2017_07
13
(Thu)12:00

宇神幸男 『神宿る手』 

恩田陸『蜜蜂と遠雷』のカスタマーレビューを読んでいたら、「同じピアノなら「神宿る手」の方が格段に「音楽」を感じさせます。」という人がいた。
興味を引かれてさっそく読んでみたら、確かにその通り。特に演奏の描写面では、『蜜蜂と遠雷』がビジュアル的に喩える表現が多くて、マンガやアニメを見ているような感覚。
それに対して、『神宿る手』は文字数は少なくてもは音楽批評的な表現で、実演さながらにその情景が浮かんでくるし、特に後半はノンフィクションみたいな現実味がある。

『神宿る手』は1990年に出版された作品。紹介文によると、「伝説のピアニスト、バローは生きていたのか?40余年ぶりの新録音がCD化され、話題を呼んだ。奇跡の楽壇復帰を仕掛けたのは、スイス在住の島村夕子であった。しかし、ベストセラーを続けるCDに疑惑の影が。美に憑かれた女のゆくところ、謎また謎。最終章に衝撃的ラストが待ちかまえる音楽ミステリー。」
”最終章に衝撃的ラスト”というのは、正確には違うと思うけど、確かに、”ええ~っ、ここまできてそれはないでしょう!?”と思ってしまった場面はある。

神宿る手 (講談社文庫)神宿る手 (講談社文庫)
(1990/04)
宇神 幸男



クラシック音楽の世界を舞台にして、いろいろ謎めいた仕掛けはあるとはいえ、ミステリーみたいな謎解きを楽しむ話ではなく、ほとんど普通の小説。
登場人物や組織とかは、実在する(した)人や会社・大学などがモデルになっているものも多く、(元ネタが何かすぐわかるくらいに)名前・名称をちょっと変えて架空の話で肉付けしている。
全ての謎と伏線は200頁までに解き明かされてしまう。それ以降は、ノンフィクション風のリアルさと臨場感で、まるでバローが実在するピアニストのように思えてくる。
面白いのは、この小説が書かれてからずっと後に起こったジョイス・ハット事件を連想させるところがあること。

著者はかなりクラシック音楽に詳しいという印象を受けたのも当然で、文庫版のカスタマーレビューによると、「愛媛県宇和島文化センターの職員で、アルフレッド・コルトー最晩年の弟子であるエリック・ハイドシェック氏の長き沈黙ののちの再デヴューコンサートを宇和島で企画し実現させた」という。(私は単行本を読んだので、その経歴は知らなかった)

ハイドシェックの宇和島コンサートのことは知っていた。いくつか聴いたハイドシェックの演奏は私の好みとは全く違っていたので、このライブ録音は聴いたことがない。小説の着想になっているのは、ハイドシェックの宇和島コンサートを実現した経験なのかもしれない。
もう一度宇和島ライブの試聴音源を聴いてみても、速めで揺れるテンポとぴしっと揃わない(と感じる)拍子に加えて乱気流みたいに変化する強弱で、音が浮き沈んだり滑っていくような不安定感を感じるので、やはり合わない。(特にベートーヴェン)

夕子が語るバローの演奏とは、「パハマンの音色、フィッシャーとケンプの滋味、ポリーニのテクニック、リパッティの純潔、コルトーの奔放、エリー・ナイの神がかり、グールドの機知、リリー・クラウスとハイドシェックのテンペラメント・・・」。(最後にハイドシェックが出てくるのは唐突だけど)

40年もの間、スイスの小さなお城に隠遁しているバローを想像すると、なぜかケンプの顔が思い浮かんでくる。
両親がフランス人とドイツ人だったバローは、ナチスに協力した疑いで戦後しばらく活動を制限され、カムバックしたベルリンコンサートは1曲弾いただけで止めざるを得ず、米国公演では(ラノヴィッツの妨害によって)現地で演奏することができなかった。
同じように戦時中にドイツ国内にとどまったケンプも、ナチスへ協力した疑いで戦後数年間は演奏活動ができなかった。
(シリーズ第4作『美神の黄昏』では、ケンプが実名で登場。バローがその類稀なる才能を見抜いた少年フリッツにピアノを教える。)

バローが登場するシーンは、伝聞・手記・回想などの形が多い。バロー自身が直接言葉にして語る場面は、来日後の記者会見と最後にリサイタルで「定刻に出よう」と夕子に英語で言うシーンくらいなのに、しっかりとした存在感がある。
喩えて言えば、バローが古城の城主なら、弟子の夕子は強い意志と行動力をもつお姫さま、伊原財団の事務局長・村井周平は会長の忠実な執事で夕子の傳役、蓮見さやかはいささか頼りない騎士(ナイト)みたいな役回りで、配役が面白い。
私は好きなキャラクタは村井周平。結構味のある役柄で、夕子と会長の間をとりもちつつ、温厚で堅実な外見と仕事ぶりながら、財団傘下の音大と楽団を実質的に管理する影の実力者。

ここからは、小説の結末や仕掛けについて書いています。

幻のピアニスト・バローの「CD贋作疑惑」ですぐに思い出したのは、2007年頃に発覚した「ジョイス・ハット偽録音事件」。
レコードレーベルを経営する夫が、別のピアニストの音源を妻ジョイス・ハットの録音と偽って、多数のCDをリリースした事件。(リリース時にハットはガンによる闘病生活中だった)
クラシック音楽史に残る有名な詐欺事件

小説の冒頭は日本人留学生がスイスの山中で亡くなっているのが見つかるというエピソード。
結局、この謎めいた話に事件性はなく、この留学生が隠遁後のバローを訪ねた最初の日本人で、優れたテクニシャンだと評されているピアニストだった。
彼は留学中にバローのSP録音を聴いて驚き、バローの居所を探し当てて、バローの弾く《スカルボ》に魅せられる。さらに、バローが弾くベートーヴェンの《幻想曲》のスケールと、自分が弾いたスケールとの次元の違いに愕然とする。
バローには「きみのスケールは人工的な機械の匂いがする」と言われてしまう。(コンクールなどで「タイプライターのように正確に弾く」とか言われる日本人ピアニストの典型的な演奏みたいな感じ)
最後には、バローの愛弟子である少年フリッツが弾くハイドンの素晴らしさと豊かな才能を目の当たりにして、自らの才能のなさに気づいてしまう。

芸術に厳しいピアニストのバローなら、偽録音のことを認めて弟子の行為を謝るだろうと思ったら、来日記者会見で「あれは私の演奏です。私の演奏でないと証明できるのであればそれを見せていただきたい」と堂々と主張したのは予想外。

島村夕子が考え出したラノヴィッツ(明らかにモデルはホロヴィッツ)への復讐劇はスキャンダラスな設定過ぎて、現実離れしている。
復讐するのは理解できるとしても、もっとマシな罠を仕掛ける設定だってできただろうに(違法賭博とか)、著者はよほどホロヴィッツが嫌いなんだろうか?
少なくとも好感を持っているピアニストをたとえフィクションでもこういう罠にかけるというのはありえないと思う。
それ以外のところは、現実でもありうるような話。でも、師を来日させるために偽録音事件を起こす必要があった..という設定にムリがあるような気はする。
夕子に魅かれる蓮見でも、彼女のことを「純粋な人の陽明学的行動」、「天使のエゴイズム」と評している。

蓮見さやかは、島村夕子の生い立ちや境遇、ラノヴィッツ失脚劇とバローの偽録音事件の顛末を知り、バロー来日公演を実現させたいと打ち明けられて、夕子に魅かれていくが、結局バローと夕子の深いつながりを目の当たりにすると、彼女が遠い存在になっていくのがわかっていく...というのは、心情的にわかるものがある。(シリーズ第2作以降は、蓮見の影が薄くなり、代わりにレコードプロデューサー平田が夕子と対峙・協力する重要な役割になってしまう)

ストーリー展開上、バロー来日公演が実現するのは当然なのだけど、実現にこぎつけるまでに、会場とオケ確保に苦労したり、白血病のため余命短い83歳のバローが無事来日できるかが危ぶまれるものがあって、蓮見が何度も悪夢を見てしまう。
「飛行機が墜落するというのは昨日の朝見た夢で、今朝はタラップを降りつつあるバローが突然今冬するという夢で目が覚めた。してみると、今夜あたりはバローがステージでたおれる夢だろうか.....。」
この悪夢のステップは可笑しかったけど、現実の世界で同じような立場にあれば、こういう悪夢も見るだろう。

開演直前にもハプニングが用意されている。神経衰弱?に陥ったらしい沢木圭子が開演前に楽譜を隠したので、開演時間を数十分1時間繰り下げる大騒ぎに。
バローは楽譜を置いて演奏する設定なので、楽譜がないとかなり深刻な事態になる。
但し、シリーズ第3作『ニーベルンクの城』では、バローは楽譜を見ずに演奏していたと書かれている。楽譜を置いたのは、来日公演を実現させた弟子の島村夕子を(譜めくりとして)舞台に登場させたいという師の親心だったのだと明かされる。

消えた楽譜も見つかり、ようやく開演というところになって、思いもかけぬどんでん返しが...。
白血病のバローが開演直前に楽屋で急死しているのを島村夕子が発見。演奏は夕子が代奏することに。”ええ~っ、ここまできてそれはないでしょう!?”と思ったけど、これは蓮見の夢の中の出来事だった。

最後の公開演奏から40年ものブランクがあるバローは、熱狂する聴衆の声援と拍手と雰囲気に圧倒されて舞台の端で立ち止まってしまう。
夕子と蓮見の「コラッジョ、マエストロ!」という声に気を取り直して、舞台を歩いてピアノに向かい、ようやく弾き始める。
「コラッジョ、マエストロ」というのは、フルトヴェングラーがデビュー時のエピソードでかけられた声援。(それ以前にも、フルトヴェングラーが別れの時にバローに贈った指揮棒の話が出てくる)
その言葉に落ち着いたバローがピアノで演奏を始めるまでの描写がとてもリアルで、その情景が目に浮かんでくる。

全体的に引き締まった文体で、演奏の描写や印象も大仰すぎずくどすぎず、シンプルなのが良い。どれだけ言葉を尽くしてみても、音楽は聴くことでしかわからないことが多いので。
フィクションとはいえ、バローの演奏を評した文章を読むだけでも、実際にどういう風に弾くのか想像してしまう。こんなピアニストが実在したとすれば、まさに伝説のピアニストと語り継がれたに違いない。

2 Comments

芳野 達司  

こんにちは。
これは面白そうな本ですね。いささかマンガチックではあるけれど「蜜蜂と遠雷」も楽しく読めたので。

結末のところは、まだ読んでいません。(笑)

2017/07/17 (Mon) 16:31 | EDIT | REPLY |   

yoshimi  

 

芳野様、こんばんは。

この本は、クラシック業界で仕事をしていた著者らしいリアリティを感じさせる書きぶりです。
実在の○○がモデルだろうなあと、大体わかるところも面白いです。
シリーズ4作のうち、本書だけがノンフィクション風で、他の3作のストーリーは、それは実際にはありえないだろう..と思うようなフィクションです。
結末は、読んでからのお楽しみ..ということで。

2017/07/17 (Mon) 21:49 | EDIT | REPLY |   

Leave a comment