ユーリー・ボリソフ 『リヒテルは語る 人とピアノ、芸術と夢』

2015.05.31 12:00| ・ 音楽(Books&Movies)
リヒテルの伝記や、ピアノを通じてリヒテルと関わったひとたちが書いた本は、日本語でもいくつか出ている。
私が読んだことがあるのは、
『リヒテル』(ブリューノ・モンサンジョン著、2000年)
『リヒテルが愛した執念のピアノ』(プロジェクトX第4期)(NHK、2002年)
『いい音ってなんだろう』(村上輝久、2000年)
『リヒテルと私』(河島みどり、2003年)
『ピアニストが見たピアニスト』(青柳いづみこ,2005年)

先日読んだのは、『リヒテルは語る―人とピアノ、芸術と夢』。
リヒテルがユーディナについて語った言葉が載っていて、興味があったので。
インタビューとか、普通の会話をそのまま載せたような文体。
ときどき脈絡や誰(著者の)言葉なのか、文章がわかりにくいときはある。
でも、リヒテルのちょっとシニカルで棘のある口調と話に臨場感があって、内容も面白い。

リヒテルは語る―人とピアノ、芸術と夢リヒテルは語る―人とピアノ、芸術と夢
(2003/5/1)
ユーリー・ボリソフ (著), 宮澤 淳一(訳)

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ちくま学芸文庫版
リヒテルは語る (ちくま学芸文庫) リヒテルは語る (ちくま学芸文庫)
(2014/3/10)
ユーリー・ボリソフ (著), 宮澤 淳一(訳)

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<書評>
リヒテルは語る 人とピアノ、芸術と夢 [著]ユーリー・ボリソフ [評者]青柳いづみこ[ブック・アサヒ・コム]


以下は、ユージナに関する記述のメモ。


 ユージナが舞台に現われるや、ピアノが縮こまる。まるで馬がおびえて後ろ足で立っているようかのように見えた。だがすぐピアノに向かいはしない。パステルナークを朗読し始めるんだ。「少年時代にように清らかなドイツ的動機」についての詩をね。それからブラームスの間奏曲を何曲も続けて弾くんだが、ロ短調までいくと、荒海のような、近づきが難い岸壁のような感覚に襲われる。....ユージナは、いわゆる最も危険な「第九の波」でないとしても、第六の波にはなっていた。....大変な才能の持ち主だったが、最後には心を病んでしまったに違いない。

 ホロヴィッツのレパートリーを見てみたまえ。バッハはなし、ただし編曲物は例外だ。ベートーヴェンは手垢にまみれたソナタばかり。32番?弾くはずないだろう?なぜかプロコフィエフの7番が紛れ込んでいるが、ひどい演奏だ。そのかわり、ピアノは極上の楽器で、見事に整備されている。-ソフロニツキーのピアノといったら。ネイガウスのピアノなどは、低い「シ」の音が出ない。私はその下で寝ていた。ユージナのピアノなど、上で猫が寝ている。長年の埃をかぶっていてね。

(トーマス・マンの『ファウスト博士』に登場する音楽家の講演では)アリエッタ(第二楽章)の主題には、「最後の別れ」がこめられるのだそうだ。面と向きあい、最後に相手の目を深々とのぞき込むようなものなのだ、とね。
 もしもマンがユージナの演奏を聴いていたら、「別れ」なんて考え方は吹っ飛んだはずだ。....円柱の間での演奏会を聴きに行ったら、彼女、いきなり最初からソナタ第32番を弾き始めた。ほとんどジャズのような弾き方でこれがまた力のこもった人生肯定型なんだ。ネイガウスが楽屋でユージナに言ったよ。あの演奏からは何も理解できなかった、と。非常に如才ない言い方をした。するとユージナも非常に如才なく、まったく取り乱すことなくこう返した。「いっこうに気にしませんわ。あのソナタ、大ホールでも弾きますから、またお越しください。」 それでも、晩年のアリエッタの演奏は違っていたらしい。さすがに多少抑えた弾き方になっていたとか。
 このソナタは真に前衛的な音楽だ。ベルクの室内協奏曲やウェーベルンの変奏曲よりも凄い。創世記のヤコブが天使と格闘したように、ベートーヴェンは神と闘っているんだ。まあユージナもそのように弾いていたわけだが.....。


Maria Yudina plays Beethoven Sonata No. 32, Op. 111 (1/3)(第1楽章)


第2楽章の音源:(2/3)(3/3)[Youtube]



 (”ショパンの練習曲ハ長調やショパンの協奏曲ホ短調、ソナタ ロ短調、シューマンの《クライスレリアーナ》はすでにネイガウスに弾かれているので、もう弾かない方がいい”と言った後に続けて)
 モーツァルトの協奏曲イ長調(第23番)とシューベルトの即興曲変ロ長調は、ユージナが弾いている。彼女のあとに弾く気にはなれない。ブラームスの間奏曲イ長調(作品118第2)もそうだ。弾いたらみっともないことになる。


Maria Yudina plays Schubert Impromptu in B flat Op. 142 No. 3


6 Klavierstücke in A Major, Op. 118: II. Intermezzo. Andante teneramente



 マリヤ・グリンベルクからこんな話を聞いた。ユージナの授業のやり方についてだ。ユージナは無私無欲で善良そのものという人物だったが、その個性は圧倒的だった。授業に出ると、みんな彼女の魅力にとりこになってしまうのだそうだ。
 ゲンリヒ・ネイガウスの場合は、ちょっと違う。彼は、生徒の個性を聞いてくれ、魂の中に忍び込む。ただし、演奏家としてはかえって損をした。すべてに力を注ぎ込むことはできなかったのだ。

(バッハの平均律曲集第22番変ロ短調)
 この前奏曲は、マリヤ・ユージナが前代未聞の速さで弾いたのを覚えている。それもマルカートであらゆる規則に逆らってね。あれに比べたら、グールドなんてかわいいものだよ。そのときの演奏会をネイガウスと一緒に聴いた。まだ戦争をやっていた。
 「マリヤ・ヴェニアミーノヴナ、なぜあのような弾き方をするのですか?」演奏会終了後、いくぶん当惑したような様子でネイガウスが尋ねた。
 「今は戦争中ですからね!」彼の顔も見ずにユージナは答えた。
それで終わりさ。腹立ちまぎれにそう言ったのか、この音楽から本当にそうした感慨を得たのか、わからない。
 いちばん印象的だったのは、リストが書いたバッハの主題による変奏曲だ。カンタータ第12番の《泣き、嘆き、悲しみ、おののき》から主題が取られている巨大な作品で、天才的な演奏だった。とどろきわたるのではなく、心に染みいるような演奏で、ピアノ曲というよりは、ミサ曲を聴いているようだった。ユージナはまるで儀式を執り行っているようにピアノを弾いた。祝福するように作品を弾くのだ。
 ムソルグスキーが素敵だった。《展覧会の絵》もよかったが、《瞑想曲》というもっとも小さな曲を覚えている。ドビュッシーの先駆のような曲だ。
 髑髏をかたわらに置いて、ハムレットのようなポーズを取っているユージナの姿が目に浮かぶ。そういう写真が残っている。


Liszt - Variations on Weinen, Klagen, Sorgen, Zagen - Yudina


Maria Yudina plays Mussorgsky Pictures at an Exhibition 1/4


Mussorgsky - Méditation - Yudina



 こんなことを考えた。私の人生において、太陽のように崇めるピアニストは3人いた。ソフロニツキー、ネイガウス、そしてユージナだ!

(ブラームスの間奏曲ホ短調作品119第2)
 マリヤ・ユージナはブラームスについて素晴らしい文章を残している。この間奏曲について何と書いているか知っているかな?-<戦慄を覚えるほどの不安>だ。そしてホ長調の中間部(アンダンティーノ・グラツィオーソ)をプーシキンの「時が来た、友よ!」と結びつける。「ブラームスはそのような評釈を思いもよらなかったであろう。だが、それは重要なことではない!」ユージナはそう結んでいる。
 「戦慄を覚えるほどの不安」か、本当だ。しかし素晴らしいではないか。


Brahms - Intermezzo Op 119 No 2




<ユージナ以外の文章で印象に残ったもの>

 最も宗教的な作曲家は誰だと思う?とんでもない、バッハではないよ。彼は全てが組織されすぎている。ひとつの方向に平らに伸びていてね。
 最も宗教的なのは、セゼール・フランクさ!自分の内面に宿る神だ。すべてが主観的であり、かつ他者から隠されている。自分自身がイコン(偶像)なのだ。
 フランクだと、彼のピアノ五重奏曲は、室内楽における「マタイ受難曲」だ。ピアノを使った音楽で、ああいう曲は他に存在しない。

 プロコフィエフはソナタ第6番の第一楽章を新人類の創造と考えた。私はそこに工業化を見いだしたが-それを電化と言ってもいい。彼は自動機械「マン=マシーン」を作るべきだと主張していた。「アメリカではすでにほとんどその段階に到っている」とプロコフィエフはまるで何か明るい素晴らしいことが迫っているかのごとく、嬉しそうに言った。「ソナタの終楽章で、モールス信号が始まるところがあるが、あれはマン=マシーンが言葉を交わしている場面なのだ」と。
 未来を支配するこの「新人類」がどのような姿をしているか、彼はネイガウスにさえ細かく説明した。(略) .彼特有のふざけた事務的な口調でそんな話をするんだ。
 プロコフィエフには、何らかの、そういう、ちょっとした奇妙なものを好む傾向があるのに私は気づいた。-協奏曲第一番の最後のオクターヴは、椅子がいくつも踊っているように彼には思えた。そのようにオーケストラがとどろき、あらゆるものが、チャイコフスキー・ホールの座席までもがとどろく。

 キーシンの弾くショパンを聴いた。遺作のワルツ・ホ短調だ。これを凌ぐ演奏はありえないと思う。ただ私は2つの点を心配している。彼はこの曲を、ほとんど赤ん坊の頃から弾いてきたのだろうけれど。
 第一に、一気に弾き込んではいけない。一生弾き続けることを考えてほしい。第二は、点描主義画法だ。キーシンにはこれがほとんど存在しない。もしかしたら暗い部屋で練習することがまったくないのかもしれない。
 キーシンがドビュッシーを弾くときには、必ず聴きに行きたまえ。素晴らしいぞ!すぐにわかるはずだ。指のあいだに冷気が漂うのが。

 ラヴェルのピアノ曲は「ほとんど天才的」だ。ただし、左手のための協奏曲と、<洋上の小舟>を除く。その2曲は「超天才的」だ。
 (略) 
 左手のための協奏曲では、膨大な数の花火が使われる。最初は小さい花火、それから虹のような花火と打ち上げ花火だ。このときは色はマティス風で、まばゆいばかりの輝きがある。
 花火は全て箱馬車の窓から放出する。箱馬車に乗っているのは-この私だ。それをみんなが投げ出すわけだ。祭りは私のためではない。


モンサンジョン監督の著書『リヒテル』にもユーディナに関するリヒテルの言葉が載っているらしい。
以前読んだことがあるのに、その時はユーディナについてほとんど知らなかったので、あまり気に留めずに読んでいた。
この本は、日本語で読める数少ないリヒテルの伝記で、リヒテル自身が語った録音評も多数載っているという貴重な資料。
単行本が絶版状態なので、『リヒテルは語る』と同じように、ちくま学芸文庫として再販して欲しい。
丸々1冊にまとめて文庫化してくれてもいいし、600頁余りと大部なので、「序文」と伝記部分の「ありのままのリヒテル」(合計約200頁)と、リヒテルが書いた「音楽をめぐる手帳」(録音・演奏会批評等の日記)と付録(約350頁)との2分冊になってもかまわない。


<関連記事>
【新譜情報】 マリア・ユージナ名演集 (The Russian Archives)
『マリア・ユージナ名演集』 ~ ブラームス・シューベルトのピアノ作品
マリア・ユーディナのリスト録音 ~ 《前奏曲とフーガ BWV543》、《バッハのカンタータ「泣き、嘆き、悲しみ、おののき」による変奏曲》

タグ:リヒテル ユーディナ ベートーヴェン バッハ ブラームス シューベルト ムソルグスキー 伝記・評論

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コメント

楽しい!

こんにちは。
リヒテルの面白そうな本ですね。
ユーディナに関する意見はまるで寓話の如く、神秘に満ちているように感じました。益々興味が湧きました。
ホロヴィッツへの論評がまた面白い。確かに彼はベートーヴェンの後期は弾きませんよね。それが彼らしいと思うのですけど。
キーシンの評価は腑に落ちます。リヒテルのラヴェルもまた素晴らしいのですが。

自由自在に語るリヒテル

芳野さま、こんばんは。

「リヒテルは語る」は、会話調の砕けた文体なので、リヒテルが肉声で語っているみたいに錯角します。
著者がリヒテルとの会話をメモしたものなので、その通り話したのかどうかわかりませんが、まだ元気だった頃のリヒテルの快活さや自由な物言いが伝わってきます。
青柳いづみこさんの書評によれば、この本は「意識の流れを言語化」したのだそうです。

今再読しているモンサンジョン監督の「リヒテル」では、ユーディナに対して非常にネガティブな評価をしていますから、随分トーンが違ってます。
全体的に「リヒテル」では、同僚ピアニストに対して人格的な面に言及した辛辣な言葉が多いように思います。
最晩年の鬱々した気分がそういう言葉につながったのか、理由はよくわかりませんけど。

ホロヴィッツに対してはグルダも似たような評価をしてますから、伝統のある欧州やロシアのピアニストにしてみれば、ホロヴィッツは曲芸人みたいに思えたのでしょうね。

特に若い頃(20歳代)のキーシンの演奏は天才の閃きを感じさせるように凄かったと思います。
彼の演奏を初めて聴いたのは、ブゾーニ編曲「シャコンヌ」でしたが、何度聴いても素晴らしいです。
キーシンのドビュッシーは聴いたことがありません。たぶん録音していなかったはずなので、Youtubeかどこかでライブ音源があれば聴いてみたいですね。
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yoshimi

Author:yoshimi
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クラシック音楽に本と絵・写真に囲まれて気ままに暮らす日々。

好きな作曲家:ベートーヴェン、ブラームス、バッハ、リスト。主に聴くのは、ピアノ独奏曲とピアノ協奏曲、ピアノの入った室内楽曲(ヴァイオリンソナタ、チェロソナタ、ピアノ三重奏曲など)。

好きなピアニスト:カッチェン、レーゼル、ハフ、コロリオフ、フィオレンティーノ、パーチェ、デュシャーブル、アラウ

好きなヴァイオリニスト:F.P.ツィンマーマン、スーク

好きなジャズピアニスト:バイラーク、若かりし頃の大西順子、メルドー(ソロのみ)、エヴァンス

好きな作家;太宰治、菊池寛、芥川龍之介、吉村昭、ハルバースタム、アーサー・ヘイリー
好きな画家;クリムト、オキーフ、池田遙邨、有元利夫
好きな写真家:アーウィット

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