村上輝久「いい音ってなんだろう」 ~ 日本人調律師の欧州調律修行記 

2008, 09. 23 (Tue) 00:11

『いい音ってなんだろう』というタイトルを見ると、理科かなにかの学習書か?と思えるが、これはヤマハの調律師村上輝久氏が書いた調律人生記。

いい音ってなんだろう/村上輝久いい音ってなんだろう/村上輝久
(2000/01/01)
村上 輝久

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著者は、あのプロジェクトX「リヒテルが愛した執念のピアノ」に登場している有名な調律師さん。
「リヒテルが愛した執念のピアノ」の話とオーバーラップする部分は少しあるが(ミケランジェリやリヒテルの調律をした時のエピソードなど)、著者がヤマハに入社するまでの経緯や、ヤマハ時代の会社員人生、ヨーロッパでの調律修行などが書かれている。
欧州渡航以前のところは、当時の社会やヤマハの動向が書かれているし、調律師兼営業マン人生時のエピソードなどもなかなか面白い。

本書の目玉はなんといっても欧米での調律修行記。
ミケランジェリの専属調律師タローネの元で修行中、ミケランジェリのピアノを調律したことから、ミケランジェリのコンサートの専属調律師として、欧米を飛び回るようになる。
これがきっかけで、村上氏は欧州の音楽祭の調律師として招聘され、そこでリヒテル、ギレリス、ケンプなどの著名ピアニストの調律を手がけ、ヤマハの欧州進出への足がかりとなっていった。

当時の日本の音楽界やピアノ製造技術のレベルは、欧米よりも数段遅れていた。
その日本から来たヤマハの調律師(それにイタリア語が満足に話せない)を専属にするというのは、ミケランジェリも思い切ったことをしたものだと思うが、村上氏の調律師としての能力が高く、人柄も良かったのだろう。

ミケランジェリは、欧州で修業中だった村上氏を自宅に呼んで、調律がすっかり狂っているピアノの調律を依頼した。彼の能力のテストも兼ねていたのだろう。村上氏が調律したピアノに満足したようで、以後、コンサートでの調律を村上氏に依頼するようになったのだった。

ミケランジェリは、普段はアップライトピアノのマフラーペダルにフェルトを1枚追加して、弱音状態で練習していた。これは狭い部屋でフォルテでガンガンとピアノを弾くと、耳がだめになるから。小さな音を聴きながら、コンサートをイメージして練習していたそうだ。
しかし、コンサート前には、普通のコンサート用ピアノで集中的に練習していた。いくらなんでも、アップライトの弱音状態で練習し続けて、コンサートでまともに弾けるわけがない。

村上氏は、日本でも調律師としてピアニストなどに気に入られて、次から次へと紹介してもらえるタイプだった。
人間性で相通じるところがあるのは、言語が異なる違う欧州でも同じだったようだ。

完璧主義者で気難しいと思われているミケランジェリの意外に優しい一面も。
コンサートツサーに同行していた村上氏が高熱でホテルでダウンしている時、それを聞きつけたミケランジェリが水の入ったコップと薬を持って彼の部屋まで出向いたこと。
ミケランジェリは「薬剤師になろうと思ったことがあったので薬には詳しい。安心して飲んで寝なさい。」
調律とコンサートが無事に終えた後に、ミケランジェリはフラフラで食欲不振の彼を日本料理店へ連れて行く。
刺身、おひたし、お味噌汁といったあっさりした日本食を食べさせようとしたのだった。
人間関係でトラブルを引き起こして、数多の人と絶交したミケランジェリのことを知っているので、意外と優しい彼の気遣いは、印象的な話だった。

面白かったのは、ポリーニとの出会い。
これはプロジェクトXでは収録されていないと思う。少なくとも本には書いていなかった。
ミケランジェリから村上氏のことを聞いたポリーニは、ショパンコンクール優勝後の24歳。
グラモフォンからあの衝撃的なペトリューシカ/バルトークの録音がリリースされる前の頃。
ポリーニ宅で調律することになったが、彼は「ドルチェ」の音色にして欲しいとのこと。
村上氏はドルチェのニュアンスがわからず、ソフトな音色にしたがこれはポリーニの好みと正反対だった。
ポリーニはドルチェという音色を理解してもらうために、キッチンから持ってきたのはこってりしたケーキ。
これを村上氏に食べてもらって、「これがドルチェ」。
この音色を味覚で表現する感性には村上氏も感嘆する。
ポリーニは村上氏が気に入ったらしく、その後も度々彼に調律を頼むようになった。
ある時EMIでのスタジオ録音の調律を依頼。
ところが、EMIのスタジオには専属調律師がいるので、ポリーニが連れてきた調律師を拒否。
村上氏をめぐって、ポリーニとプロデューサーがすったもんだして、レコーディングはおじゃん。
今入手できるポリーニのEMIでの録音は1-2枚しかなく、本格デビューはグラモフォン。どうしてグラモフォンに変わったのか不思議だったが、このエピソードは鞍替えした理由の伏線だろう。
ポリーニはとても律儀な人で、村上氏が欧州を離れる時に、丁寧な自筆礼状を彼に送ったのだった。

ピアニストの自伝とかなら結構出回っているが、調律師に関する本は多くはない。
たしか、ホロヴィッツの調律師が書いた本があったのは覚えている。
欧州の伝統技術であるピアノと調律の世界に、後発のヤマハと日本人調律師が果敢に挑んでいく過程が、戦後の日本の経済発展とオーバーラップする。
やはりプロジェクトX向きのストーリーだったのだと納得した。

タグ:ミケランジェリ ポリーニ 伝記・評論

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