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野瀬泰申 『納豆に砂糖を入れますか? ニッポン食文化の境界線』
『天ぷらにソースをかけますか? ニッポン食文化の境界線』の続篇は、『納豆に砂糖を入れますか?』

納豆に砂糖を入れますか?: ニッポン食文化の境界線 納豆に砂糖を入れますか?: ニッポン食文化の境界線
(2013/9/28)
野瀬 泰申



第1章 納豆に砂糖
 設問 ①納豆は好きですか?

子供の頃は嫌いだったけど、なぜか今は好き。納豆は、そのまま食べる以外に、豆腐、お好み焼き、卵焼きとかに入れるとか、いろいろ使える。
今のところ一番よく使うのは、水切り豆腐に納豆を混ぜて1日以上ねかして作る”マクロビチーズ”。
食べ物日本地図[日経新聞電子版]

 設問 ②納豆に砂糖を入れますか? 
砂糖は絶対入れない。辛しは大抵入れる。
納豆に砂糖を入れる人の比率が相対的に高いのは、北海道と東北・北陸という寒い地域に多い。
気温が低いと納豆が糸を引きにくくなるので、砂糖を入れると書いていたので、納得。
お酢を入れても糸を引くやすくなるけれど、砂糖の方が効果大だという。
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 第2章 すき焼き
 設問 ①すき焼きに入れる具はどんなもの?

自分では作らないけど、実家では、牛肉、焼き豆腐、白ねぎ、糸こんにゃく、えのき茸、焼き麩、ごぼう、もやし、白菜、ジャガイモとかが入っていた。タマネギ、かまぼこ、豚肉、鶏肉は入れない。
食べ物日本地図[日経新聞電子版]

  設問 ②すき焼きに入れるこんにゃくは「しらたき」? 「糸こんにゃく」?
糸こんにゃく。そもそも、「しらたき」自体近隣のお店であまり売っていない。たまに「小結しらたき」というのを見かけるくらい。
食べ物日本地図[日経新聞電子版]

Q10白滝と糸こんにゃくの違いはあるのでしょうか?
昔は、白滝と糸こんにゃくとは製法が違ったけれど、今は同じ。
違いといえば、糸こんにゃくよりも細いものが「したらき」という名前で、こちらでは販売されている。
私は麺類の代わりに、炒めて焼きそばやナポリタンみたいにして食べている。
細いしらたきの方が糸こんにゃくよりも味が付きやすくて、こんにゃくぽさもなくて、美味しい。


 第3章 せんべいについて
 設問 あなたの土地のせんべいは小麦粉ですか米粉ですか?

買うのは全国的に流通しているメーカー品がほとんどなので、地元の個人経営の店で売っているようなおせんべいのことはわからない。
大阪市に本社のある「ぼんち株式会社」の主力商品「ぼんち揚」(揚げせんべい)はうるち米、「ポンスケ」は小麦粉。
両方とも、子供の頃からのおやつの定番だった。いまでも好きなので、時々食べている。
大阪府池田市のあられメーカー「とよす」は、国産水稲もち米使用。昔はよく食べていたし、ヒアリングの仕事で持参する手土産には個包装で薄くて食べやすい「ほうろく」が便利だった。

 第4章 メンチvs.ミンチ
 設問 あたなはメンチ派? ミンチ派? 
 買わないけど、「メンチカツ」という名前で売られていることが多いかも。

 第5章 大根と仲間たち
 設問 魚の缶詰を煮物や鍋物にしますか?

実家では、そういうのは出てこなかった。クックパッドのレシピを見てから、ツナ缶を大根や白菜と煮たり、炊き込みご飯にしたり、サバの水煮缶をシチューやカレーに入れることがあるというのを知った。

 第6章 飴について
 設問 飴を「飴ちゃん」と呼びますか?
 子供の頃は、普通に「飴ちゃん」と呼んでいた。(今は呼ばないけど)

 
第7章 「突き出し」か「お通し」か
 設問 飲み屋で出てくるものは「突き出し」それとも「お通し」? 
 「突き出し」。

 第8章 汁かけ飯について
 設問 ①ご飯と味噌汁を一緒にしたものを何と呼びますか?
 「汁かけご飯」というらしいけれど、家では特に呼び名はなかった。犬が食べるご飯なので(飼っていた犬用ご飯の定番だった)、そういう見苦しい食べ方はしていけないと母親に言われていた。

 設問 ②ご飯にかつお節をかけたものを何と呼びますか? 「猫まんま」。こっちは、「おかかおにぎり」にして時々食べていた。

 第9章 ニッポンの食堂
 設問 大衆食堂は好きですか?
 大衆食堂というもの自体をあまり見かけたことがないので、よくわからない。

 第10章 鮭とブリ
 設問 正月に食べる「年取り魚」は鮭? それともブリ? 
 「ブリ」。自分でおせちを作るときは、ブリの照り焼きと鮭の西京漬けの焼き魚をお重に入れている。

 第11章 糸魚川ー静岡構造線を行く
青ねぎ・白ねぎ、ソースカツどん、年取り魚などの境界線探し。昆虫色(蜂の佃煮、蜂せんべいとか)の体験談もあり。
ブリも鮭も手に入らない地域だと、塩漬けサンマを食べたり、年取り魚自体がない。

食べ物日本地図[日経新聞電子版]

食べ物新日本奇行[日経新聞電子版]

プロコフィエフ/三つのオレンジへの恋 ~ 「行進曲」
リヒテルが「私のなかでプロコフィエフの名を思い出させるものは、何よりもまず《三つのオレンジへの恋》のなかの<行進曲>である。当時誰もが弾き、誰からも愛された新曲である。」と言っていたのに、どんな曲だったか思い出せなくて、おさらい。
聴いてみると、どこかで何度も聴いたことのある曲なのに、この曲が《三つのオレンジへの恋》の<行進曲>だとは知らなかった。

プロコフィエフの実演を聴いたリヒテル少年の感想は、「ほとんどペダルを使わない、実に完璧な演奏ぶりに驚いたことを覚えている。」

プロコフィエフ自身のピアノロール演奏をきくと、なぜかリズムがよろめいているように聴こえる。
もともとそういう弾き方なのか、それとも、ピアノロールのせい?

Prokofiev plays March from The Love for Three Oranges



ギレリスのスケルツォと行進曲のライブ映像。スケルツォは初めて聴いた。
Emil Gilels plays Prokofieff (vaimusic.com) [Youtube]

tag : プロコフィエフ ギレリス

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リヒテルの「プロコフィエフ論」 (モンサンジョン『リヒテル』より)
ブルーノ・モンサンジョン監督による伝記『リヒテル』
伝記映画も製作されている。『エニグマ~甦るロシアの巨人』というタイトルで、最晩年のリヒテル自らが回想している。
そのなかで、唯一、まるまる一章割いて取り上げられている作曲家がプロコフィエフ。

リヒテルリヒテル
(2000/09)
ブリューノ モンサンジョン

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「Ⅴプロコフィエフ論」

私のなかでプロコフィエフの名を思い出させるものは、何よりもまず《三つのオレンジへの恋》のなかの<行進曲>である。当時誰もが弾き、誰からも愛された新曲である。1927年、12歳のとき、父に連れられたプロコフィエフが音楽インの大ホールで開くコンサート。
ほとんどペダルを使わない、実に完璧な演奏ぶりに驚いたことを覚えている。プロコフィエフは自作の小品をいくつも弾いたが、それぞれが巧みに構成されたコース料理の、美味で、並外れて洗練された一品のように思われた。それは私には、全く耳慣れない、それまで聴いていたものとは異なる音楽に聞こえた。
 プロコフィエフその人については何も知らなかった。彼の流行は終わり、忘れ去られたかに見えた。


1937年、モスクワ音楽院にやって来たリヒテルは、ゲンリヒ・ネイガウスの目前で数曲演奏し、その天才に驚いたネイガウスは即座に音楽院入学を許可した。

ある晴れた日、アルバート通りを歩いていた折に、奇妙な人物を見かけた。何か挑発的な力を秘めた人物だった。幽霊のように私のそばを通り過ぎたその井出達は、明るい黄色の靴、碁盤縞の上着、オレンジがかった赤のネクタイ、といったものだった。思わず振り返って、跡を追わざるをえなかった。それがプロコフィエフだった。それ以後、いつ何時彼に出くわすかわからなくなった。毎日でも起こりかねないことだった。私はネイガウス宅に世話になっていたのだが、ネイガウスとプロコフィエフは同じ建物に住んでいたからだ。
プロコフィエフの音楽に対して、私はさしあたり、かなり慎重な見解を持っていた。聴くときにはいつも興味を持って聴いたが、受身の態度だった。私の音楽的感覚がロマン派音楽に培われてきたことが障害になっていた、私にとって音楽における新しい叫びは、せいぜいリヒャルト・シュトラウどまりだった。
1938年に思いがけず、発表されたばかりのプロコフィエフのチェロ協奏曲を、チェリストのベレゾフスキーの伴奏者として、試聴のために勉強してみないかという提案を受けた。自作協奏曲を聞かせるために、プロコフィエフ宅を訪れた。プロコフィエフはベレゾフスキーに注意を与え始めた。彼の要求するものが自分の見解と合っているので、私は満足だった。

人に愛される作品、それを通してプロコフィエフその人も愛されるような作品といえば、私にとっては《ヴァイオリン協奏曲第1番》であった。音楽が好きな人なら、この曲の魅力にとりこにならずにはいられまい。この曲が与える印象は、春になってはじめて窓を開くと、いきなり通りのざわめきが飛び込んでくるときの印象にたとえることができる。それからというもの、プロコフィエフの新作を知るたびに、並外れた高揚と欲求のなかに身を置くことになる。

ヴァイオリン協奏曲に魅了された私は、何としても自分でプロコフィエフの曲を弾かねばならないと心に決めた。自分が第2ソナタを弾いている夢さえ見た。弾いてみると、夢で見たのとはまるで別物であることがわかった。私の気に入りの1曲になるには程遠かった。

最も驚異的な印象のひとつは、1939年のものだ。作曲家自身が第3交響曲を指揮したのだが、私はそれまでの人生で、音楽を聴きながらそれに匹敵する体験をしたことはなかった。まるで世界の終わりのようだった。
オペラ《セミョーン・コトコ》の初演は、私にとって相当に画期的なことだった。プロコフフィエフがまさしく私を「征服した」できごとのひとつであった。
同じころ、映画《アレクサンドル・ネフスキー》を観たが、とくに覚えているのは音楽である。映画音楽からそのような感銘を受けたことはなかった。今も忘れはしない。
第5協奏曲以降、プロコフィエフは革新的でありながら誰にでもわかる様式を編み出した。《セミョーン・コトコ》は、私の考えでは、まさにそのような作品に属する。しかもそれは、プロコフィエフの作品のなかで最も豊かで最も完成度の高いもののひとつであり、まちがいなくソヴィエト最良のオペラである。
はじめて《セミョーン・コトコ》を聴いた晩、私はプロコフィエフが偉大な作曲家であることを知った。



第6ソナタ
様式の類まれな明快さと、この音楽の構造的完成は、私の度肝を抜いた。それに類したものをかつて聴いたことがなかった。この曲で作曲家は、ロマン主義のもろもろの理想を蛮勇をもって打ち砕き、みずからの音楽のなかに20世紀のおそるべき脈動を取り込んでいた。ごつごつした部分を多々含んでいるにもかかわらず、古典的手法で構築され、均衡のとれたプロコフィエフの第6ソナタは一種の記念碑である。非常に大きな喜びを感じながらこのソナタを習得した。

第6ソナタの公開初演は、ネイガウス自身のリサイタルで、後半に登場したリヒテルがプロコフィエフ作品をいくつか弾いた時。

Prokofiev - Piano sonata n°6 - Richter Locarno 1966



第5協奏曲
プロコフィエフ「ひょっとすると、この青年に私の第5協奏曲を弾いてもらえるかもしれないね。何しろあれは失敗作で、どこでやってもうまく行かない。しかし彼が弾けば、あるいは聴衆に気に入られるかもしれない。」

第5協奏曲はしらなかったが、この提言にはすぐさま興味をそそられた。楽譜を手にしてみても、当初はあまり好きになれなかった。それにネイガウスがかなり慎重だった。むしろ第3番を弾きなさいという助言だった。事実、第5番は評判が悪かった。そこで、すでに何度も聴いたことのあった第3番の楽譜を調べてみた。作曲家自身の録音があり、それが録音として最良とみなされていたが、どういうわけか私は余り惹かれなかった。もう一度よく眺め、再考してみたーこれじゃない、弾きたいのは第5番だ。プロコフィエフ自身の依頼でもあるのだから、第5番を弾く運命なのだ。
私は正確に、きちんと、弾いた。しかし、上がっていたので、演奏からどんなわずかな喜びも感じた記憶もない。いつもとは違い、第一楽章のあとで拍手がなかった。誰も、何もわかっていないという印象をもった。
それでも協奏曲は大成功だった。私は幸福だった。同時に、不満な思いと、演奏前から感じていたおそるべき興奮(第5協奏曲をお弾きになればおわかりになるだろう)の揺り返しとが残った。また、この曲を再演することは今後長くはあるまうという漠とした予感が残った。事実、そのあと18年近く弾かないのだ。


Prokofiev - Piano concerto n°5 - Richter / Rowicki



第7ソナタ
1943年のはじめに第7ソナタの楽譜を受け取って大いに興奮し、4日間で習得した。ソヴィエト音楽ばかりのコンサートが準備されていて、プロコフィエフは私が彼の新しいソナタを弾くことを望んだ。
聴衆は、彼らが内奥で生きつつあるものを正確に映し出す作品のもつ情動的かつ精神的な息吹を、このうえなく強烈に感じていた(同じ時期、ショスタコーヴィチの第7交響曲も同じように受け取られた)。
 このソナタは、均衡を失いつつある世界の不吉な雰囲気のなかに、われわれを荒々しく投げ入れる。混沌と未知が支配する。人間は危険な力の爆発を目のあたりにする。それにもかかわらず、人間が生きるためのよりどころとなするものは存続する。彼は、ものごとを強く感じ取ること、愛することを止めない。いっさいのものごとが、いまや彼にとって充足の対象となる。同胞と力を合わせて抗議し、万人に襲いかかる不幸を分かちもつ。打ち勝つ意志に力づけられ、行く手に立ちはだかるすべてを払いのける。大規模な闘争のなかから、抑えがたい生命力を確認させてくれる支えを汲み取る。



Sviatoslav Richter - Prokofiev - Piano Sonata No. 7 in B flat major, Op. 83



第8ソナタ
プロコフィエフが1944年に初演。プロコフィエフは2度続けて弾いたが、それがまったく桁はずれな作品であることを納得するには、一度聴けば十分だった。しかし、私自身それを弾いてみる気はあるかと訊ねられると、答えに詰まった。
それは、プロコフィエフのすべてのソナタのなかで、最も豊かなものだ。並はずれて複雑で深遠な、際立った生命を蔵していた。まるで時間の仮借ない流れに身を任すかのように、音楽が萎えてしまうかに見える瞬間もあった。このソナタは、ときには近寄りがたいが、それは果実の重みにたわむ樹木のように、その豊かさゆえなのだ。
 以来、第4ソナタ、第9ソナタとともに、これは私の好きなソナタである。音楽院大ホールでのリサイタルで、ギレリスはこれを見事に弾いた。


Prokofiev - Piano sonata n°8 - Richter 1961 London live



Sviatoslav Richter - Prokofiev - Piano Sonata No 4 in C minor, Op 29



第9ソナタ
プロコフィエフは自分の誕生日に、ニコリナ・ゴナにある別荘に私を初めて招いてくれた。
いきない「君にあげるおもしろいものがあるんだ」と言い、第9ソナタの素描を見せた。「君のソナタになるのだよ...。大向こう受けするなんてことはくれぐれも考えないでくれたまえ。音楽院の大ホールを拍手の嵐でぐらつかせるような音楽ではないんだ。」
そして実際、最初眺めたときには、少し間の抜けたささいな作品に見えた。少々失望さえした。


第9番は、リヒテルに献呈されたソナタ。
旋律は和声はプロコフィエフそのものだけれど、今までのソナタとは全く作風が異なる。

Sviatoslav Richter plays Prokofiev Sonata No. 9, Op. 103

tag : プロコフィエフ リヒテル 伝記・評論

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パナソニック製ホームベーカリー SD-BH106
タイガーのIH式ホームベーカリー(KBH-V100)を購入したところ、高加水パンが上手く焼けない。
やむなく、新品を2台も買うなんてバカバカしいと思いつつ、パナソニック製ホームベーカリーSD-BH106も購入。
SD-BH106は、今の最新型よりも一つ前の機種で、うどん・パスタ・餅コースもないので、7000円台とセール中だった。
手づくりうどんとパスタはほとんど食べなくなったし、お正月だけ食べるお餅はタイガーで作れば良いので、一番機能がシンプルな機種で十分。
何よりも、買うととっても高い高加水パンが、(お店と同じ出来にはならなくても)機械におまかせで簡単に美味しく作れるのがとても良いところ。

Panasonic ホームベーカリー 1斤タイプ ピンクホワイト SD-BH106-PWPanasonic ホームベーカリー 1斤タイプ ピンクホワイト SD-BH106-PW
(2013/09/10)
パナソニック(Panasonic)

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付属品として、分厚く長めのミトンが一対。左右がわかるように色を変えた目印がついているのが親切。
計量カップも天然酵母の生種用と普通の水用と2つあり、色を変えているので間違えようがない。
こういう細かいところまで、使い勝手が良いように行き届いているのは、さすがにpanasonic製品。
(タイガーは、ミトンなし。2つの計量カップが同じもので、○○用とカップに目印もないので間違いやすい)

<高加水パンの焼き方>
私が焼いた高加水パンは、主に2種類。
1つは、加水率80%の「ロデブ風食パン」
今まで使っていたSD-BM101では、何十回も焼いていて失敗したことがない。
SD-BH106でも、ドライイースト少量で天然酵母コースで焼くと、前機種同様、上手く焼けたので、ひと安心。

もう1つの高加水パンは、今回初めて焼いた加水率88%の「チャバタ風食パン」
配合は、『有名パン職人のホームベーカリーレシピ』に載っていた志賀勝栄シェフのレシピ。
今回は、指定されている銘柄の材料が揃わなかったので、他の銘柄品で代用して作ってみた。
これくらい加水率が高いチャバタを焼くには、硬水を使わないと、生地がだれてドロドロのまま、発酵不足で生焼け状態になる。
志賀シェフのレシピでは、コントレックスを冷水に少量混ぜて硬度300mg/l弱の中硬水にしている。
ためしに、コントレックスではなく、硬度300mg/lくらいのエヴィアンを水分として全量使ってみたところ、これも問題なく焼ける。

硬水を使う理由は、ミネラル含有量が多いため、生地の引き締め効果があるから。(これは、主にマグネシウムの作用らしい)
市販の硬水を使わずに、「にがり」を冷水に混ぜても硬水化できる。
硬水も「にがり」もストックしていないので、ミネラル(特にマグネシウム)含有量の多い塩を使えば、硬水を使ったときと同じ効果が得られるのではないかと思って、実験してみた。

硬水使用と、硬水不使用の2種類のレシピでそれぞれ数回焼いてみたところ、硬水使用の場合は全て成功。
硬水不使用の場合は、1回成功、3回失敗。
使った材料は、オーベルジュ(フランスパン専用準強力粉)またはリスドォル、ドライイースト、モルトパウダー、塩(「赤穂の天塩」)、硬水&軟水、または、軟水のみ。
塩は、ミネラル分の多い「赤穂の天塩」使用。マグネシウム含有量が500mg/100gと多いので、塩を水で溶かすと、この場合の計算上の硬度は、500mg/l強。
ただし、硬水を使った方が塩のミネラル分も加わって、計算上硬度が500mg/lよりもずっと高くなるので、生地が早くまとまるし、生地のグルテンが多少しっかりしている感じがする。

失敗したのは、硬水不使用のレシピで、オーベルジュを使って、塩を冷水に溶かさずに、粉と一緒に入れた時。ミネラルが生地全体に行き渡らなかったのか、生地がまとまらずドロドロだった。塩を冷水に溶かしたら、成功。
リスドォルを使うと、塩だけでは生地がだれやすく、発酵不足気味で、クラムの下半分は、水分が多くてベタ~と糊みたいに粘っている。モチモチしているので、お餅っぽい味。食べられないことはないけれど、美味しいというわけでもなく。
オーベルジュの方が、硬水を入れなくても、グルテンがわりとしっかりできるので、生地がだれにくい。
そう度々チャバタを焼くこともないし、粉はだいたいリスドォルをストックしているので、失敗せずに作るならエヴィアン(またはにがり水)を使った方が良い。

面白いのは、パナソニックで焼いたいつものパンとは違って、クラストが薄くてパリっと焼きあがるところ。
食パンコースで焼くレシピなので、焼成時間が40分。
タイガーでは焼成時間30分なのでクラストが薄いのに比べて、パナソニックで焼いたパンは、いつも皮が分厚くてバリバリでお煎餅かクッキーみたいに焼きあがる。
ところが、加水率80%の「ロデブ風食パン」も少し薄めのクラストだったけれど、このチャバタでは、タイガー並みに皮が薄くてパリっと食べやすい。
水分が多いと、パナソニックで焼いても、薄皮になるというのが面白い。
パナソニックの上位機種についている「パン・ド・ミ」コースでは、加水率80%と高加水なので、それと似たようなパンになるのかも。

試しに、フランスパンコースでHB付属レシピの普通の「フランスパン風食パン」(加水率76%)を焼いてみたところ、焼成時間が50分なのでやっぱり皮が厚くてバリバリ。クラムも、ふんわりしているけれど、水分がとんで、粉の味わいがない。
高加水パン以外のパンを焼くなら、タイガーの方がずっと美味しい。
ただし、タイガーが使いにくい点は、HB付属レシピの配合をいろいろ変えて作ると、失敗することが多い。
油脂・砂糖を減らす、米粉を入れる、水分を増やしたりすると、増減量によっては失敗する。
配合を変えても上手く焼ける増減量の幅が、パナソニックに比べてかなり狭いので、付属レシピで作った方が無難。

逆に、パナソニックなら、レシピの配合をかなり変えたり、オリジナルレシピで作っても、大きく失敗することが少ない。
油脂や砂糖を減らしても、膨らみは悪くなるけれど、クラムまでしっかり焼けるし、加水量を80%まで増やしても、水っぽいとか発酵不足になることがない。


(参考情報)
志賀勝栄『パンの世界 基本から最前線まで』
<第5章 水と塩の役割>

- 私が作るパンは、世界的にみても加水率が圧倒的に多い。パン・ペイザン103%、チャバタ95%以下になることはなく、100」%を超えるときもある。パン・ド・ブランのような食パンでも90%はある。大半のパンは加水率75%を超えている。
- パゲットの加水量が10%増えるとリュスティック、さらに10%増えるとパン・ド・ロデブに変わる。水の量を変えるだけで、全く違うパンになる。
- 普通は標準から10%も水を増やすことはない。たった0.5%増やすだけでも生地の状態がてきめんに変わってくるから。コントロールできなくなるので、そんな冒険をする人はほとんどいない。
- 同じ名前で売られているパンと比べ、私のパンは5~10%加水が多い。これだけ加水が多いと、まったく違うパンといっていい。本来なら別の名前をつけるべきもの。
- 水分が多いと酵素や酵母が生地全体に万遍なくゆき渡るぶん、発酵が進みやすい。長時間発酵させたりすれば、もうドロドロと手から流れ落ちるほど軟化する。だから、パンの形はシンプルなものばかり。丸い形か、ナマコ形か、棒形しかない。加水を増やすことを選んで、美しいフォルムを捨てた。
- どのパンの断面を見てもツヤツヤしているようなパン屋は、シニフィアン・シニフィエ以外にあまりないと思う。加水が少ないと、気泡を包む膜に光沢はできない。デンプンは加熱すると水を吸って膨らみ、糊状になる、これを糊化という。加水が多いと糊化がスムーズに進むので、断面がピカピカしてくる。
- 食感も全く変わってくる。非常にモッチリしている、。パンであって、パンでない。むしろ餅や求肥に近い食感がある。
- 粉の選び方でも変わってくるが、加水が多いと発酵も進みやすいので、旨味は強くなる。これまでにない味が作る出せる。フォルムを捨てても、十分に得るものがある。


<大豆粉&きな粉のソイスコーン>
もう一つ、パナソニックのホームベーカリーを買って正解だったと思ったのは、「ソイスコーン」がとても美味しかったこと。
付属レシピの材料と配合をかなり変えて作ったところ、スコーンというよりは、バターの少ないパウンドケーキ風。
大豆粉&きな粉を粉量の半分以上を使うので、糖質が60%オフと糖質をそれほど気にせず食べられる。
常備していない豆乳は入れず、クリープとココナッツミルクパウダーを溶かしたお湯で代用。
ザクザクした食感とナッツみたいな素朴な味と自然な甘みがとても美味しくて、私の好みにぴったり。
ただし、大豆粉ときな粉を使っているので、カロリーは小麦粉100%よりも高い。
食物繊維とたんぱく質がたっぷり入っているので、お腹がかなり膨れる。
糖質が少ないので安心してパクパクと半分以上食べていたら、摂取カロリーがバカにならないことに気がついた。(1個丸ごと食べたら800kcal以上)
糖質が少なくても、トータルのカロリー摂取量が消費カロリーを上回れば、太るのは間違いない。

いろいろ作ってみたところ、パナソニックの一番の長所は、どんなレシピでも安定して焼き上がること。
結局、高加水パンとソイスコーン、それに、オリジナルレシピのパンを焼くなら、パナソニックのホームベーカリー。
それ以外の普通の食パン、フランスパン、ライ麦パン、天然酵母パンなどは、食感と味の良いタイガーで主にHB付属レシピを使って焼いている。
今は高加水パンとソイスコーンをよく食べるので、パナソニックの方がタイガーよりも使用頻度が多い。
ホームベーカリーを2台買うのは無駄のような気もしたけれど、使い分けできることがわかったので、結果的には良い選択だった。

tag : ホームベーカリー

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ユーリ・エゴロフ・メモリアルコンサート (Young Pianist Festival in 2013)
コロリオフの情報を探していて見つけたのは、Young Pianist Foundation (YPF) が主催している”Young Pianist Festival”のプログラムのひとつであるユーリ・エゴロフ・メモリアルコンサートのライブ映像。

ユーリ・エゴロフは、ソ連から亡命してアムステルダムに移住したピアニスト。エイズの合併症により33歳で早世。
その後、Dick Swaanを初代議長として、Youri Egorov Foundationが設立された。
Youri Egorov Foundationは、若手ピアニスト支援のために、エゴロフの遺産管理をYoung Pianist Foundationに委託している。

Young Pianist Foundation は、プロのピアニスト育成を目的として、Marcel Baudetによって1999年に設立。
(Marcel Baudetは、Amsterdam Conservatory、Yehudi Menuhin Schoolのピアノ科教授。1982~2011年にわたってハーグのRoyal Conservatoryでも教えていた)

Young Pianist Foundationが開催する”Young Pianist Festival”では、国際ピアノコンクール、レクチャー、マスタークラス、現役のプロピアニストによる演奏会を開催している。
2013年のYoung Pianist Festivalの演奏会に登場したのは、アンヌ・ケフェレック、エミール・ナウモフ、ボリス・ベルマン、エフゲニー・コロリオフ、ホルヘ・ルイス・プラッツ。
5人がそれぞれソロリサイタルを行い、さらに5人が3台のピアノで合奏するという珍しい演奏まで入っている。

コロリオフはもちろん、ケフェレックとベルマンは聴いたことがある。ナウモフとプラッツは名前は知っていても聴いたのはこれが初めて。
面白いのが、3台のピアノを使った10手連弾(というのかわからないけど)。
これだけ細かいパッセージを速いテンポで弾いても、縦の線がばらばらと乱れずに、ごちゃごちゃと混濁することなく淀みなく流れのがさすが。
曲名はプログラムにも載っていないのでわからない。アンコールでも最初と同じ曲を弾いているらしい。

Prats, Queffélec, Naoumoff, Berman, Koroliov - Live Concert - HD



Anne Queffélec - Bach & Händel - Live Concert - HD

1.Johann Sebastian Bach/Ferrucio Busoni Nun komm der Heiden Heiland BWV659a
2.Alessandro Marcello/Johann Sebastian Bach Adagio, uit Hoboconcert in d BWV974
3.Antonio Vivaldi/Johann Sebastian Bach Largo, uit Orgelconcert in d BWV596
4.Georg Friedrich Händel/Wilhelm Kempff Menuet uit Suite in Bes HWV434

ケフェレックが弾いた曲のなかで特に美しいのが、2曲目(5:07~)の「アダージョ」。(この曲は聴いたことがなかった)
イタリア人作曲家アレッサンドロ・マルチェッロの代表作《オーボエ協奏曲ニ短調》をバッハがチェンバロ曲(BWV974)に編曲したもの。
同じくらいに美しいのは、4曲目(12:50~)のケンプ編曲によるヘンデルの《チェンバロ組曲HWV.434》のメヌエットト短調。


Emile Naoumoff - Maurice Ravel Valses Nobles et Sentimentales - Live Concert - HD

エミール・ナウモフは、ブルガリア生まれの作曲家・ピアニストで、 ナディア・ブーランジェのお弟子さん。


Boris Berman - Sergej Prokofjev Sonate nr. 5 - Live Concert - HD

プロコフィエフの第5ソナタは、勇名な第7番や第6番・第8番に比べると、演奏しているのをあまり聴いたことがない。
ピアノ協奏曲第2番に出てくるような旋律があったり、ちょっと摩訶不思議な楽しさがあったりして、結構面白い曲。
初版が1923年(Op.38)、改訂版が1953年(Op.135)で、今でも両方の版が演奏されているらしい。
この曲はそれほどしっかり聴いたことはないので、楽譜を見ないとどちらの版を演奏しているのかわからない。

Evgeni Koroliov - Claude Debussy Préludes - Live Concert - HD

Claude Debussy/Préludes Des pas sur la neige, Dance de Puck, Minstrels, Canope, Les tierces alternées, Feux d'artifice

珍しいコロリオフのドビュッシー。”バッハ弾き”というイメージがあるので、全く奏法の違うドビュッシーには興味はあったけれど、CDでは聴いたことがなかった。粒の揃った折り目正しく明晰なドビュッシー...みたいな感じ。


Jorge Luis Prats - Vitier, Ravel & Bortkiewicz - Live Concert - HD

Jose Maria Vitier/ Sofia
Sergei Bortkiewicz/ Etude op. 15 nr. 8 in Des
Maurice/ Ravel La Valse

とても印象的なのは、叙情美しくもパッショネイトなホセ・マリア・ ビティエールの” Sofia”。
セルゲイ・ボルトキエヴィッチの”Etude”も、ラフマニノフ風の古きよき時代を髣髴するような濃厚なロマンティシズムが優雅で美しい。

ホルヘ・ルイス・プラッツ Jorge Luis Prats PROFILE(KAJIMOTOホームページ)
Jose Ma Vitier(ホセ・マリア・ ビティエール )は、キューバ音楽界の重鎮で、作曲家・鍵盤奏者。キューバのシンフォニック・プログレッシブ・バンドGrupo Sintesisにも在籍したことがある。


<関連サイト>
Young Pianists Festival in november 2015
Pianists Festival Foundation

tag : エゴロフ ケフェレック コロリオフ

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ブリューノ・モンサンジョン著 『リヒテル』
ブルーノ・モンサンジョン監督による伝記『リヒテル』。リヒテルへのインタビューを元にしているので、リヒテル自身語った言葉が多数載っている。
同監督の製作した伝記映画『エニグマ~甦るロシアの巨人』でも、最晩年のリヒテル自らが回想している。

リヒテルリヒテル
(2000/09)
ブリューノ モンサンジョン

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<目次>
ありのままのリヒテル
  幼年/オデッサでの1930年代/ゲンリフ・ネイガウス/戦争の時代/プロコフィエフ論/暗い一ページ/国境を越えて/さまざまなシルエット/鏡
音楽をめぐる手帳(1970~1995)
付録:音楽ドン・ファンのカタログの歌 ― 数字で見るリヒテル/演奏会/レパートリー
訳者あとがき
索引-巻末

ユーディナに対する記述を確認したいので、久しぶりに図書館から借りて再読。(いちいち借りるのは面倒なので、速く再販して欲しい)
先日読んだユーリー・ボリソフの『リヒテルは語る』に載っているリヒテルの言葉とは、かなり違ったトーン。
『リヒテルは語る』のなかで、「私の人生において、太陽のように崇めるピアニストは3人いた。ソフロニツキー、ネイガウス、そしてユージナだ!」と語っていたピアニストと同じ人の言葉だとは思えない。
一体リヒテルの真意はどちら? 少なくとも、最晩年のリヒテルは、ユージナに対しては非常にネガティブな感情を持っていたというのは確か。

マリア・ヴェニアミノヴナ・ユージナはと言えば、驚くべき人物でした。彼女のことは知っていましたけれど、親しくはありませんでした。というか、ひどく変わった人だったので誰もが避けていたと言うべきでしょう。ユージナのほうは私に対し、むしろ疑うような態度を見せ、批判的でした。こう言っていました。-
「リヒテル?ふん!ラフマニノフ向きのピアニストだわ。」
 彼女の口から発されると、これはけっしてほめ言葉ではありませんでした。ときに彼女自身ラフマニノフを弾くことがあったとしてもです。-----ユージナは晩年、つねに黒装束に身をつつんだクリュタイムネーストラさながらに丸々と太り、演奏会ではズック靴をはいていました。たいへんな才能で、同時代の音楽を宣伝する人でした。崇拝するストラヴィンスキーをはじめ、ヒンデミット、クシェネク、バルトークなどを弾きました。これらの作曲家がたんにソ連で知られていなかっただけでなく、ほとんど禁じられていた時代にです。それから、彼女がロマン派音楽を弾くときは印象的でした・・・・・。ただし楽譜どおりには弾きませんでした。リストの《泣き、そして嘆き》は驚異的でしたが、シューベルトの《変ロ長調ソナタ》-度肝を抜くような演奏でした-はありうべき演奏のまさに対極でしたし、ショパンの《第2ノクターン》はあまりに雄々しくて、ピアノというよりはトランペットの響きでした。もはやショパンやシューベルトというよりも、ユージナそのものでした。
 戦時中、彼女が他ならぬ《平均律クラヴィーア曲集》を弾いたコンサートはすばらしいものでした。第2巻の<前奏曲変ロ短調「観想的」>が、速いフォルティッシモでさっさと片付けられたとしてもです。終演後、私と同伴したネイガウスが祝辞を述べに楽屋に行きました。「マリア・ヴェニアミノヴナ、それにしても、どうして<前奏曲変ロ短調>をあんなに劇的に弾いたんです?」というネイガウスの質問に、
「今は戦争中ですから!!!」
 いかにもユージナらしかった。「今は戦争中だ」だからヨハン・セバスチャン・バッハのなかに絶対に戦争を入れなければならない、というのです。

 ユージナのコンサートを聴き終わると頭痛がしました。聴衆にそれほどの暴力をふるったのです。信じがたい暴力です。そもそも舞台に出てくる登場のしかたが変わっていました。雨のなかを歩いてでもいるような印象でした。それから、十字架の装身具を身につけ、弾きだす前に十字を切りました。別にそれがいけないという言うんじゃありませんが、あの時代のソ連では・・・・・。
 大勢の賛美者がいました。聴衆がほめそやしたのは彼女の強烈な芸術的個性のせいでしょうが、またおそらく宗教的感情をあらわに見せたためでもあるでしょう。私としては、彼女のふるまいはあまりに芝居がかっていて、その信心もいささかまがい物でこれ見よがしだと思いました。ユージナは公の場に登場する最後のころになると、パステルナークの詩句を読まずにはいられませんでした。かつて彼女の多くのコンサートが当局の命令で中止となり、以後も公的な場で弾きたいならむやみにその種の挑発を行わないと約束されられていたのですが、衝動を抑えきれずに朗読しました。その光景をなおさらおぞましいものにしたのは、・・・・彼女の歯がすっかり抜けていたことです。
 もちろん、彼女は貧民たちを世話し、自宅に引き取り、自分も浮浪者のような生活をしていました。常軌を逸した女性、つまり尋常ならざる芸術家です。ただ、いつも何かを考え出す欲求を感じていました。じつを言えば、彼女に好感を持ったことはほとんどありません。あの人は自分の気持ちに忠実であったのかもしれませんが、作曲家たちとの関係は誠実さを欠くように思われます。それでも私は彼女の葬儀で弾きました。ラフマニノフを・・・・・。



                          

以前読んだときはリヒテルに直接関係した伝記部分だけが記憶に残っていたのに、再読すると、師ネイガウス、同僚ピアニストやプロコフィエフの対する回想や批評の部分が面白い。
昔は録音をほとんど知らなかったユーディナとヴェデルニコフの演奏やプロコフィエフ作品でも、今は自分の持っている知識や聴いた録音を通して、興味を持って読めるし、リヒテルの言っていることも理解しやすい。

「序文」は、ミステリー小説?みたいに、リヒテルが最初から全然姿を現さず、秘書の言葉だけが登場する。
以前読んだときによく覚えていたのは、モスクワ音楽院を訪れたリヒテルの演奏を聴いたネイガウスが「天才だよ」と言ったエピソード、ギレリスが医療過誤が原因で急逝したこと、カラヤンの指揮で録音したベートーヴェンの三重協奏曲、ドイツ人の父親にまつわる話しなど。


「Ⅲゲンリヒ・ネイガウス」
主にモスクワ音楽院時代の回想。師ネイガウスと同僚ピアニストに対してリヒテルがどういう想いを抱いていたのかがよくわかる。
ネイガウスについては、終生尊敬・敬愛していた。ネイガウスも著書『ピアノ演奏芸術―ある教育者の手記』でリヒテルを高く評価していた。理想的な師弟関係だったに違いない。

 小さい手が彼の演奏の響きに不利に働くのではないかと心配する人がいたかもしれませんが、そんなことはまったくありませんでした。彼はすばらしい響きを持っていました。ピアノに向かって高く腰掛ける姿勢、あれはネイガウスから受けた教えです。彼の言うとおりでした。事実、すべてがこの姿勢にかかっています。
 ネイガウスの演奏にも、ときとして出来不出来がありました。教えることに時間をとられ、自分の練習に割ける時間が十分になかったからです、教育というのは、ひとりのピアニストを殺しかねないほど苛酷なものです。それに自分自身がありったけの時間を費やして学ばなけれならないものが尽きないときに、どうして他人に教えたりできるでしょう、
 ネイガウス自身は、私に教えることは何もないというのが口癖でしたが、彼から学んだものはたくさんあります。....ネイガウスは何よりも、沈黙を感じ取る感覚と歌の感覚を教えてくれました。
 弾きたいと思わないのに弾いた曲と言えば、ただひとつ、ベートーヴェンの《ソナタ変イ長調》作品110くらいなものです。音楽院の一年目にネイガウスから与えられた課題曲でした。「これをよけて通ってはならない。この曲のなかにはたまになるものがたくさん見つかるはずだよ」といいました。私としては気乗りしませんでした、末尾のフーガの前後にアイオーソを配したその曲は、ほとんど真情吐露が過ぎるように思われました。ほとんど下品で悪趣味に見えました。その後、かなり頻繁に作品110を弾いたのは演奏が比較的容易だからです。作品101とは大違いです。こちらはおそろしく難しい曲です。作品111以上ですし、危険さにかけては、《ハンマークラヴィーア・ソナタ》をしのぎます。(こんな断定は多くの人の耳には異説と響くでしょう。)
 とはいえ、作品110のレッスンを通じてネイガウスは、どうすれば歌うような響きがだせるか、私のあこがれるたっぷりと歌うような響きが出せるかを教えてくれました。そうした響きは、おそらく元来私のなかにあったものでしょうが、私の両の手の緊張をほぐし、肩の広げた方を教えることで、それを解き放ってくれたのです。歌劇場の練習ピアニスト時代のなごりの、あの硬直した響きが取り払われました。


Beethoven - Piano sonata n°31 op.110 - Richter Moscow 1965


 一年目に与えられたもうひとつの課題曲は、リストの《ソナタ》でした。この傑作がはらんでいるもっとも重要なもの、そしてネイガウスが教えてくれたものは、曲のなかに散在する沈黙です。どうすれば、そうした沈黙が響かせられるかということです。響かせられるかということです。要は曲の出だしです。この何ということもないソの音を、何か非常に特別なもののように響かせるにはどうすればよいか。

 私には、演劇的素養というものが、音楽のなかでとても大事なもののように思われます。不意打ちの感覚を誘発することが肝心なのです。
不意なもの、思いがけないもの、それこそが感銘を生みます。私がネイガウスのもとに見つけにきたもの、そして彼が開示してくれたものは、それでした。


一方、同僚ピアニストに対してはかなり手厳しい。
ギレリスについては、『リヒテルは語る』でも少し批判していたけれど、ここでは性格面にも触れていて、いささか言葉に棘がある。
実際、ギレリスがそういうパーソナリティの持ち主だったのかもしれないけど。

 エミール・ギレリスが、ネイガウスのクラスに通っていました。すべてを兼ね備えた音楽家で、すばらしいピアニストでした。プロコフィエフの《ソナタ第8番》を初演したのは彼です。私も会場にいましたが、ただただ人を瞠目させてやまない演奏でした。同じ作曲家の《ソナタ第3番》も彼の演奏ぶりがあまりに見事だったので、私は自分で弾くのをあきらめたほどです。大好きなソナタですが、ギレリスが弾くのを聴いたあとでは、自分はあれに何も付け加えることはできまい、と感じました。
 ギレリスとは一度だけ一緒に弾きました。戦時中のラジオ放送のための演奏で、サン=サーンスの《ベートーヴェンの主題による変奏曲》でした。
 はじめは友好的だったわれわれの関係は、いくぶん奇妙なものになりました。たしかにギレリスはとても偉大なピアニストでしたが、また気むずかしい人でもありました。とても怒りっぽく、手のつけられない性格の持ち主でした、何かというとすぐ仏頂面をしました。病的なほど嫉妬心が深く、それは彼自身にとっても不快なことでした。何しろ自分が不幸であるという意識を始終抱え込むことになったわけですから。
 ネイガウスに対して、ギレリスはおそろしくひどいふるまいをしました。ネイガウスの晩年に、むごいことをしたのです。彼は新聞にも、ネイガウス個人に宛てても、自分がかつてネイガウスの生徒であったことはない、と書きました。彼はそれを否認したのです。ネイガウスのほうは、ギレリスを敬っていました。ただ、とても率直に接し、もちろん、ときに批判することもありました。しかし、肯定的な批判のしかたでした。私を批判するときと同じです。感情を害しやすいギレリスは、どんな小さな批判にも耐えられませんでした。それだけで、彼にああした許しがたいふるまいをさせるには十分だったのです。モスクワでは、ギレリスがネイガウスの弟子であることは周知の事実でしたから、誰もが憤慨しました。私は、このことを知ったとき、ギレリスに挨拶しなくなりました。ネイガウスはとても傷つき、まもなく他界しました。
 彼を蝕んでいたたえまない嫉妬-何事に関しても私には無縁の感情です-あの嫉妬さえなければ、あれほど類まれな才能の持ち主ですから、幸福な芸術家たるに足りないものはなかったはずです。


Emil Gilels plays Prokofiev Piano Sonata No. 8 (Studio recording in Vienna, 1974)


Gilels - Prokofiev Sonata no. 3 in A minor (1959, London.)[Youtube]


全然覚えていなかったのは、ヴェデルニコフに関する部分。
当時読んだときは、ヴェデルニコフの名前も録音も聴いたことがなかったので、記憶に残らなかった。
ヴェデルニコフについても、ギレリス同様、手厳しい述懐。
ヴェデルニコフが”天邪鬼”だというのは、ソ連当局の方針に反して、現代の作品を演奏したために冷遇されていたので、そのとおりなのかも。
(音楽院時代の)ヴェデルニコフのピアノの音が美しくない...というのは、録音を聴いてもピアノの状態自体が良くないし、学生時代とは音色が変わっているかもしれない。


 しかしながら、ゲンリヒ・グスターヴォヴィチにおける私の親友は、一風変わった若者でした。アナトーリー・ヴェデルニコフです。私より5歳年少の彼は、神童でした。1937年に私がモスクワに来たとき彼は17歳で、すでにネイガウスのクラスにいて、見事な演奏をしていました。ヴェデルニコフと私はたちまち親しくなりました。私には住まいがなかったので、彼の家に泊めてもらうこともありました。いっしょに弾くのがとても楽しい、素晴らしいピアニストで、よく連弾しました。ヴェデルニコフとはまた録音もしました。しかし、特に1939年からは「学生サークル」ができまして、ヴェデルニコフと私がまとめ役でした。
 ヴェデルニコフのほうが(ワジム・グサコーフよりも)音楽家としておもしろく、彼はむしろ前衛派でした。何でも演奏できて、当時誰もあえてレパートリーに入れないような新しい作品を、たくさん蓄えていました。ストラヴィンスキーの《ソナタ》、ヒンデミットの《ルードゥス・トナリス》、ドビュッシーの《12の練習曲》(私の見るところ、彼の一番すばらしい演奏のひとつでした)、シェーンベルクの《協奏曲》などです。ただし-というのも彼の演奏には「ただし」の余地がつきまとい、ネイガウスはそれを矯正しようとひどく苦労しました-音が美しくありませんでした。彼はおそろしく依怙地で、からだ全体を使わないでもっぱら手だけで演奏しました。これについてネイガウスは、たえず彼と言い争っていました。しかし、音色にかけては誰よりも造詣の深いネイガウスの議論を、絶対に聞き入れませんでした。不幸にして、ヴェデルニコフはまた、かなりむずかしい性格をしていました。というか、コンプレックスに苛まれていたのです。天邪鬼で、いつも何かにつけて異を唱え、有無を言わせぬ口調で個人の神経を逆なでするのでした。ある理論をもっていて、それによると「芸術家主義」-それが彼の言い方でした-すなわち、芸術における個人性という意味ですが、それがオ音楽の邪魔をするというのです。ばかげていました。私の言いたいのは、何も、演奏家は自分を前面に押し出すべきだということではありません。自分を消し去るべきだということでもありません。むしろ作曲家を映す鏡たるべきなんです。作曲家のなかに具現されなければならないんです。しかもそのばかげた考えは、彼自身の演奏の仕方によってたちまち裏切られました。挑発的というよりは、依怙地なせいで、始終この種のことを説いて時間を過ごしていました。そしていつもまんまと人を激昂させるのです。
 彼にはもうひとつの理論があり、ピアノは打楽器以外の何ものでもなく、歌わせることはできない、ピアノ音は長く続かず、発されるとたちまち消滅する、というのでした。そうした説はすべて、きわめて疑わしいものでした。
 ---さすがに私もうんざりでした。はじめはとても仲が好かったのですが、いっしょに弾かなくなりました。そんなことをする気がなくなりました。


「Ⅷ さまざまなシルエット」
一緒に演奏した演奏家たちについて。言及されているのは、カラヤン、ロストロポーヴィチ、オイストラフ、クライバー、ブリテン、ムラヴィンスキー、ザンデルリンクなど。
名演と言われているベートーヴェンのトリプル・コンチェルト、チャイコフスキーのピアノ協奏曲、ドヴォルザークのピアノ協奏曲にまつわる話が載っている。
いずれもリヒテルにとっては不満足な出来だった。
チャイコフスキーについては、もともとカラヤンの伴奏がピアノを圧倒するように演奏しているので、リヒテルもそれに合わせていた。
2人の間に演奏解釈上大きな不協和があったわけではなく、ある箇所だけリヒテルの要望をカラヤンが無視して演奏したことをリヒテルは批判している。
それとは違って、トリプル・コンチェルトは、演奏解釈に関して、カラヤン&ロストロポーヴィチ VS リヒテル&オイストラフ、みたいな図式になってしまい、散々な録音風景。


「Ⅸ鏡」
リヒテルの演奏論、作曲家論・作品論。
日々の練習方法、リサイタルへ向けた演奏の仕上げ方、暗譜することについて。絶対音感が狂って音が高く(2音も3音も)聴こえるようになったこと。音楽幻聴が聴こえていたこと。

 慢性的な欝状態にかかったことが何度もあります。一番ひどかったのは1974年のものです。...それに幻聴が伴いました。4ヶ月も昼夜の区別なく、寝ているときですら悩まされました。激しいリズムを伴って駆け上がってゆく数小節のフレーズが、繰り返し聴こえるようになりました。減7度の和音にもとづくフレーズでした。幾晩も夜とおし起きていて、自分に聞こえているものはじつは聞こえているのではなく、聞こえているように思っているだけだと想像しようとしたり、その音域を見極めたりしました。そうした素朴な音やハーモニーをたえず同定し、修正しようとしました。...とうとうそれが、どちらかといえば慎ましいある作品のヴァリアントのようなものだということがわかりました。.初歩的なハーモニー進行に基づく、子供のころの私に不思議と大きな影響を及ぼした音楽でした。ラフマニノフの<ヴォカリーズ>です。無意識のうちに、それが私の初期の作曲のモデルになっていたのです。奇妙なことに、幻聴が日1日と消えていったのは、薬の処方の効果ではなく、薬を絶ったおかげでした。しかし、この現象は欝状態に陥るごとに再発しました。

ヒンデミットはおそらく、音楽における「ゲルマン性」の最後の巨匠です。それからマックス・レーガーも好きです。彼のそれぞれが作曲技法に関して一家をなしていますが、ヒンデミットにはそれに加えて、人が見過ごしているユーモアがあります。私にとっての傑作は、超人的な力強さをはらんだピアノ組曲《1922年》と、パリでナディア・ブーランジェが私に弾くように勧めた《ルードゥス・トナリス》です。音楽は驚異的です。

(演奏家の演奏が)楽譜が含んでいるものを映す鏡となるには、ただ良く眺めれば良いのです。
演奏家は音楽を支配するのではなく、音楽に溶け込まなくてはなりません。


<過去記事>
モンサンジョン著 『リヒテル』、モンサンジョン監督 『謎(エニグマ) ~ 甦るロシアの巨人』
ユーリー・ボリソフ 『リヒテルは語る 人とピアノ、芸術と夢』

tag : リヒテル ギレリス ヴェデルニコフ ネイガウス モンサンジョン 伝記・評論

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野瀬泰申 『天ぷらにソースをかけますか? ニッポン食文化の境界線』
『天ぷらにソースをかけますか? ニッポン食文化の境界線』は、日経新聞電子版に連載された<食べ物新日本奇行>のテーマから抜粋・編集した15章と、「東海道食文化の境界リポート」を収録。
<食べ物新日本奇行>の目的は、「いまだ国民に広く自覚されていない食の方言を解明し、伊能忠敬もなしえなかった全く新しい地図を作ること」。

各章の最後には、日経電子版オンライン記事上で収集された読者の回答を分析した食文化地図(傾向別に47都道府県を塗り分けした日本地図)が載っている。
この地図を見れば、食文化の境界線がどのあたりにあるか一目瞭然。
小学校の理科か社会科?の授業で出てきた「糸魚川-静岡構造線」あたりが、東西食文化の境界線になっている食文化もあれば、東日本と西日本の間に中京/名古屋食文化圏(名古屋名物のモーニングセットとか)が形成されていたり、東北や関西だけ顕著に見られる食べ方もある。
たまに、ある地域に共通する食文化が、なぜか飛び地みたいに遠く離れた地域に現われていたりするので、食文化の伝播の仕方もいろいろ。

食べ物新日本奇行[日経新聞電子版]
食べ物日本地図[日経新聞電子版]

天ぷらにソースをかけますか? ― ニッポン食文化の境界線天ぷらにソースをかけますか? ― ニッポン食文化の境界線
(2008/12/20)
野瀬 泰申


<目次>
第一章 ソースで天ぷら
 設問 ①天ぷらにソースをかけて食べますか。または食べていたことがありますか。
 天ぷらにソースは絶対かけない。(天つゆもつけないし)
食べ物日本地図

 設問 ②紅ショウガの天ぷらを知っていますか。 大阪ではポピュラー。私は食べないけど。
食べ物日本地図

第二章 キノコについて
 設問 ナメコの味噌汁が好きですか?
 好きでも嫌いでもなく。実家ではナメコを食べたことがなくて、自炊するようになってから、株とりナメコを買って、食べるようになった。

第三章 「ばら」か「ちらし」か
 設問 寿司飯の上に様々な具が彩りよくのった「ばら寿司(ちらし寿司)」をよく食べますか?

「ばら寿司」とは言わない。「ちらし寿司」は特別な日(誕生日、ひな祭り、子供の日、お正月、とか)に食べるものと決まっていた。岡山出身の母親が作ってくれた「祭りずし」は美味しかった。


第四章 ぜんざいVS.お汁粉
 設問 小豆やお餅が入った甘い食べ物をなんと呼びますか?

ぜんざい。こし餡なら、お汁粉。自家製なら全て粒餡のぜんざいしか作らない。
「汁なしの粒餡&お餅」が”ぜんざい”?? 単にお餅に餡をかけただけで、「白玉あずき」(団子に粒餡がついているだけ)みたいなものとしか思えない。
食べ物日本地図

第五章 「殺意」を秘めた辛いもの
 設問 唐辛子を「南蛮」と呼びますか?それとも「こしょう」と呼びますか?

唐辛子は単に「唐辛子」。「ゆずこしょう」がゆず入り唐辛子のことだと、最近初めて買って知った。

第六章 中華まんを考える
 設問 ①中華まんには何かつけますか?
 何もつけない。
 設問 ②「肉まん」と呼びますか?「豚まん」ですか?  「肉まん」

第七章 たこ焼き・お好み鉄板系
 設問 ①鉄板で焼くコナモンが好きですか?

かなり好き。昔は、白ご飯つきのお好み焼き定食や焼きそば定食とかを昼休みに時々食べていた。
どうやらご飯つき定食は大阪名物らしい。炭水化物だらけで栄養不足なので、今は食べないけど。
お好み焼きやたこ焼きのお店はどこでも見かけるので、電車通学していた高校時代は学校帰りに友達とよく食べていた。
テイクアウトもできるので、外出した母親のお土産が、お好み焼き、たこ焼き、明石焼き、大判焼き(今川焼きのこと)、鯛焼き、いか焼きと、コナモンばかりだった。

 設問 ②釣鐘型のたこ焼きはありますか? 見たことがない。

第八章 メロンパンとサンライズ
 設問 ①あなたの町にサンライズはありますか?

数年前、たまたまスーパーで「サンライズ」というパンを初めて見つけたら、普通のメロンパンだった。
食べ物日本地図[日経新聞電子版]

 設問 ②楕円形で白あんが入ったメロンパンを知っていますか?
これもスーパーで売っているニシカワ食品の「白あん入りメロンパン」を見て、そんなメロンパンがあるんだ~と初めて知った。
食べ物日本地図[日経新聞電子版]

第九章 牛対豚の「肉」談戦
 設問 あなたにとって「お肉」とは牛肉?豚肉?それとも・・・・・。

肉といえば、「牛」。豚肉はあまり食卓に出てこなかった。
食べ物日本地図[日経新聞電子版]

第十章 お豆について
 設問 豆の炊き込みご飯はありますか?

もちろんあり。もち米を使って小豆入りの赤飯、黒豆入りの白蒸し。うるち米なら、黒豆、グリーンピース、炒り大豆、緑豆の炊き込みご飯。
炒り大豆ご飯は、たまたまNHKの「きょうの料理」かなにかで、道場六三郎さんが作っていたのを見た母親が凄く気に入って、それ以来頻繁に食卓に出てきた。これは美味しい。

第十一章 冷やし中華にマヨネーズ
 設問 ①いわゆる「冷やし中華」を何と呼ぶ?
 「冷麺」。外食するお店でも「冷麺」が普通。
食べ物日本地図[日経新聞電子版]

 設問 ②それにマヨネーズをつける? つけない。お店でもマヨネーズは出てこない。
食べ物日本地図[日経新聞電子版]
「冷やし中華にマヨネーズ」文化圏は東海・東北! 西日本は「ありえない」強し[Jタウンネット東京都]

第十二章 日本の甘味処
 設問 ①あなたの住んでいるところの赤飯は甘納豆なんか入っていて甘いですか。それとも小豆入りで甘くないものですか。
 甘納豆は入れない。(そんな赤飯は見たことがない)
食べ物日本地図[日経新聞電子版]

 設問 ②茶わん蒸しには砂糖が入っていますか。栗の甘露煮は入りますか。 砂糖も甘露煮も入れない。
食べ物日本地図[日経新聞電子版]

 設問 ③卵焼きは砂糖が入っていて甘いですか。出しがたっぷりで甘くないものですか。
実家で食べていた卵焼きは、それほど甘くはないけど、砂糖入りだった。地図を見ると、関西は「甘くない」が優勢。母親の出身地岡山では、砂糖入り卵焼きが優勢なので、そのせい。
食べ物日本地図[日経新聞電子版]

第十三章 味噌と味噌汁
 設問 ①味噌汁に唐辛子など辛いものを入れる?
 
実家では絶対入っていなかった。数年前に初めてコチュジャンを買ってからお味噌汁とかに入れ始めて、今は柚子胡椒を入れるのが定番。味がぴりっと引きしまるし、ゆずの香りがいい。

②ニラの味噌汁は普通?
実家では、そもそもニラ自体、(チルド餃子は別として)どんな料理にも入っていなかった。自分でチヂミを作るときに使ってみても好きではなかったので、それ以来使わず。

第十四章 漬物をどうぞ
 設問 ①漬物を煮ますか?
 煮ない。漬物はそのまま食べる。(高菜漬けだけは炒飯にするけど)
 設問 ②「福神漬け」をなんと読みますか?  「ふくしんづけ」。でも、七福神を「しちふくじん」とよむから、「ふくじんづけ」の方が普通なのかも。

第十五章 カレーライスと生卵
 設問 ①カレーライスに卵をのせるなら生卵ですか、ゆで卵ですか?
 
卵は入れない。もともと生卵は嫌いなので、すき焼きにも、ざるそば(うずらの卵)にも使わない。人気の「冷凍卵」も全然美味しいとは思えない。

 設問 ②あなたのお住まいの地域には「カレーそば」はありますか? ない。「カレーうどん」のみ。
クックパッドニュースで紹介されていたのは、新潟県三条市の名物「カレーラーメン」。カレーラーメンのライス定食が定番。

第十六章 東海道における食文化の境界
サンマーメン、イルカ食、白ねぎ・青ねぎ、蒲焼の焼き方、名古屋のモーニングサービス、豆味噌の境界線を(鉄道を使いながら)歩いて探索した旅行記。
「サンマーメン」とは、焼きサンマをのっけたラーメン?と思ったけれど、横浜生まれの「あんかけモヤシラーメン」のことだった。
鯨ではなくイルカを食べる地域があるなんて、欧米の環境保護団体やグリーンピースのメンバーが知ったら卒倒するかも?

ブラームス ~ ヴァイオリンソナタ第1番「雨の歌」、第3番
もう梅雨の季節も終わりかけているけれど、この時期に思い出したように聴くのが、ブラームスのヴァイオリンソナタ第1番「雨の歌」。
「雨の歌」という副題はブラームス自身がつけたのではなく、第3楽章の冒頭の旋律が歌曲「雨の歌」から引用されていることからつけられた通称のようなもの。特に「雨」について歌った曲ではないと言われている。

この曲に関するエピソードが、ブログ『ブラームスの辞書』の”天国に持って行きたい””緩徐楽章の回想”という記事に書かれている。
第2楽章にブラームスが託した意味や、第3楽章のメロディに引用された歌曲「雨の歌」とクララ・シューマンとの関わりなど、CDの解説には載っていなかった話が紹介されている。
それを読むと、「雨の歌」の歌詞は、この曲に込められた意味や感情につながっている。

20代の頃、ブラームスのヴァイオリンソナタ全集をルービンシュタイン&シェリング盤で初めて聴いたとき、特に気に入ったのが第3番。(聴き直してみると、ピアノのタッチが強すぎてちょっと騒々しい気がするけど)
その時は「雨の歌」には全然惹かれなかった。(昔は長調で穏やかな曲想の曲があまり好きではなかったし)
6年くらい前に聴いたカッチェン&スークの「雨の歌」は、カッチェンの砂糖菓子のように甘いピアノと、凜として引き締まった爽やかなスークのヴァイオリンがとても素敵だった。
今まで聴いたCDのなかで、ピアニスト&ヴァイオリニスト両方とも好きな録音はこれだけ。

Violin Sonatas: Decca LegendsViolin Sonatas: Decca Legends
(2001/02/06)
Josef Suk, Julius Katchen

試聴ファイル


Josef Suk,J. Katchen,Brahms Violin Sonata G-major 1



「雨の歌」と同じくらいかそれ以上に好きなのが、第3番。
第3番はブラームスらしい力強いパッションでテンション高く、特に第3楽章は速いテンポで力強く、息が詰まるような緊迫感があり、聴いていて思わず身体に力が入ってしまう。
スークのやや線の細い引き締まった音と演奏は、青白い炎のようなクール(冷んやり感)さを感じるし、ソロ演奏と同じくカッチェンのくぐもった音色と力感・量感のあるタッチがブラームスらしいほの暗い情熱が滲み出て、やや地味ながらも、騒々しくなくて品良く後味爽やか。

カッチェン&スーク盤以外だと、カヴァコス&パーチェ、ツィンマーマン&パーチェのライブ演奏も好き。(ヴァイオリニストとピアニストの両方とも好きなので)
カヴァコスはユジャ・ワンと最近録音したので再録音することはないだろうけど、ツィンマーマンは、ブラームスもベートーヴェンもヴァイオリンソナタ全集はなぜか未録音。長年組んできたパーチェとのデュオでいつか録音してくれないかな~と期待している。

Leonidas Kavakos and Enrico Pace playing Brahms Violin Sonata No. 3 - Allegro (1 of 4)


Leonidas Kavakos and Enrico Pace playing Brahms Violin Sonata No. 3 - Presto agitato (4 of 4)



BRAHMS Violin Sonata No.3 (Zimmermann, Pace)





<過去記事>
スーク&カッチェン ~ ブラームス/ヴァイオリン・ソナタ第1番 《雨の歌》
スーク&カッチェン ~ ブラームス/ヴァイオリンソナタ第3番
ジュリアス・カッチェンにまつわるお話

tag : ブラームス カッチェン スーク カヴァコス ツィンマーマン パーチェ

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レフ・オボーリン ~ チャイコフスキー「舟歌」とソロ録音
レーゼルの新譜『楽興の時~ピアノ小品集』に収録されていたチャイコフスキーの《舟歌》が妙に気に入ってしまった。
どうにも合わないチャイコフスキーの曲でも、レーゼルのさっぱりした表現と叙情感ならちょっと違った曲に聴こえる。

リヒテル、プレトニョフ、アシュケナージといったロシア人ピアニストの《舟歌》をYoutubeの音源で聴いてみても、ロシア的憂愁たっぷりというか、私には情感過多で重過ぎる。
モスクワ音楽院でアシュケナージとレーゼルが師事したレフ・オボーリンが弾く《舟歌》は、テンポが頻繁に伸縮しているわりに、憂愁もどんよりべったりしていないので、これくらいの叙情感なら私でも大丈夫。(レーゼルの方がずっとインテンポでさっぱりした情感)

Lev Oborin plays Tchaikovsky The Seasons: June "Barcarole".


Lev Oborin plays Tchaikovsky The Seasons: October "Autumn's Song".


オボーリンの録音は、ソロ・室内楽とも音質が悪く、音が割れたり篭ったりしていて聴きづらいし、廃盤が多くて入手できなかったりするので、今までしっかり聴いたことがない。
最近は、SACDや来日公演時にNHKでセッション録音したものが出ているので、それならストレスなく聴けるらしい。

リヒテルやギレリスとは違ったタイプのピアニストだったらしく、弟子のアシュケナージが語ったところによれば、「旧ソ連では強靭なタッチでスケール大きな演奏をするピアニストが好まれ、オボーリンのような優雅で流麗で自然体の演奏をする人はあまり認められなかったのです。」
レフ・オボーリン[伊熊よし子のブログ]


オボーリンのソロ録音はいくつか出ているけれど、今すぐ入手できるのは次の3枚くらい。

レフ・オボーリン 1963年2月 東京録音
1963年のNHKによるセッション録音なので、音質は良さそう。(試聴ファイルがないので確認できないけど)
バッハ、ベートーヴェン、ショスタコーヴィチが入っているし、伊熊さんや↓のCDレビューが良いので、聴いてみたくなる。

レフ・オボーリン 1963年2月 東京録音 (Lev Oborin in Tokyo 1963)レフ・オボーリン 1963年2月 東京録音 (Lev Oborin in Tokyo 1963)
(2014/1/20)
レフ・オボーリン (ピアノ)

試聴ファイルなし

<収録曲>
1. J.S.バッハ : 半音階的幻想曲とフーガ BWV903
2. ベートーヴェン : ピアノ・ソナタ 第31番 変イ長調 Op.110
3. ショパン : マズルカ 第25番 ロ短調 Op.33の4 / マズルカ 第51番 イ短調 (遺作)
4. ラフマニノフ : 前奏曲集 Op.32 ~ 第10番 ロ短調 / 第5番 ト長調 / 第12番 嬰ト短調
5. ショスタコーヴィチ : 24の前奏曲 Op.34 ~ 第10番 嬰ハ短調 / 第22番 ト短調 / 第12番 嬰ト短調
6. ハチャトゥリヤン : トッカータ

6位:オボーリン(ピアノ) レフ・オボーリン 1963年2月東京録音伝説的なロシアピアノの巨匠による、知られざる凄演[CD屋さんが選んだ「クラシックCDアワード 2014上期」]


レフ・オボーリン/メロディア・マスターピース・コレクション
『レフ・オボーリンの芸術』という3枚組CDから、協奏曲を除いて、ソロ録音だけ抜粋したもの。
1950年代前半の録音集なので、古めかしくてひび割れとかあるけれど、音自体は明瞭に聴こえる。


レフ・オボーリン/メロディア・マスターピース・コレクションレフ・オボーリン/メロディア・マスターピース・コレクション
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レフ・オボーリン

試聴ファイル(allmuic.com)
原盤は、『Russian Piano School Vol.13 Lev Oborin』
<収録曲>
ベートーヴェン/ピアノ・ソナタ第31番変イ長調Op.110
ショパン/ピアノ・ソナタ第3番ロ短調Op.58
ブラームス/4つのピアノ小品Op.119
スクリャービン/ピアノ・ソナタ第2番嬰ヘ短調Op.19「幻想ソナタ」
録音:1969年(モスクワ)、スクリャービンのみ1970年(レニングラード)



Lev Oborin - Brahms - 4 Klavierstücke, Op 119


Lev Oborin - Scriabin - Piano Sonata No 2 in G-sharp minor, Op 19



Russian Piano Tradition - Igumnov School Lev Oborin
1930~50年代の録音なので、音質が悪くかなり古めかしい。
Russian Piano Tradition - Igumnov School Lev OborinRussian Piano Tradition - Igumnov School Lev Oborin
(2009/6/9)
Lev Oborin

試聴ファイル(allmusic.com)

<収録曲>
Beethoven: Ecossaises (6) for piano, WoO 83 (spurious)
Beethoven: Piano Sonata No. 2 in A major, Op. 2/2
Chopin: EtudeOp.25/3 & 5, Mazurka No. 30(Op. 50)
Chopin: Piano Sonata No. 3
Listz: Hungarian Rhapsody, for piano No. 2 (the 'original' No. 2)
Tchaikovsky: The Seasons, for piano, Op. 37: June (Barcarolle), November (Troïka), December (Christmas)


<参考情報>
オイストラフとオボーリンのベートーヴェンの「クロイツェル」と「春」のSACD[Classical CD Information & Reviews]
オーディオメーカーのESOTERIC(エソテリック)が最近発売したSACDハイブリッド盤は、音質が見違えるように向上しているとのこと。
特に、オボーリンのピアノは、「端正で深みのあるタッチや,落ち着いた品格を感じるソノリティは,CDからは聴くことのできなかったもの」。
このCDは1枚5500円ほど。熱烈なファンでは全然ないので、買って聴こうという気にはなれない。
ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第5番&第9番 巨匠オイストラフの遺した大名盤が、ついにSACD化(amazon)

tag : チャイコフスキー オボーリン ベートーヴェン ブラームス

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お洒落で可愛いクッキーアソート ~ グマイナー 《テーゲベック》
クッキー好きの叔母&従姉妹親子に送るお中元は、いつもクッキー。
お中元・お歳暮とも毎回違うクッキーを送るので、今回はグマイナーの《テーゲベック》をチョイス。
グマイナーは、高島屋日本橋店に日本初出店したドイツのパティスリー。

ドイツの老舗パティスリー「グマイナー」が日本初出店!日本橋・髙島屋にオープン[2014年11月16日、OZmall]

フォルカー・グマイナー氏は、ドイツ・シュヴァルツヴァルト地方で1898年創業というカフェ「グマイナー」の4代目。
100年間の経験に裏打ちされた歴史と伝統を重んじる「グマイナー」は、創業当初からのブランド哲学である「良質な素材をふんだんに使用して、添加物を極力使用しない」を守ったお菓子作りを行っている。
また、グマイナー氏は修行先をドイツ国内にとどまらず、フランス・オーストリア・スイス・イタリアに滞在することで、ヨーロッパ各国の菓子知識にも長けている。
そのように、故郷ドイツの菓子をベースに様々な文化を融合した彼が作る菓子は、他にはないオリジナリティーを強く感じさせる。
高島屋オンラインストアのお店紹介

《テーゲベック》は、バターたっぷり、ジャムやチョコも使った11種類のクッキーが40個入っている。
ドイツ菓子にしては、見た目がとってもカラフルで、形もおしゃれで可愛らしくて、とっても美味しそう。女性へのギフトにぴったり。
ブログなどでの評判も良く、クッキーを食べた叔母や従姉妹によると、日本で作られているクッキーとは風味がちょっと違って、添加物が入っていないような素朴な味。

グマイナーは高島屋日本橋店にしか出店していないので、こちらでは買えない。そのうちオンラインストアで買ってみようかと。

gmainer
オンラインショップで購入できるのは、高島屋オンラインストアのみ。
中元期は送料無料。(通常は送料324円がかかる)
チョコレートを使っているため、クール便にて配達。
今の時期だと、室温ではチョコが柔らかくなってしまうので、保存は涼しいところで。

グマイナーのテーゲベック[おいしいお取り寄せ]

グマイナーのfacebook

『評伝ペーター・レーゼル/ドイツピアニズム 最後の継承者』(岡本和子、月刊「ショパン」連載)
ペーター・レーゼルの(おそらく)唯一の評伝が、月刊誌「ショパン」に2012年4月~10月(No.339~No.345)まで連載されていた『評伝ペーター・レーゼル/ドイツピアニズム 最後の継承者』。
レーゼルへのインタビューを元にしているので、レーゼル自身が語った言葉も多数載っている。
レーゼルのCDの解説を読んだくらいでは知ることのできない話が次々と出てくるし、旧東ドイツ時代や東西ドイツ統一後の混乱渦中の音楽界の状況が垣間見れる。
旧東ドイツに関する翻訳書は10冊ほど読んだけれど、音楽界に関する話はほとんど載っていなかった。
キングレコードの「シャルプラッテン・ベスト・シリーズ」の国内盤ブックレットには、旧東ドイツでの録音風景などの話しが少し載っているけれど、私は1枚しか持っていない。

第1回 「戦争、破壊そして復興へ~子供時代、初めてのレッスン、デビュー」
口数の少ないレーゼルは、(その10倍は喋る)陽気なハイドルン夫人によると、「物凄く頑固で、ふだんはおとなしいけれど当然爆発するタイプ」。
第二次大戦末期に生まれたレーゼルの家系は音楽一家で、父は将来を期待されていた若手指揮者。
ドレスデン国立歌劇場の常任指揮者就任直前に徴兵されて、レーゼルの誕生する3日前に戦死。
母はドレスデン音大卒の歌手。エンジニアの祖父はピアノもかなり弾ける人で、レーゼルにピアノを手ほどきした。
レーゼルは文字より先に楽譜が読めて、5歳になる前に人前で演奏していた。
6歳から本格的にピアノのレッスンを開始した時の先生は、子供を教える名教師として有名なインゲボルク・フィンケ。
幼少期から祖父とベートーヴェンの交響曲をピアノ連弾で弾いたり、ドレスデン国立歌劇場合唱団員の母親や同僚たちの練習のピアノ伴奏をしたりと、幅広い音楽知識を身につけることができた。
10歳のときには、ピアニストになる決心をしていた。

高校卒業まで、テオ・アダムやペーター・シュライヤーも通ったドレスデンの聖十字架学園で学び、中学時代にはドレスデン音大に創設された予科にも通っていた。
この予科は、ドイツ全土から才能豊かな15~18歳の若者を集めて育成し、国際コンクールに派遣するための特別学級。
高校卒業後にドレスデン音大に入学。


第2回 「モスクワ音楽院へ」
1963年のロベルト・シューマン国際コンクールで第2位に入賞。
この時の審査員だったモスクワ音楽院のディミトリ・バシュキーロフ教授は、有能な学生を探し集めていたところだったので、レーゼルにモスクワ音楽院留学を打診。
ドレスデン音大よりもはるかに高いレベルのモスクワ音楽院では、当時、オイストラフ、ロストロポーヴィチ、リヒテル、ギレリス、オボーリン、ショスタコーヴィチなどが自ら教鞭をとっていた。
モスクワ音楽院の留学生活は6年間。リストのソナタやチャイコフスキー・ラフマニノフのコンチェルトなどの難曲を弾く学生のレベルの高さに驚いたレーゼルは、遅れを取り戻すために朝から晩までピアノを弾き続けた。
おかげで、身体の筋肉を上手にコントロールできるようになり、無駄に力むことなく弾けるようになった。


第3回 「モスクワ音楽院の日々」
モスクワ音楽院ではソ連全土から厳選された学生が集められ、その演奏技術は圧倒的なハイレベル。
レーゼルにとっては、「テクニックはそれ自体が目的であってはならないがタブー視するべきものではなく、感情を伝えるために不可欠な音楽的要素のひとつ」。
朝の7時から夜の11時まで、音楽院でも寮でも自由に好きなだけピアノを弾くことができ、先生も学生もとにかく練習熱心。
ピアノ漬けの日々を通して、テクニックを磨き上げた。
留学生仲間のクリスティアン・フンケとは、ドイツ帰国後に度々共演する友人。
同じ寮生だった野島稔とも知り合い、その縁で2001年に仙台音楽コンコールの審査員をつとめた。

モスクワ音楽院の講師は、生きた伝説のような現役バリバリの有名ソリストばかり。
学生に対する要求の高さも想像を絶するもので、必死にくらいついていかないと振り落とされてしまうようなレッスンだった。
レーゼルが師事したのは3人。ディミトリ・バシュキーロフ、レフ・オボーリン、オボーリンの助手で伝説的な天才ピアニストと言われたセムリャンスキー。
「(内向的なレーゼルとは正反対の性格の)バシュキーロフ先生はどちらかというと直情型のピアニストで、彼には臆することなく感情をストレートに表出することを教わった。舞台に上がると必要以上に緊張して身体に無駄な力が入ってしまう若いピアニストが多いが、先生は弟子を緊張から解放する名人だった。おかげで私も絶対に弾けないと思い込んでいた難曲が次々と弾けるようになり、場数を踏んで度胸をつけさせるという先生の教育方針もあり、留学して早々にソヴィエト各地で一般聴衆の前で演奏する機会を与えられた。」
次に師事したオボーリンは、世代もタイプもバシュキーロフとは全く違うピアニスト。
オボーリンの一貫した教えは「作品に含まれた多様で複雑に絡み合う音楽的要素、変化する表情を巧みにつなぎ合わせて構築し、イメージする響きを具象化するために不可欠なのがテクニックだが、それ自体が目的になってはいけない。」
最も影響をうけたセムリャンスキーは「たった5分の短い曲を3時間もレッスンして、最後までためになる言葉しか発さないすごい先生」。レーゼルは「あの先生に出会えて幸運だった」と感謝している。

モスクワ音楽院で生の演奏を聴いてレーゼルが共感したピアニストはリヒテル。
「音楽的な思考の流れが極めて論理的で、切れ味の鋭い解釈とそれが明瞭に伝わってくる正確な演奏が好き。ポリーニも、そう。作品の構造をしっかりと見据えた、論理的な演奏」。
中期よりは後期のギレリスも好きだし、南米で実演を聴いたアラウの演奏は気品に満ちて素晴らしかったという。


第4回 「キャリアのスタート」
1966年のチャイコフスキー国際コンクールで6位、西側のモントリオール国際コンクールで2位(1位はオールソン)に入賞したため、東独各地から出演依頼が殺到。
1979年に、クルト・ザンデルリングがライプチヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の英国ツアーのソリストに指名して、25歳のレーゼルが世界的に知られるようになる。
ザンデルリンクは東独人ながら、国際的な名声を獲得していたため、比較的自由に西側に出入りできた(マズア、アダム、シュライアーも同様)。
1976年に、唯一のピアニストのソリスト団員として、ゲヴァントハウス管と契約。
給料は楽団員と同じ2000東ドイツマルク。年間20公演にソリストとして演奏し、リサイタルと室内楽を各1回、国外ツアーにソリストとして同行する。
楽団側にしてみれば、ギャラの高いソリストを毎回招聘するより、いつでも使えるソリスト団員を使うのが経済的だった。
若いレーゼルにとっても、「自由に国内外を行き来できる身分ではなかったし、収入も安定するし、何よりもあのすばらしいオーケストラと一緒に演奏できる喜びが大きかった。物もお金もなかったが、音楽家として最高に贅沢な環境だった。」

ソリスト団員の時代には、モスクワ留学時代の同級生であるフンケとも度々共演し、録音もいくつか残した。
「若い頃から室内楽が好きで、ピアノを弦楽器のように歌わせたいといつも思っている。ライプツィヒでは管弦楽器奏者たちともよくアンサンブルを楽しんでいた」。
レーゼルが最も多く共演した指揮者は、おそらくクルト・マズア。「音楽的アプローチが常に新鮮、明快で、説得力がある。何度同じ曲を一緒に弾いても飽きることのないすばらしい音楽家」。

東西ドイツ統一後の1990年に、レーゼルとゲヴァントハウス管とのソリスト契約は”自然解消”された。


第5回 「知られざる東独時代の音楽事情」
16970年代以降のオイルショックで経済状況が厳しくなった東ドイツでは、貿易の決済通貨である外貨(西独マルク、米ドル)獲得のために、国はアーティストの西側での演奏活動を大いに奨励していた。
作品によっては西側出版社の楽譜のレンタル料も高いために、プロコフィエフやショスタコーヴィチは滅多に演奏されず、著作権が切れているベートーヴェン、モーツァルトの作品ばかり取り上げられていた。
東独の場合、演奏する作品に制約があったのは、60年代までは思想的な理由によるが、70年以降は主に金銭的な理由だった。

東独では、国内から国外、国外から国内へという演奏家の活動には、国が運営する「国営芸術家事務所」が必ず介入して、ビザ、ギャラ、仕事内容まで管理していた。
レーゼルが海外へ演奏旅行に出るときは、家族同伴の出国は認められず、同じ社会主義国のキューバへの演奏旅行で初めて夫人の渡航許可が下りた。しかし、ふたりの子供の渡航は、演奏旅行先がどの国であっても認められなかった。

東独のクラシック演奏家の録音は、全て国営レコード会社ドイチェ・シャルプラッテンが製作していた。
「国営だったので商品の売れ行きをあまり気にすることなく、良いものを作ることだけに専念していればよかった。」


第6回 「東西ドイツ統一の混乱にのみこまれ」
平野洋氏のルポ『伝説となった国・東ドイツ』を読んだときに、詳しく説明されていた土地返還訴訟問題。
東ドイツ政府によって没収された土地家屋の所有権に関する問題で、東西ドイツ統一後、土地の帰属をめぐって各地で訴訟が頻発していた。
1949年の東ドイツ建国時、社会主義体制を嫌って西ドイツに移住した人(ベルリンの壁建設前までに約360万人)の住んでいた土地家屋は、東ドイツ政府がナチ党幹部と大地主のものは没収、それ以外の不動産も東ドイツ政府が利用。
なかには、東ドイツ人に管理料を支払って所有権を保持していた移住者もいるが、移住者が残していった不動産に対しては、東ドイツ政府が補償金を支払っていた。
また、社会主義国では珍しく、国が承認すれば土地家屋を購入して個人所有することもできた。
再統一を機に旧東ドイツ国内の土地・家屋の返還を求める西ドイツ人との間で訴訟が頻発。
解決方法は、居住者が買い取る、立ち退く、賃貸料を支払って住み続けるなど、もともとの土地の権利関係などによって異なる。

レーゼルもこの厄介な土地返還問題に巻き込まれていた。
国から購入してレーゼルが所有していたドレスデンの閑静な住宅街にある自宅は、運悪く西ドイツへの移住者が所有していたものだったため、返還か買い取りを求められた。
ドイツ統一後に不動産価格が高騰していたため、西ドイツ人の元所有者から買い取るだけの資金もなく、訴訟を起こしたが、敗訴。長年住みなれた家から立ち退かなければならなかった。

また、当時の旧東ドイツのあらゆる組織のポストが西ドイツ人に次々と取って代られたように、音楽界でも同様に、オケの奏者や事務局員、レコード会社のスタッフ、大学の窓口の担当者も西側の人間に変わっていった。
ドレスデン音楽アカデミーの教授陣も”整理”されていき、ゲヴァントハウス管のソリスト団員という契約も解消されたレーゼルにとって、唯一残されたのがドレスデン音楽アカデミー教授という立場だった。(実際には、演奏活動が忙しく、特別レッスンをたまにするくらいだった。)
この地位を守るためにレーゼルはかなり辛い思いをしたそうで、「50歳近くになって、自分が何者であるのかを、何が出来るのかをゼロから証明していかなくてはならないのは、正直、辛かった。」
音楽のことだけ考えて生きていけば良い時代は終わったと痛感した瞬間だった。

幸い、西側からの出演依頼やマスタークラスの誘いも少しずつ増えていき、大学の給料も入ったので、生活に困窮するような事態に至らなかったが、出演料のほとんどは裁判費用に消えた。
結局、裁判に敗訴したため、自宅も手放すことになったが、生まれ育ったドレスデンの街に住み続けることはできた。


第7回 「最終回 Frohe, dankbare Gefühle nach dem Sturm」
東西ドイツ統一による混乱の時代もなんとか乗り切って、ドレスデン音楽大学の教授を無事定年退官後も、活発な演奏活動が続く。
60歳以降になって、日本での連続演奏会と録音プロジェクト、スイスに熱心な支援者がいてレーゼルを主役にした音楽祭(※ローザンヌ・Aula des Cedresでのベートーヴェンピアノ・ソナタ全曲演奏会)が開催された。
アメリカや(特に)フランスでも高い評価を得るようになり、ゲヴァントハウス管のメンバーとたびたび室内楽で共演したり、演奏会と一緒にマスタークラスの依頼も多い。
日常生活は規則正しく、朝は定時に起きて朝食をとり、そのまま温かいコーヒーを入れたポットを持って、下の階にある練習部屋にこもってひたすら練習する。
午後になると、夫人と一緒に美術館で絵画鑑賞、遊びにきた孫たちを自動車に乗せて郊外の史跡めぐり、エルベ川沿いの散策、歌劇場でのオペラ鑑賞などを楽しむ。
「いろいろあったが、人として、音楽家として、総じて自分は幸せな人生を送っていると思う。家族、友人、ファンの支え、そして音楽があったからやってこられた。」

※”Frohe, dankbare Gefühle nach dem Sturm”・・・ベートーヴェン《交響曲第6番「田園」》第5楽章の標題”Hirtengesang. Frohe und dankbare Gefühle nach dem Sturm”(牧歌−嵐の後の喜ばしい感謝の気持ち)。

                                 

『音楽の友』(2008年11月号)に掲載されたレーゼルのインタビューでは、演奏に対する考え方と人生の転機となった時期について語っている。

「私は自分の演奏を誰にでも気に入ってもらえるものにしたいとは決して思っていません。・・・・・私は自分自身のために、まず作品の構造を見出そうとしています。そして、そこからどのような感情が湧き出るのか、気持ちや印象を見出していくアプローチをとります。演奏家がわかるように弾こうと努力すれば、きっとそれは聴いてくださる方に伝わります。感情の高ぶりは大事ですけれど、それを実現するためにはしっかりした基盤の構築、それから自分なりのロジックというものが必要です。そのうえにエモーショナルなものを積み上げていくことで、多少なりとも心に残る永遠性を生み出すことができるのだと思います」。

レーゼルにとって、60歳(日本でいう還暦)となった年は、「人生の新たな1章が始まったなと思える節目の年」
60歳記念の演奏会の一環として、ドレスデン音楽祭で行った演奏会のなかで、日本の紀尾井シンフォニエッタ東京と共演してベートーヴェンの5曲のピアノ協奏曲とロンドを演奏。
これがきっかけで、2007年に30年ぶりのソロリサイタルに招聘され、このリサイタルがすこぶる評判がよかったことから、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集演奏会と録音計画が決まった。
さらに、日本でのリサイタルをきっかけに、中国や台湾にも招かれて、活動地域がアジアにまで広がった。

次に上げたのは、1964-69年まで留学したモスクワ音楽院時代。
「類まれな、素晴らしい芸術の時間を過ごすことができました。オイストラフ、ロストロポーヴィチ、ショスタコーヴィチ、ギレリス、リヒテルといった錚々たる顔ぶれが存命中で、運が良ければ演奏会を聴けたし、廊下ですれ違ったりすることもできた時代です。それに加えて、音楽院のレッスンの水準が、現在とは違って素晴らしくハイ・レヴェルでした。」

人生に重要な時期といえば、ベルリンの壁が崩壊した1989年。
「ドイツにあらゆる方面において大きな変化がもたらされたときです。当時は誰もがこの変化に影響を受けざるをえなかったし、何らかのかたちで関わらずを得なかった。」

さらには、レーゼルが生まれてからの14日間。
ドレスデンが連合国の大空襲に見舞われた1945年2月13日、夜間の爆撃によりレーゼルの母が入院していた産院が焼け落ちてしまった。
幸運なことに、レーゼル母子はその日の朝に退院したため、難を逃れたのだった。

最後に挙げたのは、ゲヴァンドハウス管弦楽団のソリスト団員として国内外で演奏活動を行っていた15年間。
首席指揮者だったクルト・マズアとは、200回以上演奏している。
「ほんとうに充実した実り豊かな日々だったので、人生の節目としてもうひとつ挙げるとしたらこの15年間です。」


<参考情報>
「ペーター・レーゼルにきく」(日本ピアノ教育連盟 第28回全国研究大会前インタビュー)(PDF)


<演奏会情報>
レーゼルの公式サイトに掲載されていた2015年12月のコンサート情報

Dezember 17.12. Nagoya Munetsugu Hall (Recital)
Mozart, Sonate A-Dur KV 331; Beethoven, Sonate c-Moll op. 13 (Pathetique); Schubert, Sonate B-Dur op. posth. D 960

Dezember 19.12. Nagoaka (Kammermusik) Sawa Quartett)
Brahms, Klavierquintett op. 34

※Munetsugu Hall(宗次ホール):「カレーハウスCoCo壱番屋」の創業者である宗次徳二氏が、私財を投じて建設した名古屋のクラシック音楽専用小ホール。

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yoshimi

Author:yoshimi
<プロフィール>
クラシック音楽に本と絵・写真に囲まれて気ままに暮らす日々。

好きな作曲家:ベートーヴェン、ブラームス、バッハ、リスト。主に聴くのは、ピアノ独奏曲とピアノ協奏曲、ピアノの入った室内楽曲(ヴァイオリンソナタ、チェロソナタ、ピアノ三重奏曲など)。

好きなピアニスト:カッチェン、レーゼル、ハフ、コロリオフ、フィオレンティーノ、パーチェ、デュシャーブル、アラウ

好きなヴァイオリニスト:F.P.ツィンマーマン、スーク

好きなジャズピアニスト:バイラーク、若かりし頃の大西順子、メルドー(ソロのみ)、エヴァンス

好きな作家;太宰治、菊池寛、芥川龍之介、吉村昭、ハルバースタム、アーサー・ヘイリー
好きな画家;クリムト、オキーフ、池田遙邨、有元利夫
好きな写真家:アーウィット

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