ブラームス/ピアノ五重奏曲 

2008, 10. 24 (Fri) 23:44

弦楽器が入った室内楽は、好きなヴァイオリンソナタ数曲以外はほとんど聴くことはないが、数少ない例外がこのブラームスのピアノ五重奏曲。
ブラームスらしい重厚な響きで、抑制された激情があふれ出る名曲。
FMで初めて聴いてテープに録音したりしていたが、引越し騒動で行方不明に。
今持っているのはCDは、ポリーニ/イタリア弦楽四重奏団の演奏。
あのポリーニが室内楽のCDをリリースしていたので、珍しくて買ってしまったもの。

Piano Quintet Op 34Piano Quintet Op 34
(2004/06/22)
Johannes Brahms、

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この演奏はポリーニのピアノが主導権をとっている。
ピアノが曲全体の構造を形作り、その中を弦楽器が動き回っているような感じがする。
ブラームスのピアノ曲は、押しなべて音が込み入っており、和音も多用されているので、とても重厚な響きになる。
その分、弦楽パートに厚みがあればバランスもとりやすいのだろうが、弦楽器のことは全然詳しくないのでよくは分らない。
少なくともポリーニのピアニズムは、強弱の幅が非常に大きくドラマティックなところがあるので、ポリーニの個性が他の奏者に比べて強すぎる気はする。
初めはピアノも押さえ気味にしているが、第3、第4楽章へと弾き進むに連れて、どうしても前へ前へと出てしまう。

ポリーニのピアニズムはその造形力の高さが特徴で、この演奏でも曲の輪郭をくっきりと浮かび上がらせ、ピアノを聴いていると曲の方向性がよくわかる。
ポリーニのピアノの音色は、硬質で透明感があり輝きのある明るい音色。この時代の彼の音には曖昧さは全くない確固とした音。
弦楽器の方の音色は、線が細めだが明るくて伸びやかで、渋みが少ない感じがする。
この曲を聴いていると、あの重厚で気難しい感じのする壮年期のブラームスはどこかへ去って、疾風怒濤の青春時代を駆け抜けるときの、若者特有の情熱にうなされるブラームスが浮かんでくる。
全体的に短調で憂いと悲愴感であふれた旋律が支配しているはずなのに、なぜか澄み切った明るさやすがすがしささえ感じる。
ブラームスらしい抑制した感情がにじみ出る渋さや重厚さは消え、イタリア人的な明晰さと理性でコントロールされている演奏だと思うが、これはこれで聴いていて楽しい。
ブラームスが苦手という人でも、この演奏なら大丈夫かも。

          

ルドルフ・ゼルキンのピアノとブダペスト弦楽四重奏団が演奏しているCDは最近手に入れたもの。
名演と言われているが、一度聴けばなぜ名演と言われているかわかるという演奏。
ブラームスのピアノの響きはもともと重厚で、弦の響きに覆いかぶさってしまいそうになるせいか、ゼルキンのピアノは、残響やペダルをやや短めにして、音響的にピアノが弦に対して重く長くならないようにしている感じがする。
弦楽器はそれぞれ自分の歌を歌い、ゼルキンは前面に出るべき時は出て、後ろで支えるときは支え、奏者がそれぞれやるべきことをやっていると言う感じで、とても音のバランスが良く聴こえる。
といっても、調和しつつも、それぞれの個性が対峙して拮抗しているかのような緊張感も感じられて、とてもスリリングな演奏。

第1楽章は冒頭からブラームスらしい旋律と響き。プロローグなのでまだ激情が抑えられている方だと思うが、決して明るい曲想とは言えない。

第2楽章は緩徐楽章。優美な旋律だがブラームスらしい憂いがあちこちに漂っている。嵐の前の静けさというようなもので、こういう楽章の後には、必ず激しい感情が堰を切って流れ出ることになる。

第3楽章の冒頭から何かの始まりを予兆するかのように、弦とピアノが拍子を刻む。その後は独特のリズム感のある旋律で、何かが迫り来るような緊張感が徐々に高まっていく。
第1、第2楽章の抑制を聴かせたピアノが、ここでは徐々に高揚していくがまだクライマックスには至っていない。

第4楽章はヴァイオリンの不安げな旋律で始まり、徐々にテンポも上がり、終結部へ向かってピアノと弦が激しくせめぎ合って、もう少しで崩壊するのではないかというくらい激情と緊迫感がピークに達する。
そうなるとピアノもガンガン鳴らしたくなるものだが、どんなに激する場面であっても、弦との音のバランスを崩すことはなく、うまくコントロールされていると思う。

この演奏は、これぞブラームスというくらい、重厚でほの暗い憂いに満ち、それでいて強い意志を感じさせる。
多くの経験を経てそれなりの年を重ねた演奏家でなければ、こういう音楽は作れないのではないかと感じさせてくれる。

ブラームス:ピアノ五重奏曲ブラームス:ピアノ五重奏曲
(1989/06/01)
ブダペスト弦楽四重奏団

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ジャケットを見ると貫禄のある演奏者が揃っている。こういう人たちから、このような音楽が作られたのだと納得。
ゼルキンは、欧州時代は室内楽をよくしていた人で、そこで得た名声もソリストとしてではなく室内楽のピアノ伴奏者としてだったらしい。
米国のマールボロ音楽祭は、義父ブッシュとともにゼルキンが設立した音楽祭だが、それは室内楽を中心とした研修と演奏の場になっている。
室内楽のパートナーだったブッシュが1951年に亡くなったこともあって、1950年代には室内楽の録音がまだたくさん残しているが、徐々にソリストとしての活動のウェートが高くなっていったようだ。
ゼルキンにとっては、ソリストとして自分の音楽を追求できるという世界が広がったのだろう。
室内楽をあまり聴かない私としては、ゼルキンのピアノ独奏曲やピアノコンチェルトを聴く機会が増えたのは幸運だった。

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