ストラヴィンスキー/ピアノ・ソナタ(1924年) 

2009, 07. 03 (Fri) 18:33

ストラヴィンスキーのピアノ曲といえば、「ペトルーシュカからの3楽章」。こればかり演奏されている気がするほど、多くのピアニストが録音している。
それ以外に知られているといえば、新古典主義時代のピアノ独奏曲の「イ調のセレナード」と「ピアノ・ソナタ」。「イ調のセレナード」の方は、ほんの時たま録音を見かける。レオン・フライシャーも両手のピアニストとしてカムバック後リリースしたアルバム『he Journey』でこの曲を録音している。
「ピアノ・ソナタ」の方は、それにも増して録音を見かけることが少ない。

このアルバムは数少ないストラヴィンスキーのピアノ独奏曲を8曲録音したもの。
ピアニストはイタリア人のヴィクトル・サンジョルジョ。録音は1991年12月。レーベルはナクソス。
ストラヴィンスキーの初期~新古典主義時代までのピアノ独奏曲が聴けるという、かなり充実した選曲。
「ペトルーシュカからの3楽章」とは違った趣きのある曲が多いので、ストラヴィンスキーの前衛的なイメージとは違うというのが良くわかる。

ストラヴィンスキー:ピアノ作品集ストラヴィンスキー:ピアノ作品集
(2008/04/09)
ヴィクトル・サンジョルジョ

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ストラヴィンスキーの作品は、その作風の変遷から、主に3つの時代に分けられている。
このアルバムに収録されている曲をその時代別に分けると概ねつぎのようなところだろうか。(かなり大まかな区分なので、過渡期の作品は前後の時代に振り分けてます。)

初期~原始主義時代:~1920年頃
 -スケルツォ(1902)
 -ピアノ・ソナタ嬰へ短調(1903-04)
 -4つの練習曲 Op.7(1908)

新古典主義時代:1920年頃~戦前 [バレエ音楽『プルチネルラ』以降]
 -ピアノ・ラグ・ミュージック(1919):不協和な世界のジャズ風音楽。
 -ピアノ・ソナタ(1924年)
 -イ調のセレナード(1925)
 -タンゴ (1940):タンゴ的なリズムと雰囲気はあるが、どこか調子がずれているので、タンゴの
   ような気がしなくなる。最後は全くタンゴ的な和音で終わっているが。
 -サーカス・ポルカ(1941-42):Barnum and Bailey's circusのために作った、若い象が踊るバレエの
   ための曲。シューベルトの『軍隊行進曲』がパロディ化されている。
   
セリー主義(十二音技法)時代:戦後
[収録曲なし]


このアルバムには、作曲の時代が違うピアノ・ソナタが2つ入っているが、聴き比べると作風の変遷がわかって面白い。
1903~4年に作曲されたピアノ・ソナタ嬰へ短調は、ロマン主義のピアノ曲かと思えるような華麗で激情的な曲。
それから20年後に書いたのは、協和と不協和の音が混在しているが、様式美が感じられる新古典主義時代のピアノ・ソナタ。

ストラヴィンスキーに限らず、シェーンベルクやスクリャービンも初期はロマンティックなピアノ曲を書いていたが、何度も聴くと飽きてくる。調性の安定感が消え、不協和な音の世界に入っているとしても、彼ら独自のスタイルが明確に現れている曲の方を聴きたくなってくる。

ピアノを弾いているサンジョルジョは、テンポは速めでリズム感とスピード感があり、軽やかなタッチと長めの響きで柔らかさを感じさせる。ちょっと崩したようにふんわりと弾くところもあって、洒落た雰囲気が漂っている。
曲ごとの性格わけも明瞭なので、わりと聴きやすい。


 ピアノ・ソナタ (1924年)(ピティナの楽曲解説)

I. quarter note = 112 (四分音符=112)
右手が爽やかな雰囲気の旋律で始まり、左手はスタカットの伴奏。不協和的な音だが不快感を感じるような和声ではないし、テンポが速くて躍動感もある。
左手と右手の関係が「イ調のセレナード」の<ロンドレット>に似ている気がする。

II. Adagietto (アダージェット)
右手の主旋律はバッハの曲のような旋律。バッハ的な装飾音を使っている。左手は拍子を刻むように規則的だが、協和と不協和の音が交じり合って摩訶不思議な和声だが、響きがとても美しく心地よい感じがする。

III. quarter note = 112 (四分音符=112)
標題の指定どおり早いテンポで、右手と左手がそれぞれ単音の旋律を弾いていくという2声しかない曲。


初期の作品の強烈なイメージが定着してしまっているせいか、新古典主義時代のストラヴィンスキーの作品をあまり評価しない人も結構いるらしい。
「イ調のセレナード」とこの「ピアノ・ソナタ」は、難易度の高い技巧を散りばめたペトルーシュカのようなインパクトはないとはいえ、様式美がかもし出す典雅さと現代的な不協和的な響きが上手く調和した独特の雰囲気がある。
超絶技巧の曲はそのテクニックの凄さに幻惑されてしまうところがあるが、技巧的難易度は低くても音楽的な内容だけで成り立っているような曲の方が、演奏解釈や音楽性が問われるので弾く方にとっては難しい。

ストラヴィンスキーは、音楽は「感情、態度、心理状態など、なんであれ、なにかを表現するには無力である」と言い、それをアンセルメが批判していたと、ミラン・クンデラの『裏切られた遺言』に書いてあった。
アンセルメに言わせれば、ストラヴィンスキーの音楽は音楽そのものを素材にして書かれていることが、彼の音楽観とは相容れなかったらしい。

この新古典主義時代のピアノ曲を”空虚”だとか評していた人をどこかで見かけたことがある。どうして”空虚”に聴こえるのかが不思議だったが、クンデラの本を読んでからその理由がわかったような気がした。
この時代のストラヴィンスキーは、音楽を感情表現の手段として書いているのではなく、古典的(バロック的という方が良いかも)様式、和声、リズムなどの音楽的要素そのものから組み立てていっているので、ロマン派的な感情移入の世界に慣れていると、”空虚”に聴こえてしまうのだろうと思う。
現代音楽というカテゴリーのなかには、もっと”空虚”に聴こえる音楽はいくらでもあるので、そういう音楽を聴いてきていると、ストラヴィンスキーの音の世界は、砂漠の中のオアシスのような爽やかさと、どこか懐かしい郷愁のようなものが感じられてくる。

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