パウル・バドゥーラ=スコダ著 『ベートーヴェン ピアノ・ソナタ 演奏法と解釈』 

2010, 08. 24 (Tue) 18:00

パウル・バドゥーラ=スコダと言えば、”ウィーン三羽烏”のピアニストとして有名。
あとの2人は、イェルク・デームスとフリードリヒ・グルダ。
この中ではグルダが一番ピアノが達者でずば抜けて人気があるし、吉田秀和氏の『世界のピアニスト』では、バドゥーラ=スコダとデームスは、独立したピアニストとしては難点がありすぎるけれど、自分の音楽を持っているし、音楽の雰囲気を周囲に発散させる力を持っているし、そういう生まれと育ちなのだ、と書かれたりしている。

バドゥーラ=スコダはピアニストとして、グルダのような腕とカリスマ性はないけれど、著述活動には熱心で、『モーツァルトの演奏法と解釈』(音楽之友社)を音楽学者の奥さんと共著で出している。
1970年には、ベートーヴェン生誕200年を記念して、友人のデムスと一緒にドイツ・テレヴィジョンのためにピアノ・ソナタ全32曲の演奏と解説を録画し(解説部分は別途出版された)、それをきっかけに42歳でピアノ・ソナタ全集を録音。
それと並行して書いた本が、この『ベートーヴェン ピアノ・ソナタ 演奏法と解釈』。初版をいろいろ訂正したものが、2003年に新版として出版された。

ベートーヴェン・ピアノ・ソナタ演奏法と解釈(新版)ベートーヴェン・ピアノ・ソナタ演奏法と解釈(新版)
(2003/04/01)
パウル バドゥーラ=スコダ

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原題は、単に『Beethoven Klaviersonaten』。
邦題の『演奏法と解釈』というのは、誤解を生むタイトル。
てっきり原典や注釈版の楽譜を元に、技巧・表現に関する演奏法を解説したものだと思い込んでいたけれど、どちらかというと構造分析。調性の設定や調性の推移・転調などの手法、特定のフレーズや音の効果・意味づけといった解説が主体。
そういうことを知っていないと、もちろん適切な演奏解釈ができないだろうけれど、特定の音やフレーズをどういうタッチで弾くか等のテクニカルな解説を期待してはいけない。
曲の筋立てを無味乾燥ではない文章で解きほぐしているので、物語り的というか読み物としての面白さはある。
ベートーヴェンの作曲技法がどれほど斬新か、演奏者・聴衆の期待を裏切るような不意打ちがどこに仕組まれているかとか、構造分析ができていないと気がつかないことがわかったりするし、今まであまりしっかり聴いたり弾いたりしていなかった曲がとっても魅力的に思えてくる。

ちょうど、アラウやソコロフが録音したピアノ・ソナタをくまなく聴いていたところだったのが良いタイミング。
標題つきでも後期ソナタでもないのに、とっても気に入っている曲(第3・4・7・12・13・15・18・22・27番)の解説を読むと、どうして良い曲と思えるのか、その理由もいろいろわかる。

職業柄、統計的に数値を調べるクセがついているので、曲別(標題付きの曲と第28番以降の後期ソナタは除いて)の頁数を数えておいた。文章量と作品の重要度は、ある程度は比例するはずなので。

頁数が5枚以上:第4・5・7・11・12・13・15・28番
特に、第4・7・11番は初期(~中期の初め)の曲なのに7~9頁と大目。
(第11番の評価がとても高く書かれているけれど、あまり印象に残っていないので、もう一度聴きなおしてみないと...)

頁数が5枚未満:第18・22・27番。(第22番は曲自体が短いので)
第9・10番、第19・20番は演奏容易な曲なので、2曲づつまとめて、それぞれ合計2~3頁程度。

標題付きの曲と後期ソナタは、概ね6~7.5頁くらい。
月光ソナタ(2頁)のように、超有名な曲はそれほど頁数をさいていないこともある。
さすがにハンマークラヴィーアは13頁と一番多い。

                               

小難しい曲目解説書とは違って、ピアニストならではの作品に対する愛着や作曲者への尊敬の念が実感としてこもっているし、面白く思えたところも多々あって結構笑えたりする。

超有名な月光ソナタの第3楽章。プレスト・アジタートで、ベートーヴェンの心の中の嵐のイメージ。
ソナタ形式なので普通なら短調の楽章を明るくする長調の副主題が入るはずなのに、それが欠けているし、副主題も終結主題も平行長調ではなく属調の嬰ト短調。この曲は絶望の曲だという。
この第3楽章は弾いても聴いても、どうにも好きに慣れないのは、やっぱりこの暗さのせいなのかも。

第12番の葬送ソナタ。一応標題はついているけれど、いわゆる7大ソナタには含まれていない。
この第4楽章は、厳粛で悲愴な第3楽章の葬送行進曲から一転して、軽快なロンド。
いくつかの注釈には、”クラマーのような練習曲”と書かれているという。確かに指回りが良い人なら、練習曲風に弾きたくなる。
バドゥーラ=スコダの解釈は、表面的にはクラマーに似た響きがあっても、驚くほどの技術的な難しさを除けば、練習曲などではなくて、葬送行進曲に対するに自然で味わいのある反歌。
『アラウとの対話』に書かれているアラウの解釈もそれに近く、クラマーのように弾くピアニストが多いとやっぱり言っている。この終楽章は、”新たな世代の発生を表象”し、”死のあとに生命の流れの再出発”であって、できるだけ遅いテンポを保つことで、葬送行進曲と終楽章との脈絡に意味が生まれるという。

第4楽章の演奏時間を調べてみると、アラウは旧盤3'17、新盤3'34”。ポリーニ、シフがアラウの旧録と同じくらいのテンポ。バックハウスのモノラル録音が2'50”。
他のピアニストも3分前後で弾いている演奏が多く、これくらいのテンポだとちょっと速いかなという感じ。
ブレンデルはいくつか録音していて、3分20秒前後でかなり遅いテンポのものもある。
ブレンデルの弟子のポール・ルイスになると、アラウの新盤とほぼ同じテンポの3'38"。でも堂々として力強いので、遅さは全然気にならない。
2分半前後はリヒテル、シュナーベル、アシュケナージ、ペライア、グルダなど。テンポの遅い演奏に比べると、軽快だけれどちょっと落ち着きがなくてせわしない感じはする。

ワルトシュタインソナタの第1楽章は、”冒頭のピアニッシモの和絃からしてすでに、急行列車の驀進するようなものではなく、落ち着いた軽く内部にふるえを持った調和を表現するものでなくてはならない”。
でも、実際は急行列車を通り越して、特急か新幹線なみの猛スピードの演奏がやたらに多い。
『アラウとの対話』でもこの曲について触れていて、スローペースで弾くことで有名なアラウにとってみれば、他のピアニストは”3倍は速すぎます”と言っていた。(でも、1940年代の録音を聴くと、アラウも急行列車かそれ以上のスピードで弾いていた)

第22番ソナタの第2楽章。第22番はワルトシュタインと熱情に挟まれてしまっているせいか目立たないし、2楽章形式という変わった構成なので同時代の人は失敗作と言っていたらしい。(今でもそれほど気にとめられている曲とは思えないけど...)
これが、ちゃんと聴いてみると意外と面白い曲で、第1楽章の可愛らしい主題と、躍動的で力強いスタッカートの主題のコントラストが鮮やか。
この楽章を詩的に読み解くのに、”魔法にかかっていた竜をその優しい心で救った少女の物語り”(「美女と野獣」の話のドイツ版)を取り上げている。
曲の展開とおとぎ話のストーリーが妙に符号しているところが面白い。

特に印象に残るのは、第2楽章のオルガンかハープのように美しいファンタスティックな響き。ここはケンプの録音が素晴らしく綺麗な響き。
でも、どこかで聴いた気がするようなメロディなのに、思い出せない...。
バドゥーラ=スコダの解説だと、この第2楽章は”2人の楽しい会話”であり、”色彩と形式の魔法のような戯れ”であり、”あまり類例をみない転調の豊富さと斬新な和声”が楽しめ、それに終盤ちかくでの突然第1楽章の変ニ-ロ-ハの3つの音符が不意打ちのように現れる。

この本は、曲によっては解説内容にかなり差はあるけれど、プロのピアニストはこういうことをきっちり考えて弾いているのかあと思うと、いろいろ勉強になる。
アラウやブレンデルが一部のソナタについては書いている解説も読んでいるので、その解釈の違いがテンポ・技巧的な処理、表現方法につながっているのがわかる部分もあって、楽譜を読むと言うのはいろいろと難しいもの。まるでミステリーの謎解きのように思えてくる。

                               

テクニカルな奏法の解説なら、パドゥラ=スコダが編・注釈しているチェルニーの解説書の方が参考になりそう...と思ったけれど、べートーヴェンのピアノ・ソナタを弾くなら、参考どころか必須図書だろうと思い直した。
1963年の出版なので絶版状態(たぶん)。公共図書館にもあまり置いていない専門書なので、音大の図書館とかで探さないといけないかもしれない。

ベートーヴェン全ピアノ作品の正しい奏法ベートーヴェン全ピアノ作品の正しい奏法
(2001/01/12)
カール・ツェルニー,パウル・バドゥラ=スコダ

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4 Comments

マダムコミキ  

面白そう・・・♪

この本、気にはなっていましたが、読んでいません。でも今日の記事がとても面白かったので読んでみようと思いました。
去年だったか、スコダの演奏を聴いて感動しました。80過ぎてもかくしゃくたる演奏で、ベートーヴェンのソナタの32番の演奏がとても良かったからです。
技術は若い頃の方が冴えていたかもしれませんが、語り口というのか説得力というのか、すっかり引き込まれてしまったのです。
やはり、このような著書を書いているからこその解釈の深さが、演奏をより魅力的にしているのかもと思いました。

前回のショスタコの記事も興味深かったです。大好きなので、誰の演奏が良いのか探してます。

2010/08/24 (Tue) 23:28 | EDIT | REPLY |   

yoshimi  

ベートーヴェンのソナタが好きならおすすめの本です

マダムコミキ様、こんにちは。

ピアニストによるまとまったベートーヴェンの作品解説というのは稀少なので、おすすめの本です。
読みやすい文章ですし、楽典の知識が一通りあって作曲に興味があれば、調性や和音の構成の仕方の話とかは面白いと思います。

語り口...というのは、吉田氏が言っていた”音楽の雰囲気を周囲に発散させる力”のことですね。
今は(かなり高度な)テクニックがあって当然という時代なので、バドゥーラ=スコダのようなピアニストは出てこないというか、受け入れられなくなりましたね。

ショスコターヴィチの演奏は、かなり個性的なものが多いですね。
古くからの定番はニコラーエワが有名ですが、私は彼女の演奏はどの曲もあまり相性が良くないので。

最近の録音では、メルニコフの新譜が出てます。
色彩感も豊かで弱音の表現も繊細ですし、急速系はダイナミックで、曲の性格づけがかなり明瞭のように思います。
好みに合うタイプなら、わりとお薦めです。
私には、情感がやや深く重く感じられるのと、急速系のタッチが強くてちょっと騒々しい気がするので、結局、シチェルバコフとムストネンが定番のままです。
この曲集に関しては、透明感のある響き、現代的な乾いた叙情感と漠然とした不可思議さのあるところが、私の選択基準というところでしょうか。

2010/08/25 (Wed) 00:11 | EDIT | REPLY |   

アリア  

そういう本でしたか!

yoshimiさん、こんにちは。
私もてっきりテクニカルな解説の本かと思ってました。(笑)
やっぱりこの題名のせいですよね。
テクニカルな解説だったとしても読んでみたいなあと思ってたんですが
構造分析! こっちの方が一層興味があります。
ますます読んでみたくなりましたー。というか「買い」かも。
ベートーヴェンのソナタも、いずれ本腰を入れて練習したいですし。
でもでも、笑える部分もある本だったとは、それは本当に意外です。(笑)

「ベートーヴェン全ピアノ作品の正しい奏法」も気になりますー。
amazonはダメだけど、全音にはまだ残ってそうですね。

そうそう、アラウといえば。
うちにリストの練習曲全集が眠っているのを発見しましたよ。
何かの必要で買って、その後すっかり忘れてたみたいです…
改めて聴いてみたら、アラウの音が本当に綺麗で~。
ベルマンのもすごいなあと思ってたんですが(シフラ系の超絶技巧ですね)
音楽としては、アラウの方がずっと好きですね。
ベルマンの「巡礼の年」はいいと思うんですけどね。
「超絶技巧練習曲」は、すごすぎて聴き疲れしてしまいそうです。

2010/08/25 (Wed) 12:22 | EDIT | REPLY |   

yoshimi  

「ベートーヴェン全ピアノ作品の正しい奏法」、私も気になってます

アリアさん、こんにちは。

この題名、紛らわしいですよね~。(というか、ちょっと誇大広告気味な気もしますが)
薄いわりにお値段はそこそこするので、本屋さんや図書館で内容を確かめてから購入した方が良いと思います。

”笑える”というのは、「私的に」です。
”べートーヴェンのふざけたウィンクを感じとる思いがする”とか、”最高の歓喜にたどりついたときのベートーヴェンは、古典的な『節度』を忘れてしまう”とか、ベートーヴェンの心情を推し量った表現が面白いんですよね。
確かにその部分は、スコダの書いている通りそういう雰囲気がするのでなおさらです。

「ベートーヴェン全ピアノ作品の正しい奏法」は、どのBOOKサイトでも在庫切れとか入手不可なので、出版社が在庫を持っていないように思います。
確認したわけではないですが、問い合わせてみたら残っていたりして...。

アラウのリストのエチュードは有名ですね。
アラウはもともと響きが深くてペダリングも上手い人ですし、この頃のフィリップスの録音はいろいろ工夫したようで、ベートーヴェンの古い全集よりもずっと良い音で録れています。
個人的には、少し響きが厚くてもやもやとした感じがするので、エチュードのような技巧的な曲は、もっとクリアな薄めの響きの方が聴きやすいのですけど。

アラウのエチュードは好みがはっきり分かれて、技巧的な切れ味と完璧さを期待すると、アラウの演奏が好きじゃない人は結構います。
アラウは緩徐系の曲は味わい深くて良いと思いますが、急速系の曲(マゼッパとか鬼火とか)は指回りが厳しくて切れ味悪く重たい感じがするので、私には曲によりけりというところでしょうか。
慣れるとさほど気になることもありませんが、そもそもアラウのエチュードは技巧面よりも、音楽的なところを聴くべき演奏なんでしょうね。

私が聴くのは超絶技巧系(で詩情もある)のピアニストが多いので、豪快な切れ味とスケール感のあるベルマンや、技巧鮮やかなキーシンのエチュードはわりと好きです。
ベルマンは、音質がちょっと悪いせいもあって、たしかに聴き疲れますよね。たまに聴くと、怒涛のような迫力と詩情のある演奏とが共存していて、気分爽快です。
最近オフチニコフのエチュードをYoutubeで聴きましたが、これは技巧と表現のバランスも良く、音も聴きやすいので気に入っています。

2010/08/25 (Wed) 13:21 | EDIT | REPLY |   

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