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ヴィルヘルム・ケンプ ~ バッハ/ゴルトベルク変奏曲
バックハウスの録音は、ベートーヴェン、ブラームス、バッハ、モーツァルト、etc...など、かなり集めてきたけれど、当時バックハウスと人気を二分していたというヴィルヘルム・ケンプの方は、ベートーヴェンの4大ピアノ・ソナタ集とピアノ・トリオ集(「大公」と「幽霊」)、ヴァイオリン・ソナタ全集(シュナイダーハンとの録音)くらいしか持っていなかった。昔から、弱音の効いた親密な雰囲気の漂う弾き方にはあまり馴染めなかったので。

ケンプが弾いている「シシリアーノ」(バッハの原曲をケンプ自ら編曲したもの)をたまたまYoutubeでみつけて聴いてみたら、弱音がとても美しく、この親密な雰囲気のするバッハにはなんともいえず深い味がある気がする。(歳のせいか、好みとか感じ方が随分変わってきたのか、許容範囲が広がったのか...)
調べてみると、ケンプのバッハ原曲・編曲の録音はいろいろあって、平均律・イギリス組曲・フランス組曲の一部、バッハの編曲集、『ゴルトベルク変奏曲』などを録音している。
試聴したみただけでも、素晴らしい演奏だと思ったので、早速バッハの編曲集(イギリス組曲、カプリッチョBWV992も入っている)と、『ゴルトベルク変奏曲』のアルバムを買ってみた。フランス組曲は廃盤になっているが、これはオークションで見つけて手に入れた。
一緒にベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集、ピアノ協奏曲全集、モーツァルトのコンチェルト集にシューベルトの作品集もまとめて買ったので、当分聴くCDに困ることはないのは間違いない。

このゴルトベルクは1969年の録音なので、1895年生まれのケンプが74歳の時の録音になる。
70~75歳くらいまでなら、さほど技術的に大きな衰えもなく弾けるピアニスト(ゼルキン、アラウ、たぶんホルショフスキも)が結構いる。(もちろん、ブラームスのパガニーニ変奏曲とかピアノ協奏曲の第2番などの難曲を弾くなどということはしないという前提で。)

ケンプの場合は、晩年の方が音楽的な内容だけでなく、技術もしっかりしているとあちこちで書かれている。第2次大戦後、しばらく公に演奏活動ができなくなったことがあり、その間に技術的な訓練をしっかりやり直したらしい。
音楽性が深化するのはよくわかるが、晩年に録音したステレオ録音のベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集よりも、10年くらい前のモノラル録音の全集が技術的に安定していると言われるバックハウスとは、全く逆。最晩年になると技術的には落ちていくのは当然としても、不思議なピアニストである。

Bach: Goldberg VariationsBach: Goldberg Variations
(1994/3/1)
Wirhelm Kempff

試聴する(米国amazonサイト)


早速手に入れたケンプの『ゴルトベルク変奏曲』。1969年だから74歳の時の録音になる。
ノンレガート/レガート奏法で弾かれたゴルトベルクとはかなり違った、ケンプ独特の雰囲気が漂っている。なにより柔らかなピアノの響きと装飾音を省いて弾く旋律のシンプルさがとても美しい。
ケンプの弾くゴルトベルクは、ケンプ独自の解釈で満ちている(と思う)のに、なぜか違和感なく自然な流れを感じるものがある。まるでゆったりとした時間の流れのなかで、バッハの音楽と語り合っているような....とでも言えば良いのだろうか。
このケンプのゴルトベルクを「今となってはあまりにも普通の演奏に終始しており、一時代前の演奏」(ブログ記事)という人もいたりはしますが。まあ、そういう見解もあるでしょう。

レガート奏法の『ゴルトベルク変奏曲』なら、シフが再録音したライブ録音が、響きの美しさ、フレージングの滑らかさと軽やかな流れ、工夫を凝らした装飾音など、ピアノの持つ機能を最大限に引き出したような申し分ない演奏。
ライブ録音のせいか、演奏がさらに洗練されてきたせいか、スタジオ録音のような作為性が感じられないところが何よりも良い。
柔らかいタッチと響きなので、弾むような躍動感があっても騒々しくはならず、ケンプの演奏に比べると少し明るく元気すぎるような気がするにはするけれど、それにしてもきらきらと煌きに満ちたゴルトベルクである。個人的には、このシフとケンプのゴルトベルクさえ聴ければもう充分。(もし、アンデルジェフスキがゴルトベルクを録音したなら、それも追加するのは間違いない。さらに、フェルツマンのゴルトベルクを聴いたところ、ノンレガート奏法ながら多彩な音色と響きの美しさで、シフと甲乙しけがたく、フェルツマンも追加します)

ケンプが弾く主題のアリアを初めて聴くと、装飾音をつけずに弾いているので、普通聴くアリアとは全く違って聴こえる。
初めて聴いたときはどことなく座り心地が悪い気がしたけれど、こういうのは慣れの問題でしかないようで、何度か聴いていると全然気にならなくなる。
ケンプのゴルトベルクは全体的にソフトなタッチの弱音が主体で、フォルテは控えめで、テンポもゆったり。まるで慌てず騒がずといった趣き。柔らかく優しい響きで、時々オルガンのようにペダルで響きを長く残している。
絹のようになめらかな旋律の流れとピアノの響きが美しく、どこかしら親密感を感じさせる暖かさが伝わってきて、心地よい眠りの世界に誘ってくれる。

                

それにしても、ケンプはどうしてこういうゴルトベルクを弾いているのかという素朴な疑問が浮かんでくる。
この曲を録音した1969年は、すでに1955年のグールドの演奏が知られていて、解釈上の一つの基準(標準)としてみなされていたか、少なくとも無視できる状況ではなかったはず。
しかし、そういうことは全く意に介さず、現代ピアノの機能を最大限に生かした残響の長い響きの美しさ、レガート奏法の滑らかで柔らかな感触、余計な装飾音を省いたシンプルな旋律といい、ケンプの強い個性と信条を感じさせるような演奏ではある。

ブックレットによると、ケンプは幼少の頃からピアノとオルガンでバッハを弾いていた。
彼のバッハ理解の源泉となるのは次の三点。
第一に、プロテスタントのオルガニストの家系。
第ニに、対位法に対する理解と楽々と使いこなせる技術。
第三に、広義のロマン主義的信念-<音楽は、たとえ様式がどれだけ厳格であろうと、思想の表現であり、自らの限定された領域を超えて精神的なものを提示するものである。>

初期の頃には、他のヴィルトオーソ・ピアニストと同様に、ケンプはバッハのオルガン作品をピアノ演奏用に編曲し、自らコンサートグランドで弾いていたが、同時に元々使われていたオリジナル楽器でも弾いていた。
後年になると、演奏会でバッハを弾くことはほとんどしなくなった。これは”正統な様式”論争に巻き込まれることなく、音楽を解釈するためのアプローチをいろいろと試みて考えていくことを好んだため。
ケンプは高齢になるまでには作曲をも手がけるようになり、専門領域に閉じこもることはなかった。

ケンプにとっては、鍵盤楽器曲の普遍的な要素(transcendental element)とは、美学的価値にあるらしく、豊かな独創性を持った心、鋭敏かつ感受性豊かな精神、知的に考えられたフレージング、詩的な優雅さを通じて、表現されるもの。
バッハの作曲意図(眠れない夜という悩みを解決する)も、ここでは明瞭に表現されている。
ケンプは個々のバリエーションを性格的な特徴のある小曲だとみている。例えば、第7変奏はシシリアーノ、第10変奏はフガート、第15変奏は優しいアンダンテ、第25変奏は情熱的なアダージ....というように。
同時に、作曲上の関心が主要な変奏と、技巧的要素が支配的な変奏をケンプは明確に区別している。

ケンプはいくつかの変奏ではブゾーニのピアノ編曲版に従っていると、ブックレットに書かれている。
若かったときのケンプにとって、ブゾーニは現代のコンサートグランドでバッハ解釈を忠実におこなった尊敬すべき偉大な伝道師だったらしい。

                


IMSLPに登録されているゴルトベルク変奏曲の楽譜は、いろいろ種類がある。楽譜を見ながら聴くと、どういう演奏解釈をしているかが良くわかって面白い。
(楽譜名をクリックするとIMSLPの楽譜がダウンロードできます)

Bach-Gesellschaft Ausgabe, Band 3(Becker編)(Breitkopf & Härtel (1853))

ブゾーニ編曲版
かなり多くの装飾記号を音符に書き換えているのが面白い。
編曲のパターンは、単音を8度の和音に変える、和音の音を増やす、数度離れている旋律の音を増やしてスケールにする、8分/4分音符などを2分音符に変えテヌートもつける、一オクターブ高い音にする、音の開きの間隔を大きくする(例えば、ドミレファミソ→ドラレシミド)、など。
第28変奏だけはフィナーレに近いだけあって、ブゾーニらしく重音を多用して響きをかなり厚くした編曲。(今まで地味な編曲だった反動だろうか...)
全体的には、シャコンヌのような荘重華麗なロマン派的編曲ではなく、比較的原曲の旋律のシンプルさを生かして、場合によっては響きの厚みを加えたという感じがする。

ブゾーニ編曲版で演奏されたゴルトベルクの録音は、さっと調べた限りデイヴィット・ベックナー(Connoisseur Society盤)クラウディウス・タンスキ(Mdg盤)の2種類がリリースされている。
いずれも少し試聴したのみ。変奏にもよるが、音はそれほど多く付け加えられている感じはしないが、やたらフォルテで賑やかで、テンポの速い変奏はバリバリ弾いている感じがする。
これはブゾーニ編曲版の指示にフォルテやスフォルツァンドなどが書き加えられているのと、緩急・強弱のコントラストを明瞭につける弾き方が流行っている(?)せいだろうか。
こういう緩急・強弱の変化を極端につけたタイプの弾き方をよくみかけるが、もとから騒々しく弾くような曲には思えないので(余計に眠れなくなりそうなので)、ちょっと疲れるものがある。

ツェルニー校訂版
ピアノ用にフレージングを明確にして、強弱などのいろんな表現記号や指使いも書かれている。他の版と付き合わせたわけではないが、特に音をつけ加えたりしているというわけではなさそう。

マックス・レーガーによる2台のピアノのための編曲版
2台のピアノ版だと、装飾音をそのまま弾くと音が過剰で響きが混濁するためか、ケンプが弾いているように、アリアでは装飾音を省いている。
たぶん変奏でも、音の混濁を避けて旋律が明瞭に聴こえるようにするために、装飾音は最小限にとどめているのだろうと思う。

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Author:yoshimi
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クラシック音楽に本と絵・写真に囲まれて気ままに暮らす日々。

好きな作曲家:ベートーヴェン、ブラームス、バッハ、リスト。主に聴くのは、ピアノ独奏曲とピアノ協奏曲、ピアノの入った室内楽曲(ヴァイオリンソナタ、チェロソナタ、ピアノ三重奏曲など)。

好きなピアニスト:カッチェン、レーゼル、ハフ、コロリオフ、フィオレンティーノ、パーチェ、デュシャーブル、アラウ

好きなヴァイオリニスト:F.P.ツィンマーマン、スーク

好きなジャズピアニスト:バイラーク、若かりし頃の大西順子、メルドー(ソロのみ)、エヴァンス

好きな作家;太宰治、菊池寛、芥川龍之介、吉村昭、ハルバースタム、アーサー・ヘイリー
好きな画家;クリムト、オキーフ、池田遙邨、有元利夫
好きな写真家:アーウィット

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