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ゼルキン ~ ベートーヴェン/ピアノ・ソナタ第31番
ルドルフ・ゼルキンが弾いたベートーヴェンのピアノ・ソナタ第31番の録音は4種類。
1960年のスタジオ録音、1971年のロンドンでのライブ録音、1971年のスタジオ録音、1987年のウィーンでのライブ録音。
このうち1960年盤は、ゼルキンが公開するのを許可しなかったもので、ゼルキン亡き後、次男のピーター・ゼルキンがリリース許諾して、未公開録音集のCDに収録されている。
ゼルキン自身が公開を許諾したスタジオ録音は、1971年のもの。
1971年のBBC Legends盤のライブ録音も、BBCのアーカイブに眠っていたもので、ピーターがリリース許諾している。

ベートーヴェン:ピアノソナタ第30番・第31番・第32番ベートーヴェン:ピアノソナタ第30番・第31番・第32番
(2001/12/19)
ゼルキン(ルドルフ)

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<1960年録音のピアノ・ソナタ第31番が収録されている>

ゼルキンの演奏に非常に詳しい海外のレビュワー(ディスコグラフィや演奏の分析がしっかりしている)が、1971年盤よりも1960年盤の演奏が優れていると米国amazonのレビュー欄に書いていた。
未承諾録音はあまり聴きたくはないのだけれど、一体どう違うのか確かめたくて1960年盤のほうを聴いてみた。
一言で言えば、抑制された感情表現からにじみ出る叙情が清々しく、繊細で端正な美しい演奏。

第31番ソナタの録音のなかでは、ルバートをたっぷりきかせ深い感情移入が篭められたようなアラウの演奏がとても好きだけれど、アラウとはタイプが違うゼルキンの演奏もそれに劣らず素晴らしい。(グルダの1964年のザルツブルグ音楽祭のライブ録音も、同じくらいに素晴らしい演奏だった。)

録音が古いのでピアノの音が少し遠め。第1楽章は硬質でクリアな音色で、ほぼインテンポで淡々と弾いている。まるで夢見るような美しい透明感と気品が漂っている。

第2楽章は、この頃のゼルキンのタッチの特徴である非常にクリスピーなタッチで軽やかに弾いている。強弱のコントラストもほどよくコントロールされている。71年ライブ盤に比べて、フォルテの後にくるピアノがちゃんと弱音になっている。来るべき崩壊を予感しているかのような心の揺らぎが良くでている。

第3楽章が特に素晴らしい。冒頭のアダージョから嘆きの歌(アリオーソ)まで、過度なルバートで感情的な表現を強調するのではなく、楽譜の表現記号に忠実に、淡々と弾いていくなかにも、抑制された感情表現があり、それが逆に非痛感を強く感じさせている。
こういう弾き方は詩情不足になりがちだけれど、ゼルキンの音色の美しさと、微妙に変えているタッチで、オーバーな表現をしなくても、叙情が溢れてくる。

最初のフーガは、テンポはかなり遅めにとり、若干頼りなげな音で始めている。ペダルはそれほど多用していないので、響きは短くクリア。
ここも淡々と弾いている風であっても、強弱のコントラストは明確にし、インテンポで線をそろえて旋律を引き分けているので、構造的にかっちりとした感じ。
リヒテル晩年のテンポが遅めで靄がかかったようなフーガは素晴らしいけれど、このゼルキンのフーガも格調高い美しさがあり、同じくらい良い演奏だと思う。
2度目のアリオーソでも、やや抑制した表現から悲嘆な気持ちがにじみ出ている。

最後のフーガは、ウナコルダで最小のピアニッシモで、消えるような音色で柔らかく弾き始めている。晩年のウィーンのライブ録音でも、ここは同じように弾いていて、とても美しいと思ったところ。
ベートーヴェンが徐々に生気をとりもどして、と指示しているとおり、冒頭のピアニシモから徐々にクレッシェンドしていき、最後の主題に入ると、輝くような音色と力強いフォルテで喜びを表現している。
このフーガの終幕に入ると、もの凄いスピードで弾くピアニスト(ポリーニやグルダは本当に速い)が多くて、速すぎるんじゃないかといつも思っていたが、ゼルキンもテンポを速くはしているが、左手が弾く細かなパッセージでも1音1音が明瞭に聴こえる程度の速さ。落ち着いた堂々とした風格があって、この終盤の演奏も文句なく良い。

未許諾録音が1970年代に集中しているなか、なぜかこの31番ソナタだけが1960年録音。
1971年のスタジオ録音の方をゼルキン本人がリリース許諾しているので、本来ならこの60年盤のソナタをリリースする必要はなかったはず。
一般的に、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集を録音するときは、まず3大ソナタから録音して分売していくパターンが多い。
ゼルキンの3大ソナタの録音が1962年なので、この第31番ソナタがそれよりも早い60年の録音ということは、全集とは関係なく早期に録音したもので、何かの事情で忘れられていたのではないかというような気がする。
なぜリリースしないのかと聞かれたゼルキンが、これは「ベートーヴェンの音ではない」と言っていたと伝えられるが、これは70年代の未承諾録音について言った言葉。
この第31番ソナタの60年録音に関しては、事情が違う感じがする。
実際のところは、当事者でないとわからない謎の世界なので、推測するしかない。

ゼルキン自身が許諾した演奏(71年録音)があるのに、あえてこの1960年の演奏をリリースした経緯もよくわからないけれど、この頃のゼルキンの気品と美しさと詩情に溢れたピアノが堪能できる素晴らしい演奏だと思う。

[追記 2012.10.14]
久しぶりに聴き直してみたけれど、やはり繊細で端正な美しさという印象は変わらない。
でも、ベートーヴェンにしては、第3楽章はフィナーレ以外は弱々しく、アリオーソから”回復”していくフーガにももうひとつ生気がない気がしてきた。
ゼルキンがこの録音を許可しなかったのも(本当の理由はわからないけれど)、今なら納得できるものがある。
ゼルキンの思うところのベートーヴェンを聴くなら、ゼルキン自身がリリース許可した1971年のスタジオ録音を聴いた方が良い。

                          

1971年のライブ盤はBBC LEGENDSからリリースされている。

Piano Sonata No. 29 in B Flat MajorPiano Sonata No. 29 in B Flat Major
(2008/09/16)
Rudolf Serkin

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ライブなので録音状況はやや悪く、ピアノが遠くから聴こえる。ホールの残響の長さとペダルで、やや音が混濁しているような部分もある。音自体は明瞭。
1960年盤と比べると、重厚さや構造的な堅固さを重視しているのか、全体的にタッチがやや鋭くなり、フォルテが強めで、ペダルを多用しているため響きが重なっている。
荘重感はあるが、繊細さや詩情がやや薄い気がする。

第1楽章は、強弱のコントラストが強めで、表情の起伏がわりと大きい。悪くはないが、タッチにもう少し柔らかさがあっても良いかもという気がする。
第2楽章は、気合の入りすぎの感がある。テンポが速いのは良いのだが、フォルテが続きすぎて表現がやや単調。特に展開部は騒々しくばたばたとした感じを受け、軽快さが損なわれている。
テンポは少し落としても、弱音(P)の指示がついている部分はもう少しひそやかさが欲しい。
第3楽章の「嘆きの歌」はややタッチが強めで音は明瞭になっているが、ちょっと元気があり気味。
フーガもペダリングと残響のせいで音が濁りぎみ。残響をもう少し短くして、各声部が明瞭に聴き分けることができた方が美しい。
2度目のフーガは、弱音がさらに弱くなって始まるところは、ゼルキンはいつも綺麗に弾いている。ラストは快速だが、左手の伴奏の旋律がペダルとホールの残響とで不明瞭。テンポを落とすか響きを短くして、もっと粒立ちの良い鮮明さが欲しいところ。

このライブ盤は、全楽章を通じて、フォルテが強いことと、ペダルで響きが長くなり音同士がかぶさってくるのが気になるし、もう少し柔らかさが欲しいところもある。
ライブだったせいが、気力が勝って力が入りすぎたのかもしれないが、このライブ演奏を何度も聴くのはつらいものがある。

1971年のスタジオ録音はまだ聴いていないが、このライブ盤と同じ年の録音なので、弾き方自体はあまり違わないはず。
スタジオ録音の方が、ライブよりは落ち着いて演奏しているはずなので、ライブで気になったところは解消されているかもしれない。
ゼルキンはスタジオ録音よりライブ録音の方が良いという人もいるが、ライブはどうしても演奏にバラつきは出てくる。
そもそもライブ録音が少ないので、ゼルキンのベストの演奏が聴けるライブ録音に出会えるというのは、とても幸運なことかもしれない。

ゼルキンがリリースを許諾しなかった1960年盤のスタジオ録音の演奏の方が、このライブ盤よりもタッチや音色に柔らかさがあり、繊細さと詩情に溢れていて、はるかに良いと思う。
それにしても、ゼルキンはこの60年盤の演奏のどこが不満だったのだろうか?
ベートーヴェンにしては端正すぎる気がしないでもないけれど、自然な音楽の流れや表現の繊細さ、気品のある美しさは申し分ない演奏なので、聴けば聴くほど謎に思えてくる。

[追記 2012.10.21]
この録音も久しぶりに再聴。
以前聴いた時とは違って、タッチの強さはあまり気にならない。(響きがやや混濁するのはライブ録音なので仕方がないし)
ベートーヴェンは、ディナーミクの変化が鋭く、フォルテは力強く明瞭に弾かれるものだと、今では思っているせいだろう。
第3楽章のアリオーソも、叙情的ではあるけれど弱々しさがないところが良いし、2つのフーガも明るい音色で力強く、深い悲痛感から回復していく力強さと生気があって、60年録音よりも、このライブ録音の方がベートーヴェンらしいと思う。

tag : ゼルキン ベートーヴェン

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Author:yoshimi
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クラシック音楽に本と絵・写真に囲まれて気ままに暮らす日々。

好きな作曲家:ベートーヴェン、ブラームス、バッハ、リスト。主に聴くのは、ピアノ独奏曲とピアノ協奏曲、ピアノの入った室内楽曲(ヴァイオリンソナタ、チェロソナタ、ピアノ三重奏曲など)。

好きなピアニスト:カッチェン、レーゼル、ハフ、コロリオフ、フィオレンティーノ、パーチェ、デュシャーブル、アラウ

好きなヴァイオリニスト:F.P.ツィンマーマン、スーク

好きなジャズピアニスト:バイラーク、若かりし頃の大西順子、メルドー(ソロのみ)、エヴァンス

好きな作家;太宰治、菊池寛、芥川龍之介、吉村昭、ハルバースタム、アーサー・ヘイリー
好きな画家;クリムト、オキーフ、池田遙邨、有元利夫
好きな写真家:アーウィット

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