吉松隆/朱鷺によせる哀歌 

2008, 10. 28 (Tue) 23:58

吉松隆の音楽を初めて聴いたのは、20年以上前のNHKのFM放送。
曲は《朱鷺によせる哀歌》。
あまりにも美しい曲だったので、すぐに探してCDを手に入れた。井上道義指揮の新日本フィルの演奏だった。
《朱鷺によせる哀歌》が収録されているCD(タイトルは『鳥たちの時代』)は、カメラータというレーベルから出ている。今はこのCDは入手困難になっている。
彼の初期作品-《チカプ》《鳥たちの時代》《デジタルバード組曲》《鳥の形をした4つの小品》《ランダムバード変奏曲》、《交響曲第2番「地球(テラ)」にて」》」-がまとめて収録されていて、彼の音楽の原点が凝縮されている。
なぜか鳥にちなんだものが多い。最後が《地球(テラ)にて》という一種のレクイエム音楽なのも象徴的。

「鳥たちの時代」/吉松隆作品集「鳥たちの時代」/吉松隆作品集
(1996/05/21)
オムニバス(クラシック)

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吉松隆は新進気鋭の現代音楽の作曲家だと思っていたら、本人は西洋音楽の美しさを解体した現代音楽に対して、私憤とも義憤ともいえる感情を持っていると、CDのリーフレットに書いてあるのを読んで、その音楽観を知った。
どこかで彼はこの曲が、”まだ現代音楽の響きがする”とかなんとか自己批判をしていたが、それにしてもなんて美しい曲なんだろう。
最初は弦楽器の合奏から始まり、それがまさに最後の朱鷺が、”白鳥の歌”ならぬ”朱鷺の歌”を歌っているような調べ。
これを聴くと、日本に連綿と息づく滅亡への美意識を感じてしまう。あの「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」という一節のもつはかなげな無常観。

弦楽器の合奏が終わると、ピアノが朱鷺の最後を見届けるかのように、硬く厳しい音をぽつんぽつんと鳴らし始める。
初めは単音で弾いているので、透き通った静けさと儚さが支配している。
やがて、音が重なり、激しく和音を打ち鳴らす。まるで朱鷺の終末を迎える時をあらわしているかのように聴こえてくる。
最後は、弦楽器のかき鳴らす音と、ピアノの和音の連打でクライマックスへと向かい、一転して静寂を迎えて終える。
最後に鳴らされるヴァイオリンの弱くかすかな音が、とうとう消えてしまう。
この曲を聴いていると、滅亡しつつある朱鷺の声が聴こえてくる。比喩ではなくて、実際にこの曲はそのイメージを鮮やかに喚起させる力がある。
日本人の現代作曲家で、これをしのぐ曲を書ける人はいないのではなかろうかといつも思う。

ライナーノートに吉松隆自身による解説が簡単に載っている。
それには、「滅びゆくものたちへの哀悼の歌としてではなく、美しい鳥たちの翼とトナリティ(調性)との復活における頌歌として」、この曲は最後の朱鷺たちに捧げられるのだと書いている。

彼は調性音楽を愛しているので、いわゆる現代音楽的なものは書かない。
彼が次々に発表する作品は、管弦楽や交響曲以外にも、協奏曲、ピアノ独奏曲、室内楽曲など幅広く、ファゴット、ギター、ハーモニカ、和楽器のための曲を数多く書いている。
その中で代表作といえるのは、この《朱鷺によせる哀歌》と交響曲第1番の《カムイチカプ交響曲》だと思う。
初期の作品だけれど、これを超える作品を彼が書くことは果たしてあるのだろうか...と思うような傑作。
個人的には、2番目の交響曲《地球(テラ)にて》も、構想が壮大な傑作だと思う。それぞれの楽章は曲想も異なり完結していて面白いけれど、最終楽章がなんともあっさり終わる。思わずこれで終わったの?と思ってしまった。

彼の管弦楽の作品には、ロックやポップスに似たビートや旋律がよく使われていて、クラシック音楽特有の”抽象性””難解さ”がない。
こういう音楽がクラシックで流れると、なんとなく面映いような居心地の悪さを感じないでもないけれど、英国のオケは、こういうのは大好きらしい。
《地球にて》や《カムイチカプ交響曲》第3楽章では、これはSF映画か何かのサントラかと錯覚するようなリズムとメロディが聴こえる。

CHANDOSからは、交響曲と協奏曲が連続してリリースされている。
日本人の現代作曲家の作品が、欧州の大手レーベルから、継続的にリリースされるのは珍しい。
Yoshimatsu: Symphony No. 2; Guitar Concerto; Threnody to Toki, Op. 12Yoshimatsu: Symphony No. 2; Guitar Concerto; Threnody to Toki, Op. 12
(1996/03/19)
Peter Dixon、

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このCDにはCHANDOSで再録音された「朱鷺によせる哀歌」(Threnody to Toki)が収録されている。指揮は藤岡幸夫。

カメラータ盤の新日本フィルの方が、弦の音が研ぎ澄まされて一本の細い線に凝縮された響きがする。そのため、曲が緊張感に支配され、ヴァイオリンの旋律はまるで朱鷺が自ら声を発しているかのような美しさ。
CHANDOS盤はBBCフィルハーモニックが演奏しているが、オケ・ピアノとも音の響きが豊かで音にふくらみがあり、緊張感がやや希薄に感じる。
特に、高音域で鳴るヴァイオリンの音が、悲痛な朱鷺の声のようにはなかなか聴こえてこない。
逆に、BBCフィルの音はドラマティックなので、朱鷺の滅亡の物語をオーケストラが語っているように聴こえる。
この曲は日本的というしかないような音と響きを持っているといつも感じる。
欧米のオーケストラが演奏しても、彼らが抱く音のイメージと、日本人のもつ感性的なものが、やはり違うのだと思う。

CHANDOSレーベルの録音で吉松隆作品を指揮している藤岡幸男による吉松隆の音楽論はこちら。

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