ゼルキン ~ ブラームス/ピアノ協奏曲第2番 

2008, 11. 02 (Sun) 09:00

ルドルフ・ゼルキンはブラームスのピアノ協奏曲第2番のCDを2種類残している。
1960年のオーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団(PLO)との演奏と、1966年のジョージ・セル指揮クリーブランド管弦楽団(CO)との演奏のCD。
LPでは、オーマンディとさらに何回かの録音を残していたらしいが、今入手できるのこの2種類のみ。

ギレリス/ヨッフム盤と並んで名盤といわれているのは、セルと共演した1966年盤の方。
1966年の録音にしては、録音状態が非常に良く、ピアノの響きはとてもクリアで豊かでわりと深みもある。

Brahms: Piano Concertos 1 & 2Brahms: Piano Concertos 1 & 2
(2002/06/03)
Rudolf Serkin(ピアノ), George Szell (指揮), Cleveland Orchestra (オーケストラ)

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オーマンディ指揮の1960年盤を聴いてから、この盤を聴くと、初めて聴いたときとはかなり違った印象になってしまった。
セル/COで弾くゼルキンのピアノは、ブラームス独特の堅牢な構造がくっきりと浮かびあがってくるような演奏。
よく様式美という人がいるが、ゼルキンのこの演奏には、歌舞伎とか能のように、決まった様式を突き詰めて純化したような美しさがある。
求道的ともいえるかのように、無駄なものをそげ落として、全てが一点に凝縮されていくような緊張感がある。
ゼルキンの音色は、硬質でクリアなやや線の細い音色だが、いつも以上に弾力のある力強いタッチで弾いている。
このコンチェルトは”ピアニストに血と汗を要求する”と言われるくらいだから、体力・腕力を振り絞らなければならないところがある。難所も多い曲だが、ゼルキンはその難しさを感じさせるような弾き方はしていない。
ゼルキン独特の躍動的なリズム感や感情的な発露が随所に見られはするが、様式の方が勝っているせいか、堅固に構築されたオケの伴奏のせいか、抑制されている感じがする。

ゼルキンは、かなり力を込め、気合を入れて弾いているようで、第1楽章と第2楽章は特にそういう感じを受ける。
セル指揮のクリーブランド管とピアノは、互角に渡り合おうする拮抗関係にあるかのようで、それもこの演奏の緊張感につながっている。
ピアノには、すみずみまで均整のとれた美しさと、クリスタルのように冷たく輝く叙情感があって、つきささるような鋭さがある。
第2楽章までは、聴いているこちらも息を詰めて聴いていて、第3楽章に入るとほっと一息。
第3楽章は、透明感のある澄んだピアノの音色が映え、叙情豊か。それでも相変わらず張り詰めた感じは消えない。
最終楽章の第4楽章は、一転して陽光のような明るさと喜びに満ちた楽章。そこが控えめに表現されていて、終盤に近づくとかなり軽やかなタッチにはなってくるが、もっと心弾むような開放感が欲しいところ。
オーマンディとの演奏を聴かなければ、この演奏が明るさに満ちていると感じたに違いない。
初めて聴いたときは、実際にそう思ったし。ただし、あの時は重くて渋いギレリスの演奏を聴いた直後だったことが影響している気がしてきた。
         
                           

続けて聴いたオーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団との演奏。

ブラームス:ピアノ協奏曲第2番(紙ジャケット仕様)ブラームス:ピアノ協奏曲第2番(紙ジャケット仕様)
(2006/10/18)
ルドルフ・ゼルキン、ユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団

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セル/COとの演奏を聴いた後だと、こちらのゼルキンは、なんて自由で楽しそうに弾いているんだろうと感じる。
フィラデルフィア管の明るく色彩感豊かで躍動感のある伴奏とゼルキンのピアノがよく似合っていて、オーケストラとピアノが互いに共鳴しているような調和を感じる。
ゼルキンは、このオーケストラと90回以上(もっと多いかも)、ソリストとして共演してきているから、気心が知れて安心して演奏できるオーケストラだったのだろう。

何より肩に余計な力が入っていないので、精神的な余裕があるように感じられる。
冒頭からピアノの音色は明るく、テンポの揺らし方や表情の変化もこの演奏の方がずっと細やかにつけられている。
難点は、1960年と録音が古いせいか、ピアノの音が若干遠めで残響が短いため、ピアノの音の広がりがふくらみが悪く、特に高音部をフォルテで弾くと音がかすれがちなところ。
それでもゼルキンの透明感のあるクリアな音色の美しさはよく出ている。
2つの録音の間にある6年間の録音時期の差が、音質面でかなり影響しているのだろう。
同封されているリーフレットを読むと、ゼルキンとオーマンディ/フィラデルフィア管は、この録音の翌日にカーネギー・ホールで同曲をライブ演奏している。
手厳しい批評家たちからも絶賛されているので、このCDで聴ける以上に素晴らしい演奏だったに違いない。

ここでは、セル/CO盤で聴いた緊迫感や求心的な凝縮力は消えていて、開放感や躍動感が強く出ている。肩に入った余分な力がすっかり抜けた感じがする。
第1楽章は、歯切れの良い音でリズム感も良く、テンポと表情の変化が細かくつけられて、1音1音を丁寧に弾いている。音色にきりきりした鋭さはなく、響きもやわらか。
第2楽章はやや憂いのある旋律が流れるスケルツォ。切迫感や悲愴感はやや薄いが、揺れ動く感情とひそやかな情熱がよく出ているピアノ。
第3楽章は、チェロの独奏が美しい楽章だが、ここでのゼルキンのピアノもそれに劣らず、ゆったりと流れ、深い叙情を感じさせる。セル/CO盤にはなかった穏やかで包み込むような優しさのあるピアノである。
第4楽章は、タッチがとても軽やかで、音色も明るくて柔らかさがある。ブラームスにしては、重厚さが薄くて軽めの雰囲気がするが、心が浮き立つような開放感がよく出ているせいだろう。

                           

端正な様式美が美しいセル/COの1966年盤が名盤と言われて、このオーマンディ/PLOの1960年盤がさほど名盤とは言われていないわけは、演奏を聴き比べてみれば、よくわかる。
しかし、どちらの演奏が好きかと言われたら、かなり困ることになる。

セル/CO盤のゼルキンのピアノには、余分なものを排除して徹底的に凝縮され、研ぎ澄まされた美しさがある。音色の透明感のある美しさとは裏腹に、ストイックな厳しささえ感じる。
これだけ真正面から曲と渡り合おうとした演奏は滅多に聴けるものではない。
オーマンディ/PLO盤とじっくり聴き比べて、その凄さがようやく理解できた。

オーマンディ/PLO盤は、録音音質がかなり落ちるにもかかわらず、ブラームスがこの曲に込めた開放感や歓喜といった感情が溢れ、聴いていて心が浮き立つような共鳴性がある。
何より、セル/CO盤とは違って、ゼルキンの自由で明るく弾む心と曲への愛情で満たされている。
これで録音の音質がもっと良ければ、さらに豊潤な音楽が聴こえていただろう。

この2つの演奏を何度も聴けば聴くほど、同じ曲を弾いているのに、どうしてこんなにも違った演奏ができるんだろうかと、不思議に思えてくる。
村上春樹が著書の中で、オーマンディ盤とセル盤のどちらをとるかと言われたら、セルの方をとると書いていた。
私も、やはり選ぶのはセルと共演したゼルキン。
明るさを強調したブラームスなら他のピアニストでも聴けないことはないが、研ぎ澄まされた様式美と冷たい叙情が漂うストイックな演奏は、セルの指揮で弾いたゼルキンでしかできないに違いない。
その極度に凝集された美しさは、二度と再現できないほどに完成されたものだと思う。

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