2022.06/10 [Fri]
『Julius Katchen: Piano Recitals 1946-1965』
予定より数日早く発売されたジュリアス・カッチェンの新譜『Piano Recitals 1946-1965』。
このMelo盤はプラケースではなく紙ケース。ツィンマーマンの無伴奏(BIS盤)の薄い紙ケースと比べると、厚くてくしっかりしている。
CDのラベル面は黒色で溝も入っているのがLPレコード風でレトロ感あり。
ブックレットは読んでも見ても楽しい。2~7頁はカッチェンのプロフィール。今まで入手したブックレットやインターネットサイト等に載っていなかった情報が盛りだくさん。特にプロデビュー前の神童時代と家族に関する話が詳しい。他には、大学生時代のリサイタル、プラハ音楽祭への参加、根付蒐集、演奏会評(ショーンバーグなど)、インタビュー、最後は葬儀の時のエピソードなど。
さらに10~11頁には初めて見るカッチェンの家族写真が5点(①2歳のカッチェンと妹リタ/1928年、②カッチェンとリタと両親、③祖母ロザリエ・スヴェットにピアノレッスンを受けるカッチェン/1937年、④両親と一緒にマイクの前で。青年期?、⑤正装の両親と燕尾服姿のカッチェン。たぶんプロのピアニストになってからの演奏会にて)。裏表紙はピアノ前に座るカッチェンと10歳年上のヴァイオリニストPatricia Travers。たぶん1939年の演奏会。
紙ケースのブックレット挿入面には、ピアノの鍵盤に両手を置いている11-12歳くらいのカッチェンの写真。眉をくっきり書いたり、演奏会用の服を着ているので記念写真用だと思う。
今までほとんど未公開だった子供時代や家族との写真は、妹だったリタ・カッチェン=ヘルマン・ファミリーの提供。
収録曲は録音年と場所、録音方法がかなり違うので、音質もばらついている。録音年の古さを考えればほぼ満足できるレベルで、特にCD2の音質はどの曲もかなり良い。
1)ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第12番 変イ長調 Op.26 (1964年5月27日 西ドイツ・シュトゥットガルト 放送スタジオ録音)
スタジオ録音にしては、年代物のピアノを弾いているような滲みのある音色で古めかしい響きがする。1964年の放送用録音にしては音質がかなり悪い。
第1楽章はやや速めのテンポで起伏が大きく細やかに変化し、変奏の曲想の違いも明瞭で叙情豊か。全楽章中特に第1楽章の演奏が好き。第3楽章は左手のフォルテが力感・量感豊か。
第2楽章は(怒涛のように)速いテンポで力強くマニッシュ。無窮動の第4楽章も速いテンポでダイナミック。両楽章ともフォルテのタッチが力入れすぎで荒っぽくいところが好きではない。
2)シューベルト:ピアノ・ソナタ第21番 変ロ長調 D960(1960年8月6日 フランス・プラド ライヴ録音)
この曲も音質があまり良くないし、カッチェンの演奏で聴いても、やっぱりこの曲は好きにはなれないのが良く分かった。
3)ガーシュイン:3つの前奏曲(1951年10月28日 西ドイツ・ハンブルク 放送スタジオ録音)
1951年の古さのわりに、1960年初期のモノラル録音くらいに思えるほどにかなり音が良い。
ジャズっぽいところのあるクラシックみたいな曲。ジャズピアニストはあまり弾かないような気がする。
ガーシュウィンの自作自演。
Gershwin: Three Preludes, Gershwin (1928) ガーシュウィン(自演) 3つの前奏曲
4)バッハ(ヘス編):主よ、人の望みの喜びよ ト長調(1946年11月20日 フランス パリ 放送スタジオ録音、以下同)
5)モーツァルト:ピアノ・ソナタ第15番 ハ長調 K.545~アレグロ
6)ショパン:ポロネーズ 変イ長調 Op.53 「英雄ポロネーズ」
バッハは1946年の録音とは思えないほど結構音が良い。モーツァルトとショパンは音が悪く、「英雄ポロネーズ」は1954年の日本公演ライブ録音(TBS Vintage Classics/ユニバーサル盤)の音質がわりと良い。
7)バッハ:パルティータ第2番 ハ短調 BWV826(1965年9月25日 西ドイツ・ルートヴィヒブルク ライヴ録音)
doremi盤と同一音源なのに、音質がかなり違う。使っている音源が違う(Doremi盤はマスターテープではない)のだろうか?
ステレオ&ヘッドフォンで聴くと、doremi盤の方が残響多めで、音が少し遠くて線が細い。音色は軽めで水気を帯びたような瑞々しさがある。
オリジナルのマスタテープを元にリマスタリングしたMelo盤は、残響少なめで音が近く、輪郭がくっきり明瞭。音圧が強めで少しソリッド感がある。瑞々しさはあまりないけど、リマスタリング独特の電気的な感じはせず、アコースティックな響き。こちらの音質の方が個人的には聴きやすい。特にテンポが滅法速いCapriccioは、melo盤の方が細部が聴き取りやすいせいか、慌ただしくてせわしない感じが少しだけマシになった気がする。(それでも速すぎると思うけど)
8)ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第30番 ホ長調 Op.109 (同上)
Youtubeのエアチェック音源(別の演奏会)よりも、はるかに音が良い。演奏内容に対する印象は↓と変わらないので、音の良いCDで聴けて良かった。
カッチェン、謎の録音 ~ ベートーヴェン/ピアノ・ソナタ第30番
9)シューマン:交響的練習曲集 Op.13 (同上)
こちらもDeccaスタジオ録音よりもはるかに音が良い。遺作の5つの変奏曲はDecca盤と同じく省略。
この曲を初めて最後まで聴いたけど、私が好きになれる曲ではなかった。
10)ショパン:バラード 変イ長調 Op.47 (同上)
既出録音:Decca盤スタジオ録音(1949年)、ユニバーサル盤日本公演ライブ録音(1954年)、Audite盤スタジオ録音(1962年)、ica盤放送用ライブ録音(1965年)
異なる年代のライブ録音と放送用録音で何度も弾いているから、ショパンの作品中特に好きな曲の一つだったらしい。
5つの録音なかでは、コンサートホールで録音したica盤が残響が一番多く、音がやや軽い感じがする。演奏時間はaudite盤が一番長く(約7分30秒)、Melo盤が一番速い(演奏時間約7分)けど、テンポの違いはそれほど気にならない。(カッチェンはライブの方がテンポが速くなることが多い)
この中で一番聴きやすいと思ったのは、audite盤。テンポが少し遅い分一音一音明瞭に聴こえるし、残響が少なくともアコースティック感のある音が私の好みに合っていた。
Melo盤は、audite盤と同じくらい残響は少なく、若干籠った感じで音の輪郭に丸みと固さがあり、お城(Schloss Ludwigsburg)で録音したせいか、狭い部屋のなかでかなり前面から聴こえてくる。こちらもアコースティックな響きで聴きやすい。
1960年代の3つの録音は、1940-50年代の2つの録音よりもフォルテの響きの尖りが少なくなり(それでもタッチは力強い)、起伏が滑らかになり強弱の推移が自然になっていると思う。
どの録音も線が太目で力感・量感豊かなフォルテに厚みがあり、フレージングが流麗というよりは粒立ち良く、リズミカルで生き生きとした躍動感がある。第3番は重音連打・移動が多く、私にはブラームス風のバラードみたいに聴こえる。
昔はバラードなら第1番ばかり聴いていたけど、カッチェンの録音でこの第3番を何度も聴いていると、第1番よりも好きになってきた。
Ballade, Op. 47(audite盤)
11)メンデルスゾーン:ロンド・カプリチョーソ ホ長調 Op.14、前奏曲とフーガ第1番 ホ短調 Op.35-1(録音日・場所はガーシュウィンと同じ)
1953年のDeccaスタジオ録音よりももさらに古い録音なのに、こちらの方が1960年代初めのモノラル録音みたいに音質がずっと良い。
このCDを買って良かった点は、1)音質が良い曲が半分以上あり、2)既出CDには未収録だったベートーヴェンのピアノ・ソナタ2曲に加え、アコースティックな響きのバッハ(パルティータ)とショパン(バラード)、古いわりに音がかなり良いガーシュウィンとメンデルスゾーンが聴けた上に、3)新しい伝記的情報とカッチェンの家族写真が多数載っている中身の濃いブックレットがついていたこと。
<ブックレット記載のエピソード(一部要約)>
カッチェンに初めてピアノを教えたのは、母方の祖母Rosalie Svet。カッチェンの5歳の誕生日プレゼントがピアノレッスンだった。
祖母は1905年に米国に移民するまではワルシャワ音楽院の教師であり、祖父のMandel Svetはヴァイオリンと作曲の教師でモスクワ音楽院の教授だった。
カッチェンは毎日午前中と午後の各2時間、遊び時間を挟んでピアノを練習し、学校の勉強は正規な教師の1人が2時間教えていた。
1937年春、オーマンディがフィラデルフィア・オーケストラとリハーサル中に公会堂ホールの扉を開けて入ってきたカッチェン少年。オーマンディはどこにいるのかと訊ねるので、オーマンディは「そこで何をしているんだい、何か用かな?」。カッチェンは「演奏を聴いてもらいに来ました(I've come to play for you.)」と言い、脇に抱えている総譜とパート譜を指して「僕の楽譜を持って来ました」。単刀直入な答えに興味が湧いたため衝動に抗しきれず、オーマンディは楽譜をオケに配らせ、アシスタントのCastonに指揮棒を渡してから、聴衆のいないホールに座ってカッチェンの演奏を聴くことにした。彼は5分ばかり聴こうかと思っていたが、結局最後まで聴いてしまった。カッチェンの弾いた曲は、数週間前のデビュー演奏会で弾いたモーツァルトの《ピアノ協奏曲KV466》。オーマンディは、カッチェンに「いつの日か私のソリストになるだろう(the one day he would be his solist.)」と約束してからすぐに欧州へ向かった。その約束が果たされたのが半年後の10月21日。
すでに著名なオーケストラとの演奏会やソロリサイタルを定常的に行っていた14歳の時、カッチェンと両親が進路をどうするか決断に迫られた。演奏会活動を続けて音楽以外のことはあまり知らずにいるか、普通の少年と同じように一般高校へ進学するか、どちらかを選ばなければならなかった。演奏会生活に熱中していたカッチェンは、普通の学校生活を送るという考えに激しく抵抗したが、父親は断固として”No.”。一般高校からハヴァフォード大学へ進み、哲学と英文学を専攻した。この選択のことを回想したカッチェンは「私の両親は賢明だったので、私が懇願したにも関わらず、14歳の時に演奏会の舞台から私を引き離しました。その時の私ほど激しく怒った人はいなかったでしょうが、今の私ほど感謝している人もいないでしょう。」
大学在学中の1944年12月3日、成人(20歳)後初めてのリサイタルをカーネギーホールで開催。聴衆は2000人以上。演奏曲目は、ブラームス「ピアノソナタ第3番」、シューマン「交響的練習曲」、ムソルグスキー「展覧会の絵」、ショパン「子守歌」。5回のカーテンコールの後で弾いたアンコール曲は、リスト編曲メンデルスゾーン「歌の翼に」、ファリャ「火祭りの踊り」、ショパン「エチュードOp.10-4」。
1946年の大学卒業時、哲学で「cum laude(優等賞)」を授与され、「Phi Theta Kappa」(ファイシータカッパ/全米大学優等生協会。湯成績優秀者だけが加入できるhonor society)に選ばれた。また、パリ大学に交換留学生として1年間留学する奨学金も獲得していた。
1947年12月、両親とクリスマスを祝うためにパリから帰国していたカッチェンがギオマール・ノヴァエスのピアノリサイタルを聴きに行った時のこと。開始予定時刻を30分過ぎてもノヴァエスが会場に到着しないため、カッチェンがしばらく代りを務めることに。街着姿でグランドピアノに歩み寄ったカッチェンが弾いたのは、フランクの「前奏曲、コラールとフーガ」。聴衆の暖かい拍手にカッチェンは何度もお辞儀してから最前列の座席に座り、到着したノヴァエスの演奏を楽しんのだった。
1956年、カッチェンは当時19歳のArlette Patouと結婚。Arletteの母はドクター、父は中国とフランス領インドネシアでフランス鉄道会社のdirector genera(総裁)だった。1960年5月2日に一人息子のStefanが誕生。
カッチェンとArletteが初めて根付に出会ったのは、1953年の日本公演。それ以来、著名なコンサートホールで行われる演奏会の合間をぬって時間の許す限り、根付のディーラーとオークションを訪れた。根付を収集し始めた当時、文献情報が乏しかったにもかかわらず熱心に学び、彼らは根付の複雑さ・製作者・題材についてよく知るようになった。カッチェンの自宅を訪れた友人たちは音楽の話をしたかったが、カッチェンが話したいのは根付のこと。ローマで買い付けし、NYで売却する商業的利点について、「税関の問題は全くない。ポケットに根付を入れて、子供たちのおもちゃですと言うだけだよ」。
カッチェンが弾いた”ピアノ・マラソン”のなかでは、一晩でベートーヴェンの後期ソナタ5曲とアンコールに「熱情ソナタ」を演奏したリサイタルがある。
カッチェンはプラハを「素晴らしい音楽の街(that magnificently musical city)」と呼んでいて、とても好きだった。毎年行われる春の音楽祭への招待に応じたが、世界のどんな街でも経験したことのない拍手喝采を経験した。プロコフィエフの「ピアノ協奏曲第3番」を弾き終ってから休憩時間に入っても拍手が鳴りやます、後半の演奏を始めるためにオケのメンバーが入場する時にようやく拍手が止まったのだった。
カッチェンにとって、プラハの音楽文化は「ソリストの夢」で、「オランダを別にすれば、西欧には存在しないようなリハーサル施設が使える」と言っていた。
11歳足らずでデビューしてから31年間のキャリアを通じて、カッチェンが演奏した国は6大陸42カ国、共演したオーケストラは122。
肺がんのためパリの自宅(3 avenue Franco-Russe)で42歳で亡くなったカッチェンの葬儀は、生まれ故郷のロングビーチにあるElberonのTemple Beth Miriamで行われた。約700人の参列者にはリプキンやプライシャーなどピアニストも多く、親友だったグラフマンはメンデルスゾーンの「無言歌」を弾き、さらにシュタルケルと共にバロック時代のチェロ・ソナタから緩徐楽章を演奏した。
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【新譜情報】『Julius Katchen: Piano Recitals 1946-1965』
ジュリアス・カッチェンにまつわるお話
![]() | ジュリアス・カッチェン - ピアノ・リサイタル 1946-1965年 (2022年05月27日) ジュリアス・カッチェン 試聴ファイルなし |
このMelo盤はプラケースではなく紙ケース。ツィンマーマンの無伴奏(BIS盤)の薄い紙ケースと比べると、厚くてくしっかりしている。
CDのラベル面は黒色で溝も入っているのがLPレコード風でレトロ感あり。
ブックレットは読んでも見ても楽しい。2~7頁はカッチェンのプロフィール。今まで入手したブックレットやインターネットサイト等に載っていなかった情報が盛りだくさん。特にプロデビュー前の神童時代と家族に関する話が詳しい。他には、大学生時代のリサイタル、プラハ音楽祭への参加、根付蒐集、演奏会評(ショーンバーグなど)、インタビュー、最後は葬儀の時のエピソードなど。
さらに10~11頁には初めて見るカッチェンの家族写真が5点(①2歳のカッチェンと妹リタ/1928年、②カッチェンとリタと両親、③祖母ロザリエ・スヴェットにピアノレッスンを受けるカッチェン/1937年、④両親と一緒にマイクの前で。青年期?、⑤正装の両親と燕尾服姿のカッチェン。たぶんプロのピアニストになってからの演奏会にて)。裏表紙はピアノ前に座るカッチェンと10歳年上のヴァイオリニストPatricia Travers。たぶん1939年の演奏会。
紙ケースのブックレット挿入面には、ピアノの鍵盤に両手を置いている11-12歳くらいのカッチェンの写真。眉をくっきり書いたり、演奏会用の服を着ているので記念写真用だと思う。
今までほとんど未公開だった子供時代や家族との写真は、妹だったリタ・カッチェン=ヘルマン・ファミリーの提供。
収録曲は録音年と場所、録音方法がかなり違うので、音質もばらついている。録音年の古さを考えればほぼ満足できるレベルで、特にCD2の音質はどの曲もかなり良い。
1)ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第12番 変イ長調 Op.26 (1964年5月27日 西ドイツ・シュトゥットガルト 放送スタジオ録音)
スタジオ録音にしては、年代物のピアノを弾いているような滲みのある音色で古めかしい響きがする。1964年の放送用録音にしては音質がかなり悪い。
第1楽章はやや速めのテンポで起伏が大きく細やかに変化し、変奏の曲想の違いも明瞭で叙情豊か。全楽章中特に第1楽章の演奏が好き。第3楽章は左手のフォルテが力感・量感豊か。
第2楽章は(怒涛のように)速いテンポで力強くマニッシュ。無窮動の第4楽章も速いテンポでダイナミック。両楽章ともフォルテのタッチが力入れすぎで荒っぽくいところが好きではない。
2)シューベルト:ピアノ・ソナタ第21番 変ロ長調 D960(1960年8月6日 フランス・プラド ライヴ録音)
この曲も音質があまり良くないし、カッチェンの演奏で聴いても、やっぱりこの曲は好きにはなれないのが良く分かった。
3)ガーシュイン:3つの前奏曲(1951年10月28日 西ドイツ・ハンブルク 放送スタジオ録音)
1951年の古さのわりに、1960年初期のモノラル録音くらいに思えるほどにかなり音が良い。
ジャズっぽいところのあるクラシックみたいな曲。ジャズピアニストはあまり弾かないような気がする。
ガーシュウィンの自作自演。
Gershwin: Three Preludes, Gershwin (1928) ガーシュウィン(自演) 3つの前奏曲
4)バッハ(ヘス編):主よ、人の望みの喜びよ ト長調(1946年11月20日 フランス パリ 放送スタジオ録音、以下同)
5)モーツァルト:ピアノ・ソナタ第15番 ハ長調 K.545~アレグロ
6)ショパン:ポロネーズ 変イ長調 Op.53 「英雄ポロネーズ」
バッハは1946年の録音とは思えないほど結構音が良い。モーツァルトとショパンは音が悪く、「英雄ポロネーズ」は1954年の日本公演ライブ録音(TBS Vintage Classics/ユニバーサル盤)の音質がわりと良い。
7)バッハ:パルティータ第2番 ハ短調 BWV826(1965年9月25日 西ドイツ・ルートヴィヒブルク ライヴ録音)
doremi盤と同一音源なのに、音質がかなり違う。使っている音源が違う(Doremi盤はマスターテープではない)のだろうか?
ステレオ&ヘッドフォンで聴くと、doremi盤の方が残響多めで、音が少し遠くて線が細い。音色は軽めで水気を帯びたような瑞々しさがある。
オリジナルのマスタテープを元にリマスタリングしたMelo盤は、残響少なめで音が近く、輪郭がくっきり明瞭。音圧が強めで少しソリッド感がある。瑞々しさはあまりないけど、リマスタリング独特の電気的な感じはせず、アコースティックな響き。こちらの音質の方が個人的には聴きやすい。特にテンポが滅法速いCapriccioは、melo盤の方が細部が聴き取りやすいせいか、慌ただしくてせわしない感じが少しだけマシになった気がする。(それでも速すぎると思うけど)
8)ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第30番 ホ長調 Op.109 (同上)
Youtubeのエアチェック音源(別の演奏会)よりも、はるかに音が良い。演奏内容に対する印象は↓と変わらないので、音の良いCDで聴けて良かった。

9)シューマン:交響的練習曲集 Op.13 (同上)
こちらもDeccaスタジオ録音よりもはるかに音が良い。遺作の5つの変奏曲はDecca盤と同じく省略。
この曲を初めて最後まで聴いたけど、私が好きになれる曲ではなかった。
10)ショパン:バラード 変イ長調 Op.47 (同上)
既出録音:Decca盤スタジオ録音(1949年)、ユニバーサル盤日本公演ライブ録音(1954年)、Audite盤スタジオ録音(1962年)、ica盤放送用ライブ録音(1965年)
異なる年代のライブ録音と放送用録音で何度も弾いているから、ショパンの作品中特に好きな曲の一つだったらしい。
5つの録音なかでは、コンサートホールで録音したica盤が残響が一番多く、音がやや軽い感じがする。演奏時間はaudite盤が一番長く(約7分30秒)、Melo盤が一番速い(演奏時間約7分)けど、テンポの違いはそれほど気にならない。(カッチェンはライブの方がテンポが速くなることが多い)
この中で一番聴きやすいと思ったのは、audite盤。テンポが少し遅い分一音一音明瞭に聴こえるし、残響が少なくともアコースティック感のある音が私の好みに合っていた。
Melo盤は、audite盤と同じくらい残響は少なく、若干籠った感じで音の輪郭に丸みと固さがあり、お城(Schloss Ludwigsburg)で録音したせいか、狭い部屋のなかでかなり前面から聴こえてくる。こちらもアコースティックな響きで聴きやすい。
1960年代の3つの録音は、1940-50年代の2つの録音よりもフォルテの響きの尖りが少なくなり(それでもタッチは力強い)、起伏が滑らかになり強弱の推移が自然になっていると思う。
どの録音も線が太目で力感・量感豊かなフォルテに厚みがあり、フレージングが流麗というよりは粒立ち良く、リズミカルで生き生きとした躍動感がある。第3番は重音連打・移動が多く、私にはブラームス風のバラードみたいに聴こえる。
昔はバラードなら第1番ばかり聴いていたけど、カッチェンの録音でこの第3番を何度も聴いていると、第1番よりも好きになってきた。
Ballade, Op. 47(audite盤)
11)メンデルスゾーン:ロンド・カプリチョーソ ホ長調 Op.14、前奏曲とフーガ第1番 ホ短調 Op.35-1(録音日・場所はガーシュウィンと同じ)
1953年のDeccaスタジオ録音よりももさらに古い録音なのに、こちらの方が1960年代初めのモノラル録音みたいに音質がずっと良い。
このCDを買って良かった点は、1)音質が良い曲が半分以上あり、2)既出CDには未収録だったベートーヴェンのピアノ・ソナタ2曲に加え、アコースティックな響きのバッハ(パルティータ)とショパン(バラード)、古いわりに音がかなり良いガーシュウィンとメンデルスゾーンが聴けた上に、3)新しい伝記的情報とカッチェンの家族写真が多数載っている中身の濃いブックレットがついていたこと。
<ブックレット記載のエピソード(一部要約)>
カッチェンに初めてピアノを教えたのは、母方の祖母Rosalie Svet。カッチェンの5歳の誕生日プレゼントがピアノレッスンだった。
祖母は1905年に米国に移民するまではワルシャワ音楽院の教師であり、祖父のMandel Svetはヴァイオリンと作曲の教師でモスクワ音楽院の教授だった。
カッチェンは毎日午前中と午後の各2時間、遊び時間を挟んでピアノを練習し、学校の勉強は正規な教師の1人が2時間教えていた。
1937年春、オーマンディがフィラデルフィア・オーケストラとリハーサル中に公会堂ホールの扉を開けて入ってきたカッチェン少年。オーマンディはどこにいるのかと訊ねるので、オーマンディは「そこで何をしているんだい、何か用かな?」。カッチェンは「演奏を聴いてもらいに来ました(I've come to play for you.)」と言い、脇に抱えている総譜とパート譜を指して「僕の楽譜を持って来ました」。単刀直入な答えに興味が湧いたため衝動に抗しきれず、オーマンディは楽譜をオケに配らせ、アシスタントのCastonに指揮棒を渡してから、聴衆のいないホールに座ってカッチェンの演奏を聴くことにした。彼は5分ばかり聴こうかと思っていたが、結局最後まで聴いてしまった。カッチェンの弾いた曲は、数週間前のデビュー演奏会で弾いたモーツァルトの《ピアノ協奏曲KV466》。オーマンディは、カッチェンに「いつの日か私のソリストになるだろう(the one day he would be his solist.)」と約束してからすぐに欧州へ向かった。その約束が果たされたのが半年後の10月21日。
すでに著名なオーケストラとの演奏会やソロリサイタルを定常的に行っていた14歳の時、カッチェンと両親が進路をどうするか決断に迫られた。演奏会活動を続けて音楽以外のことはあまり知らずにいるか、普通の少年と同じように一般高校へ進学するか、どちらかを選ばなければならなかった。演奏会生活に熱中していたカッチェンは、普通の学校生活を送るという考えに激しく抵抗したが、父親は断固として”No.”。一般高校からハヴァフォード大学へ進み、哲学と英文学を専攻した。この選択のことを回想したカッチェンは「私の両親は賢明だったので、私が懇願したにも関わらず、14歳の時に演奏会の舞台から私を引き離しました。その時の私ほど激しく怒った人はいなかったでしょうが、今の私ほど感謝している人もいないでしょう。」
大学在学中の1944年12月3日、成人(20歳)後初めてのリサイタルをカーネギーホールで開催。聴衆は2000人以上。演奏曲目は、ブラームス「ピアノソナタ第3番」、シューマン「交響的練習曲」、ムソルグスキー「展覧会の絵」、ショパン「子守歌」。5回のカーテンコールの後で弾いたアンコール曲は、リスト編曲メンデルスゾーン「歌の翼に」、ファリャ「火祭りの踊り」、ショパン「エチュードOp.10-4」。
1946年の大学卒業時、哲学で「cum laude(優等賞)」を授与され、「Phi Theta Kappa」(ファイシータカッパ/全米大学優等生協会。湯成績優秀者だけが加入できるhonor society)に選ばれた。また、パリ大学に交換留学生として1年間留学する奨学金も獲得していた。
1947年12月、両親とクリスマスを祝うためにパリから帰国していたカッチェンがギオマール・ノヴァエスのピアノリサイタルを聴きに行った時のこと。開始予定時刻を30分過ぎてもノヴァエスが会場に到着しないため、カッチェンがしばらく代りを務めることに。街着姿でグランドピアノに歩み寄ったカッチェンが弾いたのは、フランクの「前奏曲、コラールとフーガ」。聴衆の暖かい拍手にカッチェンは何度もお辞儀してから最前列の座席に座り、到着したノヴァエスの演奏を楽しんのだった。
1956年、カッチェンは当時19歳のArlette Patouと結婚。Arletteの母はドクター、父は中国とフランス領インドネシアでフランス鉄道会社のdirector genera(総裁)だった。1960年5月2日に一人息子のStefanが誕生。
カッチェンとArletteが初めて根付に出会ったのは、1953年の日本公演。それ以来、著名なコンサートホールで行われる演奏会の合間をぬって時間の許す限り、根付のディーラーとオークションを訪れた。根付を収集し始めた当時、文献情報が乏しかったにもかかわらず熱心に学び、彼らは根付の複雑さ・製作者・題材についてよく知るようになった。カッチェンの自宅を訪れた友人たちは音楽の話をしたかったが、カッチェンが話したいのは根付のこと。ローマで買い付けし、NYで売却する商業的利点について、「税関の問題は全くない。ポケットに根付を入れて、子供たちのおもちゃですと言うだけだよ」。
カッチェンが弾いた”ピアノ・マラソン”のなかでは、一晩でベートーヴェンの後期ソナタ5曲とアンコールに「熱情ソナタ」を演奏したリサイタルがある。
カッチェンはプラハを「素晴らしい音楽の街(that magnificently musical city)」と呼んでいて、とても好きだった。毎年行われる春の音楽祭への招待に応じたが、世界のどんな街でも経験したことのない拍手喝采を経験した。プロコフィエフの「ピアノ協奏曲第3番」を弾き終ってから休憩時間に入っても拍手が鳴りやます、後半の演奏を始めるためにオケのメンバーが入場する時にようやく拍手が止まったのだった。
カッチェンにとって、プラハの音楽文化は「ソリストの夢」で、「オランダを別にすれば、西欧には存在しないようなリハーサル施設が使える」と言っていた。
11歳足らずでデビューしてから31年間のキャリアを通じて、カッチェンが演奏した国は6大陸42カ国、共演したオーケストラは122。
肺がんのためパリの自宅(3 avenue Franco-Russe)で42歳で亡くなったカッチェンの葬儀は、生まれ故郷のロングビーチにあるElberonのTemple Beth Miriamで行われた。約700人の参列者にはリプキンやプライシャーなどピアニストも多く、親友だったグラフマンはメンデルスゾーンの「無言歌」を弾き、さらにシュタルケルと共にバロック時代のチェロ・ソナタから緩徐楽章を演奏した。
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