりもはるかに高い。
私が購入した波里製米粉(たぶん市場でもっとも安い)でも、薄力米粉が500g150円、強力米粉が500g200円ほど。
普通の価格帯の米粉ならこの倍くらいするものもある。
輸入小麦なら、品種・メーカー・販売店でかなり差があるけれど、大まかにいって、薄力粉が1kg150~200円、強力粉が1kg200~300円くらい。
輸入小麦よりもはるかに高い国産小麦なら、強力粉で1kgあたり400円くらい。これも品種によってかなり価格差がある。

一番安い米粉でも、国産小麦並みか、それ以上に高い。
普通の価格帯の米粉ならさらに高いので、一般消費者で米粉を使うのは、米粉料理が大好きな人以外なら、小麦アレルギーで小麦粉が使えない場合とか、小麦粉に少量(1~2割りくらい)混ぜるとか、限られているのではないかと思う。

私が米粉を使うのは、パンかお菓子用がほとんど。
パンは、普通の食パン、ベーグル、ナン。お菓子用なら、おせんべい、だんごが多い。
米粉100%パンは、米粉独特のもちもちした食感と甘みがあって、小麦パンとは随分違う。
1-2割程度まぜると、ご飯パンに近くなる。
米粉100%パンは、柏餅を食べているような風味で、わたしの食感・味覚としては、とても美味しい。菓子パン風なので、朝食というよりは、おやつ代わり。
でも、ふわふわパンが好きな人には受けないかも。

米粉を買わずとも、お米からパンが焼けるライスブレッドクッカー「GOPAN」でお米パンを焼いている人も結構いる。
一斤あたり150円くらいで作れるそうなので、標準的な米粉パンよりもコストはかなり安い。
それに、ストックしているお米が使えるというのがとても手軽。
お米パンは食べたことはないけれど、粒の細かいパウダー状の米粉100%パンよりも、小麦パンに近くて食べやすそうな気はする。

[2016.3.4 追記]
米粉100%パンは、市販の袋入りパンでも、ベーカリーショップでも見かけたことがない。米粉に小麦粉を混ぜたパンはよくあるけど。
この理由は、単純に高価格なので売れないからだろうと思っていたら、「米粉だけで作ったパンは品質を保つことが難しいため、冷凍で流通させる必要がある。このため、一般の店舗で流通させるのは厳しく、ネット販売が主流になっている。 」のだという。(「小麦も卵も牛乳も使わない、ハムメーカーが作った米粉パンが高評価のワケ」(日経トレンディ、2015年05月18日)
それなら、ホームベーカリーで、小麦グルテンゼロの米粉100%パンを作りましょう!
パン用米粉は市販されているので、高い米粉パンを買わずとも、ホームベーカリーを使えば、低コストでいろんな種類の米粉パンが作れます。




ノーマン・レブレヒト 『クラシックレコードの百年史 記念碑的名盤100+迷盤20』
どこで書評を読んだのかすっかり忘れてしまったけれど、面白そうだったので早速読んでみたのが、ノーマン・レブレヒトの 『クラシックレコードの百年史 記念碑的名盤100+迷盤20』

クラシックレコードの百年史 記念碑的名盤100+迷盤20クラシックレコードの百年史 記念碑的名盤100+迷盤20
(2014/03/31)
ノーマン・レブレヒト

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<目次> ■第1部 巨匠(マエストロ)たちの歴史 / 第1章 はじまり / 第2章 最盛期 / 第3章 転換点 / 第4章 ミリオンセラーの時代 / 第5章 奇跡また奇跡 / 第6章 狂気の時代 / 第7章 メルトダウン / 第8章 終わりのあとに / ■第2部 レコード史の記念碑的名盤100 / ■第3部 レコード史の迷盤20

原題は、”Maestros, Masterpieces and Madness: The Secret Life and Shameful Death of the Classical Record Industry”。
ペーパバック盤では、タイトルが変更され(目次は同じ)、”The Life and Death of Classical Music: Featuring the 100 Best and 20 Worst Recordings Ever Made”。米国のamazonサイトで部分的に読める(Look inside)。名盤・迷盤リストも一部載っている。

レブレヒトは、『巨匠神話』、『だれがクラシックをだめにしたか』など、クラシック音楽(業界)にまつわる内幕物を数冊書いてきた人。
この手の内幕暴露本で数年前に読んだのは、ジョン・カルショーの『レコードはまっすぐに あるプロデューサーの回想』。
私の知っている演奏家に関するエピソードが多数載っていたので、とても面白く読めた。
もう一冊は、クラウス・ウムバッハ『金色のソナタ―音楽商業主義の内幕』。詳細はよく覚えていないけれど、カラヤンが音楽ビジネスの権化みたいに描かれていたような覚えがある。

レコードはまっすぐに―あるプロデューサーの回想レコードはまっすぐに―あるプロデューサーの回想
(2005/04/01)
ジョン カルショー

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『クラシックレコードの百年史』の方は、演奏家に関する記述も結構あるけれど、主体はメジャーレーベルの勃興から衰退の歴史を辿ったクラシックレコード会社の興亡史。
レコード会社の組織的な特性や経営者・プロデューサー(レッグ、カルショーなど)に関する話に加えて、名だたる指揮者や演奏家(ケンプ、シュナーベル、クレンペラー、トスカニーニ、フルトヴェングラー、カラヤン、ショルティ、ムーティ、グールドなど)が多数登場して、いろんなエピソードがちりばめられている。演奏家では、とりわけ指揮者の話が非常に多い。
近年のクラシックレコードの売れ行き不振で進んだ業界再編の裏話には、そんな事情があったのかと、ようやく腑に落ちた点もいろいろ。
普通の歴史書とは違って、ちょっとおどけた皮肉に満ちた文体なので、癖はあるけれど、このシニカルさが逆に面白さにつながっている。

特に、CD時代になると、断片的な知識として知っていることも多いので、経験的に理解できることも多い。
カセットテープの発明により、海賊盤が出没し、不法なダビングが横行して、レコードの売り上げを「壊滅させ」、音楽業界の頭の痛い大問題となった。
次にCDが登場して、LPに取って代わり、新しい「世界秩序」となった。
CDプレーヤーは低価格化が進んだが、ディスクはレーベルの利益を肥やすために高価格のままだった。
「悲嘆の時代は去った。」
クラシックはビートルズ登場以来、初めて二桁のマーケットシェアを占めるようになり、何でも売れた。
著者によれば、「地道な稼業」だったクラシック業界を一変させたのが、ソニーの大賀典雄と、ソニークラシカルの社長に就任したギュンター・ブレースト(DG時代のカラヤンのプロデューサー)。
金を湯水のごとく使うブレーストのやり方は、指揮者のエゴを肥大化させ、過剰なリハーサルと豪華キャストを要求し、冴えない演奏のレコードを量産するようになっていった。
ソニーの大盤振る舞いにならって、他のメジャーレーベルも年間リリース数は100枚に上っていたが、需要が伸びたわけではない。

アメリカ人の平均的なクラシック収集枚数は、LPで100枚前後。
LPからCDへの買い替えが終わってしまうと、CDを買わなくなってしまった。
音楽レコード市場におけるクラシックのシェアは、CD時代以前に6%、CD時代の1987年までに12%に倍増し、80年代の終わりには6%に戻ってしまった。
ブラックマンデーと共産主義の終焉が世界的不況をもたらし、カラヤンとバーンスタインが相次いで亡くなり、誰でも知っている人気マエストロはもういない。
リバーソン、カルショー、シラー、レッグといった、「責任感をもって仕事を自分で背負っている」プロデューサーが去ったあと、登場したのは社長たち。残っているプロデューサーたちは弱体化した。

クラシックレコード(CDも含めた総称)の売れ行き不振は眼を覆うばかりで、クラシック部門の予算・スタッフと契約している演奏家を大幅に削減したため、新規録音が激減。
とどめの一撃が、インターネット上の違法ダウンロードの横行。
告訴以外に打つ手はなく、10代の顧客層に取り込む手段として編み出したのが、クラシックもどきによる「ライト・クラシック」。
しかし、クロスオーバーで一時的に活性化しても長続きしなかった。
次はセクシー路線で新しいスター(リンダ・ブラーヴァやボンド)を売り出したが、それが失敗すると、話題性に走っていった。(カナダで狼を育てたピアニスト-たぶんグリモーのこと、クラシックに転向した盲目の歌手ボチェッリなど)

メジャー・レーベルは、あの手この手でリストラを進める。
デッカは、アシュケナージやドホナーニなどの指揮者の「首切り」を進めて、肥大化したアーティスト・リストを刈り込んだ。
デッカの契約アーティストは、1997年~98年にかけて、40人から16人に削減。レコーディング数も90年の120枚から、2006年には20枚くらいに落ち込む。
同時に、40人近い常勤エンジニア・エディター・プロデューサー・技術者を抱えるレコーディングセンターを閉鎖。
スキルを持った者はデッカから流出し、多数はナクソスへ向かい、ナクソスサウンドは指数関数的に進化していった。
DGでは、レヴァインと小澤が去り、イングリッシュ・コンサートは破滅寸前で、ガーディナーとシノーポリの録音契約は大幅に削減された。
巨大家電企業フィリップスは1996年に売り上げ不振に直面し、ポリグラムを飲料会社シーグラムに売却。

ビルボート誌では、レコードの売り上げ枚数を、レーベル発表の数値から、米国でレコードを販売しているレジの85%を監視しているニールセンサウンドスキャットの販売データに切り替えた。
その結果、かつては曖昧かつ希望的意味合いを持つ数字で憶測されていた販売枚数が、リアルタイムで客観的な数値で把握されるようになった。
たとえば、アバド初録音のブラームス/交響曲第1番が、5年間で3000枚。ラトルのシベリウス交響曲は第2番と第5番が2000枚で、他は数百枚。ハイティングのマーラー/交響曲第7番は1年半で400枚。バレンボイムのブルックナー/交響曲第3番は600枚と惨憺たる売れ行きだった。
これは米国内の統計データなので、欧州と日本ではもう少し売れている。
しかし、クラシックの最大市場である米国でさえ、レコード売り上げが低迷していることで、クラシックに対する拒絶反応は明らか。それは一時的なものではなく「最悪の事態」だった。

そういえば、昔は多数録音を出していたのに、そのレーベルから新譜を出さなくなった演奏家は多い。
これは、新規録音をしなくなったのではなく、レーベルが専属契約を解消したケースも多々あるようだ。(アシュケナージ、ロジェ、etc)
デッカが契約解消したパスカル・ロジェの場合は、オニックスへ移籍して復活したケース。再録音したドビュッシー前奏曲集は素晴らしい出来栄え。
契約を打ち切られたり、録音数を大幅に削減された指揮者のなかで、泣き寝入りしなかったシノーポリは補償金を要求する訴訟を起こして、最終的に和解。(おそらく補償金を獲得したのだろう)
ガーディナーは、自分のレーベルを立ち上げて、初回リリースしたCDはグラモフォン誌の年間ベストレコードになった。
ガーディナーのレーベルでは、5000枚売れれば採算が取れるのに、メジャー・レーベルは経費が膨張しているため、DGならその10倍が採算ライン。
大手レーベルだけでなく、ハイペリオンやシャンドスも経営的に苦しい状況にあるらしい。
オーケストラの自主レーベルも次々に登場したが、演奏家が得る名声や売り上げは、メジャーレーベルから出したレコードに比べて微々たるもの。
また、自前のプロモーションによるCDも増加しているが、これはきちんとした編集も商業原理も無関係な自費出版のようなもの。
クラシックレコード業界が衰退しつつあるなかで、復権したのがラジオ。
欧州と米国の放送局は番組をオンライン上で放送し、一部の番組はダウンロードできるようにした。
レコードにとって変わる新しい行動様式が芽生えたのだった。

クラシックレコード衰退の要因として上げられているのは、過剰生産、CDの均質性、インターネットによるライブ放送のダウンロード、レコード以外のメディアの多様化、創造性の欠如(無調主義への聴き手の不信)など。
ラジオより20年も前に登場したレコードは、まるで水道設備のごとく蛇口をひねればいつでも音楽が流れ出てくるように、音楽を日常生活の場へと運んできた。
その結果、音楽との受動的な関わり方を増長し、演奏の均質性をもたらし、オケの響きは似通ってくるようになり、ソリストは多様なスタイルを失った。
さらに、「逸脱や不正確さに敏感な批判的な聴き手」を生み出したため、21世紀のピアニストは、シュナーベルのようなミスタッチをしたら、言い逃れができない。(CDリスナー専門の私には、この指摘はちょっと耳に痛い)


文中に記載されている表が2つ。「世界で最も売れたクラシック・レコード」「クラシックのトップ・セラー・アーティスト」。両方とも面白いランキング。

「世界で最も売れたクラシック・レコード」(CDを含む)
第1位は、ショルティ/ウィーンフィル(DECCA)のワーグナー《ニーベルングの指輪》。セールスは1800万枚。
オペラは聴かないのでピンとこなかったけれど、カルショーの『レコードはまっすぐに』でも詳しく書かれている記念碑的な録音。
第25位までランキングが載っている。私が知っている録音でランキング入りしているのは、

2.『三大テノール 世紀の饗宴』(1400万枚)
3.ヴィヴァルディ『四季』(イ・ムジチ)(950万枚)
5.『グレゴリオ聖歌』(サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院)(550万枚)
6.『アヴェ・マリア』(ボッチェリ/500万枚)
7.チャイコフスキー『ピアノ協奏曲第1番』(ヴァン・クライバーン/300万枚)
12.エルガー『チェロ協奏曲』(デュ・プレ/210万枚)
17.バッハ『ゴルトベルク変奏曲』(グールド/200万枚) 
19.ベートーヴェン『交響曲第5番・第7番』(クライバー/150万枚)
22.グレツキ『交響曲第3番』(悲歌のシンフォニー)(ジンマン/ロンドン・シンフォニエッタ/110万枚)
第23位には、小澤征爾/ウィーンフィルの『ニューイヤー・コンサート2002』が110万枚売れてランキング入り。

「クラシックのトップ・セラー・アーティスト」は録音売り上げ枚数のランキング。
第1位は断トツで、なるほどと納得できるカラヤン。
第2位以下は、(私には)意外な人たちが結構多い。

1.カラヤン (2億枚)
2.パヴァロッティ (1億枚)
3.ショルティ (5000万枚)
4.フィードラー/ボストン・ポップス
5.バーンスタイン (3000万枚)
6.マリア・カラス
7.ゴールウェイ
8.ドミンゴ
9.マリナー
10.カレーラス (2400万枚)
11.コストラネッツ
12.オーマンディ (2000万枚)
13.トスカニーニ
14.イ・ムジチ (1200万枚)
15.メータ(三大テノール) (1000万枚)
16.小澤征爾
17.バレンボイム
18.アーノンクール
19.ハイティンク (700-800万枚)
※クラシック以外の要素も含む。

第Ⅱ部「レコード史の記念碑的名盤100」は、著者独自の基準で選択しているので、異論も多いらしい。
各盤に関するコメントも、巷の定説とは違った視点でユニークなところもあるので、もう一度聴き直してみたくなるものもある。(アンダのバルトーク・ピアノ協奏曲全集とか)
私が保有しているCDや聴いたことのある録音で、取り上げられていたものは、

ラフマニノフ/自作自演「ピアノ協奏曲第2番」
シュナーベル/ベートーヴェン「ピアノソナタ全集」
リパッティ/ショパン「ワルツ集」
ルービンシュタイン/ブラームス「ピアノ協奏曲第1番」
グールド/バッハ「ゴルトベルク変奏曲」(1955)
ライナー指揮シカゴ響/バルトーク「管弦楽のための協奏曲」
アンダ&フリッチャイ指揮ベルリンフィル/バルトーク「ピアノ協奏曲全集」
リヒテル/プロコフィエフ「ピアノ・ソナタ第8番」(1961)
クライバー/ベートーヴェン「交響曲第5番」
アルゲリッチ&フレイレ/ルトスワフスキ「パガニーニの主題による変奏曲」
バレンボイム指揮シカゴ響/コリリアーノ「交響曲第1番」
ロジェ/ドビュッシー「前奏曲集」(2004)

第Ⅲ部「レコード史の迷盤20」は、各盤につけられたコメントが面白くて、結構笑える。
それを読むと、これではやっぱり”迷盤”だろうなあ...と納得できるものがある。
私が知っているものでは、ベートーヴェンの『トリプル・コンチェルト』。カラヤン指揮で、リヒテル・ロストロポーヴィチ・オイストラフという豪華な顔合わせ。
リヒテルの伝記を読むと、かなり酷い録音セッションだったし、本書の筆者のコメントを読んでもやっぱり酷い。これを「名盤」と言ってはいけない気がしてくる。

クレーメルがシュニトケのカデンツァを使ったベートーヴェンの『ヴァイオリン協奏曲』。
同業ヴァイオリニストからは、様式の違うカデンツァを弾いたとか、非難轟々。
私はシュニトケが好きなので、とっても面白かったのに、クレーメルは二度とこのカデンツァを弾かなかったという。

全部で400頁近くあり、内容はいろいろ盛りだくさん。
クラシックレコード”業界”の歴史と近年の業界事業がコンパクトにわかるし、名盤・迷盤選は、聴いたことがない録音でも、著者のコメントを読むだけでも面白い。

tag : 伝記・評論

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フランソワ=ルネ・デュシャーブルの録音
フランソワ・ルネ・デュシャーブルのことを知ったのは、【地球人間模様】@フランス「名ピアニストの選択」という記事を以前にたまたま読んだので。
デュシャーブルという名前はすっかり忘れていたので、CDを数枚買っても、その記事のピアニストだとは気が付かなかった。
2003年に引退したというので、プロフィールを調べてみて、ようやく彼が「地球人間模様」で紹介されていたピアニストだというのを思い出した。
「引退」と言っても、実際はいわゆる”コンサートピアニスト”としてのキャリアから退いたということであって、演奏活動自体は続けている。

最初に買ったデュシャーブルのCDは、珍しくもショパンの《ポロネーズ集》。
ブレハッチのポロネーズ集の新譜が出たときに、異聴盤を探していたところ、デュシャーブルのCDレビューが非常に良かったので、興味を引かれて購入。

PolonaisesPolonaises
(2011/09/05)
rançois-René Duchable

試聴ファイル


Chopin - François-René Duchâble (1996) 10 Polonaises




次に買ったのが、これもレビューが良かったオムニバスアルバム。
バッハ、ベートーヴェン、スカルラッティ、モーツァルトと、リサイタルみたいな選曲。
試聴したときに面白そうだったのが、《エリーゼのために》と《スカルラッティ》。

Duchable PlaysDuchable Plays
(2003/04/10)
rançois-René Duchable

試聴ファイル


これは廉価盤。
Piano Sonatas Nos 8 & 14Piano Sonatas Nos 8 & 14
(2008/05/23)
rançois-René Duchable

試聴ファイル


CD2枚聴いても、ショパンのポロネーズはそもそも聴き込んだことがないので、どういうタイプの演奏か判断が付かず、ベートーヴェンやバッハも、分析的というか明晰で叙情感もあっさり。
それはそれで、そういう弾き方もあるのかと思ったけれど、よく聴く演奏とは一風違っていて、もう一つよくわからないもやもや感が残る。
結局、2枚のリストアルバムを聴いて、ようやくぴたっと来るものがあったので、一安心。
デュシャーブルのリストは、一般的なリスト演奏のイメージとはちょっと違った趣き。
濃密な叙情感や威圧的な雰囲気が稀薄で、透明感のあるソノリティとあっさりとした叙情表現で、外面的な派手さも暑苦しさもなく、風通しのよい涼しさで品の良さを感じさせるリスト。

デュシャーブルはリストが得意らしく、リストアルバムが数枚でている。
廃盤になっているものも多く、今簡単に入手できるのは、おもに廉価盤の3枚。
一番聴きやすいのは、リストのポピュラーな名曲とオペラパラフレーズを集めたErato盤。
それよりも重たい選曲のApex盤は、《ロ短調ソナタ》《伝説》《孤独のなかの神の祝福》。
タワーレコード限定アルバムは、リストがピアノ独奏版に編曲したベルリオーズ《幻想交響曲》が聴き物(これは未聴)。

Piano WorksPiano Works
(2011/04/04)
Francois-Rene Duchable

試聴ファイル


Piano Sonata 2 Legendes BenedictionPiano Sonata 2 Legendes Benediction
(2012/01/31)
Francois-Rene Duchable

試聴ファイル


ベルリオーズ(リスト): 幻想交響曲; リスト: 小品集 (80年代中期の録音) / フランソワ・ルネ・デュシャーブル(p)<タワーレコード限定>ベルリオーズ(リスト): 幻想交響曲; リスト: 小品集 (80年代中期の録音) / フランソワ・ルネ・デュシャーブル(p)<タワーレコード限定>
(2008/08/06)




最近のライブ映像を2つ。
リストの《伝説》の第2曲”海を渡るパオラの聖フランチェスコ”は、波のように動き回る左手のパッセージが粒立ちよくダイナミック。
ケンプのモノラル録音は敬虔で崇高な格調高さがあったけれど、デュシャーブルは開放感と明るい喜びに満ちてより現世的な感じがする。

Franz Liszt Légende n°2 François-René Duchable CFMF 7/07 2013



《カンパネラ》は特に好きというわけでもなく、あまり聴いたことはないとはいえ、デュシャーブルの演奏はとても素敵。
右手高音部の連打が鋭く精密で粒が揃って、クリスタルのような煌き。
この曲は思い入れたっぷりに弾くピアニストもいるけれど、デュシャーブルにはそういう感情移入過剰なところも外面的な派手さもなく、曲そのものの美しさがよく伝わってくるような気がする。

La Campanella , Liszt, Etude n°3 d'apres Paganini



<参考情報>
LISZT / François-René Duchâble[フランツ・リストに花束を]
デュシャーブル[ぴあのピアの徒然日記]


tag : ショパン ベートーヴェン バッハ デュシャーブル フランツ・リスト

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トランス脂肪酸に関する情報
米国で禁止のトランス脂肪酸 国内ワーストマーガリンは日本生協連、ファストフードのワーストはマクドナルド(2013/12/02,MyNewsJapan)

表:2013年での家庭用マーガリンワースト5
生協連のPB製品マーガリンが、ワーストワンというのは、意外。

生協連のホームページで確認すると、製品によってかなりトランス脂肪酸含有量が違うが、たしかに「コーンソフト100マーガリン」は、含有量が重量の1割以上と多い。
<CO・OPマーガリン類、コーヒー用ポーションのトランス脂肪酸、不飽和脂肪酸、飽和脂肪酸含有量(100 g当たり)>

このトランス脂肪酸の多いPB製マーガリンを販売している生協連の言い分が結構面白い。
リピート率92%! コーン油の軽やかなマーガリン
トランス脂肪酸問題についてのQ&A
トランス脂肪酸だけを減らすことに拘る必要はないという見解は、それもそうだと思う面はあるけれど、トランス脂肪酸の摂取自体は少なければ少ないほど良いはず。その上、競合製品のなかでもトランス脂肪酸を削減している製品が増えている状況で、自社製品中のトランス脂肪酸が多くても全く問題はない.....ということになるんだろうか。
トランス脂肪酸が気になる人は、こういう製品は買わないに越したことはない。


敷島製パンはトランス脂肪酸漬け コンビニ独自ブランドパンではファミマとサンクスに要注意(2013/12/15,MyNewsJapan)
イーストフード・乳化剤不使用パン「超熟」シリーズを販売しているPasco(敷島製パン)は、店頭で「超熟」以外の製品の成分表示を見てみると、かなり多種類の添加物を使っている。(添加物の使用状況は、店頭商品の成分表示を見ると、敷島製パンに限らず、山崎製パン、神戸屋、フジパン、第一パン、オイシスなどのメーカーも、菓子パン・惣菜パンは似たようなものだと思う)

トランス脂肪酸も、「超熟」シリーズは、ゼロに削減。
しかし、この記事を読む限りでは、「超熟」以外の製品では、トランス脂肪酸がかなり入っているものが結構あるらしい。
同社のホームページに記載されている「栄養成分表」で、主力製品のトランス脂肪酸含有量がわかる。


<トランス脂肪酸の摂取量の目安>
「食事、栄養及び慢性疾患予防に関するWHO/FAO合同専門家会合」が2003年に公表。
食品からとる総脂肪、飽和脂肪酸、不飽和脂肪酸等の目標値として、トランス脂肪酸の摂取量を、総エネルギー摂取量の1%未満とするよう勧告。
日本人が一日に消費するエネルギーは平均で約1,900 kcal→平均的な活動量の場合、一人一日当たり約2グラム未満
出典:農林水産省ホームページ「すぐにわかるトランス脂肪酸」(2012年3月12日現在)


<参考サイト>
食品に含まれる総脂肪酸とトランス脂肪酸の含有量[2011年年3月9日、農林水産省]

危険なトランス脂肪酸、含有量ワースト5のマーガリン![2015.07.11,Business Journal]

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プロフィール

yoshimi

Author:yoshimi
<プロフィール>
クラシック音楽に本と絵・写真に囲まれて気ままに暮らす日々。

好きな作曲家:ベートーヴェン、ブラームス、バッハ、リスト。主に聴くのは、ピアノ独奏曲とピアノ協奏曲、ピアノの入った室内楽曲(ヴァイオリンソナタ、チェロソナタ、ピアノ三重奏曲など)。

好きなピアニスト:カッチェン、レーゼル、ハフ、コロリオフ、フィオレンティーノ、パーチェ、デュシャーブル、アラウ

好きなヴァイオリニスト:F.P.ツィンマーマン、スーク

好きなジャズピアニスト:バイラーク、若かりし頃の大西順子、メルドー(ソロのみ)、エヴァンス

好きな作家;太宰治、菊池寛、芥川龍之介、吉村昭、ハルバースタム、アーサー・ヘイリー
好きな画家;クリムト、オキーフ、池田遙邨、有元利夫
好きな写真家:アーウィット

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