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伸井太一 『ニセドイツ1≒東ドイツ製工業品』
1990年のドイツ統一と共に消滅した国「東ドイツ」に興味があって、いろいろ資料を探していて見つけた本が《ニセドイツ》シリーズ。
戦後~共産主義体制時代に旧東ドイツで作られた工業製品・構造物・生活用品などの「モノ」を通して、日本人にはあまり知られることのなかった旧東独の社会・経済体制の仕組みや市民生活をリアルなイメージでもって知ることができるユニークなスタイルの本。

この《ニセドイツ》シリーズは全3巻。
<共産趣味インターナショナル VOL.2> 『ニセドイツ1≒東ドイツ製工業品』
<共産趣味インターナショナル VOL.3> 『ニセドイツ2≒東ドイツ製生活用品』
<資本趣味インターナショナル> 『ニセドイツ3 ヴェスタルギー的西ドイツ』
最後の『ニセドイツ3』は、西ドイツの技術・製品・文化を対象にしたもの。


3冊全部を本棚に並べると、表紙の3色(黄(金)・赤・黒)が現在のドイツ国旗の色になる。
著者はドイツ現代史研究者(空襲、記憶文化、消費文化、サブカルチャーなど)。在独日本大使館専門調査員を経て、現在は東海大文学部特任講師。

『工業品』と『生活用品』を読み比べると、個人的な好みとしては『工業品』の方がずっと面白い。
どちらかというと、『工業品』の方が共産主義体制的発想に基づいた生産・社会システムの”奇想天外”な(でも、納得してしまう)面への言及が多い。
『生活用品』の方も面白いのは面白いけれど、個人的にあまり興味のないモノが多かったせいか(生活用品なのでモノ自体も小粒で文章にハード感がないし)、内容的に奇想天外度が若干低い気がする。

 『(共産趣味インターナショナル(Cominterest) ニセドイツ〈1〉≒東ドイツ製工業品』(社会評論社ウェブサイトの書籍紹介)

ニセドイツ〈1〉 ≒東ドイツ製工業品 (共産趣味インターナショナル VOL 2)ニセドイツ〈1〉 ≒東ドイツ製工業品 (共産趣味インターナショナル VOL 2)
(2009/10)
伸井 太一

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『ニセドイツ1≒東ドイツ製工業品 (共産趣味インターナショナル VOL 2)』は、まず本のタイトルからして捻りがきいている。
「ニセドイツ」とは"西ドイツ"の、「共産趣味インターナショナル」は"共産主義インターナショナル"のもじり。

目次を見ると、見出しは駄洒落が多い。このセンスについて好き嫌いはあるだろうけど、製品の本質的な部分をついているものもあり、東ドイツ製品の(西側資本主義社会から見た)ナンセンスさが漂っている。

■トラバント:共産主義車 の代表格
東ドイツの工業製品の中で最も有名なものといえば、「共産主義車」の代表格トラバント。
トラバントだけで本書の30ページ近くを費やし、トラバントの誕生、性能、評判、末路に関わるエピソードが満載。
トラバントの意味は「衛星」「同伴者」(ソ連の衛星国東ドイツらしい命名?)。愛称「トラビ」。
トラバント第1世代のP50は、最新合成樹脂製の頑強なプラスティックのボディ。性能も当時としては充分。
1962年まで製造され、その後に登場したのがP601。1990年まで製造された代表的モデル。しかし、内装のマイナーチェンジしかなく、性能は時代遅れに。時速120キロを超えるとボルトが欠落するという。(でも欠陥品とは言わない)

ニックネームは「労働者と農民のメルセデス」「屋根付き点火プラグ」「走るダンボール」...。
プラスチック製なのは、戦後に戦勝国ソ連が現物賠償として大量の鉄を東ドイツから持ち去ってしまったため。
熱硬化プラスチックを使っていたが、原料不足のために紙繊維を混ぜるようになったという。

トラバントをめぐるジョークも多数あり、その性能や納期の異常な長さ(注文後10年後!)をおちょくったものが多い。本書でも紹介されていたジョークはほんとに笑える。ジョーク集のウェブサイトもドイツにたくさんあるらしい。トラビに冠するジョークを一つ。

あるアメリカ人が友人に語った。
「東ドイツに製造期間がべらぼうにかかるハンドメイドの名車があるってんでさっそく注文してみたよ。」

注文を受けた東独の自動車工場は騒然とした。
「まさかアメリカ人がトラバントを注文してくれるとは!」
工場の威信をかけて製造に取り組んだ結果、程なくしてトラバントはアメリカ人のもとに届いた。

トラバントを受け取ったアメリカ人は興奮しながら友人に語った。
「東ドイツの工場ってのはすごい良心的なんだな。
 なにせ本物が届く前に紙製の模型を送ってきてくれたんだ。」

(出所:世界史系ジョーク集まとめサイト/共産圏関連ジョーク NO.286)


「自分のトラビは自分で直す」というポリシーのもと、修理マニュアルが多数存在していた。修理マニュアルは短いもので100頁以下。
マニュアルには「自動車工場の労働者同志たちは日々、自己のノルマを達成すべく尽力しているのです。できるかぎり自分で修理することがみんなのためです」と修理のススメが大々的に書かれているものもある。
たとえ自分では修理せずに、工場に修理を依頼したとしても、今度は修理の予約待ちでいつになったら修理できることやら。

トラビは歴史的出来事では象徴的な存在。ベルリンの壁を破るトラビのイラストは有名だし、ベルリンの壁崩壊後西側へ向かう東ドイツの人々が乗っていた自動車はトラビだった。
デコボコの粗悪な道を壊れそうになりながら、混合ガソリンの紫色や黄色い排気ガスを吹き上げて走るトラビは、統一前と統一後の東ドイツを訪れた西ドイツ人や観光客に強烈な印象を与えたという。

■ヴァルトブルク:東ドイツの高級車?
高級車ヴァイトブルクはトラビの2倍の価格。
輸出用や警察車両(トラビでは犯人逮捕の任務遂行には心許ないので)としてアイゼナハ市で製造されていた。

■バルカス:パイからスパイまで運ぶ東ドイツのワゴン
ミニバスのバルカスは「雷光」という意味で、カルタゴの名称ハンニバルの名字。
輸送用として、商品搬送者、救急車・消防車・バスなどに使われていた。
それに、秘密警察(シュタージ)の容疑者護送車でもあり、多くの市民がスパイ容疑でバルカスで連れ去られた。

東独で走る車の50%以上はトラバント。それ以外はヴァイトブルクやバルカスなど。
ソ連、ルーマニア、チェコなど共産主義諸国の車も走っていた。特に外車のなかで人気が高かったのは、ソ連(現ウクライナ)製ザポロジェッツ。その理由は、注文から納車までの待ち時間が短かったため。

■スポーツカー・メルクス:マルクス? 東のフェラーリ
■高級車:これが、ホーネッカーの本音っかぁ?
この部分は、ホーネッカー議長の"ノーメンクラトゥーラ"(共産貴族)ぶりが歴然。
多大なコストをかけて改造したトラバント(それも2台)から西ドイツの高級車メルセデスベンツまで、最高で合計14台の自動車を保有。プール付きの邸宅に住み、使用人は600人以上。
ホーネッカーが議長を解任されて権力を失うと共に情報統制も緩み、ホーネッカーの豪奢な生活実態が暴露されてしまった。

■東独のVIP車:Very Impossible Person
■燃ーえーる男の~♪赤いトラクタぁ~♪
トラクターのファーモ。戦中は輸送車として兵士を戦場へ運び、戦後は農業用トラクターとして農地を開拓するなど大活躍。

■マルチカー:ディーゼルの働きアリ
■バイク:足もとにからみつく、赤い波を蹴って
■自転車:I want to ride my bicycle!!

トラバントなどの自家用車は生産台数が少なくぜいたく品だったため、市民の足は自転車。
DIY好き(というか、そうせざるをえない)東ドイツ人らしく、自分で修理して、使用年数は40年ほど。
ディアマント社の自転車は、東ドイツの伝説的ロードレーサー、テーヴェ・シューアが世界のロードレースで優勝して一躍有名に。世界へ輸出され、外貨獲得のための重要製品だった、
ミーファ社も現在も操業中。ワゴンに積める折りたたみ式自転車で人気が出たが、国内需要が増えたために、国内用生産に限定するよう国から命令されてしまった。

■鉄道:東の定刻鉄道
東ドイツの鉄道網は、ソ連軍の戦後賠償のためのデモンタージュ(物資接収)により、鉄道網のうち18000kmが鉄資源としてソ連軍によって持ち去られてしまった。
その結果、複線の主要路線が全て単線化。鉄道公社ライヒスバーンは鉄道網を復興していくが、結局、1989年の時点でも戦前のレベルにまで回復することはなかった。

ベルリンでは、東ドイツと西ドイツ領域をまたがって地下鉄が走っているため、それぞれの地域を避けて運行することは著しく非効率となる。
そこで、西ドイツ車両は東ドイツ領域の駅に停車せず通過することになったが、この通過駅には東ドイツ市民は立入禁止。国境警察が常駐して幽霊駅となっていた。

■飛行機:煩ハンザ・ツー雑な二つのルフトハンザ
伝説のダイハード・パイロット、カルバッハ。最低2500mの滑走路が必要な長距離旅客機を、わずか500mの滑走路で農地に無事着陸させたことで有名。
カルバッハは東ドイツの空軍パイロットで、義母が西ドイツ在住のためスパイ容疑がかかって失職し、国営旅客会社インターフルークのパイロットになった。
同社が古いイリューシン機をゴレンベルクに寄付することが決まり、解体・輸送費用がばかにならないことから、ゴレンベルク村の森の間にある農地に着陸させることにした。
カルバッハは、東独ではアジア・アフリカ航路のパイロットで、滑走路がろくろくない場所への着地経験が豊富。このエピソードの後でも、機長として乗っていた飛行機がハイジャックにあったが、格闘の末に犯人を取り押さえたりと、民間機のパイロットには珍しく、武勇伝の多い人だった。

■船:そして船は行く
■ラジオとラジカセ:毒・ 電波?西と東の独電波

国営企業シュテルン製のラジオ・ラジカセ。
1970年以降、東独独自のラジカセが開発されて、違法・合法を問わず、西側の音楽(ポップ・ロックなど)が受信できた。録音機能も付いていたので、西側の音楽が流行するようになる。
東独のラジオ放送局は当局の監視下にあり、東側の曲を6割以上組み込む規則があった。
また、秘密警察シュタージの盗聴機をしかけるカムフラージュとしてもラジカセは活躍。

■テレビ:無知の地
東ドイツのほぼ全域で西側のテレビ放送が受信可能だったが、西側放送は"毒電波"として受信は禁止されており、見つかった場合は罰せられる。
1976~88年の間に、毎日西側のTV放送だけを見る若者が14%から56%へ激増。
西側から遠いザクセン州などの東部地域では、西側の放送が受信できなかったので、ドレスデン市では多数の団体の協力で、1987年にサテライト放送受信機が設置された。すでにこの時点で電波上の壁は崩壊しつつあった。

■レンズとカメラ:すべての研(磨)力をレンズへ!
カール・ツァイス社はソ連占領地域の東独イエナにあり、戦争終結前に米軍が技術者を西側のオーバーコッヘンに逃して、同地にもカール・ツァイス社を設立した。カール・ツァイス社は東西ドイツに存在するようになる。
東側のカール・ツァイス社は最高責任者ビーアマンにより、1970年に巨大コンビナート(複合企業体)を形成。
東独では小さな製造工場が合資会社として多数あり、競争が熾烈で、各社が新型モデルを次々に発表していった。
1970年代以降、他の製品と同じく、国家経済の停滞とともにカメラ製造会社も勢いを失う。
社会主義経済下での私企業として活動していた企業が次々と合併・国営化され、開発競争がなくなり、品質が低下していった。

■電話:鳴らない電話
■家庭用電化製品:家電の東
■タイプライター・エリカ:好みのタイプは?

持ち運びの可能な計量タイプライターとして人気があった「エリカ」。
タイプ盤の種類から簡単に型番が特定されるため、反政府運動用のビラや文書をエリカで作成した場合、捕まる可能性があった。そのため、わざわざ西側のタイプライターを極秘に入手する人もいたらしい。

■パソコン:国営合体!ゆけ、ロボトロン!
■東ドイツの集合住宅:コミュニ住む
■アイゼンヒュッテンシュタット:スターリンの街
■ベルリン:競争と狂騒の都市
■ハレ・ノイシュタット:ドイツのハノイ

統一後の東独地域では、人が住まなくなった住居や倒産した工場などの廃墟が散在する。
その廃墟の都市のひとつが、ハレ市の西側に建設されたノイシュタット(「新しい街」という意味)。東独時代に「化学工場労働者の都市」として、労働者用の巨大な集合住宅群が多数建設された。


■紋章:東独進歩リズム
■共産塔 :東独電波の届く範囲
■世界時計:地球は回る、同きみ志を乗せて
■壁画:未来予想図
■彫像・銅像:共産主義の協賛
■国家人民軍:世界平和のために!
■国際国家・東ドイツ:独裁下の国際化
■おわりに:東ドイツ製品のニセ性について



<関連情報>
 『ニセドイツ≒東ドイツと西ドイツの製品史』の補完ブログ
筆者(ドイツ現代史+サブカル研究者ノビー(noby)さん)のブログ。

 【著者に聞きたい】伸井太一さん 『ニセドイツ3』(産経ニュース,2012.4.15)
シリーズ最終作『ニセドイツ3 ヴェスタルギー的西ドイツ (資本趣味インターナショナル) 』発刊時のインタビュー記事。


<関連記事>
伸井太一 『ニセドイツ2≒東ドイツ製生活用品』


tag : 東ドイツ 伝記・評論

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Yoshimiさん、こんにちは

今から10年以上前だったと思いますが、カメラマニアの間で、「ロシア製レンズ」と言うのが流行っていました。専門のカメラ店も都内に5店はありましたし。と言うのは、3,000円~10,000円位で、それらのレンズが入手できたからです。その中には、ロシア製のほか、カール・ツアイス・イエナ製造のレンズも入っていました。ロシア製のものは結構、「安かろう悪かろう」のものが多かったのですが、カール・ツアイス・イエナのものは結構、評判が良かったようです。と言っても、それらのほとんどは既に廃棄されてしまったのか、現在は中古カメラ店でもそれらを見かけることはほとんど無くなってしまいましたが。
イエナ製も今では稀少でしょうね
matsumo様、こんばんは。

10年前くらいといえば、ちょうどカメラに凝っていた頃です。
飽きっぽい性格なので、今はすっかり熱も醒めてしまいましたが..。

ロシア製レンズは、大阪の一般のカメラ屋さんや量販店では見かけなかったです。専門店は行かなかったのでわかりませんが、マニアしか買わないでしょうね。

カール・ツァイスのレンズといえば、私はすぐに「コンタックス」を思い出します。
コンタックスは、ツァイスのレンズを載せているのがセールスポイントになっていて、かなり高かったです。コンパクトフィルムカメラなのに、10万円以上してました。
私はコンタックスではなくて、多少安かった富士フィルムのKLASSEを買いましたが...。

イエナのカール・ツァイスは、統一後に西側オーバーコッヘンの会社に吸収されてしまいましたが、会社自体はイエナにまだ残っているので、レンズ製造は続けていたのではないかと思います。
No title
奇遇ですね。私も初代KLASSEを持っています。中々、写りが良いカメラだったと思いますが、今はデジカメしか使っていないので、ケースの中で眠っています。

ツアイスは西ドイツと東ドイツの両方にあり、前者は名義貸しみたいなことをやっていて、ヤシカ/京セラが発売していたコンタックスやツアイスは西ドイツ製造のものもありましたが、日本製造のものも結構ありました。コンタックスの高級コンパクトカメラは、確か、日本製造だったと思います。現在、コンタックスやツアイスは長野県のコシナ株式会社で製造・販売のほか、確か、ソニーも販売していたと思います。
KLASSEは良いカメラですね
matsumo様、こんばんは。

初代KLASSEをお持ちだったとは、本当に奇遇ですね!
私が初めて買ったカメラですが、確かに映りの良いカメラで、ピンボケすることもなく、友人の一眼レフよりも鮮やかに撮れてました。
とても気に入っていたので、1年間で数千枚は撮りました。
KLASSEのデジタルカメラ版は出ていないようですが、FinePix X100はKLASSEに少し似てますね。
私はニコンのCOOLPIX5000を買ってしまったので、そちらは持っていませんが。

コンタックスのT3は、とても人気があったのでそのうち買おうかなと思っていたら、京セラが撤退して見かけなくなりました。
日本製造品は、いわゆるライセンス生産なのでしょう。品質の違いがあるのかどうかわかりませんが、やっぱりドイツ製の方がツァイスのレンズという気がします。

コシナという会社は京セラのOEMでコンタックスを作っていたようですね。
コシナの「ツァイス・イコン」も定価で15万円以上と結構な価格がついていますね~。
ランニングコストや使い勝手・撮影データの保存性を考えると、やはりデジカメを買いたくなります。

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yoshimi

Author:yoshimi
<プロフィール>
クラシック音楽に本と絵・写真に囲まれて気ままに暮らす日々。

好きな作曲家:ベートーヴェン、ブラームス、バッハ、リスト。主に聴くのは、ピアノ独奏曲とピアノ協奏曲、ピアノの入った室内楽曲(ヴァイオリンソナタ、チェロソナタ、ピアノ三重奏曲など)。

好きなピアニスト:カッチェン、レーゼル、ハフ、コロリオフ、フィオレンティーノ、パーチェ、デュシャーブル、アラウ

好きなヴァイオリニスト:F.P.ツィンマーマン、スーク

好きなジャズピアニスト:バイラーク、若かりし頃の大西順子、メルドー(ソロのみ)、エヴァンス

好きな作家;太宰治、菊池寛、芥川龍之介、吉村昭、ハルバースタム、アーサー・ヘイリー
好きな画家;クリムト、オキーフ、池田遙邨、有元利夫
好きな写真家:アーウィット

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