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中野達哉著 『ブラームスの辞書』
音楽用語辞典は、世の中にたくさん出回っているけれど、世界で唯一の音楽用語辞典ではなかろうかと思うのが、中野達哉さんのブラームス専用音楽用語辞典『ブラームスの辞書』

自費出版した400頁の本に、ブラームス作品に出てくる音楽用語と用例(記載作品の該当頁)、用法や解説、譜面(一部の用語について)など、多くの情報が詰め込まれている。辞書編纂の苦労が伝わってくる労作。
この辞書を執筆するにあたって、ブラームス作品の楽譜から用語を抽出して、全部で22,000件のデータベースを作成したという。

著書と同名の中野さんのブログ<ブラームスの辞書>には、ブラームスや彼にゆかりのある人物・作品の記事が満載。
他の作品解説書や情報サイトなどでは見つからない情報が多数載っているので、ブラームス大好きな人や興味を持っている人には、インフォマティブで読むのが楽しいブログ。

中野達哉著『ブラームスの辞書』中野達哉著『ブラームスの辞書』
(2005/06/15)
中野達哉

問い合わせ先
(仕様:A5判、上製本カバー付き、400ページ、収録項目数約1170、譜例173箇所、4300円税込)

『ブラームスの辞書』を購入する時に、通し番号のシールが貼付されるので、その番号には自分の好きな作品番号を選ぶことができる。
といっても、すでに何十冊も本が売れているので、残っている作品番号はかなり少ない。
私は、とあるご縁で、ありがたいことにこの本を贈っていただいたけれど、そのときに私がお願いしたのは"69"。
「9つの歌」の作品番号。この歌が好きという理由からではなく、ブラームス弾きのジュリアス・カッチェンが43歳で亡くなったのが、1969年だったから。
残り少ない番号のなかで、運良くこの番号がまだ残っていたというのは偶然だろうけれど、やはり目に見えない何かの縁があったのかも...。

『ブラームスの辞書』の中身の方は、最初から頁を繰って、順番に最後まで読んでいく...というスタイルだと、読み終えるのは難しい。
タイトルどおり「辞書」なので、目的の用語を探して読んでいくか、よく知っている作品が載っている項目を拾いながら、読んでいく方が、私には読みやすい。
用語の使われ方からみると、「トップ系」と「パート系」の2種類に分けれている。
「トップ系」は、楽譜冒頭で指定されて曲(楽章)全体にかかるが、「パート系」は、曲の途中で特定の部分に関して指定されている。
「パート系」の場合は、楽譜でどの部分に使われているのか確認した方が解説内容がわかりやすくなる。
楽譜があれば手元に置いておけば良いけれど、膨大な作品群の楽譜を全部そろえている人はほとんどいないだろうから、IMSLP(無料楽譜ダウンロードサイト)で提供されているデジタル楽譜を使えば、PDFファイルで、閲覧・印刷ができる。
ただしどの版の楽譜なのか、注意が必要。版によって、記載されている用語が違ったり、記載がなかったり、逆に記載が追加されていたりする。

ブラームスのピアノ曲を弾いたり、聴いたりしていると、昔からずっと気になっていたことがあるので、早速『ブラームスの辞書』で調べてみました。

 andante Con Moto/歩くような速さで、動きをもって
《4つのバラード Op.10》 の第4曲で指定されている。
この曲は、演奏時間にして9分前後が多いけれど、カッチェンは5:35、レーゼルは6:27、グールド9:37、ミケランジェリは9:31。
テンポが倍近くも違うと、曲の雰囲気もガラッと変わる。
おそらくカッチェンが最速。この速いテンポだと、軽やかでとても明るい雰囲気。
"andante"にしてはかなり速いと感じるので、"andante"が抜けて、"con moto"だけが残ったような躍動感がある。
作曲家のSchweizer_Musikさんは、「カッチェンの速いテンポで同じ動機の繰り返しが、もう一つの大きなメロディーとなっていたことに気を付かせるという、主題の旋律のつながりが浮かび上がってくるので、これもまた妥当な解釈」だと言われていた。

私には《4つのバラード》が、「起承転結」というストーリー展開の組曲形式になっているように聴こえる。
第1曲が陰鬱で暗い短調「エドワード」。第4曲は長調で、軽快に弾いた方が明るく開放感があって終曲らしいし、曲ごとの性格のコントラストが明瞭になる。

『ブラームスの辞書』の項を見ると、ソナタの緩徐楽章では"andante"が良く使われていたが、"andante con moto"になると、緩徐楽章で使われることは少ないと書かれている。
その理由は、緩徐楽章にしては速すぎるのかもしれないため。
9分以上かけて弾いているグールドやミケランジェリの録音は、緩徐楽章の"andante"かそれ以上に遅い感じのテンポで、"con moto"の意味がかなり薄まっているように思える。

 andante/歩くような速さで
『ブラームスの辞書』の解説によると、ブラームスにとって、"andante"自体は、「速い」というよりは「遅い」概念。
速さの順番では、"allegretto - andantino - andante" の順に遅くなる。
面白いのは、ベートーヴェンとの用例比較。
ブラームスだけでなく、ベートーヴェンの音楽用語データベースまで作っているというのが凄い。
べートーヴェンは"adagio"の使用頻度はブラームスより多く、単独使用例が46例、混合使用例が115例。ブラームスは単独使用が25例ある。
ベートーヴェンの"andante"の単独使用は20例、ブラームスは56例。"andante"を含む語句の使用も87個、ブラームスは131例。
「Adagioのベートーヴェン、Andanteのブラームス」というところは、今まで弾いていても、聴いていても、全然気がつかなかった。

 calando/だんだん遅く弱く
Op.118-2のインテルメッツォで、主題部と再現部の2ヶ所に使われている。
指定自体は何の問題もない。気になるのは、その後で元のテンポに戻るはずなのに、テンポを戻す用語が指定されていないこと。
これは単に暗黙の了解として、テンポを戻すものなのだろうと思うし、いくつか聴いた録音でもそうして弾いている。
この"calando"が延々と効果をもってしまうと、その少し後で"rit"する部分があり、さらに遅くなってしまう。
やはり指定がなくても"a tempo"と解釈すべきところ。
『ブラームスの辞書』のデータ分析では、"calando"の後に"a tempo"が続いている例はなく、"in tempo"が続くのが2例。

 "a tempo"と"in tempo"/元のテンポで
『ブラームスの辞書』の解説によれば、"a tempo"と"in tempo"の両方がテンポを戻すために使われているが、用法に規則性はどうやらないらしい。
テンポを戻すときは、"a tempo"だと思い込んでいたが、"in tempo"は、ルバートなどをかけずに、拍子どおり一定の正確なテンポで...という意味なので、"a tempo"と同じように使えるらしい。

 rasch und feurig/速く、しかも、情熱的に
《スケルツォ Op.4》の冒頭の速度指定。なぜか、ドイツ語表記なのが不思議に思える。
『ブラームスの辞書』で確かめると、このドイツ語表記は《スケルツォ》でしか見当たらないという。
イタリア語ではなく、ドイツ語であえて表記したのは、《ドイツ・レクイエム》をドイツ語で書いたように、それだけ強く深い感情を込めて書いた曲なのだろうか。
いくら考えても、ブラームス本人に訊かないことには、確たることはわからない。

 più lento/いままでよりゆったりと
『ブラームスの辞書』で説明されているのが、Op.118-2の用法。
全部で3ヶ所に使われているが、両端と2番目の"più lento"では、用法が異なる。
2番目に出てくる場合は、直前の数小節にかかっている"rit"に引き続いてテンポを落とすような使い方。
両端の"più lento"は、内声部にある主題(冒頭主題を1オクターブ下げた「内声部のつぶやき」)にかかっている。
カッチェン、レーゼル、アックスの録音を聴いていると、この指定部分でテンポがかなり遅くなり、内声部の主題の旋律がはっきりと浮かびあがっている。

 maestoso/威厳を持って
ピアノ協奏曲第1番第1楽章の冒頭で、"maestoso"のみ指定されている。テンポの指定がないというのは、珍しい気がする。
『ブラームスの辞書』に載っている用例では、"maestoso"を単独で使っているのは、全部で3例。

アラウが力説していたのは、この"maestoso"と指定された第1楽章のテンポが、どのピアニストも速すぎるということ。
「速く弾くことと情熱とを結びつけて考えることは誤りです。音楽では、情熱はゆっくりと演奏すべきものです。速いことは情熱とは対照的なものです。緊張感がまったく失われるのです。私としては、このニ短調協奏曲に解釈が二通りあるとは思いません。第1楽章は4分の6拍子で書かれています。それにアレグロですらありません。マエストーソ、威厳を持って、とあります。もし、速く弾いたら、どこに威厳があるというのでしょう。」(『アラウとの対話』(みすず書房))

「私としては、このニ短調協奏曲に解釈が二通りあるとは思いません。」というのは、とてもアラウらしい言葉。
アラウの弟子だったピアニストのギャリック・オールソンが、アラウについて語っていたことを思い出す。
「アラウ先生は何事もいったん思い込んだら頑として強く思いこむ人です。絵を壁に架けること一つでも、別の架け方というものはないのです。一度架けたら、それが絶対なのでした。」(同上)


tag : ブラームス アラウ カッチェン

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プロフィール

yoshimi

Author:yoshimi
<プロフィール>
クラシック音楽に本と絵・写真に囲まれて気ままに暮らす日々。

好きな作曲家:ベートーヴェン、ブラームス、バッハ、リスト。主に聴くのは、ピアノ独奏曲とピアノ協奏曲、ピアノの入った室内楽曲(ヴァイオリンソナタ、チェロソナタ、ピアノ三重奏曲など)。

好きなピアニスト:カッチェン、レーゼル、ハフ、コロリオフ、フィオレンティーノ、パーチェ、デュシャーブル、アラウ

好きなヴァイオリニスト:F.P.ツィンマーマン、スーク

好きなジャズピアニスト:バイラーク、若かりし頃の大西順子、メルドー(ソロのみ)、エヴァンス

好きな作家;太宰治、菊池寛、芥川龍之介、吉村昭、ハルバースタム、アーサー・ヘイリー
好きな画家;クリムト、オキーフ、池田遙邨、有元利夫
好きな写真家:アーウィット

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