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アラウ ~ バッハ/パルティータ第1番、第2番
クラウディオ・アラウが亡くなる2ヶ月前に録音されたバッハのパルティータ集は、アラウの”白鳥の歌”となった最後の録音。

アラウは晩年、夫人と息子の2人を相次いで亡くしたことから、意気消沈して演奏活動から2年間も遠ざかっていた。
もう一度ピアノを弾こうと決心して、演奏活動の再開に選んだのがこのバッハのパルティータ。
若い頃にはバッハをリサイタルで度々弾いており、1942年にはゴルトベルク変奏曲も録音していたほどなので、バッハ弾きとして定評はあった。
しかし、バッハはピアノで弾くべきではないという結論に達してからは、バッハを公の場では弾かなくなっていた。
なぜ急にバッハを弾こうと思ったのかはわからないが、結局ピアニストが最後にたどり着くのがバッハであることは多い。
ルドルフ・ゼルキンは死の間際、ベッドで指を動かしてゴルトベルク変奏曲を弾いていた。それは17変奏で止まってしまったけれど。
マレイ・ペライアは、指の故障でピアノが弾けなくなり、演奏活動を中止せざるをなくなった間、ひたすらバッハを研究していた。かれはバッハがこの時期の心の支えだったと言っている。
家族を相次いで亡くした88歳の老境のアラウも同じような心境だったのかもしれない。

1980年頃までは、アラウは”バッハをもう一度弾くなら、ハープシコードで弾くだろう”といつも言っていた。
その後、昔録音したゴルトベルク変奏曲を聴いて、バッハをピアノで弾くことも可能だろうと考えるようになったという話は残っている。
アラウが1991年の最後の録音セッションで弾いたバッハは、以前(といっても50年くらい前)に録音したことのあるゴルトベルク変奏曲ではなく、平均律でも、フランス組曲でも、イギリス組曲でもなくて、パルティータ。

このパルティータは、ピティナの解説によると、『・・・規模は《イギリス組曲》のように長大でなく、《フランス組曲》のように華奢でなく、内容は平易で、しかし鍵盤楽器のヴィルトゥオーゾと呼ばれたバッハの名声をより高めるような、何より自身が納得できる、充実したものでなければならない。』
『・・・組曲の構成は《フランス組曲》以上にさまざまで、挿入舞曲の曲種や配列においては慣習を逸脱するものがある。楽章構成や音楽語法が多様をきわめる一方、曲の冒頭の関連付けや終止音型の統一、対位法的展開や綿密な動機労作によって、楽曲の統一感はいっそう高まる。「多様と統一」というバッハの美学の極致』という、ピアノで弾くバッハとしては集大成になるような曲。
だから選ぶのは当然なのだろうけど、他の曲よりもずっと自分の気持ちを込めて弾ける曲だから、ということもあった気がする。
バッハのピアノ曲(鍵盤楽器曲)は、縦の線でカチカチと揃っていく曲が多いけれど、このパルティータは横の線の流れの方が強くて、まるで歌っているような滑らかな旋律の流れを感じるので。

パルティータ集は第1番第2番第3番第5番の4曲。構成の大きな第4番、第6番は最後に録音するつもりだったが、その前にアラウは病気で亡くなってしまったため、パルティータは未完の全集になっている。

Claudio Arrau Performs BachClaudio Arrau Performs Bach
(2006/6/27)
Claudio Arrau

試聴する(第1番はDISC1のトラック7~12、第2番はトラック1~6) (米国amazonサイト)

このBOXセットには、パルティータ4曲と、1942年代に録音したゴルトベルク変奏曲が収録されている。
(私はパルティータ集のみの青い紙製BOX分売盤をリリース直後に購入。今は廃盤)
収録曲順は、DISC1:第2番、第1番、DISC2:第5番、第3番、DISC3:ゴルトベルク変奏曲。(HMVの紹介文だと他に数曲収録されているらしい)
DISC1/トラック4のSarabande、トラック8のAllemandeは、特に柔らかい響きが綺麗。(ステレオで聴いた方が良くわかる)


録音当時はすでに88歳くらいの超高齢。
もう技術的な衰えが激しいのが、聴けばすぐわかる。
もしブラインドで聴けば、子供がピアノを練習しているのかと思ってしまうようなほどに、指のコントロールが不安定極まりない。
指が全然回っていないし、音の粒や縦の線が揃わなかったり、テンポが微妙に揺らいだり、速いテンポでは弾けなかったりと、いろいろあって、聴いている方がつらい気がしてしまう。
同じく最晩年に録音したドビュッシーの「月の光」の場合は、技巧面の問題をスローテンポとルバートでカバーし、逆に、それが際立って素晴らしい演奏に繋がっている。

バッハとなると、そういうことはできずに、技巧の衰えがストレートに耳についてしまう。
技術的な面を脇に置けば、天上の音楽のように音が美しい。
まるで純心な子供が弾いているような雰囲気が漂うピュアな音楽。
ただし、アラウが弾いていることを知らずに、ブラインドで聴いたとすれば、このパルティータにそれほど魅かれることはなかったに違いない。
そういう意味で、ポジティブなフィルターを通して、アラウのパルティータを聴いているのだと思う。

バッハを弾いているせいか、ベートーヴェンやブラームスを弾く時のような、いつものような深く伸びやかな響きではなくて、濁ることなくすっと広がっては消えていくような、柔らかく透きとおった響きがする。
なぜか木質的な感触があって暖かみをおびた響きなので、音色や響きのコントロールに凝ったピアニストの演奏を聴いた後では、とても自然な心地良い響きに聴こえる。

なによりも、他のピアニストとは違って、ピアノの音が鳴っているというよりも、ピアノ自体が(それともアラウ自身が)つぶやくように語りかけたり、歌っているかのような感覚がする。
アラウのバッハはロマンティックなバッハと言われたりする。バッハ解釈がどうこうというよりも(そこはきちんと考えて弾いているには違いないが)、自分の心が感じた音楽の流れに沿ったフレージングやイントネーションで弾いているんじゃないかと思えるような、心のこもった感じが伝わってくる。
子供のころからずっと一緒だったピアノは、アラウにとって残された家族か友人か、それとも、分身だったのかはわからないとしても、ピアノが自分の心の内を明かせる相手だったかのように、アラウの弾くピアノにはとても親密な雰囲気がする。
他人に聴かせることなど考えず、ひたすら自分のためにだけ弾いていたのかもしれない。
一体どんな境地でこのパルティータを弾いていたのかはブックレットにも書いていないので、想像するしかないけれど。

このディスクでは、一番初めの曲がハ短調の第2番。
悲嘆にくれているような叙情感の強い美しい曲だけれど、アラウが弾くとたどたどしいタッチで音と音の間から涙がこぼれ落ちているような哀感に満ちている。

第2番の終曲カプリッチョが終わり、続けてすぐに第1番のプレリュードを聴いたとたん、ピアノの明るく優しい響きに思わずほっとする。
第2番は、かなり精神的に張り詰めて聴いていたに違いない。
でも、しばらくすると、明るいはずの第1番もどの曲もどこか哀しげに聴こえてきてしまう。
変ロ長調の第1番は、ピアノの響きがとても優しく暖かみをおびた響きで、第2番とは全然違っている。
でもなぜか、そこはかとなく哀感をおびていて、まるで第2番の続きを聴いているかのような気さえしてくる。

最初のプレリュードは、とても可愛らしいトリルで始まって、アラウのピアノはとても優しい雰囲気がする。
第2曲のアルマンドは、とてもゆったりとしたテンポ。ピアノなら普通はこの1.5~2倍くらいスピードで弾くけれど、チェンバロだとアラウのような遅めのテンポで弾く。
アラウにとって、このテンポが限界だったのだと思うけれど、アラウが弾くアルマンドにふさわしいテンポなので、不思議と遅さが気にならない。
分散和音が多いので指があまり回ってなくて、たどたどしさがあっても、全編にわたって響きが綺麗。
その中でもとりわけ美しいのは第10~12小節の弱音。絹のような繊細さで何よりも優しさがある。
この弱音の響きは、ゆったりと弾いているアラウのピアノでしか聴けない。あまりに優しくて哀しくなってしまう。

第4曲のサラバンドは、第1番のなかで一番切々とアラウのピアノが歌っている。この曲もこれ以上は何も言うことはない。
第5曲メヌエット後半の有名な旋律は、アラウが弾くといくつもの鐘が鳴っているように聴こえてくる。

終曲のジーグは異様に遅いテンポで、第1番のなかでも一番変わった弾き方。
同一パターンの音型を淡々と弾き続けていくだけなのに、この超スローテンポで魅かれるととっても摩訶不思議な雰囲気。
でも、何かしら切々として訴えかけてくるものがある。
このジーグに限ったことではなくて、どの楽章にもそれが通奏低音のように流れている気がする。

結局、このパルティータ集はアラウの弾くバッハを聴いているのではなく、バッハの旋律を通してアラウの心の中に流れている歌を聴いているのだと思う。
技術的な問題が大きいので、いくらアラウが好きだといっても、人には薦めない、
それでもどこか魅かれるものを感じた人にとっては、とても幸せな時間を過ごすことができるはず。

tag : アラウ バッハ

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Author:yoshimi
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クラシック音楽に本と絵・写真に囲まれて気ままに暮らす日々。

好きな作曲家:ベートーヴェン、ブラームス、バッハ、リスト。主に聴くのは、ピアノ独奏曲とピアノ協奏曲、ピアノの入った室内楽曲(ヴァイオリンソナタ、チェロソナタ、ピアノ三重奏曲など)。

好きなピアニスト:カッチェン、レーゼル、ハフ、コロリオフ、フィオレンティーノ、パーチェ、デュシャーブル、アラウ

好きなヴァイオリニスト:F.P.ツィンマーマン、スーク

好きなジャズピアニスト:バイラーク、若かりし頃の大西順子、メルドー(ソロのみ)、エヴァンス

好きな作家;太宰治、菊池寛、芥川龍之介、吉村昭、ハルバースタム、アーサー・ヘイリー
好きな画家;クリムト、オキーフ、池田遙邨、有元利夫
好きな写真家:アーウィット

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