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ブリテン/シンフォニア・ダ・レクイエム
ベンジャミン・ブリテンは日本と意外な接点がある。
1940年に日本が紀元2600年を迎えるにあたって、日本政府は「皇紀2600年奉祝曲」を国内の作曲家だけでなく、各国政府を通じて国外の作曲家に委嘱した。
英国政府を通じて委嘱されたブリテンが作曲したのが『シンフォニア・ダ・レクイエム』。
[ この「皇紀2600年奉祝曲」に関してはWikipediaに詳しく載っている。]

日本政府は、米、英、独、仏、伊、ハンガリーへ委嘱依頼を行ったが、当時対日関係が悪化していた米国は拒否。独・伊・ハンガリーは枢軸国なので委嘱依頼は当然としても、英・仏へ依頼したのは微妙なところ。
米国よりも日本との関係がまだしも悪化していなかったせいか、フランスは(たぶん当時の大物作曲家)イベールが作曲している。

英国政府がブリテンに作曲を委嘱した経緯については、諸説ある。
当時米国に住んでいたブリテンは自活するのに苦しく、たまたま知ったこの委嘱話を英国政府に問い合わせたらしい。
この時ブリテンはまだ26歳くらい。新進気鋭の作曲家として注目されていたとはいえ、ドイツが老大家のリヒャルト・シュトラウスに委嘱したことを考えると、イギリス政府が大物作曲家ではなく若手のブリテンに委嘱したのは、当時の国際情勢が影響していたように思える。

祝典用の曲にレクイエムを書くというところは、ブリテンらしい。
父母(父は病気で1934年に、母は心臓発作で1937年に死去)への追悼のためという個人的な理由があったと言われている。また、平和主義者のブリテンが日本に対する婉曲的な批判をこめているという説もある。
この『シンフォニア・ダ・レクイエム』を受け取った日本政府は、当然のことながら、喜ばしい祝典にレクイエム、それもキリスト教の!と不快感を隠さず、1940年12月の式典では演奏されなかった。
どちらにせよ、戦争で英国は敵国となるので、ブリテンの音楽は敵性音楽として排斥される運命だったはず。

ブリテンは、自分のレクイエムが結局演奏されなかったことにかなりショックを受けたようで、作曲料が約束(当時の1万円)よりも1ケタ多く支払われたので、それをすっかり使って気を晴らしたらしい。

日本政府へ贈られたブリテンの自筆譜は、戦中戦後の混乱で長らく行方不明だった。
1987年に東京芸大に保管されていることがわかり、ちょうど来日公演中だったサイモン・ラトルがスコアと対面した。

『シンフォニア・ダ・レクイエム』の初演は、1941年のバルビローリ指揮ニューヨーク・フィルによる演奏。
日本初演は、1956年に来日中のブリテン自らが、NHK交響楽団を指揮して行った。

                       

ブリテン指揮による録音は、1953年のデンマーク国立放送交響楽団、1956年の南西ドイツ放送放送送交響楽団、1964年のニュー・フィルハーモニア管弦楽団による演奏が残っている。
このアルバムには、最も新しい1964年の演奏が収録されている。

カップリングは、いずれもブリテン指揮の「フランク・ブリッジの主題による変奏曲」、「青少年のための管弦楽入門」、「イギリス国歌《God Save The Queen》(ブリテン編曲)」。
「フランク・ブリッジの主題による変奏曲」は恩師ブリッジの室内楽曲を主題にしたブリテンの出世作。もの憂げな主題をもとに次々に繰り出される変奏曲で、さすがにブリテンらしい才気が感じられる。
《God Save The Queen》は1961年のリーズ音楽祭のために編曲された曲で、とても珍しい録音。編曲自体もとてもユニークで、初めは囁くように歌うアカペラの合唱が祈りのように聴こえてくる。その後で、国歌らしく堂々とした合唱とオケの伴奏が輝くように明るい。この編曲版はかなり好き。

青少年のための管弦楽入門青少年のための管弦楽入門
(2006/10/25)
ブリテン(ベンジャミン)、ロンドン交響合唱団 他

試聴ファイル




『シンフォニア・ダ・レクイエム』は3楽章構成。
レクイエムとはいえ合唱は入っていないので、「鎮魂交響曲」と呼ばれていた。各楽章は切れ目なく続けて演奏される。
 第1楽章:涙の日 Lacrymosa(Andante ben misurato)
 第2楽章:怒りの日 Dies Irae(Allegro con fuoco)
 第3楽章:永遠の安息 Requiem Aeternam(Andante molto tranquillo)

Benjamin Britten,Sinfonia da Requiem
(Minnesota Orchestra/Osmo Vanska)


この曲を聴くと、第1楽章と第2楽章は重苦しさと緊迫感があって、祝典向きの曲ではなかったのは確か。
第1楽章は、何かが不吉なことが始まりそうな、静かだけれど不気味な旋律が流れ、徐々にクレッシェンドしていき物々しい雰囲気に。トランペットやドラムが緊迫感を高めている。
この第1楽章と第3楽章にはマーラー、曲の終幕にはストラヴィンスキー、第2楽章にはヴォーン・ウィリアムズの影響があると言われる。(英文の楽曲解説参照)

第2楽章はとても印象的な曲。かなりの疾走感と緊迫感がある。
弦楽は追い立てられるかのように小刻みに駆け回っていて、馬が疾走するようなスピード感。
最後の審判の天使のラッパのように、トランペットがオドロオドロしく響いて、緊張感が高まっていく。一度聴いたらこの曲は忘れられない。
途中でハープがまるで疾風のように軽やかに入ってくるのが鮮やか。ブリテンの指揮ではこのハープが綺麗に聴こえてくるが、他の指揮者の演奏だとハープがオケにかき消されてしまっていることもある。
管楽器と打楽器がかなり目立つが、落ち着きのない騒々しさは全くなく、軽快でシャープな音に聴こえる。概して、ブリテンの曲は管楽器が多用されているように思うけれど、全く煩くなくてバランスよく聴こえてくる。
ブリテンの指揮による演奏は、大音量で派手に鳴らすタイプの演奏ではなく、各セクションの音がそれぞれクリアに鳴って、引き締まっている。特に第2楽章はブリテンの指揮が鮮やかで、軽快な疾走感と音のシャープさが際立っていて素晴らしい。

第3楽章はレクイエム。ややマーラーの緩徐楽章に似た雰囲気がある。
最初はとても静かな牧歌的で安らぎのある旋律で始まっている。全編に時々不協和な響きが入ってはいる。
ゆっくりとクレッシェンドしていき、クライマックスにはハープやシンバルも入って、徐々に霧が消えて晴れ渡っていくように、神々しい明るさが感じられる。
牧歌的な旋律にやや不安な翳りのある不協和な音が混じりながら、だんだんと消えるように終わっていく。

第2楽章がインパクトの強い曲だったのに対して、最後の第3楽章はとても穏やかで地味ではあるけれど、その安らかさがとても美しい。
特にレクイエムの第3楽章は、20歳代で相次いで両親を亡くしたブリテンの心情が察せられる。
もともと作曲にあたって、両親の思い出に捧げるつもりだと言っていたそうだし、出版された楽譜には “In memory of my parents.”という献辞がある。
作曲当時、欧州はドイツ・イタリアとの戦争に突入。平和主義者のブリテンは米国に移り住んでいたので兵役についてはいなかったが、第3楽章を聴いているとブリテンのそういう思想信条よりも、両親への追悼の気持ちの方が強く反映されているように思えてくる。

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