2023.03.21 00:00| ♪ ジュリアス・カッチェン|
カッチェンの珍しいドイツ語インタビュー。カッチェンは数か国語を流暢に話すことができるのは知っていた。母国語の米語の他にパリ留学・移住したくらいだからもフランス語が話せるし、祖父母がロシア移民だったのでおそらくロシア語も話せるはず。(1961年にパリに滞在中のリヒテルが、カッチェンの自宅で歓談してくつろいでいたというエピソードもある)
JULIUS KATCHEN - THE AMERICAN MASTER PIANIST - AN INTERVIEW
※音源:BR - RETRO [Fernsehen des Bayerischen Rundfunks](バイエルンラジオ放送の映像アーカイブ)
動画のなかで、(当時の)旧東側地域で予定されていたコンサートツアー(ゲヴァントハウス管弦楽団との協演など)をキャンセルした理由をインタビュアーが質問している。このツアーとは、1962年に東ベルリンと東ドイツで予定されていた12公演のこと(ということは、このインタビューはカッチェンが36歳頃)。
カッチェンは、今はベルリンの壁の内側で心から演奏する気にならないと答えている
meloclassic盤CDのブックレットにこのキャンセル理由が書かれていた。演奏会を行うことはカッチェンが”東ドイツの共産主義体制を認めたことになり”、プロバガンダのために利用されるということを学んだからだという。(このキャンセルの報復措置として、ソ連の作曲家ハチャトリアンはウィーンで予定されていたカッチェンとの録音予定をキャンセルしている)
映像で弾いているのは、ブラームスの《2つのラプソディ》の第2曲。この曲のライブ映像は初めて見た。
カッチェンは第1番もDeccaに録音している。昔は第1番の方が好きだったけど、カッチェンの録音を初めて聴いた時から、第1番に比べて音型と展開がシンプルな第2番も同じくらい好きになれた。
カッチェンは冒頭からやや速めのテンポで、クレッシェンドの盛り上がりも大きく、勢いのあるかなり起伏の激しい演奏。左手の低音が良く響いていて重心は低い。音色や響きはクリアで、残響もそれほど長くは残していないので、明晰さがある。
途中、一転して消えそうな弱音で弾いたかと思うと、すぐに激しいフォルテの和音に変わったりという、結構ドラマティック。線が太く陰翳の濃い音色がこの曲に良く似合い、暗い焔のような情熱が渦巻いている気がする。
<関連記事>ジュリアス・カッチェンにまつわるお話
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JULIUS KATCHEN - THE AMERICAN MASTER PIANIST - AN INTERVIEW
※音源:BR - RETRO [Fernsehen des Bayerischen Rundfunks](バイエルンラジオ放送の映像アーカイブ)
動画のなかで、(当時の)旧東側地域で予定されていたコンサートツアー(ゲヴァントハウス管弦楽団との協演など)をキャンセルした理由をインタビュアーが質問している。このツアーとは、1962年に東ベルリンと東ドイツで予定されていた12公演のこと(ということは、このインタビューはカッチェンが36歳頃)。
カッチェンは、今はベルリンの壁の内側で心から演奏する気にならないと答えている
meloclassic盤CDのブックレットにこのキャンセル理由が書かれていた。演奏会を行うことはカッチェンが”東ドイツの共産主義体制を認めたことになり”、プロバガンダのために利用されるということを学んだからだという。(このキャンセルの報復措置として、ソ連の作曲家ハチャトリアンはウィーンで予定されていたカッチェンとの録音予定をキャンセルしている)
映像で弾いているのは、ブラームスの《2つのラプソディ》の第2曲。この曲のライブ映像は初めて見た。
カッチェンは第1番もDeccaに録音している。昔は第1番の方が好きだったけど、カッチェンの録音を初めて聴いた時から、第1番に比べて音型と展開がシンプルな第2番も同じくらい好きになれた。
カッチェンは冒頭からやや速めのテンポで、クレッシェンドの盛り上がりも大きく、勢いのあるかなり起伏の激しい演奏。左手の低音が良く響いていて重心は低い。音色や響きはクリアで、残響もそれほど長くは残していないので、明晰さがある。
途中、一転して消えそうな弱音で弾いたかと思うと、すぐに激しいフォルテの和音に変わったりという、結構ドラマティック。線が太く陰翳の濃い音色がこの曲に良く似合い、暗い焔のような情熱が渦巻いている気がする。
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