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イアン・カー著『キース・ジャレット 人と音楽』
バッハの平均律曲集の録音をいろいろ聴いていたら、そういえばキース・ジャレットのCDもあったはず...と思い出した。
キースの平均律は、さらさらと清流が流れていくような蒸留水みたいなところがあるので、そう度々聴くことはないけれど、演奏自体は印象がとても良いので、好きな録音の一つ。
ときどきポピュラー音楽のような軽く滑るようなタッチや音が聴こえるけれど、私にはグルダの平均律の方がポップス的にデフォルメされたクラシックのように聴こえてきて困ってしまう。

キースがピアノで録音しているのは第1集のみ。
第2集はチェンバロで弾いているし、ゴルトベルク変奏曲やフランス組曲の録音もチェンバロ。
クラシック以外でも、クラヴィコードやオルガンで、インプロヴィゼーションで弾いている録音がいくつかある。
もともとチェンバロやオルガンの演奏を聴くことが少ないこともあって、キースの古楽器やオルガンの演奏をいくつか聴いても、もうひとつピンとこない。特にクラシックの曲に関しては、練習と演奏を積んでいる本職のチェンバリストやオルガニストの演奏を聴く方が良いと思うので。

キースとクラシック音楽との関係は、幼少の時のピアノレッスンから初まり、(この本が書かれた頃の話では)自宅ではクラシックをいつも弾いていたというほど長いし、クラシック・ピアニストとしての活動すると決めてからは、テクニカルな練習を集中的に行って、クラシックのプログラムだけの演奏会もたびたび開いていた。

最近は、ジャズピアニストがガーシュウィンのピアノ協奏曲やモーツァルトを弾くのは珍しくもなくなったけれど、レパートリーに関してはキースはかなり本格的。
1979年頃からクラシックの世界に徐々に足を踏み入れた時は、最初はコリン・マクフィー、ルー・ハリソンなどの現代音楽作曲家の作品から始め、1883年にはバルトーク、バーバー、ストラヴィンスキーをコンサートで弾くなど、主に現代曲を欧州で演奏している。
その後で、モーツァルト、ベートーヴェン、バッハ、スカルラッティなどの過去の作品や、ショスタコーヴィチの現代曲も公開演奏で弾き始めた。

平行して、主にECMでバッハ、モーツァルト、ショスタコーヴィチなどの作品を次々に録音。
なかでも珍しいのは、ハリソンの《ピアノ協奏曲》と《ヴァイオリン,ピアノと小管弦楽のための組曲》。《ピアノ協奏曲》は大友直人指揮新日本交響楽団の伴奏で日本で録音している。なぜか、レーベルはECMではなくて、ニュー・ワールド。
ハリソンの曲をいくつか聴いていると、ガムラン(らしい)の音やらどこかの民族楽器の音がするので、ワールドミュージック的な音楽らしい。あまりクラシックのピアニストが好んで弾くタイプの音楽ではないし、ハリソンの作品はそれほど人気がないらしく、録音をめったにみかけない。

クラシックの演奏会は概ね好評でクラシックピアニストとしてはまずまず順調だったけれど、キースは1985年にはクラシック音楽界にはすっかり失望してしまう。
インプロヴィゼーションがそもそも作曲行為なので、クラシックの作曲家に親近感を感じるというけれど、演奏に対する考え方が根本的に異なっていたようで、クラシック音楽界と演奏家には馴染めなかった。
結局、クラシックピアニストとしての活動は本道にそれた道だと悟り、ジャズとクラシックとに同時に専念することは不可能だと結論して、再びジャズの世界へ回帰した。
それ以降も、時々クラシックの音楽をコンサートで弾くことはあっても、あくまで副次的な位置でしかない。

そのあたりのことが、とても詳しく書かれていたのが、イアン・カーによる評伝『キース・ジャレット―人と音楽』。

キース・ジャレット―人と音楽キース・ジャレット―人と音楽
(1992/08)
イアン カー

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カバーされているのは幼少~記念碑的なアルバム『スピリッツ』が誕生した1985年までと、その後の1987年までの活動についても少し。

クラシックに関係する活動に関しては、主に第10章チェンジズ、第11章スピリッツ、第12章再生のそれぞれ一部に書かれている。
ジャズの世界とは全く違うクラシック界の雰囲気や演奏家たちとは、結局ほとんどソリが合わず(なぜなのかが詳しく書かれている)、孤立感を深めていき、インプロヴィゼーションを全くしていないというフラストレーションも蓄積して、最後は神経衰弱的な状態に陥ってしまう。
ついにクラシックのコンサートを当分してはならないと結論づけて、今までに失われてしまったものを取り戻すべく、スタジオでフルートを吹いているうちに、突然、劇的に自分の内面が変化していき、衝動のようにインプロヴィゼーションが閃いて、生まれた音楽が『スピリッツ』。
これでキースはジャズの世界へ戻り、さらに進化した音楽をつくっていく....という、ハッピーエンド。(この後、1995年にもまた別の精神的(身体的でもある)な危機が襲ってくるけれど)

ピアニストとしてクラシック音楽界に徐々に入り込むにつれて、絶望的な気持ちになったおかげで、結果的に『スピリッツ』が誕生し、ジャズこそが本来の自分の音楽だと再認識できた...という展開は逆説的というか何と言うか、この挫折体験がなければ、今はどんなピアニストになっていただろうかと想像したくなる。
そういう意味では、クラシック・ピアニストとしての一時期の活動は、わき道どころか、ジャズピアニストとして重要なターニングポイントへ向かうための分かれ道の一方だったのかもしれない。

平均律曲集の録音についても、少し書かれている。
キースが尊敬している指揮者ホグウッドが、この録音を聴いて、「実に素晴らしいものだ。気に入る人もいるだろうし、退屈で面白くないという人もあるだろう。解釈不十分という人もいるだろう・・・・・・・キースは、非=大巨匠タイプのアプローチとでもいうような、(演奏家)が作曲家と聴衆の間にあまりに高い壁を築くのではなく、もっと無色透明のままでとどまるアプローチを目指していた。」と言っていた。

キースの平均律は全体的に明るい色調で、起伏はそれほど強めでもなく、短調の曲でも沈みむようなところはなくてさっぱりした叙情感(ちょっと物足りない気もする)。蒸留水のように無色透明なところがある。
左手側の声部がそれほど強くないせいか、フーガは複数の声部が絡みあう線的な動きがシャープに聴こえてこなかったり、時々入れるトリルの響きがちょっと硬くて面白く聴こえたり、テンポの速いリズミカルな曲は滑らかに弾む生き生きとしたリズム感がとても軽快。
細かく聴いているといろいろ面白いところがあって、これはこれで結構好きな演奏なので、忘れた頃に思い出して聴いている。

バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻
(1992/08/26)
キース・ジャレット

試聴する(米amazon)


                              

キースのピアニストとして成功していく過程も面白かったけれど、録音したアルバムの解説的な話もかなり多くて、録音経緯やら演奏の評価まで書かれている。
おかげで、長い間聴いていなかったCDを聴きなおしたり、持っていないCDは聴きたくなったり。

10年くらい前にジャズ・ピアノばかり聴いていた時期があって、それ以来いろんなピアニストの録音を集めてきた。キースの録音は膨大だったので網羅的には揃えることはせず、有名な録音をソロを中心にピアノ・トリオ/カルテットも加えて聴いていた。

キースは、ピアノ・ソロ、ピアノ・トリオ、カルテットのいずれも名盤が多くて、絞り込んだとしても集めるのが大変。
ピアノ・ソロなら、超有名な《ケルン・コンサート》に始まって、《パリ・コンサート》《ブレゲンツ・コンサート》、それに日本公演の《サンベア・コンサート》など。
ソロ以外なら、ヨーロピアン・カルテットの《マイ・ソング》とか、トリオのライブ録音やスタンダード集の定番もの、珍しい既存録音のセレクト盤など。
なかでも一番よく聴いていたのが、ピアノソロアルバムの《The Melody At Night, With You》
これはキースの膨大な録音の中でとても人気のあるアルバム。タイトルどおり、静かな夜に独りで聴きたくなる音楽。

The Melody At Night, With YouThe Melody At Night, With You
(1999/10/19)
Keith Jarrett

試聴する(米amazon)

全曲ピアノ・ソロ。シンプルな旋律で内省的な雰囲気が漂い、静かに鳴るピアノの音が澄んでいる。
彼は1995年頃に原因不明の倦怠感や体力低下に悩まされるという慢性疲労症候群にかかり、演奏活動を休止していた。
キースのソロコンサートのライブ録音は、精神が研ぎ澄まされたような極度に高い集中力・凝縮力を感じさせる。そのせいか、キースはコンサート直後は、かなり神経が昂ぶったハイテンションの状態になるという。
膨大な精神的エネルギーを注ぐことで、徐々に精神を疲弊させていたのかもしれない。

このアルバムは、その病から回復しつつあった時期に録音した作品。
ライブ録音のような緊張感はなく、静かに呟くようなピアノの音と穏やかでさらさらとした叙情感が美しく、とても親密な空気が全編に流れている。

聴き手にかなりの集中力が要求される長大な曲が多いソロのライブ録音とは違って、小品を集めた静謐で親密感のあるスタジオ録音なので、このアルバムが好きという人は結構多い。
ジャズに興味のない人でも、《The Melody At Night, With You》はピアノの音も曲もとても綺麗で自然に聴ける(はず)ので、最初に聴くキースのピアノ・ソロならこれが一番馴染みやすい。
ただし、スタジオ/ライブのピアノ・ソロの録音のなかでもかなり異質なアルバム。あまりに違いすぎるので、このイメージのまま他のソロアルバムを聴かない方が良いと思う。
クラシックが好きな人なら、《パリ・コンサート》は比較的聴きやすい(と思う)ピアノ・ソロ。40分近いインプロヴィゼーションなので、聴く方にも集中力が要求されるけれど、バロック音楽を連想させるような和声の響きと旋律が恐ろしいほどに美しくて、キースのアルバムのなかで今一番よく聴いている。

《キースの手の大きさについて》
評伝を読んでいると、ジャズとクラシックでは使う筋肉が違っていて、ジャズ特有の弾き方というものがあるし、音が速く弾ければクラシックが弾けるというものではない、とキースははっきり言っている。

それにキースの手は小さい。これはジャズを弾く場合はとても利点になるという。普通の手の大きさのピアニストには出来ないこと(リズムに関することや、あるコード・シークエンスを重ね合わせること、ピアノ連弾のような効果・・・・対位法的なライン)ができると、ピアニストでもあるドラマーのジャック・ディジョネットは言っている。

一方、クラシックでは、手の小さいことは明らかにハンディになる。
キース自身、平行8度が本当に下手だったと言っている。8度や6度で16分音符を弾かなければならないときも、そんなに指が開かないので、多少無理しても弾きこなさなければならなかったという。
そういうパッセージをどうやって弾くかというと、”いくぶんかは魔法とそれを弾きたいという気持ちさ!”

tag : 伝記・評論 バッハ キース・ジャレット

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キースの平均律
こんにちは♪
キースの平均律は、確かに明るい色調だなと思ってました。
でも意外なほど正統派と言うか、真正直というか・・・。
yoshimiさんがおっしゃるように、リズム感に、キースらしさがあるのかも・・・。
キースの平均律は面白いです
マダムコミキ様、こんにちは。

キースの平均律は、解釈自体は強いクセがないのですが、私には平板に聴こえる曲もあります。
ちょうど古楽復興ブームの頃だったので、ホグウッドを尊敬していることから考えても、古楽的アプローチに影響を受けたのではないかと思います。

キースは、タッチが時々、流れ気味、すべり気味になることががありますね。そういうところで、ポップ的な軽さを感じてしまいますけど。
クラシック用のテクニカルな練習はかなりしたそうなんですが、ジャズを弾く時の特徴が、どうしても出てしまうように思いました。
それにキースの手は小さいので、8度、6度で16分音符を弾くのが大変だったそうです。
実際、平均律の録音でも、音が開いたり飛んでいたりすると、フレーズ移動で一瞬間が空くことが時々ありますね。
和音をアルペジオで弾いているところもあって、ジャズでは利点だった小さい手が、クラシックでは不利になっています。

特に急速系のフーガは、適度な速さで無理のない自然なリズム感が良いですね。
3番のフーガはスタッカートのような音が入って面白いリズムですし、10番のプレリュードは少しジャズ風な軽快さを感じます。
私はどちらかというと、そういう細かいところを聴いて楽しんでます。
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Author:yoshimi
<プロフィール>
クラシック音楽に本と絵・写真に囲まれて気ままに暮らす日々。

好きな作曲家:ベートーヴェン、ブラームス、バッハ、リスト。主に聴くのは、ピアノ独奏曲とピアノ協奏曲、ピアノの入った室内楽曲(ヴァイオリンソナタ、チェロソナタ、ピアノ三重奏曲など)。

好きなピアニスト:カッチェン、レーゼル、ハフ、コロリオフ、フィオレンティーノ、パーチェ、デュシャーブル、アラウ

好きなヴァイオリニスト:F.P.ツィンマーマン、スーク

好きなジャズピアニスト:バイラーク、若かりし頃の大西順子、メルドー(ソロのみ)、エヴァンス

好きな作家;太宰治、菊池寛、芥川龍之介、吉村昭、ハルバースタム、アーサー・ヘイリー
好きな画家;クリムト、オキーフ、池田遙邨、有元利夫
好きな写真家:アーウィット

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