伊東信宏著 『バルトーク ― 民謡を「発見」した辺境の作曲家』 (中公新書) 

2009, 08. 01 (Sat) 09:00

バルトークのピアノ協奏曲の録音をいくつか聴いたので、少しバルトーク関係の資料を探してみたら、伝記や作品解説など、現代音楽分野にしては結構いろいろ出版されている。
そのなかで、ちょっと目先の変わった資料としては、伊東信宏著『バルトーク 民謡を「発見」した辺境の作曲家』(中公新書、1997年7月)が面白い。

バルトーク―民謡を「発見」した辺境の作曲家 (中公新書)バルトーク―民謡を「発見」した辺境の作曲家 (中公新書)
(1997/07)
伊東 信宏

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バルトークについては、ハンガリー国内でも、長らくの政治的・経済的混乱によって研究が充分に進んでいないらしく、バルトークの民謡音楽研究というと、作曲の合間の余技とか二次的なものと捉えられているのが一般的だという。
本書では、民俗音楽研究は、バルトーク本人にとっては、演奏者や教師の役割よりもはるかに重要であって、作曲と同じくらいの意味のある仕事であったという視点から、バルトークの民俗音楽研究の実態についてまとめたもの。
バルトークが没頭していた民俗音楽研究は、さほど学術性が高いというわけでも体系的だというわけでもなく、民謡を旧態依然の分類学によって分類整理していったというようなものだったらしい。

民謡を収集するために、地方で調査旅行を行っていたが、その様子が結構詳しく書かれている。村人たちに民謡を歌ってもらうと頼むと、新手の税金徴収の方法と思われたり、とても苦労したらしい。
どうにか民謡を歌ってもらえれば成功だが、それをきちんと収集・記録しておかないと、せっかくの調査旅行の意味がない。
今なら便利な録音・録画機材があるので困ることもないだろうが、そういうハイテクものが普及していなかった20世紀初めのことなので、記録手段は採譜と録音、それに写真。
当時出回り始めた蝋管録音機という高価な機材を使っていたが、一部の歌しか収録されておらず、今では再生も困難になりつつあるという。
調査旅行ではバルトーク自らが採譜していたが、歌の場合は録音と同時に採譜。これは、歌手の歌がいつも同じであるとは限らない、という理由から。
器楽の場合は、現場で録音し、採譜は帰ってから自宅で行ったという。奏者の演奏が信頼できるので、録音から採譜するだけで充分、と考えていたそうだ。
採譜した曲については、その内容を事細かに分析・記録して、1曲ごとにカードに記入して、分類している。
バルトークの採譜は、リズムや音程の微細な変化まで記録したという詳細さで極めて精度が高く、コダーイによれば「何らかの装置の助けなしに人間が達しうる限界を示すものだった」というレベルのものだった。

こうやって収集した民俗音楽研究の成果は、「分類研究と譜例」という形をとる民俗音楽コレクションの出版と、民謡編曲という2つの形で現れてくる。
1906年にコダーイと連名で発表した編曲集『20のハンガリー民謡』はその中間的な位置づけの作品で、慣例に従ってピアノ伴奏こそつけているものの、その目的は民謡の旋律を広く知らしめるためだったと著者はとらえている。
その後、民謡の編曲に力を入れていったバルトークにとって、一時は編曲ものが創作の重要な分野となっていった。それも、単に和音伴奏をつけるのではなく、民謡の旋律にバルトークの大胆な対旋律が並置されたり、民謡音楽の旋律がコラージュ風につなぎあわされたりした凝った編曲になっていく。
しかし、1930年代に入ると民謡編曲は徐々に減っていき、直接の引用という形でバルトークの作品のなかに姿をあらわすことはなくなっていったという。

本書は、バルトークがどのようにして民謡研究を進めていたのかという研究の実態をまとめたものなので、バルトークの作品解説でも、民俗音楽それ自体の研究でもない。そういうものを期待すると、肩透かしをくうことになる。
では、全くバルトーク作品の分析をしていないかという、そういうわけではなく、
「第3章 民謡コレクション『ハンガリー民謡』を読む - 1919-23年」では《舞踏組曲》。
この曲はハンガリー、ルーマニア、スロヴァキア、アラブの農民の民俗音楽的要素を共存させるという構想で、さまざまな民族の共存という理想を表現したという。(実際にはスロヴァキア的素材は含まれていないが)
「第4章 「ハンガリー音楽=ジプシー音楽」という通説をめぐって」では《ラプソディ》。
この曲のなかで、民謡の旋律がどのように使われているかを解説したもので、ジプシー音楽の”精巧なイミテーション”であるラヴェルの《ツィガーヌ》と対比しているところが面白い。
ラヴェルが通俗的なジプシー音楽を模したのとは違って、バルトークは自ら収集したジプシー音楽を使っていて、融通の利かない生真面目なバルトークらしいところがあるというが、出来上がった《ラプソディ》は《ツィガーヌ》よりもずっと自由闊達だという。
手垢にまみれていない旋律を使っている分、原初的な素朴さがあるのかもしれない。
最後に、「第5章 晩年 1934-45年」では、《ピアノ・ソナタ》の第3楽章、《戸外にて》の第3曲<ミュゼット>をとりあげている。

これを読むと、《舞踏組曲》《ラプソディ》《ピアノ・ソナタ》を聴いてみたい気になってくる。
伝記でもなく楽曲解説でもないという、新書版らしいユニークなテーマ。各章の内容もそれぞれ関連性はあるが、異なる題材をテーマにしているので、それぞれ違った内容になっていて面白い。
バルトークや音楽史に興味があれば、いろいろ面白い発見ができると思える一冊。地味な内容ではあるけれど、あまり知ることのない情報がたくさん詰まっていて、超ミクロな歴史資料として面白い本でした。

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