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「ヴィルヘルム・バックハウスと日本人―夏目漱石から池田理代子まで」(杉田英明)
偶然見つけた面白い論文が、「ヴィルヘルム・バックハウスと日本人―夏目漱石から池田理代子まで」
筆者は、東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻の杉田英明教授。
出典は、「Odysseus. 18, 2014.3, pp. 1-31(東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻紀要)」

大変失礼ながら、タイトルだけ見たときに、「池田理代子」が出てくるくらいなので、学生の卒論か修論かと思ったけれど、筆者は東大教授だった。ご専門の研究分野が比較文学・比較文化。
バックハウスと日本人との接点と受容がどうだったのかというのは、とても興味を引かれるテーマ。
日本の音楽史のなかで、今までそういう研究があったのかどうかわからないけれど、特に、池田理代子にまで言及している点は、珍しいかも。

論文の内容は、戦前の若い頃から戦後の晩年に至るまでバックハウスの演奏について、国内外の実演や録音を聴いた(欧米の評論家も含めて)日本の著名な文化人や音楽評論家の印象・批評を紹介し、バックハウスのピアニズムの変遷と日本人の受け止め方の変化を追ったもの。
最初に登場する夏目漱石の部分は、実際にはバックハウスとの接点がほとんどなかったので期待外れだったけれど、それ以外はいろんな批評が登場してきて面白い。それに、巻末の引用文献リストは貴重な資料。
既存の文献からの引用は、批評家(大田黒元雄、野村光一、吉田秀和など)や演奏家の話が多い。
それを読んでいくと、バックハウスのピアニズムに対する解釈や評価が、時代とともに変化していくのがよくわかる。
その変化は、昔はバックハウスのピアニズムが誤解されていた...というのではなく、バックハウスの演奏自体が変遷して行ったことと符号している。

バックハウスの若い頃のリサイタルプログラムを見ると、ショパンのエチュード、リスト、ブラームスといったロマン派の技巧的な曲が並んでいるので、ベートーヴェン弾きと見なされていたわけではなかった。
当時のバックハウスは、初期のポリーニに対する批評と似ていて、メカニック優先で外面的な技巧派...という評価が一般的。
(ポリーニはバックハウスを賞賛していて、彼が”model”としていたのは、ケンプでもシュナーベルでもリヒテルでもグルダでもなくて、バックハウスだったという。)
それに、SP録音時代は録音状態が非常に悪いので、バックハウスの音の美しさが伝わらなかったため、実演を聴いて透明感のある音の美しさに驚いたという人が多い。

時々バックハウスが語った言葉が引用されているのも、彼の人となりの一面を知ることができる。
暇な時に何をしているのか?と質問されて、”ピアノを弾いています”.と答えたのは有名な話。まさにピアノ一筋の人。
バックハウスはエピソードが少ない人で、orfeo盤CDの解説のなかでは、友人との手紙のやりとりをすることもないと本人が言っていた。
それでも、探せばいろいろ出てくるもので、この論文では知らなかったエピソードがたくさん載っていた。

私が一番興味があったのは、”池田理代子”とバックハウスの繋がりについて。
なぜ有名な(少女)マンガ家とバックハウスとが関係あるのか、本文を読まずしてすぐにわかった人は、少女マンガ大好きだったに違いない。
池田理代子の代表作『オルフェウスの窓』には、バックハウスが重要な場面で何度か登場する。
私が初めてバックハウスのことを知ったのは、CDや音楽雑誌ではなくて、このマンガを読んだから。何十回と繰り返し読んだ私のお気に入りのマンガだった。
記憶では「全ての基本はスケールとアルペジオです」とバックハウスがマンガのなかで言っていたので、単純な私は、それ以来ピアノの練習をスケールとアルペジオから始めることにしたのだった。(全然上達しなかったけど)
でも、論文を読んでいると、「全ての基本はスケール(音階)の練習と、そしてバッハです」と言っている。(私の記憶は全然あてにならない)
pfofil盤ライブ録音CDの解説では、バックハウスは10歳頃で、すでにバッハの平均律をどの調性に移調しても弾くことができたという。

『オルフェウスの窓』は、バックハウスが実際に語ったことやエピソードをベースに創作しているので、バックハウスに関する部分が全て架空のものというわけではない。
バックハウスが「皇帝」を弾く傍ら、主人公のピアニストであるイザークがオケパートを口ずさむシーンがあるけれど、イザークが架空の人物なので、もちろん実話ではない。
でも、このシーンの元ネタは、実際にバックハウスのレッスンを受けた日本人ピアニストの体験だったというのは、今回初めて知った。(実際は立場が逆で、「皇帝」を弾いたのは日本人ピアニストの方だった)

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論文の最後に、バックハウスとケンプに対する日本人の距離感の違いが書かれている。
バックハウスは近寄り難さを感じさせるけれど、何度も来日したケンプは親密感をもたれている。
そういえば、CDレビューを読んでいても、どちらかというとケンプのファンの方が多い気はする。
ケンプを聴くときは主にバッハとバッハ編曲で、ほんの時たまベートーヴェン。(ケンプのベートーヴェンで好きな曲が少ないので)
バックハウスなら、聴くのはほとんどベートーヴェン。ブラームスは、バックハウスよりも好きな演奏がいくつかあるので、あまり聴かない。
ピアニストとしてどちらが好きかといえば、バッハよりもベートーヴェンが好きな私としては、やはりケンプよりもバックハウスになる。

tag : バックハウス

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No title
yoshimiさん、こんにちは

バックハウスと言えば、ベートーベンと言うイメージは強いですが、私が好きな氏の録音は亡くなる直前のコンサートの実況録音で、最後の「シューベルト:即興曲」の演奏が素晴らしかったと思っています。

一方、ケンプはベートーベンも有名ですが、私にとってはシューベルトのソナタ集の全曲集があることです。
バックハウスとケンプのシューベルト
matsumo様、こんばんは。

バックハウスは、アンコールでシューベルトをよく弾いていたようですね。
私が持っているライブ録音のうち、(最後のリサイタルも含めて)3枚にシューベルトの即興曲が入っています。
ケンプのシューベルトも有名ですが、ケンプの音色と叙情感が一番美しいのがシューベルトだと思います。
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クラシック音楽に本と絵・写真に囲まれて気ままに暮らす日々。

好きな作曲家:ベートーヴェン、ブラームス、バッハ、リスト。主に聴くのは、ピアノ独奏曲とピアノ協奏曲、ピアノの入った室内楽曲(ヴァイオリンソナタ、チェロソナタ、ピアノ三重奏曲など)。

好きなピアニスト:カッチェン、レーゼル、ハフ、コロリオフ、フィオレンティーノ、パーチェ、デュシャーブル、アラウ

好きなヴァイオリニスト:F.P.ツィンマーマン、スーク

好きなジャズピアニスト:バイラーク、若かりし頃の大西順子、メルドー(ソロのみ)、エヴァンス

好きな作家;太宰治、菊池寛、芥川龍之介、吉村昭、ハルバースタム、アーサー・ヘイリー
好きな画家;クリムト、オキーフ、池田遙邨、有元利夫
好きな写真家:アーウィット

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