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吉村昭 『羆嵐』
日本獣害史上最大の惨事と言われるのが、北海道苫前の三毛別六線沢村で羆により村民殺傷された「三毛別羆事件」。
この事件を小説にしたのが、吉村昭の『羆嵐』。

Copland: Old American Songs羆嵐 (新潮文庫)                      
(1982/11/2)
吉村 昭



「三毛別羆事件」では、大正期に役所の勧告に従って、北海道の山間部にある六線沢村に入植した人々が羆に襲われ、10人が死傷(死亡者は7人)した。
三毛別羆事件(Wikipedia)

本土の熊と北海道の羆(ヒグマ)は、同じクマといっても、全く異なる動物。
木の実を主食とする穏やかな性格の本土の熊とはちがって、北海道の羆は肉食動物。牛・豚・鶏だけでなく、人間も羆にとっては単なる餌に過ぎない。
羆が出没する地域だとは知らずに入植した村民たちは、羆の恐ろしさを知らない。
冬眠する穴を見つけ損なったらしき羆が、餌を求めてある日突然民家を襲い、家の中にいた子供を殺し、その母親をさらって山中へ姿を消した。
その母親をほとんど跡形もなく食いつくした羆は、味をしめて、女を目当てに村中の家に順に押し入っては、獲物の女を探し回る。男は殺すだけで、決して食べない。
羆を恐れて無人になった村に見切りをつけて、羆が餌を求めて下流へと下っていくと予想されるため、その途上にある村々でも、村民たちがより下流の村へと慌てて逃げ出していく。

村人たちの恐怖感、(意外にも)賢い巨体の熊の獰猛さと俊敏さ、熊退治に乗り出した200人あまりの近隣の村民たちの無力さ、熊が骨を噛み砕いて人間を食い荒らしていく様子とか、リアルにその情景が思い浮かんでくる。
特に、人間を食っている様子は、直接的な描写をするのではなくて、羆が骨を砕く音が村人に聞こえたり、目撃した少年の話だったりして、間接的に描いているのだけど、それだけでも十分凄まじい....。
凄惨な状況と緊迫感が文字面から伝わってきて、読んでいるだけでも、その場面が目に浮かんできたりするので、だんだん気分が悪くなってくる。

そこに村人たちが期待をかけるのが、鬼鹿村の猟師「銀四郎」。「銀オヤジ」とも言われている。
羆を何頭も仕留めてきた凄腕の”熊撃ち”(猟師)なのに、乱暴者で酒乱で暴力沙汰は数知れず。近隣の村人たちからは忌み嫌われている。
しかし、警察署長と200人近く集まった救援隊(討伐隊)の男たちは何の役にも立たないので、日頃の嫌悪感は棚上げにして、三毛別を預かる区長は銀四郎に羆狩りを頼む。
羆狩りの最中の銀四郎は、酒を飲んでいるときとは(まるでジキルとハイドの如く)別人のようになる。

村民も救援隊の男たちも熊の影に怯えて足を踏み入れたがらない六線沢村に、案内役の区長と共に平然と向かう銀四郎。
銀四郎と2人だけで羆に荒らされた村中の家々の状況を調べていた区長は、それまで退治してきたのとは違う異質な羆だとわかった銀四郎の顔に、恐怖が色濃くうかんでいるのに気が付く。

羆に襲われた家に「囮」(餌)として残された遺体のなかで、女だけを羆は食い散らし、まだまだ食い足りないので女体を求めて村中の家を荒らし回し、女の匂いのする衣類や寝具を漁り、引き裂いて、大暴れ。
はては、女の持ち物だった湯たんぽ用の石までかじっていた。
人気のない村中を徘徊する羆の行動を調べることは、銀四郎以外には誰にもできなかったため、区長も村人たちも銀四郎を頼りにするようになる。

農家で休息する銀四郎に丼に入れた焼酎を持っていった区長は、銀四郎がほとんど酒を残したことが意外だった。

 「この男は本物のクマ撃ちなのだ、と彼は思った。銀四郎が酒を飲み争いを好むのは猟期以外のことで、山中で羆を追う間は酒を口にすることもないのだろう。かれは、神経が酒によって麻痺し猟の障害になることをおそれているにちがいなかった。
 かれは、妻に逃げられ、子供にも去られた寂寥をいやすように、酒を飲むこともせず羆を追って山中を歩きまわるのだろう。」


羆の性癖や行動パターンを熟知している銀四郎は、冷静で的確な状況判断で、羆を追い、背筋を伸ばした安定した姿勢で銃を構えて、2発の弾丸で心臓と頭の急所を撃ち抜き、見事に仕留める。

仕留められた熊は、解体され、骨と内臓は廃棄。商人が買い取る毛皮、高価な肝、肉が残された。
地域の仕来りでは、羆に襲われた村では、その羆の肉を食べることが死者の供養になるという。
入植者だった村民たちはその仕来りを知らず、女を食い殺した羆の肉を食べることなどできないと言う。
それが仕来りだと言う銀四郎の強い言葉で、区長は羆の肉を食おうと決め、大鍋で羆の肉を茹でる。
最初は嫌がった村人たちも、滅多に口にすることができない肉の匂いに食欲を刺激され、箸も進み、どんどん肉を食べていく。その姿は、まるで儀式のようにだった。

羆狩りが終わり、羆と対峙する恐ろしさから解放された銀四郎は、いつものように、酒を飲むと癇癪を爆発させて傍若無人な彼に戻り、村人に金を要求する。

「区長は羆を仕とめた折にふりむいた銀四郎の顔を思い起こしていた。その顔には血の気がなく、区長は初めて羆撃ちの名手といわれているかれが、死の恐怖とたたかいながら熊と対したことを知った。(略)
 銀四郎は、自分の体が熊の爪で引き裂かれ骨をくだかれて食い尽くされる恐怖にさらされながら、照準を定め引き金を引いたにちがいない。羆はかれの死を賭した行為によって仕とめられたものであり、それに対して報酬をあたえ、感謝の意をしめすべきであった。」


結局、羆の肝(仕留めた人間がもらう仕来り)と、貧しい六線沢村民たちと区長が差し出した謝礼の50円と、一升瓶の焼酎を手にして、銀四郎は酒を飲みながら鬼鹿村へ帰っていく。
(それに、銀四郎に羆退治を頼んだとき、彼の銃は50円の借金と引き換えに質として鬼鹿村の村長に差し出されていたので、それを知った区長が銃を引き出すために50円を出し、派遣された村人が村長に渡している)

事実描写主体の客観的・即物的な文体が、ごつごつとした岩のような固さと無機的で暗い雰囲気をかもし出し、実際の事件の凄まじさを厳然と浮かび上がらせて、下手なホラー小説を読むよりもずっと恐ろしい。


<関連書籍>
『慟哭の谷 北海道三毛別・史上最悪のヒグマ襲撃事件』 (文春文庫)

tag : 吉村昭

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ホラー小説の様
yoshimiさんの記事を拝見しただけでも、十分に怖いのですが、怖いもの見たさに読んでみようか検討中です。実際近くにクマ出没するし、夢にでてきそうでやめておいたほうがいいかもしれません。(さすがにヒグマではありませんが)
男性は殺すだけで、女体だけ食べるなんて、変質者的なところがまた気持ち悪い。日本の田舎の暗さも、生々しく表現されているのでは?
そんなに怖がらなくても大丈夫
passoさん、こんにちは。

ホラー小説みたいなシーンはほんの一部ですし、露骨な描写もほとんどないので、それほど心配しなくても良いと思います。
そのシーンを想像すれば気持ち悪いですけど、何度も読んでいたら慣れました。

後半に「銀四郎」が登場してからは、ハードボイルド小説みたいで面白いです。
特に、区長と銀四郎の人物造詣がいいですね。


「田舎の暗さ」というよりも、北海道の山間部の厳しい自然と村の貧しさが伝わってきます。
全体的に、吉村さんの文体は抑制が効いて、客観的というか、淡々としていますから、リアルな描写でも、感覚的に”生々しい”という感じはあまりしないです。

羆にとっては、単に餌として、女体がとっても美味しかったのでしょうね。
人間も、牛・馬・豚・鶏はもちろん、美味しいからといって、可愛らしいウサギ、小さな仔羊に仔ヤギまで、何でも食べてますから、羆に劣らず貪欲な生き物だと思いました。
お久し振りです。

「三陸海岸大津波」と「関東大震災」を読んで、吉村昭の面白さを再確認し、次はこの本!と決めているのですが、怖くて手が出せません(笑)。

 
くま様、こんにちは。

吉村昭、面白いですよね!
一冊読むと、他の本も読まずにはいられなくなります。
震災物は読んでいないのですが、ノンフィクションとエッセイはほとんど読みました。
特に隠れた偉人の伝記と漂流物が好きです。
この暑い夏には、リアルで怖くて肌寒くなる?「羆嵐」がおすすめです。

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クラシック音楽に本と絵・写真に囲まれて気ままに暮らす日々。

好きな作曲家:ベートーヴェン、ブラームス、バッハ、リスト。主に聴くのは、ピアノ独奏曲とピアノ協奏曲、ピアノの入った室内楽曲(ヴァイオリンソナタ、チェロソナタ、ピアノ三重奏曲など)。

好きなピアニスト:カッチェン、レーゼル、ハフ、コロリオフ、フィオレンティーノ、パーチェ、デュシャーブル、アラウ

好きなヴァイオリニスト:F.P.ツィンマーマン、スーク

好きなジャズピアニスト:バイラーク、若かりし頃の大西順子、メルドー(ソロのみ)、エヴァンス

好きな作家;太宰治、菊池寛、芥川龍之介、吉村昭、ハルバースタム、アーサー・ヘイリー
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好きな写真家:アーウィット

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