2016_02
18
(Thu)20:00

ポゴレリチ ~ ショパン/ノクターン第13番、ピアノ・ソナタ第2番(2012年パリ・リサイタルより) 

エッシェンバッハの若い頃の録音は陰鬱で寂寥感に満ちているけれど、最近のポゴレリチの演奏もそれに劣らないくらいに重苦しく暗い。
端正で繊細で寂寥感漂うエッシェンバッハの演奏とは違い、ポゴレリチは非常に遅いテンポをとって内面に沈潜して行くような時もあれば、感情が激流のように噴出するような時もある。
以前に聴いたポゴレリチの軽快なスカルラッティや表情豊かで面白いシューマンのトッカータとは違って、2012年のパリ・リサイタルで聴いたショパンはまるで別人が弾いているような気がする。

深い悲哀が漂うノクターンは痛々しく、心の奥底から音を絞り出して、苦悩の満ちた内面を吐露するような演奏は、若いエッシェンバッハと同じく、心が深く傷ついた人にしか弾けない。
ピアノ・ソナタ第2番はあまり聴かないので、オーソドックスな演奏とどれだけ違っているかはよくわからないけれど、弱音部には安息感ではなく寂寥感が漂い、強奏時の激しい打鍵とひび割れそうな響きには荒々しい内面の感情がぶつけられているかのように感じる。
表現的に主情的とか情緒過剰というのではなく、内面に突き刺さっている辛さや哀しさが生々しく伝わってくる。
でも、葬送行進曲の変ニ長調のトリオは、幸福な日々を回想するかのような懐かしさが篭り、心の傷を癒すように優しい。

もしかしたら、聴衆に聴かせるためではなくて、自分のためだけに弾いているのかもしれない。
こんな壮絶さを感じさせるような演奏を息を詰めて聴いている自分に気が付いた。
ロマンティックで口当たりの良いショパンとは違って、決して聴き心地の良い音楽ではないけれど、好みとか演奏解釈などということを超えて、心を強く揺さぶられるものがある。

Pogorelich live in Paris 2012 Chopin Nocturne op. 48 n°1


Pogorelich Chopin Sonata n°2 live in Paris 2012 (excellent sound)



なぜポゴレリチがこんなピアノを弾くようになったのかについては、↓の記事を読むとよくわかる。
ポゴレリチの身に起こった出来事と最近の演奏を考えれば、この解釈はかなり核心をついていると私には思えてくる。

ポゴレリチに関する雑感[Voyage to Art]
イーヴォ・ポゴレリチ ピアノリサイタル(2015年2月) [Photos from London]

[追記 2016.2.21]
ポゴレリチの妻だった14歳年上の師アリス・ケジュラッゼは、ポゴレリチと結婚する前は学者(または外交官?)の夫と8歳の息子がいる人妻だった。
そんなことをものともせず、青年ポゴレリチは彼女に何度断られても、しつこく求婚し続けた。
そして、ついにケジュラッゼは弟子の求愛を受け入れて、夫と離婚してポゴレリチと子連れ結婚したという。
ポゴレリチの感情と情熱は、自分自身を飲み込んで食い尽くしてしまうほどに、深く激しく強大なのだと思う。
それは、師との結婚により音楽と人生両方のパートナーを得るという無上の幸福をもたらしたけれど、やがて師も妻も失った彼を深い絶望へと突き落としてしまった。

2 Comments

かかど  

こんにちは。

ポゴレリッチは新譜が出なくなって久しいですが、現在の演奏を聴くと理由はよく分かりますね。現在の彼のピアノからは、哀しみ、絶望、虚無しか感じられません。再婚相手の女性ともすぐ別れてしまったようですし、亡き奥様の存在は、それだけ彼の中で大きな存在なのでしょうね。

現在の演奏はアファナシエフにも通じるものを感じますが、アファナシエフの場合はインテリの自己演出というか、悪く言えば作為的なものが感じられるのに対し、ポゴレリッチの場合はこのようなピアノしか弾けない、弾く気はないという確固たる意思を感じます。まるで心の叫びをピアノで奏でているようですね。そして、ピアノを弾くことによって辛うじて正気にとどまっているような、そんな印象も受けます。

彼の1980年代のライブ映像はたまに観るのですが、戦慄的なまでの超絶テクニックですね。スタジオ録音も凄いですが、ライブはその上を行っています。それだけに、現在の変貌ぶりは悲しいですが。技巧派タイプのピアニストは、年を取るとダメになるケースが多いですね。ワイセンベルク、ポリーニ、ベロフ、ガヴリーロフなど。ベロフとガヴリーロフは、ポゴレリッチ同様私生活で色々あったようですが。個人的には好きなピアニストばかりなので悲しいです。アムランやルガンスキーも、その点ちょっと危うさを感じます。

現在のポゴレリッチにはショパンやリストなどの技巧的な曲だけでなく、もっと別の作曲家の曲も弾いてほしい気はしますが、彼ももう50代後半ですし、新規レパートリーを開拓するのは酷かな、とも思います。

2016/02/18 (Thu) 20:57 | REPLY |   

yoshimi  

 

かかど様、こんばんは。

アファナシエフの演奏については、テンポと表現に内面から湧き出る必然性を感じないので、同感です。
たぶん私には理解しにくいピアニストなのでしょう。
エッシェンバッハとポゴレリチの演奏には、そういう必然性を感じますので、その情感も極めて生々しく感じます。

若い頃のポゴレリチの録音はいくつか聴きました。
面白く聴ける曲もありますが、特に好きなピアニストというわけではないですね。
特に、ノンレガート的なタッチは私の好みとは違いました。
なので、私には今の彼の演奏の方に惹き付けられます。

技巧派タイプのピアニストの衰えが激しいのは、若い頃に筋肉にかなり無理をかけるからでしょう。
筋力や反射神経など運動神経が衰えるのは、自然の摂理ですから、仕方ないですね。
ピアニストでもその辺のことはわかっていて、芸風を変えたり、表現力で聴かせられるレパートリーを開拓したりしていますから、ファンであれば、それを受け入れて聴き続けて行くしかないでしょう。
今のガヴリーロフが弾くバッハは、嵐が去った後の穏やかさというか、憑き物が落ちたみたいで、若い頃のバッハと同じくらいに私は好きです。

これからのポゴレリチで聴きたい曲を上げるとすれば、やはりバッハでしょうか。
晩年になって、バッハやモーツァルトへ回帰するピアニストは少なくありませんし。
若い頃のバッハはクリスピーなノンレガート奏法で軽快すぎて好みではありませんが、それとは違った演奏になるように思います。

2016/02/18 (Thu) 22:02 | EDIT | REPLY |   

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