中島敦「弟子」 

2007, 03. 21 (Wed) 06:36

中島敦は、日本人の作家としては、あまり有名ではない。
漢文の素養が深く、格調の高い文体と、短いながら凝縮されたストーリーは”珠玉”と言いたくなるほどに、忘れられないものがある。

新潮文庫に4篇の短編を納めた「山月記・李陵」が出ている。
彼は早世したために、全集として3冊を残したのみ。
中学時代に始めて読んで、何度も読み返した短編だった。

李陵・山月記 李陵・山月記
中島 敦 (1969/05)
新潮社

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「山月記・李陵」の中に納められている「弟子」が最も好きな作品。
孔子の弟子・孔門十哲のひとりである子路(由)を主役にした物語である。
孔子と子路の師弟関係や子路と他の弟子たちとの個性の違いが、歯切れ良い言葉で生き生きと語られている。
ここには、論語で読むような孔子の言葉の説教くささはどこにもない。
当時の市井や政治を舞台にして、孔子の言葉が語られる。
子路との問答や、子路の思いを通じて、その言葉の意味が理解できてくる。

この中の孔子は、聖人君子のような孔子ではない。
直情径行型の子路を相手にすれば、わんぱく坊主をやんわりと諭す良き教師であり、弟子たちの個性を語らせれば、その本質を見抜く慧眼を持った名伯楽の如くである。

子路はいつも孔子に叱られるが、無謀にも果敢に師に反問する。
孔子は子路の軽率さを常に戒めていたが、同時にその素直さ、純粋さをこの上なく愛していた。

孔子を敬愛するあまり、街で人々が孔子を侮蔑する言葉を発すると、肩を怒らせまなじりを決して恐ろしい形相で睨みつける子路がいた。
そのうち、人々は孔子の悪口を言わなくなった。
「由が門に入ってから自分は悪言を耳にしなくなった」と孔子は苦笑し、嘆いたそうだ。

子路が衛の大夫であったとき、衛侯父子の争いが激しくなり政変が起こった。
それを伝え聞いた孔子は「柴(さい)(子羔)や、それ帰らん。由(ゆう)や死なん。」と予言した。
その通り、小心者の子羔は、禄をもらっていた王を見捨てて、さっさと難を逃れた。
子路(由)は王への忠誠を捨てずに、最後まで踏みとどまるが、所詮多勢に無勢。
全身膾のように切り刻まれて死んだ。

孔子には、どのような状況にあっても、子路が信義を決して捨てないことがわかっていた。
だから、由や死なん、と言うしかなかったのだ。
子路の末路を聞いた孔子は、「老聖人は佇立瞑目することしばし、やがて潸然として涙下った。」
そして、子路の屍が醢(塩漬け)にされたと聞いた孔子は、家中のあらゆる塩漬を捨て、その後、二度と食膳に添えることはなかったそうだ。

「弟子」(インターネットの電子図書館・青空文庫より)

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