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ホルショフスキ ~ バッハ/平均律クラヴィーア曲集第1巻
フィッシャーの古い平均律の録音を聴いていて思い出したのが、ホルショフスキの平均律曲集。
平均律は新しい録音で評判の良い録音があれば、第1集だけは聴くようにしているけれど、あまり好きではない平均律のわりに、意外にいろいろ聴いていた。
第1集に限れば聴いた録音は、リヒテル、シフ、ムストネン、フェルナー、コロリオフ、ニコラーエワ(抜粋盤のみ)、ホルショフスキ、ポリーニ、グルダ、フィッシャー、グールド、アシュケナージ、それに変わったところでは、キース・ジャレット(ピアノ・ソロがわりと好きなので)。(他に聴いたような気もするけれど、すっかり忘れている)
相性の良し悪しがはっきりとわかる曲集なので、今でも聴くのは、ムストネン、フェルナー、コロリオフ、ホルショフスキ。最近は、フィッシャーがこれに加わったし、キースは滅多に聴かないけれど、演奏自体はとても好き。
今は、この6人の平均律以外は、特に聴きたいという気が起こらないので、全く聴かない。

よく聴くのはフェルナーとコロリオフ。特にフェルナーは今までには聴いたことがないくらい柔らかくて綺麗な音で、起伏はやや緩やかで微温的。
もっと線が明瞭で構造がよくわかる硬質な演奏を聴きたい時はコロリオフ。頭のなかがシャキッとする感覚がして、とても気持ちよい。
でも、今まで一番強烈な印象だったのがムストネン。抽象的な別の世界にいるような平均律なので、日常的に聴くにはかなり独特というか特異。音の刺激が強いので、それが薄れた頃に聴きたくなる。
もう一つ、忘れたころの聴きたくなるのは、ホルショフスキ。
平均律という言葉を聴いても、ホルショフスキの録音は意識に上らないことが多いのに、あるとき突然ホルショフスキのバッハを思い出して、聴きたくなる。
たぶんいろんな演奏を聴いていると、程度の差はあってもピアニストの音の特性や表現の個性が反映されているので、だんだん精神的に疲れてくるからに違いない。
こういう時には、飾り気のないシンプルなバッハが聴きたくなって、ホルショフスキに戻ってしまう。まるで長い間帰っていなかった生まれ故郷へ戻ったような懐かしさと安心感がとても心地良くて。

ホルショフスキはムストネンと正反対で、とてもオーソドックス(なのだと思う)でかなり地味。
一般的にはさほど知られても聴かれていないに違いない。録音したのは1979~80年。ホルショフスキは88歳!たぶん平均律を録音した最高齢記録に違いない。
なにせ超高齢なので、指がもつれ気味なところはあるけれど、やや粘り気の丁寧で明瞭なタッチで確実に一音一音を弾き込んでいき、無理なく自然に音楽が流れていく。
音の切れもわりと良くて、強弱や音色・響きもよくコントロールされているので、聴いていても安定感がある。
高齢だからテンポが遅い..というわけでは全くなく、速いテンポで弾いている曲も結構あって、リズム感も良くてとても軽快。
外見的には派手さもなくて地味な印象なのは間違いないけれど、高齢ゆえの”枯れた”ようなところは全然なくて、シンプルに凝縮されて実がしっかりと詰まっている。

ホルショフスキと同じ年齢の88歳の時に、アラウもバッハのパルティータを録音(1991年)しているけれど、アラウは技術的な衰えがかなり目立っていた。同じ年齢とはいえホルショフスキの技巧がずっと安定しているのは驚き。
パルティータと平均律という曲集の違いはあるとはいえ、アラウのパルティータは強い感情移入を感じさせるウェットなところがあって、時にかなりの重さを感じることがある。
ホルショフスキの平均律は淡々としたなかに深い情感や情熱があって、それがよくコントロールされた穏やかでさりげない表現で、精神的にとっても落ち着ける。

1987年の95歳の来日公演でも、大きく崩れることなく2日間のリサイタルを弾き切っていたという。(私はライブ録音を聴いただけだけど)
そのころには視野の中心が見えなくなっていたらしく、”鍵盤など見えなくてもピアノは弾けるよ”と、こともなげに言ってしまうところが何とも言えません。

バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻
(2004/09/22)
ミエチスラフ・ホルショフスキー

試聴する(国内盤にリンク)
第2集も一部録音していたけれど未完。リサイタルでは、第2集の曲も弾いていた。

ホルショフスキの平均律は、一言で言えばシンプル。
ペダルはほとんど使っていない(と思う)ので残響も短く、響きが混濁せずに音が明瞭。
同じ部屋で弾いているのかと錯覚するような近さで聴こえてきて、木質感のあるアコースティックな響きがホルショフスキの平均律の奏法によく合っている。
あまり残響の多い音は好きではないので(曲や演奏内容にもよるけれど)、こういう素朴な響きのする音がなぜか懐かしい気がする。

ノンレガートは柔らかくて軽やかなタッチで、キンキンと耳に鋭くささることもなく、レガートは流麗になりすぎることなく、一つ一つの音も旋律もクリアにくっきりと聴こえる。
ダイナミックレンジはあまり広くはなく、特にフォルテの音量はやや控えめ。タッチ自体はしっかりしているので、弱音であっても芯のある音で、全体的に揺らぎなくかっちりとした安定感がある。

まず冒頭のプレリュードからして、遅すぎ速すぎもしないほどよいテンポと芯のしっかりした太めの明瞭な響きで、飾り気のない素朴な感じがとっても良い。
続くフーガも淡々とした雰囲気で、声部が明瞭に引き分けられて、絡みあう声部が混濁することなく、主旋律を強く強調せずとも、重唱しているように聴こえる。ホルショフスキのフーガは、多少指がもつれがちなところはあるけれど明晰。
第2番のテンポの速いプレリュードは、シャープで鋭いタッチ...とはいかないけれど、力強いしっかりしたタッチでじわじわと迫ってくるようで、速いテンポでビュンビュン弾くよりは、粘着力があって重みがある。
ホルショフスキはリズムがとても軽快で、第3番のプレリュードとフーガは、速いテンポと丸みのある響きで、とても小気味良い。それにしても、思いのほか速いテンポで弾いているのに気がついて、

第4番のプレリュードも、抑揚自体は緩やかで、やわらかいタッチの弱音も穏やか。叙情的というよりは淡々としているけれど、沈みこんでいくように物静かで内省的。この曲はかなり好きだけど、あまり叙情的に魅かれるとちょっと重たいので、ホルショフスキのさらさらとした哀感がほど良い感じ。
フーガになると、ゴツゴツしたタッチとやわらかい弱音のレガートが交錯し、オルガン的な荘重な響きはないけれど、厳か。
短調でゆったりとしたテンポの8番のフーガも、静寂で張り詰めた雰囲気のなかに敬虔なものを感じて、聴いていると自然と息をつめていたりする。
短調の曲は一見もの静かでさらさらとした叙情感を感じるけれど、繰り返し聴いていると、実は底流では強い感情や情熱といったものが流れているようにも感じられてくるところが不思議。

第9番のプレリュードになると、冒頭の音でそれまでの緊張がほどけて、柔らかい弱音が静かに響いて穏やかでとても優しい。この曲の演奏や13番のプレリュードはとっても素敵。
続く第13番のフーガも、軽やかなタッチのなかに、優しい情感がさらりと込められているよう。
ゆったりした長調の曲は、ホルショフスキの優しく暖かみのある弱音とさりげない情感がとてもよく映えていて、特に好きな演奏が多い。

ホルショフスキの平均律は演奏も音も淡々としてシンプル。
弱音は艶やかさとか華やかさのある響きではないけれど、時には暖かく優しく、時には瞑想的・思索的で引き締まった美しさがあり、厳粛な短調のフーガではストイックにも聴こえる。
極端なテンポ設定や強い強弱のコントラストをつけてはいないし、凝ったフレージングでもなくて、刺激的な面白さなどとは無縁。リズムミカルで軽やかではあっても、ドラマティック、ダイナミックなところはかなり薄い。
それでも、過剰な表現は抑制した淡々とした演奏のなかから、レリーフのようにくっきりと浮かび上がってくる何かがあって、あまりに飾り気ないので、独り静かにじっくりと聴かないと聴き過ごしてしまいそうになる。
おかげで、ホルショフスキの平均律を聴くときは、他のピアニストの録音を聴くよりもずっと集中して聴く習慣がついてしまった。

ホルショフスキの平均律は、いわば”引き算の平均律”。いろんな余剰な部分を全て取り去って後に残された凝縮された美しさは、”シンプル・イズ・ベスト”という言葉がぴったり。
ホルショフスキの平均律にも、独自の解釈が当然入っているわけだけれど、なぜかピアニストの影を感じさせないものがあって、音が本来あるべき姿のまま表現されているような感覚がする。他のどのピアニストの録音よりも、それを強く感じる。
そういえば、マレイ・ペライアがホルショフスキを評していった"he played bach like he was composing it."(バッハを自ら作曲したかのように弾く)という言葉がよく引用されている。

忘れた頃に必ず思い出してホルショフスキの平均律を聴きたくなるのは、あまりに多くの演奏と解釈を聴くと頭や感覚が飽和状態になって、原点回帰したくなるからだろうし、体のなかに浸透した余剰なものを全て洗い流してくれるような浄化作用があるからかもしれない。


[ホルショフスキに関する過去の記事はこちら]
バッハ/イギリス組曲第5番(カザルス・ホール・リサイタルより)
バッハ/イギリス組曲第2番

tag : バッハ ホルショフスキ

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感動しました♪
ホルショフスキの平均律、聴いたことないのですが、録音時の88歳という年齢にショックを受けました。
すごいですね~。
そのことだけで、もう感動です♪
是非聴いてみたいです。
ホルショフスキ、ぜひ聴いてみてください
マダムコミキ様、こんにちは。

ホルショフスキは、知る人ぞ知る...というピアニストですね。
1987年(95歳の時)の来日公演は聴き損ねましたが、この直後に出たライブ録音のCDでも、当日の雰囲気が良く伝わってきます。イギリス組曲第5番が特に素晴らしく思いました。
私は彼のバッハが好きですが、モーツァルトやショパンも良いらしいです。

平均律集の録音は残響が少ないせいか、そんなに美音ではありませんが、音も演奏もシンプルなところが好きです。
試聴すればどういう演奏かすぐにわかります。気に入られたのでしたら、国内盤・輸入盤ともHMVでもamazonでも、そんなに高くない価格なのでおすすめです。

ライブ録音の方は、ホールや教会で演奏しているので、しっとりした音色と残響がとても美しい録音です。
平均律は試聴ファイルしかありませんが、youtubeにイギリス組曲第2番のアルマンドの録音がありました。(たぶん1984年のイタリアでのリサイタルです。CDも出てます)
この音の美しさと演奏の格調の高さには惚れ惚れします。
これが92歳のピアニストの演奏だなんて、信じられない...。
http://www.youtube.com/watch?v=SbUjCg3RUTM
ホルショフスキ
こんにちは。

ホルショフスキの晩年の演奏はほとんど聴いていないのですが、'50~60年代にカザルスやシゲティ達と共演した室内楽で昔から聴いていました。当時既に60歳ですが、この人にあっては壮年期なのですね。(笑)
バックハウスやルービンシュタインのように年齢を重ねれば重ねただけ音楽が深まる人なのでしょうね。晩年の演奏もぜひ聴いてみる様にします。
晩年のホルショフスキ
ハルくん様、こんにちは。
コメントありがとうございます。

ホルショフスキと言えば、室内楽の録音で有名ですね。私もカザルスとの録音はいくつか聴いたことがあります。
1950~60年代ではソリストとしての録音もいくつかあるのですが、これはさほど評判にもならず。
85歳を超えて、ルービンシュタインと同じ視力障害にかかり、その頃から演奏が神域に近づいてきた...なんていう解説もありました。
たしかに晩年の演奏には”オーラ”のようなものが漂っているかもしれません。ソロを聴くなら1980年代のライブ録音が良いように思います。

なにぶん高齢のため、リサイタルでも調子の波がかなりあったらしいです。
ライブ録音ではカザルス・ホールのリサイタルは定評があります。
バッハばかり集めたリサイタル集のCDはとても音の美しい録音で、私がよく聴くのは、平均律曲集と合わせて、この3種類です。
他にもスタジオ録音やライブ録音の輸入盤がいろいろ出てましたが、今は廃盤になっているものが多いです。
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Author:yoshimi
<プロフィール>
クラシック音楽に本と絵・写真に囲まれて気ままに暮らす日々。

好きな作曲家:ベートーヴェン、ブラームス、バッハ、リスト。主に聴くのは、ピアノ独奏曲とピアノ協奏曲、ピアノの入った室内楽曲(ヴァイオリンソナタ、チェロソナタ、ピアノ三重奏曲など)。

好きなピアニスト:カッチェン、レーゼル、ハフ、コロリオフ、フィオレンティーノ、パーチェ、デュシャーブル、アラウ

好きなヴァイオリニスト:F.P.ツィンマーマン、スーク

好きなジャズピアニスト:バイラーク、若かりし頃の大西順子、メルドー(ソロのみ)、エヴァンス

好きな作家;太宰治、菊池寛、芥川龍之介、吉村昭、ハルバースタム、アーサー・ヘイリー
好きな画家;クリムト、オキーフ、池田遙邨、有元利夫
好きな写真家:アーウィット

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