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ブリューノ・モンサンジョン著 『リヒテル』
ブルーノ・モンサンジョン監督による伝記『リヒテル』。リヒテルへのインタビューを元にしているので、リヒテル自身語った言葉が多数載っている。
同監督の製作した伝記映画『エニグマ~甦るロシアの巨人』でも、最晩年のリヒテル自らが回想している。

リヒテルリヒテル
(2000/09)
ブリューノ モンサンジョン

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<目次>
ありのままのリヒテル
  幼年/オデッサでの1930年代/ゲンリフ・ネイガウス/戦争の時代/プロコフィエフ論/暗い一ページ/国境を越えて/さまざまなシルエット/鏡
音楽をめぐる手帳(1970~1995)
付録:音楽ドン・ファンのカタログの歌 ― 数字で見るリヒテル/演奏会/レパートリー
訳者あとがき
索引-巻末

ユーディナに対する記述を確認したいので、久しぶりに図書館から借りて再読。(いちいち借りるのは面倒なので、速く再販して欲しい)
先日読んだユーリー・ボリソフの『リヒテルは語る』に載っているリヒテルの言葉とは、かなり違ったトーン。
『リヒテルは語る』のなかで、「私の人生において、太陽のように崇めるピアニストは3人いた。ソフロニツキー、ネイガウス、そしてユージナだ!」と語っていたピアニストと同じ人の言葉だとは思えない。
一体リヒテルの真意はどちら? 少なくとも、最晩年のリヒテルは、ユージナに対しては非常にネガティブな感情を持っていたというのは確か。

マリア・ヴェニアミノヴナ・ユージナはと言えば、驚くべき人物でした。彼女のことは知っていましたけれど、親しくはありませんでした。というか、ひどく変わった人だったので誰もが避けていたと言うべきでしょう。ユージナのほうは私に対し、むしろ疑うような態度を見せ、批判的でした。こう言っていました。-
「リヒテル?ふん!ラフマニノフ向きのピアニストだわ。」
 彼女の口から発されると、これはけっしてほめ言葉ではありませんでした。ときに彼女自身ラフマニノフを弾くことがあったとしてもです。-----ユージナは晩年、つねに黒装束に身をつつんだクリュタイムネーストラさながらに丸々と太り、演奏会ではズック靴をはいていました。たいへんな才能で、同時代の音楽を宣伝する人でした。崇拝するストラヴィンスキーをはじめ、ヒンデミット、クシェネク、バルトークなどを弾きました。これらの作曲家がたんにソ連で知られていなかっただけでなく、ほとんど禁じられていた時代にです。それから、彼女がロマン派音楽を弾くときは印象的でした・・・・・。ただし楽譜どおりには弾きませんでした。リストの《泣き、そして嘆き》は驚異的でしたが、シューベルトの《変ロ長調ソナタ》-度肝を抜くような演奏でした-はありうべき演奏のまさに対極でしたし、ショパンの《第2ノクターン》はあまりに雄々しくて、ピアノというよりはトランペットの響きでした。もはやショパンやシューベルトというよりも、ユージナそのものでした。
 戦時中、彼女が他ならぬ《平均律クラヴィーア曲集》を弾いたコンサートはすばらしいものでした。第2巻の<前奏曲変ロ短調「観想的」>が、速いフォルティッシモでさっさと片付けられたとしてもです。終演後、私と同伴したネイガウスが祝辞を述べに楽屋に行きました。「マリア・ヴェニアミノヴナ、それにしても、どうして<前奏曲変ロ短調>をあんなに劇的に弾いたんです?」というネイガウスの質問に、
「今は戦争中ですから!!!」
 いかにもユージナらしかった。「今は戦争中だ」だからヨハン・セバスチャン・バッハのなかに絶対に戦争を入れなければならない、というのです。

 ユージナのコンサートを聴き終わると頭痛がしました。聴衆にそれほどの暴力をふるったのです。信じがたい暴力です。そもそも舞台に出てくる登場のしかたが変わっていました。雨のなかを歩いてでもいるような印象でした。それから、十字架の装身具を身につけ、弾きだす前に十字を切りました。別にそれがいけないという言うんじゃありませんが、あの時代のソ連では・・・・・。
 大勢の賛美者がいました。聴衆がほめそやしたのは彼女の強烈な芸術的個性のせいでしょうが、またおそらく宗教的感情をあらわに見せたためでもあるでしょう。私としては、彼女のふるまいはあまりに芝居がかっていて、その信心もいささかまがい物でこれ見よがしだと思いました。ユージナは公の場に登場する最後のころになると、パステルナークの詩句を読まずにはいられませんでした。かつて彼女の多くのコンサートが当局の命令で中止となり、以後も公的な場で弾きたいならむやみにその種の挑発を行わないと約束されられていたのですが、衝動を抑えきれずに朗読しました。その光景をなおさらおぞましいものにしたのは、・・・・彼女の歯がすっかり抜けていたことです。
 もちろん、彼女は貧民たちを世話し、自宅に引き取り、自分も浮浪者のような生活をしていました。常軌を逸した女性、つまり尋常ならざる芸術家です。ただ、いつも何かを考え出す欲求を感じていました。じつを言えば、彼女に好感を持ったことはほとんどありません。あの人は自分の気持ちに忠実であったのかもしれませんが、作曲家たちとの関係は誠実さを欠くように思われます。それでも私は彼女の葬儀で弾きました。ラフマニノフを・・・・・。



                          

以前読んだときはリヒテルに直接関係した伝記部分だけが記憶に残っていたのに、再読すると、師ネイガウス、同僚ピアニストやプロコフィエフの対する回想や批評の部分が面白い。
昔は録音をほとんど知らなかったユーディナとヴェデルニコフの演奏やプロコフィエフ作品でも、今は自分の持っている知識や聴いた録音を通して、興味を持って読めるし、リヒテルの言っていることも理解しやすい。

「序文」は、ミステリー小説?みたいに、リヒテルが最初から全然姿を現さず、秘書の言葉だけが登場する。
以前読んだときによく覚えていたのは、モスクワ音楽院を訪れたリヒテルの演奏を聴いたネイガウスが「天才だよ」と言ったエピソード、ギレリスが医療過誤が原因で急逝したこと、カラヤンの指揮で録音したベートーヴェンの三重協奏曲、ドイツ人の父親にまつわる話しなど。


「Ⅲゲンリヒ・ネイガウス」
主にモスクワ音楽院時代の回想。師ネイガウスと同僚ピアニストに対してリヒテルがどういう想いを抱いていたのかがよくわかる。
ネイガウスについては、終生尊敬・敬愛していた。ネイガウスも著書『ピアノ演奏芸術―ある教育者の手記』でリヒテルを高く評価していた。理想的な師弟関係だったに違いない。

 小さい手が彼の演奏の響きに不利に働くのではないかと心配する人がいたかもしれませんが、そんなことはまったくありませんでした。彼はすばらしい響きを持っていました。ピアノに向かって高く腰掛ける姿勢、あれはネイガウスから受けた教えです。彼の言うとおりでした。事実、すべてがこの姿勢にかかっています。
 ネイガウスの演奏にも、ときとして出来不出来がありました。教えることに時間をとられ、自分の練習に割ける時間が十分になかったからです、教育というのは、ひとりのピアニストを殺しかねないほど苛酷なものです。それに自分自身がありったけの時間を費やして学ばなけれならないものが尽きないときに、どうして他人に教えたりできるでしょう、
 ネイガウス自身は、私に教えることは何もないというのが口癖でしたが、彼から学んだものはたくさんあります。....ネイガウスは何よりも、沈黙を感じ取る感覚と歌の感覚を教えてくれました。
 弾きたいと思わないのに弾いた曲と言えば、ただひとつ、ベートーヴェンの《ソナタ変イ長調》作品110くらいなものです。音楽院の一年目にネイガウスから与えられた課題曲でした。「これをよけて通ってはならない。この曲のなかにはたまになるものがたくさん見つかるはずだよ」といいました。私としては気乗りしませんでした、末尾のフーガの前後にアイオーソを配したその曲は、ほとんど真情吐露が過ぎるように思われました。ほとんど下品で悪趣味に見えました。その後、かなり頻繁に作品110を弾いたのは演奏が比較的容易だからです。作品101とは大違いです。こちらはおそろしく難しい曲です。作品111以上ですし、危険さにかけては、《ハンマークラヴィーア・ソナタ》をしのぎます。(こんな断定は多くの人の耳には異説と響くでしょう。)
 とはいえ、作品110のレッスンを通じてネイガウスは、どうすれば歌うような響きがだせるか、私のあこがれるたっぷりと歌うような響きが出せるかを教えてくれました。そうした響きは、おそらく元来私のなかにあったものでしょうが、私の両の手の緊張をほぐし、肩の広げた方を教えることで、それを解き放ってくれたのです。歌劇場の練習ピアニスト時代のなごりの、あの硬直した響きが取り払われました。


Beethoven - Piano sonata n°31 op.110 - Richter Moscow 1965


 一年目に与えられたもうひとつの課題曲は、リストの《ソナタ》でした。この傑作がはらんでいるもっとも重要なもの、そしてネイガウスが教えてくれたものは、曲のなかに散在する沈黙です。どうすれば、そうした沈黙が響かせられるかということです。響かせられるかということです。要は曲の出だしです。この何ということもないソの音を、何か非常に特別なもののように響かせるにはどうすればよいか。

 私には、演劇的素養というものが、音楽のなかでとても大事なもののように思われます。不意打ちの感覚を誘発することが肝心なのです。
不意なもの、思いがけないもの、それこそが感銘を生みます。私がネイガウスのもとに見つけにきたもの、そして彼が開示してくれたものは、それでした。


一方、同僚ピアニストに対してはかなり手厳しい。
ギレリスについては、『リヒテルは語る』でも少し批判していたけれど、ここでは性格面にも触れていて、いささか言葉に棘がある。
実際、ギレリスがそういうパーソナリティの持ち主だったのかもしれないけど。

 エミール・ギレリスが、ネイガウスのクラスに通っていました。すべてを兼ね備えた音楽家で、すばらしいピアニストでした。プロコフィエフの《ソナタ第8番》を初演したのは彼です。私も会場にいましたが、ただただ人を瞠目させてやまない演奏でした。同じ作曲家の《ソナタ第3番》も彼の演奏ぶりがあまりに見事だったので、私は自分で弾くのをあきらめたほどです。大好きなソナタですが、ギレリスが弾くのを聴いたあとでは、自分はあれに何も付け加えることはできまい、と感じました。
 ギレリスとは一度だけ一緒に弾きました。戦時中のラジオ放送のための演奏で、サン=サーンスの《ベートーヴェンの主題による変奏曲》でした。
 はじめは友好的だったわれわれの関係は、いくぶん奇妙なものになりました。たしかにギレリスはとても偉大なピアニストでしたが、また気むずかしい人でもありました。とても怒りっぽく、手のつけられない性格の持ち主でした、何かというとすぐ仏頂面をしました。病的なほど嫉妬心が深く、それは彼自身にとっても不快なことでした。何しろ自分が不幸であるという意識を始終抱え込むことになったわけですから。
 ネイガウスに対して、ギレリスはおそろしくひどいふるまいをしました。ネイガウスの晩年に、むごいことをしたのです。彼は新聞にも、ネイガウス個人に宛てても、自分がかつてネイガウスの生徒であったことはない、と書きました。彼はそれを否認したのです。ネイガウスのほうは、ギレリスを敬っていました。ただ、とても率直に接し、もちろん、ときに批判することもありました。しかし、肯定的な批判のしかたでした。私を批判するときと同じです。感情を害しやすいギレリスは、どんな小さな批判にも耐えられませんでした。それだけで、彼にああした許しがたいふるまいをさせるには十分だったのです。モスクワでは、ギレリスがネイガウスの弟子であることは周知の事実でしたから、誰もが憤慨しました。私は、このことを知ったとき、ギレリスに挨拶しなくなりました。ネイガウスはとても傷つき、まもなく他界しました。
 彼を蝕んでいたたえまない嫉妬-何事に関しても私には無縁の感情です-あの嫉妬さえなければ、あれほど類まれな才能の持ち主ですから、幸福な芸術家たるに足りないものはなかったはずです。


Emil Gilels plays Prokofiev Piano Sonata No. 8 (Studio recording in Vienna, 1974)


Gilels - Prokofiev Sonata no. 3 in A minor (1959, London.)[Youtube]


全然覚えていなかったのは、ヴェデルニコフに関する部分。
当時読んだときは、ヴェデルニコフの名前も録音も聴いたことがなかったので、記憶に残らなかった。
ヴェデルニコフについても、ギレリス同様、手厳しい述懐。
ヴェデルニコフが”天邪鬼”だというのは、ソ連当局の方針に反して、現代の作品を演奏したために冷遇されていたので、そのとおりなのかも。
(音楽院時代の)ヴェデルニコフのピアノの音が美しくない...というのは、録音を聴いてもピアノの状態自体が良くないし、学生時代とは音色が変わっているかもしれない。


 しかしながら、ゲンリヒ・グスターヴォヴィチにおける私の親友は、一風変わった若者でした。アナトーリー・ヴェデルニコフです。私より5歳年少の彼は、神童でした。1937年に私がモスクワに来たとき彼は17歳で、すでにネイガウスのクラスにいて、見事な演奏をしていました。ヴェデルニコフと私はたちまち親しくなりました。私には住まいがなかったので、彼の家に泊めてもらうこともありました。いっしょに弾くのがとても楽しい、素晴らしいピアニストで、よく連弾しました。ヴェデルニコフとはまた録音もしました。しかし、特に1939年からは「学生サークル」ができまして、ヴェデルニコフと私がまとめ役でした。
 ヴェデルニコフのほうが(ワジム・グサコーフよりも)音楽家としておもしろく、彼はむしろ前衛派でした。何でも演奏できて、当時誰もあえてレパートリーに入れないような新しい作品を、たくさん蓄えていました。ストラヴィンスキーの《ソナタ》、ヒンデミットの《ルードゥス・トナリス》、ドビュッシーの《12の練習曲》(私の見るところ、彼の一番すばらしい演奏のひとつでした)、シェーンベルクの《協奏曲》などです。ただし-というのも彼の演奏には「ただし」の余地がつきまとい、ネイガウスはそれを矯正しようとひどく苦労しました-音が美しくありませんでした。彼はおそろしく依怙地で、からだ全体を使わないでもっぱら手だけで演奏しました。これについてネイガウスは、たえず彼と言い争っていました。しかし、音色にかけては誰よりも造詣の深いネイガウスの議論を、絶対に聞き入れませんでした。不幸にして、ヴェデルニコフはまた、かなりむずかしい性格をしていました。というか、コンプレックスに苛まれていたのです。天邪鬼で、いつも何かにつけて異を唱え、有無を言わせぬ口調で個人の神経を逆なでするのでした。ある理論をもっていて、それによると「芸術家主義」-それが彼の言い方でした-すなわち、芸術における個人性という意味ですが、それがオ音楽の邪魔をするというのです。ばかげていました。私の言いたいのは、何も、演奏家は自分を前面に押し出すべきだということではありません。自分を消し去るべきだということでもありません。むしろ作曲家を映す鏡たるべきなんです。作曲家のなかに具現されなければならないんです。しかもそのばかげた考えは、彼自身の演奏の仕方によってたちまち裏切られました。挑発的というよりは、依怙地なせいで、始終この種のことを説いて時間を過ごしていました。そしていつもまんまと人を激昂させるのです。
 彼にはもうひとつの理論があり、ピアノは打楽器以外の何ものでもなく、歌わせることはできない、ピアノ音は長く続かず、発されるとたちまち消滅する、というのでした。そうした説はすべて、きわめて疑わしいものでした。
 ---さすがに私もうんざりでした。はじめはとても仲が好かったのですが、いっしょに弾かなくなりました。そんなことをする気がなくなりました。


「Ⅷ さまざまなシルエット」
一緒に演奏した演奏家たちについて。言及されているのは、カラヤン、ロストロポーヴィチ、オイストラフ、クライバー、ブリテン、ムラヴィンスキー、ザンデルリンクなど。
名演と言われているベートーヴェンのトリプル・コンチェルト、チャイコフスキーのピアノ協奏曲、ドヴォルザークのピアノ協奏曲にまつわる話が載っている。
いずれもリヒテルにとっては不満足な出来だった。
チャイコフスキーについては、もともとカラヤンの伴奏がピアノを圧倒するように演奏しているので、リヒテルもそれに合わせていた。
2人の間に演奏解釈上大きな不協和があったわけではなく、ある箇所だけリヒテルの要望をカラヤンが無視して演奏したことをリヒテルは批判している。
それとは違って、トリプル・コンチェルトは、演奏解釈に関して、カラヤン&ロストロポーヴィチ VS リヒテル&オイストラフ、みたいな図式になってしまい、散々な録音風景。


「Ⅸ鏡」
リヒテルの演奏論、作曲家論・作品論。
日々の練習方法、リサイタルへ向けた演奏の仕上げ方、暗譜することについて。絶対音感が狂って音が高く(2音も3音も)聴こえるようになったこと。音楽幻聴が聴こえていたこと。

 慢性的な欝状態にかかったことが何度もあります。一番ひどかったのは1974年のものです。...それに幻聴が伴いました。4ヶ月も昼夜の区別なく、寝ているときですら悩まされました。激しいリズムを伴って駆け上がってゆく数小節のフレーズが、繰り返し聴こえるようになりました。減7度の和音にもとづくフレーズでした。幾晩も夜とおし起きていて、自分に聞こえているものはじつは聞こえているのではなく、聞こえているように思っているだけだと想像しようとしたり、その音域を見極めたりしました。そうした素朴な音やハーモニーをたえず同定し、修正しようとしました。...とうとうそれが、どちらかといえば慎ましいある作品のヴァリアントのようなものだということがわかりました。.初歩的なハーモニー進行に基づく、子供のころの私に不思議と大きな影響を及ぼした音楽でした。ラフマニノフの<ヴォカリーズ>です。無意識のうちに、それが私の初期の作曲のモデルになっていたのです。奇妙なことに、幻聴が日1日と消えていったのは、薬の処方の効果ではなく、薬を絶ったおかげでした。しかし、この現象は欝状態に陥るごとに再発しました。

ヒンデミットはおそらく、音楽における「ゲルマン性」の最後の巨匠です。それからマックス・レーガーも好きです。彼のそれぞれが作曲技法に関して一家をなしていますが、ヒンデミットにはそれに加えて、人が見過ごしているユーモアがあります。私にとっての傑作は、超人的な力強さをはらんだピアノ組曲《1922年》と、パリでナディア・ブーランジェが私に弾くように勧めた《ルードゥス・トナリス》です。音楽は驚異的です。

(演奏家の演奏が)楽譜が含んでいるものを映す鏡となるには、ただ良く眺めれば良いのです。
演奏家は音楽を支配するのではなく、音楽に溶け込まなくてはなりません。


<過去記事>
モンサンジョン著 『リヒテル』、モンサンジョン監督 『謎(エニグマ) ~ 甦るロシアの巨人』
ユーリー・ボリソフ 『リヒテルは語る 人とピアノ、芸術と夢』

tag : リヒテル ギレリス ヴェデルニコフ ネイガウス モンサンジョン 伝記・評論

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読み応えアリ。
こんばんは。
この本は私も図書館で借りて読んだクチです。なにしろ情報量が多いので、一回借りただけでは読み切れません。今は廃刊なのですね。
前半はすっ飛ばして、後半のエッセイ的なところ(いわゆるゴシップ)に注力して読みました。カラヤンやロストロとの確執とか、マゼールに対する同情とか。なので、今回書かれているところは初めて読んだ気がします。
再発売してほしいですね。
早く再販してほしい
芳野様、こんばんは。

伝記映画も見ましたが、本の方が情報量が圧倒的に多くて、読みごたえがありますね。
再読してみると、記憶に残っていないところが多かったせいもあって、前回よりずっと面白く読めました。

本の後半分に載っている演奏会・録音評日記も面白いですね。
ミケランジェリに対するネガティブな評価とか、ガヴリーロフやカガンには好意的なコメントが書かれていたり、公開されないことを前提に書いた日記なので、リヒテルの率直な気持ちがよくわかります。
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プロフィール

yoshimi

Author:yoshimi
<プロフィール>
クラシック音楽に本と絵・写真に囲まれて気ままに暮らす日々。

好きな作曲家:ベートーヴェン、ブラームス、バッハ、リスト。主に聴くのは、ピアノ独奏曲とピアノ協奏曲、ピアノの入った室内楽曲(ヴァイオリンソナタ、チェロソナタ、ピアノ三重奏曲など)。

好きなピアニスト:カッチェン、レーゼル、ハフ、コロリオフ、フィオレンティーノ、パーチェ、デュシャーブル、アラウ

好きなヴァイオリニスト:F.P.ツィンマーマン、スーク

好きなジャズピアニスト:バイラーク、若かりし頃の大西順子、メルドー(ソロのみ)、エヴァンス

好きな作家;太宰治、菊池寛、芥川龍之介、吉村昭、ハルバースタム、アーサー・ヘイリー
好きな画家;クリムト、オキーフ、池田遙邨、有元利夫
好きな写真家:アーウィット

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