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奥泉 光 『シューマンの指』
シューマンの伝記をamazonで探していて見つけたのは、『シューマンの指』という小説。
この本の題名だけは知っていたけれど、今までシューマンの音楽(とミステリー)に興味がなかったのであらすじも全く知らず。
著者はクラシックやジャズ音楽を聴いてきた人で、特にシューマンの愛好家。著者の知人であるピアニスト椎野伸一氏が助言している。

シューマンの楽曲解説や演奏に関する記述がやたらに多いというレビューに興味を惹かれて、早速読んでみた。
小説は、主人公である里橋優が過去を振り返って書かれた手記という形式。高校から大学入学にかけて、シューマンの音楽を巡って、彼と同年代の天才ピアニスト「長嶺修人」との交友が語られている。小説には女子高生の殺人事件と謎解きも入っているので、一応ミステリー小説の類なのだとは思う。
シューマンのピアノ作品に関する解説(解釈)にかなりに頁を割いているので、私はミステリー小説というよりもシューマンの音楽論として読めた。昔からシューマンを敬遠していた私にとっては、シューマンへのガイド本としてぴったり。

もともとミステリーの部分は興味がなかったので、その部分は深読みしていなかった。
冒頭の手紙で、「修人」の切断された指が復元されたのは驚異的移植手術か何かであって、これは医学ミステリー?とか最初は思ったけど、全然違っていた。
フィクションの中のフィクションみたいな入れ子構造で、最初の「結末」をさらにどんでん返ししているので、私には全く予想できなかった結末。
シューマンの人生と音楽に相通じる点は、主人公(里橋優と「修人」)の人物像と小説の構造そのもの。どちらも小説のコアになる部分なので、そういう意味では、主題となりえるのはブラームスでもベートーヴェンでもなくて、シューマンとその音楽でしかありえない。

シューマンの指 (講談社文庫)シューマンの指 (講談社文庫)
(2012/10/16)
奥泉 光



小説で紹介(演奏していない曲も含めて)されている曲を収録した6枚組。少しだけ解説付きで紹介されていても、CDに収録されていない曲もある。
<収録曲・演奏者リスト>を見ると、SONYの保有音源を使ったコンピレーションアルバムなので、私の持っている音源と違う曲がほとんど。好きな演奏家の録音もほとんどないく、こういうコンピレーションは一度聴くだけに終わる曲も多いので購入せず。

シューマンの指 音楽集シューマンの指 音楽集
(2011/5/18)

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<関連情報>
“シューマン愛”がほとばしる長篇ミステリー。奥泉光『シューマンの指』[YAMAHA/Web音遊人]

著者インタビュー/『シューマンの指』奥泉 光[PRESIDENT Online]

『シューマンの指』を読んで(H. Sekiguchi)[J]/関口裕昭(明治大学)[日本独文学会ホームページ]
関口教授も「シューマンはどうしても克服できない「苦手科目」だった。その世界がどこかしら異質で、感情移入することができなかった。」。これは私も同じだった。
シューマン・アレルギーの原因の一つが友人のシューマンマニアで、「長嶺修人」にそっくり...というのには笑ってしまった。

たしかにシューマンは(ショパンに比べると)入るのが難しいところがあると思うけど、一度上手く入れたら結構はまりそう。(私もはまりかけているような気がする...)
少なくとも、フィオレンティーノの《幻想曲》と《謝肉祭》を聴いてから、シューマンへの苦手意識がすっかり無くなったし、どうも合わないと思っていたショパン、シューベルト、シューマンのなかでは、一番共鳴するものを感じるのはシューマンの音楽。
まだ聴いていない作品がたくさんあるシューマンは”未開拓”の作曲家に近いので、当分はシューマンの音楽めぐりになりそう。

【以下の文章には小説の結末などを書いています。未読の方は読まない方がいいです。】

最初読んだときは、殺人事件というミステリーには違和感を感じた。
シューマンの音楽と演奏に関する記述は細かくて専門性と格調を感じさせるものがあったのに、殺人事件の動機が下世話?でとってつけたように唐突に感じる。
でも、結末を知ってしまえば、私がミステリー(謎)だと思うのは、殺人事件ではなくて、現実と妄想が混在している里橋優の精神世界。殺人事件はその世界の謎を解きほぐすための仕掛けのように思える。
読み返していると、里橋優の記憶が妄想であって、本当の事実を解き明かす鍵が文章の中に散りばめられている。

「修人」が、里橋優の生み出した妄想だとわかった時に思い出したのが、数学者ジョン・ナッシュの伝記映画『ビューティフル・マインド』。
(成人後統合失調症を発症した)ナッシュの子供時代の親友というのは、妄想上の(ナッシュにとっては実在の)友達だった。
「修人」は、里橋優のもう一つの人格で、理想とするピアニストを体現した存在。
手記には、虚構と現実との境界が溶けたような、現実感が希薄で夢のなかの出来事のような雰囲気も漂っている。
それに、高校/大学時代に起きた2人の女子学生の殺人(1つは自殺に見せかけている)に関する記憶や自覚が里橋優にないのは、夢遊病的にも思えてくる。
ただし、殺人事件の現場にいなかった(はず)なのに、殺人現場にいた被害者の言葉がなぜか耳に残っていたり、死体が浴槽に浮かぶ姿がリアルに思い浮かび生々しい肉感も掌に残っている気がするという。
こういう記憶があるのに、視覚的な記憶が欠落していたり、それを贋の記憶だと片づけてしまうので、殺人行為の認識が全くない。

シューマンとその音瀑との共通点はいろいろな形で見えてくる。
シューマンは指の故障でピアニストとなることを断念し、「修人」は指の切断で演奏の表舞台から消えていく。
「修人」は音楽が単なる音の羅列としか聞こえなくなって、徐々にピアノを弾けない状態になっていく。
この症状は、「失音楽症」かもしれない。実際に症例としても報告されている神経障害で、オリヴァーサックス『音楽嗜好症』の第8章「ばらばらの世界-失音楽症と不調和」のなかでも出てくる。

この症状とは逆に、シューマンの伝記をよむと、精神状態が悪化しつつあるときに、どんな音も音楽に聞こえてしまう幻聴が聴こえていた。
これは「音楽幻聴」だと思う。↑の『音楽嗜好症』にも症例が載っている。
数年前に調べたときでは、「音楽幻聴」が聴こえるメカニズムは解明されていない。少なくとも原因の一つは精神疾患。(ただし、精神状態は正常であっても「音楽幻聴」が聴こえることは多い)

「修人」にとってシューマンの音楽は「一つの曲の後ろ、というか、陰になった見えないところで別の違う曲がずっと続いているような感じがする。」
この小説も同じく、フィクションのなかにフィクションが隠されているし、里橋優が信じている/記憶している現実(妄想)は、実際の事実を覆い隠しているようなもの。

シューマンが、自らの分身のようなオイゼビウスとフロレスタンという対照的な架空の人物を音楽や評論に登場させていた。
それと同じように、音楽評論サークルの回覧ノート「ダヴィッド同盟」で、「修人」というフィクションの人物(里橋本人は実在していると思っているが)を通じてシューマンについて語っている。

里橋優は、「修人」という分身を通じて、シューマンの音楽をピアノで弾き、「ダヴィッド同盟」ノートでシューマンとその音楽について語り、日常生活でも「修人」と会って話したりしている(と妄想している)。

小説に登場するシューマンの音楽のなかで、「幻想曲」と「森の情景」は、その場面に相応しい音楽。
夜中の高校で「修人」が弾く「幻想曲」の場面は幻想の産物だし、「森の情景」の解釈を読んでいると、精神を病んだシューマンと「修人」(=里橋優)の心象風景としか思えなくなってくる。
かつて妄想のなかで、「修人」の指が切断されることでピアノが弾けないようにして、「修人」を意識の中から”抹殺”したのに、何かのきっかけで里橋優の精神のバランスが崩れて、封印してきた20年以上前の友人の手紙を紐解き、再び「修人」が意識の中に戻ってきたのかもしれない。

最初はシューマンの音楽解説が多い音楽ミステリーかと思っていたら、実は精神の深い闇を映し出すような小説だった。
昔は精神医学の本をかなり読んでいたので、こういうテーマには興味を惹かれる。
小説の結末を知ったがために、文章の持つ意味や暗示している事実は何かを考えながら、隅々までしっかり読み返してしまった。


tag : シューマン 伝記・評論

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Author:yoshimi
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クラシック音楽に本と絵・写真に囲まれて気ままに暮らす日々。

好きな作曲家:ベートーヴェン、ブラームス、バッハ、リスト。主に聴くのは、ピアノ独奏曲とピアノ協奏曲、ピアノの入った室内楽曲(ヴァイオリンソナタ、チェロソナタ、ピアノ三重奏曲など)。

好きなピアニスト:カッチェン、レーゼル、ハフ、コロリオフ、フィオレンティーノ、パーチェ、デュシャーブル、アラウ

好きなヴァイオリニスト:F.P.ツィンマーマン、スーク

好きなジャズピアニスト:バイラーク、若かりし頃の大西順子、メルドー(ソロのみ)、エヴァンス

好きな作家;太宰治、菊池寛、芥川龍之介、吉村昭、ハルバースタム、アーサー・ヘイリー
好きな画家;クリムト、オキーフ、池田遙邨、有元利夫
好きな写真家:アーウィット

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