*All archives*



舩津 邦比古 『ドレスデンの落日と復活 ~ 精神科医が見た東ドイツ終焉前夜』
ドレスデンといえば、交響曲やオーケストラに詳しい人なら「シュターツカペレ・ドレスデン」の名前が最初に浮かんで来るのでは。
オーケストラに疎い私は、ピアニストのレーゼルがドレスデンで生まれ育って、今は母校ドレスデン音楽大学(正式には、ドイツ・ザクセン州立ドレスデン音楽大学”カール・マリア・フォン・ウェーバー”という長い名前)で教えていることを知って、ドレスデンは旧東ドイツの都市だったのだとようやく気がついた。
そういえば、旧東ドイツ時代のレーゼル(やBerlin ClassicsのCD)のレコーディング場所は、" Lukaskirche, Dresden"(ルカ教会,ドレスデン)と記載されているCDが多かった。

今はなき社会主義国家の東ドイツ(東ドイツ民主共和国/Deutsche Demokratische Republik:DDR)の資料を調べてみると、旧ソヴィエト連邦に比べて、資料がそれほど豊富にあるわけではない。

ドイツ統一前後の東ドイツ国内の様子をルポ的にまとめた本が数冊出ているので、順番に読んでいるところ。
『ドレスデンの落日と復活~精神科医が見た東ドイツ終焉前夜』は、ある論文を発表したことがきっかけで、東ドイツ人医師と文通することになった日本人医師の東ドイツ訪問記。
本書は、ドレスデンの都市誕生800年祭が開催される2006年を迎える直前、2005年12月に出版された。


ドレスデンの落日と復活―精神科医が見た東ドイツ終焉前夜ドレスデンの落日と復活―精神科医が見た東ドイツ終焉前夜
(2005/12)
舩津 邦比古

商品詳細を見る

<目次>
第一章 甦る記憶
第二章 国境の女スパイ
第三章 エルベが美しい
第四章 聖母教会
第五章 統一直前の東ドイツ食糧事情
第六章 受難の国東ドイツ
第七章 東ドイツから出国
第八章 甦ったドレスデン
第九章 ゼンパー・オペラ劇場(ザクセン州立歌劇場)
第十章 医療制度の変遷


本の最初の部分に、ドレスデン市内のカラー写真(4頁分)が載っている。
王宮教会の外観と内部、エルベ川、最高級のインター・ホテル、ベルヴュー。
中国趣味(シノワズリー)のビルニッツ宮殿、ゼンパー・オペラ劇場の外観と絢爛豪華な内装。
狩猟の館モリッツブルク、旧マルクト広場、(周辺のバロック建築とは異質で無粋な)東ドイツ式建築の文化宮殿、ドレスデン・バロック様式のツヴィンガー宮殿など。


◆フリードリヒ・アウグスト一世
アウグスト強王と言われたザクセン選帝候フリードリヒ・アウグスト一世(1670‐1733)のエピソードが面白い。
当時流行していたシノアズリー(教養としての中国趣味)に並々ならぬ熱意をかけ、オランダ東インド会社から大量の景徳鎮や伊万里を買い付けた。シノアズリーは国力示威の手段でもあった。
王は戦争に明け暮れ、ツヴィンガー宮殿などのバロック建築にいくつも造営し、シノアズリーや財宝収集に熱中していたので、ザクセン選帝侯国の金庫はカラッポ。錬金術にも凝っていた。
その財政的危機をマイセン磁器が救った。錬金術は上手くいかなかったが、ドレスデンからエルベ川を30km下ったマイセンで磁器の開発に成功。欧州全土から注文が殺到し、マイセン磁器のおかげで富める国となった。

<参考情報>
- おそらく最も名の知られたザクセン選帝候ポーランド王の治世の成果 [ホテル Rothenburger Hof ドレスデンの情報]
- 1707年から1709年ヨーロッパで初めての磁器[同上]

◆ドイツ人医師R氏と知り合う
著者の医学論文に興味をもった東ドイツ人医師でドレスデン医学アカデミーのR氏から照会の葉書が届いたことをきっかけに、2人の間で文通が始まる。
R氏は、以前から日本に興味を持ち、独学で日本語を学んでいた。川端康成を読み、日本語でなんとか芭蕉の俳句を書けるほど。

著者は1987年にドレスデン観光を計画。R氏に事前に連絡すると、休暇をとってドレスデンを案内してくれるという。
当時、外国人の東ドイツ訪問は、全て東ドイツ国営旅行社が取り仕切っていた。
代理店経由で手配することはできず、直接申し込みするしかない。外国人が滞在できるのは国営インターホテルと決まっており、個人で訪問する場合は、身元引受人(R氏に依頼)が必要だった。


◆東ドイツの街
マイカーブームが到来する前の昭和30年代頃の日本にオーバーラップする。
東ドイツのアウトバーンは制限速度が時速100Km。
伸井太一『ニセドイツ1≒東ドイツ製工業品』によると、東ドイツの国産車トラバントは、120kmを超えるとボルトが落ちるという構造になっていた(でも、欠陥とは言わない)。

夜のドレスデンには青い排気ガスの臭いが立ち込め、信号機もうっすらと霞んでいる。ドイツでは無鉛ガソリンが普及していない。
信号も自動車のテールランプも暗く、信号の反応も鈍い。エネルギー消費節約のため低規格品が多いらしい。
ネオンや広告付きの照明もない。西側の明るい夜の風景に慣れていると、著者は数十年前の昔の日本に戻った気がするという。

エルベ川は昔から重要な交通路。東ドイツ時代、エルベ川の輸送力増力に改修工事が頻繁に行われた。(アウトバーンを修繕するよりも安上がり?)

東ドイツでは暖房燃料として練炭ボールを使っていた。
煉炭は日本の都市部ではほとんど使われることはなかったが、地方で使っている家庭があり、たまに一酸化炭素中毒事故が発生していた。
著者はその治療法の症例報告を論文で発表して、著者とR氏が知り合うきっかけになった。
東ドイツでは、煉炭を使っているために大気汚染が酷く、一酸化炭素中毒事故も多かった。
東ドイツで産出するのは褐炭で、品質が悪く、深刻な大気汚染の原因。
品質の良い石炭は西ドイツのルールやザール地方に豊富にある。

東ドイツでも私企業が禁止されていたわけではなかったが、国から冷遇されていたため、次第に事業を手放す人が増えていった。


◆インターホテル
外国人がドイツ人の家庭へ個人的に宿泊する場合は、事前に当局へ申請する必要がある。
東ドイツ人が東欧・ソ連・ベトナムなどの共産主義国へ旅行するのは、比較的自由にできる。西側諸国への旅行は制限が多い。

インターホテルはドレスデン市内に7~8軒。グレードが数種類あり、西側から来る人は高級クラス、東側諸国や第3世界の人は並クラスのホテルに宿泊するらしい。
ベルヴューホテルは最上クラスで、西側の一流ホテルに匹敵する良いホテル。
ドイツ統一前は、西側の一流ホテルと比較して格安の料金で、サービスはとても良かった。(統一後には、西側のホテル並に宿泊料金が高騰した)
ミドルクラスのインターホテルは満室だったので、最上のベルヴューに宿泊。
ベルヴューは東ドイツのなかの別世界。高級でエレガントな雰囲気が漂い、1個数十万円のマイセン磁器が飾られ、朝食にはパン、バター、肉、野菜、フルーツが豊富に盛られている。リムジンは全てスウェーデン製ボルボ。東ドイツマルクは使えず、西側通貨のみ。


◆ドレスデン空爆と復興
1945年2月13~14日、英米軍によるドレスデン空爆により、ドレスデン市内の建物は壁だけを残して壊滅。犠牲者は135000人。(※犠牲者数については諸説あり)
ドレスデンは文化都市なので、まさか連合軍が爆撃することはないだろうとドレスデン市民(と軍)は思っていたらしく、防備が手薄だった。戦後、ドレスデン市内の復旧作業がすぐに進められた。
東ドイツ政府によって王宮教会やオペラ劇場は比較的早期に再建。
※ツヴィンガー宮殿と敷地内の歴史的建物もかなり破壊されたが、宮殿は1963年にほぼ元通り復元。宮殿内のドレスデン美術館も破壊され、200点の作品が消失、500点が行方不明。復元・修復作業により、1992年に美術館も再公開された。(参考情報参照)

聖母教会は復旧が進まず、ベルリンの壁崩壊後に基金が創設され、全世界に再建のための寄付が呼びかけられた。
再建工事は1993年起工、2005年竣工。
崩壊した建物の瓦礫を掘り起こして、それを元通りの形に積み上げていく巨大なジグゾーパズルのような作業。
修復、復元であって、新しく建設するという発想ではない。
小山をなしていた聖母教会の瓦礫は、みえている石塊に全て番号札が張られ、石塊同士の位置関係を性格に記録するために幾方向からも念入りに写真が撮られて、掘り出された瓦礫は番号順に棚に並べられた。
名器ジルバーマン・オルガンを再現するために、多数の技術者が投入された。
※瓦礫から掘り出したオリジナルの部材を、コンピューターを活用して可能な限り元の位置に組み込む作業は「ヨーロッパ最大のジグソーパズル」と評された。(Wikipedia)


東ドイツ建国後、劇場やコンサートホールは優先的に再建されたようだ。
ドレスデン旧市街中央には東ドイツ建築様式の文化宮殿が造られ、クラシック、ジャズなどのコンサートが開催されていた。
これは3階建ての平べったい建物で、外装はアルミニウム板とブロンズ色のマジックミラーを多用。全体的に安っぽく、周辺の王宮宮殿などのバロック建築やエルベ湖畔の景観とは場違い。

オペラ劇場(ゼンパー・オーパー)はゼンパーが設計した元の建築に忠実に、豪華に再建された。
ドイツでは劇場や音楽堂の運営は昔から公営が原則。
王宮はドイツ統一までは再建されなかったし、聖母教会の再建は実質的に放棄されていた。

<参考情報>
- 荘厳なバロック建築の都ドレスデンを歩く[All About,2007年05月11日]
- 美しく甦ったドレスデンのフラウエン教会[All About,2007年04月25日]
- ドレスデンのツヴィンガー宮殿 (写真をクリックすると、宮殿写真のスライドショーが始まる)



◆歌劇場(ゼンパー・オーパー)の再建
ドレスデンは、北のバロック、エルベのフィレンツェと謳われたザクセン王国の壮麗な首都。
よくある小噺は、”村を作るとき、日本人はまず学校を建てる、イタリア人は教会を建てる、しかし、ドイツ人は劇場を建てる”。

ゼンパー・オーパー(ゼンパー・オペラ)再建に先立って、すぐ近くに東ドイツ政府は演劇場シャウシュビールハウスを再建した。
戦後直後の1946年に着工し、48年に完成。大戦前はヨーロッパでも最も斬新な演劇場で、外観は元通り復元されていた。
ソ連軍占領下で、生活は困窮していただろうが、戦後すぐに再建された演劇場は、その後37年間オペラ劇場も兼ねることになる。

ザクセン王立王宮劇場は1841年竣工。設計者ゴットフリート・ゼンパーの名を冠して”ゼンパー・オーパー”と呼ばれた。
初期ルネッサンス風の豪華な建築だったが火災で焼失。ゼンパーの設計で再建されたが、火災に強いことが重視された。
隣接するツウィンガー宮殿には膨大な美術品が収蔵されていたため、ゼンパー・オーパーの火災で延焼することがあってはならなかった。
イタリア産大理石を多用した最盛期ルネッサンス様式で、1871年に完成。
歌劇場自体がドレスデンを代表する美術品であり、ヨーロッパ中からドレスデンにオペラ鑑賞に訪れ、作曲家はここで上演してもらおうと腕を競った。豊富に産出する銀のおかげで、贅を尽くした劇場が建設できた。
縁の深い作曲家はワーグナーとシュトラウス。リヒャルト・シュトラウスはドレスデンが大変気に入っていたようで、主要作品をここで指揮したこともある。

旧東ドイツ政府によるゼンパー・オーパー再建は1977年に開始。
ドレスデン市内では、当時の価値で約2億円の寄付が集まる。
8年間の工事の末、完成。同時期に対岸の新市街には、最高級インターホテルのベルヴューもオープン。
今では両方ともドレスデンの重要な観光資源となっている。

ドイツやオーストリアのオペラの観劇料金は最も良い席でも数千円。オペラは国の文化事業として国庫補助を受けている。


<参考資料>ドイツの劇場運営方法
ドイツには助成を受けた240の劇場、数百の交響曲オーケストラ、数千の博物館そして25,000以上の図書館がある。[Wilipedia日本語サイト]
ドイツの劇場運営方法に関する資料は、学術文献から体験的ルポまでいろいろある。
最近、日本では公営・民営オーケストラに対する公的補助金や民間寄付金が削減・減少しつつある現状と引き比べてみると、公共支援のウェートがかなり高い。
しかし、ドイツ統一後、財政難に陥っている自治体も多く、ローカルな地元小劇場の多くは存続できるかどうか厳しい状況だという。

- 「世界の劇場/ドイツ」[新国立劇場ホームベージ]
- 「ドイツの地方劇場、組織と運営」[オペラ座の・・・なにじん?田辺とおるのドイツ便り]:元東ドイツの小都市劇場も、経済の混乱と財政難から存続の危機にあるという。
- 「ドイツ 市営劇場、法人化の動きあり」[Interlocal Journal/文化芸術報道] 
- 「ドイツにおける舞台芸術政策と劇場における運営状況」(藤野一夫、国際文化学研究:神戸大学国際文化学部紀要、2001年11月)


◆東西ドイツ統一後のドレスデン
統一前は、レストランが極端に少なく、高速道路のサービスエリアのレストランは休日は閉店。外国人用インターホテルのレストランだけがオープンしていて、賑わっていた。
、東ドイツでは外食の習慣がなく自宅で食事するので充分、自宅で手料理を作って客人を持て成すのが普通とR氏は言っていた。

1993年夏、著者はドイツ統一後にドレスレンを再訪。
全体に灰色にくすんだドレスデンの街並みのなかで、建物の一階にいくつもの商店が新たに開店。
西側資本のスーパー、コンビニ、美容室、ブティック、化粧店・菓子・文具・本屋・高級皮革製品、高級ブランドショップなど。
瀟洒でセンスが良く豊かで、そこだけ明るくカラフルで浮き上がっていた。
有名なホテルチェーンも進出。起業した小さなホテルやペンションもあり、レストランも増えていた。
ドイツレストラン、ビアホールフレンチ、中華、イタリアン、ギリシャ、トルコ、日本料理などのレストランが週末は賑わっていた。西ドイツと同じ光景。
R氏も「レストランへ行こう」と再訪問した著者を誘う。(やはり我慢していたのだろうと著者は思った)

使いものにならない穴ぼこだらけのアウトバーン、鉄道、電話など、多くのインフラが大改修されるか、最初から作り直された。
ほとんどの国営企業は二束三文で西側世界の企業に買い取られ、採算が見込めないものは整理された。
東ドイツ国内には失業者が溢れ、外国人排斥を叫ぶネオナチが台頭。
国営企業を整理するために設立された信託公社の総裁は、一部の人の恨みを買って暗殺された。

東ドイツ時代、医者は国家公務員だったが、統一語は自由に開業できる。旧東ドイツ地区の医者は、旧西ドイツ地区の医者よりも収入が低く抑えられている(2割減?)
東地区の若い医者は収入の良い西地区に移住していき、東地区では医者不足が深刻。田舎では無医村も発生。

戦後、東ドイツから西ドイツに脱出した人の土地は、東ドイツ政府が接収したという。そこに別の人が住んだり仕事をしたりすることはよくあったらしく、統一後、元の所有者が土地返還を求める裁判が続出。

統一後、東ドイツ地域にあった大学ではあらゆる分野で教育研究水準が検討され、多くの研究者が西側の大学で再教育を受けた。それでも大学を去らなければならなかった研究者も少なくなかった。
(注)原文では「少なかった」と書いているが、文章の流れから考えると「少なくなかった」の誤植ではないかと思う)

東ベルリンの中心部、ブランデンブルク門の近くにある共和国宮殿は、東ドイツ政府が国家の威信をかけて1976年に完成させた。
5000人が収容できる大会議場や、劇場、画廊、レストラン、バー、カフェなども併設した総合文化施設。
ドイツ皇帝の宮殿があった場所で、大戦中の市街戦による宮殿は激しく破壊されていた。東ドイツ政府はそれを爆破して、共和国宮殿を建設した。
ベルリンの壁崩壊後、共和国宮殿にアスベストが使われていることがわかり、立入り禁止に。
ドイツ統一直前に、東ドイツ人民議会により、取り壊しが決定されるが、2005年現在でも取り壊されていない。


tag : 東ドイツ 伝記・評論

※右カラム中段の「タグリスト」でタグ検索できます。
Secret
(非公開コメント受付中)

カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
ブログ内検索
最近の記事
最近のコメント
カテゴリー
タグリスト
マウスホイールでスクロールします

月別アーカイブ

MONTHLY

記事 Title List

全ての記事を表示する

リンク (☆:相互リンク)
FC2カウンター
プロフィール

yoshimi

Author:yoshimi
<プロフィール>
クラシック音楽に本と絵・写真に囲まれて気ままに暮らす日々。

好きな作曲家:ベートーヴェン、ブラームス、バッハ、リスト。主に聴くのは、ピアノ独奏曲とピアノ協奏曲、ピアノの入った室内楽曲(ヴァイオリンソナタ、チェロソナタ、ピアノ三重奏曲など)。

好きなピアニスト:カッチェン、レーゼル、ハフ、コロリオフ、フィオレンティーノ、パーチェ、デュシャーブル、アラウ

好きなヴァイオリニスト:F.P.ツィンマーマン、スーク

好きなジャズピアニスト:バイラーク、若かりし頃の大西順子、メルドー(ソロのみ)、エヴァンス

好きな作家;太宰治、菊池寛、芥川龍之介、吉村昭、ハルバースタム、アーサー・ヘイリー
好きな画家;クリムト、オキーフ、池田遙邨、有元利夫
好きな写真家:アーウィット

お知らせ
ブログ記事はリンクフリーです。ただし、無断コピー・転載はお断りいたします。/ブログ記事を引用される場合は、出典(ブログ名・記事URL)を記載していただきますようお願い致します。(事前・事後にご連絡いただく必要はありません)/スパム投稿や記事内容と関連性の薄い長文のコメント、挙動不審と思われるアクセス行為については、管理人の判断で削除・拒否いたします。/スパム対策のため一部ドメインからのコメント投稿ができません。あしからずご了承ください。