2022.01/09 [Sun]
山口 未花子『ヘラジカの贈り物』(2)
![]() | ヘラジカの贈り物: 北方狩猟民カスカと動物の自然誌 (2014/2/14) 山口 未花子 (著) |
<狩猟方法>
動物と時期によって異なる。追跡または待ち伏せしてライフル射撃するか、罠を仕掛ける。罠猟の主な目的は販売用の毛皮を得ることだが、自家用として肉や毛皮も利用されている。
1)ヘラジカ
昔は通年狩猟。今は雌雄共に肉質が最良の秋に狩猟し肉を冷蔵庫保管。ブッシュ(狩猟地)まで船外機付きの舟などで移動し、狩猟小屋やキャンプ(待ち伏せ猟)に滞在。ヘラジカを探索、または、餌場や水飲み場付近で待ち伏せ。繁殖期のオスを誘引する音でおびき寄せる方法もある。首の付け根を狙って撃つ。(後ろや横から撃つのは良くない) ブッシュで解体し持ち帰る部分と残しておく部分を分ける。切り取った気管と肺は木の枝に吊るす(儀礼)。狩猟小屋で肉を干し、スモークする。
ブッシュフードの中で特に好まれるのがヘラジカ。地衣類が主食のカリブーとは違い、栄養のある木の枝葉や水草などの植物を食べているためプロテインが豊富で肉質が良い。カスカでは動物を飼うことは禁忌のため、家畜のストアミートよりも野生のヘラジカ肉への嗜好・評価が高い。
干し肉はそのまま食べることが多い。肉と内臓は炙る、茹でる、ロースト、焼く。第4胃は獲れたての場合生で食す。頭は炙る、部位に切り分けてローストか茹でる。
脂はゆで汁や焼いた脂身からでてくる脂肪分を集めて保存。骨は茹でるかローストして髄を食べたり、スープの出汁に使用。人間が利用しない部分は犬に与えることが多い。
2)ビーバー、マスクラット
ビーバーの方が獲物として価値が高く、マスクラットは副次的な獲物。川の氷が解けて船で移動でき、生えかわりで毛皮の質が落ちる前の5月中心に追跡狩猟。肉は食用(一部は犬のエサ、魚釣用のエサ)。毛皮は販売または工芸品の飾り、帽子、手袋に利用。川を移動中に銃撃、または、ビーバーハウス付近で待ち伏せ。
冬と夏は罠猟。ビーバーダム・ビーバーハウス周辺にポプラの枝等で作った罠を仕掛けて置く。
ビーバーの肉は茹でるかロースト。内臓の一部と手足・尾も食用。尾は「インディアン・デリカシー」という珍味。手足は茹でる(豚足みたいな味)。
3)カリブー
ヘラジカに次いで重要な狩猟動物。ウッドランド・カリブーは大群ではなく、数十頭の群れで集団移動する。冬はスキドゥで平地、夏は徒歩か四輪バギーで登山して狩猟する。冬季の狩猟がメインで、肉づきの良い雌が狩猟対象。カリブーの狩猟を禁忌とする人もいる。
皮はなめし皮に使い、肉はシチュー、干し肉、ステーキで食す。冬にヘラジカの肉のストックが少なくなってくると、ストアミートよりは大分マシだといって、カリブーを狩猟する人が増える。
4)クロクマ
熊は元々殺すことが禁忌(さらに肉食動物なので、その肉は食べない)。ハイイログマは狩猟しないが、クロクマは植物を食べる可能性もあることを理由に狩猟する人もいる。冬眠から目覚めた直後は脂がのっていて肉が一番美味しい。
5)ドールシープとシロイワヤギ
最も危険で難しい狩猟。高い山の岩場に生息し、視力も良く、素早く行動できるため、遠くから獲物がいる場所を突き止め、山頂から匍匐前進で時には何時間も身動きせず獲物の目をやり過ごしながら射程距離まで接近することが必要とされる。猟の最中や獲れた肉を運ぶ途中で、岩場から転がり落ちて命を落とす人もいる。
(魚)
釣りやフィッシュネットで通年釣る。魚網による集中的なホワイトフィッシュ漁は夏季のみ(昔は冬季もしていた)。
<罠猟>
「昔はヘラジカからライチョウまであらゆる動物を罠で捕獲し、その種類も、くくり罠やデッドフォールなど工夫を凝らしたものがさまざまあり、素材も、ヘラジカの皮や腱、ワシの羽根など多様だったという。現在のように一冬をかけて食用に向かない肉食動物が集中的に獲られるようになったのは、明らかに毛皮の商品化によるものである」(カスカは、他の動物を食べる動物は食べない、他の動物を食べない動物のみ食べる)
「現在、毛皮動物の罠猟は狩猟のように伝統的な生業として自由に行うことは認められておらず、法律に定めされた期間に許可証を発行されたトラップラインの中でのみ許されている。毛皮を売るためには許可証と法律で定められて種類の罠が必要となる。ただし獲れた毛皮を自分で利用する場合や、食料のためにウサギやライチョウを獲る場合はこうした許可を取る必要はなく、特にウサギの罠猟は一年を通じて行われている。」(97頁)
マスクラット:湖上の巣の雪を除いて木の棒でハサミ罠をつるす。春には生態が似ているビーバーも罠にかかることがある。の上に
ウサギ:ノウサギのトレイルを探し、その上に罠を設置。スネア(くくり罠の輪)のみ、バネ式の2種類がある。毛皮はほとんど使えないので主に食用。
クズリ:箱罠かデッドフォール罠。白人の持ち込んだ箱罠とは違い、周辺の木だけで作るデッドフォール罠は「良い罠」。スネアや東部圧式罠も使う。
オオカミ:警戒心が強く罠にかかりにくい。人間や鉄の匂いがする場所には近づかず、様子が少しでも変わっていると罠をよけていく。疲れている時や嵐で感覚が鈍っていると罠にかかる時もある。狼は人間のトレイルを使うのでそこに罠をかける。
リンクス;獲物のカンジキウサギの通り道に罠を仕掛ける。繁殖期に良く動き回るので罠にかかりやすい。好奇心が強いので、エサや香水で注意を惹きつけるのが効果的。
リス:カスカの子供が狩猟を学ぶ最初の動物。リスの通り道か木と木の間に棒を渡してスネアを設置。モモンガがかかることがある。モモンガは強い霊性のある動物として狩猟は禁忌。
カワウソ:霊性がある動物として昔はあまり狩猟されなかった。カワウソの使う湖の穴に鉄罠、または雪上のトレイルにスネアを設置。
テン:毛皮販売用に狩猟。簡単で手間がかからず取引価格が高いので、狩猟頭数が多い。胸部圧迫式(鉄製)の箱罠。ウサギと違って罠を警戒しないので、すぐにひっかかる。
ライチョウ:長い棒の先にスネアをつけて捕獲。種類によっては通り道にスネアを設置。
「カナダ国民でない狩猟者は、アウトフィッターと呼ばれる狩猟ガイドを雇用することが法律で義務付けられている。ユーコンにおけるレジャーハンティングのアウトフィッターは、テスリンやロワーポストといったLFNの近隣地域出身のファーストネイションの狩猟者が多く、その中にはカスカの狩猟者もいた。彼らが案内して狩猟が成功した場合、顧客はトロフィーと呼ばれるその動物の頭部のみを持ち帰ることが多く、残った肉や皮はアウトフィッターが道中の食事としてあるいは持ち帰って利用することになる。」(95-96頁)
<禁忌(イ・アイ)>
カスカの禁忌のなかで突出して多いのは、ヘラジカの部位ごとの利用を年齢や性別で制限すること。
子および子連れの雌シカを狩るのは禁忌。銃で倒した若い鹿の近くに母ジカがいるのを発見して、禁忌に反したかもしれないと、焦った様子のF氏親子。小鹿は角が生えた2歳のオスだったので、狩って良い鹿だったとわかり一安心。子鹿を探しに来た親鹿は肉を手に入れる必要がなかったので、そのまま見逃す。(219頁)
「ヨーロッパ系カナダ人(あるいはヨーロッパ人、アメリカ人)のハンターは多様な目的で猟を行う。余暇のリクリエーションとして狩猟行為そのものを楽しみ、殺した記念に角(トロフィー)だけを持ち帰る場合も多い。他方で、ヨーロッパ系カナダ人は動物愛護的な視点から魚を”キャッチ&リリース”する。....カスカにとってはこうしたやり方はどちらも”動物で遊んでいる”行為でありイ・アイ(禁忌)とされる。このような行為は動物への尊敬を欠いたものであり、その六として狩りの運は失われ、動物はやって来なくなるという。つまり動物と人間の贈与交換の循環からはじき出されるということである。」(354-355頁)
聞き取りしたなかで、イ・アイの対象になるのは小動物が多く、その強い力を認めて、シマリス、コウモリ、カエル、フクロウ、ミンク、白鳥、クモ、シギなどが挙げられていた。
<贈与・分配>
「若者は狩猟し、自分で狩猟に行けない老人に獲物を分配すべきである」ため、狩猟で得た肉や皮を贈与される人は贈与する人よりも年配のことが多い。カスカの社会は伝統的に階層を持たず、誰かが特別に豊かになることを嫌い、「持っている者が持っていない者に与えるのはというのは当然のこと」と考えられていた。
近年、若者世代の狩猟活動の減少や規範を守らない若者の増加により、贈与・分配する若者が減ってきている。(店で購入する者は贈与・分配の対象にはならない)
胎児など特別な部位は「老人の食べ物」として老人への分配に回されていた。赤ちゃんジカは、古老に食べさせることが多い。柔らかくて美味しいと古老が喜んでいた。
本書のフィールドワークを簡潔に報告した論文は、「狩猟と儀礼-動物殺しにみるカナダ先住民カスカの動物観」(『動物殺しの民族誌』所収)
山口未花子「狩猟と儀礼-動物殺しにみるカナダ先住民カスカの動物観」(『動物殺しの民族誌』所収)
![]() | 動物殺しの民族誌 (2016/11/15) 野 克巳 (編集), シンジルト (編集) |
「多くの研究者にとって、狩猟民であれ牧畜民であれ日常的に動物を殺す人々は動物を殺す際に特に何も感じていないように見える。動物が直接干す日する資源である時、動物を殺す行為は、むしろ美味しい肉や素晴らしい毛皮を手にいれる喜びを想起させるものとして人々の眼に映るのかもしれない。あるいは動物を殺すこと自体にそれほど悲しみも喜びも感じていない、という可能性もある。」(138頁)
「狩猟民や牧畜民にしても動物を殺すことには様々な禁忌や儀礼を伴うことが多い。そうした儀礼などはもしかすると罪悪感や恐怖をなどを感じないようにするための仕組みであり、それによって本来は感じている心の痛みのようなものを感じないようにしているのかもしれない。」(139頁)
しかし、著者は、カスカはすべての動物に対して儀礼を行うというわけではなく、罠猟であっても儀礼が行われる場合と行われない場合がある等の事実によって、儀礼が贖罪・慰霊だという可能性を否定している。
「ヘラジカは死んだのではなく、ヘラジカの魂は気管(や舌の先や後ろ足の骨)にまだ宿っていて、それが木に吊り下げられ、そこに風が通ると、また息を吹き返して肉や皮を身につけて肉体を持ったヘラジカに戻るからだという。そうやって再生したヘラジカはまた狩猟者のもとにやってきてくれるということなのだ。」(160頁)
「ヘラジカだけではなく野生の動植物資源は決してお金でやりとりしない。それはそもそも動物や植物からの贈り物であり、自分が誰かに渡す時もそれは贈り物であるべきということになるからだ。・・・文字通り全てを食べつくすこともヘラジカへの礼儀だと考えられている。」(161頁)
狩猟した動物の利用方法の違い(食肉か、肉を食べずに皮を売るか、など)も儀礼の有無に関わっている関係がある。
「なぜならカスカの人々は動物との連続性の中で自己を見出しているからだ。そのことを人々は「我々は大地の一部であり、水の一図であり、それより何より動物の一部である」と語る。それは単にカスカと動物との観念的な関係ではなく、大地に根を張り水を吸い上げて育った植物をヘラジカが食べ、そのヘラジカをカスカが食べ、またその遺体が大地に還るというような循環を狩猟という活動を通じて身体的に経験しているところからくる実感である。そして自然な感覚として、その循環の中に自分やカスカといういう存在を位置づけているということである。さらに、こうした動物との連続性を創り出すものとして「贈与」という観念が用いられていることが重要である。」(162頁~163頁)
狩猟した動物に対する儀礼には、「動物の霊を慰めるという発想や、動物を殺すことによって罪悪感が生じたり贖罪のために儀礼を行うという認識は見られなかった。その背景には、動物を殺すことは動物が死ぬことではなく、肉体と魂を分離さえて肉体を贈り物として受け取りつつ魂は再生するというカスカの死生観が存在する」(163頁)
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