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リヒテルの「プロコフィエフ論」 (モンサンジョン『リヒテル』より)
ブルーノ・モンサンジョン監督による伝記『リヒテル』
伝記映画も製作されている。『エニグマ~甦るロシアの巨人』というタイトルで、最晩年のリヒテル自らが回想している。
そのなかで、唯一、まるまる一章割いて取り上げられている作曲家がプロコフィエフ。

リヒテルリヒテル
(2000/09)
ブリューノ モンサンジョン

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「Ⅴプロコフィエフ論」

私のなかでプロコフィエフの名を思い出させるものは、何よりもまず《三つのオレンジへの恋》のなかの<行進曲>である。当時誰もが弾き、誰からも愛された新曲である。1927年、12歳のとき、父に連れられたプロコフィエフが音楽インの大ホールで開くコンサート。
ほとんどペダルを使わない、実に完璧な演奏ぶりに驚いたことを覚えている。プロコフィエフは自作の小品をいくつも弾いたが、それぞれが巧みに構成されたコース料理の、美味で、並外れて洗練された一品のように思われた。それは私には、全く耳慣れない、それまで聴いていたものとは異なる音楽に聞こえた。
 プロコフィエフその人については何も知らなかった。彼の流行は終わり、忘れ去られたかに見えた。


1937年、モスクワ音楽院にやって来たリヒテルは、ゲンリヒ・ネイガウスの目前で数曲演奏し、その天才に驚いたネイガウスは即座に音楽院入学を許可した。

ある晴れた日、アルバート通りを歩いていた折に、奇妙な人物を見かけた。何か挑発的な力を秘めた人物だった。幽霊のように私のそばを通り過ぎたその井出達は、明るい黄色の靴、碁盤縞の上着、オレンジがかった赤のネクタイ、といったものだった。思わず振り返って、跡を追わざるをえなかった。それがプロコフィエフだった。それ以後、いつ何時彼に出くわすかわからなくなった。毎日でも起こりかねないことだった。私はネイガウス宅に世話になっていたのだが、ネイガウスとプロコフィエフは同じ建物に住んでいたからだ。
プロコフィエフの音楽に対して、私はさしあたり、かなり慎重な見解を持っていた。聴くときにはいつも興味を持って聴いたが、受身の態度だった。私の音楽的感覚がロマン派音楽に培われてきたことが障害になっていた、私にとって音楽における新しい叫びは、せいぜいリヒャルト・シュトラウどまりだった。
1938年に思いがけず、発表されたばかりのプロコフィエフのチェロ協奏曲を、チェリストのベレゾフスキーの伴奏者として、試聴のために勉強してみないかという提案を受けた。自作協奏曲を聞かせるために、プロコフィエフ宅を訪れた。プロコフィエフはベレゾフスキーに注意を与え始めた。彼の要求するものが自分の見解と合っているので、私は満足だった。

人に愛される作品、それを通してプロコフィエフその人も愛されるような作品といえば、私にとっては《ヴァイオリン協奏曲第1番》であった。音楽が好きな人なら、この曲の魅力にとりこにならずにはいられまい。この曲が与える印象は、春になってはじめて窓を開くと、いきなり通りのざわめきが飛び込んでくるときの印象にたとえることができる。それからというもの、プロコフィエフの新作を知るたびに、並外れた高揚と欲求のなかに身を置くことになる。

ヴァイオリン協奏曲に魅了された私は、何としても自分でプロコフィエフの曲を弾かねばならないと心に決めた。自分が第2ソナタを弾いている夢さえ見た。弾いてみると、夢で見たのとはまるで別物であることがわかった。私の気に入りの1曲になるには程遠かった。

最も驚異的な印象のひとつは、1939年のものだ。作曲家自身が第3交響曲を指揮したのだが、私はそれまでの人生で、音楽を聴きながらそれに匹敵する体験をしたことはなかった。まるで世界の終わりのようだった。
オペラ《セミョーン・コトコ》の初演は、私にとって相当に画期的なことだった。プロコフフィエフがまさしく私を「征服した」できごとのひとつであった。
同じころ、映画《アレクサンドル・ネフスキー》を観たが、とくに覚えているのは音楽である。映画音楽からそのような感銘を受けたことはなかった。今も忘れはしない。
第5協奏曲以降、プロコフィエフは革新的でありながら誰にでもわかる様式を編み出した。《セミョーン・コトコ》は、私の考えでは、まさにそのような作品に属する。しかもそれは、プロコフィエフの作品のなかで最も豊かで最も完成度の高いもののひとつであり、まちがいなくソヴィエト最良のオペラである。
はじめて《セミョーン・コトコ》を聴いた晩、私はプロコフィエフが偉大な作曲家であることを知った。



第6ソナタ
様式の類まれな明快さと、この音楽の構造的完成は、私の度肝を抜いた。それに類したものをかつて聴いたことがなかった。この曲で作曲家は、ロマン主義のもろもろの理想を蛮勇をもって打ち砕き、みずからの音楽のなかに20世紀のおそるべき脈動を取り込んでいた。ごつごつした部分を多々含んでいるにもかかわらず、古典的手法で構築され、均衡のとれたプロコフィエフの第6ソナタは一種の記念碑である。非常に大きな喜びを感じながらこのソナタを習得した。

第6ソナタの公開初演は、ネイガウス自身のリサイタルで、後半に登場したリヒテルがプロコフィエフ作品をいくつか弾いた時。

Prokofiev - Piano sonata n°6 - Richter Locarno 1966



第5協奏曲
プロコフィエフ「ひょっとすると、この青年に私の第5協奏曲を弾いてもらえるかもしれないね。何しろあれは失敗作で、どこでやってもうまく行かない。しかし彼が弾けば、あるいは聴衆に気に入られるかもしれない。」

第5協奏曲はしらなかったが、この提言にはすぐさま興味をそそられた。楽譜を手にしてみても、当初はあまり好きになれなかった。それにネイガウスがかなり慎重だった。むしろ第3番を弾きなさいという助言だった。事実、第5番は評判が悪かった。そこで、すでに何度も聴いたことのあった第3番の楽譜を調べてみた。作曲家自身の録音があり、それが録音として最良とみなされていたが、どういうわけか私は余り惹かれなかった。もう一度よく眺め、再考してみたーこれじゃない、弾きたいのは第5番だ。プロコフィエフ自身の依頼でもあるのだから、第5番を弾く運命なのだ。
私は正確に、きちんと、弾いた。しかし、上がっていたので、演奏からどんなわずかな喜びも感じた記憶もない。いつもとは違い、第一楽章のあとで拍手がなかった。誰も、何もわかっていないという印象をもった。
それでも協奏曲は大成功だった。私は幸福だった。同時に、不満な思いと、演奏前から感じていたおそるべき興奮(第5協奏曲をお弾きになればおわかりになるだろう)の揺り返しとが残った。また、この曲を再演することは今後長くはあるまうという漠とした予感が残った。事実、そのあと18年近く弾かないのだ。


Prokofiev - Piano concerto n°5 - Richter / Rowicki



第7ソナタ
1943年のはじめに第7ソナタの楽譜を受け取って大いに興奮し、4日間で習得した。ソヴィエト音楽ばかりのコンサートが準備されていて、プロコフィエフは私が彼の新しいソナタを弾くことを望んだ。
聴衆は、彼らが内奥で生きつつあるものを正確に映し出す作品のもつ情動的かつ精神的な息吹を、このうえなく強烈に感じていた(同じ時期、ショスタコーヴィチの第7交響曲も同じように受け取られた)。
 このソナタは、均衡を失いつつある世界の不吉な雰囲気のなかに、われわれを荒々しく投げ入れる。混沌と未知が支配する。人間は危険な力の爆発を目のあたりにする。それにもかかわらず、人間が生きるためのよりどころとなするものは存続する。彼は、ものごとを強く感じ取ること、愛することを止めない。いっさいのものごとが、いまや彼にとって充足の対象となる。同胞と力を合わせて抗議し、万人に襲いかかる不幸を分かちもつ。打ち勝つ意志に力づけられ、行く手に立ちはだかるすべてを払いのける。大規模な闘争のなかから、抑えがたい生命力を確認させてくれる支えを汲み取る。



Sviatoslav Richter - Prokofiev - Piano Sonata No. 7 in B flat major, Op. 83



第8ソナタ
プロコフィエフが1944年に初演。プロコフィエフは2度続けて弾いたが、それがまったく桁はずれな作品であることを納得するには、一度聴けば十分だった。しかし、私自身それを弾いてみる気はあるかと訊ねられると、答えに詰まった。
それは、プロコフィエフのすべてのソナタのなかで、最も豊かなものだ。並はずれて複雑で深遠な、際立った生命を蔵していた。まるで時間の仮借ない流れに身を任すかのように、音楽が萎えてしまうかに見える瞬間もあった。このソナタは、ときには近寄りがたいが、それは果実の重みにたわむ樹木のように、その豊かさゆえなのだ。
 以来、第4ソナタ、第9ソナタとともに、これは私の好きなソナタである。音楽院大ホールでのリサイタルで、ギレリスはこれを見事に弾いた。


Prokofiev - Piano sonata n°8 - Richter 1961 London live



Sviatoslav Richter - Prokofiev - Piano Sonata No 4 in C minor, Op 29



第9ソナタ
プロコフィエフは自分の誕生日に、ニコリナ・ゴナにある別荘に私を初めて招いてくれた。
いきない「君にあげるおもしろいものがあるんだ」と言い、第9ソナタの素描を見せた。「君のソナタになるのだよ...。大向こう受けするなんてことはくれぐれも考えないでくれたまえ。音楽院の大ホールを拍手の嵐でぐらつかせるような音楽ではないんだ。」
そして実際、最初眺めたときには、少し間の抜けたささいな作品に見えた。少々失望さえした。


第9番は、リヒテルに献呈されたソナタ。
旋律は和声はプロコフィエフそのものだけれど、今までのソナタとは全く作風が異なる。

Sviatoslav Richter plays Prokofiev Sonata No. 9, Op. 103

tag : プロコフィエフ リヒテル 伝記・評論

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はじめまして。いつも読ませていただいております。音楽や調理器具のレポートがとても参考になります。今回ご紹介いただいているリヒテルの本は、もう絶版なのですね。アマゾンで見たら、中古でかなりのお値段がついていました。yoshimiさんがご紹介している本は何冊か購入し読みました。これからもブログ、読ませていただきます。
 
Sarah様、はじめまして。
いつもお読み下さって、ありがとうございます。
多少なりともご参考になっているようで、とても嬉しく思います。

「リヒテル」はリヒテルへのインタビューと日記を元にした大部な本だけあって、内容も充実して読み応えがありますね。
クラシックの専門書は高額で印刷部数も少ないのか、絶版になっているものが多いですね。
最近は、ショーンバーグの「ピアノ音楽の巨匠たち」も新訳で再発売されたり、「リヒテルは語る」が文庫化されたりしていますから、「リヒテル」も再販か文庫化して欲しいと思っています。
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yoshimi

Author:yoshimi
<プロフィール>
クラシック音楽に本と絵・写真に囲まれて気ままに暮らす日々。

好きな作曲家:ベートーヴェン、ブラームス、バッハ、リスト。主に聴くのは、ピアノ独奏曲とピアノ協奏曲、ピアノの入った室内楽曲(ヴァイオリンソナタ、チェロソナタ、ピアノ三重奏曲など)。

好きなピアニスト:カッチェン、レーゼル、ハフ、コロリオフ、フィオレンティーノ、パーチェ、デュシャーブル、アラウ

好きなヴァイオリニスト:F.P.ツィンマーマン、スーク

好きなジャズピアニスト:バイラーク、若かりし頃の大西順子、メルドー(ソロのみ)、エヴァンス

好きな作家;太宰治、菊池寛、芥川龍之介、吉村昭、ハルバースタム、アーサー・ヘイリー
好きな画家;クリムト、オキーフ、池田遙邨、有元利夫
好きな写真家:アーウィット

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