グレゴリー・ソコロフに関する文献
2010.06.03 18:00| ♪ グレゴリー・ソコロフ|
CDラックで眠っていたソコロフのCDをいくつか聴いて、すっかりはまってしまったので、少しソコロフに関する情報を探してみました。
一年に何人か興味を引かれるピアニストに出会うけれど、ソコロフはそのなかでもずっと聴き続けるに違いないくらい好きなピアニストの一人。
ソコロフは日本ではあまり知られていないせいか、日本語の情報はWikipediaに載っているような簡単なプロフィールくらい。
第3回チャイコフスキーコンクールの優勝者、スタジオ録音をせず演奏会(とライブ録音)中心、現役では”世界最高”と評されることもある、etc.とか、だいたい同じような情報。
いろいろ探してみると、ソコロフに関する情報が載っている本は、
『ソビエトの名ピアニスト―ソフロニツキーからキーシンまで』(ツイピン著、国際文化出版、1992年)
チャイコフスキーコンクールのエピソードとその後の演奏活動が中心。ソコロフに関して一つの章を起こしているので、内容が幅広くて面白い。
『ロシア・ピアニズムの系譜 ルービンシュタインからキーシンまで』(佐藤泰一著、音楽之友社、1992年)
原著が1982年刊行の『ソビエトの名ピアニスト』よりも多少新しい情報が入っているけれど、複数の章で少しずつ断片的に紹介されているだけなので、量的には少ない。
『ピアニストガイド』(吉澤ヴィルヘルム著,青弓社、2006年)
この本は以前少し見たことがあって、だいたい1頁くらいでピアニストを紹介している。ソコロフの項は未読。

『ソビエトの名ピアニスト』は、タイトルに”ソビエト”という国名が入っているのでわかるとおり、ロシアがソヴィエト連邦だった時代に書かれた本。原著では26人のピアニストをとりあげていたが、邦訳では21人の抜粋版。
ソコロフの章は、第3回チャイコフスキーコンクールのエピソードで始まる。
若干16歳のソコロフは下馬評も高くなく(優勝するなんてほとんど誰も思っていなかったらしい)、第1次予選、第2次予選でも、優勝候補にも上がらなかった。
それが、なぜかチャイコフスキーのピアノ協奏曲を弾いた最終選考の結果、優勝した。一部の人にとっては疑問の余地のない結果らしいが、多くの人には意外だった。
この審査団の決定が正しかったかどうかは、「その後の経過がつねにコンクールの結果に最終的な決着をつけるのであり、何が適切で、何がそうでなかったかを示してくれる」。
結果的にその後の(現在の)ソコロフの評価を見れば、コンクールの時点ではなく将来性を見抜いた審査団の決定は正しかったことになる。
なぜ本選の後になって、急にソコロフが名前が浮上したのかは誰しも不思議に思うらしく、その理由に上げられているのが、演奏家としての欠点がなさすぎるという<欠点>。
実際に、チャイコフスキーコンクールでも、唯一ソコロフだけが大きなミスもなくムラのない出来栄えで、全ての選考過程を通過している。
ソコロフの若い頃は、模範的な優等生タイプの演奏家というイメージがあったらしく、そういう演奏家に対しては見方が厳しくなるらしい。
この本で描かれているソコロフ像は、練習熱心、生まれつき情緒的にも安定して調和の取れた内面世界を持っている、演奏の安定性が高くコンサートホールでも沈着冷静で自信を持ってピアノに向かう、など。
(かなり年をとった今では、一風変わりものイメージがついているような気もするけれど)
若い時にソコロフ自身が、最初は”かなり”あがるけれど、弾き始めるといつの間にか演奏に集中して没頭できると言っている。
(スタジオ録音がわずかでライブ録音が多い理由は、実演に強いライブ向きのピアニストだからなのでしょう)
若い頃は「まれに見るほど清らかで美しい演奏」(1977年、27歳の時に録音したショパンのピアノ協奏曲第1番を聴くとそれがよくわかる)で注目されたが、ソコロフの解釈は常に「まじめ」。かつての優等生的なイメージから脱皮し、内容豊かで創造的な音楽をつくるピアニストとして興味を引き寄せるようになり、徐々に思索的な傾向が強くなっていく。
ソコロフの演奏上の特徴は、フレーズ、モチーフ、イントネーションをくっきりと浮かびあがらせる音楽的新タックスと、鮮やかな音調、音色の暖かさ、ピアノをなでるように弾くタッチの柔らかさ。
この評論が書かれた頃のソコロフのネガティブな批評といえば、聴き手を安心させすぎてしまうという点。並外れて強烈な緊迫感のある燃えるような音楽的感銘をもたらさない、という批評家もいた。
(それからかなりの時が経っているし、今となってはこういう批評をする人はいないに違いない)

ソコロフのディスコグラフィー
スタジオ録音がほとんどなく、正規盤のライブ録音も限られている。LPがCD化されていないものもいくつか。
ソコロフは、特に思い入れの強い作曲家や様式、作品はないと言っている。良い音楽なら好きになるし、好きな音楽は自分で弾きたくなるのだそう。多分ベートーヴェンやバッハの曲集の全集録音などはしないのでは。
ソコロフのレパートリー(Wikipediaの米国サイトの情報)
レパートリーは18世紀初頭~20世紀半ばの作品とかなり広く、若い頃から、バッハ、ベートーヴェン、シューベルトはよく弾いていた。このリストでは、ショパン、スクリャービン、シューマンの曲も多く、コンチェルトよりも独奏曲のレパートリーが広い。
Wikipediaでは、ソコロフがコンチェルトを弾く機会をかなり減らした理由が書かれていて、これが面白い。
英文を要約すると、ソコロフ曰く、”ソロだと自分ひとりの努力で練習を積み重ねれば向上できる、一方、コンチェルトは相応しい指揮者&オケを見つけるのが容易ではなく、リハーサルも限られて、コンサートごとに毎回一から合わせていかなければならない。同じ量のエネルギーを投入するなら、リサイタルのために使った方が実りが多い。全てが自分自身にかかっているという考えが気に入っている。これは指揮者&オケと一緒に演奏するコンチェルトではほとんど不可能。責任がもてない”というような理由から、実演はリサイタル重視。
ソコロフのマネジメント会社のホームページ
今年のコンサート予定とプログラム、コンサートレビューが載っている。(飛行機嫌いという説もあり、ほとんど欧州大陸でしかコンサートをしないので、英文レビューはなし)
2010年のリサイタルプログラムは、バッハの《パルティータ第2番》、ブラームスの《7つの幻想曲》、シューマンの《ピアノ・ソナタ第3番》。
過去の演奏会の録音(ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第16番第3楽章、ラヴェルのソナチネ、シューマンのアラベスク、モーツァルトのピアノ協奏曲第23番第2楽章)が聴けるのが嬉しい。
いつもながら音自体が綺麗でとても魅力的。ベートーヴェンの地味なはずのピアノ・ソナタ第16番は緩急のコントラストが鮮やかでかなりドラマティック。ラヴェルとシューマンはカラフルな色彩感のある柔らかな音が綺麗。
モーツァルトは、しっとりとした響きの弱音と、陰影のある内省的で深い叙情感が美しいし、珍しいことに譜面にない装飾音やフレーズを入れたり、オケのトゥッティに合わせてピアノも音を加えるように和音を弾いて伴奏したりと、普通聴く演奏とはちょっと違って聴こえる。
これを聴いてしまうと、ベートーヴェンとモーツァルトは全楽章を聴きたくなってしまう。
一年に何人か興味を引かれるピアニストに出会うけれど、ソコロフはそのなかでもずっと聴き続けるに違いないくらい好きなピアニストの一人。
ソコロフは日本ではあまり知られていないせいか、日本語の情報はWikipediaに載っているような簡単なプロフィールくらい。
第3回チャイコフスキーコンクールの優勝者、スタジオ録音をせず演奏会(とライブ録音)中心、現役では”世界最高”と評されることもある、etc.とか、だいたい同じような情報。
いろいろ探してみると、ソコロフに関する情報が載っている本は、

チャイコフスキーコンクールのエピソードとその後の演奏活動が中心。ソコロフに関して一つの章を起こしているので、内容が幅広くて面白い。

原著が1982年刊行の『ソビエトの名ピアニスト』よりも多少新しい情報が入っているけれど、複数の章で少しずつ断片的に紹介されているだけなので、量的には少ない。

この本は以前少し見たことがあって、だいたい1頁くらいでピアニストを紹介している。ソコロフの項は未読。



『ソビエトの名ピアニスト』は、タイトルに”ソビエト”という国名が入っているのでわかるとおり、ロシアがソヴィエト連邦だった時代に書かれた本。原著では26人のピアニストをとりあげていたが、邦訳では21人の抜粋版。
ソコロフの章は、第3回チャイコフスキーコンクールのエピソードで始まる。
若干16歳のソコロフは下馬評も高くなく(優勝するなんてほとんど誰も思っていなかったらしい)、第1次予選、第2次予選でも、優勝候補にも上がらなかった。
それが、なぜかチャイコフスキーのピアノ協奏曲を弾いた最終選考の結果、優勝した。一部の人にとっては疑問の余地のない結果らしいが、多くの人には意外だった。
この審査団の決定が正しかったかどうかは、「その後の経過がつねにコンクールの結果に最終的な決着をつけるのであり、何が適切で、何がそうでなかったかを示してくれる」。
結果的にその後の(現在の)ソコロフの評価を見れば、コンクールの時点ではなく将来性を見抜いた審査団の決定は正しかったことになる。
なぜ本選の後になって、急にソコロフが名前が浮上したのかは誰しも不思議に思うらしく、その理由に上げられているのが、演奏家としての欠点がなさすぎるという<欠点>。
実際に、チャイコフスキーコンクールでも、唯一ソコロフだけが大きなミスもなくムラのない出来栄えで、全ての選考過程を通過している。
ソコロフの若い頃は、模範的な優等生タイプの演奏家というイメージがあったらしく、そういう演奏家に対しては見方が厳しくなるらしい。
この本で描かれているソコロフ像は、練習熱心、生まれつき情緒的にも安定して調和の取れた内面世界を持っている、演奏の安定性が高くコンサートホールでも沈着冷静で自信を持ってピアノに向かう、など。
(かなり年をとった今では、一風変わりものイメージがついているような気もするけれど)
若い時にソコロフ自身が、最初は”かなり”あがるけれど、弾き始めるといつの間にか演奏に集中して没頭できると言っている。
(スタジオ録音がわずかでライブ録音が多い理由は、実演に強いライブ向きのピアニストだからなのでしょう)
若い頃は「まれに見るほど清らかで美しい演奏」(1977年、27歳の時に録音したショパンのピアノ協奏曲第1番を聴くとそれがよくわかる)で注目されたが、ソコロフの解釈は常に「まじめ」。かつての優等生的なイメージから脱皮し、内容豊かで創造的な音楽をつくるピアニストとして興味を引き寄せるようになり、徐々に思索的な傾向が強くなっていく。
ソコロフの演奏上の特徴は、フレーズ、モチーフ、イントネーションをくっきりと浮かびあがらせる音楽的新タックスと、鮮やかな音調、音色の暖かさ、ピアノをなでるように弾くタッチの柔らかさ。
この評論が書かれた頃のソコロフのネガティブな批評といえば、聴き手を安心させすぎてしまうという点。並外れて強烈な緊迫感のある燃えるような音楽的感銘をもたらさない、という批評家もいた。
(それからかなりの時が経っているし、今となってはこういう批評をする人はいないに違いない)




スタジオ録音がほとんどなく、正規盤のライブ録音も限られている。LPがCD化されていないものもいくつか。
ソコロフは、特に思い入れの強い作曲家や様式、作品はないと言っている。良い音楽なら好きになるし、好きな音楽は自分で弾きたくなるのだそう。多分ベートーヴェンやバッハの曲集の全集録音などはしないのでは。

レパートリーは18世紀初頭~20世紀半ばの作品とかなり広く、若い頃から、バッハ、ベートーヴェン、シューベルトはよく弾いていた。このリストでは、ショパン、スクリャービン、シューマンの曲も多く、コンチェルトよりも独奏曲のレパートリーが広い。
Wikipediaでは、ソコロフがコンチェルトを弾く機会をかなり減らした理由が書かれていて、これが面白い。
英文を要約すると、ソコロフ曰く、”ソロだと自分ひとりの努力で練習を積み重ねれば向上できる、一方、コンチェルトは相応しい指揮者&オケを見つけるのが容易ではなく、リハーサルも限られて、コンサートごとに毎回一から合わせていかなければならない。同じ量のエネルギーを投入するなら、リサイタルのために使った方が実りが多い。全てが自分自身にかかっているという考えが気に入っている。これは指揮者&オケと一緒に演奏するコンチェルトではほとんど不可能。責任がもてない”というような理由から、実演はリサイタル重視。

今年のコンサート予定とプログラム、コンサートレビューが載っている。(飛行機嫌いという説もあり、ほとんど欧州大陸でしかコンサートをしないので、英文レビューはなし)
2010年のリサイタルプログラムは、バッハの《パルティータ第2番》、ブラームスの《7つの幻想曲》、シューマンの《ピアノ・ソナタ第3番》。
過去の演奏会の録音(ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第16番第3楽章、ラヴェルのソナチネ、シューマンのアラベスク、モーツァルトのピアノ協奏曲第23番第2楽章)が聴けるのが嬉しい。
いつもながら音自体が綺麗でとても魅力的。ベートーヴェンの地味なはずのピアノ・ソナタ第16番は緩急のコントラストが鮮やかでかなりドラマティック。ラヴェルとシューマンはカラフルな色彩感のある柔らかな音が綺麗。
モーツァルトは、しっとりとした響きの弱音と、陰影のある内省的で深い叙情感が美しいし、珍しいことに譜面にない装飾音やフレーズを入れたり、オケのトゥッティに合わせてピアノも音を加えるように和音を弾いて伴奏したりと、普通聴く演奏とはちょっと違って聴こえる。
これを聴いてしまうと、ベートーヴェンとモーツァルトは全楽章を聴きたくなってしまう。
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