カッチェン《ベートーヴェン作品集》より ~ ピアノ・ソナタ第32番(1968年録音盤)
2009-01-21(Wed)
カッチェンは、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第32番を2度-1955年と彼が亡くなる直前の年、1968年に録音している。
13年の年月を経て再録音したこのベートーヴェンの最後のソナタは、やはり最初の録音とは違いを感じさせるもの。
1955年に録音したときの演奏は、若者のベートーヴェン。溌剌とした生気と輝きに溢れ、現在と未来に対する期待と希望を抱えた人の演奏。ストレートに感情が伝わってくる率直さを感じさせる演奏だった。
それから13年後、1968年に録音したこのソナタは、深く内面へと沈潜し思索のなかで自分自身と(それにベートーヴェンが残したこの曲と)向きあっているような穏やかさがとても印象的。
第1楽章は、タッチや響きには重みも力強さもあるけれど、重厚さや重苦しさのような渋みは希薄。硬質で澄んだ響きに加え、鋭く明瞭なタッチですっきりとしたフォルム。
冒頭からフォルテの重い響きと柔らかな弱音とが交錯する。若いころよりも低音の響きが重くなり、弱音が一層柔らかくなっている。
今の時代の録音はクリアな音の響きの美しさを聴かせるものが多いけれど、カッチェンの弱音はそれとは違って、ややこもり気味の消えるようにかすかな響きの弱音が主体。
全体的にテンポは速く、緩急と強弱のコントラストが旧録音よりも強くなり、特にテンポを落として弱音で弾くところは、まるで時間が静止してしまそうな雰囲気が漂う。この静けさでそれまでの力強さや切迫感全てが覆われてしまうような不思議な雰囲気。
全編に透明感が漂い、力強い意思と自信に裏付けられたような、澄み切った穏やかな心を感じてしまう。
この第2楽章は、55年の録音とは全く違う演奏。
テンポがかなり遅くなり(演奏時間が2分近く長い)、柔らかな消え入るような弱音が、内面へと深く沈潜しているような静けさを感じさせる。
主題はとても遅いテンポで、音を紡ぐように1音1音を柔らかな弱音で丁寧に弾いている。
旧録音では、哀感が強く伝わってくる主題の弾き方だったけれど、新録音ではそういう感情の表現はかなり抑制されている。
そのかわり、静かで、穏やかで、にじみでてくるような情感がある。まるで心の奥深くのモノローグを聴いているかのよう。
第1変奏では、ほんの少しだけ軽やかさと明るさが出てきてはいるけれど、テンポはまだ遅く、弱音の柔らかさも変わらない。でも、モノローグから抜け出て、覚醒したように心の中で歌を歌い始めたように、静かに旋律が流れて始めていく。
第2変奏は、旧録音ではもっと軽やかで生気に満ちていたけれど、この演奏はかなり穏やか。心の中の歌が徐々に外へと流れ出てくるように、ピアノの響きがゆっくりと徐々に大きくなり、生気を帯びてくる。
第3変奏は、一転してテンポが上がり、スピード感と輝きが出ているが、いつものようにやっぱり”Rush(突進)”するように加速している。ここは今までとは逆に、旧録音よりもタッチが力強くテンションも高いし、勢いもある。
変奏間の緩急のコントラストをつけるために意図的に速いテンポにしているのだろうけれど、それにしても速い。
そのせいで、打鍵が浅くなって粒立ちが悪く、リズムやフレージングの末尾が曖昧になっているし、セカセカと慌しく表情が乏しくなっている。いくら贔屓目に見ても、これは急ぎすぎ。
他のところは完璧にテンポのコントロールができているのに、ここだけどうしてなの?と思ってしまったけれど、若い頃よりも力強さがあるので、多分気合が入りすぎたのでしょう。
こういうところは、やっぱり(止まるに止まれぬ)カッチェンらしい。
第4変奏は、昔の演奏だと第3変奏のエネルギーが残っているかのように、テンポも速く活気があったが、ここではもうそういう弾き方はしていない。
もやのかかったような柔らかい響きに変わるけれど、すぐに16分音符の律動するリズムに入る。テンポは速いが、歯切れよいリズムを静かに刻んでいく。
高音の弱音で弾く旋律とリズムには、澄み切った透明感のある微かな響きがとても美しい。
第5変奏へと向かいながら徐々に高揚していくが、移行部直前に出てくるアルペジオは、テンポも速くタッチも明瞭で力強くてドラマティック。このあとの移行部のトリルもかなり高速。粒もそろってとても綺麗に弾いている。
第5変奏では、終盤へ向かうにつれて、音色が明るく輝くように変わり、柔らかい響きからしっかりとした響きに変わり、伸びやかで膨らみも出てくる。
ほぼインテンポで、ピアノがアルペジオでうねりをつくりながら響きが重なっていき、ダイナミックに高揚していくところは、心の中から喜びが自然に溢れ出てくるかのよう。この盛り上がりかたはとても素晴らしい。
喩えて言うなら、いろいろな思いが走馬燈のように流れていくが、やがて全てを肯定するかのようなポジティブな感情が輝いていくようなクライマックス。
最後のコーダでは、弱音のトリルが流れるなかを再び主題の旋律が現れる。
この弱音のとても弱いけれど、澄んだ響きと静けさのなかで穏やかな幸福感に満たされたよう。
最後の数小節も、安息感のなかに全てが溶けて消えて行くように、弱音のかすかな響きで余韻を残しながら、ゆっくりと終わっていく。
最後の和音の柔らかく静かな響きは、全てが終息したように安らか。
この2度目の録音を聴いていると、13年前に同じ曲を弾いていたピアニストの演奏だとは思えないくらい、音楽のつくりかたが変わっている。
最初の録音は29歳の若者が弾くベートーヴェンらしさがあり、力強い意志と生気に満ちた躍動感と現在や将来の人生への期待と喜びに溢れていた。
それから13年後に弾いたベートーヴェンの最後のソナタは、深く内面へと沈潜して静かに音楽と向き合っているかのような穏やかな心情と、音楽をつくることへの喜びや幸福感で満たされているかのように聴こえる。
特にゆったりとしたテンポで、柔らかい微かな響きの弱音で静かに弾きすすんでいく第2楽章はとても印象的。
個性的だけれど、かなり地味な弾き方かもしれない。でも、波長がぴったり合うと、聴けば聴くほどに心の中に染み透ってくる。
この録音の1年後にカッチェンは急逝したため、このピアノ・ソナタがバガテル(op.126)とともにベートーヴェン作品の最後の録音になる。
再びこの曲を録音することはないのかもしれないと予感しているかのような、ベートーヴェンの最後のピアノ・ソナタの演奏だった。
『ジュリアス・カッチェンにまつわるお話』
ジュリアス・カッチェンのディスコグラフィ
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13年の年月を経て再録音したこのベートーヴェンの最後のソナタは、やはり最初の録音とは違いを感じさせるもの。
1955年に録音したときの演奏は、若者のベートーヴェン。溌剌とした生気と輝きに溢れ、現在と未来に対する期待と希望を抱えた人の演奏。ストレートに感情が伝わってくる率直さを感じさせる演奏だった。
それから13年後、1968年に録音したこのソナタは、深く内面へと沈潜し思索のなかで自分自身と(それにベートーヴェンが残したこの曲と)向きあっているような穏やかさがとても印象的。
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第32番 (2004/10/27) カッチェン(ジュリアス) 試聴する |
第1楽章は、タッチや響きには重みも力強さもあるけれど、重厚さや重苦しさのような渋みは希薄。硬質で澄んだ響きに加え、鋭く明瞭なタッチですっきりとしたフォルム。
冒頭からフォルテの重い響きと柔らかな弱音とが交錯する。若いころよりも低音の響きが重くなり、弱音が一層柔らかくなっている。
今の時代の録音はクリアな音の響きの美しさを聴かせるものが多いけれど、カッチェンの弱音はそれとは違って、ややこもり気味の消えるようにかすかな響きの弱音が主体。
全体的にテンポは速く、緩急と強弱のコントラストが旧録音よりも強くなり、特にテンポを落として弱音で弾くところは、まるで時間が静止してしまそうな雰囲気が漂う。この静けさでそれまでの力強さや切迫感全てが覆われてしまうような不思議な雰囲気。
全編に透明感が漂い、力強い意思と自信に裏付けられたような、澄み切った穏やかな心を感じてしまう。
この第2楽章は、55年の録音とは全く違う演奏。
テンポがかなり遅くなり(演奏時間が2分近く長い)、柔らかな消え入るような弱音が、内面へと深く沈潜しているような静けさを感じさせる。
主題はとても遅いテンポで、音を紡ぐように1音1音を柔らかな弱音で丁寧に弾いている。
旧録音では、哀感が強く伝わってくる主題の弾き方だったけれど、新録音ではそういう感情の表現はかなり抑制されている。
そのかわり、静かで、穏やかで、にじみでてくるような情感がある。まるで心の奥深くのモノローグを聴いているかのよう。
第1変奏では、ほんの少しだけ軽やかさと明るさが出てきてはいるけれど、テンポはまだ遅く、弱音の柔らかさも変わらない。でも、モノローグから抜け出て、覚醒したように心の中で歌を歌い始めたように、静かに旋律が流れて始めていく。
第2変奏は、旧録音ではもっと軽やかで生気に満ちていたけれど、この演奏はかなり穏やか。心の中の歌が徐々に外へと流れ出てくるように、ピアノの響きがゆっくりと徐々に大きくなり、生気を帯びてくる。
第3変奏は、一転してテンポが上がり、スピード感と輝きが出ているが、いつものようにやっぱり”Rush(突進)”するように加速している。ここは今までとは逆に、旧録音よりもタッチが力強くテンションも高いし、勢いもある。
変奏間の緩急のコントラストをつけるために意図的に速いテンポにしているのだろうけれど、それにしても速い。
そのせいで、打鍵が浅くなって粒立ちが悪く、リズムやフレージングの末尾が曖昧になっているし、セカセカと慌しく表情が乏しくなっている。いくら贔屓目に見ても、これは急ぎすぎ。
他のところは完璧にテンポのコントロールができているのに、ここだけどうしてなの?と思ってしまったけれど、若い頃よりも力強さがあるので、多分気合が入りすぎたのでしょう。
こういうところは、やっぱり(止まるに止まれぬ)カッチェンらしい。
第4変奏は、昔の演奏だと第3変奏のエネルギーが残っているかのように、テンポも速く活気があったが、ここではもうそういう弾き方はしていない。
もやのかかったような柔らかい響きに変わるけれど、すぐに16分音符の律動するリズムに入る。テンポは速いが、歯切れよいリズムを静かに刻んでいく。
高音の弱音で弾く旋律とリズムには、澄み切った透明感のある微かな響きがとても美しい。
第5変奏へと向かいながら徐々に高揚していくが、移行部直前に出てくるアルペジオは、テンポも速くタッチも明瞭で力強くてドラマティック。このあとの移行部のトリルもかなり高速。粒もそろってとても綺麗に弾いている。
第5変奏では、終盤へ向かうにつれて、音色が明るく輝くように変わり、柔らかい響きからしっかりとした響きに変わり、伸びやかで膨らみも出てくる。
ほぼインテンポで、ピアノがアルペジオでうねりをつくりながら響きが重なっていき、ダイナミックに高揚していくところは、心の中から喜びが自然に溢れ出てくるかのよう。この盛り上がりかたはとても素晴らしい。
喩えて言うなら、いろいろな思いが走馬燈のように流れていくが、やがて全てを肯定するかのようなポジティブな感情が輝いていくようなクライマックス。
最後のコーダでは、弱音のトリルが流れるなかを再び主題の旋律が現れる。
この弱音のとても弱いけれど、澄んだ響きと静けさのなかで穏やかな幸福感に満たされたよう。
最後の数小節も、安息感のなかに全てが溶けて消えて行くように、弱音のかすかな響きで余韻を残しながら、ゆっくりと終わっていく。
最後の和音の柔らかく静かな響きは、全てが終息したように安らか。
この2度目の録音を聴いていると、13年前に同じ曲を弾いていたピアニストの演奏だとは思えないくらい、音楽のつくりかたが変わっている。
最初の録音は29歳の若者が弾くベートーヴェンらしさがあり、力強い意志と生気に満ちた躍動感と現在や将来の人生への期待と喜びに溢れていた。
それから13年後に弾いたベートーヴェンの最後のソナタは、深く内面へと沈潜して静かに音楽と向き合っているかのような穏やかな心情と、音楽をつくることへの喜びや幸福感で満たされているかのように聴こえる。
特にゆったりとしたテンポで、柔らかい微かな響きの弱音で静かに弾きすすんでいく第2楽章はとても印象的。
個性的だけれど、かなり地味な弾き方かもしれない。でも、波長がぴったり合うと、聴けば聴くほどに心の中に染み透ってくる。
この録音の1年後にカッチェンは急逝したため、このピアノ・ソナタがバガテル(op.126)とともにベートーヴェン作品の最後の録音になる。
再びこの曲を録音することはないのかもしれないと予感しているかのような、ベートーヴェンの最後のピアノ・ソナタの演奏だった。
『ジュリアス・カッチェンにまつわるお話』
ジュリアス・カッチェンのディスコグラフィ
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