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フー・ツォン ~ ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第4番
偶然知った中国人ピアニストのフー・ツォン。
第2次大戦後、共産主義政権下の中国で思想統制が強まるなか、1959年、ツォン25歳の時に留学先のポーランドから英国へ亡命。その際、ジュリアス・カッチェンが亡命時の旅費や、ロンドンでの生活を援助したという。
このエピソードは、カッチェンのプロフィールを調べているときには見つからなかった。
フー・ツォンの伝記『望郷のマズルカ ― 激動の中国現代史を生きたピアニスト フー・ツォン』を読んでみると、カッチェンが援助したことについて、数行だけだけど、ちゃんと載っていた。
当時、フー・ツォンはショパンコンクールで第3位に入賞した後、東欧を中心に演奏活動をしていた。
パリを拠点に同じく欧米で演奏活動をしていた33歳のカッチェンは、8歳年下のツォンの音楽性を高く評価していたらしい。

フー・ツォンのピアニストとしての経歴はかなり華やか。
1934年生まれで、1953年にワルシャワ音楽院に留学してジェヴィエツキに師事。
1955年の第5回ショパンコンクールで、それまで全く無名のツォンがアジア人初の第3位に入賞。(2位はアシュケナージ、田中希代子が日本人初の入賞)
コンクールで弾いたマズルカが審査員に絶賛されるほどに素晴らしかったため、マズルカ賞も受賞。
その4年後、中国では1940年代の整風運動を経て共産党政権による思想統制が進み、ワルシャワ音楽院を卒業後は農村での労働による思想改造を行うようにと中国政府から召還命令が下る。このことは、ほぼピアニスト人生が終ることを意味したために、1959年に英国へ亡命。

ロンドンでのフー・ツォンのデビューは成功。当初は生活が苦しかったが、カッチェン、ルービンシュタイン、カボスなどのピアニストたちが援助し、やがて演奏活動も増えて生活が軌道に乗るようになる。
メニューインの娘と結婚して(後に離婚するが)、メニューインファミリーの一員となり、子供もできて、社会的にも個人的にも生活が安定していく。
しかし、祖国中国で文化大革命が始まった1966年、知識人階級であったツォンの両親が迫害され、自殺を遂げる。彼が両親の死を知ったのは2ヵ月後だった。亡命事件とこの両親の死は、彼の人生に深い傷を残した。

フー・ツォンは、若い頃にバレンボイムと親交があり(一時、パレスチナ問題に対する意見の相違で仲違いしたが)、アルゲリッチとは長年の友人で、別府のアルゲリッチ音楽祭にも参加している。
演奏活動以外では、リーズ、エリザベートなどの国際ピアノコンクールの審査員をつとめており、今年はショパンコンクールの審査員をしていた。マスタークラスなどの教育活動も行っている。

                               

カッチェンがその音楽性を高くかって、亡命やロンドンでの生活も援助したというピアニストなので、一体どういうピアノを弾くのだろう?これは絶対聴いてみないことには...と思って、いろいろ調べてみると、ディスコグラフィ(アリアCDのウェブサイト)を見つけた。これは、アリアCD店主の松本大輔氏が書いているCD評。
松本氏の著書『クラシックは死なない』シリーズのCD評は結構面白い。(思い込みが激しいとは思うけど)
カッチェンとブラレイを知ったのがこのシリーズで、その紹介文にとても興味を魅かれて聴き始めたという思い出の本。プロの評論家のレビューよりもはるかに役に立ちました。

フー・ツォンは感情移入の深いタイプのピアニストらしく、こういう時はロマン派(特にショパン)を聴くのは避けたい。
バロックや古典派だと、形式や構造性が強くて、情念がほどよく中和されるせいか、すんなり聴けてとっても魅力的。
とりわけ、Youtubeで聴いてみてこれは凄いと思ったのが、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番。
amazonやHMVのレビューもとても良いし、内容も的確。音楽評論家の評価の方はまちまち。評論家の言うことは当てにしていないので、どうでもよい気はするけど、許氏はとっても好意的。でもこの人の”耽美的、極度にロマンティックな夢幻美”というレビューには、ちょっと?。確かに美しくはあるけれど、リスナーのレビューの方が(私には)共感できる。
宇野氏はどうもテンポの遅さと個性的な表現がお気に召さなかったようで、NG。(でも、彼のレビューを読んで感心したことがないので、かえってNGで良かったけど)

ベートーヴェンの録音は、ポーランドのMeridianというレーベル。
いくつかのディスクは入手しにくいらしい。幸いすぐに新品を入手。伴奏はスヴォボダ指揮シンフォニア・ヴァルソヴィア。
Fou Ts'Ong Plays Beethoven & HaydnFou Ts'Ong Plays
(2005/10/11)
Fou Ts'ong

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カップリングはフー・ツォンの弾き振りによるハイドンのピアノ協奏曲第11番。このハイドンも初期のベートーヴェン的な自由闊達さとモーツァルト的な優美さのある演奏がとっても魅力的。
ハイドンについては、Daisyさんの<ハイドン音盤倉庫 - Haydn Recordings Archive>の記事”フー・ツォンのピアノ協奏曲、快演”でレビューされてます。

フー・ツォンのピアノ協奏曲第4番は、スローテンポで有名。
第1楽章は演奏時間が22分あまりと、アラウの新盤の第4番よりもさらに1分ほど長い。
と言っても、アラウのスローテンポに慣れていたら、テンポの遅さ自体には驚かないし、特に違和感もなし。
それに、アラウの演奏と比べて、ピアノの音が近くて明瞭、起伏も細かくいろいろついていて、フォルテになるとかなり強いタッチ。アラウほどに起伏が緩々してはいないので、ずっと聴きやすくはある。
(オケはやっぱりディヴィス/DSKが素晴らしく、ツォンの伴奏をしているスヴォボダ指揮シンフォニア・ヴァルソヴィアというポーランドのオケは、もう一つ評判がよろしくない。私はピアノを聴くのに集中しているので、あまり気にならないけど。)

アラウがスローテンポなのは、もともと昔からテンポが遅めの傾向があったことに加えて、高齢からくる(と思う)時間間隔と技巧の衰えとが相まっているので納得できる。
フー・ツォンは55歳頃の録音。アファナシエフみたいにどんな曲でもやたらに遅く弾くピアニストではないし、テンポがこれほど遅いのはどうしてだろう?
それに同じスローテンポでも、アラウとツォンのベートーヴェンは全然違っている。
アラウが慈愛に満ちたような静けさと包み込むような明るさや温かさがあったけれど、フー・ツォンの静けかで穏やか演奏には強い感情が込められていて、底にずっと流れているのは、哀感のような何か~すでに失われたものへの愛情や惜別の念のようなもの。
フォルテのタッチが一瞬かなり激しくなるのは、抑えがたい感情が噴出しているかのように聴こえる。
この曲の解釈としては、かなり特異な感じがしないでもないけれど、モーツァルトの長調の曲のように、透明感のある哀感と翳りのある明るさをこの曲で感じさせる演奏はそうそう聴けない。
どちらかという、ベートーヴェンを聴くというよりは、ベートーヴェンを通じてツォンの想念を音で聴いているような気がしてくる。
曲の隅ずみまでピアニストの想いが浸透しているようで、これだけ丁寧に感情を込めて音を辿っていくには、必然的にこの遅いテンポになるのだろう。
この感情移入の深さとそれが演奏を通じて表出してくるところは、今まで聴いたどの第4番の演奏とも違っている。
このベートーヴェンを聴いていると、この表現にはどういう意味が込められているだろうかと考えてさせられてしまって、これは一度聴いたら忘れられない。

第1楽章の冒頭は、とても柔らかく囁くような弱音でゆったりしたテンポのピアノ・ソロ。まるで鍵盤の上にそ~っと指をおくようなタッチ。
続くトゥッティもピアノにぴったり合わせたように、同じくらいに柔らかい消え入るような弱音。トゥッティの部分はさすがに遅い感じはする。
やがてピアノが入ってくると、音が通り過ぎるのを惜しむような丁寧なタッチ。
音自体は明瞭でくっきり鮮やかでキレは良い。スローテンポながらもきりっと引き締まっていて、遅さは(私は)さほど気にならず。
強弱の起伏もとても細やかなので、緩々とした平板さもなく、旋律をたっぷり歌いこんでいて、表情はとても豊か。
特にピアノのテヌート気味で微妙なニュアンスを含んだ弱音には、感情的な思い入れを感じさせる。
フォルテになるとシャープなタッチになり、感情が噴出するような激しさを垣間見せるし、ピアニッシモからフォルテへと移行するときは力強さが増して、メリハリはよく利いている。
カデンツァになってもテンポはそれほど上げず、ピアニスティックに弾くことはせず、弱音のなかに力強いフォルテを織り込みながら旋律を歌いこんでいて、ゆったりとしたテンポと表面的な穏やかさとはうらはらに、意外にドラマティックな感じがする。

特に物思いに沈んでふっと消えていくような弱音のニュアンスに強い感情を感じるものがあるけれど、情緒過剰なべたつきや重たさはなく、透明感のある美しさ。
全編、長調の明るさのなかに、失われたものを懐かしみ惜しんでいるような強い哀感が流れているような...。

第2楽章は、両端楽章がかなりスローなせいか、意外とテンポは遅くない。
柔らかい弱音の響きが美しく、抑制したトーンでやや淡々とした感じがするせいか、悲愴感というよりは哀しさの方を強く感じる。

第3楽章はロンドなので、さすがにテンポはかなり上がっているけれど、それでも遅め。演奏時間が11分半近くと、これもアラウより1分以上は長い。
タッチもこの曲想にしては、一音一音をしっかり打鍵していくので、重たい感じ。
やっぱりこの楽章も第1楽章と第2楽章の雰囲気を引きずっているようで、軽快で快活...というわけではない。
特に澄んだ明るさと哀しさが織り交ざったような柔らかい弱音が印象的。
曲想やリズムは明るく開放的なはずなのに、モーツァルトの長調のようにどこか哀しさを感じさせるところは、第1楽章と変わらない。

ゆったりしたテンポと細かな起伏で歌いこんでいるので、全曲を聴き終えると、まるで長かった人生への追憶が込められているような気持ちになってくる。久しぶりにすこぶる充実感のある第4番のコンチェルトを聴きました。

                               

『望郷のマズルカ ― 激動の中国現代史を生きたピアニスト フー・ツォン』
フー・ツォンの(たぶん)唯一の伝記。幼少期~近況までをカバーしていて、特に文化大革命の最中、ツォンの両親が迫害され自殺を遂げる1966年頃まではかなり詳しい。特に、幼少期の教育や音楽院時代が詳しい。
父母からツォンへの手紙も多数引用されている。書簡集は『君よ弦外の音を聴け―ピアニストの息子に宛てた父の手紙』 (傅雷・著/榎本泰子・訳、樹花舎、2004年)が出版済。
『望郷のマズルカ』は、全てがツォンに関する伝記というわけではなく、フー・ツォンの弟フー・ミンについて1章、文化大革命下でのピアニスト数人の短い評伝に1章が当てられている。

望郷のマズルカ―激動の中国現代史を生きたピアニストフー・ツォン望郷のマズルカ―激動の中国現代史を生きたピアニストフー・ツォン
(2007/12/25)
森岡 葉

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『望郷のマズルカ』の著者でフリーライターの森岡葉さんのブログ<May Each Day>の「フー・ツォン関連」のカテゴリに、最近のフー・ツォンの動向やインタビュなど、貴重な情報がたくさん載っています。

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Author:yoshimi
<プロフィール>
クラシック音楽に本と絵・写真に囲まれて気ままに暮らす日々。

好きな作曲家:ベートーヴェン、ブラームス、バッハ、リスト。主に聴くのは、ピアノ独奏曲とピアノ協奏曲、ピアノの入った室内楽曲(ヴァイオリンソナタ、チェロソナタ、ピアノ三重奏曲など)。

好きなピアニスト:カッチェン、レーゼル、ハフ、コロリオフ、フィオレンティーノ、パーチェ、デュシャーブル、アラウ

好きなヴァイオリニスト:F.P.ツィンマーマン、スーク

好きなジャズピアニスト:バイラーク、若かりし頃の大西順子、メルドー(ソロのみ)、エヴァンス

好きな作家;太宰治、菊池寛、芥川龍之介、吉村昭、ハルバースタム、アーサー・ヘイリー
好きな画家;クリムト、オキーフ、池田遙邨、有元利夫
好きな写真家:アーウィット

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