フランク・リースナー 『私は東ドイツに生まれた - 壁の向こうの日常生活』

旧東ドイツに関する本は、東西ドイツ統一前後とその後の情勢に関するものが多く、旧東ドイツという国の社会システムに関するものは、意外に少ない。
探してみると、政治・経済体制に関する学術書や、東ドイツに在住・留学・訪問経験のある日本人によるルポルタージュが数冊。
興味を引かれたものを順番に読んでいるけれど、ルポは読みやすくて、知らない情報も多く、インフォマティブ。数冊読んでいると、それぞれのアプローチもスタイルの違っているので、同じ”現実”でも捉え方が異なることもあり、違った視点で見ることができる。

切り口の面白さという点では、伸井太一氏の”ニセドイツ”シリーズが一番。東ドイツ製の工業製品と生活用品を通して、東ドイツがどういう国だったのかよくわかる。
東ドイツに暮らしていた人たちの(ある程度)”本音”らしき話が読めるのが、インタビューが多い平野洋氏の『伝説となった国・東ドイツ』。
医学者の東ドイツ訪問記『ドレスデンの落日と復活 ~ 精神科医が見た東ドイツ終焉前夜』は、煉炭中毒の話とかアスベスト問題など、他の本では知ることのできない、医学者らしい視点での話が入っている。

意外にも、当の東ドイツ人が書いた本がなかなか見当たらない。
翻訳が少ないのか、元々そういう本自体、出版されていないのか、どちらかよくわからないけれど、
最近出版されたフランク・リースナー氏の著書『私は東ドイツ(DDR)に生まれた』は、東ドイツで生まれ育った東ドイツ人による、東ドイツの社会と日常生活を報告した珍しい本。
社会主義国家である東ドイツの社会制度から外交政策、”普通の”東ドイツ人の日常生活や社会体制に対する意識など、幅広いテーマを扱っている。
統一後の旧東ドイツ領域の現状と生活に関する話はわずか。(著者は、ドイツ統一後来日して、生活の拠点を日本に移している)
統一後のドイツに関しては、他の本や資料がいろいろ出ているので、特に本書で詳しく書かれていなくても全然かまわない。
著者の実体験がベースになっているため、特定の話題-国民車”トラバント”をめぐるカーライフや”国家人民軍(NVA)”-に関する部分は内容が詳細で分量も多く、かなり熱心に書いている。

個人的には、東ドイツに関してはクラシック音楽でしか接点がないので、その当たりの情報を期待していたけれど、言及はなし。
「東ドイツの有名人」では、筆頭がスポーツ選手がカタリーナ・ビットなど8人。
文化人で名前が上げられているのは、思想家マルクス、作家ブレヒトのみ。画家・音楽家など芸術家はゼロ。(国際的に知られた人を取り上げているせいなのか、分野が偏っている気がしないでもない)

情報量と詳細さではテーマによって違いはあるけれど、扱っている領域が政治・文化・日常生活まで幅広く、頁数にして300ページ以上と情報量も多い。
何より、東ドイツ社会の内側で生活していた人しかわからない情報が詰め込まれていて、これはとても貴重なドキュメント。

私は東ドイツに生まれた―壁の向こうの日常生活私は東ドイツに生まれた―壁の向こうの日常生活
(2012/03)
フランク リースナー

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 ※本書は、ドイツで出版された独文書籍を翻訳したものではなく、フランク・リースナー氏がドイツ語で書いた原文を日本人翻訳者が日本語に訳して、日本で始めて出版されたもの。

書評:”自由を手に入れ、過去を懐かしむ”(楊逸,2012年05月20日)[asahi.com]


著者リースナー氏の立場
リースナー氏は、東ドイツに関して書かれた西側の書籍について、「多くの場合、壁の向うの生活を完全に否定している。たいていは、シュタージやバナナ不足の描写に終始する。」と評している。
実際には、「ドイツ社会主義統一党(SED)やシュタージに加わることもなく、いわゆる「自由」を持たずとも東ドイツで幸せに生活していた人間がいた」。
彼は、「東ドイツが気に入っていた」し、「生まれてから24年間をそこで過ごし、幸せに暮らしていのだ。無償で質の高い職業教育を受けさえてもらった。家族の中には共産主義者なんてひとりもいなかったし、西側のテレビ番組だって視聴していた。クリスマスには西側の親戚から小包をもらい、週末はトラビに乗っていた。」
東ドイツの体制に対する批判めいた言葉を公けの場で漏らして、シュタージに目をつけられない限り(そうなると人生が狂わされることになる)、これが平均的な東ドイツ人の生活だったのかもしれない。

ベルリンとドレスデン
- 東ドイツ時代に政治的な機能を果たしたのは、2つの大都市-ドレスデンと首都ベルリン。
- ドレスデンとその東側地域は当時、「事情を知らぬ者たちの谷(Tal der Ahnungslosen)」と呼ばれていた。エルフ山脈によって電波が遮断され西側のテレビ番組が受信できなかったからである。国家人民軍NVA、東ドイツ国軍)の防衛大学校がここに置かれ、この谷に位置するゲルリッツなどの都市は、士官養成の中心地だった。
(注)『ニセドイツ1≒東ドイツ製工業品』によると、ドレスデン市では多数の団体の協力で、1987年にサテライト放送受信機が設置され、西側のテレビ番組が受信できるようになった。

- 東ドイツは国際的な承認を求めており、諸外国にプレゼンテーションを行う必要があり、貴重な広告費の投入は首都ベルリンに限定。レジャー施設、近代的な住居、美しい環境、他の都市よりはましな品揃え。ベルリンは共和国の「表看板」。
- ベルリンには、シュタージの役人、税関吏、国境警備隊の兵士が多数居住。
- ベルリンへの転居は非常に困難で、政府の許可が必要。ドイツ再統一の発端となる反政府デモを起したのは、地方都市ライプツィヒの市民たちで、特権階級にあったベルリンの市民たちではありえなかった。

東ドイツの政治家
- 東ドイツの歴代三人の政府首班は、ヴィルヘルム・ピーク、ヴァルター・ウルブリヒト、エーリヒ・ホーネッカー。
<ピーク>
- 1960年まで大統領を務めたが、謙虚なお人よしとみなされていた。

<ウルブリヒト>
- ピークよりも、実際に強大な権力を握っていたのは政権与党SEDの最高幹部ウルブリヒト。
- 戦時中にソヴィエトへ亡命した共産主義者のひとり。それほど好感の持たれるタイプではなかったが、それでも東ドイツの歴史の中では後任のホーネッカーよりもましな国家元首として捉えられている。世の中を現実的に判断できる徹底した政治家。学者や知識人にアドバイスを提供させ、自ら決定を下していった。
- 60年代にして極めて理性的な経済政策を打ち出していた。企業にそれまでより大きな自己裁量権を認め、SEDの幹部たちではなく、専門家たちに財政的に重要な判断をさせようとした。
- これらの政策のせいでSED内部に敵を作った。上昇志向のホーネッカーが、60年代末に事態をモスクワに密告。ウルブレヒトの政治手法はソヴィエトにとって資本主義的過ぎたため不興を買い、1971年に失脚。ホーネッカーにSED最高幹部の座を譲り渡した。

<ホーネッカー>
- ホーネッカーの政治的関心は、民衆を満足させるために労働と消費の均衡を保つこと。
- 彼は基本的な食料品の価格を低額に抑えるための助成金制度を堅持した。彼の政治は柔軟性に書けお粗末な内容だった。
- 彼にとってなにより重要だったのは、国際社会における東ドイツの評判。スポーツは資本主義と比較するための格好の物差しで、力を入れていた。一方、経済分野では西側に比べ数年分もの遅れをとっていた。

東ドイツの有名人
<ベルトルト・ブレヒト>
1953年後の労働者蜂起後、体制に順応した多くの芸術家らは国民を厳しく非難したが、劇作家ブレヒトは中立的な立場を取り続けた。東ドイツは彼の国際的評判と世界中を廻って身につけた豊かな経験を必要とした。余人をもって代えがたい天才だった。

<マンフレート・ファン・アルデンヌ>
偉大な物理学者であり、科学者。東ドイツが容認した数少ない貴族のひとり。ウルブリヒトにとって、彼は「模範的な貴族」だった。

<東ドイツにおける「貴族」の位置づけ>
- 二次大戦争後の農地改革によって、貴族たちは土地を没収され、支配者としての地位を失い、特権を奪われた元貴族達の大半は西側へ亡命。
- 貴族たちは、社会で重要な位置を占める一種のエリートだったので、東ドイツ国民からとても尊敬されていた
- 彼らは、教養、優雅さ、統率力、政治家としての立ち居振る舞いを兼ね備えていた。これらの特徴は、ほとんどが労働者階級出身である共産主義指導者にはない。アルデンヌが持つ科学分野に関する知識、シュニッツラーの話術、フェルディナント伯フォン・トゥーン=ホーエンシュタインの外交手腕など。

<ジグムント・イェーン>
軍事パイロット。1978年に宇宙に行った最初のドイツ人。東ドイツ中から拍手喝さいを浴びた。

シュタージ(国家公安局)
- 東ドイツで忌み嫌われていた秘密警察。俗称は「盗み聞きとのぞき見」。
- 正社員は「正式職員」、パートタイム労働者は「非公式協力員」と呼ばれていた。
- 正式職員は、大抵シュタージの協力者であることは周知の事実。国家公安局の職にあるか、企業・軍隊・新聞社・大学・県レベルのSED指導部で要職についていた。
- あるキャンプ場の責任者については、彼の国家の悪口を絶対に言うなと、知り合い全員が著者に忠告した。
- 非公式協力員だと見破るのは、正式職員より多少困難なぐらい。シュタージの長い触手は、どんな職場の作業チームにも、専門学校の学習班にも学校にも隙間なく張り巡らされていた。特に、軍需工場、兵舎、大学に対しては一層厳しく監視していた。
- 小さな町ではシュタージの協力者はすぐ目立つ。表立った理由がないのに、何らかの形で他の人よりも生活水準が高かったり、たいして優秀ではないのに出世が早かったりする人物は、シュタージの世話を受けている可能性があった。
- 特定の社会的地位(所長、指揮者、教授、局長)にある人々は、シュタージと協力関係にあるのではないかと疑われることが多かったが、確実にそうだと断言はできなかった。シュタージの協力者でなくとも、適格であれば責任ある役職につくこともある。
- 東ドイツ時代には、シュタージの活動内容について具体的なことはほとんど知られていなかった。著者が理解していたのはただ、言動には気をつけなけばならないということ、彼らがその気になれば自分の人生は狂わされてしまうだろうということだけだった。シュタージの拷問や拘留施設について詳細を耳にしたのは、壁の崩壊後。

ベルリンの壁
- 建国後の1953年に労働者が蜂起したが、駐留ソヴィエト軍により鎮圧。戦後数年間、ソヴィエトに支払う信じられないほどの高額な賠償金のため、労働階級は疲弊しきっていた。アメリカからの包括的な援助は西ドイツのみに施され、東ドイツに見切りをつけて西側へ逃亡する人々も後を絶たなかった。
- 1961年、これ以上の人材流出を防ぐためにベルリンの壁が建設された。その後、1960年代後半~70年代後半まで東ドイツは経済的繁栄を迎えた。
- 東西ドイツ統一後、「プロレタリアの独裁国家」から「金の独裁国家」へとたどり着いた。

- 東西を分断する占領地区間の境界線は、まるで東ドイツが血を流している大きな傷口。何もしなければ東ドイツは失血死していただろう。教育を受けた優秀な若者たちはさらに西側へ流出し、人口は劇的に減少したに違いない。壁の建設は国民からどれだけ非難を浴びようと、国際政治上合理的な処置だった。
- 1961年7月の1ヶ月間で東ドイツから計3万人もの亡命者が出たが、大半はベルリン経由。その中には、医者や技師、学者などの専門技術者も多かった。

- 「国境突破の防止に関わる銃器使用は、個人に対する権力行使の最終手段である。」(1982年制定の国境法第27条)。兵士が民間人に対して発砲するなんてことが、国際都市ベルリンのイメージになってはならないので、東ドイツの上層部も、重要なイベントの前や、国賓来訪の際には国境警備隊に銃器の使用を禁止していた。
- 特定の場所で動き回る標的の足に銃弾を命中させて(射殺せずに)動きを封じる芸当は、なかなかできるものではない。
- ベルリンの壁では実弾を使った警備が行われていると全ての東ドイツ国民は理解していた。国境を越えることはいわば犯罪行為。リスクが高いことは周知の事実。西側のテレビは、亡命に失敗した人々の顛末を事細かに報道。
- 公的に定められた国境通過点を利用すれば安全に出国できたが、そこを通るには国からの許可が必要だった。ベルリンの壁で命を落としたのは138名。ベルリン以外の国境線では221名。ベルリンの壁で命をおとした亡命者は壁の建設から5年以内に行動を起した者たち。犠牲者の大半が、青年、あるいは30歳以下の男性だった。
- 公式発表によると、28名の東ドイツの国境警備隊員が命を落としている。加害者は、武装した亡命者、西ドイツ側の国境警備隊、西ドイツ側の亡命幇助者。
- 当初、亡命を手助けする「亡命幇助者」たちは、東ドイツ政府に一泡ふかせる一種の英雄のようにみなされていた。しかし、西での生活を実現させる見返りとして、亡命希望者に法外な報酬を吹っかけていたので、あこぎな商売人なのが明らかになっていった。
- 特に亡命幇助者が西ベルリン出身の場合、東ドイツ政府は、西ベルリン市民は人身売買を行っていると西側に対して非難した。それはあながち的外れでもない。亡命劇が東ドイツのプロパガンダに利用されたせいで、亡命幇助者は、関与した一連の活動で死傷者が出た場合には、西ドイツの裁判所で責任が問われることになった。

合法的な亡命(出国申請)
- 東ドイツを去る人の数は、80年代に入ってから再び急激に増加。壁の崩壊直前だけではなく、80年代を通じてずっと増え続けていた。彼らは堂々と亡命を国に申請したが、それは命知らずの賭けではなかった。
- 1984年には、約4万人が東ドイツを去る。国から合法的に脱出するチャンスがあるという噂が広まると、出国申請者はあとを絶たなくなっていった。東ドイツにおいて最も恵まれた環境にあった若い世代が、先を争って祖国を去っていった。無償の教育制度、若い家族への助成制度を享受し、他の世代から妬まれるほどに国からの恩恵に与ってきたというのに。
- 80年代になっても、壁を越えて亡命する人がいたのはなぜか? 大半は30歳以下の男性だった。
- 出国申請が通るまでは、大抵の場合長い時間がかかった。間違いなく、まず一度は却下される。その後はいつか願いが叶う日がくると信じて、ひたすら申請し続けるしかなかった。
- 出国申請者はそれまでの職を奪われ、墓場や教会での仕事や清掃作業へと回され、「国家の敵」の彼らはシュタージに監視される。彼らの子どもは大学進学ができなくなり、入学後であっても、除籍処分を受けることもあった。国からのあらゆる支援が取り上げられ、申請開始から許可が下りるまで、試練の日々が続く。
- しかし、大抵の場合(申請者が軍事・学問上の機密を知る人間や国際的に有名なスポーツ選手でなければ)、待っていればいつか「その日」はやって来た。

治安
- 東ドイツで市民コントロールがうまく機能していたのは、人々の生活がより緊密につながり会っていたため。職場では上司に、家では地区専属の警官や隣人、同僚によって、いつでも影響を受けかねない立場におかれていた。

国民的スポーツ「再配分」
- 東ドイツには、個人資産の他に、いわゆる「人民財産」というものが存在した。公園や、森林、公共施設、国営企業、学校などの全ての地所から、企業内で使われている工具、車の代替部品、木材、石炭などの原料や、建築材料など。
- 慢性的物不足に悩まされていた東ドイツにおいて、窃盗の誘惑ほど抗いがたいものはなかった。企業内での窃盗は厳しく罰せられていたが、誰が見咎めるというのだろうか?
- まだ使える部品を廃棄して新品を注文し、その古い部品は注文した人間が自宅で使う、運送途中に自宅に立ち寄っていくつかを荷卸して使うこともある。金属片や材木の残りを工場から家に持ち帰る行為も、本来なら立派な窃盗。会社側としてはゴミがどうなろうが知ったことではなかった。
- これらの窃盗行為には、「再配分」という一見無害な呼び名が与えられていた。人民財産の「再配分」は日常化。「再配分」に加わらない正直者こそ馬鹿を見たのだ。
- このセルフサービスが明るみに出るのは、大抵は周りの人間の告げ口。しかし、いつか報復があるという覚悟が必要。
- 企業内で連綿として続けられてきた「再配分」による備品の損失は、東ドイツの経済破綻に一役買っていたに違いない。


《目次》
はじめに

第一章 東ドイツとはどんな国だったのか?
 1 私たちはどんな国で生活していたのか?
   東ドイツ成立の国際的背景/東ドイツの区画と地名/東ドイツと私の歴史
 2 東ドイツの有名人
   スポーツ選手/政治家/思想家・作家・学者・宇宙飛行士など
 3 シュタージ(国家公安局)
   正式職員/非公式協力員
 4 ナチス時代からの脱却
   東ドイツの非ナチ化政策/反ファシズム委員会とは?/元ナチ党員の再就職先/ナチ戦犯たちの戦後
 5 ベルリンの壁
   危険な傷跡/「壁」に至る道のり/壁への風当たり/壁に走った亀裂

第二章 東ドイツの国内政策
 1 社会保障制度
   年金制度/医療体制/失業保険や生活保護はあったのか?
 2 人口政策
   子育て支援/若い家族への支援
 3 女性のための政策
   女性の地位向上/働く女性・産まない権利/東ドイツの性生活
 4 ユーゲントヴァイエ(成人式)/大衆組織
 5 雇用政策
   失業しない国/適材適所?

第三章 東ドイツと世界
 1 対外的アピール
   ひとつの国として/イメージ戦略
 2 東ドイツの経済
   社会主義経済/東ドイツマルク/外国人の受け入れ
 3 日本との関係
   経済/政治/文化と教育の交流/ゲルハルト・メーネルト教授とは?
 4 西ドイツと東ドイツ
   鉄のカーテン/越境者たち/水際の攻防/「向こう側」の虚像と実像/カーテンの隙間

第四章 東ドイツ的日常
 1 ファッション
   オッシーのファッションセンス/ジーンズ革命
 2 カーライフ
   トラバント/夢の外車/車を長生きさせるには
 3 セックスライフ
   セックスとお金/同性愛/裸体主義(FKK)
 4 治安
   低い犯罪率を誇った理由/外国人の犯罪/身近にある犯罪
 5 国家人民軍(NVA)
   私とNVA/NVAの歴史/NVAの戦力/NVA内の序列/NVA、その後

第五章 東西再統一、その後
 1 変わりゆく東ドイツ
   西ドイツ化/オスタルギー/二つの東ドイツ像
 2 東ドイツの忘れもの
   ムルティカー/赤信号での右折/アンペルメンヒェン

おわりに


《関連記事》
伸井太一 『ニセドイツ1≒東ドイツ製工業品』
伸井太一 『ニセドイツ2≒東ドイツ製生活用品』
舩津 邦比古 『ドレスデンの落日と復活 ~ 精神科医が見た東ドイツ終焉前夜』
ハンス・アイスラー/ピアノ作品集、子供の国歌


《東ドイツに関する本》(読んだ本のみ)
『ドレスデン逍遥―華麗な文化都市の破壊と再生の物語』(川口マーン惠美,草思社,2005/12)
最初はドレスデン爆撃に関する話が出てきて、体験者の話が載っている。ヴォネガットのドレスデン空爆に関する小説・ノンフィクションに載っていない話も多い。
そのドレスデン爆撃によって破壊された歴史的建物について、その歴史と再建への道のりを書いている。
現代史よりも、アウグスト強王など過去の歴史に関する話が多い。

『伝説となった国・東ドイツ』(平野洋,現代書館,2002/08)
ドイツ留学経験者である著者が、ライプチヒと東ベルリンで、統一後の東ドイツ人にインタビューした話が中心。
元シュタージ職員の話、旧西ドイツ人による土地返還訴訟、東側と西側のドイツ人の間にある差別意識など、統一前後の東ドイツの問題がいろいろわかる。気になったのは、ドイツ人(東だけでなく西側のドイツ人も含む)の他人種・民族に対する差別意識に関する内容がかなり多いこと。

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コメント

夢と現実

ドイツの文化、歴史には興味があります。いちおうドイツ文学を習ったこともあって。
でも、現実は日々そこから遠ざかり、忘れてゆき、そのうち忘れたことさえ忘れているのです。

用意はして、読みたい原書は手もとにあります。辞書もあります。あとは本人の覚悟次第でしょうか?

きょうはブラームスの弦楽六重奏曲第1番の2楽章、それのピアノ・ソロ編曲をラドゥ・ルプーの演奏で聴きながら、始めるきっかけが秋空のどこかから、私に来てくれることを願いました。

ドイツに関する本といえば

ひでくんママ様、こんばんは。

ドイツ文学と言えば、中学時代にヘッセにはまり(全集読みました)、次に歴史もののツヴァイクに凝りました。
小塩節さんなどのドイツ文化論も面白くて好きでしたね。
学生時代には社会学を専攻したので、文学よりもドイツの社会哲学者・社会学者の著作をよく読みました。特に、今の思考方法のベースになったほどに、マックス・ウェーバーには大きな影響を受けました。
一応、第二外国語でドイツ語を勉強しましたが、文学部でも哲学科でもなかったので、原書ではなく翻訳で読んでましたが..。

原書で読みたいという気持ちか、必要性があって、さらに時間もあるのであれば、辞書を片手に読むのも良いでしょうね。
私くらいの年になると、語学や翻訳作業に時間をとられるのが惜しくなりますから、翻訳書で読むのが一番です。(英語の場合は、翻訳されていない論文や本を読まなければならないので、原文・原著で読むことも多いですが)
プロの翻訳者のきちんとした訳文で読むほうが内容が正確に理解できますし、何より数多くの本を読めることが利点です。

小塩節先生

いまから14~15年?くらいまえ、学生のころ何かの講座だったかで、お声をかけてくださったことがあります。
まんまるいおじ(い)さんという印象しか残っていなくて。・・・
立派な教育者ですね。私も一冊、読みました。ドイツ文化の紹介はわかりやすく、すぐれていますね。ただ翻訳はいまひとつという感じをうけました。私は手塚富雄、片山敏彦、富士川英郎、関泰祐、実吉捷郎などの訳を、わりと早い時期から読んでいましたから、眼は肥えていたつもりです。河野與一訳「アミエルの日記」などにも、鍛えられました。
この年齢で、なつかしいなんて言ってはいけないんでしょうが、育児に追われる日々、なかなか自分の時間がとれません。
ムスコちゃんがおねむの間に、CDでも聴いて愉しむくらいです。

翻訳家

ひでくんママ様、こんにちは。

小塩さんの文化論は面白いですが、翻訳の方はたぶん読んだことがないように思います。
小説は、ドイツ以外に、フランス、現代米国、ロシア、イギリスと国にこだわらずに作家本位で読んでいましたが、それぞれ名翻訳家がいらっしゃいますね。
作家が翻訳している場合は(下訳している人がいるのかもしれませが)、精度に問題はあっても、文章に独特の文学的センスがあるので、それはそれで面白いと思います。

辞書を引きながら本を読むのは、細切れ時間だと難しいですね。
本を読むことが目的なら、翻訳が手に入るならそちらを読んだ方が良いでしょうね。
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Author:yoshimi
<プロフィール>
クラシック音楽に本と絵・写真に囲まれて気ままに暮らす日々。

好きな作曲家:ベートーヴェン、ブラームス、バッハ、リスト。主に聴くのは、ピアノ独奏曲とピアノ協奏曲、ピアノの入った室内楽曲(ヴァイオリンソナタ、チェロソナタ、ピアノ三重奏曲など)。

好きなピアニスト:カッチェン、レーゼル、ハフ、コロリオフ、フィオレンティーノ、パーチェ、デュシャーブル、アラウ

好きなヴァイオリニスト:F.P.ツィンマーマン、スーク

好きなジャズピアニスト:バイラーク、若かりし頃の大西順子、メルドー(ソロのみ)、エヴァンス

好きな作家;太宰治、菊池寛、芥川龍之介、吉村昭、ハルバースタム、アーサー・ヘイリー
好きな画家;クリムト、オキーフ、池田遙邨、有元利夫
好きな写真家:アーウィット

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