ピーター・ゼルキンの弾くバッハ/ゴルトベルク変奏曲 

2008, 11. 05 (Wed) 22:43

ピーター・ゼルキンの3度目のバッハ/ゴルトベルク変奏曲の録音。
彼は、1965年17歳の時のデビューアルバムでこの曲を弾き、86年にプロ・アルテ(現代音楽も手がけたレーベルらしい)で2度目の録音。
そして再びRCAで1994年に録音したものがこの3度目の録音。
1人でゴルトベルク変奏曲を3度も録音しているピアニストは、チェンバロ演奏を別にすれば、ほとんどいないはず。
ピーターは、よほどこの曲に思い入れがあるのだろう。

バッハ:ゴルトベルク変奏曲バッハ:ゴルトベルク変奏曲
(2007/11/07)
ゼルキン(ピーター)

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このカバージャケットは、とても幻想的で素敵なデザイン。
まるで、ピーターの心の奥深くの秘密部屋にあるピアノが、光に照らされているようなイメージがする。

彼の弾くゴルトベルク変奏曲は、こういう弾き方はピーター・ゼルキンしかしないであろうと思わせる。
彼の感受性の鋭敏さが感じられる繊細な演奏。
この演奏を聴いていると、キース・ジャレットの「The Melody at Night, With You」を聴いている時と同じものを感じる。
キース・ジャレットは、慢性疲労症候群でステージに立てなくなり、1年ほど休養して病から回復しつつある時に、「The Melody at Night, With You」を録音した。
彼のピアノからは、従来のような極度の集中力と緊張感は消え去り、まるで自分自身と対話するかのような静かにゆったりとした音を紡いで、とても内省的な弾き方をしていた。
彼の心が癒されつつあるのを感じさせるピアノだった。

このゴルトベルク変奏曲が録音された1994年は、偉大な父ルドルフ・ゼルキンが世を去ってすでに3年が過ぎた頃。
ピーターは超えられないであろう父の影を感じながら、ずっと自分の弾くピアノを探し回っていたような気がする。
吉田秀和氏が評論で、”ピーター・ゼルキンが、こうなりたいと思うのではなく、こうなりたくないと思って、自分がどういうピアノを弾くべきかを探すことは、とても困難なことだろう”という趣旨のことを書いていた。

ピーターのディスコグラフィを見ていると、父とは全く違ったピアニストであることを模索し続けてきたように思える。
それはあまりに父の影が巨大であり、彼がそれに捉われていたことを逆に示しているようなもの。
ルドルフ・ゼルキンの影が消えた時、彼はその影から解放され、とうとう自分自身のピアノを自由に弾くことができたのかもしれない。

ピーター・ゼルキンの弾くゴルトベルク変奏曲には、グールドのような異様なテンポやノンレガートの鋭さも、シフのような華麗な響きや技巧を尽くした装飾音も、いろんなピアニストが見せる鮮やかな驚きのしかけも、全くない。
冒頭のアリアは、ゆったりとしたテンポで、柔らかくしっとりとした音色でとても穏やかな音楽になっている。
第1変奏は速めのテンポで弾むようにノンレガートで歯切れ良く軽快に弾かれているのをよく耳にするが、ゼルキンは軽やかだが、タッチが柔らかく、ノンレガートでもレガートに近く滑らかなので、鋭さはあまり感じない。
第3変奏はとてもゆっくりとした演奏。ペライアなら伸びやかに快活に歌い上げていた変奏だが、ゼルキンは、やや頼りなげな音を静かに響かせながら、柔らかく歌っている。
さらに変奏が展開していくが、彼のノンレガートは決して鋭く音を切っていくものではなく、音量を抑えた軽やかなタッチでさらりと弾いている。
抑えたピアノでゆったりとレガートで旋律を弾くところは、とても柔らかい音色で、時々ふっと消え入りそうになるような音が聴こえてくる。

全体的に軽やかなタッチで、ノンレガートの音がつながりレガートのように滑らかに流れてゆく。
彼は装飾音を強調して弾いてはいないので、装飾音が旋律に自然に溶け込んでいる。
外形的な強弱のコントラストの強さやスピードの劇的な変化はないが、細部にいたるまで音の表情が細かく丁寧につけられて、旋律は細波のような起伏を伴っていろいろな表情を見せている。
特定の旋律を強調するのではなく、旋律はそれぞれクリアに聴こえるが、旋律同士の対話と調和が感じられる。
やや弱めのやわらかな音色で、しっとりとした情感をもって、奇をてらうことなく淡々と弾き進めていく彼の音楽は、とても優しい感情と気遣いで満たされている。

ピーターの弾くピアノを聴いていると、自らの心と対話しているようなとても内省的な音楽が聴こえるが、そこには苦悩や気負いはない。全てが浄化されてしまったかのように穏やかである。
まるで、あちこち彷徨っていた魂がようやく安息の地をみつけたような安らぎと、自分が自分自身であるという自由を愛する気持ちが感じられる。
バッハのゴルトベルク変奏曲を弾くことで、いつも彼は自分の心と向き合ってきたのだろうという気がする。

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