村上春樹『意味がなければスイングはない』 

2008, 07. 17 (Thu) 07:47

久しぶりに村上春樹の本『意味がなければスイングはない』を読んだ。
最後に読んだのは、たぶん「ダンス・ダンス・ダンス」だったから、10年以上は読んでいなかったのは確実。
初期の頃から欠かさず読んでいたが(『ハードボイルドワンダーランド』は特に好きだった)、「ねじまき鳥」の頃だろうか、作風が変わってしまって、それ以来読むことはなかった。

ジャズについて書いてあるであろうと題名からしてわかる『意味がなければスイングはない』を読んだのは、音楽の評論集みたいなもので、クラシックについてもいくつか書いているから。
彼は大学を出てからジャズ喫茶をやっていたので、ジャズについては非常に詳しく他の本も出している。
クラシックにもかなり詳しい(と思う)が、小説中にクラシック音楽のことに触れていることはあっても、評論はあまり見たことがない。

意味がなければスイングはない意味がなければスイングはない
(2005/11/25)
村上 春樹

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クラシックに関する評論は3篇。
「シューベルト「ピアノ・ソナタ第17番ニ長調」D850 ソフトな混沌の今日性」
「ゼルキンとルービンシュタイン 二人のピアニスト」
「日曜日の朝のフランシス・プーランク」
一番面白かったのは、「ゼルキンとルービンシュタイン」。この章だけでも、この本を読む値打ちは十分ある。
一回りちょっと年齢が違う2人のピアニスト。ユダヤ人という点は同じで生まれ育った境遇も似ているところがあるが、時代背景とパーソナリティとピアニズムは全く違う。
彼は2人の自伝をそれぞれ読んでいるので、それを引用しながら、この2人のピアニストの違いを実に的確に論じていく。
”ナチュラルなピアニスト”ルービンシュタインと”努力と練習の人”ゼルキン。
当然彼らの演奏をレコードやCDで聴いていることもあって、論ずるポイントははずしていない。
村上春樹の比喩は、なるほどと思うほどいつも本質を突いていて、かつ、軽妙なので、これが結構笑える。
評論家が評論を書くのとは違って、作家が評論を書くと、そこに読み物としての面白さプラス表現の独自性が加わるのだろう。

シューベルトの評論は、副題ほどには大したものではない。多くのピアニストのシューベルト演奏評みたいなもの。
私はシューベルトは聴かない。以前、いくつか聴いたことがあるが、どうしても彼の音楽は私には合わなかったので。
彼は、このシューベルトのピアノ・ソナタを10人以上のピアニストの演奏で良く聴きこんでいるので、ソナタ自体の持つ特性と、個々のピアニストの演奏の特徴をうまく表現しているような気がする。
その表現が妥当かどうかはわからないが、クラシック評論家の先生方が言うことも大してあてにはならない。それよりはなぜか彼の言っていることを信じたくなってしまう。
少なくとも「類まれな強靭なタッチでバッタバッタと」弾くリヒテルとギレリスのシューベルト評は当たっているだろうが、2頁くらいをこの2人のソナタ演奏評にあてていて、これがまた笑える。

プーランクは、10年以上前に凝ったことがあって、歌曲からピアノ曲、協奏曲、歌曲、室内楽と良く聴いた。ピアノ曲も悪くはないが、私は女声で歌う歌曲の方が気に入っていた。
軽妙で洒落た曲風が気に入ったせいかどうかは忘れたが、確かにプーランクの曲は日曜の朝に良く似合う。
最近たまたま聴いたのは、ピアノ曲の即興曲第15番「エディット・ピアフヘのオマージュ」。
田部京子のピアノ小品集に収録されていたもの。

ロマンス~ピアノ小品集ロマンス~ピアノ小品集
(2006/12/20)
田部京子

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タグ:伝記・評論 シューベルト ゼルキン ルービンシュタイン プーランク

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