カート・ヴォネガット 『スローターハウス5』,『追憶のハルマゲドン』

ドレスデンの歴史を調べていて、カート・ヴォネガットの小説『スローターハウス5』のことを思い出した。
この小説は、若い米軍兵士だったヴォネガットが第ニ次大戦末期のヨーロッパでドイツ軍の捕虜となり、ドレスデン爆撃に遭遇した体験を元に書かれた半自伝的小説。
ドレスデンは、ドイツ軍の敗色濃厚となった1945年2月、2日間にわたる連合軍(英米軍)の絨毯爆撃により、街のほとんどが破壊された。(ドレスデン爆撃から約3ヶ月後の5月8日、ドイツは無条件降伏した)
ドレスデンは、「エルベ河畔のフィレンツェ」と言われたバロック建築の歴史的な美しい街並みと文化財が存在する古都。目ぼしい軍事施設や軍需工場もなく、「非武装都市」と言うドイツ人がいたほどに、空襲にはほとんど無防備だった。

小説『スローターハウス5』
ドレスデン爆撃のことを知ったのは、学生の頃に好きだった作家の一人カート・ヴォネガットの小説『スローターハウス5』。
スローターハウスとは「屠殺場、食肉処理場」のこと。ドレスデンで捕虜収容所代わりに使われていたのが「シュラハトホーフ=フュンフ(Schlachthof Fünf)」=「スローターハウス5」だった。
この小説は、第二次大戦中にドイツ軍の捕虜となりドレスデンで英米軍の爆撃に遭遇した体験に基づいているけれど、時空を浮遊するタイムトラベルのようなSF風な仕立てでもあり、さらにヴォネガット作品の登場人物(キルゴア・トラウト、エリオット・ローズウォーター、ラムフォード(ファースト&ミドルネームは違う)、トラルファマドール星人、ハワード・W・キャンベル・ジュニア)が、多数登場する。

ヴォネガットの代表作と言われているし、ヴォネガット自身、『スローターハウス5』と『猫のゆりかご』を自身の作品の中で最高の「A+」と評価していた。(出典:カート・ヴォネガット非公式ページ)

ヴォネガットの没後に公開された作品のなかに、ドレスデン爆撃の体験を記したノンフィクションがある。
それを読むと、実際のところ、当時のドイツ人は市民も軍人も、歴史的遺産が多く文化都市で大した軍事拠点もないドレスデンが爆撃の対象になるとは誰も思っていなかった。
戦場の負傷者がドレスデンの病院に次々と運びこまれ、爆撃にあったドイツ国内の都市から避難民が多数流入していた。
防空壕はベルリンで作られたものとは違った簡易なもので、市内の高射砲は他地域へ移動させており、爆撃する英米機を迎撃するはずのドイツ空軍機はほとんどいなかった。

『スローターハウス5』の解説によると、ドレスデン空爆で投下された航空機と爆弾は、英空軍のランカスター重爆撃機800機が数千トンの高性能爆弾と65万の焼夷弾、米軍のB17が450機、最後は翌朝のP51ムスタング戦闘機による機銃掃射。犠牲者数は3万5千~20余万まで諸説あるが、今のところドレスデン警察の推計「135,000人」が公式の数値とされている。


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『スローターハウス5』は、ドレスデン爆撃から24年後に発表されたが、それまでは、(少なくとも米国では)ドレスデン空襲については広く知られてはいなかったという。
今回読み直してみると、随分昔に読んだので、小説の展開も登場人物もほとんど忘れていた。
学生時代はSF小説の『プレイヤー・ピアノ』と『タイタンの幼女』や、ばかばかしいユーモアが面白い『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』が好きだったので、『スローターハウス5』は内容が重すぎた。
今読んでみると、戦争という極めてシリアスなテーマに、時空浮遊するタイムトラベルSF的要素と、トラルファマドール星人の時間観念・世界観・人生観とが複雑に絡み合って、ずっしりとした読み応えのある小説だった。ヴォネガットの最高傑作と言われるのもよくわかる。

「半自伝的小説」と言われるとおり、自身の生い立ちと、捕虜として体験したドレスデン爆撃の体験(とくに破壊されて瓦礫と硝煙に埋もれた街の様子や防空壕に折り重なる夥しい死体の山の光景)が色濃く反映されている。
小説自体は、時間の流れがバラバラで、主人公ビリー・ピルグリムが経験した(する)の過去・現在・未来の出来事と、異世界トラルファマドール星での"囚人"生活が、断片的に映画のフラッシュバックのように次々と現われる。
普通の小説を読むのとは全く違った感覚なのに、目まぐるしく移り変わる時間と場所に意識が自然とついていけるので(かなり個人差はあると思う)、違和感も錯綜感も感じることなく読めてしまう。

ヨーロッパでの従軍とドレスデンでの爆撃前後の話は、実体験に基づいているだけあって、実話のごとくリアリティがある。
戦争や抑留生活という異常な状態では、平和時の常識・良識など消滅し、別の秩序が支配する。登場する軍人たちにはいささかクレイジーな人もいる。

時間の流れのなかを自由に行き来きするトラルファマドール星人の思考方法と時間観念が独特。
過去と未来に起こる出来事を変えることはできず、トラルファマドール星と宇宙とを一瞬にして消滅させる出来事がいつどう起こるかも知っている。今日は平和でも、別の時にはおそろしい戦争がある。
「それをどうこうすることは、われわれにはできない。ただ見ないようにするだけだ。無視するのだ。楽しい瞬間をながめながら、永遠をついやす」・・・・「いやな時は無視し、楽しい時に心を集中するのだ」

いたるところで繰り返して出てくる「As it goes.」(そういうものだ)。
自分の力では変えることも止めることもできない好ましからざる出来事や運命でも受け入れるしかないという、虚無感、諦観、忍容の言葉。
この言葉自体に説得力があるというよりも、不条理極まりないが避けられない状況に直面してできることは、そう思うことしかない。

ビリーがトラルファマドール星で動物園の檻の中の動物の如く捉われていた時、家族を作るべく地球から連れて来られた女優が首にかけていたロケットに刻まれた言葉。
「神よ願わくばわたしの変えることのできない物事を受け入れる落ち着きと、変えることのできる物事を変える勇気と、その違いを常に見分ける知恵とを授けたまえ」


追憶のハルマゲドン
ヴォネガットは、2007年4月に自宅の階段から転落した時の脳損傷が原因で、84歳で急逝した。
2008年に出版された『追憶のハルマゲドン』は、ヴォネガットの講演予定原稿、第2次大戦中に家族に宛てた手紙、生前の未発表作品(主に戦後まもなく書いたもの)をまとめたもの。

追憶のハルマゲドン追憶のハルマゲドン
(2008/08/22)
カート・ヴォネガット

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戦時中、上等兵だったヴォネガットが家族に宛てた手紙はドレスデン空襲後に書かれたもので、ドイツでの捕虜生活とドレスデン爆撃前後の様子が、抑制した筆致で、淡々と報告書のように書かれている。
多くの米国人捕虜が捕囚中に死に、ドレスデンにいたドイツ人など25万人が米英軍の爆撃で死んだが(死者数は2万5000人や15万人など、諸説ある)、ヴォネガットは幸運にも(それに、捕虜収容所代わりに使われた地下の食肉処理場が理想的な防空壕となったおかげもあって)生き残った。

未発表作品は、第2次大戦中の捕虜生活とドレスデン空襲の体験を元に書かれた作品が多い。
とりわけ印象に残るのは、ドレスデン空襲の体験を綴った回想『悲しみの叫びはすべての街路に』(Waling Shall Be in All Streets)。
これを”エッセイ”と呼ぶには、あまりに重いルポルタージュ。
敵国の地で捕虜生活を余儀なくされた兵士が、その地で友軍による爆撃を体験し、爆撃直後の破壊された街で夥しい敵国の民間人の死体を掘り起こしていくという、異様な状況を記録している。
ドイツ軍の命令で、一日中夥しい数の死体を掘り起こしていると感覚が麻痺してしまい、死者の尊厳や遺体に対する丁重な扱いといった平和な状況では当然とされる観念も薄れ、「そのうちに死は日常茶飯事となり、われわれもわびしい重荷に関するジョークをやりとりしながら、死体をゴミ袋のようにほうりだすようになった。」
薪を積み上げて火葬しようにも、遺体が多すぎて、人手も足らず。結局、死体が山のように積み重なっている防空壕に兵士を派遣して、死体の山を火炎放射器で一気に”火葬”するしかなかった。

爆撃から数日後、米軍機が空中からドレスデン市民へ捲いたビラには、”鉄道施設を破壊する必要があったため止むを得ない爆撃だった。必ずしも目的に命中しなかった爆撃もあるが、軍事目標以外を破壊する意図はなかった云々”という趣旨のことが書かれていた。
実際、米軍が軍事目標だと主張した鉄道施設は48時間以内に復旧し、鉄道用鉄橋は依然として通行可能だった。
一方、爆撃目標より3マイル(約5km)も離れた場所に投下された爆弾により、10万人以上の非戦闘員が死に、文化都市が灰燼に帰した。

その他に収録された未発表の短編も、戦争中の捕虜生活の体験を元にして書き上げた短編小説が多い。
その記憶が、終生ヴォネガットの心の中に強く焼き付けられていたに違いない。


映画『スローターハウス5/Slaughterhouse Five』 [Goo映画の作品解説]
『スローターハウス5』は、ジョージ・ロイ・ヒル監督(『明日に向って撃て!』『スティング』の監督)で1972年に映画化。マイケル・サックス、ロン・リーブマンなどが出演。
ヴォネガット自身、自分の小説よりも良く出来ている映画だと言っていたという。

映画ではグールドが弾くバッハのピアノ協奏曲などが使われていたことが、ちょっとした話題になった。
ビデオか何かで、随分昔に一度見た記憶があるけれど、たしか冒頭は深い雪原のなかを主人公が逃走しているシーンだったような....。流れたいた音楽は、《チェンバロ(ピアノ)協奏曲第5番ヘ短調 BWV1056 第2楽章》。
廃墟となったドレスデンのシーンに流れているのは、《ゴルトベルク変奏曲》第25変奏。
他に使われているのは、《ゴルトベルク変奏曲》のアリアと第18変奏、《ヴァイオリン協奏曲第2番ホ長調BWV.1042》第3楽章、《18のライプツィッヒ・コラール集》第2曲〈来たれ、聖霊、主なる神 Komm, heiliger Geist, Herr Gott〉BWV.652、《ブランデンブルク協奏曲第4番ト長調BWV.1049》第3楽章、《チェンバロ協奏曲第3番ニ長調BWV.1054》第1楽章。


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参考サイト
Slaughterhouse Five /スローターハウス5 (1969),(映画)スローターハウス5('72・米) [PAPERBACK GUIDE]
追憶のハルマゲドン [月うさぎより愛をこめて・・・]  


関連映画 『ドレスデン、運命の日』
ドレスデン爆撃を映画化した作品。2007年公開。
詳しい解説は、ドイツの戦争叙事詩「ドレスデン、運命の日」[All About,2007年04月06日]。

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DVDを借りて観たけれど、セットを使った爆撃・炎上シーンはかなりの迫力はあるが、時々挿入されている当時のモノクロ記録映像が一番真に迫ってくる。
(全然必然性が感じられない)看護婦と英軍兵士の恋愛話など入れずに、実録的なノンフィクション風タッチの映画にした方が、より事実の持つ重みと凄みが伝わっただろうに...という印象だった。

Bombing of Dresden - 1945, Remembrance, 13 -15 February
空中からのドレスデン爆撃、建物がほとんど破壊され廃墟となった街の様子、建物の瓦礫の山や防空壕の中から遺体を掘り起こす作業の映像など。

タグ:東ドイツ グールド

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コメント

ロイ・ヒル

こんにちは。
「明日に向かって撃て」と「スティング」は、昔、名画座で何度か観ました。この2本においてのユーモアあふれるセンスが好きなのですが、「スローターハウス5」は未だに観たことがありません。こともあろうにグールドが音楽担当だというのに・・・。
ご紹介の画像だと、シリアスなイメージですね。いつか機会を作って観たいものです。

小説を読めば、映画がよくわかります

ポンコツスクーター様、こんばんは。

私もその映画は2本とも観ました。キャストもストーリー展開も良いですね。
古きよき時代のアメリカ...といった雰囲気がします。

「スローターハウス5」で流れているバッハの曲は、とても印象的です。選曲が良いのでしょう。
国内盤のDVDは海外盤の数倍の価格設定ですから、とりあえず見てみるのであれば、レンタルするのが手軽です。

参考までに、映画全体のダイジェスト映像(約6分間)は、こちらにあります。
小説を読んでいると、どのシーンのことかすぐに思い当たるので、これだけでも面白いのですが、知らずに観るとよくわけがわからないかも...。
http://vimeo.com/10674097

ブログに載せた映像は、ドレスデン爆撃前後のシーンですので、話は重いです。
でも、他のシーンは主人公の回想とか、未来の生活、トラルファマドール星での捉われ結婚生活、etc.が混在していてます。
SFコメディ的なところもあって、やっぱりヴォネガットの映画化作品らしいなあ..と思います。
映画も小説もテーマ自体は非常にシリアスなのですが、捻ったユーモアとペーソスが漂ってます。

ヴェネガット

高校生くらいの時、チューリップの財津和夫の大ファンでした。財津さんがヴェネガットが大好きで、雑誌か何かで熱心に紹介していたので、読みました。

でも何を読んだのか、忘れてしまいました(爆)。確か「ローズウォーター…」「猫のゆりかご」とか読んだような・・・・。スローターは読んでないような…。

「As it goes.」(そういうものだ)。
がやたらと文章のなかに出てきたことは、よく覚えています。
その頃何か嫌なことがあると、ヴェネガットを真似て「そういうものだ!」と、つぶやくのが癖になったりしました(笑)。

スローターハウスは映画化されてたんですね。見てみたいなあ。

ちょっとナンセンスな(?)シリアス小説です

Tea316様、こんにちは。

そういえば、爆笑問題の太田光さんもヴォネガットを愛読しているそうですよ。
理屈っぽい人なので、ヴォネガットが好きというのもなぜか納得してしまいます。

「スローターハウス5」は学生時代にはピンとこないものがありましたけど、今読み直すと彼の代表作らしい充実した内容です。
真面目なノンフィクション的要素と、タイムトラベル&トラルファマドール星人というSF的なナンセンスな話がミックスされて、こういうところはヴォネガットらしくて好きですね~。

ヴォネガットは、それほどすんなりと物事を受け入れる人でもなさそうなので、「As it goes.」は、反語的な意味合いもあるような気もしますが...。
そういえば、ヴォネガットはこうも言ってました。
「涙がなにも解決しないのと同様、笑いもなにひとつ解決してくれません。笑うのも泣くのも、ほかにどうしようもないとき人間がやることです」

上のコメント返信にも書いてますが、映画のダイジェスト版が以下のURLに載ってます。これだけ見ても面白いです。
愛犬スポットが年代ごとに違う犬になっていますが、いい役回りですね。
http://vimeo.com/10674097

DVDはTSUTAYAでレンタルしているようです。(マイナーな映画なので扱っているショップは少ないです)
DVDで持っておきたいのですが、日本語版はやたらに高いので、英語字幕のついた海外版でも良いかなと思ってます。
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yoshimi

Author:yoshimi
<プロフィール>
クラシック音楽に本と絵・写真に囲まれて気ままに暮らす日々。

好きな作曲家:ベートーヴェン、ブラームス、バッハ、リスト。主に聴くのは、ピアノ独奏曲とピアノ協奏曲、ピアノの入った室内楽曲(ヴァイオリンソナタ、チェロソナタ、ピアノ三重奏曲など)。

好きなピアニスト:カッチェン、レーゼル、ハフ、コロリオフ、フィオレンティーノ、パーチェ、デュシャーブル、アラウ

好きなヴァイオリニスト:F.P.ツィンマーマン、スーク

好きなジャズピアニスト:バイラーク、若かりし頃の大西順子、メルドー(ソロのみ)、エヴァンス

好きな作家;太宰治、菊池寛、芥川龍之介、吉村昭、ハルバースタム、アーサー・ヘイリー
好きな画家;クリムト、オキーフ、池田遙邨、有元利夫
好きな写真家:アーウィット

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