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ミラン・クンデラ 『裏切られた遺言』より ~ ヤナーチェクについて(メモ)
ミラン・クンデラの『裏切られた遺言』はカフカ論だと思いこんでいたけれど、それだけではなくて、小説論や社会論、ストラヴィンスキー論、音楽論など、かなりバラエティに飛んだ論考である。本人は「1つの小説のように書いた」と言っているので、各章が完結しているのではなく、関係しながら展開していくようなところがある。

中心はカフカ(とその擁護者であって”裏切り”を働いたマックス・ブロート)だけれど、カフカと同じくらい取り上げられているのが、作曲家のレオシュ・ヤナーチェク。
ヤナーチェクは、クンデラの父でピアニストのルドヴィーク・クンデラが師事していた作曲家。ヤナーチェクはクンデラと同郷でブルノ出身。ブルノはチェコの中では田舎になるらしい。

日本では、ヤナーチェクはマイナーな作曲家だと思うけれど、あの村上春樹の最新作「1Q84」で『シンフォニエッタ』が登場したらしく、あちこちでマッケラスの録音が紹介されているのが目に付く。
ヤナーチェクは、管弦楽曲と室内楽曲・器楽曲とでは、かなり作風が違っている。ピアノ独奏曲や室内楽曲の方が旋律が美しくて詩情も豊かだし、ヤナーチェクを初めて聴くのにはずっと向いていると思うんだけど。『シンフォニエッタ』をきっかけに、他の曲もいろいろ聴いて欲しいものです。
映画の『存在の耐えられない軽さ』でもヤナーチェクの曲が全編にわたって使われていた。流れていたのは室内楽曲とピアノ独奏曲、それに弦楽オーケストラの曲。
たしか管弦楽曲は使われていなかったはずだけど、たしかにあの映画の雰囲気には似合わない。

裏切られた遺言裏切られた遺言
(1994/09)
ミラン クンデラ

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『失われた現在を求めて』の章はヤナーチェク論。
ヤナーチェクは話言葉をかなり研究していて、それが彼の音楽の2つの根本的な側面につながっているという。

(1)旋律の独創性:ヤナーチェクは音楽ではなく、言葉の客観的世界からくるイントネーションに習熟したことによって、ヤナーチェクは別の着想、別の旋律的想像力の源泉に近づくことができた。
 (a)ストラヴィンスキーの格言(「音程を節約せよ、それをドルのように使え」)とは反対に、通常では見られない大きさの音程を数多く含んでいる。
 (b)彼の旋律はきわめて簡潔で凝縮され、従来の方法ではなく、彼固有のやり方で展開されている。執拗に繰り返されたり、言葉のように扱われ、徐々に強められたり、など。

(2)彼の旋律の心理的方向。話言葉研究では、ヤナーチェクの関心は、言語特有のリズムや韻律法ではなく、話すものの瞬間的な心理状態が話されるイントネーションに及ぼす影響にあった。イントネーションと感情と関係の研究により、心理的な明晰さを獲得し、心理的激情が彼の作品全体を特徴づけることになった。それが最も良く現れているのが彼のオペラである。
(クンデラの評論では、オペラについていろいろと書いていますが、私はオペラは全く聴かないので、ここではほとんど触れていません。興味のある方は本書をお読みください)

ヤナーチェクは62歳であっても無名に近く、『イエヌーファ』の初演では指揮者による数々の改変要求を受け入れざるをえなかった。その後国外で認められてからは自作の改変は拒否できたが、彼の死後、その作品はあれこれいじくり回されて初演されてしまう。

『一家の嫌われ者』という章もヤナーチェク論。作品論が中心。
チェコで長い間無視され続けてきたヤナーチェクのこと。民族主義者はスメタナ(チェコの国民的イデオロギーのアイドル)を崇拝し、それとは異質のヤナーチェクの音楽を排斥した。
今日にいたるまで、彼の作品の美的な新しさを分析したどんな重要な音楽的研究も同国人によって書かれていない、とクンデラは嘆く。

ヤナーチェクが自分自身の様式に到達した頃には、時代は20世紀に入っていた。「彼は70代の時ほど自由だったことはなく、この時期には溢れるようなユーモアと創意が見られる。」
この時期(1920年代)の代表作として、クンデラは『グラゴル・ミサ』、『ヴァイオリンとピアノのためのソナタ』、『チェロとピアノのためのおとぎばなし』、『カプリッチョ』、『コンチェルティーノ』などをあげている。

クンデラは、ヤナーチェクの曲を弾くピアニストに対しては手厳しい。
「ヤナーチェクの音楽の精神についても構造についても間違いをおかすのはとりわけピアニストたちである。彼らはほとんど全員、この音楽の荒々しい側面を和らげ、フォルテをいい加減に扱い、なかば方法的にあのルバートの熱狂に溺れることによって、甘ったるいロマン主義化の弊害に陥るのだ。」

「ヤナーチェクはストラヴィンスキーとは反対に、ロマン派に対して感情を語りすぎたことを非難したのではなく、感情を偽造したことを、感情の直接的な真実を感傷的な身振りに代えてしまったことを非難したのである。.......彼は情念に興味をひかれたが、その情念をできるだけ厳密に表現したいと願う、その厳密さのほうによりいっそう興味をひかれていたのだ。ユゴーではなく、スタンダール。このことは当然、ロマン派、ロマン派的な精神、その過剰な音色、構造との決別を意味するものである。」

「ロマン派の音楽が一つの楽章に一つの情緒的統一性をあたえようとしていたのに反して、ヤナーチェクの音楽は同じ一つの楽曲、一つの楽章のなかで異なる、さらには矛盾する情緒の断片が、通常は見られない頻繁さで交代することに基づいている」

「情緒的な多様性には、やはり同じように通常は見られない頻繁さで交代するテンポと韻律の多様性が対応している。」

「きわめて限定された空間における相矛盾する情緒の共存は、独創的な意味論を創り出す。....矛盾する情緒のたえざる共存は、ヤナーチェクの音楽に劇的な性格をあたえる。...この音楽は話者を想起させない。同時に複数の役者が登場し、話し、対決する舞台を想起させるのだ。」
その譜例として、『ピアノ・ソナタ』の冒頭部分が載っている。確かにこの『ピアノ・ソナタ』の冒頭部分はとても印象的で、一度聴いたら忘れられない。

最終章『きみ、そこはきみの家ではないのだよ』では、マックス・ブロートによるヤナーチェク論に対する批判。
ブロートは自国の国民たちによって過小評価されていたカフカとヤナーチェクの助力をした。それ自体は栄誉だと認めるべきだが、ヤナーチェクをヨーロッパ音楽という、ヤナーチェクが擁護され理解される唯一のコスモポリタ的コンテクストではなく、国民的な地平に閉じ込め、孤立に封印をしてしまった。彼は、ヤナーチェクの芸術のゆえにヤナーチェクを愛していたが、その芸術を彼は理解していなかった、とクンデラは責めている。

tag : ヤナーチェク 伝記・評論

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クラシック音楽に本と絵・写真に囲まれて気ままに暮らす日々。

好きな作曲家:ベートーヴェン、ブラームス、バッハ、リスト。主に聴くのは、ピアノ独奏曲とピアノ協奏曲、ピアノの入った室内楽曲(ヴァイオリンソナタ、チェロソナタ、ピアノ三重奏曲など)。

好きなピアニスト:カッチェン、レーゼル、ハフ、コロリオフ、フィオレンティーノ、パーチェ、デュシャーブル、アラウ

好きなヴァイオリニスト:F.P.ツィンマーマン、スーク

好きなジャズピアニスト:バイラーク、若かりし頃の大西順子、メルドー(ソロのみ)、エヴァンス

好きな作家;太宰治、菊池寛、芥川龍之介、吉村昭、ハルバースタム、アーサー・ヘイリー
好きな画家;クリムト、オキーフ、池田遙邨、有元利夫
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