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吉村昭 『白い航跡』
最近話題になっている食事療法「糖質制限食」が、既存の栄養学的常識を否定するところに興味を惹かれて、文献をいろいろ調べていると、明治期の日本海軍が、当時陸海軍(や日本全国)で蔓延していた原因不明の病「脚気」の原因が白米食だ...という仮説を大規模な試験航海で実証したという話につきあたった。
その顛末を小説化したのが吉村昭の『白い航跡』。

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(2009/12/15)
吉村 昭

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(2009/12/15)
吉村 昭

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脚気という言葉は知っていたけれど、その原因が白米を食べることあるのだと知ったのは、もう10年以上も前に読んだ『食う寝る坐る永平寺修行記』 (新潮文庫)というノンフィクション。
永平寺で修行する雲水の食事は、誠に質素なもので、おかずの品数や量が少なく、空腹を満たすためにはおかわりが許されている白米のご飯を大量に食べるしかない。
それは脚気にかかるリスクがあるとわかっていても、空腹に耐えられずに白米のご飯ばかりたくさん食べるので、脚気で入院する雲水が続出。
この本のおかげで、粗食で白米ばかり食べていたら、脚気になるんだというのが、記憶にしっかり残ってしまった。

脚気は、明治期の陸軍・海軍の存亡に関わるくらい深刻な病だった。
『白い航跡』は、その脚気を海軍医高木兼寛が兵食改善によって撲滅していく過程を中心に描いた歴史小説・伝記と医学ノンフィクションを合体したような小説。
この小説の見せ場は、イギリス医学を学んだ兼寛が、海軍に蔓延する脚気の原因を白米食にあると確信し、脚気撲滅のために試行錯誤と実地試験を重ねていくプロセス。大規模臨床実験の計画・実施・検証と新しい食事療法の開発・導入と言えるような一大プロジェクト。
そこに最新のドイツ医学に基づく細菌説を信奉する陸軍医学部門と東京大学医学部を中心とする医学界との軋轢が加わり、当時の脚気をめぐる医学の世界の様子がリアルに伝わってくる。
それに、ドイツの細菌学者コッホの下で学んだ陸軍軍医森林太郎(森鴎外)の脚気栄養説に対する徹底的な批判と脚気細菌説への固執という頑迷さは、作家とは別の医学者としての顔を知ることになる。陸軍内部での麦飯導入により脚気がほぼ消滅したという現実があっても、以前として白米食至上主義を採り続け、その結果、日清・日露戦争で脚気による膨大な死者を出すことに繋がった。

小説は兼寛の生涯をほぼ時系列的に追っているが、冒頭の戊辰戦争の話から、脚気論争へと繋がるストーリーの伏線が張り巡らされている。
よく読んでいた司馬遼太郎の歴史小説と比べると、吉村昭の方が文体が客観的・記述的で、語り口もそれほど物語的なところが少ないので、ノンフィクション好きの私にはとても読みやすく、筋立てもよくわかる。

西洋医学の師
兼寛は能力・人格とも優れた師に恵まれていた。
蘭方・方法医学の師である石神良策は、海軍医となるよう東京へ兼寛を呼び寄せ、妻になる富との縁談の世話をやき、公私両面で兼寛を導いた医師。
鹿児島で兼寛にイギリス医学を教えた英国人医師ウイリスの生涯は、時代の流れに翻弄されたような人生だった。
東京の海軍病院に招聘された英国人医師アンダーソンもウイリスと同じように紳士的で優れた教師だった。
一方、脚気論争で兼寛を徹底して批判する医学界と陸軍の人物は多数いたが、なかでも陸軍医学部門の上層部にいる石黒忠悳と森林太郎(作家の森鴎外)はその急先鋒だった。
医学の世界では、その主張も成果も認められず、叙勲も兼寛ではなく後輩の海軍医に与えられるなど、四面楚歌状態の兼寛の心の支えとなったのは、「麦飯食」の話を熱心に聴きその功績に感心する明治天皇。

英国留学時の成績
英国留学で兼寛が納めた成績の優秀さは、当時の日本人のなかでも驚異的だったのでは。
セント・トーマス病院付属医学校と病院で、医学理論と実技を学び、医学校の試験でもイギリス人の学生を抑えて上位や首席になり、外科・産科・内科学の医師資格取得し、医学校では数々の賞を受賞して、最優秀の医学生となる。さらに外科のフェローシップ免状(学位)を授与されたことで、医学校の教授資格も得る。


本書と高木兼寛の生涯については、ネット上に情報が多数あるので、それを読めば内容がよくわかる。
ビタミンの父 高木兼寛[宮崎県郷土先覚者]
日本の脚気史[Wikipedia]
日本人なら麦を喰え!  ~ 陸海軍と脚気 (陸海軍兵食論争)
麦と水兵[海陽雑記,第2429号,2001年3月19日]
幕末維新を駆け抜けた英国人医師ウイリアム・ウィリス[岡部陽二のホームページ]


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脚気論争
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脚気の研究
脚気の原因は、すでに漢方医の脚気専門の第一人者である遠田澄庵が、インド:日本で脚気が多いのは「脚気ハ其原米ニ在リ」と主張していた。
兼寛の脚気研究は、軍の統計や艦船の航海記録をもとに脚気の発生状況を調査分析し、食事が原因ではないかと推定。
イギリスで学んだ実用栄養学を元に食事内容を分析した結果、脚気にかかる軍人の食事は蛋白質が極めて少なく、含水炭素がはるかに多い。
ここから、白米食が脚気の原因だという仮説を立て、「洋食兵食」による脚気改善効果の航海実験を計画。
試験航海には、海軍予算が年間300万円だった時代に、その1/60(1.67%)に当る5万円が費やされている。
天皇・大蔵大臣など政府高官を説得し巨額の試験費用を費やしたこの試験航海で、脚気患者が続出すれば深刻な問題になるのは必至。兼寛は試験航海中、大変な精神的重圧のために、「筑波」で脚気患者や死者が続出する悪夢に悩まされ、食欲減退し気鬱になり抑うつ的な状態になり、周囲の人々も心配する。それだけに「ビョウシャ 1ニンモナシ アンシンアレ」という電報電報を見たときの喜びと安堵がどれだけ大きかったか想像できる。

試験航海と並行して改善兵食の試験的導入による検証、洋食兵食の実現可能性の検討、白米麦混合食への全面切り替えを勧めていく。
兼寛は当初、洋食導入を主張していたが、洋食には多額の費用がかかること、英国海軍が航海中はパンではなくビスケットを支給していたことを知る。
麦飯でさえ抵抗があるのに、パンやビスケットなら水兵たちが受け入れることは難しいと判断し、白米と麦の混合食にすることに方針転換。
「パン食が理想ではあるが、経費の増額と兵の食習慣の二点で実現は不可能と考えたのである。...どのような改定をしても、水兵がそれを口にしなければなんの意味もないことをはっきりと感じたのである。」


医学界・陸軍による批判
陸軍・医学界はドイツのべルツが主張する細菌説を信奉して、脚気白米食原因説(洋食・麦飯食による脚気対策)には、学問の理論的裏づけがないとして、理論的な批判・実験を行い、陸軍の白米食至上主義(1日に白米食支給が6合)を改めようとはしなかった。
東京大学生理学教室教授大澤による論文「麦飯ノ説」:米と麦の蛋白質と人体への吸収量を比較し、米の方が優れているため、麦飯食は意味がない。鴎外も比較研究で白米食が洋食に優れているという試験結果を発表する(後述)。
鷗外の論文と実験(後述)


陸軍と海軍の脚気対策の違い
海軍と陸軍では、中枢の医学部門と現場の部隊との関係の違いがよくわかる。
海軍の場合は、軍の上層部も現場の部隊・艦船も一体となって、医療部門の仮説・検証・食事改善に対して取り組んでいた。
最終的に、洋食ではなく、白米麦混合食を兵食と定め、全ての艦船・部隊が平時・戦時においても、上層部の兵食に関する指示を厳守し、脚気が再び蔓延することを防いだ。

一方、陸軍では、医学部門の上層部では細菌説に基づいて、現場の衛生状態の改善を指示していたが、脚気患者が一向に減らず。
中枢の医療部門の脚気細菌説・白米食至上主義に反して、脚気に悩むを現場の部隊は独自の判断で麦飯、白米と麦の混合食に替えて言った。
例えば、大阪陸軍病院長一等軍医正堀内利国は、麦飯を食べている監獄の囚人に脚気患者が極めて少ないことから、大阪鎮台の部隊でも一年間麦飯を支給したところ、脚気患者が激減した。行軍時に白米と白米麦混合食を食べさせて、健康状態を比較する実験をする部隊もあった。
各地方部隊の陸軍医たちが独自に白米麦飯混合食を導入していったが、上層部はこの措置を快く思わず、麦飯を導入した陸軍医が批判・解雇される事態にもなる。しかし、結局は、陸軍のほとんどの部隊が独自の判断で麦飯混合食を導入し、平時には脚気患者がほぼ消滅する。
白米食が脚気の原因であるというのは、結果を見ると明らかであるのに、脚気消滅は「兵舎の衛生状態が改善された結果」だとして、依然として陸軍医学部門の上層部はや、東京大学を中心とする医学界は細菌説に固執し続けた。
彼らにとって、学理的に説明のできない脚気栄養説は、単なる思いつきと偶然の産物にすぎなかった。さらに、彼らの学んできた基礎医学と学理探求を特徴とするドイツ医学が最も優れていると自負しているため、実証・臨床重視のイギリス医学を学んだ兼寛を見下していたことも大きく影響していた。

日清戦争、日露戦争での陸軍と海軍の兵食の対応も対照的。
海軍では、戦時中は臨時に白米の支給を増やしたが、1日1人100匁を超えないことを厳守し、脚気患者はわずか(日露戦争では100名余り)
陸軍では、陸軍の兵食規定に従って、麦飯ではなく、戦地に1日6合の白米を支給し、脚気患者と死亡者が続出。日清戦争では戦死者453名に対して、脚気による死者4064名、日露戦争にはさらに酷く、傷病者352,700名のうち脚気患者が211,600名。傷病者による死者37,200名のうち、脚気による死者27,800名。


ビタミンの発見
クリスティアーン・エイクマン:1896年に、滞在先のインドネシアで米ヌカの中に脚気に効く有効成分があると考えた。
鈴木梅太郎:物質としてビタミンを初めて抽出、発見。1910年、米の糠からオリザニン(ビタミン)を抽出し論文(日本語)を発表。農芸化学者である鈴木梅太郎は脚気予防に効果があると発表しても、細菌説をとる医学界はこの世界的な発見を無視した。
カジミール・フンク:1911年に米ヌカの有効成分を抽出することに成功。1912年にビタミン(ビタミンB1・チアミン)を発見。

脚気ビタミンB欠乏説の実験
大正8年に欧米各国からビタミンBが脚気に有効であると伝えられ、それを聴いた大森憲太慶応大学教授がビタミンBが脚気に有効であることを証明。軽症の脚気患者6名と健康人6名にビタミンBの欠けた食事のみを摂らせたところ、軽症者は重症になり、健康者は脚気にかかる。次に被験者にビタミンBを与えたところ12人全員が完治。白米食ではなく、玄米、分つき米を推奨。
欧米からも裏付けとなる報告が相次いだことから、細菌説に固執していた医学界もビタミンBが脚気に有効であるということを認めた。

兼寛の世界的評価
兼寛はコロンビア大学を始め、英米の大学で栄養バランスを改善した食事が脚気を予防することを講演し、学位を次々と授与され、ランセットにもその講演が掲載されるなど、海外の評価の高さは国内とは正反対。
小説の最後に、南極大陸のグレアムランド西岸のルルー湾北東部に、"Takaki Promontory"と命名された岬の話が出てくる。
この岬は、英国の南極地名委員会によって、昭和34年に高木兼寛に因んで命名されたという。その説明に「日本帝国海軍の軍医総監、1882年、食事改善により脚気予防に初めて成功した人」。
周辺には、「エイクマン岬」「フンク氷河」「ホプキンス氷河」「マッカラム峰」と著名なビタミン学者に因んだ岬がある。
日本ではビタミン学者と言えば、鈴木梅太郎など数名が知られているが、南極大陸の岬として名づけられたのは、高木兼寛のみ。日本では評価されていなくとも、「ビタミン研究の開拓者」として、海外でどれだけ高く評価されているのかよくわかるエピソード。


[2013.3.14 追記]
森鴎外は「脚気細菌説」の誤りを認めることは、終生しなかったらしい。
日露戦争後に発表された『妄想』(1911(明治44)年3月・4月)に、この脚気論争に関連する記述がある。

「食物改良の議論もあつた。米を食ふことを廃(や)めて、沢山牛肉を食はせたいと云ふのであつた。その時自分は「米も魚もひどく消化の好いものだから、日本人の食物は昔の儘が好からう、尤も牧畜を盛んにして、牛肉も食べるやうにするのは勝手だ」と云つた。」

「自然科学を修(をさ)めて帰つた当座、食物の議論が出たので、当時の権威者たる Voit(フオイト) の標準で駁撃(はくげき)した時も、或る先輩が「そんならフォイトを信仰してゐるか」と云ふと、自分はそれに答へて、「必ずしもさうでは無い、姑(しばら)くフォイトの塁(るゐ)に拠(よ)つて敵に当るのだ」と云つて、ひどく先輩に冷かされた。自分は一時の権威者としてフォイトに脱帽したに過ぎないのである。」


※Voitは著名な栄養学者。鷗外が師事した Pettenkoferの弟子の一人。


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「How to make クリニカル・エビデンス -その仮説をいかに証明できるか?-」
浦島充佳(東京慈恵会医科大学 薬物治療学研究室)

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数ある脚気論争に関する解説のなかで、他のものとは違った独自の切り口が面白く、とても勉強になったのが、「How to make クリニカル・エビデンス -その仮説をいかに証明できるか?-」。
白米食が脚気の原因だと実証していく過程を医学的なアプローチから考察した解説で、2001年に医学書院の週刊医学界新聞の連載記事。
解説は、兼寛が設立した東京慈恵会医科大学薬物治療学研究室の浦島充佳医師。
さすがに医学者の解説だけのことはあって、医師の兼寛と鴎外の試験方法を現代の臨床試験・薬物治験の手法の観点から、分析しているところがユニーク。
特に、脚気論争で鴎外の言動を疑問視する解説は多いけれど、鴎外が白米食原因説を批判した論文や実験について医学的な観点から考察したものは、珍しい。(詳しく探せば、他にもあるのかもしれないけれど)
高木兼寛「脚気病栄養説」(1)(2)(3)(4)(5)(6)(7) 


兼寛の研究
臨床試験において、評価に値する最良の方法が「ランダム化二重盲検試験」
理想的には戦艦「筑波」の船員をランダムに2群に分け、片方には従来の食事、他方には高蛋白低炭水化物の食事を与える。船員を診察する医師にはどちらの食事を摂ったか知らせない。

現代では、比較治療の優劣がついている場合、ランダム化試験は倫理的に不可。
兼寛はすでに新しい食事と従来の食事を10人に与えて、従来の食事が脚気の原因であると確信しているので、白米食を使うことは不要であるし、心情的にも船員を脚気の危険にさらすことはできない。

今回の実験のコントロール(対照群)となるのは、脚気が大量発生した「龍驤」。
試験艦「筑波」は、食事以外の試験条件を出来る限り「龍驤」と同一にするために、「龍驤」と同じ航路と期間で試験する必要があった。
航海期間は1年近くと非常に長くなってしまうが、実際、「龍驤」での脚気発生は帰路後半で多くなっているので、同じ航路を辿る必要があった。

東京帝国大学医学部-陸軍医療部門:基礎研究に優れ、コッホが破傷風菌・結核菌・コレラ菌を発見するなど世界の医学界が注目するドイツ医学を採用。ドイツ医学は、実験研究を重視した「病気を観る学問」
日本海軍:イギリス海軍の軍制を導入していたため、イギリス医学を採用。イギリス医学は、実験による医学的裏づけがなくても実際のエビデンスを重視した「病人を診る学問」


兼寛の「脚気白米食原因説」に対する批判・反論
<緒方正規博士の論文>
脚気患者からある細菌を分離し、これを動物に接種したところ脚気様症状がみられた=脚気は細菌が原因と結論
緒方論文の問題点:脚気患者全員からこの菌を特異的に分離し、この菌がどのように心臓、および神経病理を発生せしめたかについてまで示す必要がある。
※北里柴三郎が、明治43年にこの細菌説を否定した。


<鴎外の批判と実験>
「もしも正確な実験をするのなら1つの集団を2分して、一方に白米を与え、一方に洋食あるいは麦飯食を与え、しかも同一の地に居住させ生活条件も同じにさせる。このようにしても、米食のみが脚気に罹り他方が罹らなかったならば、米食が脚気を誘発するものと考えられるであろう」
鷗外の批判どおり、兼寛の学説は、エビデンスに基づいているが、実験的検証が弱点。

(鴎外の実験)
-陸軍第1師団の若い兵6名(すべて健常者)を対象
-白米のみ、麦飯。パンと肉、の3種類に分けてそれらを8日間ずつ食べさせる。
-ドイツ最新の方法に基づき検査。(各食事のカロリー、蛋白質、脂肪も計算している)
-結論:白米が最も優れ、パンと肉は最も劣る。

(鷗外の実験・結論の問題点)
-被験者が6人と少数。検査結果上有意差があっても、結論を導くのには不十分。
-試験が不十分:現代治験の「第Ⅰ相試験」(薬剤の安全性を試験するために健常者に薬剤を投与)に相当する試験のみ実施。発症している患者に試験薬(食)を投与して、その有効性を評価する第Ⅱ相・第Ⅲ相試験は実施せずに、脚気病食の効果がないと結論づけている。
-試験期間が8日間と短すぎる。(短期間では、脚気の発生には影響しない)


兼寛の研究に対する評価
当時、病原微生物を同定することが医学の主流。
兼寛の脚気病栄養学説は、生活習慣病の病因論を考える上でのエポックメイキングな出来事であり、まさにパラダイムシフトともとれる。


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参考情報
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海軍カレー
有名な「海軍カレー」も、この脚気対策のために誕生した。
明治期のイギリス海軍は、シチューに使う牛乳が日持ちしないため、牛乳の代わりに日持ちのよいインド起源の香辛料であるカレーパウダーを入れたビーフシチューとパンを糧食にしていた。
脚気予防のため洋食を導入しようとした高木兼寛は洋食・パン食を導入しようとしたが、農家出身の水兵たちには馴染めなかったために、カレー味のシチューに小麦粉でとろみ付けし、ライスにかけてカレーライスが誕生した。

南日本放送開局50周年記念番組「大いなる航海 軍医高木兼寛の280日」
第44回科学技術映像祭 医学部門最優秀作品/文部科学大臣賞受賞
ライフサイエンス出版/日本科学映像協会(TVドキュメント 45分)


胚芽米と麦
『香川綾物語』[女子栄養大学]
「胚芽米」も脚気予防のために開発されたお米。
白米が脚気の原因というのが突き止められても、昭和初期になってもビタミンB1の不足による脚気が慢性的に広まっていた。
脚気予防のため、玄米の栄養が多い胚芽部分だけを残した「胚芽米」を発明したのが女子栄養大学を創設した「香川綾」。
香川綾は、胚芽米にビタミンB1が多く含まれることを証明し、胚芽米普及による脚気予防を提唱し、胚芽を残して精米する方法も発明したという。

胚芽米のすべて[女子栄養大学教授,五明紀春]
お米の栄養価の比較表を見ると、たしかに精米した白米は、栄養分がごそっと落ちてしまっている。

<ビタミンB1含有量(100gあたり)>(食品成分データベースの成分表示)
(生米) 玄米:0.41mg 胚芽米:0.23mg 精白米:0.08mg
(ご飯) 玄米ご飯:0.16mg 胚芽米ご飯:0.08mg 精白米ご飯:0.02mg
(大麦) 7分づき:0.22mg、押麦:0.06mg、米粒麦:0.19mg


厚生労働省『日本人の食事摂取基準(2010年版)』では、ビタミンB1の摂取推奨量は、成人男子で1.4mg、成人女子で1.1mg。
ごはん茶碗1杯150gとすると、白米ご飯を1日4杯(600g)食べても摂取できるビタミンB1は、0.12mgにしかならない。
副食をしっかり食べないと、白米ご飯ばかりではビタミンB1不足が著しく、胚芽米ご飯でもやや不足気味になりそう。

調理しやすく加工された押麦はビタミンB1がかなり少ない。
ビタミンB1を強化した押麦「ビタバァレー」は、精麦100g当たりのビタミンB1含有量は1.8mg。
脚気論争の時にはもちろん「ビタバァレー」はなかったため(世界的にも、ビタミンの存在は知られていなかった)、7分づき麦を混ぜていたようだ。精製すればするほど栄養価が低くなるのは、米と同じ。


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クラシック音楽に本と絵・写真に囲まれて気ままに暮らす日々。

好きな作曲家:ベートーヴェン、ブラームス、バッハ、リスト。主に聴くのは、ピアノ独奏曲とピアノ協奏曲、ピアノの入った室内楽曲(ヴァイオリンソナタ、チェロソナタ、ピアノ三重奏曲など)。

好きなピアニスト:カッチェン、レーゼル、ハフ、コロリオフ、フィオレンティーノ、パーチェ、デュシャーブル、アラウ

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