菊池寛の評伝

菊池寛の伝記・評伝を探してみると、菊池自らの筆による『半自叙伝』の他に、作家・家族・秘書など立場の異なる人たちによって書かれた評伝がいくつも出ている。
構成や文章のスタイル、交友関係・経験談の有無や立場・視点の違いなど、それぞれ特徴があるので、読み比べていくと、同じ事実を元に書いている部分でも、解釈の違いがわかって面白い。

小島政二郎『眼中の人』
主に文藝春秋時代以前の菊池寛との交流を回想したもの。
通俗作家ではなく、文芸作家としての菊池の本質がどこにあるのか、よくわかるし、実際菊池の作品を読むと同感できる。
小島の師である芥川龍之介にまつわる話もかなり多く、芥川にまつわる回想記としても読める。
両者と深い親交があった小島の経験談は、まるで目の前にその情景が浮かんでくるようなリアリティがあって、面白く読める。
過去記事:小島政二郎『眼中の人』

眼中の人 (岩波文庫)眼中の人 (岩波文庫)
(1995/04/17)
小島 政二郎

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猪瀬直毅『こころの王国-菊池寛と文藝春秋の誕生』
猪瀬直樹の太宰治伝はとても面白かったので期待していたけれど、この菊池寛伝『こころの王国―菊池寛と文藝春秋の誕生』は、形式が普通の評伝とは全く違う。
文藝春秋社社長だった菊池の秘書で愛人の「みどり」の眼を経験を通して、一人称で、菊池の言動や印象が語られていく。
「みどり」との会話や描写による一面性を補うために、文藝春秋社の社員だった「馬」を登場させて、場面設定や会話の中身を拡げている。
ひらがなの多い文体は文章がまだるっこしいというか冗長、誰が言った(思った)言葉がわからないところもいくつかあり、形式からして、好きなスタイルではない。
それに、「みどり」の一人称という設定だと、文藝春秋時代の菊池寛の姿が中心になってしまうので、それ以前の菊池寛像がよくわからない。
それをカバーするために、『半自叙伝』の文章を多数引用して、「みどり」と「馬」では知り得ない菊池の生き方やエピソードを挿入している。
菊池の(読んでいなかった)著作も文中で紹介されているので、そこは参考になった。
戦前・戦後の世相・風俗・慣習とか歴史的な話もいろいろ書かれているところは面白い。

こころの王国―菊池寛と文藝春秋の誕生 (文春文庫)こころの王国―菊池寛と文藝春秋の誕生 (文春文庫)
(2008/01/10)
猪瀬 直樹

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猪瀬直毅:「なぜいま僕は菊池寛の物語を書いているのか」(日本国の研究 不安との訣別/再生のカルテ 第479号【特別】(1月10日))


松本清張『形影―菊池寛と佐佐木茂索』
菊池寛の評伝のなかで、若い頃から晩年までの菊池寛とその著作の全体像を捉えられていると思ったのは、松本清張の『形影―菊池寛と佐佐木茂索』(文春文庫)
松本清張は芥川龍之介の評伝『芥川龍之介の死』も書いている。
いずれも、事実をベースに、冷静な観察眼を感じさせる客観性・論理性の高い文章で積み上げた評論で、数ある菊池寛論のなかでも、優れた評伝ではないかと思う。
松本清張といえば、NHKのドラマ化作品しか観たことがなく、著作自体は読んだことがない。
こんなに面白く説得力のある評伝を書いているとは、不勉強なことに全然知らなかった。清張の歴史ノンフィクション物なら、いろいろ読んでみたくなってきた。

この評伝では、菊池寛の幼少から晩年までの人生を追い、人物像、作家論・作品論、「文芸春秋」時代の経営者像、交友関係まで、幅広く取り上げられている。
文士であり経営者であった菊池寛の全体像がよくわかる。
作家としての菊池寛については芥川龍之介との比較、文藝春秋の経営者としては、同じく文士であった佐佐木茂索との比較を通じて、菊池寛の作家・経営者像が明瞭に浮かび上がってくる。
芥川と佐佐木は、両者とも菊池寛とは対照的なメンタリティと作風・経営スタイルなので、その違いが面白い。
それに、菊池寛論としてだけではなく、芥川龍之介の作家論・作品論、佐佐木の経営者論としても読める。
3人の作品や書簡、彼らの対する同時代人の評論など、文献の引用も多数あり、情報の質・量ともとても充実している。清張の文章や話の展開も、理路整然としてわかりやすい。

個別に詳しく論じられていたのは、菊池の「テーマ小説」とは何かという点。
菊池自身「俺のテーマ小説は俺の生命」という信念があったという。
その菊池の「テーマ小説」を志賀直哉と比較している。ここは、志賀直哉論・「暗夜行路」論としても読める。
志賀の言動や作品を具体的に上げて、”小説の神様”として賛美していないところが、面白い。
(志賀直哉の短編(というか随想というか)はいくつか読んだけれど、面白いと思ったのは「小僧の神様」くらいなので、私とは相性が悪い)


文芸春秋時代の菊池寛は、作家としてではなく、編集者として才覚優れた人だった。
「文芸春秋」は創刊時から予想外の大成功を収めたが、その理由は雑誌のコンセプトが斬新だったことはよく言われている。
清張は、それに加えて、当時文壇で大作家となっていた芥川が毎月巻頭の「朱儒の言葉」という原稿を書いていたことを上げている。
芥川自身はまさに「金看板」。さらに、芥川の弟子筋の作家たちも寄稿するので、「豪華執筆陣」を擁していた。

菊池の雑誌づくりや普及活動に関するアイデアも独創的。
4段組の随筆欄、目次を印刷した表紙、座談会形式、「文芸講座」の発刊、文士の全国巡回講演会、相次ぐ新雑誌の創刊(今でも残っているのは『オール読物』)、一般募集の「実話」掲載など、菊池が文藝春秋時代に初めて試みたアイデアは多い。
菊池がこれほどアイデアマンだったとは、それまでの菊池の伝記を読んでいても、全然想像できない。
さらに、「小説家協会」「文藝者協会」を創設して、原稿料の値上げを出版社に交渉したり、著作権を設定したりして、作家の生活を安定させることに腐心した。

高い収入を得るようになってからは、後輩の作家や文学志望者によくお金を呉れていた。(『眼中の人』でも、小島が菊池にお金を借りる(実質的には、「貰う」)場面が書かれている。)
清張は、「自分の逆境の頃を思っての同情であって、それによって子分を得ようなどという打算的な気持ちはなかったろう」と推察している。
清張の菊池の人物論で面白いのは、「一見楽天的だが、その内面には虚無的に近いぐらいペシミスティックな要素があるように思う」というところ。
菊池自身、「生活第一、芸術第ニ」という主義。「清貧にあまんじて立派な創作を書こうという気は、どの時代にも、少しもなかった」という現実主義者。
清張は、菊池の現実主義は「若い時の不遇な経験が、すべてを信じることはできないといった観念を彼に持たせるに至ったと思われる」と言っている。
菊池の言動と発想は、極端なくらいに合理主義的なところが多分にあり、これはこの現実主義に根ざしているのだろう。

出版社経営に関しては、文藝春秋社が大きくなればなるほど、個人商店的な経営では限界がある。
結局、「文藝春秋」を株式会社化し、社長の菊池寛と、専務の佐佐木茂索がニ人三脚で経営していく。
この2人の組み合わせを、小林一三が「社長と専務の理想的な名コンビ」と評していた。
佐佐木茂索は、外見・衣食の趣味・メンタリティ・発想とアプローチなど、全てが菊池と正反対で水と油の如く。
菊池は「茫洋たる親分社長」の典型で、菊池が経営を全て担っていたなら、そのうち行き詰まっただろうし、「最新なるカミソリ専務」の佐佐木が社のトップだと経営手腕を信用されることはあっても、菊池ほどに人間的に慕われることはなかったろうと思えてくる。
経営上は「名コンビ」であっても、人間的にはどうも馬が合わなかったようで、個人的に深い親交があったというわけではない。少なくとも、清張はそう捉えている。
そもそも芥川門下の佐佐木は菊池の文学を認めていなかったし、菊池もそれを知っていた。ここに両者の「よそよそしい関係」がある。
しかし、この2人が共に文士だという点が普通の企業とは決定的に違っていた。そのため企業につきものの社内派閥を作ることもなかった。

佐佐木が作家生活を断念して、文藝春秋社の経営に専念するようになるが、これは彼自身作家としての自分の才能を客観的に把握していたため。
実際、計数に明るく、どこで学んだのか(清張はいろいろ推測しているが)、経理・経営能力も高く、出版・印刷業界の実務(資材・広告業務)にも通じていた。
文士出身の経営者としては極めて珍しい能力に違いない。佐佐木が小説を断念して企業経営者に転身したことを「最大の傑作」だと誉める人もいた..というのも納得。

清張の評伝で面白いところは、文献などの事実をベースにして、定説とは違った推論を加えている部分。
例えば、菊池の出世作《無名作家の日記》は、明らかに芥川をモデルにしたとわかる登場人物に対して「羨望、嫉妬に満ちた日記で、呪詛に満ちている」。
「中央公論」の滝田編集長もそれを気にして、出版前に直接芥川に問題なしと了解を得た、ということになっている。
しかし、清張が推察するに「芥川にとって内心不快だったに違いない。..それを滝田に向かって口にしなかったのは、すでに文壇に地歩の固まった芥川の自信と、彼一流の気取りと気の弱さからであろう。」


『形影』は、菊池寛論として、作品論・作家論から、文藝春秋時代の編集者・経営者像まで論じているので、菊池の生涯と彼の全体像を捉えやすい。私が菊池の評伝を1冊だけ読むのならば、これを選びたい。


形影―菊池寛と佐佐木茂索 (文春文庫)形影―菊池寛と佐佐木茂索 (文春文庫)
(1987/03/10)
松本 清張

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『歴史としての文芸春秋 増補「菊池寛の時代」』(金子勝昭、日本エディタースクール)
文芸春秋社内の様子や、菊池と社長の佐々木との微妙な関係がよくわかる。
戦時下での「文藝春秋」と菊池がとった言動・立場については、かなり辛口。

歴史としての文芸春秋 (出版人評伝シリーズ)歴史としての文芸春秋 (出版人評伝シリーズ)
(1991/10)
金子 勝昭

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『真珠夫人』菊池寛[松岡正剛の千夜千冊、1287夜]
菊池寛の略伝、『忠直卿行状記』と『真珠夫人』に関する評論が載っている。


小林秀雄『菊池寛論』
新潮文庫『作家の顔』には、小林秀雄「菊池寛論」「菊池さんの思い出」「菊池 寛」「「菊池寛文学全集」解説」の4篇を収録。
「菊池寛論」と「「菊池寛文学全集」解説」は作家論・作品解説。残り2編は随筆。
『作家の顔』には、菊池寛に関する文章が数件収録されている。
「氏の私生活を題材にした作品には私小説の本流、と言っては変だが所謂私小説とはまるで異なった性格がある。菊池氏の私小説の魅力は、誇張のない逸話と同じ性質のものだ。人間的魅力に富む正確な逸話の種をいつも供給してくれているようなものだ。当人は力み返って語るが、聞く人には一向面白くないという分子は一切省略されている。言わば自分で自分の逸話を語る大家の様なもので、告白は逸話にならない事をよく心得てある。」(『菊池寛論』)


作家の顔 (新潮文庫)作家の顔 (新潮文庫)
(1961/08/22)
小林 秀雄

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井上ひさし『菊池寛の仕事―文芸春秋、大映、競馬、麻雀…時代を編んだ面白がり屋の素顔』(井上ひさし, こまつ座)

菊池寛の仕事―文芸春秋、大映、競馬、麻雀…時代を編んだ面白がり屋の素顔菊池寛の仕事―文芸春秋、大映、競馬、麻雀…時代を編んだ面白がり屋の素顔
(1999/01)
井上 ひさし、こまつ座 他

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基調講演:井上ひさし「作家の生き方」[21世紀活字文化プロジェクト/読書教養講座]


吉川英治名義の作品解説
菊池寛は、戦時中の戦争協力を理由に、戦後はGHQから公職追放処分と受けたが、これは”自由主義者”と自認する菊池にとって納得できるものではなかった。
公職追放により、菊池は文藝春秋社を解散し、大映社長も辞職する。(文藝春秋社は、社員有志により数ヶ月後に、佐佐木茂索を社長として、「株式会社文藝春秋新社」が設立される)
その頃の菊池の思いを記したものが、『藤十郎の恋・恩讐の彼方に』(新潮文庫)に収録されている吉川英治名義での解説。これは実際は菊池寛自身が書いたもの。

「この集には、菊池氏の初期の作品中、歴史物の佳作が悉く収められている。これらの作品を見ても、菊池氏が、リベラリストとして、その創作によって封建思想の打破に努めていたことがハッキリするであろう」
「およそ大正から昭和の初めに当たって、菊池氏の作品ほど、大衆の思想的、文化的啓蒙に貢献した作品は少ないと、いってもよい。が、文学作品の社会的影響などは、甚だ微力なものである。戦いに敗れた今日、改めて封建思想の打破が叫ばれなければならぬほど、菊池氏としては、残念至極なことと思っているであろう。」



菊池直毅『菊池寛急逝の夜』
菊池寛急逝の夜 (中公文庫)菊池寛急逝の夜 (中公文庫)
(2012/08/23)
菊池 夏樹

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「私のこころの王国」(菊池夏樹第482号【論説】(1月31日))


福田和也『怪物伝』(単行本発刊時のタイトルは『日本国怪物列伝』)
怪物伝 (ハルキ文庫 ふ 1-7)怪物伝 (ハルキ文庫 ふ 1-7)
(2011/07/15)
福田 和也

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映画『丘を超えて』
これは観たことがない映画。DVDの写真を見ると、西田敏行が菊池寛のイメージにほんとにぴったり。
丘を越えて [DVD]丘を越えて [DVD]
(2008/10/18)
西田敏行、西島秀俊 他

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タグ:菊池寛 小島政二郎 猪瀬直樹 井上ひさし 松本清張 佐佐木茂索 伝記・評論

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yoshimi

Author:yoshimi
<プロフィール>
クラシック音楽に本と絵・写真に囲まれて気ままに暮らす日々。

好きな作曲家:ベートーヴェン、ブラームス、バッハ、リスト。主に聴くのは、ピアノ独奏曲とピアノ協奏曲、ピアノの入った室内楽曲(ヴァイオリンソナタ、チェロソナタ、ピアノ三重奏曲など)。

好きなピアニスト:カッチェン、レーゼル、ハフ、コロリオフ、フィオレンティーノ、パーチェ、デュシャーブル、アラウ

好きなヴァイオリニスト:F.P.ツィンマーマン、スーク

好きなジャズピアニスト:バイラーク、若かりし頃の大西順子、メルドー(ソロのみ)、エヴァンス

好きな作家;太宰治、菊池寛、芥川龍之介、吉村昭、ハルバースタム、アーサー・ヘイリー
好きな画家;クリムト、オキーフ、池田遙邨、有元利夫
好きな写真家:アーウィット

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