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”脳の虫”と”音楽幻聴” ~ オリヴァー・サックス著『音楽嗜好症(ミュージコフィリア)- 脳神経科医と音楽に憑かれた人々』より
音楽療法に関する文献を探していて、見つけたのがオリヴァー・サックスの最新刊『音楽嗜好症(ミュージコフィリア)- 脳神経科医と音楽に憑かれた人々』。
著者のサックスは『妻を帽子とまちがえた男』(たしか大学時代に話題になっていた)や『火星の人類学者』などの著作で有名な脳神経科医。現在はコロンビア大学メディカルセンター教授。

音楽嗜好症(ミュージコフィリア)- 脳神経科医と音楽に憑かれた人々音楽嗜好症(ミュージコフィリア)- 脳神経科医と音楽に憑かれた人々
(2010/07)
オリヴァー サックス

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病的なまでの音楽好き『音楽嗜好症』を始めとして、脳神経の何らかの異常・混乱が原因で、音楽に憑りつかれたしまう症例の数々が紹介されている。

目次からテーマを抜き出してみると...

「第1部 音楽に憑かれて」
音楽がもたらす病的な症例:突発性音楽嗜好症、音楽発作、音楽誘発性癲癇、脳の中の音楽、脳の中の虫、音楽幻聴

「第2部 さまざまな音楽の才能」
音楽を知覚する機能や他の感覚との関係:失音楽症、絶対音感、蝸牛失音楽症、片耳による立体知覚、音楽サヴァン症候群、音楽と視覚障害、共感覚と音楽

「第3部 記憶、行動、そして音楽」
音楽の持つ治癒力と音楽療法:音楽と記憶喪失、失語症と音楽療法、運動障害と朗唱、音楽とトゥレット症候群、リズムと動き、パーキンソン病と音楽療法、幻の指(片腕のピアニスト)、音楽家のジストニー(筋失調症)

「第4部 感情、アイデンティティ、そして音楽」
音楽と精神・神経性疾患との関係:音楽の夢、音楽に対する無関心、音楽と狂気と憂鬱、音楽と感情、音楽と側頭葉、ウィリアムズ症候群、認知症と音楽療法

サックスがとりあげている症例を大まかに分類してみると、病的なほど優れた音楽的な才能、音楽知覚能力が部分的に失われる病、精神・神経性疾患治療のための音楽療法、逆に、音楽そのものが原因になっている病。

音楽が病的な形で現れている症例はいくつかあり、音楽発作と音楽誘発性癲癇(一般的にはごく稀な症候)、"Brainworms"(脳の虫)”Musical Hallucinations(音楽幻聴)”

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Brainworms(脳の虫)
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"Brainworms"とは”脳の虫”。頭にこびりついて離れないメロディやフレーズのこと。
「ふつうに頭に浮かぶ音楽が一線を越え、決まった断片が何日間も連続的でとめどなく、ときには気が狂いそうになるほど繰り返されるようになって、いわば病的なものになることがある、このような繰り返し-たいていの場合、短くはっきりした楽節や3,4小節分の旋律-は、ややもすると何時間、何日間も続き、頭のなかでぐるぐる回り、その後だんだん消えていく。(中略)音楽が脳の一部に入り込んでそこを占領し、繰り返し自発的に興奮させる強制作用を起こしていると考えられる。」

「earworm(耳の虫)」(元々はドイツ語由来)が最初に使われたのは1980年代。しかし、1987年のマーク・トウェインの短編小説にも、”頭の中で繰り返す歌”の記述がある。
「動きや音や言葉の強制的な繰り返しがトゥレット症候群や強迫障害や前頭葉損傷のある人に起こる傾向があるのに対して、音楽の楽節が心の中で無意識に、あるいは強制的に繰り返される現象はほぼ万人に起こる。」
「この場合、病的なものと正常なものとに区切りはないのかもしれない。」

「脳の虫はたいてい、特徴が型にはまっていて変わらない。特定の寿命があり、数時間から数日間パワー全開で走ったあと、たまに火花を散らしながら、段々消えていく。(略)ときには何年も経ってから、物音、連想、またはその話が引き金になって再発しがちである。そして脳の虫はほぼいつも断片的だ。」という症状は、癲癇の症状によく似ているという。

トウェインの時代から劇的に音楽環境は変わり、今や私たちは「たえまない音楽の包囲攻撃にさらされている」ため、この「音楽の弾幕砲火」により人間の聴覚システムにはかなりの過負荷がかかっている。
その結果として起こっていることは、一つは難聴の罹患率が非常に高くなりつつあり、特に若い人や音楽家の間で顕著なこと。もう一つは”脳の虫”がひとりでに現れ、自分の都合でしか立ち去らないこと、だという。

サックスが"Brainworms"について語っている映像(amazon.com)


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Musical Hallucinations(音楽幻聴)
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本文中では10件ほどの音楽幻聴の症例が具体的に紹介されている。その他にサックスへの手紙で音楽幻聴を訴えた例など、症例は多い。
精神疾患の患者も音楽幻聴を経験することがあるが、サックスが対象としているのは、精神的には正常で、脳内の神経学的な原因によって現れる音楽幻聴。

音楽幻聴の症例を読むと、個々人によって幻聴のパターンや強さ、コントロール可能度はかなり違う。
聴こえてくる音楽は、聴いたことのある馴染みのある音楽である場合もあれば、意味のない楽節やパターンであることもある。
また、自ら演奏している曲が勝手に独創的に変化していたり、脳が独自に作曲したオリジナル曲だったりすることもある。
わずらわしさのレベルも様々。24時間中うるさくてわずらわしくて夜も眠れないと苦しむ人もいれば、音楽幻聴がとても穏やかで、楽に無視できる人もいる。
音楽幻聴を止められなくとも、その音楽の中身を意図的に変えることができる人もいる。

音楽幻聴のある人の大半は難聴者であり、その多くは何らかの「耳のなかの雑音」(ゴウゴウ、シューシューという耳鳴り)や、漸増(特定の声か物音が異常に、そしてしばしば不快に大きくなること)も抱えている。病気、手術、あるいは聴力のさらなる低下がきっかけで、臨界を越えたように思われる人もいる。

「年齢も聴力低下も単独では幻聴を引き起こす十分条件ではないが、老齢脳と聴覚障害などの要因が結びつくと、脳の聴覚システムと音楽システムの抑制と刺激の微妙なバランスが崩れ、病的な活性化につながるのかもしれない」

「音楽幻聴を誘発する要因が周辺的なもの(たとえば難聴)であれ、中枢的なもの(発作や脳卒中)であれ、すべてに共通の脳のメカニズム、すなわち最終共通路があるように思われる。」
音楽幻聴の素因は様々であっても、大部分の患者に共通しているのは、「自分が音楽を「イメージしている」とは言わず、何か奇妙な独立したメカニズムが脳のなかで動き始めると話す。脳の中の「テープ」、「回路」、「ラジオ」あるいは「レコード」と呼ぶのだ。ある人は手紙のなかでそれを「頭蓋内のジュークボックス」と呼んでいる。」

「音楽幻聴すべてに共通の特徴-最初は外から聞こえるように思えること、たえまがないこと、断片的で反復すること、不随意でわずらわしいこと-はあるが、細部は千差万別だ。」

「脳卒中、一過性の虚血発作、そして脳の動脈瘤や動脈奇形は全て、音楽幻聴につながることがあるが、そういう幻聴は病変が鎮まったり、直ったりすると消える傾向があるのに対し、大部分の音楽幻聴は、長年のあいだには少し弱くなることはあっても、非常にしつこく続く。」

「ほとんどの音楽幻聴は、突然症状が始まる。そして幻聴のレパートリーが広がり、音が大きくなっていき、さらにしつこく、わずらわしくなっていく。そして、素因を特定して取り除くことができても、幻聴は続く場合がある。幻聴が自律し、自己刺激し、自己永続的になるわけだ。この時点で止めたり抑えたりすることはほぼ不可能だが、「ジュークボックス」の中にリズムやメロディや主題の似た曲があれば、それに取り換えることができる人もいる。(略)たんなる心象ではなく、「実際の」音楽が聞こえているかのように物理的に響くことが多い。」

「このような発火、燃え上がり、そして自己永続の特徴は、癲癇に似ている。ということは、脳の音楽ネットワーク内に電気的興奮の持続的で抑制できない広がりのようなものがあるのではないだろうか。ひょっとすると、(もともとは抗癲癇薬として開発された)ガバペンチンのような薬が、ときに音楽幻聴にも効くことは偶然ではないのかもしれない。」

サックスによると、音楽幻聴の「治療法」はないが、わずらわしさを和らげることはできる。
症例のなかで、患者に投与された薬では、ガバペンチン(抗てんかん薬)、クエチアピン(抗精神病薬)は、音楽が一時的に消滅したり、弱まったりした効果がある人もいた。逆に、全く効果がなかったり、音楽幻聴が悪化した(耳鳴りまで発生した)ケースもある。
難聴治療のため人工内耳をつけた患者も同様で、音楽幻聴が消えた人もいれば、相変わらず聴こえ続けている人もいる。
プロのヴァイオリニスト・ゴードン氏の場合は、脳のMRI、CTスキャン、24時間脳波モニタリングは全て正常。鍼や、クロナゼパム・リスペリドン・ステラジンなど様々な薬も全く効果なく、結局、クエチアピンで音楽幻聴が緩和された。


<関連記事>
サックスの英Brain誌への寄稿文「The power of music」
(出典:Brain (2006) 129 (10): 2528-2532. doi: 10.1093/brain/awl234)


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[追記]
英国耳鳴協会(The British Tinnitus Association:BTA)のホームページの説明によると、”musical hallucination”は、”musical tinnitus(音楽型耳鳴り)”とも言われる。
”musical hallucination”の解説(BTAホームページ)
”musical hallucination”に関する参考文献リスト(同)
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以下は、参考文献に関するメモ。

”Musical hallucinations(音楽幻聴)”で有名な論文は、本書でも紹介されていたBerriosの”Musical hallucinations. A historical and clinical study.”(British Journal of Psychiatry 156: 188-194, 1990)。
抄録によれば、音楽幻聴を経験した46件の症例(既存文献36件と新規症例10件)が分析されており、発症者は女性が多く、年齢、難聴、脳疾患(非優位半球に影響するもの)が重要な要因。精神疾患や個人的要因は重要ではない。

関連論文はBerrios:”Musical hallucinations: a statistical analysis of 46 cases”(Psychopathology. 1991;24(6):356-60.)


Berriosの上記論文の発表後、”Musical hallucinations”の研究結果がいろいろ報告されている。
既存文献サーベイにより132件の症例分析を行ったおこなったEversとEllgerの論文”The clinical spectrum of musical hallucinations.”(J Neurol Sci. 2004 Dec 15;227(1):55-65.)によると、神経学的・精神的な疾患をもつ患者の間では広く知られている(稀な現象ではあるが)。そのメカニズムや類型に関して、広く受けいれられている理論はない。
症例の70%は女性、平均年齢は61.5歳、脳内局所病変のある患者は他のグループよりもかなり若いが、病変のある脳半球は主要な要因ではない。
治療法に関する体系的な研究はないが、抗痙攣薬と抗うつ薬が効果があるとほぼ一貫して報告されている。
音楽幻聴の病態生理学的分析で検討された理論は、求心路遮断(聴覚における”シャルル・ボネ症候”)、感覚器の聴取能の剥離(sensory auditory deprivation)、 寄生的記憶、認知回路モジュールにおける自発的活動など。

Cope&Baguleyによる文献レビュー”Is Musical Hallucination an Otological Phenomenon? A Review of the Literature”(Clinical Otolaryngology, Volume 34, Issue 5, pp423-430,2009)
音楽幻聴は、耳や脳に潜んだ病理の印でありうる。または強迫性障害の痕跡、社会的孤立などを示唆。音楽幻聴が医学的に報告されないことも多い。
難聴、女性、社会的孤立や年齢が60歳以上などとの関連性があるが、独立的な危険因子ではないかもしれない。潜在的な原因には神経血管性の病理、精神障害、オピオイド系医薬が含まれているが、これらは大半のケースでは稀。聴力損害が誘発因子であるかもしれないが、第一の機能障害は聴覚関連皮質の過剰反応(より高次の抑制障害も必要のように思われるが)。


本書でサックスが、音楽幻聴の神経基盤に関する先駆的報告だと紹介していたグリフィスの論文”Musical hallucinosis in acquired deafness. Phenomenology and brain substrate.”(Brain. 2000 Oct;123 ( Pt 10):2065-76.)は、ポジトロンスキャンを使い、通常は現実の音楽を知覚するときに作動するものと同じ神経網を、音楽幻聴も広範に活性化させていることを明らかにした。
サックスによれば、この研究報告は、コノルスキーの幻覚の理論-「求心性活動不足」に伴う「解放性」幻覚-を支持するゆるぎない証拠となっている。
サックスがある患者に対して行った説明では、「解放性」幻聴とは、(突然の聴力低下などにより)通常の入力を奪われた脳の聴覚野が、独自の自発的な活動を起こし始め、それが音楽記憶による音楽の幻聴という形をとったもの。

上記の文献のうち、Berrios(1991年)を除く4文献は、英国耳鳴協会(BTA)が”Musical hallucination”に関する参考文献としている。


また、サックスが最後に紹介した症例であり、著名な精神分析学者のレオ・ランゲル博士は、音楽幻聴が10年以上続いている。
博士は、個人の経験と感情による音楽幻聴の形成、そして心や人格と音楽幻聴の継続的な相互作用に関してかなり詳しく分析を行ってきた。

発症後半年後の博士の自己診断では、重い難聴で神経性聴覚障害を患っており、聴力不足に伴う聴覚過敏と関係がある、内部の中枢聴覚経路が過剰に興奮して音を拡張している。最初は、自然音な環境騒音などの外部のリズムや、呼吸・心拍のような体内リズムに基づいて起こるのかもしれないが、「心がそれを音楽や歌に変え、コントロールするようになり、受動性が能動性に負ける」のだと考えた。

下記は、ランゲル博士がhuffingtonpost.comに投稿した手記。
音楽幻聴発症~現在に至る生活を綴っている。今では、音楽幻聴を理解し、それと付き合って暮らせるようになったという。
"I have learned to live with and know it, and I regard my life since that occurrence as living in a ringside seat at a physiological process ordinarily covered and obscured in normal life. "
"At the beginning, I described it as there always; now I say "whenever I listen".”

Music in the Head: Living at the Brain-Mind Border; Part 1
Music in the Head: Living at the Brain-Mind Border; Part 2
Music in the Head: Living at the Brain-Mind Border; Part 3

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[備考]直接的な引用以外の記事内容(医学用語・論文要約など)については、原著・原文や専門医にてご確認ください。
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tag : オリヴァー・サックス 音響・音楽療法 音楽耳鳴り 伝記・評論

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クラシック音楽に本と絵・写真に囲まれて気ままに暮らす日々。

好きな作曲家:ベートーヴェン、ブラームス、バッハ、リスト。主に聴くのは、ピアノ独奏曲とピアノ協奏曲、ピアノの入った室内楽曲(ヴァイオリンソナタ、チェロソナタ、ピアノ三重奏曲など)。

好きなピアニスト:カッチェン、レーゼル、ハフ、コロリオフ、フィオレンティーノ、パーチェ、デュシャーブル、アラウ

好きなヴァイオリニスト:F.P.ツィンマーマン、スーク

好きなジャズピアニスト:バイラーク、若かりし頃の大西順子、メルドー(ソロのみ)、エヴァンス

好きな作家;太宰治、菊池寛、芥川龍之介、吉村昭、ハルバースタム、アーサー・ヘイリー
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好きな写真家:アーウィット

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