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フィオレンティーノ ~ バッハ/パルティータ第1番
久しぶりに聴いたバッハの《パルティータ第1番》は、セルジオ・フィオレンティーノの1996年10月ベルリンでのスタジオ録音。
1927年生まれなので、当時70歳間近。長年、在職していた音楽院の教職を辞め、若い頃のようにイタリア国外で演奏活動を再開していた頃の録音になる。

今まで聴いた第1番のパルティータのなかで、好きなのはアンデルジェフスキ、それに、ずっと硬派な印象のリパッティやヴェデルニコフ。
それ以上にフィオレンティーノのパルティータは魅力的。どうしてこんなに自然に語りかけるように優しくロマンティクに弾けるのかしらと不思議なくらい。
このパルティータを聴くと、どんなときでも心穏やかになれそう。

フィオレンティーノが弾くバッハは、ペダルを多用しているので響きがまろやかで厚みもあって、ロマンティックな雰囲気。
技巧的な切れ味が良く、音の輪郭もしっかりとした安定感があり、丸みのある甘く暖かい音は粒立ちがよいので、ペダルをかけても音はクリア。
レガートとノンレガートを取り混ぜたアーティキュレーションが面白い。ノンレガートは尖りの少ないふんわり柔らかいタッチなので、それがレガート気味に繋がって、旋律は軽やかで滑らか。
ほんとにノンレガートなタッチで弾いた時は、逆にその短く軽やかな響きがアクセントのように引き立ってくる。ノンレガートで弾いたクーラントは歯切れは良いけれど、なぜか可愛らしい愛嬌があったりする。
ころころ丸みのある音で弾く左手側のノンレガートは、リズミカルで軽やか。
レガートでもスタッカートでも、旋律には語りかけるような歌心があって、親密感を感じさせる。

ときどき、楽譜にない音が聴こえてくるので、楽譜そのままには弾いていないらしい。フィオレンティーノは編曲もするし、他の曲でも低音を付け加えて弾いているという。
フィオレンティーノがさらに編曲した..と明記されているラフマニノフやブゾーニのトランスクリプションでも、一層音が増えているのではないかと思うくらい、和声の響きが重厚。そういう響きを好む人らしい。

Sergio Fiorentino: Partita n.1 (Bach)


冒頭の"Praeludium"は、ややゆったりとしたテンポで、旋律を口ずさんでいるように優しい歌いまわし。トリルや時々使うふわっと軽いノンレガートがとっても愛らしい。
続く"Allemande"はややテンポを上げているけれど、バタバタと快活すぎることなく、軽やかにダンスをしているように優雅。リピートでは少し弱音になり、タッチも少し軽やかに。
後半部分はやや力強いタッチで雰囲気がちょっと変わる。リピートでは、最初と違ってくぐもった弱音が密やかな響きに。
"Courante"はノンレガート主体でとてもリズミカル。でも旋律はとても滑らか。ここでも、1回目とリピートではタッチや強弱を明確に変えている。
しっとりとした情感が流れる"Sarabande"。しつこくならないルバートがほどよく、ロマンティックなのにウェットになりすぎない叙情感が自然な趣き。
さらりとさりげなくリズムを刻む最初の"Menuet"はどこかしら可愛らしい。
速いテンポとノンレガートなタッチが歯切れ良い"Gigue"。右手の高音部と低音部の声部がくっきりと分離して呼応しているので、五線譜上の音符の位置が目の前に浮かんできそうなくらい。

フィオレンティーのバッハは、一昔前(?)のピアニストが弾いていたような"ロマンティックなバッハ"なのかもしれない。
それにしては、情感豊かでありつつ、情念過多にならない節度もあり、この微妙なバランスは、長年地道に培ってきた年季のいった職人芸なのか、元々そういうピアニズムなのか、よくはわからない。

先日、ピアニストの近藤嘉宏さんがTwitterで、「ロマン的情緒と実直さを併せ持ち、さらに名人芸も堪能できる。紙一重の領域で音楽の均衡が保たれていて刺激的」とフィオレンティーノを評していたのを偶然目にした。
"紙一重の領域で音楽の均衡が保たれていて"というのは、晩年のフィオレンティーノの録音を聴くと、実感としてわかる。
宝石が煌くような華麗な和声と情感豊かな語り口はとってもロマンティック。
それでいて、しつこさや嫌味を感じさせることのない品の良さがあるところが個性的。
フィオレンティーン独特の"雰囲気"が、曲の隅ずみに織り込まれているので、それと波長がぴったり合うと、とっても幸せな気分になれる。

Berlin Recordings-Fiorentino Edition Vol. 1Berlin Recordings-Fiorentino Edition Vol. 1
(2012/01/10)
Fiorentino

試聴ファイル(分売盤にリンク)(allmusic.com)


試聴ファイル(apr盤):パルティータ第1番&第4番、ヴァイオリンソナタ第1番(ピアノ編曲版)">試聴ファイル:パルティータ第1番&第4番、ヴァイオリンソナタ第1番(ピアノ編曲版)
試聴ファイル(apr盤):フランス組曲第5番、プレリュードとフーガBMW532&552(ピアノ編曲版)、パルティータ第3番BWV1006(同)、「主よ人の望みよ喜びよ」(同)

このBOXセットに収録されているフィオレンティーノのバッハ録音は、他に7曲。
ブゾーニやラフマニノフの編曲版にさらに編曲を加えたり、独自に編曲した曲があったりと、いつも聴くバージョンとはところどころ響きが違っている。

- Violin Sonata No.1 in G minor, BWV 1001 (編曲:フィオレンティーノ)
- Partita No.4 in D, BWV 828
- Prelude&Fugue in D major,BWV 532 (編曲:ブゾーニ&フィオレンティーノ)
- French Suite No. 5 in G, BWV 816
- Suite from Partita No.3 in E, BWV 1006 (編曲:ラフマニノフ&フィオレンティーノ)
- Jesu, joy of man's desiring (編曲:フィオレンティーノ)
- Prelude & Fugue in E flat, BWV 552 (聖アン) (編曲:ブゾーニ&フィオレンティ)

                          

フィオレンティーノのBOXセットに入っているブックレットは、彼のピアニスト人生の軌跡、教え子・友人・知人などの回想、彼自身が語った音楽観などが書かれていて、貴重な情報が詰め込まれている。

それを読むと、フィオレンティーノは、温厚で思慮深く、誇張することもセンチメンタルになることもなく、言葉よりも行動を重んじた人だった。
ミケランジェリが「自分以外の唯一のピアニスト」と語り、ホロヴィッツが彼のピアニズムに動かされ、さらにアレクサンダー・ロンクィヒ(フランク・ペーター・ツィンマーマンとの室内楽のデュオなどで知られるピアニスト・指揮者)はこう語っている。
(ロンクィヒがフィオレンティーノとどういう接点があったのかは、書いていないのでわからない)

「驚異的なテクニック。輝きのある地中海人らしい音色。信じられないほど軽やかで明晰。彼はかなり朝早い時間に起き、瞑想にふけっていた。彼の演奏にはアナーキスト(無政府主義者)のようなところがある。シューマンの《幻想曲》のような曲で、低音を付け加えていた。たとえ彼が楽譜に対して極めて"true"だったとはいえ、自分の弾きたいと思うように弾いていた。」

実際、それを裏付けることをフォレティーノ自身がインタビューで語っている。
「以前の時代には、他の作曲家が書いた曲に少し変更を加えるのは、普通のことだった。リストはショパンの曲に低音を加えていたし、ショパンは抗議(object)しなかった。音楽をドグマにしてはいけない。」
(※ローゼンの『ピアノ・ノート』を読むと、ショパンはリストに対して不快感を持っていたらしい)

フィオレンティーノが晩年になって、再びコンサートピアニストとして舞台にカムバックしたが、これに深く関わっていたのは、ドイツ人の高校教師で、フィオレンティーノの録音コレクターだったエルンスト・ルンペ氏。
ルンペ氏は1989年にフィオレンティーノにコンタクトして以来、文通を重ね、ステージにカムバックするべきだという結論に達したが、フィオレンティーノもこれに応じて、まずドイツ国内で演奏活動を再開した。
"under modest circumstances"とある通り、小規模なコンサートではあったけれど。
(当時、ルンペ氏がビデオ撮影したライブ映像を見ると、立派なコンサートホールではなくて、ローカルな多目的ホールか講堂のような場所で演奏していた)

コンサートを重ねるうちに、突然、専門家の間で噂が広まっていく。
忘れられていた独創的なピアニスト、円熟した音楽家、素晴らしいピアニスト...。でも、相変わらず、本国イタリアでは注目されなかったという。
1996年に米国のNewport Music Festivalに出演して大きな成功を収めると、米国内のエージェント達が競ってフィオレンティーノと契約しようとし、ニューヨークのAlice Tully Hallでのリサイタルも行った。
フランスや台北にも招聘され、ニューポート音楽祭へも定期出演し、さらに数多くのコンサートの依頼が列を成していた。
結局、1998年に彼が急逝したことにより、全てに終止符が打たれたのだった。

若かりし頃のフィオレンティーノは、レコードを通じて聴いたラフマニノフのピアニズムにとりわけ傾倒していた。
いつも立ち戻るところはラフマニノフの音楽。フィオレンティーノは、ラフマニノフ亡き後、"ラフマニノフの優れた演奏家"として、最期の時まで賞賛されていた。
フィオレンティーノ自身、「ラフマニノフの演奏を聴くと、自分自身が演奏しているように聞こえる。ラフマニノフの音楽は"偉大な作品"ではないが、ピアノにとってはファンタスティックなつくりになっている。ピアノが自らを表現するには最適な音楽だ。」
フィオレンティーノは、ラフマニノフの演奏のなかで、特にエレガンスと耽溺することのない節度(Sobriety)を賞賛していた。
この特徴は、フィレオンティーノの演奏が表現豊かではあるけれど全体的には非感傷的であることに、驚くほど当てはまっている。

バッハを弾くフィオレンティーノは、"no stylistic purist"(形式的純正主義者ではない)で、音楽にとって大事な要素が(material conditions)が完全にコントロールされているだけでなく、歌うような旋律と明晰な和声が相互に絡み合うなかで、それを超えている...と評されている。

フィオレンティーノの録音を聴いていると、このブックレットに書かれていることが、実感としてわかります。

tag : バッハ フィオレンティーノ

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(非公開コメント受付中)

素敵です♪
コメントはとってもお久しぶりです。
記事はいつも興味深く読ませていただいています。
前回のソコロフのハイドンもすごく良かったですが、今回のバッハには本当に魅了されました。
音もきれいだし、トリルも愛らしいですね(笑)
気品を感じます。

リンクさせていただきました
こんばんは!いつも楽しく拝見させていただいてます。僕のブログのフィオレンティーノの記事からこちらのブログへのリンクを貼らせていただきました。事後報告ですいません。

フィオレンティーノのパルティータはピアノならではの良さが出ていてピアニスティックな魅力がありますね。
一目(聴)惚れしました
マダムコミキさま、こんばんは。お久しぶりです。

ソコロフはどんな曲を弾いても、他のピアニストとは違うものを感じます。
個性的な演奏が多いですが、あのハイドンのソナタの解釈はなるほど~と納得してしまいました。

フィオレンティーノのバッハ、やっぱり素敵ですよね!
試聴ファイルでこのパルティータ(とプレリュードとフーガBWV532)を聴いて、すぐにBOXセットを買ってしまったくらいです。
おっしゃるとおり音がとっても綺麗ですね。ため息がでそうです。
装飾音はあまり凝っていないようですが、トリルは可愛らしくて鳥がさえずっているみたいです。
気品のあるバッハというとケンプを思い出すのですが、フィオレンティーノの気品には、彼の傾倒するラフマニノフ的なレトロというか一昔前の華麗さが入り混じっているような感じがします。
ありがとうございます
ミッチさま、こんばんは。

リンクのご連絡、どうもありがとうございました。
プロコポリスの名前の件ですが、私もマルセルと思い込んでましたが、確かにリンク先の英文記事を見るとポールですね!
英文Wikipediaはポールですが、日本語のWikiの方はマルセルになってますね。それが記憶に刷り込まれていたせいか、違いに気がつきませんでした。

フィオレンティーノのパルティータは、ピアノならではのソノリティを生かしているので、とても美しいです。
久しぶりにとても素敵なパルティータに出会いました。
"音楽をドグマにしてはいけない"と言っていたそうですから、古楽奏法には毒されなかったのでしょう。
ケンプやガヴリーロフのバッハもペダルを使った響きとレガートが美しい演奏で、こういうバッハはかなり好きなのです。
No title
初めてこの人の演奏を聞きました。いいですね。
フィオレンティーノ、いいでしょう!
kazさま、こんにちは。

フィオレンティーノのBOXセットを偶然見つけたので、私も今回初めて聴きました。とってもいいですね~。
プロフィールを読んでいて気がついたのですが、彼は1927年生なので、カッチェンとほぼ同い年です。
彼の若い頃の録音を少し聴くと、指回りが良くて覇気があり叙情豊かなところは、カッチェンとちょっと似ているような気がします。
これも素晴らしい
ブレンデルの即興曲の次にフィオレンティーノのパルティータを聴かせて頂きました。フィオレンティーノと言うピアニストは初めてですがとても素敵なバッハを聴かせてくれますね。ブログの記事を拝見しながら聴いていると将にお書きになっている通りでした。このBOXに手が出そうになります(笑)
知られていないのが惜しいです
こた様、こんにちは。
こちらにもコメントして下さって、ありがとうございます。

フィオレンティーノの名前を初めて知ったのは、たしかピティナサイトで、「夢のあとに」を編曲しているという話が書いてあったからです。
しっかり録音を聴いたのは、このBOXセットが初めてです。

パルティータ第1番はもともと好きな曲なので、異聴盤はかなり聴いていますが、バッハ弾きではなくても、フィオレンティーノの演奏は素晴らしいものだと思います。
飛行機事故の後遺症などで、リサイタルなどの演奏活動をあまりしていなかったせいで、彼の名前もその録音もほとんど知られていないのが残念ですし、とても惜しいですね。

無伴奏ヴァイオリンソナタ第1番の珍しい編曲版も入ってますが、これもピアノの美しさが引き立ってます。
BOXセットの最後の1枚は初出の小品集らしく、これが予想外に良く、ドビュッシー、スカルラッティ、フォーレなど、どれもかなり気に入っています。
試聴だけしたシューベルト、ラフマニノフ、スクリャービンも良さそうですので、BOXセットはいろいろ楽しめそうです。

無名に近かったピアニストの録音を初めて聴いて素晴らしいと思う時は、プラス側のバイアスが全くかかっていませんから、音楽には好みの問題があるとはいえ、自分の耳を信じてしまいます。
フィオレンティーノのバッハ
yoshimiさん

こんにちは。
フィオレンティーノのパルティータ1番のご紹介ありがとうございます。少し体調を崩していたので、お礼を申し上げるのが遅くなってしまいました。ごめんなさい。


優しさ、穏やかさが感じられるバッハですね。サラバンドは、叙情豊か。
1番の作品、私は優しさ穏やかさを感じるのでこの曲に彼の個性がとても合っているように思いました。

CDを購入のときに「バッハを得意とする」と言われている演奏家のものに手が伸びる私ですが、いろいろな演奏に触れてみなければ...と改めて思いました。


パルティータ1番にお気に入りの演奏が加わりました。yoshimiさんに感謝です。ありがとうございました。

優しく気品のあるバッハですね
ANNA様、こんにちは。

今年の夏は暑かったり寒かったり、気候がコロコロと極端に変わるので、身体も疲れやすいですね。
私も今は身体がだるい感じがしますが、残暑は突然終わったようなので、これからは音楽と読書と食欲の秋。快適に過ごせそうです。

「バッハ弾き」ではないピアニストには、「バッハ弾き」の演奏では聴けないような意外性や新鮮さを感じることもよくあります。(フィオレンティノ、エゴロフ、ソコロフ、フェルナーなどがそうでした)

フィオレンティーノは、BOXセットがリリースされた時に聴いてみたのですが、思いもかけず素晴らしいピアニストに出会いました。
特にパルティータは、音色が柔らかくて美しく、親密感のある優美さと気品を感じさせるところが素敵です。
ユニークなのは、フィオレンティーノ自身が編曲した作品です。バッハの「無伴奏ヴァイオリンソナタ第1番」やフォーレの「夢のあとに」のピアノソロは、とても好きな曲です。
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yoshimi

Author:yoshimi
<プロフィール>
クラシック音楽に本と絵・写真に囲まれて気ままに暮らす日々。

好きな作曲家:ベートーヴェン、ブラームス、バッハ、リスト。主に聴くのは、ピアノ独奏曲とピアノ協奏曲、ピアノの入った室内楽曲(ヴァイオリンソナタ、チェロソナタ、ピアノ三重奏曲など)。

好きなピアニスト:カッチェン、レーゼル、ハフ、コロリオフ、フィオレンティーノ、パーチェ、デュシャーブル、アラウ

好きなヴァイオリニスト:F.P.ツィンマーマン、スーク

好きなジャズピアニスト:バイラーク、若かりし頃の大西順子、メルドー(ソロのみ)、エヴァンス

好きな作家;太宰治、菊池寛、芥川龍之介、吉村昭、ハルバースタム、アーサー・ヘイリー
好きな画家;クリムト、オキーフ、池田遙邨、有元利夫
好きな写真家:アーウィット

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