マニュエル・ロザンタール『ラヴェル その素顔と音楽論』(読書メモ)(1)

    2024.03.11 00:00| ・ 音楽(本&映画)
    今年に入ってからタロー、デュモン、オズボーンの『ラヴェル/ピアノ独奏曲全集』を立て続けに買ったせいか、ラヴェルの伝記を読みたくなって見つけたのが『ラヴェル その素顔と音楽論』。著者のマニュエル・ロザンタールは指揮者&作曲家でラヴェル最後の直弟子だった。ロザンタールはラヴェルから教えを受けていた学生時代からラヴェルが亡くなるまでの間、ずっとラヴェルと親しく身近にいた。ラヴェルの教育方法から、他の作曲家に対する評価、ラヴェルの作曲法、ラヴェルの日々の暮らしまで、ロザンタールでしか語れないエピソードや作品・作曲論が書かれていて、期待していたよりもずっと面白かった。

    ラヴェル その素顔と音楽論ラヴェル その素顔と音楽論
    (1998/12/10)


    マニュエル ロザンタール (著), マルセル マルナ (編), 伊藤 制子 (翻訳)
    (目次)
    1 ラヴェルをめぐる女性たち
    2 ラヴェルとストラヴィンスキー
    3 同時代の音楽家たち―ドイツ、ロシア、イタリア
    4 ラヴェルの恩師、弟子そして友人たち
    5 フランス音楽へのまなざし―ドビュッシー、ベルリオーズ、プーランク
    6 『ヴァイオリンとピアノのためのソナタ』をめぐって
    7 モンフォール=ラモリのラヴェルの家
    8 素顔のラヴェル―日常生活のひとこま
    9 ラヴェルの評価をめぐって
    10 思い出の演奏家たち
    11 『子供と魔法』から『ドゥルシネア姫に思いを寄せるドン・キホーテ』まで
    12 スクリャービン、イタリア未来派―同時代の異端者たち

    <関連情報>作曲家の演奏美学 第2回 モーリス・ラヴェル(内藤晃)[日本音楽協会]


    <ラヴェルによる作曲家評>
    ラヴェルはさまざまな音楽家の例を引いてくれたのに、レッスンを受けていた間、ベートーヴェンの音楽は、ただの一小節も使わなかった。レント楽章一つすら取り上げたことはなく、バッハもなかった。けっきょくラヴェルの言い分によると、これらの作曲家は、尊敬に値するし、すばらしい作曲家ではあるが、ただそれだけだということらしい。(1頁)

     それに対して、モーツァルトの音楽は、たえず話題にのぼった。そのうえ、ロマン派の作曲家、なかでもウェーバーの音楽がしばしば登場した。・・・・ラヴェルは管弦楽のことには触れず、むしろこの音楽の熱情的な性格について語っていた。これは驚くべきことだ。この種の音楽は、ラヴェルの音楽とはまるで正反対だからである。ウェーバーの音楽を表情過多にしてしまうことさえある熱狂ぶると激しさ、そして表現力などに、ラヴェルは注目していたのである。しかもラヴェルは、この大胆さと完成された男性的魅力を極めて高く評価していたのだ。(2頁)

     ラヴェルが、またいっそう控えめながらも深く尊敬したのは、シューマンだ。(2頁)

     ラヴェルは、深い人間味にあふれたシューマンの音楽を一貫して評価していた。・・・ラヴェルはシューマンの交響曲については語ることはなかったが、このジャンルに興味がなかったからだろう。(2~3頁)

     むしろ彼が興味をもったのは、鍵盤楽器のため作品だ。賞賛に値するピアにスティックな発見が多く、ラヴェル自身もそこから得たものがあるからだ。シューマンとリストは、ラヴェルがピアノ曲、とくに《夜のガスパール》を作曲する際に、非常に参考になったのである。そのうえ、私の記憶では、ラヴェルは、シューマンの管弦楽つきの合唱曲《楽園とペリ》に感動していたと思う。ラヴェルはこの作品のなかに、偉大なシューマン像、つまりすばらしい声楽やきわめて息の長い旋律といったものを発見したらしい。ラヴェルは、旋律を生み出す豊かな才能に、惜しみない賛辞を送っていたのである。(4頁)

     たとえば、ベルリーニもそうだ。ラヴェルは、《ノルマ》のパッセージをよく弾いて見せてくれた。(4頁)

     さらに、また別の音楽のことも言及しておこう。ラヴェルがひじょうに尊敬していて、もっとも偉大な人物だとみなした音楽家、ショパンについてだ。ラヴェルは、舟歌こそ、あらゆる音楽のなかでもっともすばらしい作品のひとつだと考えていたのである。彼はそこに-私も正しいと思うが-、旋律、ピアノ書法、そして和声などをめぐる偉大な相違を見て取っており、さらに独特の才能のひらめきも評価していた。(4~5頁)

     ここでわかるのは、ラヴェルが、自分には恵まれなかった才能に執着していることだろう。私が言いたいのはつまり、旋律を生み出す才能のことだ。ラヴェルの音楽には、すばらしい旋律線があふれているように見えるものの、それらはたいていペンタトニックの音階と関係がある。どこからこの感傷的な旋法を引いてきたのかと質問したとき、彼はすぐさまはっきり教えてくれた。「じつは、シャブリエからなんだよ。彼の音楽を聴いたことが、旋法的な旋律を書くきっけかになった。」
     ベルリーニ、ショパン、シューマンにおいて、多くの旋律が次から次へと湧きあがってくるさまを見て、ラヴェルはすっかり感激していたのだろう。ラヴェル自身は旋律を引き出すために、ちがった方法を用いている。彼の音楽では、ある旋律が曲中のいたるところで使われているような印象を受けることがよくある。旋律は、感動的なものであれ激しいものであれば、すんなりとどこにでも紛れ込んでしまう。じつは、これはいくつかの音程に関係している。ラヴェルが卓抜した手法でこれらの音程を組み合わせ、変形しているのがわかる。だが基本的な要素には、真の新しさはない。彼はもともと、そういった能力には恵まれていなかったからだ。(5頁)

    ストラヴィンスキーは、どんなものに取り組んでも、そこにはつねに洞察力があり、オリジナリティや力強さが感じられる。
     ラヴェルは自分だけの庭をつくりあげたが、そこにはけっしてストラヴィンスキーは近寄らなかった。ラヴェルの庭では、形態と配置の完璧さこそが追及されていたからだ。ストラヴィンスキーがドビュッシーのほうを好んだのは、そこに、予測不可能な何かがあったからだろう-たとえ、かならずしも「完璧」ではないにせよ。そうは言っても、ストラヴィンスキーが、ラヴェルの完成度の高さについて、多少なりとも嫉妬していたのは確かだ。
     ストラヴィンスキーがフランスで生活をしていた当時は、まるで二人の大物作曲家が張り合っているようだった。この時代、彼ら二人ほど評価されていた作曲家はいなかった。・・・表向きにはルーセルのほうが評価されていたと前に述べたが、全世界を見渡した場合には、やはりストラヴィンスキーとラヴェルの二人こそが重要な作曲家だったのではないだろうか。(45~46頁)

    ラヴェルは、フォーレの人格に特別な敬意を払い、音楽家としてのフォーレにも一目置いていた。とはいえ、フォーレの音楽は好きではなかった。ラヴェルは、フォーレの美学には関心がなく、フォーレからは何も教わっていないとみなしていた。(67頁)

    ラヴェルは、ごく親しい仲間うちでは、こう打ち明けている。フォーレと自分が、まるで水と油のようにちがっており、お互いへの影響も皆無だった、と。
    ラヴェルは、自作において調整という基盤を重視していたが(《マラルメの三つの詩》のように、無調に傾いたこともあったが、だからといって私の発言とは矛盾しない)、こういったことは、フォーレの場合の調整の不安定さとは相反するものだから。フォーレはつねに、二つの調合のあいだを跳ね回るように動いている。ラヴェルはなによりも率直さを愛したのに、フォーレの音楽は-これこそ彼の美点だが-、和声の明解さからは程遠い。・・・そのうえフォーレの歌曲には、サロン風の雰囲気が濃厚すぎる。(67~68頁)

    ラヴェルいわく、ブラームスは第一級の作曲家ではなく、二流どころの作曲家だという。そうは言っても、ラヴェルは、ブラームスの交響曲の何番かわからないが、少なくとも、彼のオーケストレーションのすばらしさについて論じた文章を発表している。当時はこのような寒天からブラームスを論じた者は、皆無であったというのに。
     二流という意見があったにせよ、ブラームスを無視するわけにはいかないだろう。ブラームスはすでに圧倒的な名声を誇っていたので、私はある日ストラヴィンスキーにこの点について、尋ねてみた。ストラヴィンスキーいわく、ブラームスのオーケストレーションには、「何ひとつ新しさなどない」ということだ。彼はこう言葉を続けた。「たしかにブラームスのオーケストレーションには、独特の色彩はある。でも創意のかけらもないのはたしかだ」(70頁)

    ラヴェルがどこからオーケストラ的装いのセンスを引き出しているか、問わなければならない。ラヴェルが参考にしていたのは、サン=サーンスであった(奇妙に思えるが理解できなくはない)。リムスキー=コルサコフとシュトラウスの譜面を別にすれば、ラヴェルの譜面台につねに立てかけてあったのは、サン=サーンスのピアノ協奏曲第5番なのである。しかもいつでも!
     「まさに、この一曲の中にすべてがあるんだ。こんなにも少ない素材で、ここまで完璧な結果を引き出せるんだからね」。ラヴェルにとっては、これこそ究極の姿なのである。和声と旋律がいかにお粗末でも、二の次になってしまう・・・・・。彼の目には、すべては職人芸の質の高さによって、救われているように映っているのだ。(73~74頁)

    「こんなパッセージはあまり良くない。でもそれを支えている管弦楽部分を見てごらん。模範的な響きだし、これこそ驚異的な出来だ。そして次にピアノがくる。ピアノがところどころ月並みなのは、少々残念だけどね。でも、ピアノがどんなふうに書かれているかを見てごらん。指を二本しか使わないのに、こんなに響くんだ。こんなふうにピアノで弾いて、こういう響きが作れるなんてすごい。うまくできているよ。オーケストラのほうもけっしてソロを邪魔せずに、さまざまな創意工夫を凝らしている・・・・・・・」。(74~75頁)

    じつはラヴェルがサン=サーンスにおいて評価していたのは、メチエというよりも、このすばらしい創意と効率の良い手法である。たしかに、サン=サーンスの音楽は、つねに興味深く独創的な手法で響いているのは確かだ。(75頁)


    <作曲家という仕事について>
     ラヴェルは助言を求めにきた者にも、絶対に譲歩はしない。厳しい分だけ公平だったが、それは、彼が創造的な仕事にある厳しさを感じていたからだろう。(40頁)

    彼はつねに自分の流儀で私にレッスンをしており、情け容赦のないこともよくあった。あるとき私は、ジャン・ユレからニ声フーガの課題をもらった(こういう課題はとても難しい)。私はニ、三の規則違反をしてもいいから、自分の音楽性を十分に発揮して書くべきだと考えたのだ。ユレ0はいくつかの間違いを見つけたが、音楽的なフーガだと評価してくれたのである。
     これを聞いたラヴェルは、ユレに対して(もちろん私へも)怒りを爆発させてしまった。ラヴェルは「君はフーガを学ぶために来ているのであって、自分の音楽をつくるためではない」と怒鳴りつけた。自分の音楽をつくるには、これからまだ時間はあるから、と。今はフーガの練習をするのが目的なのだから、この種の課題の規則には従いなさいと言ったのだ。さらにラヴェルは、こう叫んだ。「音楽的だなどという口実で、勝手なことをしてはいけないよ」。そこで、こちらの顔をまじまじと見ながら、課題をご丁寧にも小さく破り、暖炉へ投げ込んでしまった。私の課題は小さい紙くずになり、ラヴェルの書斎の小さい暖炉に捨てられた・・・・・・。
     ラヴェルからは、しょっちゅうこんなふうに怒られた。彼には寄宿舎の監視人のような厳しさがあり、まるで悪意からそんなことをしているようにさえ思えた。ある日、とうとう私も堪忍袋の緒が切れてしまった。扉を乱暴に開けて飛び出し、教会の広場まで走った。そこは、モンフォール駅に行くため、いつも馬車に乗る場所である。そこにいた馬車は、出発の時間を待っていた。いったん座ったものの、乗っているのは私だけ・・・・・・。私は身体中から涙をふりしぼって、泣き出してしまった。そしてなんどもこうつぶやいた。「もうだけだ。戻ることなんてできない。困ったことになった。先生の技法を十分に学ぼうを思ったのに、これじゃあおしまいだ。なんとかしようと思って、ほんのちょっとへまをしたばっかりに・・・・・・・」。
     雨が激しく降り出したが、突然、馬車の曇ったガラス越しに、人影がこちらに走ってくるのが目に入った。私は、どうやって馬車に乗るのかがわからない旅人が来るのだと思い、彼を待って扉を開けた。すると外には、ラヴェルが立っていたのである。帽子もかぶらず、コートも着ないで、じっとしたまま、ずぶ濡れになっていた。そして、こう言った。「どうしたんだい。先生にさよならも言わずに、出ていってしまうつもりかい?」 この場面を想像していただきたい。私は、わっと泣き崩れ、そしてすべて解決した。
     これについてはもうけっして話題にすることはなかったが、ラヴェルはすべて理解していた。とても善良かつ寛大な面もあり、知性にあふれていたからだ。さらに彼は、こう忠告もしてくれたのである。「わかると思うけれど、作曲家という仕事はたいへん辛い。考えてごらん。直してくれたり、こういう解決は良くないと言ってくれる人など、だれもいなくなるんだよ。音楽的には良くても、あまりいいアイディアではないと思われることもあるし、自分では素晴らしいと思っても、燃やしたほうがましなくらいひどいこともよくあるからね」。
     ラヴェルの家の暖炉には、ところどころ燃えた私のフーガばかりか、彼自身の作品もかなりあった。ラヴェルはこう付け加えた。「こういった犠牲を払う覚悟をしておいたほうがいい。いつも良いものが書けるとはかぎらない。しかも捨てたもののほうを惜しかったと思うことさえある。でも自分の職業に対しては、正直でなくてはいけないよ。そんなふうにしてある水準に達し、別の作品だったらもっとうまくいったかもしれないとわかったら、それこそ何かを学んだことになるのさ。それを期待して、汗を流して励み、作曲をするのはもううんざりだというくらいまでならなくては」(40~43頁)


    <ラヴェルの音楽>
    「音楽に秘められた優しさ」
     ラヴェルのもっとも輝かしい才能というのは、つねに深い「優しさ」(tendresse)を表現し得たことだろう。思うに、ラヴェルこそ、優しさをもった作曲家ではないか(ドビュッシーは愛amourの作曲家だが、暴力的なものや猜疑心もあり、嫉妬さえ持ち合わせている)。ラベルの多くの作品のなかに存在している、こにょうなすばらしい感情こを、敬服すべきものだろう。
     ラベルがだれにもまして、子供の母への愛情の深さを表現できたのはこのためである。これこそ、《子供と魔法》での子供の最後の叫びにほかならない。このような汚れのないニュアンスを発見した者など皆無である。(6頁)

     ラヴェルのあらゆる音楽には、どんな時期に書かれたものであろうと、心地よい、無垢な優しさの輝きを見いだすことができる。

     もちろん、《マ・メール・ロワ》のなかにも、前述したような傾向は見いだせる。しかも、それはちょっと見には、わからないようにつくられている。
     
     《マ・メール・ロワ》の輝くような優しさは、きわめて簡素な手段で巧みに得られたもので、これは真の巨匠だけが発見できるものだろう。こういった簡素さは、誤解を招いてしまう。新しさとはつねに複雑で、骨の折れるものだと思われていることが多いからだ。・・・きわめて洗練された音楽家だからこそ、最小限の手段で<パゴダの女王のリドロネット>や<妖精の国>のような音楽を書くことができたわけだ。

     こんなに単純な曲が天国的なものを喚起しているとなれば、どうして無関心でいられようか。ハ長調で書かれ、二、三の旋律以外はなく、込み入った対位法もない。すでに音楽において学び得るすべてを知りつくぢ、何でもできるような偉大な音楽家が好む、からくりや複雑さもない。仮にラヴェルがどんな作曲家であるかを手短に述べるとしたら、次のように言うべきだろう。彼の音楽こそ、どんなときでも、どんな状況にあっても、優しさからできているのだ、と。それゆえ、彼は現在でもすばらしい作曲家だとみなされているのである。(7~8頁)

    「ボレロの逸話」
    ラヴェルが尊敬していた指揮者トスカニーニが《ボレロ》を演奏した時の語り継がれている逸話。
    《ボレロ》はやけに速いテンポだった。ラヴェルは不機嫌になったわけではないが、すぐに舞台裏に行き、トスカニーニに会った。そして、なぜこんなふうに《ボレロ》を演奏するのかと尋ねた。トスカニーニは、そのとき、ラヴェルにこう言い返すような横柄な態度だった-「なぜかというと、おっしゃるテンポで演奏したら、けっして成功しませんからね」・・・・・・。こういう話はまったくでっちあげである。その後、私はラヴェルに「もっとゆっくり演奏してほしいと言ったのですか」と尋ねた。「もちろん違うよ。あの晩、トスカニーニは、このうえもなくすばらしい手さばきで、《ボレロ》を演奏したのだからね。あんなふうに演奏するなんてだれにもできない。とてもすばらしかったんだから」。(55頁)

    「ラヴェルにとってのピアノ」
     ラヴェル自身がしばしば言及しているドビュッシーもそうだが、ラヴェルも「鍵盤楽器こそが、作曲家にとっての和声論で、ここからすべてを発見できる」と語っている。その頃はピアノをうまく弾けなくなっていたが、彼はいつもピアノで作曲していた。実際に人前で演奏することがなくなったので、以前から癖だった悪い構え方に悩まされていた。ラヴェルは鍵盤の少々端の方につかまるように弾いていたのである。それでは手の位置が平らになり、鍵盤にうまく乗らないというのに。こういった悪い弾き方のために、ラヴェルのピアノ音楽では、オクターブのパッセージをほとんど用いていないのである。
     そのかわりに、彼はよく親指を使っていた。モーリス・ドラージュやロラン=マニュエル、そして私は、これを「絞殺者の親指」などと呼んでいたものだ。実際、ラベルは、ピアニストの手とは思えない節くれだった指をしており、親指はとても大きくて力強かった。しかも手首に近いところに付いていて、他の指からかなり離れており、手の形という点では非常に特殊だったので、ラヴェルの親指は非凡な敏捷さを持っていた。彼のピアノ曲では、旋律を浮き立たせるために、親指が他の指の下をすべるように動くことも多い(《夜のガスパール》の<オンディーヌ>がよい例だ)。(39頁)

     演奏技術が衰え、つっかえることも少なくなかったが、ラヴェルはピアノをこよなく愛していた。・・・・ラヴェルは、オーケストラの譜面以外は、けっして机で書くことはない。オーケストラ作品でも、ピアノで自らのオーケストレーションの具合を確認していたほどだったのだから。(40頁)

    <参考音源>
    Ravel: Ma mère l’Oye ∙ hr-Sinfonieorchester ∙ Julian Kuerti


    Ravel: Ma Mère l'Oye - Lucas & Arthur Jussen


    マ・メール・ロワ(連弾)[ピティナ]
    おとぎ話に基づく5曲構成の組曲。元々はラヴェルが親しくしていたゴドフスキ夫妻の2人の子供のために書かれたピアノ連弾曲で、その後管弦楽曲版に編曲、さらにバレエ音楽に改作。タイトルはペローの作品『マ・メール・ロワ(フランス語で「マザーグース」の意味)のお話』に由来。
    1.眠りの森の美女のパヴァーヌ、2.親指小僧、3.女王の陶器人形レドロネット、4.美女と野獣の対話、5.妖精の園

    Maurice Ravel - Bolero


    Ravel Bolero - Toscanini - NBC 1939


    トスカニーニ、ラヴェルを怒らす - アッチェランドするボレロ [Ritornèllo](青澤隆明 2020.01.16/medici.tv)

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    Author:Yoshimi
    <プロフィール>
    クラシック音楽に本と絵に囲まれて気ままに暮らす日々。

    好きな作曲家:ベートーヴェン、ブラームス、バッハ、リスト。主に聴くのは、ピアノ独奏曲とピアノ協奏曲、ピアノの入った室内楽曲(ヴァイオリンソナタ、チェロソナタ、ピアノ三重奏曲など)。

    好きなピアニスト:カッチェン、レーゼル、ハフ、コロリオフ、フィオレンティーノ、パーチェ、デュシャーブル、ミンナール、アラウ

    好きなヴァイオリニスト:F.P.ツィンマーマン、スーク

    好きなジャズピアニスト:バイラーク、若かりし頃の大西順子、メルドー(ソロのみ)、エヴァンス

    好きな作家;アリステア・マクリーン、エドモンド・ハミルトン、太宰治、菊池寛、芥川龍之介、吉村昭
    好きな画家;クリムト、オキーフ、池田遙邨、有元利夫
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